2017年04月30日

移 燭

 燭の火を 燭にうつすや 春の夕(蕪村)
 わが心の燭を他の心の燭に移す、
 或は他の心の燭をわが心の燭に受ける、
 こういう春の夕も楽しいではないか。
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2017年04月29日

一念の誠

 我々は一念の誠を忘れてはならぬ。
 そしてこの事は古来、
 日本民族の胸琴(きょうきん)を始終奏でて来た
 爽(さわ)やかな天籟(てんらい)であった。
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2017年04月22日

聖教の目的

 聖学の目的は人と為(な)るに在(あ)る。
 乃(すなわ)ち聖教の目的も
 人と為るの道を教えることになければならぬ。
 人と為るということは、
 決して漫(みだり)に書を読むことでもなければ、
 単に思想を抱くだけのことでもない。
 小は一身を修めることより
 大は天下を治平(ちへい)するに至る迄、
 現実に目覚ましい理想欣求(ごんぐ)である故に
 聖教は常に最も活き活きした現実に
 人生を動かしてゆく力でなければならぬ。
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2017年04月21日

愚忠愚孝を尽くす

「我々に今大切なことは、
 何と言われようが愚忠愚孝(ぐちゅうぐこう)
 を尽くすことだ。
 道を学んだ者として甘んじて愚にならねばならぬ。
 おそらく世間には新たな局面に、
 巧みに投じて時を得顔に跳(は)ね廻(まわ)る
 奸人(かんじん)詐人
 いわゆる利口者が輩出するであろう」
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2017年04月20日

神は人次第

 神は人次第である。
 人がその存(そん)すべき道を尽くさずして、
 かえって神助を求めて、
 自他を瞞着(まんちゃく)しようとするは、
 自殺的行為である。
 最も神を知らざる似而非(えせ)敬信者流が、
 神を弄(もてあそ)んで日本を敗亡に陥れた。
 神意の畏るべきを深省せねばならない。
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2017年04月19日

師 道

 人間というものは、誠の人であればあるほど
 人生を生きるに従って、
 道を学ばざるを得なくなる。
 四十、五十にして聞くなきは、
 それこそ孔子の言われるように論ずるに足らぬ、
 これが本当の師道でもあるわけであります。
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2017年04月18日

エリートとは

 アメリカのウォルター・リップマンは、
 民主主義の頽廃(たいはい)を救うためには、
 唯(ただ)一つエリートをつくるより
 外には途(みち)がないと言っております。
 そうしてエリートとは、
 『中庸(ちゅうよう)』の語を引用して、
 「天命を知るものなり」と申しております。
 天命を知って道の修業をする。
 道を学ぶことによって、
 本当の指導者が養われるのであります。
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2017年04月17日

陸賈の諫言

 私の愛読書の一に
 『陸賈(りくか)新語』がある。
 陸賈という人物がそもそも快男児である。
 野人的英雄・漢の高祖(こうそ)が
 天下平定の大業に成功して大得意の時、
 彼は進んで書を講じようとした。
 高祖は馬鹿にして、
 乃公(おれ)は馬上・天下を得た。
 本など知ったことか!
 すごすご引退るかと思いの外、
 彼は毅然(きぜん)として反論した。
 馬上・天下を得るも、
 馬上・天下を治めることはできません。
 湯王・武王は逆取して順守したものです。
 文武両用することが長久の術です。
 もし秦が先聖に法(のっと)り、
 仁義の政を行ったならば、
 どうして天下が陛下のものになったでしょうか!
 これには流石の高祖もぎゃふんと参った。
 それでは試みにどうして秦が天下を失い、
 俺が天下を得たかの理由を
 明らかにしてくれと望まれて、
 彼の著したものが
 『陸賈新語』十二篇であるといわれる。
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2017年04月16日

第一義の自覚

 我々はまず人生において
 何が第一義であるかを
 とっくり弁(わきま)えねばならぬ。
 さすれば、名利の欲はとみに減退し消滅する。
 「志意脩(おさ)まれば則ち富貴に驕(おご)り
 (富貴を眼中に置かぬ意)、
 道義重ければ則ち王公を軽んず。
 内に省れば則ち外物軽し」(苟子、修身篇)。
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2017年04月15日

学問の第一義

 学問の第一義は言うまでもなく、
 道心の長養でなければならぬ。
 道徳の発揮でなければならぬ。
 平たく言えば、
 純真な自己に生きようとするのが
 学問の第一歩なのである。
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2017年04月14日

師友なきは不徳

 我々に親の亡いことは避けられぬ不幸である。
 しかし、師友のないことは不幸の上に、
 不徳ではあるまいか。
 我々はやがて親とならねばならぬ。
 それと共に、我々はまた何人かの、
 できるならば国人の、
 衆生の師友たらねばならぬのである。
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2017年04月13日

道の親

 師友は我々にとって第二次の父母兄弟である。
 骨肉の親に対して言えば道の親である。
 そは我々の疲れ病む心意に
 尽きせぬ力と光とを与え、
 疑いと悩みとの他ない人生に、
 意味と悦楽とを恵む者である。
 よい師友を得る時、
 我々はちょうど塵埃(じんあい)と
 喧騒(けんそう)と濁気との都会を去って
 深山幽谷(しんざんゆうこく)に入るように、
 覚えず清新な気を深く呼吸し、
 身心はふたたび健やかに蘇(よみがえ)る。
 そして、おのずからなる英霊の雰囲気が
 我々を卓歯濫ュ(たくれいふうはつ)せしめ、
 ともすれば絶望しようとした人生に、
 また霊活な気分で面接させ、
 萎(な)えんとした双脚(そうきゃく)に
 堂々と四股踏(しこふ)み鳴らさせるのである。
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2017年04月12日

青少年学徒原則

(イ)愛読書を持て。
(ロ)偉人に私淑(ししゅく)せよ。
(ハ)明師良友を求めよ。
(ニ)礼節を正しうせよ。
(ホ)家国の為に有為の人物となれ。
 各国の運命は結局その国が
 如何なる青少年を持っているかに依って
 決するというてよい。
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2017年04月11日

実業家原則

(イ) 金儲けを人生の第一義とし、
    利己的享楽を恣(ほしいまま)にして
    他を顧みぬいわゆる資本主義心理を排脱し、
    品格教養を高めよ。
(ロ) 経世済民という本来の経済思想を確立し
    報告的興業に邁進(まいしん)せよ。
(ハ) 学者、研究家、為政者との連絡を密にし、
    発明発見を助長し、他の成果を奪って
    不当に利することが如きことを戒めよ。
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2017年04月10日

教育家原則

(イ)教育勅語(ちょくご)を精究(せいきゅう)せよ。
(ロ)職業的教育者に堕(だ)せず、
   常に好学老、求道者たるの心得を持て。
(ハ)国民学校にては雑学末技(まつぎ)を排し、
   道徳教育を主眼とせよ。
(ニ)専門学校にては国民学校の基礎に立ち
   徹底して学問抜芸を教授せよ。
(ホ)私教育を興せ。
   風教を興し、人材を養い、厚生を進めるため、
   各地方にすぐれた人物を中心とし、
   或(ある)いは神社或いは寺院、
   或いは私宅における義塾的教学を興し、
   学校教育万能の風を改めよ。
(ヘ)社会教育を充実せよ。
   図書館、博物館、商工奨励館、美術館、
   動植物園等の施設、各種の研究会、
   講習講演会等を充実し、学校教育を補え。
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2017年04月08日

四 患

うき世の人の そらごとを あつめて
 埋(う)めてみるならば 浅くなりなん 天の川
 河東節(かとうぶし)の文句である。
 国家の重患(じゅうかん)の第一は
 偽が行われることだ。
 後漢末の碩学荀悦(じゅんえつ)の指摘する所。
 偽の なき世なりせば いかばかり 
 人の言の葉 嬉しからまし
       (「古今集」読人しらず)
 この頃の世の中も最も悪いことは
 万事偽で固めることではないか。
 その次に私曲(しきょく)と
 放埒(ほうらつ)と奢侈(しゃし)。
 荀悦はこれを国の重患としている。(申鑒)
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2017年04月07日

正しい形而上学 A

 そういう意床で、われわれの人生、
 生活、現実というものに真剣に取組むと、
 われわれの思想、感覚が非常に霊的になる。
 普段ぼんやりして気の付かぬことが、
 容易に気が付く。
 超現実的な直覚、これが正しい意味に於(お)ける
 形而上(けいじじょう)学というものであります。
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2017年04月06日

正しい形而上学 @

 問題は結局われわれの直覚力に帰するので、
 やはり人間は精神を集中して
 全心全霊をなにものかに打込まなければ、
 精神も磨かれないし本当の力も発揮出来ない。
 世の中を救おうと思ったら、
 古(いにしえ)の名宰相のように
 寝ても醒めても国家のことを考え、
 民族のことを考えて、
 それに全心全霊を打込まなければ、
 本当の為政者たることは出来ないのであります。
 大衆を相手に駈(か)けずり廻(まわ)って
 演説をやっておるようなことでは、 
 この世界の危機に当って
 本当の立派な政治は出来ない。
 そのためにはどうしても
 哲学や信念を持たなければならないのであります。
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2017年04月05日

陰と陽

 世間には陰・陽の作用・はたらきについて
 どちらがいいとか悪いとかいう人がある。
 こういうのは幼稚な人のいうことですね。 
 「男と女とどっちが偉いか」とは
 子供がよく出す質問でありますが、
 これと同じことで、
 どちらか一方がいいとか偉いとかというのは
 問題になりません。
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2017年04月04日

自然に任せる

 少々の過ちや咎(とが)があっても、
 罪の明らかに外に出る、
 罪の発するのを待って可である。
 待ったほうがよろしい。
 あまり突っついてはいけない。
 自然に発する時期を待たなければいけない。
 これは病気の治療も同じことです。
 病気を診察して、あまり早く攻めるといけない。
 自然に誘発してそれを処理するように
 していかなければなりません。
 経験を積んだ老医は
 病に逆らわんでうまく病を治める。
 せっかちの医者、経験の足りない医者は
 すぐ局所投薬をして、やり損なう。
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2017年04月03日

 理想はある時代には夢である。
 然(しか)し夢をもたぬ者は
 現実を造ることが出来ない。
posted by ハジャケン at 08:47| 山梨 ☀| 安岡正篤 一日一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月02日

人間喪失の時代

 ひとかどの人で論語の一冊、
 観音経の一冊を書写しなかった人はいない。
 生活の中に『論語』を持ち、
 法華経を持ち、観音経を持ち、
 あるいは中江藤樹(なかえとうじゅ)を持ち、
 山鹿素行(やまがそこう)を持たざる者はなかった。
 それはその人の中に、その生活の中に、
 事業の中に哲学や信仰があった。
 学問求道があった。
 これが国を興し、人を救った。
 それが今日なくなった。
 こういうところに現代の浅ましい人間喪失がある。
 人間喪失とは、魂の喪失、心の喪失である。
 文明国の中でそれが最もはなはだしいものが
 今日の日本ではないか。
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2017年04月01日

人――不遇の若き賢人の遺言

 情深い人でなかったら、
 真に正しい人にはなれない。
 春の始(はじめ)の風情(ふぜい)も、
 青年の徳の芽生えほどではない。
 美徳を小人(しょうじん)が
 欲得(よくとく)から実行しても、
 美徳の利益はいちじるしい。
 利欲はいくらも富を作らない。
 利欲故に柔和な人間は始末が悪い。
 繁栄はいくらも心友を作らない。
 何にでも耐える心得のある人こそ、
 何でも敢(あて)て為すことができる。
 忍耐は希望を持つ技術である。
 絶望は人の不幸と弱さをこの上もないものにする。
 曖昧(あいまい)は誤謬(ごびゅう)の住む国である。
 表現の明るさは、深い思想を美しくする。
 戦争は隷属(れいぞく)ほど負担が重くない。
 隷属は終いにはそれを好ましいことに
 思ってしまうほど人間を低いものにする。
 これはフランスのヴォーヴナルグVauvenargues
(一七一五〜四七)の箴言(しんげん)である。
 高貴な精神と、ゆかしい人柄とを備え、
 若くして友達から父とさえ慕われた人であるが、
 早く病にかかり、
 不遇の中に哲学と文筆を楽しみ、
 三十二の若さで没した。
 相識のヴォルテールは、
 彼はこの上なく不運であったが、
 この上なく落ち着いた人であったと評している。
 世の不遇の友の為にこの一篇を贈る。
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人――不遇の若き賢人の遺言

 情深い人でなかったら、
 真に正しい人にはなれない。
 春の始(はじめ)の風情(ふぜい)も、
 青年の徳の芽生えほどではない。
 美徳を小人(しょうじん)が
 欲得(よくとく)から実行しても、
 美徳の利益はいちじるしい。
 利欲はいくらも富を作らない。
 利欲故に柔和な人間は始末が悪い。
 繁栄はいくらも心友を作らない。
 何にでも耐える心得のある人こそ、
 何でも敢(あて)て為すことができる。
 忍耐は希望を持つ技術である。
 絶望は人の不幸と弱さをこの上もないものにする。
 曖昧(あいまい)は誤謬(ごびゅう)の住む国である。
 表現の明るさは、深い思想を美しくする。
 戦争は隷属(れいぞく)ほど負担が重くない。
 隷属は終いにはそれを好ましいことに
 思ってしまうほど人間を低いものにする。
 これはフランスのヴォーヴナルグVauvenargues
(一七一五〜四七)の箴言(しんげん)である。
 高貴な精神と、ゆかしい人柄とを備え、
 若くして友達から父とさえ慕われた人であるが、
 早く病にかかり、
 不遇の中に哲学と文筆を楽しみ、
 三十二の若さで没した。
 相識のヴォルテールは、
 彼はこの上なく不運であったが、
 この上なく落ち着いた人であったと評している。
 世の不遇の友の為にこの一篇を贈る。
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