2017年06月25日

理想像

 人間像、理想像とかいうものは血が通っておらなければならない。
 血が通っているということは、
 自分の生命をぶち込んでいるということです。
 その意味において我われの理想像とか人間像とかいうものは、
 必ず誰かに感激し、私淑(ししゅく)する
 ということにならなければだめだ。
 書物の上ではだめである。
 子供を本当に教育しようと思ったら、
 子供に理想像を持たさなければならない。
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2017年06月24日

敬の対象

 父親というものは子供に対して
 あまり口やかましく言わぬほうがよい。
 それは母親の役目であって、
 それよりもまず父親は子供の敬の対象、
 理想像になってやらなければならない。
 理想像として子供のイメージを壊さぬような、
 また子供が自らにして敬の心を抱くような、
 そういう態度、言葉、振る舞いがより大事であり、
 必要なのであります。
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2017年06月23日

父と子 2

 子は父より注目されることを欲し、
 父の賛成を得ようとする。
 父が子に満足を感じている限りにおいて、
 子自身は自己に満足できるのである。
 これが父に対する子の自然的愛であって、
 その愛は子の感性的福祉の保護者に対してではなく、
 彼自らの価値又は無価値を反映する鏡に対するものである――。
 この厳格な事実を世の父母の多くが
 いかに気づかずにきたことでしょうか。
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2017年06月22日

父と子 1

 道義心の最も根源的な、最も純粋な姿は、
 敬重(けいちょう)されたいという衝動である。
 又(また)こういう衝動からまず敬重の唯一の
 可能性対象である道義的なもの、
 即ち、正・善・真・克己という認識が生ずることである。
 子供の場合には、この衝動はまず彼が最も敬重する人から
 敬重してもらいたいという衝動として現れる。
 そうして愛は決して利己心より生ずるものではないという証拠には、
 この衝動は、慈愛を以て常に眼前に在る母に対してよりも、
 不在がちで、直接慈愛者として現れない、
 もっと厳格な父に対して、
 一般に遥(はる)かに強く且(か)つ決定的に向けられる。。
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2017年06月21日

悪まずして厳

 家庭教育で一番大事なものは「悪まずして厳」ということであります。
 教育となると、真剣になればなるほど子供の欠点がわかるから、
 どうしても親しいほど腹が立ったり悔しくなったりする。
 そこで教育に熱心な親ほど、特に父親は性急である。
 どうしても子供も叱(しか)る。
 そこで感情が複雑になってくるから、愛情よりは憎むという、
 愛憎という感情が動いてくる。
 少なくとも子供はそう受け取る。
 そうして子供は非常にひねくれる。
 だから孟子のようなやかましい人でも、教育に関して、
 「父子の間は善を責めてはならん」と言うておる。
 善を求めて相手を責める、こうしなきゃいかん、なぜしないかと、
 善を責めるといかん。
 善を責めると子は父から離れる。
 親子の間、父子の間が離れるほど不祥なことはないと孟子は論じておる、
 まことにその通りであります。
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2017年06月20日

反省の作用

 反省は統一に復(かえ)ろうとする作用である。
 哲人程(ほど)内省的であり、
 統一に復る程幽玄(ゆうげん)である。
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2017年06月19日

心に触れる

 人は省みることによって、自らに反ることによって、
 はじめて心というものに触れることが出来る。
 他の動物も感覚や或(あ)る程度の意識は持っておるけれども、
 人間の様な複雑微妙な意識・精神、
総称して心というものは持っていない。
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2017年06月18日

愛読書

 本も愛読書は慣れてみると血が通うというか、心が通う。
 書物が本当に生き物のようになる。
 長く親しんだ愛読書というものは、
 これは実に楽しいもので、まさに親友と同じものになる。
 おもしろいもので、心から読む、心読すると書物が生きてくる。
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2017年06月17日

相 棒

 物事を研究する秘訣は、相棒を見つけることだ。
 相棒は人間でも書物でもよい。
 自分が真剣になりさえすれば必ず見つかる。
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2017年06月16日

安重深沈 3

 それに続けて、「其他(そのた)浮薄(ふはく)にして
 好(この)みて任(にん)じ、
 能(のう)を翹(つまだ)てて自ら喜ぶは、
 皆、行(おこない)、逮(およ)ばざる者なり」とあるのですが、
 自らを好しとして、自分の才能をひけらかし、
 自己満足をしているような人物は、行いの及ばない者である。
 そういうことではいい仕事はできないし、
 ものにならないというのです。
 「即(も)し諸(これ)を行事に見(あら)わせば、
 施為(せい)、術無(すべな)く、反(かえ)って事をやぶる。
 此等(これら)は只(た)だ談論(だんろん)の
 科(とが)に居(お)る可(べ)きのみ」(呻吟語・品藻)
 そういう人に仕事をやらせてみると施為、
 つまりやることなすことに術を知らず、かえって失敗する。
 これらは談論の科、ただ口先だけで実行を伴わないものだというのです。
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2017年06月15日

安重深沈 2

 なぜなら、物事というものは、
 すべて人と人とが決めるものだからです。
 我々もそういう、人を安心させ得る人物になりたいものです。
 その根本には信頼が必要です。
 「天下の大難を定(さだ)むる者(もの)は此人(このひと)なり」、
 安重深沈の人物であってこそ、
 初めて天下の大難を定め治めることができるということです。
 剛明は剛毅明晰(ごうきめいせき)ということで、
 剛明果断の人も大変素晴らしいことであるが、
 安重深沈の次であるといっております。
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2017年06月14日

安重深沈 1

「安重深沈(あんじゅうしんちん)なるは、
 是れ第一の美質なり。
 天下の大難を定むる者は此人(このひと)なり。
 天下の大事を弁ずる者は、此人なり。
 剛明果断(かだん)なるは之に次ぐ」(呻吟語・品藻)
 安重の安は、人に安らぎを与えることです。
 人に安らぎを与えるということは、
 政治においても企業においても、最も大切なことです。
 あの人ならば安心してついていける、
 絶対に間違いがないと人から思われる、
 そういう人物のことです。
 人物ができてきますと、その人の一言によって、
大抵のことは治まるものです。
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2017年06月13日

教師の根本

 教という字は人が他のお手本になって後進を導くという意味ですから、
 教師というものは言葉や技術で導くのではなくて、
 まずその人の徳がその人に接するものの手本にならなければいけません。
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2017年06月12日

教師の要諦

 教育者が、自分の教える相手から、
 自分も教えを受けようとする気持がなくなると馬鹿になる。
 先生課業の者は、
 沈黙の時間を努めて多く持つ様にしないと気が荒む。
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2017年06月11日

学人の悪智

 学をする人はかならず悪慧を生ず。
 その故(ゆえ)如何となれば、
 人を超えんと欲して才ある人を壓す。
 しかも又(また)不才のものを笑う。
 眼を高くして人を直下に見る。
 無学の人は諍(あらそ)う所なし。
 これ学力無き故、我が本然の心を存するなり。
 学をする人は曲節多く、学無き人は直心なり。
 学をする人は人を疑い、学無き人は人を信ず。
 信はそれ万行の始終なり。
 只(ただ)学をなして悪慧を求めんよりは、
 寧(むし)ろ無学にして自己を存せよ。
 往昔(おうせき)は学びて道を明らめ、
 身を直くし、心を清くす。
 今は学びて悪智を長ず。これ時なり。
 (沢庵『玲瓏随筆』)
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2017年06月10日

心 聾

 心聾(しんろう)ということあり。
 心聾とは心の耳つぶれという文字なり。
 鈍(どん)なるものは耳の遠い様なり。
 人の言うことをちゃくとは聞き得ず。
 さらば耳が遠きかと思えば、耳は遠からず。
 心が鈍き故に、耳に入りながら、心に合点する処遅きによりて、
 耳の遠きようにあるものなり。
 まさしく耳には入れども、心に得ざるなり。
 心聾とはこれを言うなり。(沢庵「玲瓏随筆」)
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2017年06月09日

六 有

 万世(ばんせい)の為に太平を開くの語で名高い
 宋初の碩学張横渠(ちょうおうきょ)の説。
 その達見深識に敬服する。
 (一)言に教有り。(言葉には人の道の教え)
 (二)動に法有り。(行動は礼に適う)
 (三)晝(ひる)に為す有り。(昼は有為な働き)
 (四)宵(よる)に得る有り。(夜は読書の学び)
 (五)瞬に養有り。(射には修養)
 (六)息に存有り。(学問は呼吸の如く)
 瞬・養有りは、先ず瞬(まばた)かざるを学んで而(しか)る後、
 射を言うべし(列子・湯問)でわかる。
 息・存あり。学記に四焉即ち蔵焉・修焉・息焉・遊焉を説いている。
 学問が息と同じになることである。
 達人の息は静かに深い。
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2017年06月08日

六 憎

 金持って高ぶるほど憎きはなし。
 書を見ずして物識り顔する。
 人に物やりて恩にきせる。
 吝(しわ)きこと。
 欲ふかきこと。
 人をそねむ。
 ―柳澤里恭・雲萍雑誌―
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2017年06月07日

女色恋愛を戒める

 日本の武士道において注意すべきことがある。
 年若い時分に男女七歳にして席を同じうせずとか謂(い)って、
 女色恋愛というものを戒める。
 これは西洋思想で育ってきた近代人が
 武士道の頑迷(がんめい)を指摘する
 一つの便として何時も引用するが、
 これはそんな浅薄ことではない。
 人間の一生、ことに少青年期に当って、
 一番その人間を動かすもの、支配力をもつものは何かというと、
 女色の問題恋愛の問題です。
 あまり年若い時に恋愛を得るとか、
 女色に耽(ふけ)るということは、
 若者として天から与えられているところの
富豊な素質才能を多く犠牲にしてしまう。
 これは実に痛ましい犠牲であり自殺である。
 だから、出来るだけその子供に天から与えられているままの
 豊富を性能を肥(ふと)らせてやる、
 伸ばしてやるというには、
 やはり男女七歳にして席を同じうせずという方が、
 どうも正しい教育であります。正しい思想であります。
 もちろん七歳云々(うんぬん)の言葉に
拘泥(こうでい)してはなりません。
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2017年06月06日

評する者と育てる者

 人を評する者は多いが、
 本当に人を愛し育て得る者は少ない。
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2017年06月05日

真の愛

 愛する者を敬するに至って、その愛は真の愛となる。
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2017年06月04日

亮ける

 この亮(たす)けるという字に私は深い興味を持っている。
 この字は元来高の口を省いた字に人を加えたもので、
 高いところに立てる人、
 事物を明らかに見通す意味の会意文字であるが、
 高い処(ところ)から見通して
 あきらかであるからたすけることもできる。
 身はその運行の中にあって、
 しかも心はこれを超越し、
 明らかに知って運行に乗ずるを亮くと言う。
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2017年06月03日

職業の意義

 我々が依(よ)って以(もっ)て衣食しつつ、
 これを通じて何等か社会の進運を
 亮(たす)けてゆく手段を職業と言う。
 例えば、ここにある村の小学校に勤めている
 一人の真摯(しんし)な訓導がある。
 彼は小学教員という職業によって衣食しつつ、
 この職業を通じて、彼の属する各社会すなわちその小学校、
 その村に貢献しているのである。
 それは同時に大なり小なりその府県、
 引いては国家という大社会の進運をも亮けている。
posted by ハジャケン at 09:37| 山梨 ☀| 安岡正篤 一日一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月02日

独 学

 独学ということがある。
 貴い事ではあるが、しかしどこかに無理や未熟が残るもので、
 本物ではない。
 やはり正師について本格の学問をすることが大切だ。
posted by ハジャケン at 09:27| 山梨 ☀| 安岡正篤 一日一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする