2017年08月15日

名字の言〉 2017年8月15日

仏教説話を一つ。ある日、サッピという王が“変装”して城下へ。途中、靴直しの老人に質問した。「世の中で一番楽なのは誰だろう」。老人は答える。「王様ですよ。皆、言うことを聞くし、国民は何でも献上する。こんな楽な商売はない」▼王は一計を案じた。老人を酒に酔わせ、眠っている間に宮中へ運び、「この者を王とせよ」と。目覚めた老人は、立派なベッドや服に驚嘆。「役人がお待ちしています」と、言われるがまま玉座へ。無数の政務が押し寄せるが、さっぱり分からない。疲労で美食も喉を通らず、日に日に痩せ衰える。再び酒を飲まされ、城下に戻った老人。「王様になった夢を見たけど、すっかりまいった」▼人の苦労は表面だけでは分からないにもかかわらず、恵まれた境遇の人を見ると、つい「うらやむ」感情が湧いてしまう。だが、「うら」(心の意)が「病む」との語源通り、実はあまり健全なものではない▼うらやむ心が出るのは、自身の中の「感謝」が薄れている時でもある。感謝の人に愚痴や不満はない。周囲への感謝を忘れず、自身の使命に生き抜いていきたい▼池田先生は「自分の『生命』の中に、『一念』の中に幸福はある」と。信心は、わが己心に必ず具わる幸福の光、感謝の命を輝かせるためにある。(速)
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八字を去る

 呂新吾が自分はもとより人を救うために
 次の八字を去りたいというておる。
 第一は「躁心」――がさがさと落着きがない心。
 第二は「浮気」――うわついた気。
 第三は「浅衷」――浅はかな心。
 かつてマッカーサーが日本に進駐してきた時に、
 日本人の精神年齢は十二歳だ≠ニいって
 大きな反響を呼んだことがありますが、
 この頃は日本人ばかりでなくアメリカをはじめとする
 世界の文明国人がだんだんそういう風になってきて、
 中にはそれより二歳も低い十歳だとする厳しい説もある。
 そういうことを思い出すとこの浅衷の話は一入感が深い。
 第四は「狭量」――度量がせまい。
 この八字四句を去らなければ人間は救われないというのであります。
 そして更にそのためには、
 とにかくこの騒音・騒乱の世界及び人間として「旨静【しせい】」
 ――静を旨とせしめなければいけない。
 そうすれば人間の精神・生活に「閑暇」
 ――ゆとりができるという。
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撰時抄P256

夫れ仏法を学せん法は必ず先づ時をならうべし―――
 撰時抄P256
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女性に贈ることば365日 8月15日

女性に贈ることば365日
 池田大作
8月15日
わが友を幸福にしゆく女性が、
幸福の博士なのである。
わが社会を平和にしゆく女性が、
平和の天使なのである。


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2017年08月14日

雄飛 五十一

小説「新・人間革命」〉 雄飛 五十一

 前年十月、アメリカで教学の研鑽を呼びかけた山本伸一は、今回の訪問でも自ら率先垂範して御書を拝し、指導していった。
 世界教学最高会議では、「行学の二道をはげみ候べし、行学た(絶)へなば仏法はあるべからず、我もいたし人をも教化候へ、行学は信心よりをこるべく候、力あらば一文一句なりともかた(談)らせ給うべし」(御書一三六一ページ)の御文を通して訴えた。
 「『行』とは、自行化他にわたる実践であり、唱題と折伏のことです。『学』とは教学の研鑽です。『行学』に励む人こそが、真の日蓮大聖人の門下です。そして、この二道の絶えざる実践がなければ、それは、もはや仏法ではないと、大聖人は仰せなんです。
 このお言葉通りに実践し、さまざまな難を受けながら、広宣流布を進めてきたのは学会しかありません。この厳たる事実は、誰人も否定することはできない。
 『行学』の二道は、信心から起こる。『行学』を怠っているということは、信心を失っていることにほかならない。信心とは、いかなる脅し、迫害、誘惑にも絶対に屈せず、不退を貫き、ひたぶるに御本尊を信受し、広宣流布に邁進していくことです。
 『行』と『学』は、信心を機軸にした車の両輪といえます。したがって、いくら知識としての教学に精通していったとしても、『行』という実践がなければ、片方の輪だけで進もうとするようなものであり、正しい信心の軌道から外れていかざるを得ない。
 これまでにも実践なき偏頗な教学に陥り、われ偉しと思い、傲り高ぶって、健気に信心に励む同志から嫌われ、退転していった人もおりました。まことに残念でならない。
 私たちは、いわゆる職業的仏教学者になるために教学を研鑽するのではない。自身の信心を深め、一生成仏をめざすためであり、広宣流布推進のための教学であることを、あらためて確認しておきたいのであります」
 創価教学とは実践の教学であり、自他共の幸福を創造する生命の法理の探究である。
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名字の言〉 2017年8月14日

フランスの中等教育機関の教師だったジュール・ラニョーは、人生を教育にささげた。その授業は知識を与えるだけでなく、思索することを重視。生徒のための行動を惜しまなかった彼を、多くの若者が慕った。その一人が哲学者アランである▼病弱だったラニョーは、42歳の若さで生涯を閉じる。彼の「忠実な弟子」と公言していたアランは、ラニョーの講義草稿を出版し、師を高らかに宣揚した。作家アンドレ・モーロワは「アランはつねに偉大だが、師ラニョーについて語るとき、かれはつねにもまして偉大である」(佐貫健訳)と言った▼67年前の8月、戸田先生の信用組合の事業は行き詰まり、営業停止命令を受けた。当時、理事長だった恩師は辞任を余儀なくされる。給料は支払われず、社員は次々と辞めていく。「戸田の馬鹿野郎」と罵る者さえいた▼学会存亡の危機の中、ただ一人、池田先生は恩師の苦境を支えた。試練を一心不乱に戦い抜いた当時の日記に、こう綴る。「未来、生涯、いかなる苦難が打ち続くとも、此の師に学んだ栄誉を、私は最高、最大の、幸福とする」▼師と同じ時を生き、師から学べることほどの幸福はない。師弟の出会いが刻まれた「8・14」から70年。報恩と誓願の新たな出発を開始する日である。(嶺)
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八 相

釈迦の生涯に八つの変相があった。
住胎と嬰核
愛欲と楽苦行
降魔【ごうま】
成道【じょうどう】と転法輪
入滅
我々はすでに我々の始の二相を経て、
最後の入滅には未だ達しておらない。
その余の五相の何を現じておるのであろうか。
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開目抄P236

「取捨宣きを得て一向にす可からず」等、天台云く「時に適(かな)う而巳(のみ)」等云云―――
 開目抄P236
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女性に贈ることば365日 8月14日

女性に贈ることば365日
 池田大作
8月14日
師との思い出を持つ人生は美しい。
豊かである。
師との思い出を大切に温め、
師を誇りとし、
師の理想を実現していく―――
そこに幸福な、
人間としての道がある。


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2017年08月13日

名字の言〉 2017年8月13日

夏祭りや盆踊りなど、地域行事がたけなわ。岩手県の水沢文化会館では、地域の商工協同組合が主催する夏祭りが開催された▼組合からの要請を受け、同会館では15年前から、会場として駐車場を提供。会館施設の一部も開放している。組合の副理事長は、「今では1000人規模の祭りに発展しました。“地域のために”という学会の皆さんの真心のおかげです」と▼会場の隅で、祭りを笑顔で見つめる婦人がいた。45年前の7月、池田先生は水沢会館(当時)を訪問。会館の管理者をしていた婦人に、先生は「この地域 わたしが守りて 幸の道」との句を贈った。その原点を胸に、婦人は地域と交流を重ね、信頼の輪を広げてきた▼学会本部が西神田から信濃町に移転して以降、先生は自ら近隣へのあいさつに回り、親交を深めてきた。今年で32回目の「信濃町ふるさと盆踊り大会」が、総本部の敷地で開催されているのも、先生が近隣と築いた信頼関係が出発点だ▼御書に「世間の法が仏法の全体と釈せられて候」(御書1597ページ)と。仏法は社会と遊離した関係ではない。社会・地域の安穏と発展のために仏法はある。また正しい法理も、「人の振る舞い」として具体的に現れてこそ、納得と共感を得られる。「仏法即社会」である。(芯)
posted by ハジャケン at 09:19| 山梨 ☁| 名字の言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

八不祥

 幼にして肯て長に事えず。
 長じて敢て老に事えず。
 不肖にして肯て賢に事えず。 (三不祥)
 人を損じて己を益すは身の不祥。
 老を棄て幼を取るは家の不祥。
 賢を釈【お】いて不肖に任ずるは国の不祥。
 老いて教えず、少【わか】くして学ばざるは俗の不祥。
 聖人伏し匿【かく】れて愚者権を
 擅【ほしいまま】にするは天下の不祥。(五不祥)
右八不祥(清・張美和・群書拾唾)
posted by ハジャケン at 09:12| 山梨 ☁| 安岡正篤 一日一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

南条殿御返事P1531

人のものををしふると申すは車のおもけれども油をぬりてまわり・ふねを水にうかべてゆきやすきやうにをしへ候なり―――
 南条殿御返事P1531
posted by ハジャケン at 09:11| 山梨 ☁| 御書を読もう | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする