2014年11月18日

創価学会創立記念日

本日11月18日は「創価学会創立記念日」、誠におめでとうございます!

きょう11月18日は、栄光の創価学会創立記念日。本年は牧口初代会長の「殉教70年」にもあたる。池田大作SGI(創価学会インタナショナル)会長は創立84周年の「11・18」を祝賀し、記念の和歌(別掲)を詠み贈った。また、この節目に合わせて、カナダのラバル大学が、初代会長の名を冠する「牧口教育リーダーシップ講座」を開設することを決定。全人類の幸福を目指す価値創造の哲学は、創価三代の師弟の闘争により、平和・文化・教育の大潮流となって全世界に広がっている(2・3面に特集記事)。
 殉教の
  先師と誉れの
   師子の道
  正義の誓いを
   勝ちて果たせや
 幸開く
  母と娘の
   黄金の声
  嵐に揺るがぬ
   常勝の祈りよ
 法華経の
  兵法貫き
   青年よ征け
  冴えたる智勇で
    民衆の凱歌を
posted by ハジャケン at 09:26| 山梨 ☁| 池田先生の御指導、詩歌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月10日

真に大衆の求めるもの


posted by ハジャケン at 10:15| 山梨 ☁| 池田先生の御指導、詩歌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月28日

心の師とはなるとも心を師とせざれ


posted by ハジャケン at 10:16| 山梨 ☁| 池田先生の御指導、詩歌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月27日

慢心した人間は学ばない。


posted by ハジャケン at 23:00| 山梨 ☁| 池田先生の御指導、詩歌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月14日

名誉会長 盂蘭盆の意義を語る(下)

名誉会長 盂蘭盆の意義を語る(下)
2006-08-22 09:58:28 | スピーチ

◆◆◆ すべての戦争犠牲者を追善
◆≪フィリピンの大学学長≫ あらゆる戦争に勝者はいない

 一、月遅れのお盆は、8月15日の「終戦記念日」とも重なる。
 毎年、私は、すべての戦没者の追善回向を、真剣に行わせていただいている。
 私の長兄も、ビルマで戦死した。
 広島、長崎の原爆の犠牲者の方々、沖縄の犠牲者の方々、さらにアジア、そして、
世界の戦争の全犠牲者の方々に、私は一生懸命に題目を送り続けている。

◆アジアから信頼
 一、創価の平和の連帯には、アジアの多くの知性も深い信頼を寄せてくださってい
る。
 本年3月、私への「名誉人文学博士号」の授章のため来日し、創価学園の卒業式に
出席してくださった、フィリピン国立パンパンガ農業大学のバタッド学長の言葉が忘れ
られない。
 それは、「戦争で辛酸を嘗めた祖父(=戦争中に同大学の学長を務めた)が、もし生
きていれば、『平和提言』を読み、池田会長とぜひとも対話をしたいと切望したのでは
ないか。
 そして、池田会長と対話をする機会があったなら、おそらく、『戦前の、20世紀の早
い時期に、創価一貫教育が誕生していたならば、第2次世界大戦は起こらなかったの
ではないか』と、語ったのではないか、と私は確信しております」というものである(『灯
台』6月号)。
 学長の祖父君は、あの野蛮な日本軍による「バターン死の行進」で苦しめられた。
祖父君の弟は命を奪われた。
 そのような悲劇を振り返り、学長は、こう語ってくださっている。
 「あらゆる戦争に勝者はいません。全員が敗者です。したがって、戦争自体が間違
っています。
 残念ながら、フィリピン南部では、今も、キリスト教徒とイスラム教徒の間の紛争が
続いています。中東をはじめ、世界各地でも紛争は未解決のままです。
 だからこそ、正しい価値観を伝えていくSGI(創価学会インタナショナル)の運動が、
全世界の人々の間に広がっていかなければならないのです」(同)

◆「報恩」こそ「人間の道」
 一、仏法は、恩が根本である。恩を忘れた人間が、真に人間らしく生きることはでき
ない。
 また、恩や信義を忘れ果てた社会は、絶対に幸福な社会にならない。
 仏法者の眼(まなこ)から見れば、恩というものを知らないがゆえに、どれほど多くの
戦争が起こっていることか。
 恩知らずの振る舞いが、結果的に悲惨な争いを引き起こす。
 恩を知る。そして恩を報ずる ── この知恩・報恩の道こそ、幸福の道である。平和
の道である。
 ゆえに、恩を忘れ、人間社会を乱す「不知恩の輩」とは、人間として、仏法者として、
決然と戦わなければならないのである。

◆青年の交流を
 一、日ごろからバタッド学長が強調されているのは、青年と青年の交流である。青年
の交流こそが、相互理解と平和への大いなる推進力となるからだ。
 今夏の青年部・教育部の訪中団も、新たな友好の歴史を刻んだ。
 創価の運動に、世界から全幅の信頼が寄せられる時代に入った。
 戸田先生が、どれほど喜ばれ、満面の笑みを浮かべておられることか。
 そして、その戸田先生を見つめて、牧口先生が、どれほど、お喜びになられているこ
とか。
 牧口先生は、言われていた。
 「現在が栄えていればこそ、先人が偉大になるのである。
 今が栄えていなければ、先人の偉大さも光彩がなくなるのである」
 すべてが弟子で決まる。
 弟子の勝利が、師匠の勝利である。
 仏法の真髄は、師弟の道である。師への報恩の道である。
 戸田先生とお会いした夏から、60回目の8月を迎えた。
 私は、世界190力国・地域の同志とともに、高らかに創価の師弟の勝鬨(かちどき)
をあげたい(大拍手)。

◆◆≪戸田先生≫  宗教を食い物にする者を断じて許すな

◆「食法餓鬼(じきほうがき)」は叩き出せ!
 一、先にも触れたが、日蓮大聖人は、「孟蘭盆」の由来について、餓鬼道に堕ちた
親を救うところにある、と述べておられる(御書1111ページ)。
 「貪(むさぼ)るは餓鬼」(同241ページ)である。御書には、餓鬼の本質が抉(えぐ)
り出されている。
 大聖人は、「食法餓鬼」について鋭く指摘されている。
 「食法餓鬼という餓鬼は、出家の身となって仏法を弘める者のうちで、自分が法を説
けば人は尊敬するなどと思い、名聞名利の心をもって、人よりも勝れようと思って、今
生をわたり、衆生を助けず、父母を救おうという心もない者を、食法餓鬼といって、法
を食いものにする餓鬼というのである」(同1111ページ、通解)
 まさに、邪宗門の坊主の卑劣な姿そのものである。
 戸田先生は、「餓鬼道に堕ちてまで、金をためる必要はない」とも言われていた。
 大聖人は、退転・反逆者の本性を、「よく(欲)ふかく」(同1539ページ)と喝破され
た。
 学会の大恩を受けながら、自分や一族のみの名聞名利しか考えず、悪辣(あくら
つ)に私腹を肥やし、恩返しをしようともしない。
 そして、同志を裏切り、学会に弓を引く ── そういう人間は、厳粛な仏法の鏡に照
らせば、ことごとく、欲深き食法餓鬼であり、法盗人(ほうぬすびと)なのである。
 狡猾(こうかつ)に立ち回って、かりに世間の法や国法の追及を免れたとしても、厳し
き生命の因果は、絶対に逃れることはできない。
 仏法の世界は、あまりにも厳正であり、峻厳である。
 一、戸田先生は、訴えられた。
 「もっともけしからんものがある。それは、学会を喰い物にする者である」
 「信心無き輩には断固鉄槌が下るであろう」
 「学会のおかげで偉くしてもらいながら、その恩を忘れ、学会員をばかにし、私利私
欲のために学会を利用する。
 こうした悪い人間は、絶対に広宣流布の本陣の中に入れてはならない。
 悪い人間は、断固、叩き出すことだ」
 永遠に忘れてはならない、恩師の遺言である。
 万が一にも、そうした悪党をのさばらせてしまえば、清浄無比なる学会の和合僧が
毒され、撹乱(かくらん)されてしまう。
 ゆえに、鋭く見破り、責め抜いていかねばならない。


◆◆ 宗教改革の最先端 〔儀典部〕の皆さまに感謝

◆釈尊の葬儀は在家者が執行
 一、これまで見てきたように、孟蘭盆が成立していった背景には、仏教が次第に本
来の精神を失い、「形骸化」「僧の特権化」の方向へ傾いていった歴史があるといえ
る。
 贅沢な権威の伽藍(がらん)を構えたり、“坊主が祈らなければ、成仏できない”など
とするのは、釈尊の精神にも違背し、仏法の本義に反する邪義である。
 そもそも、釈尊の時代には、葬儀は在俗信者によって行われ、僧は介入しないのが
原則であった。
 釈尊自身も、自らの葬儀について、弟子たちが関わることを禁じた。
 実際に、釈尊の葬儀は在家信者によって執り行われた。
 また、日蓮大聖人が信徒の葬儀を行われた例は、御書に一つも記されていない。
 信徒の死後、戒名を与えたという例も、まったくない。
 私たちは、この釈尊、大聖人の御精神に直結して、葬儀や追善回向についても、万
人が納得できるかたちで、画期的な意識改革を、大きく進めているのである。
 お陰さまで、学会の友人葬も、深く広く定着してきた。多くの共感の声が、外部の識
者からも寄せられている。
 尊き儀典部(ぎてんぶ)の皆さま方に、心より御礼を申し上げたい(大拍手)。


◆◆◆ 生死を越えて[希望の旅]を
◆◆≪御聖訓≫
      妙法は暗夜(あんや)の月=あなたの行く手を照らす
◆≪ハーバード大学 ヤーマン博士≫
      僧ではなく一般の人々が仏法を生活に生かしている
        ここに学会の革新性がある

◆妙法の家族は永遠に一緒
 一、「愛別離苦(あいべつりく)」 ── 愛する人との別れは、避けがたい人生の悲し
みである。
 とりわけ、子に先立たれた親の悲しみほど、深いものはない。
 大聖人の御在世当時、子を失った夫妻がいた(松野六郎左衛門尉夫妻)。
 しかし夫妻は、悲しみから立ち上がり、わが子の死を契機に、深く信心に励んでいっ
た。
 そのけなげな夫妻を讃えて大聖人は、渾身(こんしん)の励ましを綴っておられる。
 「ひとえに釈迦仏が、あなた方の身に入り替わられたのでしょうか。また、亡くなられ
たご子息が仏になられて、父母を仏道に導くために、あなた方の心に入り替わられた
のでしょうか」
 「あなた方に、もしものことがあるならば、暗い闇夜に月が出るように、妙法蓮華経
の五字が月となって現れ、あなた方の行く手を照らすでしょう。
 そして、その月の中には、釈迦仏・十方の諸仏はもとより、先立たれたご子息も現れ
て、あなた方を導いていかれることを確信してください」(御書1397ページ、通解)
 妙法で結ばれた家族は、生死を超えて一緒である。わが胸に脈動する仏の生命の
なかに、亡き家族の生命も一体となって融合している。
 三世永遠に「常楽我浄(じょうらくがじょう)の旅」を、共々に福徳の月光に照らされな
がら、希望へ希望へ、勝利へ勝利へと、必ず前進していくことができるのである。

◆求められる民衆の智慧
 一、かつて私が対談集を発刊した、故ブライアン・ウィルソン博士は世界的な宗教社
会学者であられた。現代西洋社会と調和したSGIの魅力について、「寺院制度から解
放された在家団体」であり、「生活に根ざした理念」を持っていることを強調されてい
た。
 また、対談を重ねてきた、ハーバード大学教授で著名な文化人類学者のヌール・ヤ
ーマン博士は、こう讃えてくださっている。
 「学会の革新性は、僧侶ではなく一般の人々が、仏教の英知を実生活に生かしてい
るところにあります。
 僧侶というものは、自らの宗教の“独自性”ばかりを強調します。
 しかし、現実に生きる人々は、それを生活の“倫理”として普遍化していきます。そし
て、その普遍化された倫理が、宗教や文化が異なる人々をも啓発していくことができ
るのです」
 私たちの前進を、まことに深い観点から見つめてくださっている。
 〈ヤーマン博士は、続けてこう語っている。
 「その倫理性の模範を示すのが、池田SGI会長であります。
 池田会長は、世界の識者との対談を通し、世界の人々に啓発を与えておられます。
それは世界への偉大なる貢献なのです」〉
 一、ともあれ、これからは、今まで以上に、「権力のための宗教利用」の蠢動(しゅん
どう)を厳格に見破る、「民衆の力」「民衆の智慧」が求められる時代となっていく。
 それが世界の潮流である。
 私たちは、この宗教改革と平和創造の最先端を、広々とした心で、聡明に、また快
活に進んでまいりたい。
 まだまだ暑い日が続く。どうか体調にくれぐれも気をつけながら、有意義な「友好の
夏」「対話の夏」「一歩成長の夏」にしていっていただきたい(大拍手)。
(2006・8・6)


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 〈孟蘭盆については、編集部でまとめる際、『目連伝説と孟蘭盆』(岩本裕著、法蔵
館)などを参照した〉
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posted by ハジャケン at 10:37| 山梨 ☁| 池田先生の御指導、詩歌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

名誉会長 盂蘭盆の意義を語る(上)

名誉会長 盂蘭盆の意義を語る(上)
2006-08-22 09:57:45 | スピーチ

◆◆◆ 常楽我浄の人生を晴れ晴れと
    ── 広布の信心こそ「真の追善」
    ── 同志の唱題こそ「真の回向」
◆◆≪戸田先生≫
      本来、仏教は生命の哲学 金儲けの坊主を見破れ
               ◇
 池田名誉会長は6日、長野研修道場で各部の代表に孟蘭盆(うらぼん=お盆)の意
義を語った。
               ◇

◆◆ 沖縄に「完勝の虹」かかれ

◆『新・人間革命』次は沖縄から!
 一、小説『新・人間革命』の執筆を始めて、今月で14年目に入った。
 まもなく、第19巻の連載を開始する予定である(大拍手)。
 新しい章の舞台は、昭和49年2月の沖縄から始めたい。
 このとき、私は沖縄を訪問したが、行く先々で、劇的に虹がかかった。それは、同志
の「歓喜」と「勝利」の象徴となった。
 そこで、章のタイトルは「虹の舞」としたい(大拍手)。
 沖縄本島はもとより、八重山諸島の石垣島、また宮古島への訪問の歴史も綴る予
定である。
 敬愛する沖縄の皆さまは今、広宣流布の新たな拡大に、勇敢に、堂々と、大前進さ
れている。
 思えば、42年前、小説『人間革命』の執筆を開始したのは、沖縄の地であった。
 私は今、健気(けなげ)な沖縄の完全勝利を祈りつつ、筆を執っている。
 これからも、一段と、書いて書いて、書き抜いていく決心である。
 全同志の勝利のために!
 師弟の魂の真髄を残すために!(大拍手)
 一、毎日また毎日、私は、妻とともに、全国、全世界の、亡くなられた尊き全同志、そ
して、世界中の学会員、また会友・友人のご尊家の先祖代々の追善回向を、懇(ねん
ご)ろに行わせていただいている。
 それが、仏法者としての大きな使命であり、深き責任であるからだ。
 まもなく、新暦8月の「盂蘭盆」を迎える。
 〈孟蘭盆会(うらぼんえ)、いわゆるお盆は元々、旧暦の7月15日を中心に行われて
いたが、日本では、月遅れで8月15日を中心に行われることが一般的になった〉
 「孟蘭盆」の意義に関しては、「彼岸」とともに、これまでも何度となくスピーチをして
きた。
 ただ、新入会の方々も増え、また、お盆の風習のない海外の方からも、歴史や意義
について質問が寄せられている。この機会に、あらためて若干、語っておきたい。

――――
御聖訓
――――
  信心で亡きお母さんも必ず幸福に
  お母さんは「なんと素晴らしい子を持ったことか」と喜んでいるでしょう

◆法華経の行者は大歓喜の軌道(きどう)に
 一、日蓮大聖人は、「孟蘭盆」を前に、亡き母を追善する四条金吾に、お手紙を送ら
れた。
 「妙法聖霊(みょうほうしょうりょう=四条金吾の母)は、法華経の行者です。日蓮の
檀那です。
 どうして餓鬼道に堕ちられることがありましょうか。きっと、釈迦仏、多宝仏、十方の
諸仏の御宝前にいらっしゃることでしょう。
 (その仏たちが)『これこそ四条金吾のお母さんですよ、お母さんですよ』と、皆、同じ
(慈愛の)心で、お母さまの頭をなで、喜び、ほめておられるでしょう。
 (お母さまは)『ああ、私は、なんと素晴らしい子をもったことでしょう』と、釈迦仏と語
っておられることでしょう」(御書1112ページ、通解)
 まさしく「生も歓喜」「死もまた歓喜」という、永遠の常楽我浄(じょうらくがじょう)の大
境涯が示されている。
 日蓮大聖人に直結する「法華経の行者」として、広宣流布に進みゆく創価の同志は、
皆、間違いなく、生命の最極の大歓喜の軌道に入っている。
 さらに、自らの信心の功徳は、一家眷属(けんぞく)にも伝わっていく。最高無上の追
善と孝養の道も、ここにこそある。

◆孟蘭盆の由来
 一、そもそも、「孟蘭盆」とは、いったい、何を意味するのか。その言葉の由来につい
ては、大きく二つの説がある。
 一つは、「倒懸(とうけん)」を意味するサンスクリット語「ウランバナ」を音写したもの
とする説である。
 「倒懸」とは、“逆さ吊り”の意味である。餓鬼道の飢えや渇きの苦しみに通ずるとこ
ろから、この言葉が用いられたという。
 「孟蘭盆経」という経典がある。釈尊が直接説いた教えではなく、後世に中国で成立
したとされるものである。
 そこには、釈尊の弟子である目連が、供養の力で、餓鬼道の苦しみに遭っている亡
き母親を助けたことが説かれている。
 さらにまた、「孟蘭盆」の言葉の由来としてもう一つの説がある。
 それは、「死者の霊魂」を意味するイラン系の言葉「ウルバン」が淵源(えんげん)で
あるというものだ。
 すなわち、この言葉を使うイラン系の民族(ソグド人)が中国に来た際、死者の霊魂
を祭る伝統が伝わった。それが、中国の祭日である「中元」などと融合した、という見
方である。
 旧暦の7月15日は、中国では元来、「中元」と呼ばれ、1年の中間の区切りの日とし
て、半年の無事を祝う日とされてきた。
 〈1月15日の「上元(じょうげん)」、10月15日の「下元(かげん)」とともに「三元」と
いう〉また、7月15日は、3カ月間にわたる「夏安居(げあんご)」の最終日にあたって
いた。
 夏安居とは、夏の雨期のころ、出家者たちが外出せず、一カ所にとどまって修行す
ることをいう。
 夏安居が終わる7月15日、インド以来の仏教の習慣として、修行僧は自らの罪を告
白して懺悔した。
 こうした背景を踏まえ、祖先や死者を追善供養する「孟蘭盆会」が、旧暦の7月15
日に持たれるようになったと考えられている。
 一、中国で「孟蘭盆会」が行われるようになったのは、6世紀ごろと言われる。
 それが日本にも伝わり、7世紀ごろから孟蘭盆会が催されるようになった。
 日本では、仏教がわたってくる以前から、正月や7月などに祖先の魂を祭る行事が
行われていたようである。
 そのうちの7月の祭りが、中国から仏教とともに伝わってきた「孟蘭盆会」と結びつい
たとも考えられている。
 ともあれ、祖先供養としての孟蘭盆会は、その後も受け継がれ、大聖人の時代には、
一般的に行われるようになったのである。
 農耕社会であった中国や日本では、四季折々の節目の時に、何らかの祭りや行事
が行われることが多い。それは、先祖や故人に思いを馳せる機会ともなった。
 日本で発達した「彼岸会(ひがんえ)」も同様である。昼と夜の長さが同じになる春分
と秋分の日は、農耕のうえで区切りになる日であった。
 いずれにせよ、「孟蘭盆会」も、「彼岸会」と同じく、釈尊が説いたものではなく、後世
につくられた儀式である。


◆◆ 世界宗教の広々とした大道
    ── 仏法の本義に違(たが)わないかぎり その地その時代の風習に従う

◆随方毘尼(ずいほうびに)の法理
 一、日蓮大聖人は、祖先や故人を供養し、追善しようとする門下の真心については、
大いに認められ、奨励もなされている。
 しかし、大聖人は、「孟蘭盆会」や「彼岸会」などを、教義として積極的に取り入れよ
うとは、なされなかった。
 すなわち、門下が信心を表す機会とする限りにおいて、一般の慣習を認められてい
るが、それは、あくまでも「随方毘尼(ずいほうびに)」の上から用いられていると拝さ
れる。
 「随方毘尼」とは、仏法の本義に違わない限り、それぞれの地域の習俗や、時代の
風習に従うべきであるという法理である。
 御聖訓には仰せである。
 「成仏の理に大きく違わないのであれば、とりあえず、一般社会の道理を用いるべき
である」(御書1015ページ、通解)
 「この戒(かい=随方毘尼)の心は、甚だしい過ちでないことなら、少々仏教と違うこ
とがあっても、その国の風俗に背くべきではないということである」(御書1202ページ、
通解)
 世界宗教として、「末法万年尽未来際」へ、永遠に行き詰まりのない広々とした大道
を、大聖人は開き残してくださったのである。

◆慣習を悪用した貪欲(どんよく)な邪教
 一、先ほども触れたが、釈尊滅後に成立したとされる「孟蘭盆経」では、供養によっ
て、目連が母を救ったと書かれている。
 この内容を、堕落した既成仏教は都合よく悪用し、信徒からの供養の収奪(しゅうだ
つ)を重ねてきた。
 これに対し、仏法に暗い坊主たちを痛烈に弾呵(だんか)し、真の追善供養の本義
を、厳然と示してくださったのが、日蓮大聖人であられる。
 大聖人は仰せになられた。
  ── 目連ほどの聖者であっても、母を救えなかったのは、低次元の教えに執着し
ていたからである。
 その目連が法華経に帰依し、妙法を唱え、自ら成仏したときに、初めて父母もまた
成仏することができた ── (同1429ページ、趣意)。
 「成仏」を決定づけるのは、正しき法を正しく実践するかどうかである。
 低い教えでは、生きている人間でさえ、成仏できない。いわんや、故人を成仏させる
ことなど、とうてい、できようはずがない。
 大聖人は、こう断言なされている。
 「自身が仏に成らなくては、父母さえ救うことは難しい。ましてや、他人を救うことなど
できない」(同ページ、通解)

◆「世の中で一番悪いのは坊主」
 一、大聖人は、仏法の勝劣を知らない愚かな坊主たちが大勢集まって祈祷(きとう)
したとしても、追善供養などにならないことを、徹底的に糾弾(きゅうだん)されている。
 「今の僧たちは、二百五十戒とは名ばかりで、持戒ということに、ことよせて、人をた
ぶらかし、一分(いちぶん)の神通力もない。大石が天に昇ろうとしてもできないような
ものである。
 (それらの僧の)智慧が劣っていることは、牛や羊のようであり、たとえ千万人を集め
たとしても、父母の一つの苦しみをも救うことができるであろうか。いな、できはしな
い」(同1428ページ、通解)
 ここに、大聖人の偉大なる「宗教革命」の師子吼を拝することができる。
 真実の宗教に背く、ずる賢い坊主が拝んでも、成仏するということは、絶対にありえ
ない。断じて、だまされてはいけないと、厳しく戒めておられたのである。
 この点、戸田先生は、痛快に言い放たれていた。
 「世間では、盆とは、先祖を苦しめて、坊主が金を儲ける行事だ」
 「今の坊主をよく見よ、お盆回りに、眼の色を変えてる坊主どもを見よ」
 「仏法を売る者を、禿人(とくにん)という。世の中で一番悪い害虫は坊主ではない
か」
 さらに、戸田先生は、こうも論じられた。
 「日本人の多くは仏教の各宗派に属していて、先祖伝来の墓を守り、盆や彼岸には
そこへ参詣して、僧侶に供物でもあげたり、墓の掃除をすることなどが宗教であると
考えている者が多い。
 現代の腐敗した寺院の僧侶たちは喜ぶにちがいないが、これでは、釈尊の真意は
まったく没却(ぼっきゃく)されてしまったのである。
 もしこれが宗教であるならば、十二因縁、六波羅蜜(ろくはらみつ)、三種の教相(き
ょうそう)などという哲学や修行は、まったく必要がなかったのである」
 人々を惑わし、誑(たぶら)かしてきた「葬式仏教」への胸のすくような破折であった。


◆◆◆ 妙法は「生も歓喜」「死も歓喜」
    ── 題目の光は全宇宙に届く
    ── 我らは宗教革命の太陽
    ── 「一人の勝利」が「万人の勝利」を開く
――――
御聖訓
――――
  邪僧が祈っても力はない
たとえ千万人集めても父母の一苦も救えない

◆先祖代々、子孫末代まで幸福に
 一、御義口伝には、「今、日蓮と、その弟子たちが、亡くなられた聖霊を追善し、法華
経を読誦(どくじゅ)し、南無妙法蓮華経と唱えるとき、題目の光が無間地獄(むけんじ
ごく)にまで至って、即身成仏させる」(同712ページ、通解)と仰せである。
 ただ「題目」こそが、無間地獄に堕ちた衆生にまでも回(めぐ)らし向けることができ
る、真の追善回向の法なのである。
 妙法は、十界・三千世間を貫き、さらに生死を貫く、真の普遍にして永遠不滅なる大
法則だからである。
 ゆえに、私たちが題目を唱え、題目を広めることに勝る追善供養は、絶対にない。
 広宣流布に戦う人生こそが、亡き家族への究極の回向となっていることを、晴れ晴
れと大確信していくことだ。
 「孟蘭盆御書」の有名な一節には、こうも仰せである。
 「悪の中の大悪は、その報いの苦しみを、わが身に受けるだけでなく、子と孫と末代
に七代までもかかるのである。
 善の中の大善もまた同じである。目連尊者が法華経を信じられた大善は、目連尊者
自身が仏になっただけでなく、目連尊者の父母も仏になられたのである。
 また上(かみ)七代、下(しも)七代、上(かみ)無量生、下(しも)無量生の父母たちま
でも、思いがけなく成仏されたのである。
 さらには、子息、夫妻、従者、檀那、無量の衆生が三悪道を離れただけでなく、皆、
ことごとく(菩薩の修行の中で最初の不退の位である)初住(しょじゅう)の位に昇り、
また(極果〔ごくか)〕である)妙覚の仏となったのである」(同1430ページ、通解)
 広宣流布という「善の中の大善」に生き抜く功徳が、どれほど無量無辺であるか。
 一人の成仏が、万人の成仏を開く。
 一人の勝利が、万人の勝利を開く。
 自分自身が生き生きと「行学の二道」に励んでいく生命の波動は、時間・空間を超え、
限りなく広がっていくのである。
 法華経に照らし、御書に照らして、学会員の皆さま方こそ、最も深く追善供養を行じ、
一家眷属に、無量の福徳と威光勢力を送っていることは、絶対に間違いない。

◆朝晩に追善 毎日が「お盆」
 一、また日蓮大聖人の仏法においては、朝晩の勤行が常に追善回向の機会であり、
毎日の勤行が盆であり彼岸であるという「常盆(じょうぼん)」「常彼岸(じょうひがん)」
が本義となる。
 その意義からいえば、「彼岸会」や「孟蘭盆会」など、特別の追善の機会は、本質的
には必要ではない。
 しかしながら、それぞれの社会や時代の慣習に鑑(かんが)みながらへ特別の機会
を定めることが、追善回向の心を起こさせ、信心に目覚めさせる契機ともなる。
 ゆえに、それらを用いるか否かは「随方毘尼」に即して決めていけばよい。
 日本の夏のお盆休みは、実家や親戚、また懐かしい旧友などと交流を深める機会
として、深く暮らしに根づいているといってよいだろう。
 わびしき日顕宗とは対照的に、学会の墓地公園や会館には、大勢のご家族がすが
すがしく集われ、墓参や法要を営まれていることは、皆さまもご存じの通りである。
 この席を借りて、暑いなか、お世話になる全国の墓園の関係者、また役員の方々に、
心から感謝を申し上げたい。
 健康第一で、無事故の運営を、どうかよろしくお願いします!(大拍手)
              (〔下〕に続く)
posted by ハジャケン at 10:33| 山梨 ☁| 池田先生の御指導、詩歌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月26日

第16回「SGIの日」記念提言

集団的自衛権に関して(池田大作全集2 第16回「SGIの日」記念提言  p114)
(日本を安保理の常任理事国にするのは)私は無理があると思います。
安保理を支えている思想の機軸は、いうまでもなく「集団安全保障」ですが、
法務省法務局見解によると 日本国憲法は、その「集団的自衛権」を禁じ、
自衛隊の海外派兵を「違憲」としているからです。

集団的自衛権に関して(池田大作全集2 第16回「SGIの日」記念提言  p114)
日本の国力がこれほど拡大し、国際的な相互依存が進行している現在、
いわゆる一国平和主義の”虫のよさ”が、受け入れられない段階に来
ている事実も否定できません。
そうしたジレンマのなかから
”世界に貢献”するための”憲法改正”論議なども一部で浮上していますが、
私は賛成できない。平和志向の国家としての国是にかかわるからです。


命の尊厳を脅かすことには絶対反対の姿勢であるのが
牧口先生、戸田先生、池田先生の闘いであった。

もう一度、SGIの日 記念提言を熟読し
いま、何を すべきか?

どんな言い訳をしても 仏法即社会を反する行為は
やがて・・・

posted by ハジャケン at 00:52| 山梨 ☀| 池田先生の御指導、詩歌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月08日

信仰で会うのではない


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2014年07月07日

幸福は自分でつかむもの

名誉会長と共に 新時代を開く
25 幸福は自分でつかむもの

幸福は、他から与えられるものではない。自分でつかむものだ。幸福への扉(とびら)のカギは、自分自身が持っている。


 御義口伝(おんくぎでん)には仰せである。

 「我等(われら)が頭(こうべ)は妙なり喉(のど)は法なり胸は連なり胎(はら)は華なり足は経なり此の五尺(ごしゃく)の身(み)妙法蓮華経の五字なり」(716ページ)
 

信心によって、わが身を仏と開いていける。いかなる波浪(はろう)に遭(あ)おうとも、負けない強さと輝きを、生命それ自体が秘めているのだ。信仰こそ、宿命を転換させる根源の力であ。人生を勝ち抜く土台である。

 まだ、妙法を知らない多くの人々に、我らは、希望の種、平和の種を植えていくのである。

 人々と親しく交流し、誠実に心を通わせ、縁した人の幸福を祈っていきたい。


 創価学会は、いわば、壮大な仏法と人生の“大学校”だ。

 共に学べば、希望が湧(わ)く。和楽があふれる。自己の可能性を最大限に発揮していける。連帯と向上の場となり、精神の安全地帯が広がっていく。人間と人間の絆を強めながら、有意義な研鑽(けんさん)を重ねようではないか。

              *  *

仏法は、全人類そして全宇宙の生命を輝かせる「最高の善」である。その根本法則にのっとっていけば、最高に価値ある人生となる。妙法を信じ唱えれば、わが生命が大宇宙のリズムに合致していく。


 戸田先生は折伏の要諦(よてい)を、こう語られた。

 「自分自身が南無妙法蓮華経で生きているということです」

 「ただただ、」自分は南無妙法蓮華経以外に何もない! と決めることを末法の折伏というのです」

 南無妙法蓮華経の中に「智慧(ちえ)」も「勇気」も「力」も「優しさ」も、全部、含まれている。

 生老病死(しょうろうびょうし)を乗り越える力は、妙法しかない。自他ともに「常楽我浄(じょうらくがじょう)」の完全勝利の人生の幕を大きく開くのだ。

(2014年7月 5日日付 聖教新聞)
posted by ハジャケン at 10:31| 山梨 ☁| 池田先生の御指導、詩歌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月03日

Peace On Earth - An Interview With Daisaku Ikeda

Peace On Earth - An Interview With Daisaku Ikeda http://www.scoop.co.nz/stories/HL1403/S00115/peace-on-earth-an-interview-with-daisaku-ikeda.htm @scoopnzさんから






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2014年07月02日

憲法第九条













本物の政治家はいない。
名聞名利の私利私欲の化物ばかりか

言い訳すんじゃない

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2014年03月16日

信仰で会うのではない。人間として会うのだ


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2014年01月19日

学会は「率直」でいくことだ





師匠と自分の中間は、どうでもいい。
その間に、素晴らしい友と語らいあっていけば
道は開かれているだろう
自分が元気になっていくだろう
信心とは自分の生き様の羅針盤だろう

みんな自分を忘れずに 常に感じていくことが大事
だと思う。


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2014年01月11日

仏道修行に関して


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2014年01月08日

三変土田


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2014年01月05日

その人物の進化はわからない


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青年に「尽くす」のだ


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2014年01月03日

学会利用


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2013年12月07日

内なる悪





今回の政権与党の暴挙は、けっして忘れないでおく。
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2013年12月03日

「声仏事を為す」




すべてが受身で、いいのでしょうか
聞くことは大事です。
自分を、さらけ出すことは、もっと大事だとおもう。
周りがどうのこうの これこそ歩留まりではないか。

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2013年11月28日

御指導


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2013年11月26日

恩師の「夢」

恩師の「夢」私どもの初代会長、第二代会長も、第二次世界大戦中、日本のファッショ政府に抵抗して投獄されました。その弾圧には、仏教の精神を裏切った堕落の聖職者も加担しました。そして初代会長は獄死しました。二代会長は、二年間の獄中闘争を経て、戦後の日本で、民衆の「精神の目覚め」の運動を開始いたしました。きょう四月二日は、その二代会長-私の恩師の命日であります。恩師には「夢」がありました。それは「この世から、ありとあらゆる『悲惨』をなくしたい」という夢であります。恩師は生涯、貧しき人、病める人の最大の味方でありました。そして、冷戦のさなかに「地球民族主義」と「核兵器の廃絶」を叫びました。四十二年前、恩師とお別れしてから、私どもは師の「夢」を「現実」に近づけるために生きてまいりました。  

 「ガンジー、キング記念式典」への名誉会長のメッセージ 輝き60  
 (2000年4月2日/米国モァハウス大学)
posted by ハジャケン at 16:49| 山梨 ☀| 池田先生の御指導、詩歌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月22日

人間として会うのだ


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2013年10月08日

太陽の励まし 池田名誉会長と誓いの同志 〔50〕山梨

太陽の励まし 池田名誉会長と誓いの同志 〔50〕山梨 
富士の山 師弟の前途は 勝利かな

山梨は、戸田第2代会長が青年部「水滸会」の最後の野外研修を行った地である。
 1955年(昭和30年)6月の河口湖・山中湖畔。青年の中心は、27歳の池田名誉会長であった。
 「『この山紫水明の天地に広宣流布の人材の城を築きたいな』――戸田先生は遥かな山々を見渡しながら、遺言のように言われた」
 戦国最強の甲斐・武田軍。その“人材こそ城”との心意気を歌った「武田節」を、戸田会長は愛した。
 名誉会長が語ったことがある。「友を守る。友に尽くし抜く。それを貫いてこそ、何があっても揺るがない、正義の『石垣』が築かれる。人材の『城』がそびえ立つ」
 甲斐の山々、そして富士が見つめる山梨に『人材の城』を築くために、名誉会長は、石垣を一つ一つ積み上げるように、一人一人の同志のもとへ足を運び、励ましてきた。
横暴な悪侶と邪知の反逆者が結託し、学会から師弟の絆を奪おうとした第1次宗門事件の時も、同じだった。79年(昭和54年)8月下旬から、本格的に功労者宅の訪問を開始する。
 同年9月6日。名誉会長の車は、東京から山梨へ向かった――。

(※冒頭の一部にて)

 ――名誉会長は、かつて山梨の友に贈った。

 富士の山
  共に見つめむ
     同志かな

 富士の山
  師弟の前途は 
     勝利かな

 10月13日は「山梨の日」。
 新しき決意、新しきスクラムで、「師弟の前途」を洋々と開きゆく時が来た。

posted by ハジャケン at 09:45| 山梨 ☀| 池田先生の御指導、詩歌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする