2009年10月14日

伝統の「座談会」の思い出 下 2006.1.20付 聖教新聞

随筆「人間世紀の光」104

御聖訓には、「心ざしあらん諸人は一処にあつまりて御聴聞あるべし」(御書 951頁)と仰せである。

つまり、皆が集まり、御書を学び合い、互いに励ましあい、信心を深め合う座談会こそ、日蓮仏法の正しき実践の在り方なのである。

ある時、牧口先生に、一人の青年が意見を述べた。

「座談会ではなく、もっと大規模な講演会形式にした方がいいと考えますが……」

先生は言下に答えられた。

「いや、それは違う。人生に対する問題は対話でなくては相手に通じない。講演だけでは、聞く方は他人事にしか感じないものだ。

日蓮大聖人の『立正安国論』にしても問答の形式ではないか」

牧口先生は、たった一人のためにも、遠路をいとわず訪ねられた。相手が一人いれば、そこが座談会になった。

先生の信念は獄中にあっても微動だにしない。

「さあ、問答をしよう!」相手は取調官である。

「よいことをしないのと、悪いことをするのと、その結果は同じか、違うか」

理路整然と、宗教の正邪を論じ、折伏されたのだ。

戸田先生も、ご自身の会長就任式で、「広宣流布は一対一の膝詰めの対話からだ」と叫ばれた。 学会をこよなく賛嘆されていた大学匠の堀日享上人も、常々、「創価学会の強さは、今までにない布教法にある。それが座談会だ」と言われていたという。

「一は万の母」である。

「たった一人でもいい。目の前の一人に、この大仏法を語らずにはおくものか!」

広宣流布の拡大は、この歴代会長の一念から始まったのである。

【伝統の「座談会」の思い出 下 2006.1.20付 聖教新聞】

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伝統の「座談会」の思い出 上 2006.1.19付聖教新聞

随筆「人間世紀の光」103

私が、人生の師である戸田先生に巡り会い、仏法を知ったのも、座談会であった。

昭和二十二年の八月十四日の夜、蒲田の糀谷で行われた座談会―ここで、四十七歳の師と、十九歳の弟子は出会ったのである。

翌日は、二度目の敗戦記念日であった。

戦後の荒廃のなか、正しい人生を求めて、青春の魂の遍歴を続けていた私は、「立正安国論」を講義される先生の気迫に打たれた。いな、先生の人格に圧倒された。

そしてまた、この貧しい庶民の集いが、かくも明るく、かくも深遠な哲学性をもっていることに感動した。

多くの方々がそうであるように、座談会は、私が学会を知った原点なのである。

【伝統の「座談会」の思い出 上 2006.1.19付聖教新聞】


一言でも全員に発言していただく事。話し掛けていく事です。

まさに、座談会は「言論戦」「思想戦」の場であり、「不惜身命」「死身弘法」の大闘争の法戦場であった。 ◇  その先師の心を偲んで、私は、真剣に真剣勝負で臨んできた。

【同 伝統の「座談会」の思い出 上】

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2008年11月29日

座談会を通して築いた組織は崩れない

座談会を通して築いた組織は崩れない

信心をしていて、元気がある、生命力がある、活気があるということは一面、結構なことです。しかし、それ以上に大事なことは、一人ひとりが、いかなることがあっても、信心をいかに持続していくか、という点です。
そのためには、信心を内面に深化させていくことが重要になります。皆が一緒に集って活動しているときは信心強盛にみえますが、一人になったとき、どこまで御本尊に対する確信と信心の実践を貫いていけるか、それには第一に、一対一の個人指導を通して見事な人材に育てていくことです。その場合、相手の話を“よく聞く”ことが重要です。

第二に大切なことは、教学と座談会です。御書を拝読し、教学を真剣に研鑚しているところは着実に伸びています。教学のない活動は蜃気楼のようなものであり、一時は伸びたようにみえても、いつかは消えてしまいます。
また、座談会に着実に取り組んでいるところは強い。牧口先生も戸田先生も座談会に最大の力を注がれました。座談会を通して築かれた組織は崩れません。道は遠いかもしれないが、教学・座談会を着実に進め、持続性を確定していくことです。
【森田理事長(当時)/第31回男子部総会 1982-07-11 東京戸田記念講堂】


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先生も最近、御指導で言われたことを思い出しました。
すべては、一人になった時に、どうするかでしょう。
確かに、座談会は楽しい方がよいです。つまらない、暗いと言う、たまに来るゲストの感じと、毎月、少ないながら参加する部員さんとの思いは違う気がします。しかし、暗い部員さんばかりと言われると話は違い、部員さん一人一人との対話が少ない、座談会を緊張させてしまう推進員にも原因があるのだろう。そう言う私も推進員として反省し、対話してゆかねばと心一念の思いを感じました。
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2008年09月17日

座談会とは 2

創価学会伝統の「座談会」は初代牧口会長が始めました。
難解な「理論」を論じるのではなく、分かりやすい信仰「体験」を通して、妙法を弘めようとしたのです。
長く続いたから「伝統」なのではありません。
座談会を根本に、一人ひとりを大事にしてきたその「心」が学会の伝統なのです。
初代牧口会長は、たった一人でも同志がいるならと、九州や東北まで足を運んで座談会を開きました。戸田会長も「たった一人でもいい。
その一人の人に全力で法を説き、体験を語り、広布のこと、人生のことを心から話し合っていけばよい!!三人もくれば、“大勢”というべきである」と語っています。
大聖人も「一切の諸人之を見聞し志有らん人人は互に之を語れ」(967ページ)と仰せになり、自分の信心を磨いていくためにも、後輩に信心を教えていくためにも、一緒に語り合い、励まし合うことが大切であることを説いています。
仏法の原理を知っただけでは、感動にも実践にもつながりません。
一人の人格に触れてこそ、人間の心は動きます。
学会の座談会において、担当者の具体的な話や同志の信心の体験を聞くことで、「よし、頑張ろう!」という決意もわくのです。
また、奮闘する友を称えることが、自身の信仰への励みにもなり、広布への使命感を呼びさますことにもなります。
座談会には、笑いがあり、感動があります。悩みが勇気に、疲れが充実に変わる“庶民のオアシス”。それが学会の座談会です。
多忙な職場環境や、それぞれの時間のやりくりのなかで座談会に駆けつけることは大変なことです。
しかし、そのなかで挑戦して、学会の会合に来る労苦こそが尊いのです。
昭和32年に池田名誉会長が出席された座談会で、一人の壮年が、うとうとと「居眠り」をしていました。
その奥さんがしきりに起こそうとして、周りも、はらはらしました。
その時、名誉会長はこう言いました。
「昼間、一生懸命に働いて、ここに来ているんだから、疲れているんだよ。無理に起こさなくていいんですよ。妙法の話というのは、毛穴からだって入っていくんです」(『法華経の智慧』)と。
その一言で、いっぺんに和やかな雰囲気に変わったといいます。
座談会という縁に触れることが、自身の信心を磨くことになるのです。座談会は、全学会員が集い、「一対一」で語り合う伝統の会合です。そのなかで聞いた妙法の話は、その時は十分に理解できなくても、信心の財産になっていくことは間違いないのです。完

※座談会とは 1と、重複箇所があります。ご了承下さい。
posted by ハジャケン at 00:03| ☔| 座談会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月24日

8月度 我が座談会

今月の我が地の座談会、素晴らしい先輩の「減劫御書」研鑽でした。
ビデオ チカラは無限大
バネッサ・ショーさん アメリカ/女優も、数々の悩みを乗り越えて、ここまできたとのこと。悩みがあったから信心に目覚め確信を得た!
先生が、一歩一歩、一日一日の持続が大切である。
急に良い事が生まれることはない!
心、知恵で行動をと御指導を聞きました。

減劫御書の研鑽と教えでは、
(当幹部さんは指導というと怒られますので)
「皆実相と相ひ違背せず」
「一切世間の治生産業は皆実相と相ひ違背せず」
信心は、社会と離れておこなうものでない。社会のあらゆる生活の中でこそ仏法、信心を行うことに違背はないのです。これこそ本物の信心ですと教えられました。すべて自分の一念が大切ですね。
行動するからには、知恵とパワーです。
ここで、質問があり、
「素晴らしい学会は分かってますが恥ずかしい?
との思いは何故でしょうか?」
返答
この「恥ずかしい」と思うのは、自分の中の魔である!
貴方が魔だと思っていても、他の同志には魔でないこともある。
すべて、自分が嫌だと思う事、今夜の座談会行きたくない好きなテレビがあるから・・・などと思うのは、貴方の魔です!魔を魔と捉え、こんな事ではダメだ!頑張ろうとする行動勇気が、今夜の魔に勝ったことになるのです。と聞き、これが一念なのかなと感じました。

減劫の「劫」について 法華経に書かれてますね。
減劫が有れば増劫もあるのです。今の世の中を見れば、凶悪事件、これこそ末法であり、減劫の時代なのです。末法だから仕方ないでなく、末法だから悪と戦うのです。それが我々の境涯を高めていくのでしょう。
またまた質問・・10才から8万才というは?
劫・・10才から8万才という寿命の減増があるそうです。
もう天文学的な数字の周期を法華経では説かれているので、あの時代、釈尊、大聖人の素晴らしさを改めて感じました。
ご興味がおありでしたら勉強なさってください。劫
最後に、先生の御指導から
みなさんには、何人の信頼出来る友がいますか?と問われ
全員、無言・・・
此の世に生まれて、幸せを勇気を頂いた友を何人作れたか?
逆に、自分が何人の友を幸せに出来たか?喜ばれたか?
数の多さではない!人生の究極は、ここです!と教えられました。
今回も、まだまだ、いろんな譬え、座談会の中での動きを、御書をとして教えて頂いた有意義な我が地の座談会でした。

勿論、元気な未来部さんの夏休み報告、
学会歌 常勝の空で、元気になりました。
また夏期友好期間の発表も、ありました。
担当する方で、座談会も盛り上がります。

悩みがあっても元気なのは強い信心でしょうね。
同じ空気の中で、いっぱい教えられました。




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2008年08月23日

座談会とは1

座談会とは1

座談会は学会の「心」。
功徳の体験を聞き、語り、互いの信仰錬磨につながる
“庶民のオアシス”なのです。
創価学会伝統の「座談会」は初代牧口会長が始めました。
難解な「理論」を論じるのではなく、
分かりやすい信仰「体験」を通して、
妙法を弘めようとしたのです。
長く続いたから「伝統」なのではありません。
座談会を根本に、一人ひとりを大事にしてきた
その「心」が学会の伝統なのです。

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一週間に一度 掲載予定です。



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2008年07月16日

座談会は“心のオアシス”

 座談会は“心のオアシス”
 座談会には、皆、多忙のところ、また疲れたなか、来てくださる。

 であるがゆえに、そこには、真心からの「励まし」が必要であり、「癒し」がなければならない。

 誰もが「来てよかった」と納得し、満足できる“心のオアシス”としていくことだ。

 法華経の普賢品には、「当に起って遠く迎うべきこと、当に仏を敬うが如くすべし」(『創価学会版法華経』677ページ)と説かれている。

「(法華経を受持する人を見たならば)必ず、立ち上がって遠くまで出迎えるべきことは、まさに仏を敬うようにすべきである」ということである。

 法華経における釈尊の壮大な説法は、この言葉で結ばれている。

 この一文を、御義口伝には、「法華一部の要路」、「最上第一の相伝」(781頁)とされた。

 要するに、法華経の世界においては、「増上慢」は決して許されない。「独裁」は断じて認められない。

 本当の親切、本当の尊敬の心で、同志を迎え、友と語りあっていくことである。

 牧口先生は、座談会に行かれると、常に、まず会場のご家族に丁重に挨拶し、最敬礼して感謝なされた。そして、まさに「仏を敬うが如く」に、参加者を真心込めて迎えていかれたのである。



【「随筆 人間世紀の光」103 伝統の「座談会」の思い出(上)/聖教新聞 2006-01-19付】



「誰も来なかったならば、壁に向かって法を説け」――これが草創期の講義担当者の心得だった。聞く人がいればこそ、法を説けるのである。獄中で自解仏乗された戸田先生は、出獄後、真の同志とは言い難い経済人グループの面々に法華経の講義をされた。これも、耳に向かって説かれたものだった。



折伏が行き詰まると、ともすれば相手を恨むような根性が出てくる。そこには、“法を説ける”喜びはない。功を焦り、名利を求める心が我が身を焼き尽くす。その本質は、相手の仏性を信じることができず、自分の使命を信じることができず、妙法の絶対なるを信じることのできない臆病な生命(いのち)だ。

幹部になればなるほど、結集の多少が気になる。集う人々を数で見つめる瞳は、人間主義と相容れないものであろう。頭数よりも、歓喜と功徳の数を競うべきだ。

私がお世話になったNさんと初めてお会いしたのも座談会だった。当時、私は部長。東京第6総合本部の指導委員をされていたが、その後、総合本部がなくなってから、副総区長をされていた。典型的な下町の親父さんだ。地区リーダーが機能してなかったため、私が司会をした。19:00になって始めようとすると、Nさんが「もう少し待とうか」と言った。「エッ、いいんですか?」「しようがないじゃないか。皆が揃うまで、もう少し待とう」。ほんの5分ほどだったが、その間、Nさんは次々と参加者に声を掛けられた。そのやり取りが絶妙。大病を乗り越えたばかりの高齢の婦人部に対し、「死ぬんじゃないかなーって、心配だったでしょう? でもね、そんな心配はしなくていいんだよ。人間は必ず死ぬんだから」。もう、大爆笑。「死ねないんじゃ困るけど、死ぬのは決まってるんだから、一々心配しなくていいんだよ」。

進路で行き詰まっている中等部のメンバーが参加していた。私は彼を指名した際、Nさんに状況を報告した。「そうか、頑張れ! 負けてはいけない。しっかりと御本尊様にお願いすれば、どんなことだって、祈りはかなうんだよ」と激励して下さった。その後、中等部は晴れて高校合格を勝ち取った。Nさんに報告すると、それはそれは喜んで下さった。この中等部が、昨日付の新聞に載っていた兄弟の弟の方である。

いつもいつも青年部を大切にして下さる方だった。私が区男をしていた頃、Nさんは、あちこちの座談会で男子部に気合いを入れていた。そして、具体的な決意を促した後で、「小野君に言っておくからな!」と言うのが常だった。その度に電話を頂戴し、「しっかりと面倒をみてあげてくれ」と頼まれた。

権威を嫌い、後輩を大事にする方だった。いつも、青年部の味方をして下さった。どれほど多くのメンバーがお世話になったことか。会館でお会いすると、喫煙所で気さくに懇談して下さった。

私の知る、数少ない大人物の一人である。

【※指導は、NON氏の投稿より】

創価王道 http://d.hatena.ne.jp/sokaodo/ より


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