2017年10月19日

信 友

 誠の友には、
 限り無い信頼の歓喜、
 いつでも理解してもらえる
 という確信があるから、
 何でも言える楽しみ、
 雄々しく又赤裸々な
 生活の陶酔がある。
 多数の俗人から認められず、
 少数の友人から
 認められることは楽しい。
 偉大な魂の主はその敵を
 軽蔑するものではなく、
 実は忘れるものなのである。
 寛容は超脱の最も
 鄭寧な形式である。
 感情を害し易い性格の
 人々には春がない。
 真の友交は精神の宮殿に於ける
 心と心との楽しい饗宴である。
 こういう信友同志の集まりは、
 如何にささやかに
 見えるものであっても、
 そこに集まった人々を
 凡俗とは異った
 別の人間にし始めるものである。
  ――アベル・ボナールAbel Bonnard・友情論より。
posted by ハジャケン at 08:52| 山梨 ☁| 安岡正篤 一日一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

信 友

 誠の友には、
 限り無い信頼の歓喜、
 いつでも理解してもらえる
 という確信があるから、
 何でも言える楽しみ、
 雄々しく又赤裸々な
 生活の陶酔がある。
 多数の俗人から認められず、
 少数の友人から
 認められることは楽しい。
 偉大な魂の主はその敵を
 軽蔑するものではなく、
 実は忘れるものなのである。
 寛容は超脱の最も
 鄭寧な形式である。
 感情を害し易い性格の
 人々には春がない。
 真の友交は精神の宮殿に於ける
 心と心との楽しい饗宴である。
 こういう信友同志の集まりは、
 如何にささやかに
 見えるものであっても、
 そこに集まった人々を
 凡俗とは異った
 別の人間にし始めるものである。
  ――アベル・ボナールAbel Bonnard・友情論より。
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2017年10月18日

君子は豪傑たれ

 総じて善人とか君子とか
 いわれる者にこの志気が無い。
 彼等は沈香【ちんこう】も焚【た】かず
 屁【へ】も放【ひ】らざることを以て
 至善と考えたり、
 道傍【みちばた】の小石を除いたり、
 坂の車の後押しをしたことを、
 一大善事を為したかの如く
 昂奮【こうふん】する。
 遺憾ながら是の如き
 善人君子【ぜんにんくんし】は
 世に横行する
 悪人大俗【あくにんだいぞく】の
 輩【はい】から軽侮されても
 致方【いたしかた】が無い。
 まことは君子が
 豪傑でなければならぬ。
 聖人が英雄でなければならぬ。
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2017年10月17日

徳を好む

 食を欲し、色を好む様なことは、
 未【ま】だ人間の一般的な
 低い性能に過ぎない。
 徳を好むに至って
 始めて人に高き尊き
 大いなる生があるのである。
 我等【われら】世紀末の
 人間は性能の低きに走って、
 この徳を好むことが出来ない。
 才を愛し得ても徳を解しない。
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2017年10月16日

人物研究と小人奸物2

 それには英雄哲人に限らず、
 世人が見て以て小人とし、
 奸物と罵り、凡愚と貶【おと】し、
 迂拙【うせつ】と嗤【わら】う者の裡【うち】に、
 幾多の考うべき問題は横たわっている。
posted by ハジャケン at 08:59| 山梨 ☔| 安岡正篤 一日一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

人物研究と小人奸物2

 それには英雄哲人に限らず、
 世人が見て以て小人とし、
 奸物と罵り、凡愚と貶【おと】し、
 迂拙【うせつ】と嗤【わら】う者の裡【うち】に、
 幾多の考うべき問題は横たわっている。
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2017年10月15日

人物研究と小人奸物1

 真の人物研究は、
 必ずしも偉大な英雄哲人に
 限るものではない。
 いかにも英雄哲人は
 我々の卑陋【ひろう】さを痛く刺激して、
 感奮興起させるに
 最も強烈な力を有するが、
 しかし我々はそれに浮かされて、
 いたずらに感傷に流れ、
 興奮に止まってはならぬ。
 あくまでも厳粛に我々が
 気づかぬさまざまな生活を会得し、
 ともすれば閑却し易い人生の
 深い本質的な問題に触れて、
 自己の人格識見を完成してゆくところに
 最も高貴な意義があるのである。
posted by ハジャケン at 09:46| 山梨 ☁| 安岡正篤 一日一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月14日

学者の大病

 学者・語言に墮在して、
 心で真実に得る所の無いのは
 もちろん大病たるものである。
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2017年10月13日

学問の必要手段

 真の学問はまず何によるべきか。
 それこそよき師友、
 活きた人物の感化に勝るものはない。
 次に陶冶【とうや】された人格から出る
 直観的知慧(徳慧)の結晶たる諸の述作、
 ことに古典である。
 我々の英雄哲人に対する私淑は、
 ここにおいて啐啄【さいたく】の
 妙を現ずるのである。
 これ等に対して抽象的
 一面的な理論ほど、
 人物を教養する力は薄い。
posted by ハジャケン at 09:55| 山梨 ☔| 安岡正篤 一日一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月12日

古人に私淑する

 昔から純真な若人であって
 熱烈に英雄哲人に
 私淑【ししゅく】せぬはない。
 諸葛孔明は管仲樂毅に私淑した。
 明の革命僧姚【よう】廣孝
 (道衍【どうえん】)は
 元の佐命の僧劉秉忠
 【りゅうへいちゅう】に私淑した。
 清末の偉人曾國藩は
 常に孟子に私淑した。
 徳川家康も源頼朝に
 私淑したではないか。
 橋本左内も岳飛に
 私淑したではないか。
 我々も常に古人に私淑し、
 古人を研究せねばならぬ。
posted by ハジャケン at 09:24| 山梨 ☀| 安岡正篤 一日一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月11日

古人を訪ねる

 いかに当世に絶望し、
 厭離【おんり】の念を抱いている者でも、
 一度古人に師友を求めるならば、
 それこそ真に蘇生の思いがするであろう。
 事実、世に古人の遺書も
 芸術もなかったならば、
 我々はほとんど自殺を免れないであろう。
posted by ハジャケン at 10:27| 山梨 ☀| 安岡正篤 一日一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月10日

目 耕

 真剣に読書することを目耕≠ニいう。
 晋の王韶之【しょうし】が若い時、
 貧乏もかまわず本ばかり読んでいる。
 家人が「こんなに貧乏なのだから
 少しは耕したらどうか」とそしると、
 彼曰く、「我常に目耕せるのみ」と。
 書斎などに掲げておきたい語だ。
posted by ハジャケン at 08:21| 山梨 ☀| 安岡正篤 一日一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月09日

活きた注釈

 古典は決して単なる古典ではなくて、
 現代の活きた注釈になる。
 現代において古典の出版や研究が
 盛んに行われておるのも、
 所以【ゆえん】はそこにあるわけです。
 しかし或る程度の教養がないと、
 それをこなすことが難しい、
 本当の解釈がつかない。
posted by ハジャケン at 22:04| 山梨 ☀| 安岡正篤 一日一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月08日

本当の自分を把握する

 藤樹先生、蕃山先生を追想致しまして、
 なによりも先ず気のつくことは、
 先生達がいかに真剣に
 学ばれたかということであります。
 (中略)
 先生方の性命を打込んで
 された学問というものは、
 決して外物を追う、
 単に知識を得る、
 或は資格を得る条件にする、
 というような功利的目的のためではない。
 その最も大切な意義は、
 自分が自分に反【かえ】る、
 本当の自分を把握するということであった。
 自分というものをはっきりつかんで、
 自分の本質を十分に発揮する
 ということであったわけであります。
posted by ハジャケン at 09:37| 山梨 ☁| 安岡正篤 一日一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月07日

優遊自適

 最初に漢民族が困ったのは、
 黄河の氾濫【はんらん】である。
 つまり黄河の水処理に非常に苦しんだ。
 だから漢民族の始まりは、
 ほとんど黄河の治水の記録と言うていい。
 それで、いろいろ水と戦ったのだが、
 何しろあの何千キロという河ですから、
 紆余【うよ】曲折して、ある所に治水工事をやると、
 水はとんでもない所へ転じて、
 思わざる所に大変な災害を引き起こす。
 苦情が絶えない。
 そこで長い間、治水に苦しんで到達した結論は、
 結局「水に抵抗しない」ということであった。
 水に抵抗するとその反動がどこへ行くやらわからん。
 水を無抵抗にする。
 すなわち水を自由に遊ばせる。
 これが結論で、そこで水をゆっくりと、
 無抵抗の状態で自ずからに行かしめ、
 これを「自適【じてき】」と言うた。
 適という字は行くという字。
 思うままに、つまり無抵抗に
 行く姿を自適という。
 抵抗がないから自然に落ち着いて、
 ゆったりと自ずからにして行く。
 これが「優遊自適【ゆうゆうじてき】」であります。
posted by ハジャケン at 10:21| 山梨 ☁| 安岡正篤 一日一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月06日

優遊自適

 最初に漢民族が困ったのは、
 黄河の氾濫【はんらん】である。
 つまり黄河の水処理に非常に苦しんだ。
 だから漢民族の始まりは、
 ほとんど黄河の治水の記録と言うていい。
 それで、いろいろ水と戦ったのだが、
 何しろあの何千キロという河ですから、
 紆余【うよ】曲折して、ある所に治水工事をやると、
 水はとんでもない所へ転じて、
 思わざる所に大変な災害を引き起こす。
 苦情が絶えない。
 そこで長い間、治水に苦しんで到達した結論は、
 結局「水に抵抗しない」ということであった。
 水に抵抗するとその反動がどこへ行くやらわからん。
 水を無抵抗にする。
 すなわち水を自由に遊ばせる。
 これが結論で、そこで水をゆっくりと、
 無抵抗の状態で自ずからに行かしめ、
 これを「自適【じてき】」と言うた。
 適という字は行くという字。
 思うままに、つまり無抵抗に
 行く姿を自適という。
 抵抗がないから自然に落ち着いて、
 ゆったりと自ずからにして行く。
 これが「優遊自適【ゆうゆうじてき】」であります。
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2017年10月05日

遊 学

 真の学問は始めもなく
 終りもないものだが、
 どこをとっても良いという
 ものでなければならぬ。
 だから真の学問をしようと思えば
 どこからでも入れる。
 丁度大河が幾多の支流を
 合わせつつ海に流れてゆくように。
 その意味で遊(游)学
 は実によい言葉だ。
posted by ハジャケン at 08:52| 山梨 ☁| 安岡正篤 一日一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月04日

歴史に学ぶ

 時局が複雑になるほど、
 情報は氾濫する。
 しかしそれをいくら
 詳しく集めたところで、
 それだけで、時局に対する
 決定的見識は立たない。
 寧【むし】ろ害になることが多い。
 大切なことは過去の
 歴史が訓【おし】える
 真理・教訓に参ずることだ。
 かくして初めて情報も
 活用することができる。
posted by ハジャケン at 09:04| 山梨 ☁| 安岡正篤 一日一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月03日

経書と史書

 東洋の古典を学ぶには、
 やはり経書と史書とを
 主にせねばなりません。
 日本人が論語や孝経を
 庶民階級にまで普及させたことは、
 西洋人のバイブル同様
 まことに善いことでした。
posted by ハジャケン at 09:25| 山梨 ☔| 安岡正篤 一日一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月02日

精読と通読

 書物の読み方二つ。
 精読―人間を深め、
     思索になれる。
 通読―作者の気概や情熱にふれる。
posted by ハジャケン at 08:47| 山梨 | 安岡正篤 一日一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月01日

学道箴規

一 賢を尊び道を慕い
  恥を知る者入るべし。
  自負して信ならず慚愧する所
  vfp無きは容【ゆる】さず。
二 天下の為に心を立て、
  生民の為に命を立て、
  万世の為に太平を
  開かんとする者入るべし。
  徒に慷慨激越なるは容さず。
三 不遇をかこつべからず、
  一生安穏に道を楽しむを
  得ば足れりとすべし。
  凡そ大丈夫ならん者地下百尺に
  埋もる覚悟あらずんば
  大事を成すに足らざるなり。
四 道友は乳水の如く和合し互に
  明徳を明らかにすべし。
  骨肉の敬愛すら
  異族に比すべからず。
  況んや学道の兄弟に於てをや。
五 礼を重んずべし。
  狎侮【こうぶ】の交あるべからず。
六 人を責むべからず。
  毎【つね】に自ら省るべし。
  たとえ人を責むとも
  人を憎むべからず。
七 古より聖賢寸陰を惜み、
  高僧万縁を棄てし心を学ぶべし。
  半世を酔夢の中に過さば
  後悔臍【ほぞ】を噛むとも及ばじ。
  尤も暮夜長く雑鬧【ざっとう】
  の巷を彷徨するが
  如きことあるべからず。
  たとい出づることありとも、
  速に帰りて青灯の下古教照心すべし。
  晴昼閑あらば花木の栽培に力め、
  抱甕灌蔬【ほうおうかんそ】すべし。
八 行往坐臥須く安詳なるべし。
  粗暴は 学道の
  純熟せざるを以てなり。
  恥ずべく、 悲しむべし。
posted by ハジャケン at 09:27| 山梨 ☀| 安岡正篤 一日一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月30日

人に徹する

 人はあくまでも人に徹し、
 現実を直視して、
 これを浄化向上するほかはない。
posted by ハジャケン at 09:12| 山梨 ☀| 安岡正篤 一日一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月29日

因果の法則

 人間には奇跡と
 いうものはありません。
 奇跡などというのは研究不足、
 勉強不足の者の言葉でありまして、
 原因・結果というものは
 常にはっきりしておるのです。
 悪いことをしますと、
 いつかは悪い結果があらわれ、
 善いことをすれば
 善い結果があらわれる、
 というのは厳粛な
 自然の法則であります。
 したがって人間は
 因果律というものを
 大事にしなければなりません。
posted by ハジャケン at 08:52| 山梨 ☔| 安岡正篤 一日一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月28日

敬と信仰

 敬するというのは、
 より高きものに対する
 人間独特の心で、
 敬するから、
 至らない自分を省みて恥ずる、
 これは陰陽の原理であります。
 敬するから恥ずる、
 恥ずるから慎む。
 戒める。
 この恥ずる、慎む、
 戒めるということが
 主体になる時に道徳と
 いうものができるのです。
 敬するということが建前に
 なる時に宗教というものになる、
 信仰というものになる、
 信仰というものがあれば
 必ず道徳がその中に入る。
 道徳なき信仰と
 いうものはありません。
 又信ずるところ、
 信仰があるから、
 恥ずる・慎む・戒むという、
 これが建前になって道徳になる。
 道徳という時には
 宗教が中に入る、
 宗教という時には
 道徳が中に入る。
 宗教なき道徳なく、
 道徳なき宗教は
 ないのであります。
posted by ハジャケン at 08:44| 山梨 ☁| 安岡正篤 一日一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする