2011年08月24日

8月24日 壮年部の日 (池田先生の入信記念日)

8月24日 壮年部の日 (池田先生の入信記念日)

池田先生は、随筆、新・人間革命で、こうおっしゃっています。(抜粋)

 その日の夜は、静かであった。家々も夜の食事が終わったのであろう、
静かであった。昭和22年8月14日。薄暗い道を、幾人かの人びとが一
軒の家をめざして、勇んで急いでいた。それは、大田の糀谷(こうじや)
の三宅宅での座談会に出席するためであった。それから早くも55年の時
が流れている。この日が、私の人生の「運命の1日」となったといってよ
い。その日は、戸田城聖先生に創価学会への入会を誓い、約束する日とな
ったからである。そして、10日後の8月24日に、私は入信したのであ
る。あの座談会の日、私は19歳であった。三世に流れゆく厳粛な一時で
あった。戸田先生の弟子となりて、広宣流布にこの身を捧げる決意をした
弟子の誓いの日である。希望の人生を生き抜く一番星たる羅針盤を求めて
いた私は、「生命哲学」の会合だという親しき友人の言葉を信じ、意味の
わからぬままに座談会へ向かった。玄関で靴を脱ぐと、幾分しゃがれた闊
達な声が、奥から聞こえてきた。初めて接する、戸田城聖先生の謦咳(け
いがい)である。それは「立正安国論」の講義であった。日蓮大聖人が、
平和社会の実現へ、大哲学の樹立を宣言された一書である。戸田先生が注
がれた、警世(けいせい)の情熱そのものの講義であった。日蓮仏法の真
髄の師子吼であった。古い、死せる仏教では断じてなかった。生き生きと
した大確信と躍動感にみなぎった、光り輝く未来への大道が開けていた。

 日本の敗戦は、昭和20年8月15日だが、国として「ポツダム宣言」
を受諾し、戦争の終結を最終決定したのは前日の14日である。いわば、
世界をしらぬ島国根性の軍国日本の瓦解(がかい)が決まった日である。
多くの自由主義者、正しき人生観を信念として生き抜いてきた平和主義者
への残酷な仕打ちの連続の日本列島であった。傲岸にも、アジアの国々を
侵略した、帝国主義の傲慢無礼な振る舞いを、「自由と解放のために聖戦
を開始した」などと仮面をかぶり、欺瞞(ぎまん)の喧伝(けんでん)を
した、狂気じみた悪国日本の幼稚さよ。その2年後の同じ日、みじめな敗
北の日本で、「平和の大哲学」を高く掲げ、新しき民衆大運動たる広宣流
布という大闘争を開始されていた戸田先生と、私は燃える魂をいやがうえ
にも燃え上がらせながら、当然のごとく出会ったのである。
 奇しくも、同じ晩、それは仏教の発祥の地であるインドの独立前夜のこ
とであった。8月14日の深夜、独立インドのネルー初代首相は、ニュー
デリーの国会議事堂で演説した。「世界が寝静まるとき、夜半の鐘が鳴る
と同時に、インドは生命と自由に向かって目覚めるであろう。(中略)そ
の時、私たちは古きものより新しきものへと一歩を踏みだす」(中村平治
訳)「月氏の国」インドの民衆が、自由に対して目を開こうとしていた時
私は「太陽の仏法」の光を初めて浴びた。私の若き生命も、また、目を覚
ましたのである。

 「立正安国論」の講義が終わると、懇談に移った。戸田先生は、仁丹を
噛みながら、全く構えるところのない自然体である。形ばかりの宗教家や
政治家のような、あの権威ぶった、人びとを見下ろす傲慢さとは全く違う
自然体であられた。初対面の私も、若き心のままに質問をさせていただい
た。「先生、正しい人生とは、いったい、どういう人生をいうのでしょう
か」少々、思い詰めた声であったかもしれない。
 太平洋戦争が勃発した年、私は13歳だった。終戦時は17歳である。
人生で最も多感な時期が、黒く厚い戦雲に覆われていた。さらに私は、結
核にも侵されていた。「外からは戦争」、「内からは結核」。常に背中に
「死の影」が張りついていた。そして、敗戦によって、それまでの国家観
や人生観は完全に崩れ去った。いったい、真実の人生とは何か!この生命
を何に使えばよいのか!戸田先生からは、確信に満ちた、明快な答えが返
ってきた。理論の遊戯や話の焦点をぼかす欺瞞(ぎまん)は少しもない。
青年を愚弄する大人に嫌気がさしていた私は感動した。戦争を賛美しなが
ら、戦後、手のひらを返すように平和主義者に豹変した政治家や知識人に
も辟易していた。戸田先生が軍部政府の弾圧を受け、2年間、投獄されて
いた事実は、私が師事する決定的な理由となった。私自身、もし再び戦争
が起きたら、牢獄に入ってでも抵抗する覚悟の人間でありたかった。いか
なる権力の横暴にも屈せぬ勇者として生きたかった。そのための実践哲学
を求めていたのである。55年前、私は、人生の道を模索する、平凡な青
年の1人にすぎなかった。その私が、師弟の道に徹したからこそ、最高無
上の「正義の人生」を生き抜くことができたと確信している。

 ここまでは、池田先生と戸田先生の出会いを中心に述べさせていただき
ました。8月24日、壮年部の日は、昭和51年に池田先生の入信記念日
をもって決定されました。戸田第2代会長の薫陶の下で、師弟の道を厳然
と切り開いて来られた池田先生の、骨身を削る激闘を範として、私達壮年
部は、師弟の道に生きることを誓いあい、創価の時代にふさわしい、新聞
啓蒙、対話拡大の大前進をしてまいりましょう。

posted by ハジャケン at 10:19| 山梨 ☁| 池田大作の軌跡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月14日

8月の広布史 池田名誉会長 入信記念日

8月の広布史 池田名誉会長 入信記念日

戸田城聖第二代会長との運命的出会い
8月24日は、池田名誉会長の入信記念日です。戦後間もない1947(昭和22)年のこの日、当時19歳だった池田青年は信仰の道に入りました。
その10日前の8月14日の午後8時ごろ、池田青年は、小学校時代の同級生に誘われて、東京の蒲田で開かれた学会の座談会にはじめて出席しました。
暗い夜道を抜けて座談会の会場に到着すると、部屋の中から御書(立正安国論)を講義する凛とした声が聞こえてきました。その声の主こそ、当時理事長だった戸田城聖第二代会長でした。

「この人なら信じられる」と決意
講義の終了後、人生に対する確かな答えを渇望していた池田青年は、一人立ち上がり、戸田理事長に「正しい人生とはなにか?」などいくつか質問をします。一青年の質問の一つ一つに、真剣に、明快に答える戸田理事長の確信に満ちた言葉に心を打たれた池田青年は、その場で即興の詩を朗唱しました。「旅びとよ/いずこより来(きた)り/いずこへ往(ゆ)かんとするか/月は 沈みぬ/日 いまだ昇らず/夜明け前の混沌(カオス)に/光 もとめて/われ 進みゆく/心の 暗雲をはらわんと/嵐に動かぬ大樹を求めて/われ 地より湧き出(い)でんとするか」
池田名誉会長は当時を振り返り、つづっています。「この時、私は深遠な仏法の哲理を、十分に納得できたわけではない。家族も大反対であった。ただ私は、表層の次元を超克して、戸田城聖という人格に魅了されてならなかったのである」
その10日後の8月24日、池田青年は創価学会に入信しました。

sokaonline 広布史より
posted by ハジャケン at 09:56| 山梨 ☁| 池田大作の軌跡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月14日

若き指導者は勝った 嵐に負けない水の信心

嵐に負けない水の信心

信心だけは絶対に負けてはいけません。仏法は勝負です。題目をあげて、あげて、あげ抜きなさい。信心の団結があるところ、必ず勝利があります。
    ◇
この信心は絶対です。どれほど社会的な地位があっても、名誉があっても、御本尊を拝する信仰者には、かないません!
    ◇
もし信心していない人に「信心してください」と頭を下げて頼むような人が、大阪に一人でもいてはいけません!もし、そんな組織があれば、担当の幹部は責任を取って辞めてもらっていいほどです。いいですか!
    ◇
水の如き信心って分かるかい?
平らな川の水の流れではない。嵐の中の怒涛が大きな岩にぶち当たり、その岩を乗り越えていくような信心だ。難を乗り越える信心をしていきなさい。
    ◇
さあ、勇気を出して、出かけましょう!
    ◇
そうですか。選挙活動は自由です。ご自分でお決めください。どうか後悔のない活動をしてください。


【若き指導者は勝った 池田大作―その行動と軌跡 第16回】聖教新聞09・1・31
posted by ハジャケン at 01:40| ☔| 池田大作の軌跡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月12日

「幸福とは何か」

☆無理なく、自然に、平和に関わっている

会長就任直後の1960年代初頭。あるルポライターの取材を受けた。
焦点は「幸福とは何か」。
「では池田会長、その絶対的な幸福とは、創価学会に入る以外ないというんですか」大きく手を振った。
「そんな手前ミソを言うつもりはありませんよ」
だが絶対的というからには、よほどの頭脳や経済力、精神力などが必要だ。それこそ超人的な能力が。
ライターの疑念を打ち消すように、会長は語気を強めた。
「仏法には、そういう無理がないんですよ。人間とは何か。何をなすべきか。それを極めて合理的に無理なく説ききっている」
はっとした。
仏法には無理がない。
インタビューの核になる言葉だった。
「だから誰もが生きる目的をもち、強くなれる。主体的に自らの宿命を転換していけるようになる。そうした個々の宿命転換の総和が、自然と、社会、国、人類の平和につながっていく」           
学会員は超人的な活躍などで平和運動を進めているわけではない。無理なく、自然に、己の生き方の延長として、いつの間にか平和というテーマに関わっている。そんなケースが圧倒的に多い。――ドキュメント企画「池田大作の軌跡」平和・祈りと行動(潮 9月号)


☆ 平和の素晴らしさを次代へ伝えたい

「誰も私のことなんかわかってくれない」「自分は不幸だ」……。人間は自分のことばかり考えている時が実は一番辛い。そんな時でも他人のことを思いやれれば、心のゆとりが生まれる。新しい自分を発見できます。ところが今日の教育は競争がベースにあり、「自分よりも他人」という大切な考え方が育ちにくい。私が常に三人の息子たちに訴えてきたひとつは、「人のために何ができるかを考えられる人になってほしい」ということでした。
平和運動といってもその基本は毎日の暮らし、子育てにあると思います。その担い手こそが母です。身近な夫と子どもたちに平和への思いを託すことができるのですから。その理想の姿を世界に示してきたのが、私は日本の母たちだと確信します。(中略)
日本の母たちが守り、伝えてきた平和の素晴らしさを、次代に伝えていくのが私たちの世代です。私は母や祖母たちができたことを今のお母さんたちができないはずはないと信じています。――アグネス・チャン(日本ユニセフ協会大使、歌手、エッセイスト、教育学博士)
posted by ハジャケン at 17:56| ☔| 池田大作の軌跡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月29日

嵐に負けない水の信心

嵐に負けない水の信心

信心だけは絶対に負けてはいけません。仏法は勝負です。題目をあげて、あげて、あげ抜きなさい。信心の団結があるところ、必ず勝利があります。
    ◇
この信心は絶対です。どれほど社会的な地位があっても、名誉があっても、御本尊を拝する信仰者には、かないません!
    ◇
もし信心していない人に「信心してください」と頭を下げて頼むような人が、大阪に一人でもいてはいけません!もし、そんな組織があれば、担当の幹部は責任を取って辞めてもらっていいほどです。いいですか!
    ◇
水の如き信心って分かるかい?
平らな川の水の流れではない。嵐の中の怒涛が大きな岩にぶち当たり、その岩を乗り越えていくような信心だ。難を乗り越える信心をしていきなさい。
    ◇
さあ、勇気を出して、出かけましょう!
    ◇
そうですか。選挙活動は自由です。ご自分でお決めください。どうか後悔のない活動をしてください。


【若き指導者は勝った 池田大作―その行動と軌跡 第16回】聖教新聞09・1・31
posted by ハジャケン at 10:38| ☔| 池田大作の軌跡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月09日

池田大作の軌跡 14 正義の神奈川

平和と文化の大城 池田大作の軌跡
ドキュメント企画・連載第14回

正義の神奈川――「私の舞台は、海の向こうだ」(一部抜粋をご容赦)

「正義」と大書した思いを胸に、世界へ。会員の中へ。会長勇退後、横浜は、再び船が出航していく母港となった。


▼四半世紀を経て公にされた「正義」の書。

 ◇時が来たら出す

「用意できているね。じゃあ、見せて」
スピーチの途中で、池田大作SGI(創価学会インタナショナル)会長が、ぱっと流れを変えた。
創価文化会館(東京・信濃町)の前方で、数人の青年が立ち上がる。慎重な手つきで、一本の巻軸を広げはじめた。
学会の各部代表者会議。参加者が何事かと凝視する。するすると軸がほどかれていく。大きさは畳一畳ほどもあろうか。
「私が神奈川で書きました。きょう、はじめて皆さんにお見せします」
ひときわ高く掲げられた。
 「正義」
静まっていた場内に、感嘆の声が上がる。
これか! これが、あの揮毫か!
第三代の会長を勇退した直後の一九七九年(昭和五十四年)五月五日、神奈川文化会館で筆を執ったと聞く……。
「正義」と大書したのち、そばにいた者に厳命している。
「書いたことは、まだ言ってはならない。時が来たら出す」
珍しいケースである。池田会長の書は、趣味や鑑賞のためなどではない。会員を励まし、希望を贈るために書く。その場で、どんどん披露もしていく。
しかし「正義」の書は例外だった。
通常の揮毫とは明らかに異なる意図が込められていた。
――創価文化会館で、池田会長が自ら「正義」の書を公にしたのは、それから四半世紀が過ぎた二〇〇四年十月二十八日だった。


◇「正義」の大書

神奈川文化会館の執務室に、和紙、大小の筆、墨汁、文鎮が用意されたのは、一九七九年五月五日の午後である。
何か大切な書き物があるのではないか。指示通り、一式そろえた職員には、予感めいたものがあった。
和紙の大きさは畳半畳もある。職員がすった墨汁も大量である。
最高幹部に対して、ことのほか厳しい時期だった。
「私の言っていることは、すべて戸田先生が言われていたことだ!」
師弟を分断する。会員をいじめる。正義をゆがめる。詳しくは、また語るべき時があろう。会長勇退後の学会は、絶体絶命の淵にあったと言ってよい。
池田会長は和紙を前にした。
この日、複数の揮毫を残している。「共戦」とも大書している。
新たに、真っ白な紙が置かれた。
たっぷりと墨汁を染みこませ、筆先を丹念に整えた。ひと呼吸置いてから、一気に筆を走らせた。
「正義」とあった。

池田大作の軌跡 14回
前半と後半最後のみの一部掲載です。


posted by ハジャケン at 16:45| ☔| 池田大作の軌跡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月11日

【池田大作の軌跡】潮08・11号 仏法は感傷ではない

仏法は感傷ではない

「だれが幸福にしてくれるのか。だれもしてくれない。政治も、科学も、幸福を与えてくれない」

「不幸な人、虐げられている人が、可哀想だからといって、いつまでも一緒に泣いていてどうなるというのか?それでは、ただの安同情だ。仏法は感傷ではない。大事なのは現実だ。どう宿命に打ち勝つか。どう局面を開くかだ」

「私は仏法の指導者だ。相手に同情して、ともに泣くより、どうすれば相手が立ち上がれるかを具体的に考える。それが指導者として『責任を果たす』ことである」

「幸せになり切るんだよ。『なる』じゃないよ。『なりきる』んだよ!」

【池田大作の軌跡】潮08・11号
posted by ハジャケン at 11:14| 🌁| 池田大作の軌跡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする