2017年09月09日

九弊戒

 上の六弊
 人に勝つことを好む。
 過を聞くことを恥づ。
 口達者。
 聡明を衒う。
 威たけだかになる。
 無理を通す。
 下の三弊
 へつらう。
 ものほしがる。
 意気地なし。
 右 中唐の碩学陸宣公の伝による。
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2017年09月08日

当代の人物

 ところが今日の大官名士を見ると、
 その私家の際はまずよろしい。
 酒も飲まぬ。
 喧嘩もしない。
 もちろん漁色も目立ってはやらない。
 ダンスホールを閉鎖しろとか、
 待合を止めろとか喧しく言う。
 大官連中も小さくなっている。
 行儀が良い。
 しかし国家の大事に臨むと、
 生きているのか死んだのかさっぱり分らぬ。
 ひたすら己を守るに汲々としている。
 ここが明治の人物と当代の人物と非常に違うところである。
 願わくば私家の際も人生国家の大事に当っても
 立派であって欲しいが、どうもそうはいかぬ。
 この辺に真の教育の悩みがあります。
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2017年09月07日

明治の人物

 明治の頃の人物を調べて見ると、
 優れた人物が多い。
 ところが私家の行いを見ると、
 どうも酒飲みや女好きが多い。
 地方長官会議などやると大変だったらしい。
 私の親族の者が熊本の県令をしておったが、
 その長男が私の学生時代の保証人で、
 よくその当時の話をしてくれました。
 地方長官会議の時、宴会などをやると、
 酒飲みが多くて、大臣を遠慮なくやっつける。
 酒は飲む、喧嘩はする。
 女は御馳走くらいに心得ていた男が多い。
 私事を論ずればまことに悪い。
 ところが一朝天下国家のことになると
 非常に滅私奉公の精神に富んでおった。
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2017年09月06日

大臣と小臣

 明治時代は、大臣に限らず、
 重職に当った人を見ると、義理にも、
 この大任に堪えよくその責を果せるかどうか、
 甚だどうも覚束ない次第であるというくらいの挨拶はしている。
 義理にもそのくらいのことは言っている。
 ところが昨今の大臣連中など見ておりますと、
 吉田内閣だけでも百人以上の大臣が出来たが、
 ああなると大臣でなく、小臣か足軽か知らんが、
 それにしても少しは謙遜なり反省なりの態度があってもよさそうだが、
 如何にも嬉しそうで、得意満面で、
 聞くに足る挨拶をした人がない。
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2017年09月05日

人間の真価

 人間の真価はなんでもない小事に現われる。
 これについでは古今東西いろいろの識者が
 時に触れて論じておりますが、
 誠にその通りであります。
 真に人を安んずるとか、百姓を安んずるとかいうことは、
 天心の流注、
 人間に自ら備っておるところの本然【ほんぜん】の心、
 良心というものの自らなる流露によって、
 はじめて出来ることであります。
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2017年09月04日

不惜身命

 夢中で学問していると、すぐに時間がたつ。
 夜も更けたから寝ようというのでは大抵駄目になる。
 『論語』に「朝に道を聞かば、夕に死すとも可なり」とは、
 決して単なる形容詞ではない、本当のことだ。
 身体にこたえるし、明日が大変だと思いつつも、
 やってしまうだけの勇気を持つことだ。
 不惜身命【ふしゃくしんみょう】≠ニいうが、
 学問でも芸術でも何でも同じだと思う。
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2017年09月02日

運命の卜知

 運命の卜知―或る民族、或る団体に於て、
 勃興する時には、何れも皆使命を果す為に全力を尽す。
 没落する時には皆、
 一身一家の為だけをはかり、享楽を求める。
 この道理は個人に於ても一般だ。
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2017年09月01日

閑日月

 本当の事をする人ほど、物に拘【こだ】わってはならぬ。
 どこかに閑日月、所謂餘裕というものがなければならない。
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2017年08月31日

人間の成長

 人間は、妻子を持ち、友を知り、
 多くの人と交わり、ある程度の年齢に達して、
 ようやく本当の意味での学問・求道
 ということがわかり始めます。
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2017年08月30日

家庭の力2

 家庭を失いますと、
 人は群衆の中にさまよわねばなりません。
 群衆の世界は、非人間的世界です。
 人は群衆の中で却って孤独に襲われ、
 癒されることのない疲労を得るのです。
 これに反して良い家庭ほど人を落着かせ、
 人を救うものはありません。
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2017年08月29日

家庭の力1

 家庭というものは全く人間生活の基礎であり
 民族興亡の拠所でありますから、
 これを出来るだけ正しく、美しく、
 力強くしてゆかねばなりません。
 その為には、なるべく家族水入らずの気安さ、
 小ぢんまりとした手入れのとどく住宅決して贅沢でない衣食、
 静かで、考える余裕のある生活、
 濫りにならぬ社交が必要であります。
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2017年08月28日

人格価値を悟る

 意外に多く教養ある婦人が、
 人間の価値を知識や地位や財産や手腕に求めて居る。
 漱石の云った様に
 「頭と腕を挙げて実世間に打込んで、
 肉眼で指す事の出来る権力か財力を掴【つか】まなくては
 男子で無いと考えている」教養ある婦人が実際多い。
 そして巧みな会話や流行の服装が
 「覚めたる婦人」に対する勢力も亦【また】著しい。
 神秘家の言葉をかりると、
 そういう婦人はコジテーションCogitation(仮見【かけん】)に止まって、
 メディテーションmeditation(内観)、
 コンテムプレーションcontemplation(中観【ちゅうかん】)も無い。
 ゆえに到底真の人格価値を悟ることが出来ないのである。
 真の人格価値はやはり至純【しじゅん】なる内省に待たねばならぬ。
 純真な女性であって、始めて大丈夫【ますらお】を恋するであろう。
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2017年08月27日

心田を肥やす

 歴史の中に蔵されている人間の美徳の優れた文献、
 優れた人物を発掘して、
 われわれ自身の心田を肥やさなければ、
 人間としての進歩はいうまでもなく、
 事業の発展も、文明の創造もできません。
 大いなる未来を開くには古典にかえる必要があります。
 それに気づかず、
 追いたてられるままにこの現代文明に忙殺されるというのは、
 まことに危険なことであります。
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2017年08月25日

機をつかむ

 我々はあらゆる機会に機≠ニいうものをつかんで、
 生活の単調を破り、変化の妙を発揮する必要がある。
 物事は全て単調に、因襲的になるほど生命力が鈍るからだ。
 時には有意義な病気や飢えやつまづき【、、、、】も人生にはあってよい。
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2017年08月24日

 機は何にでもある。
 禅に禅機、商売に商機、政治には政機がある。
 この政機を知らぬと、
 のんべんだらりとした情無い政治になって、
 不信を招き、
 丁度この頃の政冶のようなものになってしまう。
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2017年08月23日

胆 力

 吾々はいくら智慧があっても、
 学問があっても、
 個人と個人との日常生活の細やかな問題の
 決定一つつかぬことが多い。
 偉い学者といわれる人がつまらぬ一瑣事に捉われるということは、
 つまり知識と見識が違うからで、
 従って見識というものは一つの決断力であり、
 これは人生においては直ちに行為となって現れなければならぬ、
 決断は同時に行でなければならぬ。
 従って見識は実践的でなければならぬ。
 ところが見識が実践に入るには又ここに一つの勇気が要る。
 この実践的勇気を称して、
 古来最も民衆的な言葉でいうと、
 「胆力」と申します。
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2017年08月22日

人物の第一条件

 人物たることの第一の条件は理想を持つことであって、
 理想を持つとその理想に照して現実に対する
 反省批判というものが起って来る。
 即ち「見識」というものが生ずるのであります。
 元気と理想と見識、この見識は又人物たることの大事な条件です。
 見識は「知識」とは違う、知識を獲得することは簡単であって、
 神経衰弱青年でも得られるが、
 「見識」というものは性命より生ずる理想を
 追求して初めて得られるものである、
 理想に照して現実の複雑な経験を断定するものである。
 知識などとは比較にならぬものである。
 人生に大事なものは知識より見識であります。
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2017年08月21日

保科正之

 徳川三代将軍家光の異母弟に、
 保科正之という大名がいた。
 なかなかの人物であった。
 この人が、徳川の重臣、
 大名である榊原忠次とどうも仲が好くない。
 幕府城内で会っても挨拶さえしない。
 万治元年になって井伊直孝が歿して、
 老中筆頭職が空席になった。
 こうして月日が経つがなかなか後任が決らない。
 こんな時、将軍家網は保科正之を招き、このことを謀った。
 すると正之は「この大役を相勤める器量人は、
 榊原忠次をおいて他にはないと存じます」とこたえた。
 これを聞いて家網は、
 かねて二人の間の不和を知っていただけに、
 あれっと妙な表情をした。
 正之はすかさず、「榊原とそれがしの不和は私ごとでございます。
 公事となれば、彼の器量を推挙しないわけにはまいりませぬ」と。
posted by ハジャケン at 08:26| 山梨 ☁| 安岡正篤 一日一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月20日

真のデモクラシー

 現代人には「舜何人【しゅんなにびと】ぞや我何人【われなにびと】ぞや」
 の観念が横溢【おういつ】して居る。
 けれども古人の謂【い】う意味と現代人の考える所とはまるで正反対である。
 現代人は舜何人ぞや? 舜も亦人ではないか。
 我々と同じ人間ではないか。
 彼もやはり娥皇【がおう】・女英【じょえい】という二人の女を持って、
 性欲も虚栄も野心もあった男だ。
 英雄崇拝とか哲人礼讃等は、
 要するに封建時代の奴隷的服従思想の遺伝であると嘲笑する。
 然【しか】し、かくて人間を平等視して自ら寛くする【、、、、、、】
 ことはあさましい理知の戯【たわむ】れに過ぎない。
 真【まこと】のデモクラシーやはり一切の人に良知を認め、
 人格を容【ゆる】して、一切の人を聖境【せいきょう】に
 高めんとする思想でなければならぬ。
 デモクラシーを単に外面生活に限るならば格別、
 之を以て内面生活を抹殺し去ろうとするのは
 許すべからざる人性【じんせい】の冒涜【ぼうとく】である。
 人間の向上を遮蔽【しゃへい】するものである。
 然しながら至深至奥【ししんしおう】な本性【ほんせい】の要求は
 是【かく】の如き時代思想に満足することは出来ないで、
 自己を高め救うべき何ものかを復【また】求めずには居られない。
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2017年08月19日

亡国の姿

 私の時々思い出す古人の警語の一に、
 王者は日に敬【つつ】しみ、
 覇者は時に敬しみ、
 僅かに存するのみなる国は危くして而る後之を戚【うれ】え、
 亡国は亡に至って而る後亡を知り、
 死に至って而る後死を知る。(荀子・彊国)
 ということがある。
 痛切・骨に響くものがあるではないか。
 王者は一日一日を大切にする。
 日日是れ好日たり得るは、
 日々是れ敬日に力めるからである。
 覇者になると、王者と違って力の政治であるから、
 時々油断がならない。時に敬しむ所以である。
 どうやらこうやら存在しているにすぎない様な
 自主自立性の乏しい間抜けた国は、
 危くなってから、やっと心配し始める。
 だめな国はどうにもならなくなって、やっとそれがわかる。
死ぬところまで落ちこんで、やっと死ぬのかと狼狽するのである。
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2017年08月18日

非武装国家の幻想

 日本を取り巻く国々はみな実質的に
 武力国家侵略主義的国家でありまして、
 こんな割の悪い国は世界の何処にもありません。
 例えばヨーロッパ諸国にしても大体ソ連だけを考えておればよい。
 アメリカなどは何処【どこ】を向いても、
 遠い先々のことはいざ知らず現実に
 アメリカの存在を脅すような国家は見当らない。
 日本だけがただ独り眼の前に大変な国々が
 鼻面【はなづら】を並べておる。
 曰くソ連、曰く北鮮、曰く中国。
 そういう国々の中に在っていくら非武装国家を謳い中立を叫んでも、
 観念的・感傷的議論に過ぎぬ。
 それこそナンセンスというものであります。
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2017年08月17日

八紘為宇

 八紘為宇とは何ぞや、と言われれば、
 私は寧ろ世界中の民族が日本に慕い寄って
 来ることであると答うべきであると思います。
 八紘を掩うて一宇と為すのでありますから、
 世界中の者が自分の家に帰って来るようにするということです。
 慕い寄って来ることでなければならない、
 敬すればこそ慕うのであります。
 敬慕せられる民族になる、
 我々は一足国家を外に出れば各人が国家を代表するのでありますから、
 日本人たる各人は他民族から敬慕せられるような人物になる
 ということが日本の国家の運命を決する鍵じゃないか、
 と思うのであります。
posted by ハジャケン at 08:56| 山梨 ☁| 安岡正篤 一日一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月16日

國という字

 國という字は元来「或」(在る・存在する)という字を書きまして、
 或の下の一【、】は大地、口【、】は占拠・領域、
 戈【、】は武力を表している。
 即ち一定の土地を占拠して、
 それを武力で守っておるのが或であります。
 国・領土というものは武力を以て防衛して、
 初めて存在することが出来るということです。
 だから或をある【、、】と読んで、存在する意味に使う。
 ところがその存在は、外から武力の強い者が侵略して来ると、
 どうなるかわからない。
 それであるいは【、、、、】と疑問に読む。
 又そういう或(くに)があちらにもこちらにも出来ますから、
 自然に外ワクの口がついて、
 國という字が出来たわけであります。
 今日も武力のない国というものの存在は甚だ疑問である、
 ということに少しも変化はありません。
posted by ハジャケン at 09:30| 山梨 ☁| 安岡正篤 一日一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月15日

八字を去る

 呂新吾が自分はもとより人を救うために
 次の八字を去りたいというておる。
 第一は「躁心」――がさがさと落着きがない心。
 第二は「浮気」――うわついた気。
 第三は「浅衷」――浅はかな心。
 かつてマッカーサーが日本に進駐してきた時に、
 日本人の精神年齢は十二歳だ≠ニいって
 大きな反響を呼んだことがありますが、
 この頃は日本人ばかりでなくアメリカをはじめとする
 世界の文明国人がだんだんそういう風になってきて、
 中にはそれより二歳も低い十歳だとする厳しい説もある。
 そういうことを思い出すとこの浅衷の話は一入感が深い。
 第四は「狭量」――度量がせまい。
 この八字四句を去らなければ人間は救われないというのであります。
 そして更にそのためには、
 とにかくこの騒音・騒乱の世界及び人間として「旨静【しせい】」
 ――静を旨とせしめなければいけない。
 そうすれば人間の精神・生活に「閑暇」
 ――ゆとりができるという。
posted by ハジャケン at 09:42| 山梨 ☁| 安岡正篤 一日一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする