2017年08月28日

人格価値を悟る

 意外に多く教養ある婦人が、
 人間の価値を知識や地位や財産や手腕に求めて居る。
 漱石の云った様に
 「頭と腕を挙げて実世間に打込んで、
 肉眼で指す事の出来る権力か財力を掴【つか】まなくては
 男子で無いと考えている」教養ある婦人が実際多い。
 そして巧みな会話や流行の服装が
 「覚めたる婦人」に対する勢力も亦【また】著しい。
 神秘家の言葉をかりると、
 そういう婦人はコジテーションCogitation(仮見【かけん】)に止まって、
 メディテーションmeditation(内観)、
 コンテムプレーションcontemplation(中観【ちゅうかん】)も無い。
 ゆえに到底真の人格価値を悟ることが出来ないのである。
 真の人格価値はやはり至純【しじゅん】なる内省に待たねばならぬ。
 純真な女性であって、始めて大丈夫【ますらお】を恋するであろう。
posted by ハジャケン at 08:51| 山梨 ☁| 安岡正篤 一日一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月27日

心田を肥やす

 歴史の中に蔵されている人間の美徳の優れた文献、
 優れた人物を発掘して、
 われわれ自身の心田を肥やさなければ、
 人間としての進歩はいうまでもなく、
 事業の発展も、文明の創造もできません。
 大いなる未来を開くには古典にかえる必要があります。
 それに気づかず、
 追いたてられるままにこの現代文明に忙殺されるというのは、
 まことに危険なことであります。
posted by ハジャケン at 09:09| 山梨 ☁| 安岡正篤 一日一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月25日

機をつかむ

 我々はあらゆる機会に機≠ニいうものをつかんで、
 生活の単調を破り、変化の妙を発揮する必要がある。
 物事は全て単調に、因襲的になるほど生命力が鈍るからだ。
 時には有意義な病気や飢えやつまづき【、、、、】も人生にはあってよい。
posted by ハジャケン at 09:37| 山梨 ☁| 安岡正篤 一日一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月24日

 機は何にでもある。
 禅に禅機、商売に商機、政治には政機がある。
 この政機を知らぬと、
 のんべんだらりとした情無い政治になって、
 不信を招き、
 丁度この頃の政冶のようなものになってしまう。
posted by ハジャケン at 08:38| 山梨 ☁| 安岡正篤 一日一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月23日

胆 力

 吾々はいくら智慧があっても、
 学問があっても、
 個人と個人との日常生活の細やかな問題の
 決定一つつかぬことが多い。
 偉い学者といわれる人がつまらぬ一瑣事に捉われるということは、
 つまり知識と見識が違うからで、
 従って見識というものは一つの決断力であり、
 これは人生においては直ちに行為となって現れなければならぬ、
 決断は同時に行でなければならぬ。
 従って見識は実践的でなければならぬ。
 ところが見識が実践に入るには又ここに一つの勇気が要る。
 この実践的勇気を称して、
 古来最も民衆的な言葉でいうと、
 「胆力」と申します。
posted by ハジャケン at 08:05| 山梨 ☁| 安岡正篤 一日一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月22日

人物の第一条件

 人物たることの第一の条件は理想を持つことであって、
 理想を持つとその理想に照して現実に対する
 反省批判というものが起って来る。
 即ち「見識」というものが生ずるのであります。
 元気と理想と見識、この見識は又人物たることの大事な条件です。
 見識は「知識」とは違う、知識を獲得することは簡単であって、
 神経衰弱青年でも得られるが、
 「見識」というものは性命より生ずる理想を
 追求して初めて得られるものである、
 理想に照して現実の複雑な経験を断定するものである。
 知識などとは比較にならぬものである。
 人生に大事なものは知識より見識であります。
posted by ハジャケン at 08:42| 山梨 ☀| 安岡正篤 一日一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月21日

保科正之

 徳川三代将軍家光の異母弟に、
 保科正之という大名がいた。
 なかなかの人物であった。
 この人が、徳川の重臣、
 大名である榊原忠次とどうも仲が好くない。
 幕府城内で会っても挨拶さえしない。
 万治元年になって井伊直孝が歿して、
 老中筆頭職が空席になった。
 こうして月日が経つがなかなか後任が決らない。
 こんな時、将軍家網は保科正之を招き、このことを謀った。
 すると正之は「この大役を相勤める器量人は、
 榊原忠次をおいて他にはないと存じます」とこたえた。
 これを聞いて家網は、
 かねて二人の間の不和を知っていただけに、
 あれっと妙な表情をした。
 正之はすかさず、「榊原とそれがしの不和は私ごとでございます。
 公事となれば、彼の器量を推挙しないわけにはまいりませぬ」と。
posted by ハジャケン at 08:26| 山梨 ☁| 安岡正篤 一日一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月20日

真のデモクラシー

 現代人には「舜何人【しゅんなにびと】ぞや我何人【われなにびと】ぞや」
 の観念が横溢【おういつ】して居る。
 けれども古人の謂【い】う意味と現代人の考える所とはまるで正反対である。
 現代人は舜何人ぞや? 舜も亦人ではないか。
 我々と同じ人間ではないか。
 彼もやはり娥皇【がおう】・女英【じょえい】という二人の女を持って、
 性欲も虚栄も野心もあった男だ。
 英雄崇拝とか哲人礼讃等は、
 要するに封建時代の奴隷的服従思想の遺伝であると嘲笑する。
 然【しか】し、かくて人間を平等視して自ら寛くする【、、、、、、】
 ことはあさましい理知の戯【たわむ】れに過ぎない。
 真【まこと】のデモクラシーやはり一切の人に良知を認め、
 人格を容【ゆる】して、一切の人を聖境【せいきょう】に
 高めんとする思想でなければならぬ。
 デモクラシーを単に外面生活に限るならば格別、
 之を以て内面生活を抹殺し去ろうとするのは
 許すべからざる人性【じんせい】の冒涜【ぼうとく】である。
 人間の向上を遮蔽【しゃへい】するものである。
 然しながら至深至奥【ししんしおう】な本性【ほんせい】の要求は
 是【かく】の如き時代思想に満足することは出来ないで、
 自己を高め救うべき何ものかを復【また】求めずには居られない。
posted by ハジャケン at 09:53| 山梨 ☀| 安岡正篤 一日一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月19日

亡国の姿

 私の時々思い出す古人の警語の一に、
 王者は日に敬【つつ】しみ、
 覇者は時に敬しみ、
 僅かに存するのみなる国は危くして而る後之を戚【うれ】え、
 亡国は亡に至って而る後亡を知り、
 死に至って而る後死を知る。(荀子・彊国)
 ということがある。
 痛切・骨に響くものがあるではないか。
 王者は一日一日を大切にする。
 日日是れ好日たり得るは、
 日々是れ敬日に力めるからである。
 覇者になると、王者と違って力の政治であるから、
 時々油断がならない。時に敬しむ所以である。
 どうやらこうやら存在しているにすぎない様な
 自主自立性の乏しい間抜けた国は、
 危くなってから、やっと心配し始める。
 だめな国はどうにもならなくなって、やっとそれがわかる。
死ぬところまで落ちこんで、やっと死ぬのかと狼狽するのである。
posted by ハジャケン at 10:17| 山梨 ☁| 安岡正篤 一日一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月18日

非武装国家の幻想

 日本を取り巻く国々はみな実質的に
 武力国家侵略主義的国家でありまして、
 こんな割の悪い国は世界の何処にもありません。
 例えばヨーロッパ諸国にしても大体ソ連だけを考えておればよい。
 アメリカなどは何処【どこ】を向いても、
 遠い先々のことはいざ知らず現実に
 アメリカの存在を脅すような国家は見当らない。
 日本だけがただ独り眼の前に大変な国々が
 鼻面【はなづら】を並べておる。
 曰くソ連、曰く北鮮、曰く中国。
 そういう国々の中に在っていくら非武装国家を謳い中立を叫んでも、
 観念的・感傷的議論に過ぎぬ。
 それこそナンセンスというものであります。
posted by ハジャケン at 09:50| 山梨 ☀| 安岡正篤 一日一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月17日

八紘為宇

 八紘為宇とは何ぞや、と言われれば、
 私は寧ろ世界中の民族が日本に慕い寄って
 来ることであると答うべきであると思います。
 八紘を掩うて一宇と為すのでありますから、
 世界中の者が自分の家に帰って来るようにするということです。
 慕い寄って来ることでなければならない、
 敬すればこそ慕うのであります。
 敬慕せられる民族になる、
 我々は一足国家を外に出れば各人が国家を代表するのでありますから、
 日本人たる各人は他民族から敬慕せられるような人物になる
 ということが日本の国家の運命を決する鍵じゃないか、
 と思うのであります。
posted by ハジャケン at 08:56| 山梨 ☁| 安岡正篤 一日一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月16日

國という字

 國という字は元来「或」(在る・存在する)という字を書きまして、
 或の下の一【、】は大地、口【、】は占拠・領域、
 戈【、】は武力を表している。
 即ち一定の土地を占拠して、
 それを武力で守っておるのが或であります。
 国・領土というものは武力を以て防衛して、
 初めて存在することが出来るということです。
 だから或をある【、、】と読んで、存在する意味に使う。
 ところがその存在は、外から武力の強い者が侵略して来ると、
 どうなるかわからない。
 それであるいは【、、、、】と疑問に読む。
 又そういう或(くに)があちらにもこちらにも出来ますから、
 自然に外ワクの口がついて、
 國という字が出来たわけであります。
 今日も武力のない国というものの存在は甚だ疑問である、
 ということに少しも変化はありません。
posted by ハジャケン at 09:30| 山梨 ☁| 安岡正篤 一日一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月15日

八字を去る

 呂新吾が自分はもとより人を救うために
 次の八字を去りたいというておる。
 第一は「躁心」――がさがさと落着きがない心。
 第二は「浮気」――うわついた気。
 第三は「浅衷」――浅はかな心。
 かつてマッカーサーが日本に進駐してきた時に、
 日本人の精神年齢は十二歳だ≠ニいって
 大きな反響を呼んだことがありますが、
 この頃は日本人ばかりでなくアメリカをはじめとする
 世界の文明国人がだんだんそういう風になってきて、
 中にはそれより二歳も低い十歳だとする厳しい説もある。
 そういうことを思い出すとこの浅衷の話は一入感が深い。
 第四は「狭量」――度量がせまい。
 この八字四句を去らなければ人間は救われないというのであります。
 そして更にそのためには、
 とにかくこの騒音・騒乱の世界及び人間として「旨静【しせい】」
 ――静を旨とせしめなければいけない。
 そうすれば人間の精神・生活に「閑暇」
 ――ゆとりができるという。
posted by ハジャケン at 09:42| 山梨 ☁| 安岡正篤 一日一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月14日

八 相

釈迦の生涯に八つの変相があった。
住胎と嬰核
愛欲と楽苦行
降魔【ごうま】
成道【じょうどう】と転法輪
入滅
我々はすでに我々の始の二相を経て、
最後の入滅には未だ達しておらない。
その余の五相の何を現じておるのであろうか。
posted by ハジャケン at 08:40| 山梨 ☀| 安岡正篤 一日一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月13日

八不祥

 幼にして肯て長に事えず。
 長じて敢て老に事えず。
 不肖にして肯て賢に事えず。 (三不祥)
 人を損じて己を益すは身の不祥。
 老を棄て幼を取るは家の不祥。
 賢を釈【お】いて不肖に任ずるは国の不祥。
 老いて教えず、少【わか】くして学ばざるは俗の不祥。
 聖人伏し匿【かく】れて愚者権を
 擅【ほしいまま】にするは天下の不祥。(五不祥)
右八不祥(清・張美和・群書拾唾)
posted by ハジャケン at 09:12| 山梨 ☁| 安岡正篤 一日一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月12日

達徳明眼の師友

 食物は得易い。また粗食でも甘んずることができる。
 けれども、良い師友は実に得難い。
 そして、こればかりは粗末で済まされない。
 我々の人格が純真熱烈なほど達徳明眼の師友を
 渇仰【かつごう】して止まないのである。
posted by ハジャケン at 08:46| 山梨 ☀| 安岡正篤 一日一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月11日

師友を求める心

 我々の人生が真に確立し、
 もはや惑うこともなくなるまでには、
 到底自分の独力でなし得られるものではない。
 それには我々の天稟【てんびん】が余りに貧弱で
 無力で下根【げこん】である。
 我々は常に権威ある人格、品性、気魄、
 才能に接触し誘掖【ゆうえき】され陶冶【とうや】されて、
 はじめてようやく自己を充実し洗練し向上させることができる。
 この厳粛な事理を閑却し、蔑視【べっし】する者は、
 必ず人生に退転し、迷惑し、
 顛倒するの愚に終わらねばならない。
 故に精神的権威を求める心、換言すれば師友を求める心は、
 我々の胃の腑が食を求めるように、
 我々の魂に最も根本的な要求である。
posted by ハジャケン at 08:45| 山梨 ☁| 安岡正篤 一日一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月10日

老荘と孔孟

人生の教えには大きく考えると二つある。
それは、なるべく天然自然の全き姿を続けさせたい。
なるべく、軽るがるしく早く物になるまいという行き方と、
成るべく早く物にしたい、
成るべく早く立派な物にしようという行き方とです。
老荘思想は成るべく早くつまらぬ物にはなるまいという行き方です。
それに較べると孔孟の方、儒教の方は、
成るべく早く立派な物にしようとする行き方です。
 私なんかはどっちかというと、儒教で育ったものですが、
しかし多分に老荘の教えが浸み込んでいる。
何か物になる、限定されることが嫌い、
学問でも一宗一派の学問をすることが嫌いで、
近頃のようなイズム――イストが嫌いです。
思想ばかりじゃない、世の中に処しても、教育家になるとか、
官吏になるとか、学者になるとか、銀行家になるとか、
なんとかそういう何かになったら、
もうそれでお終いのような気がして、到頭何にもならないで、
或いはなれないのかもしれませんが、何やらわけが分らぬ
――しかし何かになるよりはましなような、
正体の分らぬものになってしまった。
 私の雅号の瓠堂はその意味です。
posted by ハジャケン at 09:01| 山梨 ☀| 安岡正篤 一日一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月09日

使えば使うほど

頭は難問題と取り組めば取り組むほど良くなる。
肉体も同じことで、楽をさせ、
やさしいことばかりに使っておるとだめになる。
だから、いくら使ってもよろしい。
正しく使えば使うほどよろしい。
またむずかしい問題と取り組むほどよろしい。
posted by ハジャケン at 10:22| 山梨 ☔| 安岡正篤 一日一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月07日

人間の通則

人間というものは逆境よりも順境、
禍よりも幸に弱いものであります。
持たざるよりも持った方が、
病弱よりも健康の方がむしろ注意しなければならない。
人間は得意・成功の方が失意・不遇よりは危ない。
素朴よりも文明の方が危ない。
これは人間の通則であり、また人間の微妙なところです。
posted by ハジャケン at 08:30| 山梨 ☀| 安岡正篤 一日一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月06日

文明は人間を弱くする

真の体力・健康というものはもっと矛盾に富んだ、
もっと苛烈な、自然の暑さ・寒さ・飢餓、
その他いろいろの不自由やら迫害と闘って、
自然に鍛え上げるものでなくてはならない。
そういう意味から言うならば、
文明の知識と技術の下につくり上げられた
体力・生命力というものは弱いものである。
posted by ハジャケン at 09:09| 山梨 ☀| 安岡正篤 一日一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月05日

『小学』を学ぶ

 私の好きな大家の一人に章楓山という人がおりますが、
明代の碩学で、王陽明とほど同時代に生きた人でありますが、
ある時新進の進士が訪ねて来て、
「私も進士の試験に及第しましたが、
これから一つどういうふうに勉強すればよろしいのでしょうか、
ご教示願いたい」と頼んだ。
 章楓山はこれに答えて
「何といっても『小学』をやることですね」といった。
いわれた進士は内心甚だ面白くない。
進士の試験に及第した自分に『小学』をやれとは、
人を馬鹿にするにもほどがあるというわけであります。
 そうして家に帰り、
何となく『小学』を手にとって読んでみたところが、
 誠にひしひしと身に迫るものがある。
 そこで懸命に『小学』を勉強して、再び章楓山を訪れた。
 するとろくろく挨拶も終わらぬうちに章楓山がいった、
 「だいぶ『小学』を勉強しましたね」。
 びっくりして「どうしてわかりますか」と訊ねたところ、
 「いや、言語・応対の間に自からあらわれておりますよ」
 と答えたということであります。いい話です。
posted by ハジャケン at 09:33| 山梨 ☁| 安岡正篤 一日一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月04日

抱独・見独・慎独

地位だの名誉だの物質だの利害だのといった
打算的なものによらずに自己の絶対的なものを持つ、
これを「抱独【ほうどく】」と言う。
そしてそれを認識するのが「見独」であります。
自己の存在の絶対性に徹して、初めて真に他を知ることが出来る、
他との関係が成り立つ。
根本に於て独がなければ、
われわれの存在は極めて曖昧で不安定であります。
 だから君子はそれをよく認識し、徹見して、大切にするのである。
「慎独」は中庸に伴う大事な要素であって、
これあるによって、本当の進歩向上ができる、
所謂中があり得るわけであります。
posted by ハジャケン at 09:36| 山梨 ☁| 安岡正篤 一日一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月03日

将来の人物

将来の人物か過去の人物かの相違は、
吾れ何人ぞやと考えるか、
誰それはあゝだ斯【こ】うだと
他人の批判ばかりしているかどうかの一点にある。
posted by ハジャケン at 09:16| 山梨 ☁| 安岡正篤 一日一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする