2017年06月16日

安重深沈 3

 それに続けて、「其他(そのた)浮薄(ふはく)にして
 好(この)みて任(にん)じ、
 能(のう)を翹(つまだ)てて自ら喜ぶは、
 皆、行(おこない)、逮(およ)ばざる者なり」とあるのですが、
 自らを好しとして、自分の才能をひけらかし、
 自己満足をしているような人物は、行いの及ばない者である。
 そういうことではいい仕事はできないし、
 ものにならないというのです。
 「即(も)し諸(これ)を行事に見(あら)わせば、
 施為(せい)、術無(すべな)く、反(かえ)って事をやぶる。
 此等(これら)は只(た)だ談論(だんろん)の
 科(とが)に居(お)る可(べ)きのみ」(呻吟語・品藻)
 そういう人に仕事をやらせてみると施為、
 つまりやることなすことに術を知らず、かえって失敗する。
 これらは談論の科、ただ口先だけで実行を伴わないものだというのです。
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2017年06月15日

安重深沈 2

 なぜなら、物事というものは、
 すべて人と人とが決めるものだからです。
 我々もそういう、人を安心させ得る人物になりたいものです。
 その根本には信頼が必要です。
 「天下の大難を定(さだ)むる者(もの)は此人(このひと)なり」、
 安重深沈の人物であってこそ、
 初めて天下の大難を定め治めることができるということです。
 剛明は剛毅明晰(ごうきめいせき)ということで、
 剛明果断の人も大変素晴らしいことであるが、
 安重深沈の次であるといっております。
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2017年06月14日

安重深沈 1

「安重深沈(あんじゅうしんちん)なるは、
 是れ第一の美質なり。
 天下の大難を定むる者は此人(このひと)なり。
 天下の大事を弁ずる者は、此人なり。
 剛明果断(かだん)なるは之に次ぐ」(呻吟語・品藻)
 安重の安は、人に安らぎを与えることです。
 人に安らぎを与えるということは、
 政治においても企業においても、最も大切なことです。
 あの人ならば安心してついていける、
 絶対に間違いがないと人から思われる、
 そういう人物のことです。
 人物ができてきますと、その人の一言によって、
大抵のことは治まるものです。
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2017年06月13日

教師の根本

 教という字は人が他のお手本になって後進を導くという意味ですから、
 教師というものは言葉や技術で導くのではなくて、
 まずその人の徳がその人に接するものの手本にならなければいけません。
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2017年06月12日

教師の要諦

 教育者が、自分の教える相手から、
 自分も教えを受けようとする気持がなくなると馬鹿になる。
 先生課業の者は、
 沈黙の時間を努めて多く持つ様にしないと気が荒む。
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2017年06月11日

学人の悪智

 学をする人はかならず悪慧を生ず。
 その故(ゆえ)如何となれば、
 人を超えんと欲して才ある人を壓す。
 しかも又(また)不才のものを笑う。
 眼を高くして人を直下に見る。
 無学の人は諍(あらそ)う所なし。
 これ学力無き故、我が本然の心を存するなり。
 学をする人は曲節多く、学無き人は直心なり。
 学をする人は人を疑い、学無き人は人を信ず。
 信はそれ万行の始終なり。
 只(ただ)学をなして悪慧を求めんよりは、
 寧(むし)ろ無学にして自己を存せよ。
 往昔(おうせき)は学びて道を明らめ、
 身を直くし、心を清くす。
 今は学びて悪智を長ず。これ時なり。
 (沢庵『玲瓏随筆』)
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2017年06月10日

心 聾

 心聾(しんろう)ということあり。
 心聾とは心の耳つぶれという文字なり。
 鈍(どん)なるものは耳の遠い様なり。
 人の言うことをちゃくとは聞き得ず。
 さらば耳が遠きかと思えば、耳は遠からず。
 心が鈍き故に、耳に入りながら、心に合点する処遅きによりて、
 耳の遠きようにあるものなり。
 まさしく耳には入れども、心に得ざるなり。
 心聾とはこれを言うなり。(沢庵「玲瓏随筆」)
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2017年06月09日

六 有

 万世(ばんせい)の為に太平を開くの語で名高い
 宋初の碩学張横渠(ちょうおうきょ)の説。
 その達見深識に敬服する。
 (一)言に教有り。(言葉には人の道の教え)
 (二)動に法有り。(行動は礼に適う)
 (三)晝(ひる)に為す有り。(昼は有為な働き)
 (四)宵(よる)に得る有り。(夜は読書の学び)
 (五)瞬に養有り。(射には修養)
 (六)息に存有り。(学問は呼吸の如く)
 瞬・養有りは、先ず瞬(まばた)かざるを学んで而(しか)る後、
 射を言うべし(列子・湯問)でわかる。
 息・存あり。学記に四焉即ち蔵焉・修焉・息焉・遊焉を説いている。
 学問が息と同じになることである。
 達人の息は静かに深い。
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2017年06月08日

六 憎

 金持って高ぶるほど憎きはなし。
 書を見ずして物識り顔する。
 人に物やりて恩にきせる。
 吝(しわ)きこと。
 欲ふかきこと。
 人をそねむ。
 ―柳澤里恭・雲萍雑誌―
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2017年06月07日

女色恋愛を戒める

 日本の武士道において注意すべきことがある。
 年若い時分に男女七歳にして席を同じうせずとか謂(い)って、
 女色恋愛というものを戒める。
 これは西洋思想で育ってきた近代人が
 武士道の頑迷(がんめい)を指摘する
 一つの便として何時も引用するが、
 これはそんな浅薄ことではない。
 人間の一生、ことに少青年期に当って、
 一番その人間を動かすもの、支配力をもつものは何かというと、
 女色の問題恋愛の問題です。
 あまり年若い時に恋愛を得るとか、
 女色に耽(ふけ)るということは、
 若者として天から与えられているところの
富豊な素質才能を多く犠牲にしてしまう。
 これは実に痛ましい犠牲であり自殺である。
 だから、出来るだけその子供に天から与えられているままの
 豊富を性能を肥(ふと)らせてやる、
 伸ばしてやるというには、
 やはり男女七歳にして席を同じうせずという方が、
 どうも正しい教育であります。正しい思想であります。
 もちろん七歳云々(うんぬん)の言葉に
拘泥(こうでい)してはなりません。
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2017年06月06日

評する者と育てる者

 人を評する者は多いが、
 本当に人を愛し育て得る者は少ない。
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2017年06月05日

真の愛

 愛する者を敬するに至って、その愛は真の愛となる。
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2017年06月04日

亮ける

 この亮(たす)けるという字に私は深い興味を持っている。
 この字は元来高の口を省いた字に人を加えたもので、
 高いところに立てる人、
 事物を明らかに見通す意味の会意文字であるが、
 高い処(ところ)から見通して
 あきらかであるからたすけることもできる。
 身はその運行の中にあって、
 しかも心はこれを超越し、
 明らかに知って運行に乗ずるを亮くと言う。
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2017年06月03日

職業の意義

 我々が依(よ)って以(もっ)て衣食しつつ、
 これを通じて何等か社会の進運を
 亮(たす)けてゆく手段を職業と言う。
 例えば、ここにある村の小学校に勤めている
 一人の真摯(しんし)な訓導がある。
 彼は小学教員という職業によって衣食しつつ、
 この職業を通じて、彼の属する各社会すなわちその小学校、
 その村に貢献しているのである。
 それは同時に大なり小なりその府県、
 引いては国家という大社会の進運をも亮けている。
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2017年06月02日

独 学

 独学ということがある。
 貴い事ではあるが、しかしどこかに無理や未熟が残るもので、
 本物ではない。
 やはり正師について本格の学問をすることが大切だ。
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2017年06月01日

教 養

 人間、学ばぬと真実がわかりません。
 そういう人生の生きた問題を解決することのできる
正しい学問を身につける、
 というのが教養というものであります。
 そしてそこからさらに進んで、人間というものの本質、
 それから生ずる根本義について、
 明確な概念あるいは信念を持つことが大事であります。
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2017年05月31日

神 霊

 人の心の微妙というものは時間もなければ、
 空間もない、人種・民族もない。
 そこにあるものは脈々として伝わる天地・人間を
 貫く不思議な生命というものであり、
 精神というものであり、神霊というものである。
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2017年05月30日

正覚正精進の人

 人心というものは微妙なものです。
 今は文明自体の持つ病的傾向や、
 人間の疎外をはじめとして、
 意識的無意識的にやはり末法的〈eschatological〉になっているので、
 救済の福音に動かされやすくなっているのです。
 この際にやはり望ましいことは一人でも多く
 自ら一燈となって一隅を照らしてゆく正覚正精進の人びとです。
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2017年05月29日

一燈照隅行

 日本人の言う、中立・中道・平和・民主、
 これはことごとく的を外しておる。
 ことごとく大事なところを取り違えておる。
 これを一つはっきりさせる思想・学問が必要であります。
 このままいくと、不養生の限りを尽しておる肉体と同じで、
 必ず混乱に陥る。不祥事が起こります。
 これをいったいどうすればいいか。
 結局、正しい思想・正しい学問を興すことである。
 そして、それぞれがただ議論をしておるだけでなく、
 いわゆる一灯照隅行(いっとうしょうぐうぎょう)で、
 一人ひとりがわが立つ一隅をそれぞれ照らしていく。
 そうすれば一灯が千灯、万灯になるので、
 それをやるよりほかに日本は救いようがない。
posted by ハジャケン at 08:43| 山梨 ☀| 安岡正篤 一日一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月28日

空念仏

 日本くらい平和、平和と言うて大事な問題を
 抹殺(まっさつ)する風俗はほかにない。
 平和は誰でも口にするが、それをどう達成するか。
 こういう実際問題になると、これくらい難しいことはない。
 こういう穢国濁世(えこくじょくせ)、
 あるいは穢国悪世というような時代に、
 平和は空念仏(からねんぶつ)になりやすい。
 単なる概念、あるいは標語みたいなものになって、
 実際のものにならない。
 平和というものを実際のものにしようと思ったら、
 非常な抑制機能、すなわち非常な道徳的精神が必要である。
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2017年05月27日

現代人の災い

 私は現代人の最も大いなる禍は、帰する所、
 人間の機械化に依る人格の破綻(はたん)に在ると思う。
 本来人格は知情意の渾然(こんぜん)たる統一である。
 人間の価値は知情意の円満な発達になければならぬ。
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2017年05月26日

戦 う

 人間には武芸を始めとして、戦うということが必要だ。
 歴史はトインビーのいわゆる挑戦と応戦≠ゥら成立している。
 この戦い≠なくすると人間のエネルギーは消滅するだけで、
 文字通り文弱となり、何事をも為し得ない。
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2017年05月25日

血 誠

 誠≠ヘ大事である。
 しかし抽象的な誠や元気のない誠では無力だ。
 あくまでも血の通った熱情ある誠、
血誠(けっせい)≠ナなければならない。
posted by ハジャケン at 08:54| 山梨 ☔| 安岡正篤 一日一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月24日

変革の力

 その意味で青年よりも少年、
 もっと徹底して言うならば少年よりも幼年、
 なるべく早いうちから自から内に省みて、
 自分の中から尊い感激の魂を燃え上がらせる
心配りをすることが必要です。
 それによって幼年・少年・青年達が自分を
鍛錬陶冶(とうや)する。
 これが相待って他日大いなる時代の変革の力になるのであります。
posted by ハジャケン at 09:07| 山梨 ☀| 安岡正篤 一日一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする