2010年07月10日

往復書簡【第六信】 池田大作 ⇒ 茂木健一郎

往復書簡【第六信】 池田大作 ⇒ 茂木健一郎 一部抜粋

日本の軍部政府に弾圧された二年間の獄中闘争にあって、この法華経の生命尊厳の哲理を深く体得したのが、戸田会長です。恩師は、その真髄を「人間革命」運動として現代に蘇生させ、民衆組織を創り上げてきました。
軍国主義に苦しめられた恩師ですから、軍隊に象徴される組織悪も嫌というほど知悉していました。しかし、だからこそ、庶民の一人ひとりが強く賢く向上しながら、連帯しゆく組織を構築しない限り、日本はいずれまた、権力の魔性に翻弄されてしまうと憂慮していたのでしょう。
「貧乏人と病人の集まり」という悪口をも、むしろ誇りとしながら、恩師と私たち弟子は悩める友と固く広く手を携えてきました。
恩師は「戸田の命よりも大切な民衆の組織」と遺言し、この庶民の和合を世界へ広げゆくことを、若い私に託されたのです。
太平洋戦争の悲劇の激戦地の一つであったグアム島に、五一ヵ国・地域の代表が集ってSGI(創価学会インタナショナル)が発足したのは、一九七五年一月のことです。
この折、私は署名簿にサインを求められ、国籍欄には「世界」と記しました。今、仏法を基調とした平和・文化・教育の連帯は一九二カ国・地域に広がりました。
北は経済危機と戦うアイスランドからも、南はサッカーのワールド杯が開催される南アフリカからも、それこそ世界中から四六時中、間断なく報告が届きます。一通の手紙やメール、一枚のファックスの向こうには、必死に現実と格闘している友がいる。一回の会合をとっても、集った方々の人生は、みな違う。十人いれば十の悩みがあり、百人いれば百の苦しみがあります。
しかし、その一人ひとりが必ず「人間革命」をして、自他共に幸福を勝ち開くことができる。この希望の哲学を、わが友に贈りゆくために、私たちの組織があるのです。
今日、多くの人々は、「組織は所詮、悪に転化するものだ」というシニシズム(冷笑主義)を抱いているといっても過言ではありません。
その背景には、二十世紀のナチズムやスターリニズムがおぞましいまでに見せつけた、「組織のための人間」という悲惨な転倒があります。さらにまた、硬直した官僚主義の冷酷さなどに接する時、組織を「原罪」に譬えられた茂木さんの心情もよく理解できます。
茂木さんの「脱組織」という問題提起は、「組織の中に、果たして人間主義は可能なのか」という問いかけにも置き換えられるでしょう。
「人間のための組織」なのか、「組織のための人間」なのか。どんなに善意から生まれた組織であっても、やがて「組織のための人間」という転倒や硬直化は避けられないのか──。
私自身は、「人間のための組織」は可能であると信じております。いな、人類は「人間のための組織」の創造に永遠に挑んでいかねばならないと、確信しております。
posted by ハジャケン at 11:03| 山梨 ☁| 対談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

往復書簡【第四信】 池田大作 ⇒ 茂木健一郎

往復書簡【第四信】 池田大作 ⇒ 茂木健一郎 一部抜粋

組織といっても人間の集まりですから、好き嫌いはある。意見も千差万別です。だからこそ、差異を超えた対話が必要となります。
 私たちでいえば、その一つの場が、地域で月一回、行っている座談会です。これは、一方的な説法でも、講演でもない。老若男女、職業や立場を超えて、誰もが自由に発言できる。焦点は、そこに集った一人ひとりの幸福です。
「人間(にんげん)革命(かくめい)」(自分白身が変わる)」という哲学を学び合い、励まし合いながら、各人が課題に挑戦する活力を漲らせていく対話の場です。
 考えてみれば、現代人は皆、何らかの組織や団体に所属しています。家族や地域などの共同体、学校や会社、自治体や国家も、広い意昧での組織といえるでしょう。人間が行う、いかなる営為も事業も、組織なくしては成り立ちません。事業が大きくなればなるほど、それだけ広範で堅固な組織が必要となる。
 釈尊は「サンガ」──すなわち「仏道修行に励む人びとの集団」を大事にしました。自らの内面世界に閉じこもるだけでは、決して成道は叶わない。同じ志を持った人間同士の切磋琢磨こそが、重要とされたのです。
 ミラーニューロンは、生命が共感性を有することの証左でしょう。人間は、他者との活発な相互作用や、社会との豊かな結びつきの中でこそ、真に自分らしい個性を輝かせ、みずみずしい創造性を開発できる存在ではないでしょうか。
 組織といっても、その本質は、人と人の繋がりであり、生命と生命の連帯であります。
 現代社会の脆弱さは、人間関係の希薄化にあると指摘されます。特に地域社会において、心と心の通い合う対話の復興は重要です。

 組織は生き物です。大きくなれば、硬直化、官僚主義化する傾向がある。そうならぬために、どうするか。私が理想とする組織の眼目に据えたのは、恩師から教わった、会員に徹して奉仕するという根本哲学です。ゆえに寸暇を惜しんで、一人ひとりの会員の方々との心の交流を第一に行動してきました。
 したがって、お尋ねをいただいた「日々の喜び」も、全世界の会員の喜びの姿や報告を目にすることです。学会草創期からの功労の同志、社会の荒波で奮闘される壮年や、健気に信仰を貫かれる婦人の方々、伸びゆく青年諸君、新入会の友、そして世界の友人たちがいます。その一人ひとりが、この信仰を通して、胸を張って人生に勝利し、輝いていくことが、私たち夫婦の祈りであり、喜びなのです。
posted by ハジャケン at 10:59| 山梨 ☁| 対談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月27日

Tina Turner Chanting  勤行は英気・活力

posted by ハジャケン at 01:28| ☔| 対談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月18日

宗教はどれも同じか (1)

宗教はどれも同じか (1)

■池田  宗教を否定しないまでも、積極的に受け入れない人の考えには、多くの場合、宗教は結局、どれも同じではないか、教義は間違っているようであっても、どの宗教の求め目指すのも、根本は同じであるから、一つの宗教に固執するのはおかしいという考えがあります。つまり、登り口は、たくさんあっても、目指す頂上は同じものだという考えです。こうした宗教観を、どのようにお考えになりますか。


■松下  宗教というものが、どれも同じであるかどうかは、これは非常にむずかしい問題で、私としては、むしろお教えいただきたいと考えております。

ただ、私なりにごく常識的に考えて見ますと、宗教というものは、かりに基本的に目指すところは同じだとしても、具体的には宗団により宗派によって、それぞれに特色があり、異なっているものではないかと思います。

今日でも、数多くの宗団・宗派があり、それぞれ独自の教義というものをもっているわけです。また、歴史をみましても、いろいろと宗団・宗派の興亡がみられ、ある時期には非常に興隆したけれども、その後、衰微したという場合もあれば、ある国では非常に広まっても、別の国ではあまり広がらなかったという場合もあります。そういうことを考えますと、やはり宗教には、多くの共通する面もありましょうが、そういうものをもちつつも、宗団・宗派によって、異なっているように思われます。

したがって、宗教に帰依する場合でも、そういう観点から、どの宗教が自分の人生にとって最も好ましいものかということを十分に考え、慎重に選択することが大切ではないかと思います。これまでは、一般にとかく病気やケガをしたような場合とか、災難に直面したり、煩悶するといったような場合に、それが一つの機縁となって宗教に入る、といった姿が多かったのではないでしょうか。これはこれで、一つの入り方かもしれません。

しかし、宗教というものは、人間にとって、その一生を変革し、幸・不幸を左右するほどのものだと思うのです。ですから、本当にそのような宗教の尊さ、重大さ、を考えたならば、そうした日常的なきっかけだけで、深く考えずに宗教に入るという態度ではいけないと思います。やはりさまざまの宗教に思いをいたし、慎重に考え検討し、自分としてはこれが一番好ましい、これこそ自分にふさわしいものだ、といった確信に到達したうえで、その宗教に入っていくといった態度がなによりも望ましいといえるでしょう。

もちろん、人間は迷いも多く、また弱い面も持っていますから、これまでのような姿も一面やむをえなかったと思います。しかし、今後は、人知もさらに進み、宗教に対する考え方も進んでいくでしょう。したがって、やがては、誰もがあるていど選択を行ったうえで宗教に入るということになっていくのではないでしょうか。


【「人生問答」】聖教新聞社 松下幸之助/池田大作著
posted by ハジャケン at 11:01| ☔| 対談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

人間の本質と宗教

人間の本質と宗教

■松下  宗教と名づけられるものは、人類の歴史のうえにおいて、非常に古くから存在しているようですが、これはいったい人間のいかなる本質から生みだされてくるものでしょうか。また人間の本質から生みだされてくるものならば、今後も人間とともに、いわば永遠に存在していくものでしょうか。



■池田  結論から申し上げれば、宗教は人間が存在するかぎり、人間とともに、永遠に存在しつづけていくものです。これははっきりと断言してはばかりません。

なぜかといえば、宗教は人間の本質というよりも、人間の存在におかれた条件からは必然的に生み出されるものであるからです。

では、その条件とは何か。大きく分けて、二つあります。人間は生まれたと同時に、この二条件によって、ある意味では支配されていくといえるでしょう。

その一つは、生まれた以上、いつかは必ず死ななければならないというような、自然の必然的な法則です。

この法則については、仏教の開祖・釈尊は、生・老・病・死の四苦というかたちで明快に示しました。

これだけは、どんな富を積んでも、才能に恵まれていても、あるいは栄耀栄華をきわめていても、誰びともいかんともしがたい絶対にまぬかれることのない法則であり、しかも人間はこれを意識することができるのです。否、意識しないでいられない存在なのです。

それともう一つは、第一の必然的な法則に支配されているにもかかわらず、人間は無限に自由を求め、欲望を最大限に開放しようと努力し続ける存在である、という条件です。この二つは互いに相反し矛盾しあう条件ですが、人間存在に、誕生と同時に刻印された根本的なものです。

そのうえに、人間はホモ・サピエンスといわれるように、他の動物とは異なり、この矛盾をみずからの知性でよくわきまえている動物であり、この矛盾をなんとか統一しようと努力するわけです。

昔から人間が飽くことなく求めたように、不老長寿を得ようとしての空しい努力も、人間存在に必然的にともなう二つの条件がぶつかりあった結果です。

宗教とは、まさにこの矛盾を解決するために人間が生みだしたものといえます。逆にいえば、人間存在の根本にある二つの条件を合致させようと願った結果、人間自身の限界、つまり有限性を深く自覚するとともに、ある永遠なる力や存在に対する信仰心が宗教を生みだしたともいえるのです。

同じ宗教といっても、多種多様な形態や内容をもっており、どの宗教が人間にとって理想的な宗教であるかについても論じなければなりませんが、ご質問に求められている所からは逸脱しますので省力いたします。ただ次のことだけはいえるのではないでしょうか。

人間の生存の条件について、真剣に熟考すればするほど、人間にとって宗教は先天的なものであることがますます明らかになるとともに、「人間は宗教的存在である」といった識者の言がずっしりとした重みをもって迫ってくるといえるでしょう。


【「人生問答」聖教新聞社】松下幸之助/池田大作著
posted by ハジャケン at 10:59| ☔| 対談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする