2014年08月06日

数が増えるだけでは虱の集団と同じになってしまう









一番怖いのは、先生への恩が遠ざかること。
頭では、先生、先生と言いはるのだが
時代が、どんどん変化していくからだろうか
こころまで・・・

組織ではない、我が師匠のご指導を心肝せねば

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2013年05月18日

三代の師弟ありてこそ学会はここまで世界的に

三代の師弟ありてこそ学会はここまで世界的に

戸田先生は、弟子の姿勢について、こう訴えておられた。「師匠の話を全身で受け止め、信仰の上でも、生活の上でも、信・行・学を実践していくべきである」

「牧口先生の話を話として聞いては駄目で、耳でなく、また頭でもなく、体で聞くという態度でなければなりませぬ」

私もまた、戸田先生が言われる一言一句を全身で受けとめ、そのまま実践してきた。すべてを実現した。先生は、周りの幹部に言われていた。

「大作を見よ!」
「大作は一を聞いて百を知る。お前たちは何十ぺん聞いてもわからない。格段の差だ」
 
先生が、どれほど私を大事にしてくださったか。私は体が弱く、医者からも30歳までしか生きられないと言われた。先生は、「大作さえ健康でいてくれたら! 」と何度も言っておられた。

ある時は、私の妻の実家を訪れて、“大作には本当に苦労ばかりかけてしまった。
大作がいなければ、学会の将来は真っ暗だ”と大泣きして語られた。こういう師弟だった。師弟不二だった。

どんなことがあっても、大作を丈夫にして、第3代の会長にしたい ── これが先生の思いだった。昭和32年(1957年)の大阪事件で、私が大阪へ向かう途中、羽田空港で先生は言われた。

「もしも、お前が死ぬようなことになったら、私もすぐに駆けつけて、お前の上にうつぶして一緒に死ぬからな」本当にありがたい師匠であった。

創価の三代の師弟ありてこそ、学会はここまで世界的になった。あらゆる迫害をは
ねのけて、未曾有の大発展を遂げたのである。この一点を断じて忘れてはならない。未来のために、強く訴えておきたい。

//////////
御指導を からだで聞く!ここでしょうね。
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戸田先生指導「広宣流布とは会員の拡大だけではない」

戸田先生指導「広宣流布とは会員の拡大だけではない」

広宣流布とは、学会員の拡大を意味するだけではない。社会的な腐敗を正し、民衆が主役の時代を開くために、政治や教育、芸術など、あらゆる分野に進出し、妙法の人間主義を開花させることである。

/////
目が覚めた思いです。
もっともっと 戸田先生・池田先生の御指導を心肝せねば、
迷える宗教、信心になってしまう!
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2011年11月16日

同志の歌

同志の歌

   詞 戸田城聖  原曲 三高寮歌

我いま仏の 旨をうけ
妙法流布の 大願を
高くかかげて 独り立つ
味方は少なし 敵多し

誰をか頼りに 闘わん
丈夫の心 猛けれど
広き戦野は 風叫ぶ
捨つるは己が 命のみ

捨つる命は 惜しまねど
旗持つ若人 何処にか
富士の高嶺を 知らざるか
競うて来たれ 速やかに

       1946.5

/////////////
私は、まったくしらない。知らないが
聞けば聞くほど、胸が熱くなってしまう。

これこそが、今日の創価学会の原点になりえる歌でもあり、戸田先生の一歩でしょうか。

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2011年09月08日

原水爆禁止宣言1957−9−8

原水爆禁止宣言1957−9−8

 天竜も諸君らの熱誠にこたえてか、昨日までの嵐はあとかたもなく、天気晴朗のこの日を迎え、学会魂を思う存分に発揮せられた諸君ら、またそれにこたえるこの大観衆の心を、心から喜ばしく思うものであります。さて、今日の喜ばしさにひきかえて、今後も、当然、難があるであろう。あるいは、わが身に攻撃を受けることも覚悟のうえであるが、諸君らに今後、遺訓すべき第一のものを、本日は発表いたします。

 前々から申しているように、次の時代は青年によって担われるのである。広宣流布は、われわれの使命であることは申すまでもない。これは、私たちが絶対にやらなければならなぬことであるが、今、世に騒がれている核実験、原水爆実験にたいする私の態度を、本日、はっきりと声明したいと思うものであります。いやしくも、私の弟子であるならば、私の今日の声明を継いで、全世界にこの意味を浸透させてもらいたいと思うのであります。

 それは、核あるいは原子爆弾の実験禁止運動が、いま世界に起こっているが、私はその奥に隠されているところの爪をもぎ取りたいと思う。それは、もし原水爆を、いずこの国であろうと、それが勝っても負けても、それを使用したものは、ことごとく死刑にすべきであるということを主張するものであります。なぜかならば、われわれ世界の民衆は、生存の権利をもっております。その権利をおびやかすものは、これ魔ものであり、サタンであり、怪物であります。それを、この人間社会、たとえ一国が原子爆弾を使って勝ったとしても、勝者でも、それを使用したものは、ことごとく死刑にされねばならんということを、私は主張するものであります。

 たとえ、ある国が原子爆弾を用いて世界を征服しようとも、その民族、それを使用したものは悪魔であり、魔ものであるという思想を全世界に広めることこそ、全日本青年男女の使命であると信ずるものであります。願わくは、今日の体育大会における意気をもって、この私の第一回の声明を全世界に広めてもらいたいことを切望して、今日の訓辞にかえるしだいであります。

於 神奈川県横浜市三ツ沢陸上競技場

創価学会第二代会長  戸田城聖先生

 宣言は終わった。大拍手がわき起こった。感動の渦が場内に広がっていった。

 戸田城聖がこの原水爆禁止宣言をもって、遺訓の第一とした意味は深い。日蓮大聖人の仏法が、人間のための宗教である限り、「立正」という宗教的使命の遂行は、「安国」という平和社会の建設、すなわち人間としての社会的使命の成就によって完結するからである。

 戸田は、原水爆の背後に隠された爪こそ、人間に宿る魔性の声明であることを熟知していた。そして、その魔性の力に打ち勝つものは、仏性の力でしかないことを痛感していたのである。原水爆を作り出したのも人間なら、その廃絶を可能にするのも、また人間である。人間に仏性がある限り、核廃絶の道もかならず開かれることを、戸田は確信していた。

 その人間の仏性を信じ、仏性に語りかけ、原水爆が「絶対悪」であることを知らしめる生命の触発作業を、彼は遺訓として託したのである。

 以来、この宣言は、創価学会の平和運動の原点となっていった。
(人間革命第12巻 宣言)
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2011年08月08日

原水爆禁止宣言

原水爆禁止宣言
創価学会第二代会長 戸田城聖


 天竜も諸君らの熱誠にこたえてか、昨日までの嵐はあとかたもなく、天気晴朗のこの日を迎え、学会魂を思う存分に発揮せられた諸君ら、またそれにこたえるこの大観衆の心を、心から喜ばしく思うものであります。さて、今日の喜ばしさにひきかえて、今後も、当然、難があるであろう。あるいは、わが身に攻撃を受けることも覚悟のうえであるが、諸君らに今後、遺訓すべき第一のものを、本日は発表いたします。

 前々から申しているように、次の時代は青年によって担われるのである。広宣流布は、われわれの使命であることは申すまでもない。これは、私たちが絶対にやらなければならなぬことであるが、今、世に騒がれている核実験、原水爆実験にたいする私の態度を、本日、はっきりと声明したいと思うものであります。いやしくも、私の弟子であるならば、私の今日の声明を継いで、全世界にこの意味を浸透させてもらいたいと思うのであります。

 それは、核あるいは原子爆弾の実験禁止運動が、いま世界に起こっているが、私はその奥に隠されているところの爪をもぎ取りたいと思う。それは、もし原水爆を、いずこの国であろうと、それが勝っても負けても、それを使用したものは、ことごとく死刑にすべきであるということを主張するものであります。なぜかならば、われわれ世界の民衆は、生存の権利をもっております。その権利をおびやかすものは、これ魔ものであり、サタンであり、怪物であります。それを、この人間社会、たとえ一国が原子爆弾を使って勝ったとしても、勝者でも、それを使用したものは、ことごとく死刑にされねばならんということを、私は主張するものであります。

 たとえ、ある国が原子爆弾を用いて世界を征服しようとも、その民族、それを使用したものは悪魔であり、魔ものであるという思想を全世界に広めることこそ、全日本青年男女の使命であると信ずるものであります。願わくは、今日の体育大会における意気をもって、この私の第一回の声明を全世界に広めてもらいたいことを切望して、今日の訓辞にかえるしだいであります。


1957年9月8日
於 神奈川県横浜市三ツ沢陸上競技場
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2011年04月24日

戸田先生指導、 昭和31年8月31日本部幹部会

戸田先生指導、 昭和31年8月31日本部幹部会・抜粋(組座談会で戦おう) T下 p244

法華経のなかに「法華経をたもつものあれば、立って仏がきたように迎えをせよ」と言われている。いったい、3人だって同志がおったら、喜んで話あって帰ってこなければならない。たったひとりでもいい、ひとりでも、そのひとりの人に、ほんとうの妙法蓮華経を説く。たったひろりでも、自分が心から話し合い、ふたりでもいい、感激し合って帰るくらいの座談会にしてほしい。たったひとりでも聞いてくれる者がある。ひとりの人に会えばよいのである。
支部長が腹をたてようと、地区部長がむくれようと、ご本尊様がお喜びになれば、それでいい。それを、さも自分の地区の名誉だとか、あるいは地区部長が偉いとか、そんなことは問題ではありません。そんなことを威張っても、ご本尊様はおほめになりません。最後までわれわれの頭にあるのは、ご本尊様、ご本尊様がお喜びくださった。きょうはたったひとりのおばあさんと話し合ってみる。あのおばあさんが喜んで帰った、ああよかったな、こういうことになる。それでいい。
形式に流されてしまいましてね。地区部長さんをお迎えするとか、支部長さんがいくからと、支部長さんをお送りしなければだめだとか。じょうだんではないよ。地区部長や支部長はなにも偉くないのだ。会長だって偉くないのだ。人間ではないか。なんにも偉いって、特別に偉い者がいるわけではない。あなた方も幹部になった以上は、もう腹を決めて、本当の修行を組座談会でしてください。相して本当に苦労した地区部長、ほんとうにみがきあげた幹部、そういうものに、一人ひとりがなっていただいて、おほめ下さるのは、ご本尊様。支部長なんかにほめられているなんて思っているのはバカだぞ。支部長なんかにロクなのはいないから、支部長なんかにほめられるのはなんでもない。犬のしっぽのしっぽのほうだから。おせじさえ言えばほめるんだから。そういう、たいてい頭のわるいのが支部長になるに決まっているのだ。そういうのを見習って、地区部長も頭のわるいのに決まっているのだ。
断じて人間にほめられてはいかん。ご本尊様にほめられるようになるうではないか。また人間に、いくら悪く言われても、人間にいくらしかられても、ご本尊様にしかられないようにしようではないか。
posted by ハジャケン at 13:14| 山梨 ☔| 戸田先生 御指導 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月14日

「宗教の正邪批判の方法」

「宗教の正邪批判の方法」  戸田先生の指導より

日蓮大聖人いらい、宗教の正邪を決定する理論は、はっきり打ち立てられている。すなわち、文証・理証・現証が、いずれも正しいということが必要である。
文証においては、種々の議論はあろうが、大聖人の所立(しょりゅう)の五重の相対において、明らかにせられていることは、周知の事実である。しかし、理証においては、人各々、我慢を立てて、正しい理論に屈服しようとしない。
されば、各宗各々間違われている文証や、少し仏法の理論を研究した者には、聞いてもおかしいと思われる理論をもって、世人を惑わしている者が大部分を占めている。
それは、現代人に、仏教上の素養が皆無なためである。
相当の知識人と誇る者ごときも、この類(たぐい)に属するものが多い。

吾人が、ある日、宗教関係の役人に「今、日本には、人生を不幸にする宗教が、非常に多い。正邪を正しく批判して、邪宗のものは、これを撲滅するようにしてはどうか」と話したら、
役人いわく「それは、お釈迦様でなければ、わからんでしょうね」と。ああ、これが一般社会の通念なのである。到底、自分らの手では、宗教の正邪は判断できないと、あきらめきっているのである。
正邪がわからないから、宗教はなんでもよいという思想が、生まれてくるのである。

このゆえに、邪義邪宗のやからが、末法の愚人をたぶらかして、かれらの膏血(こうけつ)をしぼり、しかも、その生命力を奪い、不幸のどん底へ、落とし込んでいるのである。ここに「道理証文よりも現証にはすぎず」(御書全集1468ページ)との、宗教批判の根本問題が、考えられてくる。

科学者が、その研究の対象を、感情や利害を離れて、これを静視して科学するがごとく、吾人らも、宗教現象を科学するべきである。統計によって、いかなる無知なものも、宗教の正邪を、はっきりと判定できるはずだ。

宗教というものが、人間生活の幸不幸の根底であることが、判然とするであろう。
また、正しい宗教では、強信な者は幸福となり、その反対の物は不幸になり、邪宗の輩は、その信心の強い者は不幸になり、弱い者はそれほど不幸にならぬことがはっきりするであろう。
しかし、一般大衆は、これほどの科学的な意識がなくても、なんとはなしに、この結論を感得(かんとく)することは、否めない事実である。
結論していわく。かくのごとき現証をもって、日蓮正宗と戦わんとする宗教あらば、吾人は、喜んでこれと法戦を交え、鎧袖一触(がいしゅういつしょく)、直ちにこれを粉砕するであろう。

昭和30年10月1日
大白蓮華 巻頭言
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2010年08月15日

生き生きと進もう!

生き生きと進もう!

生き生きとしていなければ、連帯の強さは生まれない。
とくにリーダーは、草創期のような燃える息吹が
なければならない。
戸田先生は言われていた。
「学会は、人材が、どんどん抜擢されるような、
生き生きとした組織でなければならぬ」
そのためにも、大事なのはリーダーの成長だ。
皆と協議をする場合にも、そっけない、機械的な
言い方はいけない。それでは心に入らない。
わかりやすく、ていねいに説明し、「これで、
よろしいでしょうか」と声をかける。それでこそ
皆が安心する。独善になってはいけない。

戸田先生は本当に鋭かった。
急所を見逃さない。いつも「陰の人」を大切にされた。
「陰の力」がどれだけ大事か。
たとえば、会社でいえば、経理や人事。
目立たなくとも、一番の要であり、死活にかかわる
立場である。先生は、陰で真剣に戦う人こそ、
ほかのだれよりも大事である、大功労の人である、
しっかり頼むと励まされた。
私たちも、広布を支えるすべての友に、心からの賞讃と
感謝を捧げてまいりたい。

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2010年07月18日

戸田先生指導 境智冥合

戸田先生指導  
昭和28年5月24日仙台支部総会・抜粋 T上 p182

地球は一日一回転してとまらない。とまったらたいへんだ。われわれはみんなふっ飛んでしまう。地球は、、太陽のまわりを三百六十五日五時間五十四分という力でまわっているのです。ここに木の葉を落とすまいと思っても、自然に落ち、木も変化します。
世の中には、変化しないものは絶対にない。ことごとく変化し、変わらざるを得ぬのが実相である。これが、一念三千の一念と関係がある。如是相、如是性、如是体、変化相、変化性、変化体しかみえない。この事実は、説明しようがない。これを公理という。どうして世が変化するかは、事実が証明である。公理である。変化することのありのままを認めたら、そうさせる大もとはなにかということになる。万物を変化させねばならないものがある。この万物を変化させる根本の実体を、南無妙法蓮華経といい、そのように変化していく力自体を、御自分の力となされた方を、仏という。いっさい衆生を変化させる側を寂照といい、その力を見出されたお方は、ただひとりのみであり、その大生命力そのまま、紙に写されたのが大御本尊様である。生命力を変化させる力がこもっているのである。
紙に書いた字ほど恐ろしいものはない。わたくしのところに、英語で今晩殺すと手紙がきても、少しも驚かない。また、ドイツ語であす一千万円あげるときても、少しもうれしく思わん。なんとなれば、読めないからである。
みんなも、わからないのであるから、しかたがないから、疑うことなくご本尊様を信じ、また末法の衆生にしんじさせるいがいにないのである。あなたたちに幸福をくださる、ぜっていのご本尊様です、宇宙の変化をおくせる根本の生命が、ご本尊様である。境智冥合して、生命が変化して功徳がでるのである。
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戸田先生指導(組座談会で戦おう)

戸田先生指導
昭和31年8月31日本部幹部会・抜粋(組座談会で戦おう) T下 p244

法華経のなかに「法華経をたもつものあれば、立って仏がきたように迎えをせよ」と言われている。いったい、3人だって同志がおったら、喜んで話あって帰ってこなければならない。たったひとりでもいい、ひとりでも、そのひとりの人に、ほんとうの妙法蓮華経を説く。たったひろりでも、自分が心から話し合い、ふたりでもいい、感激し合って帰るくらいの座談会にしてほしい。たったひとりでも聞いてくれる者がある。ひとりの人に会えばよいのである。
支部長が腹をたてようと、地区部長がむくれようと、ご本尊様がお喜びになれば、それでいい。それを、さも自分の地区の名誉だとか、あるいは地区部長が偉いとか、そんなことは問題ではありません。そんなことを威張っても、ご本尊様はおほめになりません。最後までわれわれの頭にあるのは、ご本尊様、ご本尊様がお喜びくださった。きょうはたったひとりのおばあさんと話し合ってみる。あのおばあさんが喜んで帰った、ああよかったな、こういうことになる。それでいい。
形式に流されてしまいましてね。地区部長さんをお迎えするとか、支部長さんがいくからと、支部長さんをお送りしなければだめだとか。じょうだんではないよ。地区部長や支部長はなにも偉くないのだ。会長だって偉くないのだ。人間ではないか。なんにも偉いって、特別に偉い者がいるわけではない。あなた方も幹部になった以上は、もう腹を決めて、本当の修行を組座談会でしてください。相して本当に苦労した地区部長、ほんとうにみがきあげた幹部、そういうものに、一人ひとりがなっていただいて、おほめ下さるのは、ご本尊様。支部長なんかにほめられているなんて思っているのはバカだぞ。支部長なんかにロクなのはいないから、支部長なんかにほめられるのはなんでもない。犬のしっぽのしっぽのほうだから。おせじさえ言えばほめるんだから。そういう、たいてい頭のわるいのが支部長になるに決まっているのだ。そういうのを見習って、地区部長も頭のわるいのに決まっているのだ。
断じて人間にほめられてはいかん。ご本尊様にほめられるようになるうではないか。また人間に、いくら悪く言われても、人間にいくらしかられても、ご本尊様にしかられないようにしようではないか。


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時代は変わっても、人間の心は進歩もあれば、停滞もあるのだろう。
戸田先生は、私達に何を言っているのでしょうか
信心のこと、師弟不二の心でしょうか。
御本尊、池田先生は、いつも見ておられる事を気づくべきでしょう。
先生は、けっして遠くに居るのでなく、常に私達を見ておられる
今一度、破邪顕正を思いだしていけなければ、広宣流布は進まないのではないか。それには、上も下もなく、内も外もなく、心の鍵を開く対話が必要でしょう。
活字も必要でしょうが、声、声仏事を為す!対話から
御書、先生の御指導を心肝するところから自分を見つめ正していきたいものだ。正義と勇気で!
posted by ハジャケン at 10:00| 山梨 ☁| 戸田先生 御指導 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月07日

9月8日 原水爆禁止宣言の日

生存の権利への脅威は“魔もの"

9月8日は「原水爆禁止宣言の日」です。1957(昭和32)
年のこの日、横浜・三ツ沢の競技場に5万人の青年が集って
開催された「東日本体育大会」の席上、戸田第二代会長は、
歴史的な「原水爆禁止宣言」を発表しました。戸田会長はま
ず「諸君らに今後、遺訓すべき第一のものを、本日は発表い
たします」と述べ「今、世に騒がれている核実験、原水爆実
験にたいする私の態度を、本日、はっきりと声明したい」
「私の今日の声明を継いで、全世界にこの意味を浸透させて
もらいたい」「核あるいは原子爆弾の実験禁止運動が、いま
世界に起こっているが、私はその奥に隠されているところの
爪をもぎ取りたいと思う」「われわれ世界の民衆は、生存の
権利をもっております。その権利をおびやかすものは、これ
魔ものであり、サタンであり、怪物であります」「(この)
思想を全世界に広めることこそ、全日本青年男女の使命であ
ると信じるものであります」と高らかに宣言しました。

核兵器の存在自体が“絶対悪"

この宣言を発表した当時、世界は冷戦の真っただ中で、大国が軍備拡大にしのぎを削り、原水爆は人類の未来に暗い影を落としていました。戸田会長による「原水爆禁止宣言」は、“核抑止論”に代表されるような、核兵器を正当化しようとする動きや考え方に対して、仏法の絶対平和主義に基づき、民衆の生存の権利を守るという立場から、核兵器の存在自体を「絶対悪」と断じ、その完全否定を宣言したものでした。 
池田名誉会長は宣言がもつ意義について「宣言の核心は、原水爆を使おうとする発想の背後に隠された『爪』、すなわち、人間のなかに巣くう“魔性の生命”に、鋭くメスを入れられたところにある」とつづっています。
1979(昭和54)年、「原水爆禁止宣言」を発表した横浜の地に、その平和思想をとどめるため、創価学会戸田平和記念館が設立されました
(sokanet)
posted by ハジャケン at 11:35| ☔| 戸田先生 御指導 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月06日

[再投稿]原水爆禁止宣言 戸田城聖第二代会長

原水爆禁止宣言 戸田城聖第二代会長

一九五七年九月八日  横浜 三ツ沢競技場に於いて
        
 天竜も諸君らの熱誠にこたえてか、昨日までの嵐はあとかたもなく、天気晴朗のこの日を迎え、学会魂を思う存分に発揮せられた諸君ら、またそれにこたえるこの大観衆の心を、心から喜ばしく思うものであります。
 さて、今日の喜ばしさにひきかえて、今後も、当然、難があるであろう。あるいは、わが身に攻撃を受けることも覚悟のうえであるが、諸君らに今後、遺訓すべき第一のものを、本日は発表いたします。
 前々から申しているように、次の時代は青年によって担われるのである。
広宣流布は、われわれの使命であることは申すまでもない。これは、私たちが絶対にやらなければならぬことであるが、今、世に騒がれている核実験、原水爆実験にたいする私の態度を、本日、はっきりと声明したいと思うものであります。いやしくも、私の弟子であるならば、私の今日の声明を継いで、全世界にこの意味を浸透させてもらいたいと思うのであります。
 それは、核あるいは原子爆弾の実験禁止運動が、今世界に起こっているが、私はその奥に隠されているところの爪をもぎ取りたいと思う。それは、もし原水爆を、いずこの国であろうと、それが勝っても負けても、それを使用したものは、ことごとく死刑にすべきであるということを主張するものであります。なぜかならば、われわれ世界の民衆は、生存の権利をもっております。その権利を脅かすものは、これ魔物であり、サタンであり、怪物であります。それをこの人間社会、たとえ一国が原子爆弾を使って勝ったとしても、勝者でも、それを使用したものは、ことごとく死刑にされねばならんということを、私は主張するものであります。
 たとえ、ある国が原子爆弾を用いて世界を征服しようとも、その民族、それを使用したものは悪魔であり、魔物であるという思想を全世界に広めることこそ、全日本青年男女の使命であると信じるものであります。願わくは、今日の体育大会における意気をもって、この私の第一回の声明を全世界に広めてもらいたいことを切望して、今日の訓示にかえる次第であります。
posted by ハジャケン at 12:33| ☔| 戸田先生 御指導 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月04日

青年訓

新しき世紀を創るものは、青年の熱と力である。
吾人らは、政治を論じ、教育を勘うる者ではないが、世界の大哲・東洋の救世主・日本出世の末法御本仏たる日蓮大聖人の教えを奉じ、最高唯一の宗教の力によって、人間革命を行い、人世の苦を救って、各個人の幸福境涯を建設し、ひいては、楽土日本を現出せしめんことを願う者である。
この事業は、過去においては、釈迦の教団が実行し、近くは、日蓮大聖人の教団が、勇ましく戦ったのである。
釈迦教団の中心人物たる舎利弗にせよ、阿難にせよ、みな若き学徒であった。
日蓮大聖人の門下も、また、みな若き学徒によって、固められていたのである。
日興上人は、大聖人より二十四歳も若く、日朗もまた、二十一歳の年のひらきをもっていた。西より東に向かった仏教も、青年によって伝承せられ、東より西に向かう大聖人の仏法も、青年によって基礎づけられたのである。
吾人らは、この偉大なる青年学徒の教団を尊仰し、同じく最高唯一の宗教に従って、人間苦の解決・真の幸福生活確立・日本民族の真の平和・苦に没在せる東洋の浄土化を、弘宣せんとする者である。
諸兄らは、この偉大なる過去の青年学徒群と、同じ目的、同じ道程にあることを自覚し、これに劣らぬ覚悟がなくてはならぬ。霊鷲山会に、共々座を同じうしたとき、「末法の青年は、だらしがないな」と、舎利弗尊者や、大聖人門下の上人方に笑われては、地涌の菩薩の肩書きが
泣くことを知らなくてはならない。

奮起せよ! 青年諸氏よ。
 闘おうではないか! 青年諸氏よ。

しからば、だれ人と、いかなるいくさを、吾人らは、なすものであろうか。
第一は、無智の者に永遠の生命を教え、日蓮正宗の本尊の絶対無二なる尊貴を知らしめて、功徳の大海に思うがままに遊戯する、自在の境涯を会得せしむるために、忍辱のよろいを著、慈悲の利剣をひっさげて戦うのである。
第二は、邪智、邪宗の者に、立正安国論の根本義たる、邪宗、邪義は一切この世のなかの不幸の原因であり、それがために、諸天善神は国を捨て去り、聖人は所を去って、世はみな乱るるなりと教え、邪智、邪宗を
ひるがえすよう、智慧の鎧を身にまとい、かれらが執着の片意地を、精進勇気の利剣をもって、断ち切るの戦いである。

第三に、衆生を愛さなくてはならぬ戦いである。
しかるに、青年は、親をも愛さぬような者も多いのに、どうして他人を愛せようか。その無慈悲の自分を乗り越えて、仏の慈悲の境地を会得する、人間革命の戦いである。
こうして、吾人はさらに、諸兄らの行動について、望むところをもつものである。
第一に、絶対的確信にみちたる信仰の境地に立脚し、信行において微動だにすることなく、唯一無二の御本尊を、主・師・親と仰ぎ、日蓮大聖人と共にいますのありがたさにあふれ、地涌の菩薩の後身を確信することである。
第二には、行学に励み、御書を心肝にそめ、大聖人の仏法に通達して迷いなく、今はいかなる時かを凝視して、大聖人のみ心を心とし、日興上人のご遺誡をわが命として、努むべきである。
第三に、その行動の態度たるや、真摯にして暴言を用いず、理をつくして指導の任に当たり、威厳と寛容の姿のなかに、邪義,邪宗、邪師に対しては、一歩も退かぬ勇気あるべきことである。
第四には、部隊長および班長の命を奉じて、学会精神を会得して、同志の士気を鼓舞し、広宣流布大願の中心人物たることを、自覚せられたきことである。
しかも、広宣流布の時は近く、日蓮正宗の御本尊流布の機は、今まさにこのときである。ゆえに、三類の強敵は、まさに現れんとし、三障四魔は勢いを増し、外には邪宗、邪義に憎まれ,内には誹謗の声ようやく高し。驚くことなかれ、この世相を。こは、これ、聖師の金言なり。
されば諸君よ、心を一にして難を乗り越え、同信退転の徒の屍を踏み越えて、末法濁世の法戦に、若き花の若武者として、大聖人の御おぼえにめでたからんと願うべきである。
愚人にほむらるるは、智者の恥辱なり。
大聖にほむらるるは、一生の名誉なり。
心して御本尊の馬前に、屍をさらさんことを。

昭和二十六年十一月一日
大白蓮華  巻頭言


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2008年11月24日

国士訓

国士訓

われらは、宗教の浅深・善悪・邪正をどこまでも研究する。文献により、あるいは実態の調査により、日一日も怠ることはない。いかなる宗教が正しく、いかなる宗教が邪(よこしま)であるか、また、いかなる宗教が最高であり、いかなる宗教が低級であるかを、哲学的に討究する。
諸君よ、目を世界に転じたまえ。世界の列強国も、弱小国も、共に平和を望みながら、絶えず戦争の脅威におびやかされているではないか。一転して目を国内に向けよ。政治の貧困・経済の不安定・自然力の脅威、この国に、いずこに安処なるところがあるであろうか。「国に華洛の土地なし」とは、この日本の国のことである。隣人を見よ!道行く人を見よ!貧乏と病気とに悩んでいるではないか。

「不幸」よ!汝はいずこより来たり、いずこへ去らんとするか。目をあげて見るに、いま、国を憂い、大衆を憂うる者はわが国に幾人ぞ。国に人なきか、はたまた、利己の人のみ充満せるか。これを憂うて、吾人は叫ばざるをえない、日蓮大聖人の大獅子吼を!

「我日本の柱とならむ我日本の眼目とならむ我日本の大船とならむ等とちかいし願やぶるべからず」(御書P232)

この大獅子吼は、われ三徳具備の仏として、日本民衆を苦悩の底より救いいださんとのご決意であられる。われらは、この大獅子吼の跡を紹継した良き大聖人の弟子なれば、また共に国士と任じて、現今の大苦悩に沈む民衆を救わなくてはならぬ。

  青年よ一人立て!

  二人は必ず立たん、

  三人は また 続くであろう。

かくして、国に十万の国士あらば、苦悩の民衆を救いうること、火を見るよりも明らかである。
青年は国の柱である。柱が腐っては国が保たない。諸君は重大な責任を感じなくてはならぬ。
青年は日本の眼目である。批判力猛しければなり。眼目破れてはいかにせん。国のゆくてを失うではないか。諸君は重大な使命を感じなくてはならぬ。
青年は日本の大船である。大船なればこそ、民衆は安心して青年をたよるのである。諸君らは重大な民衆の依頼を忘れてはならぬ。諸君よ!

昭和29年10月 戸田 城聖
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posted by ハジャケン at 15:32| ☀| 戸田先生 御指導 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月15日

戸田先生指導、昭和31年8月31日本部幹部会 2

戸田先生指導、昭和31年8月31日本部幹部会 2

形式に流されてしまいましてね。地区部長さんをお迎えするとか、支部長さんがいくからと、支部長さんをお送りしなければだめだとか。じょうだんではないよ。
地区部長や支部長はなにも偉くないのだ。会長だって偉くないのだ。
人間ではないか。なんにも偉いって、特別に偉い者がいるわけではない。
あなた方も幹部になった以上は、もう腹を決めて、本当の修行を組座談会でしてください。相して本当に苦労した地区部長、ほんとうにみがきあげた幹部、そういうものに、一人ひとりがなっていただいて、おほめ下さるのは、ご本尊様。支部長なんかにほめられているなんて思っているのはバカだぞ。
支部長なんかにロクなのはいないから、支部長なんかにほめられるのはなんでもない。犬のしっぽのしっぽのほうだから。おせじさえ言えばほめるんだから。そういう、たいてい頭のわるいのが支部長になるに決まっているのだ。そういうのを見習って、地区部長も頭のわるいのに決まっているのだ。
断じて人間にほめられてはいかん。ご本尊様にほめられるようになるうではないか。また人間に、いくら悪く言われても、人間にいくらしかられても、ご本尊様にしかられないようにしようではないか。完

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posted by ハジャケン at 19:46| ☔| 戸田先生 御指導 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月14日

戸田先生指導、昭和31年8月31日本部幹部会 1

戸田先生指導、 昭和31年8月31日本部幹部会 1
・抜粋(組座談会で戦おう) T下 p244

法華経のなかに「法華経をたもつものあれば、立って仏がきたように迎えをせよ」と言われている。いったい、3人だって同志がおったら、喜んで話あって帰ってこなければならない。たったひとりでもいい、ひとりでも、そのひとりの人に、ほんとうの妙法蓮華経を説く。たったひとりでも、自分が心から話し合い、ふたりでもいい、感激し合って帰るくらいの座談会にしてほしい。たったひとりでも聞いてくれる者がある。ひとりの人に会えばよいのである。
支部長が腹をたてようと、地区部長がむくれようと、ご本尊様がお喜びになれば、それでいい。それを、さも自分の地区の名誉だとか、あるいは地区部長が偉いとか、そんなことは問題ではありません。そんなことを威張っても、ご本尊様はおほめになりません。最後までわれわれの頭にあるのは、ご本尊様、ご本尊様がお喜びくださった。きょうはたったひとりのおばあさんと話し合ってみる。あのおばあさんが喜んで帰った、ああよかったな、こういうことになる。それでいい。


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