2017年10月24日

佳境に入る

 年とともに人間の佳境に
 入るのが本当である。
posted by ハジャケン at 08:58| 山梨 ☁| 安岡正篤 一日一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月23日

相と運と学

 真理・学問というものは、
 その人の相とならねばならぬ
 ということであります。
 それが動いて行動になる、
 生活になる、社会生活になる。
 これを運と言う。
 そうしてこそはじめて
 本当の学であります。
 学はその人の相となり運となる。
 それが更にその人の学を深める。
 相と運と学とが無限に
 相待って発達する。
 つまり本当に自己を実現する。
posted by ハジャケン at 11:02| 山梨 ☔| 安岡正篤 一日一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月22日

藤樹先生

 人間、学ばないというと、
 藤樹先生の言う通り
 「迷睡昏々【めいすいこんこん】たり」で、
 つまらぬことにどこまでも迷って、
 ぼんやり眠っておるのと
 同然何も分からない。
 然し「学べば明覚惺々
 【めいかくせいせい】たり」、
 星が輝いておる様に
 心中明かるく冴える。
 学んでも覚めなければ
 これは学ばざるに等しい。
 藤樹先生は、
 先ず自らに反って覚ろう、
 という事に懸命に
 取組まれたわけであります。
posted by ハジャケン at 09:51| 山梨 ☔| 安岡正篤 一日一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月21日

世の倶楽部に思う 2

 日本は今や至る処
 クラブばやりである。
 政治家・事業家・文筆家等は勿論、
 ゴルフからマージャンまで
 クラブを作っている。
 然しどれほどが果して本来の
 クラバブル clubable なものであろうか。
 むしろひどくアンクラバブル・クラブ
 が多いのではないか。
 もしよく多くの有力なクラブを真に
 クラバブルなものに出来たら、
 案外日本を振興するのに
 役立つのではないか。
 日本は今や至る処
 クラブばやりである。
 政治家・事業家・文筆家等は勿論、
 ゴルフからマージャンまで
 クラブを作っている。
 然しどれほどが果して本来の
 クラバブル clubable なものであろうか。
 むしろひどくアンクラバブル・クラブ
 が多いのではないか。
 もしよく多くの有力なクラブを真に
 クラバブルなものに出来たら、
 案外日本を振興するのに
 役立つのではないか。
posted by ハジャケン at 08:35| 山梨 ☁| 安岡正篤 一日一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月20日

世の倶楽部に思う1

 英国の代表的なモラリスト、
 偉大な辞典編集者として有名な
 S・ジョンソン S.Johnson 1709―1784 は
 友達無しには居れぬ人物であった。
 彼は馬鹿と無頼漢と、
 古き権威には何でも反対の
 ホイッグ党が大嫌いで、
 好きな善い人々と遠慮無く
 談笑できる集会に出て、
 孤独と鬱憂を散ずることを楽しんだ。
 一七四九年四十歳の頃、
 アイヴィー・レーン・クラブを設立。
 彼の辞典によれば、
 クラブとは一定の条件のもとに
 会合する善良な人々の集まりであり、
 クラバブル clubable は
 社交的の sociable の粋を意味し、
 アンクラバブル unclubable な人間は
 クラブにはいる資格が無い。
 前記のザ・クラブ The Club は
 当時有名な肖像画家で、
 ロイヤル・アカデミーの
 初代院長サー・ジョシュア・レイノルズが
 ジョンソンに提案して、
 一七六四年に設立されたもの
 ということである。
 入会はなかなか条件がやかましく、
 その代り有益な集まりで、
 自由に忌憚なく意見を交換して
 相親しむことができた。
posted by ハジャケン at 09:40| 山梨 ☔| 安岡正篤 一日一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月19日

信 友

 誠の友には、
 限り無い信頼の歓喜、
 いつでも理解してもらえる
 という確信があるから、
 何でも言える楽しみ、
 雄々しく又赤裸々な
 生活の陶酔がある。
 多数の俗人から認められず、
 少数の友人から
 認められることは楽しい。
 偉大な魂の主はその敵を
 軽蔑するものではなく、
 実は忘れるものなのである。
 寛容は超脱の最も
 鄭寧な形式である。
 感情を害し易い性格の
 人々には春がない。
 真の友交は精神の宮殿に於ける
 心と心との楽しい饗宴である。
 こういう信友同志の集まりは、
 如何にささやかに
 見えるものであっても、
 そこに集まった人々を
 凡俗とは異った
 別の人間にし始めるものである。
  ――アベル・ボナールAbel Bonnard・友情論より。
posted by ハジャケン at 08:52| 山梨 ☁| 安岡正篤 一日一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

信 友

 誠の友には、
 限り無い信頼の歓喜、
 いつでも理解してもらえる
 という確信があるから、
 何でも言える楽しみ、
 雄々しく又赤裸々な
 生活の陶酔がある。
 多数の俗人から認められず、
 少数の友人から
 認められることは楽しい。
 偉大な魂の主はその敵を
 軽蔑するものではなく、
 実は忘れるものなのである。
 寛容は超脱の最も
 鄭寧な形式である。
 感情を害し易い性格の
 人々には春がない。
 真の友交は精神の宮殿に於ける
 心と心との楽しい饗宴である。
 こういう信友同志の集まりは、
 如何にささやかに
 見えるものであっても、
 そこに集まった人々を
 凡俗とは異った
 別の人間にし始めるものである。
  ――アベル・ボナールAbel Bonnard・友情論より。
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2017年10月18日

君子は豪傑たれ

 総じて善人とか君子とか
 いわれる者にこの志気が無い。
 彼等は沈香【ちんこう】も焚【た】かず
 屁【へ】も放【ひ】らざることを以て
 至善と考えたり、
 道傍【みちばた】の小石を除いたり、
 坂の車の後押しをしたことを、
 一大善事を為したかの如く
 昂奮【こうふん】する。
 遺憾ながら是の如き
 善人君子【ぜんにんくんし】は
 世に横行する
 悪人大俗【あくにんだいぞく】の
 輩【はい】から軽侮されても
 致方【いたしかた】が無い。
 まことは君子が
 豪傑でなければならぬ。
 聖人が英雄でなければならぬ。
posted by ハジャケン at 09:28| 山梨 ☁| 安岡正篤 一日一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月17日

徳を好む

 食を欲し、色を好む様なことは、
 未【ま】だ人間の一般的な
 低い性能に過ぎない。
 徳を好むに至って
 始めて人に高き尊き
 大いなる生があるのである。
 我等【われら】世紀末の
 人間は性能の低きに走って、
 この徳を好むことが出来ない。
 才を愛し得ても徳を解しない。
posted by ハジャケン at 10:10| 山梨 ☔| 安岡正篤 一日一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月16日

人物研究と小人奸物2

 それには英雄哲人に限らず、
 世人が見て以て小人とし、
 奸物と罵り、凡愚と貶【おと】し、
 迂拙【うせつ】と嗤【わら】う者の裡【うち】に、
 幾多の考うべき問題は横たわっている。
posted by ハジャケン at 08:59| 山梨 ☔| 安岡正篤 一日一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

人物研究と小人奸物2

 それには英雄哲人に限らず、
 世人が見て以て小人とし、
 奸物と罵り、凡愚と貶【おと】し、
 迂拙【うせつ】と嗤【わら】う者の裡【うち】に、
 幾多の考うべき問題は横たわっている。
posted by ハジャケン at 08:53| 山梨 ☔| 安岡正篤 一日一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月15日

人物研究と小人奸物1

 真の人物研究は、
 必ずしも偉大な英雄哲人に
 限るものではない。
 いかにも英雄哲人は
 我々の卑陋【ひろう】さを痛く刺激して、
 感奮興起させるに
 最も強烈な力を有するが、
 しかし我々はそれに浮かされて、
 いたずらに感傷に流れ、
 興奮に止まってはならぬ。
 あくまでも厳粛に我々が
 気づかぬさまざまな生活を会得し、
 ともすれば閑却し易い人生の
 深い本質的な問題に触れて、
 自己の人格識見を完成してゆくところに
 最も高貴な意義があるのである。
posted by ハジャケン at 09:46| 山梨 ☁| 安岡正篤 一日一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月14日

学者の大病

 学者・語言に墮在して、
 心で真実に得る所の無いのは
 もちろん大病たるものである。
posted by ハジャケン at 09:34| 山梨 ☔| 安岡正篤 一日一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月13日

学問の必要手段

 真の学問はまず何によるべきか。
 それこそよき師友、
 活きた人物の感化に勝るものはない。
 次に陶冶【とうや】された人格から出る
 直観的知慧(徳慧)の結晶たる諸の述作、
 ことに古典である。
 我々の英雄哲人に対する私淑は、
 ここにおいて啐啄【さいたく】の
 妙を現ずるのである。
 これ等に対して抽象的
 一面的な理論ほど、
 人物を教養する力は薄い。
posted by ハジャケン at 09:55| 山梨 ☔| 安岡正篤 一日一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月12日

古人に私淑する

 昔から純真な若人であって
 熱烈に英雄哲人に
 私淑【ししゅく】せぬはない。
 諸葛孔明は管仲樂毅に私淑した。
 明の革命僧姚【よう】廣孝
 (道衍【どうえん】)は
 元の佐命の僧劉秉忠
 【りゅうへいちゅう】に私淑した。
 清末の偉人曾國藩は
 常に孟子に私淑した。
 徳川家康も源頼朝に
 私淑したではないか。
 橋本左内も岳飛に
 私淑したではないか。
 我々も常に古人に私淑し、
 古人を研究せねばならぬ。
posted by ハジャケン at 09:24| 山梨 ☀| 安岡正篤 一日一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月11日

古人を訪ねる

 いかに当世に絶望し、
 厭離【おんり】の念を抱いている者でも、
 一度古人に師友を求めるならば、
 それこそ真に蘇生の思いがするであろう。
 事実、世に古人の遺書も
 芸術もなかったならば、
 我々はほとんど自殺を免れないであろう。
posted by ハジャケン at 10:27| 山梨 ☀| 安岡正篤 一日一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月10日

目 耕

 真剣に読書することを目耕≠ニいう。
 晋の王韶之【しょうし】が若い時、
 貧乏もかまわず本ばかり読んでいる。
 家人が「こんなに貧乏なのだから
 少しは耕したらどうか」とそしると、
 彼曰く、「我常に目耕せるのみ」と。
 書斎などに掲げておきたい語だ。
posted by ハジャケン at 08:21| 山梨 ☀| 安岡正篤 一日一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月09日

活きた注釈

 古典は決して単なる古典ではなくて、
 現代の活きた注釈になる。
 現代において古典の出版や研究が
 盛んに行われておるのも、
 所以【ゆえん】はそこにあるわけです。
 しかし或る程度の教養がないと、
 それをこなすことが難しい、
 本当の解釈がつかない。
posted by ハジャケン at 22:04| 山梨 ☀| 安岡正篤 一日一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月08日

本当の自分を把握する

 藤樹先生、蕃山先生を追想致しまして、
 なによりも先ず気のつくことは、
 先生達がいかに真剣に
 学ばれたかということであります。
 (中略)
 先生方の性命を打込んで
 された学問というものは、
 決して外物を追う、
 単に知識を得る、
 或は資格を得る条件にする、
 というような功利的目的のためではない。
 その最も大切な意義は、
 自分が自分に反【かえ】る、
 本当の自分を把握するということであった。
 自分というものをはっきりつかんで、
 自分の本質を十分に発揮する
 ということであったわけであります。
posted by ハジャケン at 09:37| 山梨 ☁| 安岡正篤 一日一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月07日

優遊自適

 最初に漢民族が困ったのは、
 黄河の氾濫【はんらん】である。
 つまり黄河の水処理に非常に苦しんだ。
 だから漢民族の始まりは、
 ほとんど黄河の治水の記録と言うていい。
 それで、いろいろ水と戦ったのだが、
 何しろあの何千キロという河ですから、
 紆余【うよ】曲折して、ある所に治水工事をやると、
 水はとんでもない所へ転じて、
 思わざる所に大変な災害を引き起こす。
 苦情が絶えない。
 そこで長い間、治水に苦しんで到達した結論は、
 結局「水に抵抗しない」ということであった。
 水に抵抗するとその反動がどこへ行くやらわからん。
 水を無抵抗にする。
 すなわち水を自由に遊ばせる。
 これが結論で、そこで水をゆっくりと、
 無抵抗の状態で自ずからに行かしめ、
 これを「自適【じてき】」と言うた。
 適という字は行くという字。
 思うままに、つまり無抵抗に
 行く姿を自適という。
 抵抗がないから自然に落ち着いて、
 ゆったりと自ずからにして行く。
 これが「優遊自適【ゆうゆうじてき】」であります。
posted by ハジャケン at 10:21| 山梨 ☁| 安岡正篤 一日一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月06日

優遊自適

 最初に漢民族が困ったのは、
 黄河の氾濫【はんらん】である。
 つまり黄河の水処理に非常に苦しんだ。
 だから漢民族の始まりは、
 ほとんど黄河の治水の記録と言うていい。
 それで、いろいろ水と戦ったのだが、
 何しろあの何千キロという河ですから、
 紆余【うよ】曲折して、ある所に治水工事をやると、
 水はとんでもない所へ転じて、
 思わざる所に大変な災害を引き起こす。
 苦情が絶えない。
 そこで長い間、治水に苦しんで到達した結論は、
 結局「水に抵抗しない」ということであった。
 水に抵抗するとその反動がどこへ行くやらわからん。
 水を無抵抗にする。
 すなわち水を自由に遊ばせる。
 これが結論で、そこで水をゆっくりと、
 無抵抗の状態で自ずからに行かしめ、
 これを「自適【じてき】」と言うた。
 適という字は行くという字。
 思うままに、つまり無抵抗に
 行く姿を自適という。
 抵抗がないから自然に落ち着いて、
 ゆったりと自ずからにして行く。
 これが「優遊自適【ゆうゆうじてき】」であります。
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2017年10月05日

遊 学

 真の学問は始めもなく
 終りもないものだが、
 どこをとっても良いという
 ものでなければならぬ。
 だから真の学問をしようと思えば
 どこからでも入れる。
 丁度大河が幾多の支流を
 合わせつつ海に流れてゆくように。
 その意味で遊(游)学
 は実によい言葉だ。
posted by ハジャケン at 08:52| 山梨 ☁| 安岡正篤 一日一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月04日

歴史に学ぶ

 時局が複雑になるほど、
 情報は氾濫する。
 しかしそれをいくら
 詳しく集めたところで、
 それだけで、時局に対する
 決定的見識は立たない。
 寧【むし】ろ害になることが多い。
 大切なことは過去の
 歴史が訓【おし】える
 真理・教訓に参ずることだ。
 かくして初めて情報も
 活用することができる。
posted by ハジャケン at 09:04| 山梨 ☁| 安岡正篤 一日一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月03日

経書と史書

 東洋の古典を学ぶには、
 やはり経書と史書とを
 主にせねばなりません。
 日本人が論語や孝経を
 庶民階級にまで普及させたことは、
 西洋人のバイブル同様
 まことに善いことでした。
posted by ハジャケン at 09:25| 山梨 ☔| 安岡正篤 一日一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする