2012年05月07日

随筆 人間世紀の光 071 −1 破邪顕正の王者

随筆 人間世紀の光 071 −1

◆破邪顕正の王者
――『日蓮仏法の正義』は学会に厳然――
――無敵の師子吼は北海道から!――
青年よ叫べ!
青年よ戦え!
青年よ勝ちゆけ!
青年よ歴史をつくれ! 
 法華経の「妙荘厳王品」に、こういう一節がある。
 無量百千万億の奥深く優れた功徳に包まれた仏を、妙荘厳王が讃歎し、申し上げた言葉である。
 「如来の法は、不可思議微妙の功徳を具足し成就したまえり。
 教戒の行ずる所は、安穏快善なり。
 我れは今日従り復た自ら心行に随わず、邪見・きょう慢・瞋恚・諸悪の心を生ぜじ」
(創価学会版法華経六六三ページ)
 ――「如来の法は、まことに不可思議で素晴らしい功徳を具え、完成している。
 その仏の教えと戒めの通り行動していくならば、安穏にして快い善の道が開かれる。
 私は今日から、邪見やきょう慢や憎悪など、諸々の悪の心に、断じて侵されない――。 
国家を担い立つ王の厳かな「人間革命」の宣言である。
 指導者が、正しき哲学を根底にして、自らの心を律し、権力の魔性に打ち勝っていくならば、どれほど民衆の幸福な時代が築かれることか。
 そのモデルが、法華経には明確に説かれている。
 なお、この妙荘厳王は、もともと、外道の誤った教えに帰依していた。
 先に仏法に巡り逢えた二人の王子が、「なぜ、こんな邪見の家に生まれてきたのか」と嘆くほどであった。
 しかし、王子たちは、賢い母と力を合わせ、父への真心を込めて、自分たちが立派に変わっていく姿を粘り強く示していった。
 父も、その我が子の成長を喜び、「そなたたちの師匠に、ぜひ、お会いしたい。一緒に行こう」と言うまでに変わり、ついに勇んで仏法を実践するようになったのである。
 まさしく「妙荘厳王品」は、「家庭革命」の物語でもある。
 したがって、家族が未入信であっても、少しも心配することはない。決して焦ることもない。
 一人、毅然と「信心即生活」の実証を示し、また誠実に孝養を尽くしていくならば、必ず、家族全員を「成仏」という永遠の幸福の軌道に導くことができるからだ。
posted by ハジャケン at 09:27| 山梨 ☔| 随筆人間世紀の光 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月10日

随筆 人間世紀の光 (137)正義の東海道を讃う〔1〕 ※もう一つの二月闘争

随筆 人間世紀の光 (137)

正義の東海道を讃う〔1〕

―― 勝ちまくれ! 怒濤を起こせ! ――

―― 社会変革の主戦場に栄光の旗! ――

 最初に、十六日午前に起こった「新潟県中越沖地震」で被災された、新潟・長野方面の皆様方に、心からお見舞い申し上げたい。
 私も、妻も、真剣に題目を送り、強靭なる変毒為薬を祈っている。
 また、九州地方など、台風四号の被災地域の皆様にも、お見舞い申し上げたい。
 ともあれ、日蓮仏法の立正安国の祈りを、一段と強く、また深く決意している。
                                      ◇
 東海道
 勝ちまくりたる
   偉大なる
  歴史と功徳は
    三世に薫らむ

 「太陽よ 万歳!
 闇よ 消え去れ!」
 わが神奈川の友が、かつて文化祭で謳い上げてくれた、ロシアの民衆詩人プーシキンの叫びである。
 愛する神奈川の同志よ!
 信ずる静岡の同志よ!
 「立正安国」の太陽の光は、我らの東海道から一閻浮提を照らしゆくのだ。
 いかなる邪悪と嫉妬の闇も打ち晴らして!
                                      ◇
 蓮祖大聖人の御一代の主戦場は、いずこであったか。
 それは、東海道の天地である。
 修羅闘諍の鎌倉時代──。
 本来、民を救うべき坊主は、貴族の都の繁華に逃れて、安逸を貪っていた。都での分け前よりも多くを望んだ坊主は、幕府におもねり、鎌倉の大伽藍に庇護を求めた。
 ただ己の我欲と保身のみであった。爛れた虚栄の軟風に侵された「京なめり」の腐敗と堕落でさえ、大聖人は痛烈に破折なされた。
 不幸に喘ぐ民衆を救わずして、何が宗教だ!
 苦悩の渦巻く社会の現実を変えずして、何が仏法だ!
 法華経の魂は、腐りきった坊主の魔窟になど絶対にない。断じてない。
 アメけカの人権の闘士キング博士は、人間の魂を脅かす社会悪に挑もうとしない宗教は「精神的に死にかかった宗教」であると、厳しくも断定している。
 仏法の真髄とは何か。
 民衆のなかへ飛び込むことだ!
 人間のなかへ、社会のなかへ飛び込み、現実変革の怒濤を起こしゆくことだ!
 この日蓮仏法の究極の実践者こそ、創価学会である。
                                      ◇
 蓮祖の御在世。「相模の国」には、鎌倉幕府の本営があった。現在の神奈川県である。
 そしてまた「伊豆、駿河の国」には、かの執権・北条得宗家の本領があった。今の静岡県の東・中部にあたる。
 いずれも幕府権力の勢威の比類なき地盤である。
その真っ只中で、文応元年(一二六〇年)。月は七月。蓮祖は「立正安国論」をもって、時の最高権力者たる北条時頼を、烈々と諌暁なされたのである。
 「汝早く信仰の寸心を改めて速に実乗の一善に帰せよ、然れば則ち三界は皆仏国なり」(御書三二ページ)
 民のため、国のため、未来のため、一切衆生のための熱誠の師子吼であられた。
 蓮祖の畢生(ひっせい)の大宣言は、東海道で放たれたのだ。そして、それゆえに襲い来る大迫害と、ここ東海道で戦い抜かれた。
 「少少の難は・かずしらず大事の難・四度なり」(同二〇〇ページ)
 その「四度」の大難の三つが、東海道の地でうねり起こった。
 文応元年(一二六〇年)の「松葉ケ谷の法難」
 弘長元年(一二六一年)の「伊豆への流罪」
 そして文永八年(一二七一年)、佐渡流罪へと続く「竜の口の大法難」──
 「日蓮が難にあう所ごとに仏土なるべきか、.婆婆世界の中には日本国・日本国の中には相模の国・相模の国の中には片瀬・片瀬の中には竜口に日蓮が命を・とどめをく事は法華経の御故なれば寂光土ともいうべきか」(同一一一三ページ)
 大聖人の正統なるがゆえに、創価の三代の師弟もまた、ここ東海道を広宣流布の主戦場として、「死身弘法」の大闘争を断固と繰り広げてきた!
                                      ◇
 戦時下の昭和十七年の一月、牧口常三郎先生は、鶴見支部の座談会へ足を運ばれ、三月は下田へ折伏に向かわれた。
 信教の自由が奪われ、軍靴に踏みにじられるなか、先師は敢然と叫ばれたのだ。
 「我々は国家を大善に導かねばならない。敵前上陸も同じである」
 翌・昭和十八年も年頭から、湯河原、下田、修善寺、沼津、富士宮へと転教された。
 六月には、軍国日本に迎合する卑怯にして愚劣な宗門を烈々と叱責なされた。
 「今こそ国家諌暁の秋ではないか。何を恐れるのか!」
 「不惜身命」──広宣流布の真正なる法脈は、崇高なる創価学会にのみ厳然と流れ通ってきたのだ。
 特高刑事が執拗に尾行を繰り返すなか、牧口先生は師子王の如く、弘教を断行なされた。
 下田の須崎で、不当に検挙されたのは、この年の七月六日の朝である。
 思えば創価の創始者・牧口先生は、蓮祖の佐渡流罪より、満六百年にして、宿縁の新潟で誕生された。そして、蓮祖の最初の流罪の地、伊豆で逢難なされたのだ。
                                      ◇
 戦後の学会の再建に一人立ち上がられた第二代・戸田城聖先生は、横浜の地を、最重要の拠点の一つとして、座談会運動の大旋風を巻き起こされた。
 聖教新聞の歴史的な創刊号に躍ったのも「聖火鶴見に炎上」の大見出しであった。
 この原点の天地・東海道が、常に広宣流布の生命線である聖教新聞の拡大を牽引してくれていることは、嬉しい限りだ。
 戸田先生は、私を伴われて、幾度、静岡へ通われたことか。
 思い出多き湘南電車のなか、御書を開かれ、窓の外を見つめられつつ、悠然と語られた。「あの太平洋のような境涯で、御聖訓を拝していくことだ」
                                      ◇
 ああ創価
  ああ神奈川の
   新天地
  青春時代の
    広宣嬉しく

 東海道は、わが青春の闘争の大舞台である。
 昭和二十四年の秋十月──鶴見の折伏座談会。
 私は詰め襟の学生服姿だった。その座には、五人の新来の友人がいた。
 入信二年余の私は、誠意を込めて妙法の偉大さを語り、師匠の偉大さを訴えた。その場で、五人とも入会を決意された。
 昭和二十七年──あの蒲田支部の二月闘争。大田区に隣接する川崎は、知られざる、もう一つの決戦場だった。
 大田から川崎へ、多摩川のガス橋を全力で走った。神奈川の同志が待っている。一刻も早く馳せ参じたかった。
 蒲田支部幹事として、男子第一部隊長として、文京支部長代理として、私は師の特命を受けて東海道を奔走した。
 「南無妙法蓮華経と我も唱へ他をも勧んのみこそ今生人界の思出なるべき」(同四六七ページ)
 東海道には、この「今生人界の思出」が尽きない。
 この世の使命を果たしゆくための人生である。
 一瞬一瞬、わが生命を激しく燃え上がらせ、断固、勝ち抜くのだ。
 敗北は悔恨、勝利は大歓喜の舞を生む。
 喜春時代に読んだベルグソンの言葉に、こうあった。
 「あらゆる大歓喜には勝鬨の響がある」──

                                (2007年7月17日)

―――――――――――――――――――――――――――――――
 プーシキンの言葉は詩「バッカス祭の歌」から。キングは『自由への大いなる歩み』雪山慶正訳(岩波書店)。ベルグソンは『精神力』小林太市郎訳(第一書房)。
posted by ハジャケン at 10:20| 山梨 ☁| 随筆人間世紀の光 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月13日

随筆 人間世紀の光 (014)希望の新天地・第二総東京

随筆 人間世紀の光 (014)一部抜粋

希望の新天地・第二総東京

―― 我らの「大願」は広宣流布! ――

―― 轟け! 正義と平和の大師子吼 ――


本年は、懐かしき戸田先生とご一緒に、男子部の人材グループ「水滸会」が、奥多摩の氷川で初の野外研修を行ってから五十周年になる。
 この翌年(昭和三十年)の野外研修は、山梨の河口湖、山中湖畔であり、第一回、第二回とも、わが第二総東京が舞台であった。
 まさに、この第二総東京の大地こそ、二十一世紀の鳳凰である青年たちが自身を錬磨し、勝利の大空に雄飛しゆく、歴史輝く天地であったのである!
 思えば、河口湖畔の青年部の研修の時であった。
 戸田先生に、ある幹部が「故郷へ錦を飾りたい。まだ自分は錦がないけれども、どうしたらいいか」と聞いた。
 ところが、その一言を聞いた途端、先生は笑みを消し、激怒して言われた。
 「広宣流布のために戦う姿が、学会の幹部をしていることが、最高の錦じゃないか!
 あらゆる次元から見て、これ以上の錦はないのだ」
 世間の名声が何だ! 評判が何だ! 地位が何だ! 財産が何だ! 小さな、小さな「錦」ではないか。
 師の叱咤は、青年たちの胸中を激しく揺さぶった。
 いな、境涯を激震させたのである。
 「願くは我が弟子等・大願ををこせ」(同一五六一ページ)とは、あまりにも有名な蓮祖の御聖訓である。
 広宣流布の大願に生き抜く我らは、全人類の幸福のために戦っているのだ。全世界の永遠の平和のために戦っているのだ。
 これに勝る「錦」はどこにもない。その栄誉は、三世永遠である。

posted by ハジャケン at 11:11| 山梨 | 随筆人間世紀の光 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月15日

御書を心肝に染めよ

随筆 人間世紀の光 051 (一部抜粋にて)

◆御書を心肝に染めよ


――師子王の魂の声を聞け! ―
――苦難は「如説修行」の誉れ ―

――「行学の英雄」を育成しよう! 
――教学は正義の剣 君よ断じて勝て!――

 君よ!
 厳粛な偉大な使命の道を、断じて一生涯、変えるな!

それは、あの竜の口の法難の嵐が、日蓮大聖人を襲った直後の、文永八年十月のことである。
流罪の地である佐渡にご出発を前にして、大聖人は我が弟子たちに、真心をもって書き送られた。
「法華経は、紙に書かれてあるままに声に出して読むことはできても、その経文通りに振る舞い、行動することは難しいであろう」(御書一〇〇一ページ、通解〉
そして今、大聖人お一人が大難を受けられ、「軽賤憎嫉」「猶多怨嫉・況滅度後」等の経文を如説修行し、“身に当てて読んでいる”と、厳然と、高らかに宣言されたのである。
その師子の王者の声は、愛する弟子たちの胸中を激しく揺さぶったにちがいない。
 
――わが弟子よ、お前たちは、どう戦うのか、と。
 御書は、「永遠の経典」である。
 御書は、大聖人の魂の叫びである。
 この魔性に覆われた悪世末法に、法華経を修行する我らのために

――「勇敢に戦い、絶対に退転するな!」
「人生を勝ち飾れ!」
「断固として悪を打ち破れ!」と、師子の声、厳然と、大聖人が遺された正義の絶叫である。
ゆえに、我ら弟子一同もまた、御書を拝するたびに、深く自らに問いかけていかねばならない。
汝は、いかに生きるのか、汝は、いかに戦うのかと。
「身で読む」とは、他人事として、また、昔話としてではなく、「自分のこと」として、「現在のこと」として拝し、わが人生の闘争に立ち向かうことだ。
そこに厳粛なる、「師弟一体」となる正しき軌道があるからだ。
たとえ一節でもよい。一行でもよい。「この仰せの通りだ!」「この御書は今の自分にいただいたものだ!」と、深く生命に刻みつけ、厳然たる信心で、新たな広布の戦いを起こしゆくのだ!
それが、「御書を心肝に染めよ」との、日興上人の遺誡を守ることになるのだ。


     ◇

あの戦時中、戸田先生は、軍部政府の弾圧で、二年間の暗い獄中生活を送られた。
先生は、牢獄で「一生涯の自分の使命は広宣流布にあり」と、究極の使命を自覚された。
無念にも獄死された牧口先生の弟子として、傲慢にして卑劣な連中への仇討ちを誓った。銃殺刑も恐れなかった。
そして、出獄と同時に、広宣流布の大闘争を開始されたのだ。
しかし、その同じ法難は、他の弟子たちを、ことごとく退転させた。

開目抄には、「つた(拙)なき者のならひは約束せし事を・まことの時はわするるなるべし」
(同二三四ページ)と仰せである。

彼らは「まことの時」に、怖じけづき、臆病になり、自分で正義の宝剣を捨ててしまったのだ。
 戸田先生は嘆いた。
 戸田先生は泣いた。
どうして牢に入ったことで退転してしまうのか。
最も晴れがましい、永遠にわたる大功徳を受けるチャンスであったではないか。
臆病の信心などは、御書のどこにも書かれていない。
戸田先生は反省した。熟慮した。昼となく、夜となく、考え抜いた。どうして退転してしまうのか――。
天才である戸田先生の結論は、こうであった。
信心の推進力となるべき、信心の何たるかを明かす教学がなかった。御書を読ませることを忘れていた。
教学、すなわち御書を、心肝に染めさせてさえいれば、退転などあるはずはない。臆病者が奮い立って、勇気を持って、戦い抜いていくのだ。御書だ! 御書だ!
その深い体験から悟り抜いた戸田先生の指導のもと、学会は、幹部も会員も、御書を我が身から離さなかった。
教学なき仏法はない。信心なき仏法は、仏法ではない。
時間さえあれば、御書の研鑽に励んだ。時あるごとに、その会合で御書を拝読し、御書を論じ、御書を学び合った。
新しい魂の火が燃えた。
新しい遠大な未来を見つめる目が輝いた。
御書の拝読は、人間革命であった。御書の拝読は、信心を無限に深めていく原動力であった。
ここでいう教学とは、観念の教学ではない。物覚えの教学でもない。学者になるための教学でもない。
大聖人の教学とは、生き抜く力、戦い抜く力、広宣流布への力となってゆく教学であった。
その教学は、自身の血肉となって、あらゆる現実の人生と戦い進む、社会にあって断じて勝つための教学であり、大哲学であったのだ。
posted by ハジャケン at 09:45| 山梨 ☁| 随筆人間世紀の光 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月04日

2005年11月08日 随筆 人間世紀の光 102

随筆 人間世紀の光 102
2005年11月08日 | 随筆 人間世紀の光
◆「青年・躍進の年」への出発

――君よ壮大な勝利の歴史を創れ!――
――人権闘争の母は青年たちに期待「あなたのエネルギーこそ変革の力」――
 
青春のころから、プーシキンは大好きな詩人であった。折々に読んだ彼の詩は、今もって忘れることができない。 「この世には/ゆるぎない幸福なんてないんだよ。高貴の家柄も、/美貌も、力も、富も、/不幸を免れ得るものはなにひとつないんだよ」 その通りである。
だからこそ、「永遠不滅の妙法」と共に生き、「永遠不滅の幸福」を勝ち取っていくのだ。
プーシキンは、こうも謳っている。
「栄光と善の希望に満ちて我は、前を見つめる。恐れなく!」
どんな嵐が来ようが、吹雪が襲いかかろうが、泥沼であろうが、前へ、前へ進み、絶えまない努力の足跡を刻みつけていくことだ。
その人こそが、「勝利の太陽」と輝いていくことができる。
     ◇
それは、一九五五年(昭和三十年)の十二月のことである。
アメリカ南部のアラバマ州モンゴメリーで、バスの乗客である黒人(アフリカ系アメリカ人)の一婦人が、白人の運転手から、あとから来た白人に席を譲れと命じられた。
 「ノー!」
女性は穏やかに、だが、毅然として拒絶した。そして、警察に逮捕されたのだ。
「私は正しいことをしなければいけないと心に決めたのです」――この歴史的な瞬間の扉を開いた女性こそ"公民権運動の母"ローザ・パークスさんであった。
先月の二十四日、そのパークスさんが逝去された。享年は九十二歳であられた。
現在のアメリカ創価大学ロサンゼルス・キャンパスでお会いし、さらに東京でお迎えしたことを、私は一生涯、忘れることはできない。
     ◇
このパークスさんの逮捕をきっかけに、モンゴメリーの黒人民衆は、人種差別のバスヘの乗車を拒否し、差別撤廃を訴えた。これが、世界的に有名な「バス・ボイコット運動」である。
この運動の中核となったのは、実に、わが青年部諸君と同じ若人たちであった。
指導者のマーチン・ルーサー・キング博士は二十六歳。博士の盟友、ラルフ・アバナシーも二十九歳であった。
青年たちが先頭に立ち、来る日も来る日も、「非暴力」を掲げて、大きく時代を転換させゆく、この運動の戦略を練り、決定していった。
彼らの戦いは、人間それ自体の尊厳を勝ち取る闘争であったのだ!
「どんな運動でも、うまくやりぬくために一番大事な仕事は、この運動に参加する人たちを団結させておくこと」
これが、青年キング博士の結論であった。
彼は、運動の勝利のためには、「団結」、また確固たる「哲学」、そして指導者と民衆との「心の交流」が必要だと考えていたのである。
毎週の集会では、医師や教師、弁護士も、労働者も主婦も、共に席を並べ、熱っぽく語り合った。集会の雰囲気が暗くなった時は、青年が演説して、皆を励ました。
そして、いついつも、彼らは朗らかに、勇気と決意をもって、自らの勝利の歌を歌いながら、前進していった。
そこには、常に民衆の心を鼓舞する歌があった。
その戦いの根本は、白人も黒人も差別のない、また老いも若きも、さらに男性も女性も差別のない社会を目指していた。
彼らは"自分たちは絶対に正しいのだ! だから正義が常に味方しているのだ!"と、誇り高く胸を張って戦い始めたのだ。
「平等と正義を獲得するための運動は、大衆的であると同時に戦闘的な性格をもつ場合にこそ成功することができるのだ」とは、キング博士の鋭き有名な洞察である。
     ◇
 
一方、陰険な反対者たちは、あらゆる手段を講じて、キング青年たちと大衆とを引き裂こうと画策した。
"キングたちの運動は金儲けが目的だ""皆が歩いているのに、キングは高級な車を買った"などと、事実無根のデマを垂れ流した。
嘘八百を流す連中の本質。いつでも、それは保身である。正義の拡大への嫉妬であり、攻撃である。
さらに彼らは、狡猾に"黒人の有力者"を仕立て上げ、"白人と黒人の代表が会合を開き、ボイコット運動の終了が決まった"というデマ記事まで、でっち上げた。
しかし、それがインチキだと見抜いたキング青年らは、電光石火の反撃で、皆が記事を読む前に、街中に真実を訴え抜いて、走ったのである。
青年が動くのだ! 青年がデマを粉砕するのだ!
キング博士が後に指摘したように、「不正義は強力で、執拗な、決断的行動によって根絶しなければならない」。
運動開始から一年後へ遂にモンゴメリーのバスの人種隔離は廃止され、公民権運動が全米に波及していった。
「一人の勇気」の叫びが、「皆の勇気」に盛り上がった。
そして「一つの地域の勝利」が、「全軍の勝利」へと、変化していった。
これが、歴史を創り、動かしゆく、新しい民衆運動の勝利と勝圏の方程式となっていったのである。
     ◇
以後、キング青年たちは、勇んで全米各地へ転戦する。
その最高潮は、当時、最も人種差別がひどかったアラバマ州バーミングハムの街での人権闘争であった。
彼らは"最難関の戦場で勝ってこそ、自由と正義の全闘争を逆転勝利させる力になる"と確信していたのだ。
キング青年は、この地で、苦悩の渦巻く街角に、「小さなグループ」を一つ
また一つと訪ね、対話を重ねた。
冷淡な反応も、無理解の悪口も多々あった。
だが、わが闘魂の炎を、一人また一人の胸へと、ともしていった。勝利は「忍耐」と「持続」の中にあるのだ。
指導者は、常に相手の心をつかみ、相手の心を理解し、そして相手の心を動かしていかねばならない。
そのためには、大きい会合だけではなく、一人ひとりと直接、会って対話していくことが重要であると、キング青年は知っていた。
ともあれ、激戦地であればこそ、勇敢に「一人立て一」、大胆に「一人立て!」。
それが、必ず反転攻勢の大波となっていくからだ。
     ◇
キング青年が、アメリカで人権闘争の指揮を執っているその時、私は関西で戦っていた。
それは、私の青春の金字塔と光っている。
一つの支部という小さな組織で、一カ月間に、一万一千百十一世帯の布教を成し遂げ、日本中を驚嘆させる大勝利で飾った。
今もって、私の胸には、この時の誇り高い波動が、強く、晴れやかに残っている。
私は、東京と並んで重要な心臓部である関西の底力が、いよいよ発揮されゆくことを知っていた。
東の首都圏、西の大関西。この二つの大都会が、互いに肉薄しながら歩んでいけば、日本中が大きく揺れ動いて、広宣流布の前進が必ずできると、私は見抜いていたのだ。
「常勝関西」の民衆城をば、私は断固として築き始めた。いな、この五十年、誉れ高き「常勝創価」の師弟不二の大城を創り上げてきたのだ!
御聖訓には、「其の国の仏法は貴辺にまか(任)せたてまつり候ぞ」(御書一四六七ページ)とある。
今、自分がいる場所が、深い深い使命の舞台である。それが仏法なのだ。
さあ、生気溌剌と、「青年・躍進の年」へ出発だ!
明年は、強く朗らかな男子部も、そして美しき瞳と笑顔の女子部も、「結成五十五周年」を迎える。
さらに、男子部の英知の創価班は結成三十周年、信念の牙城会も結成三十五周年になる。
花の女子部の白蓮グループは、早くも結成四十周年を迎える。
ローザ・パークスさんは、"青年たちの母"の如く、深い期待を込めて、常に呼びかけられていた。
青年!「あなたは私たちの未来です。私は、あなたのエネルギーこそが、変革をもたらす力だと思っています」
これは、全く正しい哲理だ。
崇高なる勝利を見つめる、いな、勝利を築き上げる、凛々しき若武者、青年諸君の栄冠を、私もパークスさんと同じ思いで待っている。
 新しき時代を!
 新しき波を!
 新しき舞台を!
 新しき広布の大潮流を!
 そして、新しき人類の平和と和合を!
 それを創り上げるのは、君たち青年しかないのだ。
 プーシキンは叫んだ。
 「われらのもとを去れ、傲れる人よ」
 そして、
 「偽りの知恵は、
 不滅の知性という太陽の前に揺らぎ、くすぶる。
 太陽よ、万歳!
 闇よ、消えよ!」と。
 若き知性の太陽たる君よ、絶対に負けるな!
 悔いのない、楽しき力強き闘争によって、輝く歴史を創り給え!
 さらに、史上最高にして、永遠不滅の新たな創価城を、若き君たちの手で築き上げてくれ給え!

2005年(平成17年)11月8日(火)掲載
posted by ハジャケン at 11:19| 山梨 ☁| 随筆人間世紀の光 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月21日

誠実と熱意

誠実と熱意

戸田先生も、よく言われた。
「『心の世界』は慈悲深い心で接すれば、いくらでも変化するということを、忘れてはならない」

「人の心を動かすものは、策でもなければ、技術でもない。ただ誠実と熱意である」

【随筆 人間世紀の光 弟子の勝利が師匠の勝利「勇気をもって光明の種を植えよ」】聖教新聞08・6・5
posted by ハジャケン at 10:49| ☔| 随筆人間世紀の光 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月18日

随筆 人間世紀の光 No.211 (詩歌 抜粋)

随筆 人間世紀の光 No.211  (2009.11.14付 聖教新聞)
(詩歌 抜粋)

師弟こそ「創価の魂」

創立日 万歳叫ばむ 師弟かな
一日一日 我らは新たな出発だ!

一切は弟子の誓願と戦いで決まる
さあ80周年! 勝利の山へ晴れ晴れと

 創立日
  万歳 叫ばむ
     師弟かな


偉大なる
  師匠に仕えて
    悔いもなく
  創価の城をば
     厳と築けり


 師弟不二
  ありて歴史は
      輝けり


三類の
  嵐に勝ちゆく
      師弟山


偉大なる
   君も私も
      巌窟王


師を護り
   嵐も怒濤も
     恐れずに
  今日も広布の
    英雄 君たれ


この一生
  尊き勝利の
    歴史たれ
  師弟は不二との


“大楠公”の歌声
 君たちの
  子孫末代
   長者たれ
  大楠公の
    誓い嬉しく


此 正行は年こそは
  未だ若けれ諸共に
  御供仕えん死出の旅


創立の
  この日を祝さむ
   千万の
  苦楽を刻みし
    尊き 同志と


共々に
  常勝の馬
   跨りて
  勝利の道を
   断固 開かむ


     人生 飾れや

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2009年07月10日

「青年創価学会」の息吹 新時代へ3つの大波を

随筆 人間世紀の光 No.193/4(2009.7.8/9付 聖教新聞)

「青年創価学会」の息吹  (一部抜粋にて)


新時代へ3つの大波を

 師弟不二たれ!
 異体同心たれ!
 絶対勝利たれ!


第一の波動──それは、「師弟不二」である。
「よき弟子をもつときんば師弟・仏果にいたり」(御書900n)
仏法の極意である師弟の哲理を貫き通せば、学会は永遠に勝ち栄えていける。
「いよいよ強盛な信心をせよ!」──レコードから流れる戸田先生の師子吼を、理事室の皆と幾度も聞いた。聞くたびに満々たる勇気が湧いた。
「確信のあるところには、おのずから情熱が湧く」
 先生の残してくださったご指導の通りだ。
 師の開拓精神!
 師の建設精神!
 師の破折精神!
恩師の思考は、常に新しく未来へと向かっていた。
私は、いかなる会合でも恩師の教えを叫び続けた。
私の身体の、どこを切っても、戸田先生の広布一徹の熱さ血潮が流れている。先生が「戸田の命より大事」と言われた学会の組織の隅々に、恩師の血流を通わせるのだと必死だった。
残念ながら、峻厳な師の心を忘れ、慢心になり、向上心を失って、惰眠を貪る幹部もいた。
その姿は、大聖入御在世に、「日蓮御房は師匠にておはせども余にこは(剛)し我等は やは(柔)らかに法華経を弘むべし」(同962n)と退転した、増上慢の弟子の如くであった。
私は、誠烈なる青年群を中心に、学会のど真ん中に、目の覚めるような師弟の魂を据えていったのだ。


第二の波動。それは、「異体同心」の団結である。
御金言には仰せである。
「総じて日蓮が弟子檀那等・自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり」
「若し然らば 広宣流布の大願も叶うべき者か」(同1337n)
この大聖人に直結して、広宣流布へ邁進しゆく同志の結合は、わが学会の他には、どこにもない。あの友の勝利も、この地の栄光も、「自他彼此の心なく」祈りゆく、異体同心の極致の団結が、我らにはある。
ゆえに「生死一大事の血脈」が脈々と流れ通うのだ。
その要諦は、御書根本の教学であり信心である。
私は、昭和34年後半だけでも、福岡、岡山、大阪、静岡、名古屋、岐阜、尼崎、横浜などを駆けめぐり、御書講義を行った。
青年部には「心の財第一なり」(同1173n)の御精神を訴えた。
毀誉褒貶に流され、名聞名利に狂い、信念を捨て、同志を裏切る浅ましい邪道だけは歩んではならない。どんなに自身を正当化しようとも、「万歳悔ゆる」人生となってしまうからだ。
私は、一生涯、健気な庶民と苦楽を共にし、「心の財」の和合を護り抜くことを、若き友と固く約していったのである。


そして「師弟不二」「異体同心」に続く、第三の波動。それは、「絶対勝利」への率先の行動である。
全リーダーが最前線に勇み出て、自ら広布の勝ち戦を切り開くことである。
広宣流布とは肉弾戦だ。
今も記憶に残る集いがある。その日は、理事就任から1カ月余の、昭和34年の夏8月6日であった。広島の「原爆の日」である。
私は平和への祈りも深く、この日は、“栄光の人材城”中野支部の組座談会に出席した。
会場には、50人ほどの方々が来られただろうか。皆、真剣であった。
夜遅い仕事と学会活動の両立に悩む方がいた。
私は、自分自身の苦闘の体験を通して語った。
「真剣に祈ることです。必ず自由に学会闘争が出来るようになります!行きたいところに、行けるようになります!」
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2009年07月09日

2009/2/22 人間世紀の光 より 座談会

2009・2/22 人間世紀の光 (一部抜粋)

傲慢な人間は滅びる。
孤立した人間は倒れる。
良き友との連帯が、いかに大切であるか。
力は結合から生まれる。創造には、人との切磋琢磨が不可欠だ。
日蓮大聖人は――
「このような濁世には、たがいに常に語り合って、ひまなく後世を願うようにしなさい」(通解、御書p965)と仰せられた。
その通りの実践が、毎月の座談会のリズムである。

戸田先生は、ある質問会の折に語られた。
「座談会に三人、五人と集まって、語り合うなかから、今日の創価学会は、できあがってきたのですよ。
真面目に、真実を語る。そして心にあるものを訴えていく。
そして相手も理解し、こちらも理解させて、満足して帰ってきたのが、我々の創価学会の発祥の原理である。
これが、広宣流布の原動力なんです」
師が示された、この原理を、不二の弟子である私は寸分違わず実践し、証明してきた。
戸田先生は、よく言われた。
「あなた方も幹部になった以上は、もう腹を決めて、本当の仏道修行を座談会でしてください。
そして本当に苦労して、本当に磨き上げた指導者に一人一人がなっていただきたい。お誉めくださるのは大聖人であり、御本尊であられる」
座談会こそ、自分自身を最高に鍛え上げてくれる、生命練磨の道場である。
座談会で、人間指導者の実力を磨きぬいた人には、誰も敵わない。
座談会の歴史こそ、我が人生の「今生人界の思出」となって、三世永遠に光り輝くのだ。

遺伝子の特性や、子ども時代の環境にかかわらず、人は地域へのより積極的な関わりを通して、精神的にも身体的にも、健康を向上させていけることが、科学的に証明されたのだ。
座談会運動は、「健康の拡大」であり、「希望の拡大」なのである。

「人が集まる」ところに、力が生まれる。
座談会に意気軒昂に集まり、意気軒昂に散っていく。これが、連続勝利のリズムだ。

座談会で、皆に「何を伝えるか」「いかに感動を贈るか」、そして共々に「いかに深く決意を固めるか」――中心者の祈りと誠実と工夫が勝負である。

座談会は、心広々と未来を開く世界市民の平和と友情の花園だ。

戸田先生は戦後、再建の最初の座談会で、法華経の「在在諸仏土 常与師倶生」の文を踏まえて語られた
「師弟は、必ず共に生まれる。牧口先生と私は、牢獄まで師弟であった。来世も共である。
我々は、永遠に共に戦い勝つのだ!」

さあ、共々に――
広宣流布の座談会を!
幸福和楽の座談会を!
行学練磨の座談会を!
異体同心の座談会を!
破邪顕正の座談会を!
青年拡大の座談会を!
地域交流の座談会を!
そして――
師弟勝利の座談会を、朗らかに飾りゆこうではないか!
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2009/2/15 人間世紀の光 から

2009・2/15 人間世紀の光 (一部抜粋)

何ごとであれ、一過性では大事を成就できない。
「三変土田」――法華経にも、仏が国土を三度にわたって浄めたと、変革の持続の劇が示されている。
人も、組織も、社会も、辛抱強く、変革の波また波を寄せてこそ、変わっていくことを忘れまい。
「持続は力」である。
「次の手」を、弛まずにに打ち続けていく以外ない。
「月月・日日につより給へ」(御書p1190)と御聖訓には仰せである。
たとえば、個人指導も、その場限りにしない、誠実な智慧と行動が大事だ。
「また、お会いしましょう!」「今度は、いつお会いできますか?」――そうした心からの一言が、信頼の絆を深めていくのだ。

「偉大な人間だから偉大な仕事を成し遂げられるのではない。偉大な目的を目指すから、人間は偉大になれる」
青年が大目的に向かって進めば、時代が動く!
青年が正義を叫び抜けば、歴史が変わる!
乱世こそ、正しき哲学をもった“創価の若人”の振る舞いが、ますます光る。


//////////
今回の交流体験で、感じ取った御指導です。
自分自身、よくよく拝していきたい!




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2009年01月07日

人間世紀の光 175 勝利の一年を共々に 上-1

09年1月6日 人間世紀の光 175 
勝利の一年を共々に 上-1  山本 伸一

君よ 富士の如く
巍巍(ぎぎ)堂々と!
「地涌」の大生命力で
勇敢に壁を破れ

 二〇〇九年の元朝──。

富士宮をはじめ各地のわが同志が、勇み立つ勢いで、朝日に輝く富士山の写真を送ってくださった。

 初日の出
   富士も悠然
      祝賀せむ

白雪を抱いて威風堂々とそびえる、元旦の富士を見つめながら、次から次に、句と歌が迸り出てきた。
さらにまた、先駆の九州の友、常勝関西の友、昨年、伺えなかった神奈川の友、吹雪に胸張る北国の友、そして日本全国、全世界と、次から次に、同志の顔が浮かび、"富士の如く勝ちまくれ!"と、励ましを送り続けた。
一機一縁、その瞬間を逃さず、電光石火で手を打つ。いかにして、けなげな友を激励し、新たな広宣流布の波を起こしていくか。私の心には、それしかない。
この一年も、私は、戸田城聖先生の直弟子として、厳然と勝利の指揮をとっていく決心だ。

あの富士の如くに!
    
「巍巍堂堂として尊高なり」(御書二一一ページ)
これは関目抄で、「地涌の菩薩」の四人の導師、すなわち「上行」「無辺行」「浄行」「安立行」の人格を讃えられた一節である。
まるで、富土山を仰ぎ見るような形容と拝される。
それは、すべての人びとに勇気と希望を贈り、正しき人生の道を示しゆく「善知識」め存在である。
今、世の中は暗澹としている。「人物がいない」「人間が小粒になった」「スケールが小さい」等と慨嘆する声は、あまりにも多い。
なればこそ、我ら地涌の勇者が、誇りも高く、社会の「正義の柱」「希望の柱」「安心の柱」として、巍巍堂堂と立っていくのだ。
二十一世紀の壮大な人材山脈を築き上げるのだ。

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2008年12月25日

随筆人間世紀の光 174 広布の賢者の壮年部 下-7 [完]

08年12月18日 聖教新聞
随筆人間世紀の光 174 広布の賢者の壮年部 下-7  山本 伸一

一九七四年、日本で開催された、あの至宝の名画「モナ・リザ展」の折、フランス政府の特派大使として来日されたのが、行動する文化人アンドレ・マルロー氏であった。
この折、氏と私は、聖教新聞社で、三時間近くにわたって対話を重ねた。翌七五年の五月には、パリ郊外のご自宅にお招きをいただいた。文明の未来を見つめ、様々なことを語り合ったことが懐かしい。
このマルロー氏の哲学を凝結した言葉がある。
「なすべきことをなして、コメント(=論評)は人にまかせろ」
まったく、そのとおりだ。
 傍観者の戯言(たわごと)などが、なんだ!
 傍観者の無責任な態度が、なんだ!
 傍観者の勝手気ままな臆病な言動が、なんだ!
我らは"不死鳥"の如き広宣流布の闘士である。我らには"不死鳥"の如き師弟の誓いがあり、久遠からの偉大な使命がある。
 戦いはこれからだ。
 必ず、勝つのだ。
 我らに開けぬ道はない。
 我らに破れぬ壁はない。
 勝利できぬ戦いはない。
 戦おうではないか!
 そして勝ちまくるのだ。
勝って勝って、深く大きい歴史を子孫に残すのだ。後世に残すのだ。
勇敢なる凡夫という、最高の俳優となって、今世を生き抜いていくのだ。
わが大切な大切な、壮年の同志よ!
偉大なる道を歩みゆく、わが不二の戦友よ!
私たちを、君たちを、諸天善神は、万歳を叫びながら見守り、喝采しながら未来永遠に護ることを、忘れてはならない。

 走り抜け
  師子の如くに
    勝ちまくれ
  師弟不二なる
    長者の君なば

(随時、掲載いたします)

ヒルティの言葉は順に『眠られぬ夜のために』草間平作・大和邦太郎訳(岩波書店)、シュトゥツキ著『ヒルティ伝』国松孝二・伊藤利男訳(白水社)、『ヒルティ著作集2 幸福論2』斎藤栄治訳(白水社)。テオグニスは「エレゲイア詩集」(『世界人生諭全集1』所収)久保正彰訳(筑摩書房)。周恩来の話は新井宝雄者『革命児周恩来の実践』(潮出版社)。黄忠は『完訳三国志』小川環樹・金田純一郎訳(岩波書店)、陳寿著『正史三国志5』井波律子訳(筑摩書房)。ナポレオンはオブリ編『ナポレオン言行録』大塚幸男訳(岩波書店)。マルローは竹本忠雄著『アンドレ・マルロー日本への証言』(美術公論社)。

随筆人間世紀の光 174 広布の賢者の壮年部 下〔完〕


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随筆人間世紀の光 174 広布の賢者の壮年部 下-6

08年12月18日 聖教新聞
随筆人間世紀の光 174 広布の賢者の壮年部 下-6  山本 伸一

不死鳥か
   依正不二なり
      君と僕

私が、この句を詠んだのは、入信三十周年を迎えた昭和五十二年の八月二十四日であった。この日は、「壮年部の日」であった。
私は、信頼する全国の壮年部の同志に、共に"不死鳥"の如く前進をと、この句を贈ったのである。
句に詠んだ「依正不二」とは、行為の主体である「正報」と、その依り所となる環境の「依報」が不二だと洞察した、仏法の奥義である。
想像を絶する艱難をも、「法華経の兵法」で勝ち切って、何ものにも微動だにせぬ自分自身を鍛え上げるのだ。
この勝利また勝利の自分に即して、壮大なる栄光の環境が出来上がっていくのである。全部、「依正不二」だ。自分の胸中の制覇が、すべての環境も勝利させていくものである。
日蓮大聖人は、我ら壮年部の大先輩である池上兄弟に厳しく仰せである。
「強盛に歯噛みをして、決して弛む心があってはならない」(同一〇八四ページ、通解)
そして師匠の大聖人が、幕府の権力者・平左衛門尉に向かって威風堂々と振る舞い、破邪顕正を師子吼されたように、少しも恐れる心があってはならないと、励まされたのである。
師の如く、「師子王の心」で戦え──これこそ、師弟不二の壮年部の魂である。
わが弟子よ、師匠が切り開いた「勝利の大道」に、敢然と続け!

続く 下-7へ
posted by ハジャケン at 10:23| ☔| 随筆人間世紀の光 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

随筆人間世紀の光 174 広布の賢者の壮年部 下-5

08年12月18日 聖教新聞
随筆人間世紀の光 174 広布の賢者の壮年部 下-5  山本 伸一

有名なインドの哲学者ラダクリシュナン博士は、私の大切な友人である。博士の父上は、マハトマ・ガンジーと共に勇敢に戦った非暴力の闘士であった。亡くなられた後も、「地位や権力や金銭にとらわれない、恐れを知らぬ人であった」と賞讃された。博士は、お仕えする師匠からも、偉大な父上の勇気ある息子として、断じて勝ち誇る人間になれ! と、薫陶されてきたのである。
自らの信念を貫いた、悔いなき勝ち戦の歴史こそ、わが子や後輩に対する最高の遺産となるのだ。
「一人の人間こそすべてである」と、ナポレオンは必勝の将軍学を語った。
広宣流布の勝利も、一人の人間で決まる。
我ら壮年の誉れとは、いったい何か。
それは、わが人生の道にあって、信心を根本に打ち立てた「勝利の旗」の数ではあるまいか。
「誰か」ではない。「自分」である。自分が勝つことだ。自分に勝つことだ。
その姿こそが、常に勇気を波動させていくのだ。

続く 下-6へ
posted by ハジャケン at 10:21| ☔| 随筆人間世紀の光 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

随筆人間世紀の光 174 広布の賢者の壮年部 下-4

08年12月18日 聖教新聞
随筆人間世紀の光 174 広布の賢者の壮年部 下-4 山本 伸一

 子々孫々
  末代までの
    功徳をば
  父たるあなたの
    因果の土台で

波乱万丈の大闘争を越えて築き上げた、わが生命の城は難攻不落である。
釈尊が信頼する弟子であった須達長者は、「七度貪になり・七度長者となりて候いし」(御書一五七四ページ)と言われる。
現実社会において、浮き沈みは避けられない。
特に七度目は、最も苦しい窮地に立たされた。しかし、この一番、苦しい時に、須達長者は夫妻して、身命を惜しまず、すべてを捧げて、師をお護りした。
この時の大福運によって、夫妻は、どん底から立ち上がった。そして、当代随一の長者となり、やがて祇園精舎まで建立寄進する大境涯になったのだ。
日蓮大聖人は、この「師弟不二の信心」で勝った須達長者夫妻の姿を讃えられ、「これをもって万事を弁えなさい」と仰せである。
仏法には、汲めども尽きぬ福徳を積みゆく因果律が明かされているのだ。
仏典には、仏を指して「出世の長者」と言われ、この長者には「魔を降し外を制す」力があるとも示されている(同八一八ページ)。
仏の大力を出せ! 卑劣な魔の蠢動を打ち破り、外にも厳として勝て。そして、健気な婦人部や女子部を護り抜け──これこそ、"男の戦い"である。なかんずく地域や職場で信頼されゆく壮年の戦いだ。

続く 下-5へ

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2008年12月24日

随筆 人間世紀の光 169 勇んで人間の中へ!上-1

08年10月24日 聖教新聞
随筆 人間世紀の光 169 勇んで人間の中へ! 上-1 山本 伸一

新たな価値創造は「対話」から!
恩師「真実を語れ それが学会発展の原動力だ!」


 天までも
  響きゆかなむ
   君の声
 勝利と栄光
    諸天も護りて

「仏法は勝負」である。
これが、日蓮大聖人が峻厳に教えられた一点だ。
生命の因果は厳しい。
勝つか負けるか、その人自身が生命で感ずる勝敗は、ごまかせない。
信心において、勝った人は、仏になる因を、深く深く積んでいくことができる。心の底から、「私は勝った!」と言い切れる戦いをすれば、その大福運が永遠につながってくる。
これが、仏の境涯だ。仏の力だ。仏の生命力だ。
負けた人は、福運を積めない。哀れな人生の因を刻んでしまう。
ゆえに、君たちよ、断じて勝て! 勝ちまくれ!
これこそ、仏の力の実在を知る直通である。
これ以上の「歓喜の中の大歓喜」はないのだ。
     
「はじめに対話ありき」──新たな価値を創造しゆく第一歩は「対話」である。私たちが、毎朝毎夕、読誦する法華経の方便品も、師匠が弟子に決然と語り始める生命の護歌である。
「爾の時、世尊は三昧従り安詳として起ちて、舎利弗に告げたまわく」(創価学会版法華経一〇六ページ)
それは、霊鷲山、更に寿量品が説かれる虚空会へと広がり、全宇宙をも包みゆく生命の究極の会座である。
御本尊に向かう時、この会座に、私たち自身が連なっているのだ。三世十方の仏天が見守るなか、荘厳に繰り広げていく、御本仏との「師弟の対話」の儀式こそ、勤行なのである。
大聖人が妙法尼に送られた御聖訓には仰せである。
「口に妙法をよび奉れば我が身の仏性もよばれて必ず顕れ給ふ、梵王・帝釈の仏性はよばれて我等を守り給ふ、仏菩薩の仏性はよばれて悦び給ふ」(御書五五七ページ)
妙法に勝る大音声はない。
この妙法を唱え私めゆく師弟の朗らかな対話の前進は、いかなる権勢をもっても絶対に阻むことなど、できないのである。
    
日蓮仏法の根幹である「立正安国論」も、「屡(しばしば)談話を致さん」(同一七ページ)と、対話が始まる。
釈尊、そして日蓮大聖人が示された対話の大道が、そのまま一分のずれもなく、わが創価の信念の進路である。
御書には、繰り返し経文を引かれている。
「よくひそかに一人のためにでも、法華経を、そして、その一句だけでも説くならば、まさに、この人は仏の使いであり、仏から遣わされて、仏の仕事を行ずる者と知るべきである」(同一三五九ページ、通解)
来る日も来る日も、広宣流布のため、立正安国を願い、勇気を奮って、一人また一人と、対話を積み重ねていく──わが学会員こそ、崇高な仏行に生き抜いているのである。
     
 恐るるな
  また恐るるな
    学会の
  正義の歴史を
    万世に残せや

それは、昭和三十二年の六月、あの懐かしい豊島公会堂で、本部幹部会が行われた時のことであった。戸田先生が、「今日は、質問会をしよう」と言われると、さっと何人もの手があがった。
一方通行ではなく、いつも率直な対話を大事にされる先生であられた。
ある幹部が聞いた。
──組座談会(現在のブロック座談会)では参加者が少なくて寂しい。もっと大規模な景気のいい座談会をやりたいのですが、と。
先生は答えられた。
「やってもいい。ただ、そればかりでは駄目だよ」
戸田先生は、こう諭されながら、少人数の「膝詰めの対話」がいかに大事か、草創期に、自ら座談会に通った思い出を語られた。
──神奈川の横浜では、狭い二階の、傾き加減の会場に何度も行った。
東京の定立区にも通った。まだ、交通の不便な時代で、トラックに乗せてもらって、帰ってきたこともある......。
先生は、豪快に呵々大笑されながら、確信に満ちた口調で断言された。
座談会で、三人か五人が集まる。そのなかから、今日の創価学会は出来上がってきたのです!」
「相手に真面目に真実を語る。そして心にあるものを訴えていく。これが創価学会の発祥の原理であり、発展の原動力である」
──実は、この本部幹部会の日、私は、電光石火、北海道を訪れていた。
「夕張炭労事件」で苦しめられていた健気な同志を護り抜くために、師子奮迅の力で奔走していたのである。
師の指導された通り、私は庶民のど真ん中で対話し、真実を語り切る戦いを起こしていった。だから勝ったのだ。
     
 わが友と
  親しく語り
   見上げれば
  友情の虹
    天下に微笑む

ともすれば、大きいところや目立つところに、人の意識は向かうものだ。だが、仏法が焦点とするのは、あくまでも一人の「人間革命」である。一人、真剣に広宣流布の戦いを起こす人がいれば、一切がダイナミックに変わり始める。
だから、どんなに地道であっても、最前線の一人を励まし抜くのだ。
人と人との距離が近ければ近いほど、共感も、歓喜も、勇気も、いち早く波動となって広がっていく。そして心の奥深くにまで響いていくのである。
広宣流布の前進は、人と会い、人と語りゆく行動のなかにしかない。
日蓮大聖人も、弟子への御手紙に──
「面にあらずば申しつくしがたし」(同一〇九九ページ)、「委細は見参の時申すべし」(同一三九〇ページ)
等と記されている。
どれほど「直接、会うこと」「顔を見て、語り合うこと」を大事にされていたか。
そして、だからこそであろう。眼前に会っている人だけでなく、その背後にいる人びと──留守の家族や会えない同志にまで、実にこまやかな配慮を尽くされている。仏法の人間主義の極意は、この心遣いにあるのだ。
日蓮大聖人のもとへ、夫の阿仏房を送り出し、佐渡で留守を護る千日尼には、「お顔を見たからといって、それが何でしょう。心こそが大切なのです」(同一三一六ページ、通解)と、慈愛で包み込まれている。
通い合う心と心には、壁はない。距離を超え、会えなくとも会っている。
これが、深き師弟共戦の精神でもある。
posted by ハジャケン at 16:12| ☔| 随筆人間世紀の光 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月20日

随筆人間世紀の光 174 広布の賢者の壮年部 下-3

08年12月18日 聖教新聞
随筆人間世紀の光 174 広布の賢者の壮年部 下-3 山本 伸一

健康と
   長寿の生命
    大切に
  壮んな年に
     誉れ多かれ
「闘争力」とは、勇んで第一線に立つ生命力だ。
中国の周恩来総理は、その模範を示され続けた。北京郊外のダムの建設現場を訪れ、一週間、寝食を共にして働いたこともある。五百人を超える中央の幹部も、勇んで総理に同行した。
周総理らは、この現場でダムの堤を築くため、手押し車で石材を運び、列を作って石を手渡していった。
周総理は、既に六十歳。幹部たちも平均年齢は四十五歳を超えていた。だが、仕事に取りかかると、"竜か虎のように"意気盛んであったという。しかも総理は、皆が昼間の労働に疲れて眠った後、睡眠時間を削って、国家の執務も行った。総理の部屋は、いつまでも明かりが消えなかったのである。周総理が率いた一隊は、尊敬の念を込めて、「黄忠隊(こうちゅうたい)」と呼ばれた。
黄忠は、三国時代、諸葛孔明の下で活躍した名将である。七十歳近くになっても、勇んで陣頭に立った。
敵将に向かっては、「わしを年寄りとあなどるか。わしの刀はまだ若いぞ」と、猛然と突入していった。
黄忠が立てば、全軍が奮い立った。
「鋒(ほこ)を突きたて、あくまでも進撃し、率先して士卒を励まし、鍾と太鼓は天を振わせ、歓声は谷を動かすほど」──黄忠の天晴れな戦闘を、正史『三国志』はこう伝えている。
広宣流布のため、平日の昼間から奮闘される、わが壮年部の「太陽会」「敢闘会」などの皆様方は、誉れの「創価の黄忠隊」である。
お体を大切に、晴れ晴れと進んでいただきたい。
当然、仕事の上では「定年」はある。しかし、南無妙法蓮華経を唱え行じゆく生命には、定年はない。
常に、元初の旭日の生命力で、永遠不滅の勝利の人生を飾っていけるのだ。

続く 下-4
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随筆人間世紀の光 174 広布の賢者の壮年部 下-2

08年12月18日 聖教新聞
随筆人間世紀の光 174 広布の賢者の壮年部 下-2 山本 伸一

「私は口先だけの男を友にはしたくない」
「仕事を見せろ、できれば立派な仕事を」──
私が大切にしてきた、古代ギリシャの詩人テオグニスの言葉だ。
戸田先生も、「口先だけの男」には、それはそれは厳しかった。
その反対に、地味であり、朴訥であっても、誠心誠意、努力を重ね、確かな実証を示す人を、抱きかかえるように大事にされた。
弟子たちの「祈り」と「戦い」を、じつと見守っておられた。師匠とは、本当にありがたいものだ。
昭和二十八年の九月度の本部幹部会で、先生は、こう指導された。
「長たる地位にありながら、闘争力のない者には福運が出ない」
常々、戸田先生は──
「臆病者になるな! 臆病者は、指導する力も出ない。資格もない」と厳しく言われていた。
家庭であれば、その大黒柱には、一家を護り支える使命と責任がある。
組織も、厳しく見れば、「長の一念」と「長の闘争力」で決まるのだ。
この月(昭和二十八年九月)、わが蒲田支部の折伏は、初めて千世帯の大台を突破した。あの「二月闘争」で、私と共に、二百一世帯という、大きな壁を破る結果を出してから一年半余り。蒲田支部は、また新たな金字塔を打ち立てたのである。なかでも、支部の最大の牽引力となった矢口地区は、三百世帯を超えた。この矢口地区の黄金桂が白木薫次地区部長であった。後の第二代蒲田支部長でもある。社会では、会社の重役を務め、良識豊かな大人の風格の人であった。地区員を、いつも慈愛の眼差しで見つめ、親にも勝る愛情を注いでいた。
組織がタテ線の時代である。東北の秋田や北海道、愛知、岐阜、山梨等々、遠方で苦闘する同志のためにも、喜んで走った。真剣に走った。
何でも親身に、気さくに相談にのってくれる地区部長を、皆は「白木のおじさん」と呼んで慕っていた。その「おじさん」という呼びかけのなかに、最上の敬愛と信頼の響きがあった。ひとたび戦いに臨めば、燃やす闘志は、情熱あふれ青年の如くであった。
幾つになっても、意気軒昂に戦う生命は輝き光る。だから人材も陸続と出た。
「白木君は、あらゆる面で福運を受けているな」
陰で、戸田先生は、常にそう誉めておられた。

続く 下-3


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随筆人間世紀の光 174 広布の賢者の壮年部 下-1

08年12月18日 聖教新聞
随筆人間世紀の光 174 広布の賢者の壮年部 下-1 山本 伸一

師子の勇気を 不死鳥の大生命力を
恩師「闘争力を持て 嵐に揺るがぬ大勝利者たれ!」
「強盛の信心 弥弥悦びをなすべし」


 仏法の
  広布の賢者の
     君なれば
 誇りも高く
    勝利の指揮とれ

ある日、私は、逆境のなか、懸命に戦っている後輩に、この一首を贈った。秀才である彼からは、即座に決意の手紙が届いた。
そこには、"苦悩してきた人間は、苦労知らずを信用しない"という意味の、スイスの哲人ヒルティの言葉が綴られてあった。
そして手紙は、「私も、この決心で、労苦を惜しまず、真の賢者となってまいります」と結ばれていた。
この哲学者のヒルティ自身も、苦悩の連続であった。しかし最晩年、訪ねてきた知人に、ヒルティは語っている。
「わたしの生涯から苦しみの時を抹消しようとすれば、よい想い出はぜんぜんのこらないことになるであろう。すべてよいことは苦しみの時間のうちに成長した」
正義の指導者が多くの難に遭うことも、大勢の人びとを励まし、リードしゆくための試練なのである。
決して、この道理を忘れてはならない。
ともあれ、蓮祖大聖人は仰せである。
「大難来りなば強盛の信心弥弥(いよいよ)悦びをなすべし」(御書一四四八ページ)立ちはだかる苦難や競い起こる強敵こそ、壮年の生命を、いよいよ雄々しく蘇らせ、いよいよ壮んに燃えたぎらせてくれるのだ。さらに哲学の達人ヒルティは、「若さの秘訣」を問われて、「つねに新しいことを学ぶこと」を誇らしげに挙げている。
「学ぶ人生」は老いない。
創価大学の通信教育部でも、青年と共に学びゆかれる人生の先輩方の姿は、何よりも若々しく、美しい。

続く 下-2
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2008年12月18日

随筆 人間世紀の光 173 広布の賢者の壮年部 上-4

08年12月17日 聖教新聞 随筆 人間世紀の光 173 
広布の賢者の壮年部 上-4  山本 伸一

十九世紀のイギリスの詩人ブラウニングは歌った。
「われ常に戦士なりき」
「倒れるのは立ちあがらんが為め、妨げられるのはより能く戦はんが為め」若き日より、胸に刻んできた言葉である。
ご存じの通り、私は十九歳の時から、広宣流布の険しい道を走り抜いてきた。
 厳しい時代もあった。
 苦しい時代もあった。
しかし、妙法流布という使命に走る者は、全宇宙の諸天善神が守りに護ってくれるのだ。これほど痛快な人生はないのだ。
妙法の信仰者には、絶対に敗北はない。
敗北のない人は、永遠に勝利者である。幸福の王者である。人生の長者である。そのための信仰だ。そのための道を、歩み、走っているのだ。
 走れば走るほど、宝の山が待っている。幾千万という諸天善神が、喜んで待っている。

銀杏の話は飯倉照平著『中国の花物語』(集英社)、深津正・小林義雄普『木の名の由来』(東京書籍)など参照。ゲーテは「西東詩集」(『ゲーテ全集2』所収)生野幸吉訳(潮出版社)。石川啄木は『雲は天才である』(金の星社)。ブラウニングは『ブラウニング詩集』野口米次郎訳(第一書房)。

随筆 人間世紀の光 173 広布の賢者の壮年部 上〔完〕

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随筆 人間世紀の光 173 広布の賢者の壮年部 上-3

08年12月17日 聖教新聞 随筆 人間世紀の光 173 
広布の賢者の壮年部 上-3  山本 伸一

「蔵の財よりも身の財すぐれたり身の財より心の財第一なり」(御書一一七三ページ)信仰のゆえに迫害を受け、荒れ狂う世間の激浪に揉まれながら、懸命に戦っている四条金吾に対して、師匠・日蓮大聖人が送られた一節である。
「蔵の財」とは、端的にはお金であり、経済力といってよい。
「身の財」とは、健康や職業的技術、また社会的な地位や信用、名誉である。
数年来、四条金吾は、その二つが試練にさらされていた。
社会人として、生きるか死ぬか、勝つか負けるかの大苦境を耐え抜き、完璧に乗り越えていけるかどうか──まさに、油断ならぬ正念場の日々であった。しかし大師匠であられる大聖人は、愛弟子の四条金吾に賢者の生き方を示しながら、厳然と励まされた。
──わが弟子よ、「心の財」があるではないか!
何を恐れることがあろうか! 「師弟不二の信心」という最強最極の力で、断固と勝ち抜け! と。
「蔵の財」や「身の財」は、時とともに移ろいゆくものだ。
三世永遠の妙法を受持して積み上げた「心の財」だけは、決して崩れない。ゆえに、わが創価の同志こそ、一閻浮提で最も「心富める人」なのだ。今、「百年に一度」という金融危機のなか、慌ただしい年の瀬を迎えて、必死の奮闘をされている方々が、多くおられるに違いない。
ご苦労は、私にも痛いほどわかる。経済不況に悪戦苦闘される同志の苦衷は、わが胸を掻きむしられるように迫ってくる。
私自身、戸田先生のもとで、絶体絶命の事業の苦境を、ただ一人、師子奮迅で支え、打開してきたからだ。
「何なる世の乱れにも各各をば法華経・十羅刹・助け給へと湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く強盛に申すなり」(同一一三二ページ)
妻と二人して、この御聖訓を心肝に染め、多くの大切な同志のため、一心不乱に題目を送り続けている。

続く 上-4
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随筆 人間世紀の光 173 広布の賢者の壮年部 上-2

08年12月17日 聖教新聞 随筆 人間世紀の光 173 
広布の賢者の壮年部 上-2  山本 伸一

銀杏には、約二億年もの歳月を生き抜いた生命力がみなぎっている、とさえ言われてきた。
恐竜の時代から繁栄し、氷河時代も乗り越えた。現存する最も古い植物の一つであり、「生きている化石」とも呼ばれてきた。害虫にも病気にも負けぬ、不思議な力を持っている。数多の公害にも強い。
なんと偉大な樹木であろうか!
「銀杏の葉を本に挟んでおくと、紙魚虫(しみむし)を寄せ付けない」と聞いた青春時代の思い出も、懐かしく蘇ってくる。終戦後まもない秋の日、私は、この外苑で拾った三葉の銀杏の葉を、手にしていたホイットマンの詩集『草の葉』に、栞の代わりに挟んだ。
銀杏の栞は、この愛読書とともに、常に私の座右にあった。
銀杏の原産地は中国だ。
「公孫樹」(いちょう)と書かれる場合もある。
そこには、自らが植えた銀杏の実を収穫するのは、孫の代になるという意義が込められていたようだ。
かつて読んだ、その話が、今でも深く、私の心に残っている。
「公孫樹」──その名は、"自分のためではなく、未来の世代のために生き抜くのだ! わが生命力を発揮して、歴史をつくるのだ!"と語りかけているような気がしてならない。
銀杏の大樹を見れば、この木を植え、手入れをし、大切にしてきた先人たちの深き心が偲ばれる。
私は東京生まれである。東京都の木が銀杏であることは、若い時から誇りに思ってきた。さらに、縁深き大阪府と神奈川県の木も、同じく銀杏であることを、嬉しく伺った。
海に臨む神奈川文化会館の前を走る山下公園通りの銀杏並木は、「日本の道百選」にも選ばれている。
仙台市の東北文化会館を荘厳する銀杏並木も、天空を突いて伸びてきた。
「一株の大公孫樹(おおいちょう)が、澄みきった空に黄金色の大きな手をさし上げて、巨人のごとく立っている」
これは、東北の歌人・石川啄木の感慨であった。
私には、風雪を勝ち越えた、各地の黄金柱たる壮年部の友が思い起こされるのだ。
以前、私は、外苑の銀杏並木を擁する東京・港区で健闘される壮年部の友に、一文を書き贈った。
 ──寒風に堂々たる根を張る銀杏の如く
堂々たる信心で人生栄光の強き根を!

続く 上-3
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随筆 人間世紀の光 173 広布の賢者の壮年部 上-1

08年12月17日 聖教新聞 随筆 人間世紀の光 173 
広布の賢者の壮年部 上-1  山本 伸一

厳たれ!師弟不二の黄金柱
「心の宝」は不滅 君よ断じて負けるな!

 嵐にも
  そして吹雪も
   恐れざる
  大樹に育てと
    君を見つめむ

これは、病に倒れた若き友に贈った一首である。
闘病の報告の手紙を受け取ると、私は、すぐに筆を執り、励ましたのである。
彼は病気を乗り越え、今、確かに大樹となった。優秀にして慈愛深き大指導者となって、指揮を執っている。
ともあれ、春夏秋冬の絵巻にあって、桜とともに、ひときわ鮮烈な光彩を放つ生命が、銀杏といっていいだろう。寒風のなか、金色に輝きながら、一年の総仕上げの時を告げてくれる。
この銀杏を仰ぐと、壮年部の方々の美事なる王者の風格を見る思いがする。
学会本部の近くには、東京の名所として愛される、外苑の銀杏並木がある。
この外苑の銀杏は、今年、満百歳を迎えた。
人びとは、毎日、この道を通る。この偉大なる樹木の景観を仰ぎながら、見つめながら、語りながら、通る。
私にとっても、忘れ得ぬ道である。否、忘れることのできぬ、輝く歴史の道である。
この百四十六本の並木の造成を指揮したのは、「日本近代造園の師」と謳われる折下吉延(おりしもよしのぶ)氏であった。
木々の高さも、道の勾配に合わせて絶妙に整えられており、その遠近法を用いた景観は、世界的に有名だ。
一九九九年には、この外苑の銀杏が、ドイツの名門フンボルト大学の銀杏の古樹に「接ぎ木」された。
これは、統一ドイツの新首都ベルリンヘの遷都を記念した、都市緑化事業の一環である。
銀杏の葉は「知者の心をよろこばす」と歌ったのは大文豪ゲーテであった。東洋から伝来した銀杏は、ゲーテの家の庭の四季も彩ったようだ。
今、わが創価大学では、桜と銀杏の並木道「創大シルクロード」の整備が進んでいる。
やがて、この道を、若き二十一世紀のゲーテたちが大樹を仰ぎ見ながら、語らい歩みゆくことであろう。

続く 上-2へ
posted by ハジャケン at 21:15| ☔| 随筆人間世紀の光 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする