2017年08月29日

雄飛 六十四

小説「新・人間革命」〉 雄飛 六十四

 トルストイは、真実の宗教とは何か、真の信仰とは何かを見すえ続け、探究していった。
 彼は、人間のなかに「神」を見いだしていったのである。それは、教会で説く「神」ではなく、人間精神の最高峰であり、良心の結晶としての「神」であった。そして、世界の平和と人びとの幸福のために、人間の道徳的回生と暴力の否定、「無抵抗」をもってする悪への抵抗を説いた。その主張は、国家権力と癒着した当時のロシア正教会の教えとは相反するものであった。
 ゆえに、彼の著作は、『復活』に限らず、『わが信仰はいずれにありや』『神の王国は汝らのうちにあり』などの宗教論も、国内での出版は難しく、地下出版や国外での発刊を余儀なくされたのである。
 「罵詈の声は後世から光栄の響きとして受け取られます」(注)とは、彼に大きな影響を及ぼしたビクトル・ユゴーの言葉である。
 政府や教会が、躍起になってトルストイを抑え込もうとするなかで、彼を支持したのは民衆であった。それによって、さらに世界の賞讃と信望を集めたのだ。あのマハトマ・ガンジーも、彼に共鳴した一人である。
 教会による「破門」も、全くの逆効果となった。世界が味方するトルストイに、政府も教会も、迂闊に手を出すことはできなかった。
 弾圧の矛先は、彼の弟子たちに向けられ、チェルトコフは国外追放された。また、ビリューコフは八年にわたって辺地に追放されたが、決して屈することなく、後に、師の真実と偉大なる歩みを残そうと、伝記『大トルストイ』を完成させている。
 トルストイを支持する民衆も弾圧にさらされ、発禁になった彼の本を持っているだけで逮捕された。しかし、民衆の支持は揺るがなかった。人びとは彼の誠実を痛感し、彼のめざす宗教の在り方に共感していた。
 宗教の価値は、人間に何をもたらすかにある。勇気を、希望を、智慧をもたらし、心を強くし、あらゆる苦悩の鉄鎖からの解放を可能にしてこそ、人間のための宗教なのだ。
 小説『新・人間革命』の引用文献
 注 『ユーゴー全集第10巻』神津道一訳、ユーゴー全集刊行会=現代表記に改めた。
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2017年08月28日

雄飛 六十三

小説「新・人間革命」〉 雄飛 六十三

 チーホノフ首相と会見した十四日夜、山本伸一は、宿舎のホテルで、お世話になった関係者をはじめ、各界の来賓を招いて、答礼宴を開いた。
 そして翌日、モスクワ市内にあるトルストイの家と資料館を訪れた。
 十九世紀に建てられたまま保存されている文豪の住まいは、木造二階建てで、床はギシギシと軋んで、往時を偲ばせた。彼は晩年の十九年間を、この質素な家で過ごした。書斎には、テーブル、イス、ペン立て、インク壺などが、当時のままの状態で置かれていた。彼は、ペチカ(暖炉)の薪割りも自分でした。その時に使った前掛けも展示されている。
 この家で、最後の大作である『復活』や、数々の名作が誕生したのだ。
 さらに一行は、資料館に足を運んだ。天井の高い、重厚な歴史を感じさせる建物には、トルストイの小学生時代の作文や、終生、書き続けた日記、『戦争と平和』や『アンナ・カレーニナ』の原稿、彼の彫像や肖像画などが展示されていた。
 なかでも伸一の目を引いたのが、検閲された原稿の隣に置かれた、緑色のガラス製の文鎮であった。そこには多くの署名とともに、トルストイを絶讃する言葉が焼き付けられていた。ガラス工場の労働者が贈ったものだ。
 ――「あなたは時代の先駆者である多くの偉人達とその運命を同じになさいました」「ロシアの人民はあなたを自分らの尊く慕わしい偉人と数えて、永遠にこれを誇りとするでございましょう」(注)
 トルストイは、貧困を強いられる民衆の救済に力を注ぐ一方、ペンをもって、堕落した教会や政府などの、あらゆる虚偽、偽善と戦った。それゆえに、彼の著作は厳しい検閲を受け、出版を妨害され、彼は教会から破門されている。だが、激怒した民衆が彼を擁護し、澎湃たる正義の叫びをあげたのだ。
 目覚めた民衆が聖職者の欺瞞を見破り、真に民衆のため、人間のための宗教を求めたのだ。民衆の英知は、宗教を淘汰していく。
 小説『新・人間革命』の引用文献
 注 ビリューコフ著『大トルストイV』原久一郎訳、勁草書房
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2017年08月26日

雄飛 六十二

小説「新・人間革命」〉 雄飛 六十二

 山本伸一は、チーホノフ首相に語った。
 「全人類の願望は戦争の阻止にあります。その意味から、貴国のブレジネフ書記長、チーホノフ首相には、モスクワを離れて、スイスなどよき地を選んで、アメリカ大統領、そして中国首脳、日本の首脳と徹底した話し合いを行ってくだされば、世界中の人びとが、どれほど安堵できるでしょうか。世界平和のために、ぜひとも首脳会議を呼びかけ、戦争には絶対反対するための話し合いを続け、安心感を全人類に与えていくことが大事です」
 伸一は、日ソ関係にも言及していった。
 「“条約”うんぬんの前に、日本人の心を知り、相互の信頼を育むための文化交流が必要です。さらに、過去の大前提にとらわれず、あくまでも進歩的に、両国民が納得できるようなトップ会談を重ねていくべきです」
 チーホノフ首相は、両国間の経済問題や貿易問題に触れながら、「文化交流は一歩遅れているかもしれません。あなたの主張は大事なことです」と所感を述べ、今後、平和・文化の交流を続けていく意向を明らかにした。
 また、伸一は、ブレジネフ書記長に宛てた、ソ連招聘の御礼の親書を首相に手渡した。
 彼は、米ソ首脳会談について、一九八三年(昭和五十八年)と八五年(同六十年)の1・26「SGIの日」記念提言でも訴えている。米ソ間で厳しい対立が続いていることを、多くの人びとが危惧していたからである。
 八五年(同六十年)、ソ連にゴルバチョフ書記長が誕生すると、冷戦の終結へ舵が切られた。同年十一月、スイスのジュネーブで、レーガン米大統領との米ソ首脳会談が実現し、東西の対話は加速していった。
 八九年(平成元年)十二月には、ゴルバチョフとブッシュ米大統領がマルタで会談。冷戦を終結させ、両国が協調して新しい世界秩序づくりへ踏み出す宣言をしたのである。
 
 翌九〇年(同二年)、伸一は、ソ連の初代大統領となったゴルバチョフと初会見した。二人は、その後も親交を結び、対談集『二十世紀の精神の教訓』を発刊している。
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2017年08月25日

雄飛 六十一

小説「新・人間革命」〉 雄飛 六十一

 モスクワ大学を訪問した十三日の夕刻には、「日ソ学生友好の夕べ」が開催された。
 大学正面広場で行われた、平和の天使・富士鼓笛隊の華麗なパレードで幕を開け、その後、同大学の文化宮殿に会場を移して、友情と平和の祭典が繰り広げられたのである。
 創価大学銀嶺合唱団や壮年・婦人代表団らが、「黒田節」「母」などを披露し、「カチューシャ」を歌った時には、手拍子が鳴り響き、場内は一体となった。モスクワ大学側も、ピアノや室内楽団の演奏、民族衣装に身を包んでのロシア民謡の合唱や踊りなど、熱演を重ねた。やがて、両大学の合唱団によって、「四季の歌」が日本語で、「友好のワルツ」がロシア語で歌われた。日ソの人びとの心と心が、見事にとけ合っていった。
 会場の文化宮殿は、六年前(一九七五年)の五月、山本伸一が、「東西文化交流の新しい道」と題して講演した、思い出深い場所である。その時、彼は、文化交流によって、“精神のシルクロード”を開き、世界を縦横に結ぶことができると力説した。
 今、眼前で、日ソの青年らによる文化と友情の交流が行われ、確かに“精神のシルクロード”が結ばれようとしていることを、伸一は感じていた。一つ一つの演目が終わると、身を乗り出すようにして大きな拍手を送った。
   
 翌十四日午後、伸一たちは、クレムリンを訪れ、ニコライ・A・チーホノフ首相と会見した。この日が首相の七十六歳の誕生日にあたることから、彼は、会見の冒頭、花束を贈呈した。
 そして伸一が、「自分は政治家でも、経済人、外交官でもありませんが、平和を愛する一市民として率直に進言させていただきたい」と述べれば、首相が「喜んで!」と応じるなど、和気あいあいとした会談となった。
 人間は本来、等しく平和を希求している。その心を紡ぎ出すのは、美辞麗句や虚飾の言ではない。胸襟を開いた、誠実な人間性の発露としての、率直な対話である。
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雄飛 六十

小説「新・人間革命」〉 雄飛 六十

 山本伸一は、正午にはモスクワ大学を訪問し、ログノフ総長と対談した。総長は、ソ連科学アカデミー正会員であり、著名な理論物理学者でもある。
 実は、この年の四月に総長が来日し、会談した折、日ソの友好と人類の平和のために、教育交流の重要性を語り合う対談を行っていきたいとの要請があったのである。
 伸一は、未来に平和の思想と哲学を残すために、対談を行うことに合意し、この訪ソまでに、総長への多岐にわたる質問を用意して会談に臨んだのである。
 そして、「現代科学をめぐる諸問題」「宗教と文学」「戦争と平和と民族」「文化交流への課題」など、対談の骨子について語ると、総長も大いに賛同した。
 会談に先立って、ログノフ総長に、創価大学名誉教授の称号が贈られた。その際、総長は、人類の平和を守る大学の使命に触れ、核兵器の問題について、次のように語った。
 「もし、今、核兵器が使用されたならば、人類は完全に滅亡してしまう。したがって、知恵ではなく、力で平和が守られるという考えを捨てるべきです。そうでないと核戦争を認めることになってしまう」
 語らいは、モスクワ大学付属アジア・アフリカ諸国大学の主任講師であるL・A・ストリジャックの通訳で進められた。
 「核戦争は断じて回避しなければならないし、人類存続の道は文化交流による平和の建設しかない」というのが二人の強い確信であり、共鳴音を奏でながら意見交換が続いた。
 二人の語らいは十三回に及び、その間に、一九八七年(昭和六十二年)六月には、対談集『第三の虹の橋――人間と平和の探求』を出版。続いて九四年(平成六年)五月には『科学と宗教』が発刊されている。
 世界の平和は、心の結合から始まる。そして、「人間」「平和」という原点に立てば、社会体制やイデオロギーの壁を超えて、人と人は理解し合い、共感し合い、心を結び合える――それを伸一は、世界に示したかった。
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2017年08月24日

雄飛 六十

小説「新・人間革命」〉 雄飛 六十

 山本伸一は、正午にはモスクワ大学を訪問し、ログノフ総長と対談した。総長は、ソ連科学アカデミー正会員であり、著名な理論物理学者でもある。
 実は、この年の四月に総長が来日し、会談した折、日ソの友好と人類の平和のために、教育交流の重要性を語り合う対談を行っていきたいとの要請があったのである。
 伸一は、未来に平和の思想と哲学を残すために、対談を行うことに合意し、この訪ソまでに、総長への多岐にわたる質問を用意して会談に臨んだのである。
 そして、「現代科学をめぐる諸問題」「宗教と文学」「戦争と平和と民族」「文化交流への課題」など、対談の骨子について語ると、総長も大いに賛同した。
 会談に先立って、ログノフ総長に、創価大学名誉教授の称号が贈られた。その際、総長は、人類の平和を守る大学の使命に触れ、核兵器の問題について、次のように語った。
 「もし、今、核兵器が使用されたならば、人類は完全に滅亡してしまう。したがって、知恵ではなく、力で平和が守られるという考えを捨てるべきです。そうでないと核戦争を認めることになってしまう」
 語らいは、モスクワ大学付属アジア・アフリカ諸国大学の主任講師であるL・A・ストリジャックの通訳で進められた。
 「核戦争は断じて回避しなければならないし、人類存続の道は文化交流による平和の建設しかない」というのが二人の強い確信であり、共鳴音を奏でながら意見交換が続いた。
 二人の語らいは十三回に及び、その間に、一九八七年(昭和六十二年)六月には、対談集『第三の虹の橋――人間と平和の探求』を出版。続いて九四年(平成六年)五月には『科学と宗教』が発刊されている。
 世界の平和は、心の結合から始まる。そして、「人間」「平和」という原点に立てば、社会体制やイデオロギーの壁を超えて、人と人は理解し合い、共感し合い、心を結び合える――それを伸一は、世界に示したかった。
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2017年08月23日

雄飛 五十九

小説「新・人間革命」〉 雄飛 五十九

 十三日午前、山本伸一と峯子は、モスクワ市内のノボデビチ墓地を訪れ、四年前に死去したモスクワ大学のR・V・ホフロフ前総長の追善を行ったあと、ホフロフ宅を訪問した。
 伸一たちは、エレーナ夫人、長男のアレクセイ、次男のドミトリーと、亡き総長を偲びながら、語らいのひとときを過ごした。
 長男は、モスクワ大学の物理学者であり、次男も大学院で物理学を学んでいた。
 遺族は、伸一たちの訪問を心から喜び、代表して長男が、感謝の思いを語り始めた。
 「父に敬意を表して、わざわざおいでいただき、ありがとうございます。今回の先生のソ連訪問は、天候にも恵まれ、天も祝福しているかのようです。今、モスクワは、長い冬が去り、緑が萌え、自然がみずみずしい生命を回復する時を迎えています」
 すかさず伸一が言った。
 「ご一家も今、同じような時期に入りました。悲しみの冬を越え、希望が萌え、生命の回復の時がきました。あとに残ったご家族が元気であることを、亡き総長も願望していることでしょう。特にご子息は、学びに学び、お父様をしのぐような大学者になり、社会に貢献するとともに、幸せになってください」
 アレクセイが頷きながら語った。
 「父は、いつも先生のことを話していました。直接、お目にかかれて嬉しい限りです」
 「お父様のことを偲びながら、これから、何回でもお会いしましょう。いつか日本にも、創価大学にも来てください」
 夫人が、しみじみとした口調で言った。
 「先生とは、ずっと一緒にいたような親しさを感じます」
 心は響き合い、語らいは弾んだ。
 ホフロフ家から、遺稿を収めた論文集と、山で写した故総長の写真が贈られた。「山登りが好きな人でした」と夫人が目を細めた。
 一家との交流は、その後も重ねられていった。地中深く根が張り巡らされ、草木が繁茂するように、民衆の大地深く友情の絆が張り巡らされてこそ、平和の緑野は広がる。
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2017年08月22日

雄飛 五十八

小説「新・人間革命」〉 雄飛 五十八

 五月十二日、山本伸一は、創価学会がソ連文化省、モスクワの東洋民族芸術博物館と共催で行った「日本人形展」のオープニングの式典に出席した。さらに、この日午後、コスイギン前首相の息女であるリュドミーラ・グビシャーニが館長を務める、国立外国文学図書館を訪れ、会談したのである。
 ベージュのセーターと青のスーツに身を包み、柔和で理知的な笑みをたたえた彼女の澄んだ瞳に、コスイギンの面影が宿っていた。
 伸一が、墓参の報告をし、弔意を述べると、彼女は、声を詰まらせながら応えた。
 「先生がおいでくださったことに、人間的な心の温かさを感じ、感激で胸がいっぱいです」
 そして、前首相が伸一と初めて会った日のことを、懐かしそうに語り始めた。
 「その日、執務を終えて家に帰ってきた父が、私に、『今日は非凡で、非常に興味深い日本人に会ってきた。複雑な問題に触れながらも、話がすっきりできて嬉しかった』と言いました。また、『会長からいただいた本を大切に保管しておくように』と、私に委ねたのです」
 それから彼女は、「ぜひとも先生に、何か贈らせていただこうと、家族全員で相談いたしました」と言い、ガラス製の花瓶を差し出した。コスイギンが六十歳の時、「社会主義労働英雄」として表彰された記念品であった。
 さらに、革で装丁された二冊の本が贈られた。前首相の最後の著作であり、他界するまで書斎に置かれていた本である。
 「父の手の温かさが染み込んでおります。父に代わって、私からお渡しいたします」
 伸一は、感謝の意を表しつつ語った。
 「この品々には、大変に深い、永遠の友誼の意義が含まれております。日本の民衆に、そのお心を伝えます。ご家族の方々のご多幸をお祈り申し上げます」
 親から子へ、世代を超えて友情が結ばれていってこそ、平和の確かな流れが創られる。
 別れ際、いつまでも手を振り続ける彼女の姿が、伸一の心に深く刻まれた。
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2017年08月21日

雄飛 五十七

小説「新・人間革命」〉 雄飛 五十七

 今回の山本伸一のソ連訪問は、ソ連高等中等専門教育省とモスクワ大学の招聘によるものであった。彼は、日ソ両国の教育・文化交流を推進し、そこから、新たな友好の道の突破口を開こうと決意していた。
 一行は、富士鼓笛隊、創価大学銀嶺合唱団など、総勢約二百五十人という大訪問団となった。そして、モスクワ大学の学生や市民と幅広く交流を図っていったのである。
 伸一は、八日間のソ連滞在中、「子どものためのオペラ劇場」であるモスクワ児童音楽劇場を訪問し、同劇場の創立者であるナターリヤ・サーツ総裁と友誼を結んだのをはじめ、ソ連の要人たちと平和・文化交流をめぐって、次々と語らいを重ねていった。
 P・N・デミチェフ文化相やV・P・エリューチン高等中等専門教育相、ソ連対外友好文化交流団体連合会(対文連)のZ・M・クルグロワ議長、ソ日協会のT・B・グジェンコ会長(海運相)、モスクワ大学のA・A・ログノフ総長、ソ連最高会議のA・P・シチコフ連邦会議議長らと、活発に意見交換したのである。
 その間に、レーニン廟や、故コスイギン前首相の遺骨が納められているクレムリン城壁、無名戦士の墓を訪れて献花した。なかでも前首相の墓参は、今回の訪ソの大切な目的の一つであった。
 コスイギンが死去したのは、前年十二月のことであった。伸一は、前首相とは、二回にわたってクレムリンで会見していた。中ソ紛争が深刻化するなかで初訪ソした一九七四年(昭和四十九年)九月の語らいで、率直に「ソ連は中国を攻めますか」と尋ねた。
 その時、コスイギンは、「ソ連は中国を攻撃するつもりはありません」と明言した。伸一は、彼の了承を得て、この年十二月の第二次訪中で、中国首脳にその言葉を伝えた。
 “中ソが戦争に踏み切ることだけは、なんとしても避けてもらいたい”――伸一は、今の自分にできることに、力を尽くした。
 平和の大道も、地道な一歩から開かれる。
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2017年08月19日

雄飛 五十六

小説「新・人間革命」〉 雄飛 五十六

 「メキシコの詩心に思うこと」――それが、グアダラハラ大学での山本伸一の記念講演のタイトルであった。
 彼は、“太陽と情熱の国”メキシコの人びとの独特な心の豊かさにふれつつ、そこにある詩心や笑顔は、心と心の回路の開放を意味しており、平和の建設、文化の交流においても、この心の回路の開放こそが肝心であることを論じた。また、メキシコの人びとがラテンアメリカ地域の非核化に、強いイニシアチブをとって努力を続けていることに深い敬意を表したのである。
 伸一は、グアダラハラから、アメリカのロサンゼルスに戻り、さらにハワイを訪問。ここでも、懇談会や御書研鑽会で入魂の指導を重ね、三月十二日に帰国した。
 彼は、渾身の力を尽くして、日本の、世界の同志への激励行を続けてきたのである。広布は、次第に上げ潮へと転じ始めていた。
 そして、5・3「創価学会の日」を祝賀する記念行事が、晴れやかに創価大学で開催された。伸一は、五月二日から五日まで、連日、記念勤行会、記念祝賀会等に出席した。
 創価の師弟の陣列は、薫風のなか、さっそうと二十一世紀への行進を開始したのだ。
  
 “さあ、世界の平和のために、走り続けよう!”――伸一は、五月九日、休む間もなく、ソ連、欧州、北米訪問へと旅立っていった。
 最初の訪問国であるソ連は、世界から非難の集中砲火を浴びていた時であった。一九七九年(昭和五十四年)十二月、ソ連軍がアフガニスタンに侵攻したことから、八〇年(同五十五年)夏のモスクワ五輪を、六十を超える国々がボイコットし、ソ連は国際的に厳しい状況に追い込まれていたのである。
 しかし、伸一は、すべてを政治的な問題に集約させ、対話の窓口を閉ざしてはならないと考えていた。そんな時だからこそ、文化・教育を全面的に掲げ、民衆の相互理解を促進する民間交流に、最大の力を注ぐべきであるというのが、彼の信念であった。
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2017年08月17日

雄飛 五十四

小説「新・人間革命」〉 雄飛 五十四

 二月二十六日、山本伸一は、パナマからメキシコへ向かった。メキシコの正式な訪問は、十六年ぶり二度目である。
 パナマでも、メキシコでも、空港では国営テレビや新聞社の記者会見が待っていた。それは、学会の平和・教育・文化の運動が、世界各地で高く評価されてきたことを裏づけるものであった。
 メキシコ市では、会館を初訪問したほか、メキシコ市郊外にある古代都市テオティワカンの遺跡の視察や、日本・メキシコ親善文化祭などに出席した。
 三月二日には、大統領官邸を表敬訪問し、ホセ・ロペス・ポルチーヨ大統領と会見した。さらに、図書贈呈のためメキシコ国立自治大学を訪れ、総長らとも会談した。
 大学を後にした伸一は、途中、車を降り、同行していた妻の峯子と市街を歩いた。
 広々とした目抜き通りに出ると、陽光を浴びて独立記念塔が、空高くそびえ立っていた。柱の上に設置された、金色に輝く像は、背中の翼を大きく広げ、右手に勝利の象徴である月桂冠を、左手には勝ち取った自由を表す、ちぎれた鎖を持っている。
 伸一が、「ここだったね」と峯子に言うと、彼女も「そうでしたね」と答える。
 実は、このメキシコの光景を、恩師・戸田城聖は、克明に話していたのである。
 それは、彼が世を去る十日ほど前のことであった。伸一が、既に病床に伏していた戸田に呼ばれ、枕元へいくと、にこやかな表情を浮かべて語りかけた。
 「昨日は、メキシコへ行った夢を見たよ。……待っていた、みんな待っていたよ。日蓮大聖人の仏法を求めてな。行きたいな、世界へ。広宣流布の旅に……」
 体は衰弱していても、心は一歩も退くことなく、世界を駆け巡っていたのだ。それが、“広布の闘将”の魂であり、心意気である。
 そして、戸田は、夢のなかで見たという、メキシコ市の中心にそびえ立つ独立記念塔と街の景観を語っていったのである。
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2017年08月16日

雄飛 五十三

小説「新・人間革命」〉 雄飛 五十三

 日本では、一月二十四日、あの山脇友政が、学会への恐喝及び同未遂の容疑で逮捕された。警視庁は、前年十月に告訴を正式受理し、以来、事情聴取を重ね、慎重に捜査を続けてきた。そして、遂に容疑が固まり、逮捕に踏み切ったのである。
 山脇は、自らを擁護するために一部週刊誌などを使って、さまざまな反学会キャンペーンを展開してきたが、その後の裁判の過程などで、彼がいかに虚偽に満ちた、信憑性のない、悪質な言動を繰り返してきたかが、白日のもとにさらされていくのである。
 山脇が逮捕されると、東京地検から伸一に、事情聴取の要請があった。学会としても、真相を究明し、断じて正邪を明らかにしてほしかった。彼は、この要請に応じるために、急遽、アメリカ指導を中断し、いったん帰国することになった。
 伸一は、アメリカのメンバーに告げた。
 「どうしても帰らなければならなくなってしまいました。また戻ってきます。アメリカは世界広布の要です。しっかり団結して、世界模範の人間共和の組織をつくってください」
 彼は、二十八日に帰国すると、四度にわたって事情聴取に応じた。また、県長会議メンバーとの懇談会等に臨み、二月十五日、再びアメリカへ戻った。
 伸一は、サンタモニカ市の世界文化センターやマリブ研修所で指導、激励を重ね、マイアミ市に移り、十九日にはパナマへ飛んだ。
 パナマは七年ぶりの訪問であり、多くのメンバーが誕生していた。中米七カ国の代表らとの懇談、パナマ国立劇場での日パ親善文化祭への出席、大統領やパナマ市長らとの会談、日本人学校への図書贈呈、パナマ大学の訪問など、彼は、新世紀への布石を打つために、精力的に動きに動いた。
 「時間はだれをも待ってはくれない、ということである。もしそれを建設的に使わないならば、たちまち過ぎ去ってしまうのだ」(注)とは、アメリカ公民権運動の指導者キング博士の言葉である。

 小説『新・人間革命』の引用文献
 注 マーチン・ルーサー・キング著『黒人の進む道』猿谷要訳、サイマル出版会
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2017年08月15日

雄飛 五十二

小説「新・人間革命」〉 雄飛 五十二

 ハワイで山本伸一は、太平洋戦争開戦の舞台となったパール・ハーバー(真珠湾)の戦艦アリゾナ記念館を訪れて献花し、平和への深い祈りを捧げた。また、世界十五カ国・地域の代表も参加して、ワイキキシェル野外公会堂で盛大に開かれた第一回日米親善友好大文化祭にも臨んだ。
 さらに彼は、ハワイ方面の各地から集ったリーダーの御書学習会を担当し、「開目抄」を拝して、末法の広宣流布に生きる同志の、尊き使命に言及していった。
 「東西の対立の壁は、世界を分断し、混迷の度は深まっています。私どもは、日蓮大聖人の門下として、全人類の救済をめざして、南無妙法蓮華経という最高の大法を流布しながら、今、再び、人間の生命の奥深く覚醒の光を当て、幸福と平和の暁鐘を打ち鳴らしていこうではありませんか!
 人びとの心の闇を破らずして世界の平和はありません。生命の尊厳といっても、己心の『仏』を顕在化させ、一人ひとりの人間を輝かせることから始まります。仏法をもって人びとを蘇生させながら、文化をもって人間と人間を結び、永遠なる人類平和の橋を架けることこそが、私たちの社会的使命です」
 ハワイでの八日間にわたる記念行事を終えた伸一は、一月二十日午後二時前(現地時間)、空路、ロサンゼルスへ向かった。
 そして、サンタモニカ市の世界文化センターで平和勤行会や、各国・地域の機関紙誌を発行する世界編集長会議、ロサンゼルス市制二百年を記念してシュライン公会堂で開催された日米親善大文化祭などに出席した。
 一万五千人が集って行われた、この大文化祭は、世界平和を願う日米の友の友情共演や、開拓者魂を歌い上げたミュージカルなどがあり、大喝采を浴びた。来賓として観賞した著名な女優は、頰を紅潮させて語った。
 「何か、熱い人間の魂の輝きを見た思いです。この団体のめざす理想、精神に触れ、そのすばらしさに感動しました」
 文化は心の共鳴をもたらし、人間を結ぶ。
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2017年08月14日

雄飛 五十一

小説「新・人間革命」〉 雄飛 五十一

 前年十月、アメリカで教学の研鑽を呼びかけた山本伸一は、今回の訪問でも自ら率先垂範して御書を拝し、指導していった。
 世界教学最高会議では、「行学の二道をはげみ候べし、行学た(絶)へなば仏法はあるべからず、我もいたし人をも教化候へ、行学は信心よりをこるべく候、力あらば一文一句なりともかた(談)らせ給うべし」(御書一三六一ページ)の御文を通して訴えた。
 「『行』とは、自行化他にわたる実践であり、唱題と折伏のことです。『学』とは教学の研鑽です。『行学』に励む人こそが、真の日蓮大聖人の門下です。そして、この二道の絶えざる実践がなければ、それは、もはや仏法ではないと、大聖人は仰せなんです。
 このお言葉通りに実践し、さまざまな難を受けながら、広宣流布を進めてきたのは学会しかありません。この厳たる事実は、誰人も否定することはできない。
 『行学』の二道は、信心から起こる。『行学』を怠っているということは、信心を失っていることにほかならない。信心とは、いかなる脅し、迫害、誘惑にも絶対に屈せず、不退を貫き、ひたぶるに御本尊を信受し、広宣流布に邁進していくことです。
 『行』と『学』は、信心を機軸にした車の両輪といえます。したがって、いくら知識としての教学に精通していったとしても、『行』という実践がなければ、片方の輪だけで進もうとするようなものであり、正しい信心の軌道から外れていかざるを得ない。
 これまでにも実践なき偏頗な教学に陥り、われ偉しと思い、傲り高ぶって、健気に信心に励む同志から嫌われ、退転していった人もおりました。まことに残念でならない。
 私たちは、いわゆる職業的仏教学者になるために教学を研鑽するのではない。自身の信心を深め、一生成仏をめざすためであり、広宣流布推進のための教学であることを、あらためて確認しておきたいのであります」
 創価教学とは実践の教学であり、自他共の幸福を創造する生命の法理の探究である。
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2017年08月10日

雄飛 四十八

小説「新・人間革命」〉 雄飛 四十八  

 シカゴ文化祭に引き続いて、記念総会が行われた。
 この席でアメリカの理事長が、「明年、シカゴで世界平和文化祭を開催してはどうか」との、山本伸一の提案を発表し、参加者に諮ると、大きな賛同の拍手が広がった。
 総会のあいさつで伸一は、教学の重要性に触れ、どこまでも御書根本に仏道修行に励んでいくべきであることを訴えた。
 それぞれが我見に走れば、団結することはできない。しかし、御書に立ち返れば、心を一つにすることができる。仏法の法理にこそ、私たちの行動の規範がある。
 教学の研鑽を呼びかけた伸一は、シカゴを発つ十三日の朝、代表幹部に「御義口伝」を講義した。さらに空港の待ち時間にも、幹部らに「開目抄」を講義し、仏法者の在り方を指導した。率先垂範の行動こそが、リーダーの不可欠な要件である。
  
 ロサンゼルスに到着した伸一は、サンタモニカ市へ向かい、世界文化センターでの勤行会やSGI親善代表者会議に出席。そして十七日夜、世界四十八カ国・地域の代表一万五千人が集って開催された、第一回SGI総会に出席した。会場のロサンゼルス市のシュライン公会堂は、アカデミー賞の授賞式などが行われた由緒ある荘厳な建物である。
 総会に対して、国連事務総長、アメリカの上・下院議員、地元カリフォルニア州をはじめ、ニューヨーク州などの各州知事、ロサンゼルス市やデトロイト市などの各市長、ミネソタ大学学長ら各大学関係者等から、祝福のメッセージが寄せられた。
 席上、伸一は、一九五三年(昭和二十八年)七月、恩師・戸田城聖から贈られた和歌「大鵬の 空をぞかける 姿して 千代の命を くらしてぞあれ」を紹介し、その言葉の通りに全世界を駆け巡り、妙法広布に尽くし抜いていきたいとの決意と真情を披瀝した。
 “いよいよ、これからだ!”――彼の眼は、希望の旭日に輝く新世紀を見すえていた。
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2017年08月09日

雄飛 四十七

小説「新・人間革命」〉 雄飛 四十七

 シカゴ文化祭でサチエ・ペリーは、山本伸一への手紙として認めた、自身の体験を読み上げていった。
 「親愛なる山本先生! 信心を始めた時、自信も、勇気も、志もなく、ただ生活苦にあえぐ毎日でした。信心で幸せをつかむしかないと思った私は、懸命に弘教に励みました」
 一家の来し方がスライドで映し出される。
 彼女は、感動に声を震わせながら叫んだ。
 「先生! 私は、今、一家和楽を勝ち取り、こんなに幸せになりました。子どもたちも立派に成長しています。私の子どもたちを、いつか先生に見ていただきたいと願ってきました。これが、その子どもたちです!」
 舞台のスポットライトが七人の子どもたちを照らした。歌と演奏が始まった。軽やかなリズムに合わせ、歌い、楽器を奏でる子どもたち。母の目には涙が光っていた。その歌声は、希望の朝を告げるファンファーレであり、その調べは、幸の歓喜の音律であった。
 伸一は、家族の勝利劇の舞台を、ひときわ大きな拍手で賞讃した。
 世界の平和は、一人の人間革命、宿命転換から始まる。平和の実像は、一家の和楽、幸福にこそある。
 彼は、出演者らに、次々と激励の句などを詠んでいった。そして、ペリー一家を代表して、長男に、「母の曲 誇りかがやけ 王者の子」との句を認めて贈ったのである。
 子どもたちは、母の志を受け継ぎ、アメリカ社会と広布のリーダーに育っていく。たとえば、病弱だった末娘のアユミは、経済苦のなか、大学に進んで教育の仕事に携わり、さらに大学院に学び博士号を取得。教育者や企業・団体のリーダー、国連職員などの人材育成プログラムを提供する仕事に従事する。また、アメリカSGIにあって、全米の婦人部長として活躍していくのである。
 アメリカ広布二十周年――万人が等しく仏の生命を具えていることを説き示す日蓮仏法によって、新たなアメリカンドリームが実を結び、多くの幸の人華を咲かせていたのだ。
posted by ハジャケン at 10:27| 山梨 ☔| 新・人間革命 30-3雄飛 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月08日

雄飛 四十六

小説「新・人間革命」〉 雄飛 四十六

 ワシントンDCに続いて訪れたシカゴでは、十二日、市内のマダイナ公会堂に五千人のメンバーが喜々として集い、シカゴ文化祭、そして記念総会が行われた。
 二十年前、山本伸一がシカゴを初訪問した時、メンバーは十数人であったことを思うと、隔世の感があった。この文化祭で、ひときわ彼の心をとらえたのは、サチエ・ペリーと、その七人の子どもによる演目であった。
 彼女は十四歳の時に広島で被爆していた。一九五二年(昭和二十七年)、米軍の軍人であった夫と結婚し、アメリカに渡った。だが、待ち受けていたのは、夫のアルコール依存症と暴力、経済苦、子どもの非行、言葉の壁、偏見と差別であった。七人の子どもを育てるために、必死に働いた。一家の住む地域は、人種間の対立や争いごとが絶えず、夫から、護身用として銃を持たされた。苦悩にあえぎ、恐怖に怯える毎日であった。
 そんなある日、近所に住む日系の婦人から仏法の話を聞き、信心を始めた。六五年(同四十年)のことである。
 必ず幸せになれるとの励ましに心は燃えた。何よりも宿命を転換したかった。題目を唱えると勇気が湧いた。そして、教学を学ぶなかで、自分には地涌の菩薩として、このアメリカの人たちに妙法を教え、自他共の幸福を実現していく使命があることを知ったのだ。
 人生の真の意義を知る時、生命は蘇る。
 カタコトの英語を駆使して弘教に歩いた。
 宿命は怒濤のごとく、彼女を襲った。末娘は病に苦しみ、手術を繰り返した。夫のアルコール依存症、経済苦も続いた。しかし、“何があっても、断じて負けまい”と、信心を根本に、敢然と立ち向かう自分になっていた。七人の子どもたちも信心に励み、家計を支えるためにバンドを組み、プロとして活躍するようになった。宿命と戦いながらも、希望と歓喜を実感する日々であった。
 彼女は、この体験を、文化祭の舞台で読み上げたのである。一人ひとりの蘇生の体験があってこそ、普遍の法理は証明されていく。
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2017年08月07日

雄飛 四十五

小説「新・人間革命」〉 雄飛 四十五

 山本伸一は、今回のハワイ訪問では、ジョージ・アリヨシ州知事と会談したほか、ハワイ総会に出席するなど、精力的に平和交流とメンバーの激励に奔走した。
 そして、サンフランシスコ、ワシントンDCと回り、十月十日にはシカゴに到着した。
 伸一は、“行く先々で、一人でも多くのメンバーにお目にかかり、全力で励まそう”と固く決意していた。
 各地のアメリカ広布二十周年の記念総会に臨み、会館を訪れ、協議会等にも出席した。少しでも時間があれば家庭訪問もした。
 サンフランシスコでは総会に集った三千五百人の友と交歓。第一回のアメリカ訪問の折に足を運んだ、コロンブス像が立つテレグラフ・ヒルにも行き、メンバーの代表と記念撮影し、アメリカ広布への新出発を誓い合った。
 また、ワシントンDCでの記念総会では、参加した四千人のメンバーを激励。翌日の最高協議会では、法華経に登場する「大王膳」について語り、指導した。
 「『大王膳』とは、法華経の偉大さを山海の珍味に満たされた“王様の食膳”に譬えたものです。不幸に泣いていた私どもが、御本尊に巡り合い、信心に励み、無量の功徳を得た所願満足の大境涯といえます。
 一方、どんなにご馳走があったとしても、反目し合いながらの食膳は『修羅膳』、あさましい、むさぼりの心の食膳は『餓鬼膳』であり、人を陥れようと陰謀を企てながらの食膳は、結局は『地獄膳』となってしまう。
 清らかな心で、世界広布、皆の幸福を願う私どもの食膳――広くとらえれば、日々の活動や会議も、最も豊かで貴い『大王膳』に通じることを確信してください。
 また、法華経には『人華』という言葉がある。妙法の光に照らされ、広宣流布に邁進していく人の美しさを、このように讃えているともいえます。その華は、歓喜に輝き、功徳が薫り、人びとに幸の芳香を放ち、人生の充実という満開の時を迎える。“私は人華である”との誇りをもって進んでいただきたい」
posted by ハジャケン at 08:36| 山梨 ☀| 新・人間革命 30-3雄飛 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月05日

雄飛 四十四

小説「新・人間革命」〉 雄飛 四十四

 山本伸一は、最初の訪問地であるハワイのホノルルで、ハワイ会館の諸行事に臨み、日本からのハワイ親善交流使節団や南米親善交流使節団のメンバーを激励した。
 十月二日には、ハワイ会館で行われた「世界平和の日」記念勤行会に出席した。
 「世界平和の日」は、二十年前の一九六〇年(昭和三十五年)のこの日、伸一が、初の海外訪問に旅立ったことから、学会として設定した記念日である。
 その平和旅の第一歩を印したのが、ハワイであった。それは、ここが、太平洋戦争の開戦の地であったからである。戦争の惨禍の歴史を刻んだ地から、世界平和の大潮流を起こしていこうと、深く心に決めていたのだ。
 初訪問の折、ハワイでの座談会に集ったのは、三、四十人にすぎなかった。参加者の多くは人生の悲哀に打ちのめされていた。米軍の兵士と結婚してハワイに渡ったものの、経済苦や夫の暴力に怯え、「日本へ帰りたい」と身の不運を嘆く婦人もいた。
 伸一は、真剣に信心に励むならば、幸福になれないわけがないと断言し、一人ひとりが宿命を転換して、自他共の幸福を築いていくために、地涌の使命を担い、ここに集っていることを、力の限り訴えた。
 眼前の苦悩する一人を励まし、勇気づけ、蘇生させることこそが、生命尊厳の社会を実現する確かな第一歩であり、平和建設の原点となる。
 彼は、参加者の心に確信の太陽が燃え輝くのを感じた。メンバーは、希望の青空を仰ぎ、広宣流布の使命に目覚め立っていった。
 この初の海外訪問では、北・南米を回り、アメリカ総支部、ブラジル、ロサンゼルスの二支部、ハワイなど十七地区が誕生したのだ。
 以来二十年、地涌の菩薩の陣列は、世界約九十カ国・地域へと広がった。伸一は、「世界平和の日」記念勤行会で、さらに、二十年後の西暦二〇〇〇年をめざして、民衆の堅固な平和のスクラムをもって、人類を、世界を結ぼうと誓願し、深い祈りを捧げた。
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2017年08月04日

雄飛 四十三

小説「新・人間革命」〉 雄飛 四十三

 宗門は、混乱の度を深めていった。
 宗門側は、山本伸一の法華講総講頭の辞任、学会の会長辞任をもって、学会攻撃はしないと言明していた。しかし、「正信会」の学会員への仕打ちは、ひどさを増しており、学会は宗門に約束を守るように要請してきた。
 宗門としても、前法主・日達の意向通りに、なんとか僧俗和合させようとしてきたが、彼らは、それを無視して、八月二十四日には日本武道館で全国檀徒大会を開催した。
 大会では、伸一の「法華講名誉総講頭の辞任」等を叫び、さらに、「学会は宗教法人として独立法人の形態を改めて、宗門の傘下に包括されるべきである」などと気勢をあげたのである。
 ここには山脇友政の姿は見られなかったが、原山高夫が参加して学会を批判し、日顕に対しても、「糾弾していかなくてはならない」などと話している。
 山脇の謀略に踊った「正信会」の僧たちの暴走は止まらなくなっていた。日顕との対決姿勢を明らかにし、質問状や、法主は「権限を濫用」しているなどとする「建言」を送付した。
 宗門を根本から揺るがしかねない事態であった。九月二十四日、宗門は責任役員会を開き、「正信会」の僧が「宗内の秩序を乱した」として、教師資格をもつ僧の約三分の一にあたる二百一人の懲戒処分を決定した。
 処分の対象となった僧たちは、抗議集会を開き、「人権無視の暴挙」などと騒ぎ立てた。
 宗門は、彼らを、順次、擯斥処分にしていった。この流れを見て、慌てて態度を変え、法主・宗務院に従う僧たちもいた。
 擯斥され、寺を明け渡すことになった住職らは、法廷で宗門と争っていくことになる。
  
 九月三十日午後十時、山本伸一は、成田の新東京国際空港(後の成田国際空港)を発って、一路、ホノルルをめざした。アメリカ広布二十周年を記念する諸行事に出席し、世界広宣流布の新しい幕を開くためである。
 世界広布の前進には、一刻の猶予もない。
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2017年08月03日

雄飛 四十二

小説「新・人間革命」〉 雄飛 四十二

 山本伸一の周囲には、小説の舞台となる時代の「聖教新聞」の縮刷版、メモ書きした用紙、参考書籍などが置かれていた。伸一は、メモ用紙を手にすると、記者に言った。
 「では、始めるよ! 準備はいいかい」
 口述が始まった。一声ごとに力がこもっていく。記者は、必死になって鉛筆を走らせる。しかし、伸一が文章を紡ぎ出す方が速く、筆記が追いついていかない。そこで記者の手の動きを見ながら口述していった。
 十五分ほど作業を進めると、伸一は、咳き込み始めた。咳は治まっても、息はゼイゼイしている。
 「少し休ませてもらうよ」
 彼は、また、畳の上に横になった。十分ほどして、記者の清書が終わるころ、呼吸は少し楽になった。また、力を込めて、畳をバンと叩いて身を起こした。
 「さあ、やろう! みんなが待っているんだもの。学会員は、悔しさを堪えながら頑張ってくれている。そう思うだけで、私は胸が熱くなるんだよ。だから、同志には、少しでも元気になってほしいんだ。勇気を奮い起こしてもらいたいんだよ」
 再び口述が始まった。しかし、やはり十分か十五分ほどすると、体を休めなければならなかった。
 こうして原稿を作り、それを何度も推敲する。さらにゲラにも直しを入れて、新聞掲載となるのである。連載は、ひとたび開始されれば、途中で休むわけにはいかない。そこに新聞連載小説の過酷さもある。伸一にとっては、まさに真剣勝負であり、生命を削る思いでの口述であった。
 「ことばは鍛えぬかれて、風を切る矢ともなれば炎の剣にもなる」(注)とは、デンマークの作家アンデルセンの箴言である。伸一も、そうあらねばならないと自らに言い聞かせ、わが同志の魂に響けと、一語一語、考え抜きながら原稿を仕上げていったのである。
 連載に対する反響は大きかった。全会員の心に、蘇生の光を注いだのである。
 小説『新・人間革命』の引用文献
 注 「北帰行」(『アンデルセン小説・紀行文学全集6』所収)鈴木徹郎訳、東京書籍
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2017年08月02日

雄飛 四十一

小説「新・人間革命」〉 雄飛 四十一

 「忘れ得ぬ同志」は、七月二十九日から連載を開始した。
 そして、小説『人間革命』第十一巻が、八月十日から週三回の連載でスタートしたのである。第一章のタイトルは「転機」とした。
 ――一九五六年(昭和三十一年)九月、戸田城聖が一切の事業から身を引き、残された人生の時間を広宣流布に捧げる決意をするとともに、山本伸一に「山口開拓指導」の指揮を託すところから始まっている。
 口述の場所は、神奈川研修道場や静岡研修道場など、山本伸一の行く先々で行われた。その前後には、たいてい全国各地の代表や各部の代表、あるいは地元メンバーとの懇談などが何組も入っていた。また伸一は、わずかな時間を見つけては家庭訪問に回った。
 彼は、『人間革命』の担当記者に言った。
 「私は、戸田先生の弟子だ。だから、どんな状況に追い込まれようが、どんな立場になろうが、広宣流布の戦いをやめるわけにはいかないんだ。命ある限り戦い続けるよ。しっかり、見ておくんだよ」
 しかし、激闘による疲れもたまっていた。
 咳が続き、発熱する日もあった。
 ある日、口述の準備をして、担当記者を待つ間、濡れたタオルで額を冷やしながら、畳の上に横になった。ほどなく、「失礼します!」という声がし、記者が部屋に入って来た。
 伸一は、薄く目を開けると、仰向けになったまま言った。
 「悪いけど、少し寝かせてくれないか」
 記者は、心配そうな顔で横に座った。
 伸一は、時々、咳き込む。目も充血している。“こんな状態で、果たして口述をしていただけるのか……”と記者は思った。
 カチッ、カチッ、カチッと、時計が時を刻んでいく。十分ほどしたころ、伸一は、勢いよく、バンと畳を叩き、体を起こした。
 「さあ、始めよう! 歴史を残そう。みんな、連載を楽しみにしているよ。喜んでくれる顔が、目に浮かぶじゃないか。“同志のために”と思うと、力が出るんだよ」
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2017年08月01日

雄飛 四十

小説「新・人間革命」〉 雄飛 四十

 七月下旬、山本伸一は、「忘れ得ぬ同志」と小説『人間革命』を担当する「聖教新聞」の記者たちと、神奈川研修道場で打ち合わせを行った。彼が、『人間革命』の連載再開を告げると、編集担当者は驚いた顔をした。そして、ためらいがちに話し始めた。
 「読者は、大喜びすると思います。しかし、宗門の若手僧たちは大騒ぎし、先生が格好の標的になってしまうのでは……」
 こう言って口ごもった。
 すかさず、伸一は強い語調で語り始めた。
 「そんなことはわかっているよ。今、大事なことは、私がどうなるかではない。守るべきは同志です。学会員は、非道な僧や、それに同調する人間たちから、冷酷な仕打ちを受け続けても、じっと堪え、広宣流布のため、学会のために、健気に、一途に、懸命に頑張ってくださっている。
 私の責任は、仏子である、その学会員の皆さんを守ることだ。勇気の光、希望の光、確信の光を送り、皆が自信と誇りをもって、使命の道に邁進していけるようにすることだ。そのために私がいるんです。
 したがって、今だからこそ、『人間革命』を書かなければならない。それが私の戦いなんだよ。いいね。わかるね」
 記者は、大きく頷いた。
 伸一は、笑みを浮かべ、言葉をついだ。
 「できるだけ早く始めたいんだ。挿絵を担当してくださっている画伯とも、至急、連絡を取ってほしい。また、実は今、肩が痛くて腕が上がらないんだよ。すまないが、場合によっては、口述を書き取って連載するようにしてくれないか」
 この一九八〇年(昭和五十五年)の夏、関東地方は長雨で、蒸し暑い日が続いていた。伸一は、前年からの疲労が重なっており、その天候が体にこたえた。しかし、彼は燃えていた。胸には闘志があふれていた。
 「正義は必ず勝つという信念のみが、私たちを鼓舞する」(注)とは、マハトマ・ガンジーの魂の言葉である。
 小説『新・人間革命』の引用文献
 注 『マハトマ・ガンジー全集 68巻』インド政府出版局(英語)
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2017年07月31日

雄飛 三十九

小説「新・人間革命」〉 雄飛 三十九

 学会が山脇友政を告訴した六月七日、宗門の宗会議員選挙の結果が発表された。学会攻撃を続ける若手僧らが、十六議席のうち過半数を占める十議席を獲得した。七月三日には選挙後初の宗会が開かれ、彼らが宗会議長などの主要ポストを得たのだ。
 そして翌四日、彼らは、正式に「正信会」と称する組織を結成した。七月の御講では、学会批判を禁ずる再三の院達を全く無視して、多くの寺で、学会への激しい攻撃が行われた。
 こうした動きの背後にも、追い詰められた山脇の暗躍があった。山脇に煽動された彼らは、宗門の指示に従わず、勝手な行動を繰り返した。
 悪侶や週刊誌等による学会への集中砲火を、同志は耐え忍んだ。職場などで、同僚や上司から週刊誌の学会批判の話を聞かされる人もいた。しかし、創価の仏子たちは、「難来るを以て安楽と意得可きなり」(御書七五〇ページ)、「賢聖は罵詈して試みるなるべし」(同九五八ページ)等の御文を思い起こしながら、互いに励まし合い、弘教に走った。
 当時、「聖教新聞」は、ようやく山本伸一の行動等が報じられるようになったとはいえ、まだ、遠慮がちな掲載で、力強い前進の息吹を与えるものとはなっていなかった。
 伸一は、同志を思い、心を痛めた。
 “皆に、新生の光を送らねばならない!”
 折しも聖教新聞社からは、広布途上に逝去した草創の友らの回想録を連載してほしいとの要望が出されていた。伸一は、草創期から黙々と信心に励み、学会を支え、生涯を広宣流布に捧げた同志を宣揚しようと、その連載の開始を決めた。功労の同志の尊き生き方を通して、皆を勇気づけたかったのだ。タイトルは「忘れ得ぬ同志」である。
 また、小説『人間革命』も、二年前の八月に第十巻を終了して以来、連載を中断しており、再開を望む声が数多く寄せられていた。彼は、『人間革命』の執筆も決意した。
 吹き荒れる嵐に向かい、敢然と一人立つ――これが学会魂だ。これが師子の道だ。
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