2017年08月19日

雄飛 五十六

小説「新・人間革命」〉 雄飛 五十六

 「メキシコの詩心に思うこと」――それが、グアダラハラ大学での山本伸一の記念講演のタイトルであった。
 彼は、“太陽と情熱の国”メキシコの人びとの独特な心の豊かさにふれつつ、そこにある詩心や笑顔は、心と心の回路の開放を意味しており、平和の建設、文化の交流においても、この心の回路の開放こそが肝心であることを論じた。また、メキシコの人びとがラテンアメリカ地域の非核化に、強いイニシアチブをとって努力を続けていることに深い敬意を表したのである。
 伸一は、グアダラハラから、アメリカのロサンゼルスに戻り、さらにハワイを訪問。ここでも、懇談会や御書研鑽会で入魂の指導を重ね、三月十二日に帰国した。
 彼は、渾身の力を尽くして、日本の、世界の同志への激励行を続けてきたのである。広布は、次第に上げ潮へと転じ始めていた。
 そして、5・3「創価学会の日」を祝賀する記念行事が、晴れやかに創価大学で開催された。伸一は、五月二日から五日まで、連日、記念勤行会、記念祝賀会等に出席した。
 創価の師弟の陣列は、薫風のなか、さっそうと二十一世紀への行進を開始したのだ。
  
 “さあ、世界の平和のために、走り続けよう!”――伸一は、五月九日、休む間もなく、ソ連、欧州、北米訪問へと旅立っていった。
 最初の訪問国であるソ連は、世界から非難の集中砲火を浴びていた時であった。一九七九年(昭和五十四年)十二月、ソ連軍がアフガニスタンに侵攻したことから、八〇年(同五十五年)夏のモスクワ五輪を、六十を超える国々がボイコットし、ソ連は国際的に厳しい状況に追い込まれていたのである。
 しかし、伸一は、すべてを政治的な問題に集約させ、対話の窓口を閉ざしてはならないと考えていた。そんな時だからこそ、文化・教育を全面的に掲げ、民衆の相互理解を促進する民間交流に、最大の力を注ぐべきであるというのが、彼の信念であった。
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2017年08月17日

雄飛 五十四

小説「新・人間革命」〉 雄飛 五十四

 二月二十六日、山本伸一は、パナマからメキシコへ向かった。メキシコの正式な訪問は、十六年ぶり二度目である。
 パナマでも、メキシコでも、空港では国営テレビや新聞社の記者会見が待っていた。それは、学会の平和・教育・文化の運動が、世界各地で高く評価されてきたことを裏づけるものであった。
 メキシコ市では、会館を初訪問したほか、メキシコ市郊外にある古代都市テオティワカンの遺跡の視察や、日本・メキシコ親善文化祭などに出席した。
 三月二日には、大統領官邸を表敬訪問し、ホセ・ロペス・ポルチーヨ大統領と会見した。さらに、図書贈呈のためメキシコ国立自治大学を訪れ、総長らとも会談した。
 大学を後にした伸一は、途中、車を降り、同行していた妻の峯子と市街を歩いた。
 広々とした目抜き通りに出ると、陽光を浴びて独立記念塔が、空高くそびえ立っていた。柱の上に設置された、金色に輝く像は、背中の翼を大きく広げ、右手に勝利の象徴である月桂冠を、左手には勝ち取った自由を表す、ちぎれた鎖を持っている。
 伸一が、「ここだったね」と峯子に言うと、彼女も「そうでしたね」と答える。
 実は、このメキシコの光景を、恩師・戸田城聖は、克明に話していたのである。
 それは、彼が世を去る十日ほど前のことであった。伸一が、既に病床に伏していた戸田に呼ばれ、枕元へいくと、にこやかな表情を浮かべて語りかけた。
 「昨日は、メキシコへ行った夢を見たよ。……待っていた、みんな待っていたよ。日蓮大聖人の仏法を求めてな。行きたいな、世界へ。広宣流布の旅に……」
 体は衰弱していても、心は一歩も退くことなく、世界を駆け巡っていたのだ。それが、“広布の闘将”の魂であり、心意気である。
 そして、戸田は、夢のなかで見たという、メキシコ市の中心にそびえ立つ独立記念塔と街の景観を語っていったのである。
posted by ハジャケン at 09:04| 山梨 ☁| 新・人間革命 30-3雄飛 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月16日

雄飛 五十三

小説「新・人間革命」〉 雄飛 五十三

 日本では、一月二十四日、あの山脇友政が、学会への恐喝及び同未遂の容疑で逮捕された。警視庁は、前年十月に告訴を正式受理し、以来、事情聴取を重ね、慎重に捜査を続けてきた。そして、遂に容疑が固まり、逮捕に踏み切ったのである。
 山脇は、自らを擁護するために一部週刊誌などを使って、さまざまな反学会キャンペーンを展開してきたが、その後の裁判の過程などで、彼がいかに虚偽に満ちた、信憑性のない、悪質な言動を繰り返してきたかが、白日のもとにさらされていくのである。
 山脇が逮捕されると、東京地検から伸一に、事情聴取の要請があった。学会としても、真相を究明し、断じて正邪を明らかにしてほしかった。彼は、この要請に応じるために、急遽、アメリカ指導を中断し、いったん帰国することになった。
 伸一は、アメリカのメンバーに告げた。
 「どうしても帰らなければならなくなってしまいました。また戻ってきます。アメリカは世界広布の要です。しっかり団結して、世界模範の人間共和の組織をつくってください」
 彼は、二十八日に帰国すると、四度にわたって事情聴取に応じた。また、県長会議メンバーとの懇談会等に臨み、二月十五日、再びアメリカへ戻った。
 伸一は、サンタモニカ市の世界文化センターやマリブ研修所で指導、激励を重ね、マイアミ市に移り、十九日にはパナマへ飛んだ。
 パナマは七年ぶりの訪問であり、多くのメンバーが誕生していた。中米七カ国の代表らとの懇談、パナマ国立劇場での日パ親善文化祭への出席、大統領やパナマ市長らとの会談、日本人学校への図書贈呈、パナマ大学の訪問など、彼は、新世紀への布石を打つために、精力的に動きに動いた。
 「時間はだれをも待ってはくれない、ということである。もしそれを建設的に使わないならば、たちまち過ぎ去ってしまうのだ」(注)とは、アメリカ公民権運動の指導者キング博士の言葉である。

 小説『新・人間革命』の引用文献
 注 マーチン・ルーサー・キング著『黒人の進む道』猿谷要訳、サイマル出版会
posted by ハジャケン at 09:36| 山梨 ☁| 新・人間革命 30-3雄飛 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月15日

雄飛 五十二

小説「新・人間革命」〉 雄飛 五十二

 ハワイで山本伸一は、太平洋戦争開戦の舞台となったパール・ハーバー(真珠湾)の戦艦アリゾナ記念館を訪れて献花し、平和への深い祈りを捧げた。また、世界十五カ国・地域の代表も参加して、ワイキキシェル野外公会堂で盛大に開かれた第一回日米親善友好大文化祭にも臨んだ。
 さらに彼は、ハワイ方面の各地から集ったリーダーの御書学習会を担当し、「開目抄」を拝して、末法の広宣流布に生きる同志の、尊き使命に言及していった。
 「東西の対立の壁は、世界を分断し、混迷の度は深まっています。私どもは、日蓮大聖人の門下として、全人類の救済をめざして、南無妙法蓮華経という最高の大法を流布しながら、今、再び、人間の生命の奥深く覚醒の光を当て、幸福と平和の暁鐘を打ち鳴らしていこうではありませんか!
 人びとの心の闇を破らずして世界の平和はありません。生命の尊厳といっても、己心の『仏』を顕在化させ、一人ひとりの人間を輝かせることから始まります。仏法をもって人びとを蘇生させながら、文化をもって人間と人間を結び、永遠なる人類平和の橋を架けることこそが、私たちの社会的使命です」
 ハワイでの八日間にわたる記念行事を終えた伸一は、一月二十日午後二時前(現地時間)、空路、ロサンゼルスへ向かった。
 そして、サンタモニカ市の世界文化センターで平和勤行会や、各国・地域の機関紙誌を発行する世界編集長会議、ロサンゼルス市制二百年を記念してシュライン公会堂で開催された日米親善大文化祭などに出席した。
 一万五千人が集って行われた、この大文化祭は、世界平和を願う日米の友の友情共演や、開拓者魂を歌い上げたミュージカルなどがあり、大喝采を浴びた。来賓として観賞した著名な女優は、頰を紅潮させて語った。
 「何か、熱い人間の魂の輝きを見た思いです。この団体のめざす理想、精神に触れ、そのすばらしさに感動しました」
 文化は心の共鳴をもたらし、人間を結ぶ。
posted by ハジャケン at 09:47| 山梨 ☁| 新・人間革命 30-3雄飛 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月14日

雄飛 五十一

小説「新・人間革命」〉 雄飛 五十一

 前年十月、アメリカで教学の研鑽を呼びかけた山本伸一は、今回の訪問でも自ら率先垂範して御書を拝し、指導していった。
 世界教学最高会議では、「行学の二道をはげみ候べし、行学た(絶)へなば仏法はあるべからず、我もいたし人をも教化候へ、行学は信心よりをこるべく候、力あらば一文一句なりともかた(談)らせ給うべし」(御書一三六一ページ)の御文を通して訴えた。
 「『行』とは、自行化他にわたる実践であり、唱題と折伏のことです。『学』とは教学の研鑽です。『行学』に励む人こそが、真の日蓮大聖人の門下です。そして、この二道の絶えざる実践がなければ、それは、もはや仏法ではないと、大聖人は仰せなんです。
 このお言葉通りに実践し、さまざまな難を受けながら、広宣流布を進めてきたのは学会しかありません。この厳たる事実は、誰人も否定することはできない。
 『行学』の二道は、信心から起こる。『行学』を怠っているということは、信心を失っていることにほかならない。信心とは、いかなる脅し、迫害、誘惑にも絶対に屈せず、不退を貫き、ひたぶるに御本尊を信受し、広宣流布に邁進していくことです。
 『行』と『学』は、信心を機軸にした車の両輪といえます。したがって、いくら知識としての教学に精通していったとしても、『行』という実践がなければ、片方の輪だけで進もうとするようなものであり、正しい信心の軌道から外れていかざるを得ない。
 これまでにも実践なき偏頗な教学に陥り、われ偉しと思い、傲り高ぶって、健気に信心に励む同志から嫌われ、退転していった人もおりました。まことに残念でならない。
 私たちは、いわゆる職業的仏教学者になるために教学を研鑽するのではない。自身の信心を深め、一生成仏をめざすためであり、広宣流布推進のための教学であることを、あらためて確認しておきたいのであります」
 創価教学とは実践の教学であり、自他共の幸福を創造する生命の法理の探究である。
posted by ハジャケン at 08:44| 山梨 ☀| 新・人間革命 30-3雄飛 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月10日

雄飛 四十八

小説「新・人間革命」〉 雄飛 四十八  

 シカゴ文化祭に引き続いて、記念総会が行われた。
 この席でアメリカの理事長が、「明年、シカゴで世界平和文化祭を開催してはどうか」との、山本伸一の提案を発表し、参加者に諮ると、大きな賛同の拍手が広がった。
 総会のあいさつで伸一は、教学の重要性に触れ、どこまでも御書根本に仏道修行に励んでいくべきであることを訴えた。
 それぞれが我見に走れば、団結することはできない。しかし、御書に立ち返れば、心を一つにすることができる。仏法の法理にこそ、私たちの行動の規範がある。
 教学の研鑽を呼びかけた伸一は、シカゴを発つ十三日の朝、代表幹部に「御義口伝」を講義した。さらに空港の待ち時間にも、幹部らに「開目抄」を講義し、仏法者の在り方を指導した。率先垂範の行動こそが、リーダーの不可欠な要件である。
  
 ロサンゼルスに到着した伸一は、サンタモニカ市へ向かい、世界文化センターでの勤行会やSGI親善代表者会議に出席。そして十七日夜、世界四十八カ国・地域の代表一万五千人が集って開催された、第一回SGI総会に出席した。会場のロサンゼルス市のシュライン公会堂は、アカデミー賞の授賞式などが行われた由緒ある荘厳な建物である。
 総会に対して、国連事務総長、アメリカの上・下院議員、地元カリフォルニア州をはじめ、ニューヨーク州などの各州知事、ロサンゼルス市やデトロイト市などの各市長、ミネソタ大学学長ら各大学関係者等から、祝福のメッセージが寄せられた。
 席上、伸一は、一九五三年(昭和二十八年)七月、恩師・戸田城聖から贈られた和歌「大鵬の 空をぞかける 姿して 千代の命を くらしてぞあれ」を紹介し、その言葉の通りに全世界を駆け巡り、妙法広布に尽くし抜いていきたいとの決意と真情を披瀝した。
 “いよいよ、これからだ!”――彼の眼は、希望の旭日に輝く新世紀を見すえていた。
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2017年08月09日

雄飛 四十七

小説「新・人間革命」〉 雄飛 四十七

 シカゴ文化祭でサチエ・ペリーは、山本伸一への手紙として認めた、自身の体験を読み上げていった。
 「親愛なる山本先生! 信心を始めた時、自信も、勇気も、志もなく、ただ生活苦にあえぐ毎日でした。信心で幸せをつかむしかないと思った私は、懸命に弘教に励みました」
 一家の来し方がスライドで映し出される。
 彼女は、感動に声を震わせながら叫んだ。
 「先生! 私は、今、一家和楽を勝ち取り、こんなに幸せになりました。子どもたちも立派に成長しています。私の子どもたちを、いつか先生に見ていただきたいと願ってきました。これが、その子どもたちです!」
 舞台のスポットライトが七人の子どもたちを照らした。歌と演奏が始まった。軽やかなリズムに合わせ、歌い、楽器を奏でる子どもたち。母の目には涙が光っていた。その歌声は、希望の朝を告げるファンファーレであり、その調べは、幸の歓喜の音律であった。
 伸一は、家族の勝利劇の舞台を、ひときわ大きな拍手で賞讃した。
 世界の平和は、一人の人間革命、宿命転換から始まる。平和の実像は、一家の和楽、幸福にこそある。
 彼は、出演者らに、次々と激励の句などを詠んでいった。そして、ペリー一家を代表して、長男に、「母の曲 誇りかがやけ 王者の子」との句を認めて贈ったのである。
 子どもたちは、母の志を受け継ぎ、アメリカ社会と広布のリーダーに育っていく。たとえば、病弱だった末娘のアユミは、経済苦のなか、大学に進んで教育の仕事に携わり、さらに大学院に学び博士号を取得。教育者や企業・団体のリーダー、国連職員などの人材育成プログラムを提供する仕事に従事する。また、アメリカSGIにあって、全米の婦人部長として活躍していくのである。
 アメリカ広布二十周年――万人が等しく仏の生命を具えていることを説き示す日蓮仏法によって、新たなアメリカンドリームが実を結び、多くの幸の人華を咲かせていたのだ。
posted by ハジャケン at 10:27| 山梨 ☔| 新・人間革命 30-3雄飛 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月08日

雄飛 四十六

小説「新・人間革命」〉 雄飛 四十六

 ワシントンDCに続いて訪れたシカゴでは、十二日、市内のマダイナ公会堂に五千人のメンバーが喜々として集い、シカゴ文化祭、そして記念総会が行われた。
 二十年前、山本伸一がシカゴを初訪問した時、メンバーは十数人であったことを思うと、隔世の感があった。この文化祭で、ひときわ彼の心をとらえたのは、サチエ・ペリーと、その七人の子どもによる演目であった。
 彼女は十四歳の時に広島で被爆していた。一九五二年(昭和二十七年)、米軍の軍人であった夫と結婚し、アメリカに渡った。だが、待ち受けていたのは、夫のアルコール依存症と暴力、経済苦、子どもの非行、言葉の壁、偏見と差別であった。七人の子どもを育てるために、必死に働いた。一家の住む地域は、人種間の対立や争いごとが絶えず、夫から、護身用として銃を持たされた。苦悩にあえぎ、恐怖に怯える毎日であった。
 そんなある日、近所に住む日系の婦人から仏法の話を聞き、信心を始めた。六五年(同四十年)のことである。
 必ず幸せになれるとの励ましに心は燃えた。何よりも宿命を転換したかった。題目を唱えると勇気が湧いた。そして、教学を学ぶなかで、自分には地涌の菩薩として、このアメリカの人たちに妙法を教え、自他共の幸福を実現していく使命があることを知ったのだ。
 人生の真の意義を知る時、生命は蘇る。
 カタコトの英語を駆使して弘教に歩いた。
 宿命は怒濤のごとく、彼女を襲った。末娘は病に苦しみ、手術を繰り返した。夫のアルコール依存症、経済苦も続いた。しかし、“何があっても、断じて負けまい”と、信心を根本に、敢然と立ち向かう自分になっていた。七人の子どもたちも信心に励み、家計を支えるためにバンドを組み、プロとして活躍するようになった。宿命と戦いながらも、希望と歓喜を実感する日々であった。
 彼女は、この体験を、文化祭の舞台で読み上げたのである。一人ひとりの蘇生の体験があってこそ、普遍の法理は証明されていく。
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2017年08月07日

雄飛 四十五

小説「新・人間革命」〉 雄飛 四十五

 山本伸一は、今回のハワイ訪問では、ジョージ・アリヨシ州知事と会談したほか、ハワイ総会に出席するなど、精力的に平和交流とメンバーの激励に奔走した。
 そして、サンフランシスコ、ワシントンDCと回り、十月十日にはシカゴに到着した。
 伸一は、“行く先々で、一人でも多くのメンバーにお目にかかり、全力で励まそう”と固く決意していた。
 各地のアメリカ広布二十周年の記念総会に臨み、会館を訪れ、協議会等にも出席した。少しでも時間があれば家庭訪問もした。
 サンフランシスコでは総会に集った三千五百人の友と交歓。第一回のアメリカ訪問の折に足を運んだ、コロンブス像が立つテレグラフ・ヒルにも行き、メンバーの代表と記念撮影し、アメリカ広布への新出発を誓い合った。
 また、ワシントンDCでの記念総会では、参加した四千人のメンバーを激励。翌日の最高協議会では、法華経に登場する「大王膳」について語り、指導した。
 「『大王膳』とは、法華経の偉大さを山海の珍味に満たされた“王様の食膳”に譬えたものです。不幸に泣いていた私どもが、御本尊に巡り合い、信心に励み、無量の功徳を得た所願満足の大境涯といえます。
 一方、どんなにご馳走があったとしても、反目し合いながらの食膳は『修羅膳』、あさましい、むさぼりの心の食膳は『餓鬼膳』であり、人を陥れようと陰謀を企てながらの食膳は、結局は『地獄膳』となってしまう。
 清らかな心で、世界広布、皆の幸福を願う私どもの食膳――広くとらえれば、日々の活動や会議も、最も豊かで貴い『大王膳』に通じることを確信してください。
 また、法華経には『人華』という言葉がある。妙法の光に照らされ、広宣流布に邁進していく人の美しさを、このように讃えているともいえます。その華は、歓喜に輝き、功徳が薫り、人びとに幸の芳香を放ち、人生の充実という満開の時を迎える。“私は人華である”との誇りをもって進んでいただきたい」
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2017年08月05日

雄飛 四十四

小説「新・人間革命」〉 雄飛 四十四

 山本伸一は、最初の訪問地であるハワイのホノルルで、ハワイ会館の諸行事に臨み、日本からのハワイ親善交流使節団や南米親善交流使節団のメンバーを激励した。
 十月二日には、ハワイ会館で行われた「世界平和の日」記念勤行会に出席した。
 「世界平和の日」は、二十年前の一九六〇年(昭和三十五年)のこの日、伸一が、初の海外訪問に旅立ったことから、学会として設定した記念日である。
 その平和旅の第一歩を印したのが、ハワイであった。それは、ここが、太平洋戦争の開戦の地であったからである。戦争の惨禍の歴史を刻んだ地から、世界平和の大潮流を起こしていこうと、深く心に決めていたのだ。
 初訪問の折、ハワイでの座談会に集ったのは、三、四十人にすぎなかった。参加者の多くは人生の悲哀に打ちのめされていた。米軍の兵士と結婚してハワイに渡ったものの、経済苦や夫の暴力に怯え、「日本へ帰りたい」と身の不運を嘆く婦人もいた。
 伸一は、真剣に信心に励むならば、幸福になれないわけがないと断言し、一人ひとりが宿命を転換して、自他共の幸福を築いていくために、地涌の使命を担い、ここに集っていることを、力の限り訴えた。
 眼前の苦悩する一人を励まし、勇気づけ、蘇生させることこそが、生命尊厳の社会を実現する確かな第一歩であり、平和建設の原点となる。
 彼は、参加者の心に確信の太陽が燃え輝くのを感じた。メンバーは、希望の青空を仰ぎ、広宣流布の使命に目覚め立っていった。
 この初の海外訪問では、北・南米を回り、アメリカ総支部、ブラジル、ロサンゼルスの二支部、ハワイなど十七地区が誕生したのだ。
 以来二十年、地涌の菩薩の陣列は、世界約九十カ国・地域へと広がった。伸一は、「世界平和の日」記念勤行会で、さらに、二十年後の西暦二〇〇〇年をめざして、民衆の堅固な平和のスクラムをもって、人類を、世界を結ぼうと誓願し、深い祈りを捧げた。
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2017年08月04日

雄飛 四十三

小説「新・人間革命」〉 雄飛 四十三

 宗門は、混乱の度を深めていった。
 宗門側は、山本伸一の法華講総講頭の辞任、学会の会長辞任をもって、学会攻撃はしないと言明していた。しかし、「正信会」の学会員への仕打ちは、ひどさを増しており、学会は宗門に約束を守るように要請してきた。
 宗門としても、前法主・日達の意向通りに、なんとか僧俗和合させようとしてきたが、彼らは、それを無視して、八月二十四日には日本武道館で全国檀徒大会を開催した。
 大会では、伸一の「法華講名誉総講頭の辞任」等を叫び、さらに、「学会は宗教法人として独立法人の形態を改めて、宗門の傘下に包括されるべきである」などと気勢をあげたのである。
 ここには山脇友政の姿は見られなかったが、原山高夫が参加して学会を批判し、日顕に対しても、「糾弾していかなくてはならない」などと話している。
 山脇の謀略に踊った「正信会」の僧たちの暴走は止まらなくなっていた。日顕との対決姿勢を明らかにし、質問状や、法主は「権限を濫用」しているなどとする「建言」を送付した。
 宗門を根本から揺るがしかねない事態であった。九月二十四日、宗門は責任役員会を開き、「正信会」の僧が「宗内の秩序を乱した」として、教師資格をもつ僧の約三分の一にあたる二百一人の懲戒処分を決定した。
 処分の対象となった僧たちは、抗議集会を開き、「人権無視の暴挙」などと騒ぎ立てた。
 宗門は、彼らを、順次、擯斥処分にしていった。この流れを見て、慌てて態度を変え、法主・宗務院に従う僧たちもいた。
 擯斥され、寺を明け渡すことになった住職らは、法廷で宗門と争っていくことになる。
  
 九月三十日午後十時、山本伸一は、成田の新東京国際空港(後の成田国際空港)を発って、一路、ホノルルをめざした。アメリカ広布二十周年を記念する諸行事に出席し、世界広宣流布の新しい幕を開くためである。
 世界広布の前進には、一刻の猶予もない。
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2017年08月03日

雄飛 四十二

小説「新・人間革命」〉 雄飛 四十二

 山本伸一の周囲には、小説の舞台となる時代の「聖教新聞」の縮刷版、メモ書きした用紙、参考書籍などが置かれていた。伸一は、メモ用紙を手にすると、記者に言った。
 「では、始めるよ! 準備はいいかい」
 口述が始まった。一声ごとに力がこもっていく。記者は、必死になって鉛筆を走らせる。しかし、伸一が文章を紡ぎ出す方が速く、筆記が追いついていかない。そこで記者の手の動きを見ながら口述していった。
 十五分ほど作業を進めると、伸一は、咳き込み始めた。咳は治まっても、息はゼイゼイしている。
 「少し休ませてもらうよ」
 彼は、また、畳の上に横になった。十分ほどして、記者の清書が終わるころ、呼吸は少し楽になった。また、力を込めて、畳をバンと叩いて身を起こした。
 「さあ、やろう! みんなが待っているんだもの。学会員は、悔しさを堪えながら頑張ってくれている。そう思うだけで、私は胸が熱くなるんだよ。だから、同志には、少しでも元気になってほしいんだ。勇気を奮い起こしてもらいたいんだよ」
 再び口述が始まった。しかし、やはり十分か十五分ほどすると、体を休めなければならなかった。
 こうして原稿を作り、それを何度も推敲する。さらにゲラにも直しを入れて、新聞掲載となるのである。連載は、ひとたび開始されれば、途中で休むわけにはいかない。そこに新聞連載小説の過酷さもある。伸一にとっては、まさに真剣勝負であり、生命を削る思いでの口述であった。
 「ことばは鍛えぬかれて、風を切る矢ともなれば炎の剣にもなる」(注)とは、デンマークの作家アンデルセンの箴言である。伸一も、そうあらねばならないと自らに言い聞かせ、わが同志の魂に響けと、一語一語、考え抜きながら原稿を仕上げていったのである。
 連載に対する反響は大きかった。全会員の心に、蘇生の光を注いだのである。
 小説『新・人間革命』の引用文献
 注 「北帰行」(『アンデルセン小説・紀行文学全集6』所収)鈴木徹郎訳、東京書籍
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2017年08月02日

雄飛 四十一

小説「新・人間革命」〉 雄飛 四十一

 「忘れ得ぬ同志」は、七月二十九日から連載を開始した。
 そして、小説『人間革命』第十一巻が、八月十日から週三回の連載でスタートしたのである。第一章のタイトルは「転機」とした。
 ――一九五六年(昭和三十一年)九月、戸田城聖が一切の事業から身を引き、残された人生の時間を広宣流布に捧げる決意をするとともに、山本伸一に「山口開拓指導」の指揮を託すところから始まっている。
 口述の場所は、神奈川研修道場や静岡研修道場など、山本伸一の行く先々で行われた。その前後には、たいてい全国各地の代表や各部の代表、あるいは地元メンバーとの懇談などが何組も入っていた。また伸一は、わずかな時間を見つけては家庭訪問に回った。
 彼は、『人間革命』の担当記者に言った。
 「私は、戸田先生の弟子だ。だから、どんな状況に追い込まれようが、どんな立場になろうが、広宣流布の戦いをやめるわけにはいかないんだ。命ある限り戦い続けるよ。しっかり、見ておくんだよ」
 しかし、激闘による疲れもたまっていた。
 咳が続き、発熱する日もあった。
 ある日、口述の準備をして、担当記者を待つ間、濡れたタオルで額を冷やしながら、畳の上に横になった。ほどなく、「失礼します!」という声がし、記者が部屋に入って来た。
 伸一は、薄く目を開けると、仰向けになったまま言った。
 「悪いけど、少し寝かせてくれないか」
 記者は、心配そうな顔で横に座った。
 伸一は、時々、咳き込む。目も充血している。“こんな状態で、果たして口述をしていただけるのか……”と記者は思った。
 カチッ、カチッ、カチッと、時計が時を刻んでいく。十分ほどしたころ、伸一は、勢いよく、バンと畳を叩き、体を起こした。
 「さあ、始めよう! 歴史を残そう。みんな、連載を楽しみにしているよ。喜んでくれる顔が、目に浮かぶじゃないか。“同志のために”と思うと、力が出るんだよ」
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2017年08月01日

雄飛 四十

小説「新・人間革命」〉 雄飛 四十

 七月下旬、山本伸一は、「忘れ得ぬ同志」と小説『人間革命』を担当する「聖教新聞」の記者たちと、神奈川研修道場で打ち合わせを行った。彼が、『人間革命』の連載再開を告げると、編集担当者は驚いた顔をした。そして、ためらいがちに話し始めた。
 「読者は、大喜びすると思います。しかし、宗門の若手僧たちは大騒ぎし、先生が格好の標的になってしまうのでは……」
 こう言って口ごもった。
 すかさず、伸一は強い語調で語り始めた。
 「そんなことはわかっているよ。今、大事なことは、私がどうなるかではない。守るべきは同志です。学会員は、非道な僧や、それに同調する人間たちから、冷酷な仕打ちを受け続けても、じっと堪え、広宣流布のため、学会のために、健気に、一途に、懸命に頑張ってくださっている。
 私の責任は、仏子である、その学会員の皆さんを守ることだ。勇気の光、希望の光、確信の光を送り、皆が自信と誇りをもって、使命の道に邁進していけるようにすることだ。そのために私がいるんです。
 したがって、今だからこそ、『人間革命』を書かなければならない。それが私の戦いなんだよ。いいね。わかるね」
 記者は、大きく頷いた。
 伸一は、笑みを浮かべ、言葉をついだ。
 「できるだけ早く始めたいんだ。挿絵を担当してくださっている画伯とも、至急、連絡を取ってほしい。また、実は今、肩が痛くて腕が上がらないんだよ。すまないが、場合によっては、口述を書き取って連載するようにしてくれないか」
 この一九八〇年(昭和五十五年)の夏、関東地方は長雨で、蒸し暑い日が続いていた。伸一は、前年からの疲労が重なっており、その天候が体にこたえた。しかし、彼は燃えていた。胸には闘志があふれていた。
 「正義は必ず勝つという信念のみが、私たちを鼓舞する」(注)とは、マハトマ・ガンジーの魂の言葉である。
 小説『新・人間革命』の引用文献
 注 『マハトマ・ガンジー全集 68巻』インド政府出版局(英語)
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2017年07月31日

雄飛 三十九

小説「新・人間革命」〉 雄飛 三十九

 学会が山脇友政を告訴した六月七日、宗門の宗会議員選挙の結果が発表された。学会攻撃を続ける若手僧らが、十六議席のうち過半数を占める十議席を獲得した。七月三日には選挙後初の宗会が開かれ、彼らが宗会議長などの主要ポストを得たのだ。
 そして翌四日、彼らは、正式に「正信会」と称する組織を結成した。七月の御講では、学会批判を禁ずる再三の院達を全く無視して、多くの寺で、学会への激しい攻撃が行われた。
 こうした動きの背後にも、追い詰められた山脇の暗躍があった。山脇に煽動された彼らは、宗門の指示に従わず、勝手な行動を繰り返した。
 悪侶や週刊誌等による学会への集中砲火を、同志は耐え忍んだ。職場などで、同僚や上司から週刊誌の学会批判の話を聞かされる人もいた。しかし、創価の仏子たちは、「難来るを以て安楽と意得可きなり」(御書七五〇ページ)、「賢聖は罵詈して試みるなるべし」(同九五八ページ)等の御文を思い起こしながら、互いに励まし合い、弘教に走った。
 当時、「聖教新聞」は、ようやく山本伸一の行動等が報じられるようになったとはいえ、まだ、遠慮がちな掲載で、力強い前進の息吹を与えるものとはなっていなかった。
 伸一は、同志を思い、心を痛めた。
 “皆に、新生の光を送らねばならない!”
 折しも聖教新聞社からは、広布途上に逝去した草創の友らの回想録を連載してほしいとの要望が出されていた。伸一は、草創期から黙々と信心に励み、学会を支え、生涯を広宣流布に捧げた同志を宣揚しようと、その連載の開始を決めた。功労の同志の尊き生き方を通して、皆を勇気づけたかったのだ。タイトルは「忘れ得ぬ同志」である。
 また、小説『人間革命』も、二年前の八月に第十巻を終了して以来、連載を中断しており、再開を望む声が数多く寄せられていた。彼は、『人間革命』の執筆も決意した。
 吹き荒れる嵐に向かい、敢然と一人立つ――これが学会魂だ。これが師子の道だ。
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2017年07月29日

雄飛 三十八

小説「新・人間革命」〉 雄飛 三十八

 山脇友政が陰でつながっていたのが、教学部長の原山高夫であった。彼は、前年の一九七九年(昭和五十四年)九月、聖教新聞社に保管されていた資料文書の大量のコピーを運び出した。山脇は、それらを使いながら学会と宗門の離間工作を企て、マスコミにも歪曲した学会攻撃の材料を流してきたのである。
 八〇年(同五十五年)四月、遂に山脇は、学会に、金を出すよう脅しにでたのだ。
 十条潔ら執行部は、山脇の悪質な手口と執拗な性格がわかってきただけに、対応に悩んだ。このままにしておけば、学会が努力に努力を重ねてめざしてきた僧俗和合に、さらに亀裂を生じさせる卑劣な工作を行うことは目に見えていた。その結果、横暴な宗門僧によって、どれほど多くの会員が苦しめられることか。それだけは避けたかった。
 苦慮する執行部に対して、山脇は三億円を出せと恐喝してきた。
 ――「恐喝だって何だっていいんだ。刑務所に入ったっていい」(注)
 十条は苦悩の末に、今後、一切、謀略や攻撃は行わないことを約束させ、断腸の思いで支払いに応じた。山本伸一の中国訪問中の出来事であった。
 しかし、山脇は、なんと、さらに五億円を要求してきたのだ。六月七日、学会は恐喝並びに恐喝未遂で、彼を警視庁に告訴した。
 これを機に山脇は、狂ったように攪乱工作を始めた。週刊誌を使い、卑劣な学会攻撃を繰り返した。それは、御書に「跡形も無き虚言なり」(一一五三ページ)、「そねみ候人のつくり事」(一一五七ページ)とある通りの、妬みの作り話などであった。
 さらに原山も週刊誌に登場し、中傷を重ねていった。彼は山脇から大金を受け取っていたことが、山脇の裁判で明らかにされている。
 学会は、真剣で真面目な人びとの、清浄な信心の団体である。“邪心の徒”を許さぬ世界である。山脇も原山も、最後は、周囲にまったく信用されない存在になっていた。
 皆、背信者の自滅の末路を感じていた。
 小説『新・人間革命』の引用文献
 注 東京地方裁判所判決、昭和56年(刑わ)第288号
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2017年07月28日

雄飛 三十七

小説「新・人間革命」〉 雄飛 三十七

 東京は、青葉の季節であった。
 山本伸一は、広宣流布への飛翔を阻む謀略の鉄鎖を断ち切り、大鷲のごとく希望の青空へ飛び立った。
 第五次訪中、そして、長崎、福岡、大阪、愛知、岐阜、静岡の指導を終えて信濃町に戻った伸一は、本陣・東京の再構築をめざして、練馬区や台東区、世田谷区、港区の会館などを訪れ、同志の激励に奔走した。
 伸一は、広布新時代に向かって翼を広げ、奮戦を続けていた。一方、会長の十条潔をはじめ学会首脳は、しばらく前から悩み抜いていた。山脇友政についての問題であった。
 ――金に目がくらんだ山脇は、五年前に富士宮の土地売買等に絡み、巧妙な手口で大金を手にすると、自ら冷凍食品会社の経営に乗り出した。しかし、所詮は素人商売であり、放漫経営がたたって事業不振となり、四十数億円の莫大な負債をかかえるにいたった。返済のめども立たず、追い詰められた彼は、学会から金を脅し取ることを考えた。
 これまで山脇は、若手僧らに学会を激しく批判させ、自分が宗門との和合の交渉役となって、学会を意のままに操ろうと暗躍してきた。そのために、裏で僧たちの学会への不信と反感を煽り、攻撃させるように、捏造した情報を流し続けたのである。
 さらに、学会攻略の計画を練り、再三にわたって、それを宗門に伝え、法主・日達にも讒言を重ねてきた。
 自分が火をつけ、事態を紛糾させておいて、自分が収拾役を買って出るという、いわゆる「マッチポンプ」を繰り返したのだ。
 また、学会の社会的な信用を失墜させ、会長の伸一を追い落とそうと、マスコミにも事実を歪めた情報を流し続けた。
 だが、その化けの皮が次第にはがれ、謀略と二枚舌の背信行為の数々が露見するとともに、事業は窮地に陥ったのだ。自業自得であった。御聖訓には、「始めは事なきやうにて終にほろびざるは候はず」(御書一一九〇ページ)と仰せである。
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2017年07月27日

雄飛 三十六

小説「新・人間革命」〉 雄飛 三十六

 山本伸一は、岐阜文化会館から各務原文化会館に移動した。ここにも、彼の岐阜訪問を聞いた大勢の同志が集い、会館は人であふれ、玄関から入ることはできなかった。
 「よし、自由勤行会をやろう!」
 伸一は、こう言うと、建物の外にある螺旋状の非常階段を上がり、会場へ向かった。
 彼は、参加者に呼びかけた。
 「辛い思いをされたでしょう。でも、もう大丈夫です! 皆さんは勝ったんです。一人も残らず、幸せという人生の栄冠を勝ち取ってください。私は、皆さんを断じて守ります」
 勇気の声が響いた。
 伸一は、共に祈りを捧げた。「春が来た」など、次々とピアノも弾いた。婦人部の代表と懇談し、各部の友と記念撮影もした。中部滞在中の記念撮影は優に百回を超えた。
 翌十二日に岐阜羽島駅を発つまで、岐阜での彼の激励は続いた。“一目でも会いたい”と駅に駆けつけたメンバーを見ると、改札に入る間際まで声をかけ、集った十九人を「羽島グループ」としてはどうかと提案した。
 一回の出会いを、単なる思い出として終わらせたくなかった。新しき誓いと未来への出発の起点にしたかったのである。
 伸一の指導旅は続いた。静岡に移動した彼は、静岡文化会館で男子部部長会参加者に万感の思いを込めて訴えた。
 「広宣流布の後継を頼む!」
 「今こそ、信心修行の労苦を忘れるな!」
 「『身は軽く法は重し』を深く心に刻め!」
 「社会、職場の勝利者たれ!」
 さらに、十三日には、同会館で自由勤行会を開催し、第一線の同志の輪の中に飛び込み、十四日に東京に帰った。
 四月二十九日に長崎から始まった激励行で、彼は十五万人を超える同志を励ました。皆の胸に、歓喜と勇気の火を赤々と燃え上がらせた。皆が、広宣流布に生き抜く創価の師弟の大道を歩み抜こうと誓願した。
 冷酷無残な悪侶と反逆の徒輩の謀略に対し、反転攻勢の烽火が天高く上がったのだ。
posted by ハジャケン at 09:41| 山梨 ☁| 新・人間革命 30-3雄飛 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月26日

雄飛 三十五

小説「新・人間革命」〉 雄飛 三十五

 五月九日、愛知県名古屋市の中部文化会館は、朝から長蛇の列が続いた。
 「支部長、婦人部長の勤行会を行おう。しかし、役職に関係なく、来たい方には皆、声をかけてください。自由勤行会です!」
 同志は、欣喜雀躍して中部文化会館をめざした。会館は、勤行会の会場となった広間だけでなく、会議室や応接室も人であふれた。
 勤行会は、午前中に五回ほど行われた。伸一は喉を痛めたが、一緒に勤行し、激励を続けた。彼の腕をつかみ、手を握り、目に涙を浮かべて喜ぶ同志の顔を見ると、とてもわが身をいたわることなどできなかった。
 一年前、会長辞任が発表されると、中部の同志からも、数多くの手紙や電報が届いた。彼は、そうした方々に心から御礼を述べ、共に新しい前進を開始したかったのである。
 伸一は、勤行会での指導を終えると、会議室やロビー、場外を回って参加者に声をかけ、握手し、記念撮影を繰り返した。
 午後の勤行会も五回、六回と回を重ねていった。午後十時を過ぎても、屋外に人が待機していた。伸一は、すかさず激励に走った。
 「先生!」と声があがる。彼は、「しーっ、静かにね。もう夜も遅いから」と近隣を気遣い、皆を制しながら笑顔で包み込んでいく。すべてが終わったのは午後十一時近かった。
 中部では、岐阜にも足を延ばした。
 十一日、五月晴れの空が広がっていた。
 伸一は、岐阜市の功労者宅を訪問し、岐阜文化会館での岐阜支部結成二十周年の支部長会に出席した。二階のロビーで、娘と共に参加していた、数え年百歳の老婦人と対話を交わした。岐阜市でいちばんの長寿者とのことであった。草創の時代の入会であり、唱題が最高の楽しみであるという。
 「お会いしに来ましたよ。日本の宝です。学会の宝です。いついつまでもお元気で!」
 この日が「母の日」であることから、お祝いにカーネーションの花束を贈り、一緒にカメラに納まった。高齢ながら、共に広布に立とうという姿に、彼は仏を見る思いがした。
posted by ハジャケン at 09:54| 山梨 🌁| 新・人間革命 30-3雄飛 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月25日

雄飛 三十四

小説「新・人間革命」〉 雄飛 三十四

 五月八日正午前、山本伸一は、関西文化会館を出発し、新大阪文化会館に立ち寄り、午後一時過ぎの新幹線で名古屋へ向かった。
 九州から、五月二日に関西入りして以来七日間、伸一は、七万人以上の同志と会い、激励を重ねた。
 また、その間に中大阪文化会館も訪れている。同会館には、一九六九年(昭和四十四年)十二月、関西指導に赴いた伸一が高熱に見舞われ、一夜を過ごした仏間があり、今は、そのフロアが関西婦人会館として使われていた。
 あの時、妻の峯子は東京から駆けつけ、夜通し看病した。伸一は、幾分、熱が下がると、無理を押して和歌山行きを断行した。県立体育館で行われた和歌山県幹部会に出席し、全力で指導したあと、参加者の要請に応えて、「武田節」の指揮を執った。会合が終わり、退場した時には、フラッとして足がもつれた。力を使い果たしていたのだ。彼は、もしも、ここで倒れても本望だと思っていた。
 日々、挑戦と苦闘の連続であった。こうした真剣勝負の行動の積み重ねによって、広宣流布の創価の大道が開かれてきたのである。たとえ時代は変わっても、不二の同志には、この不惜の精神を受け継いでほしかった。
 「日興遺誡置文」には、「未だ広宣流布せざる間は身命を捨て随力弘通を致す可き事」(御書一六一八ページ)と仰せである。その精神が途絶えたならば、世界広布の大願成就はあり得ないからだ。
 伸一は、五月一日に行われた関西婦人会館の開館式を記念し、句を詠み、贈った。
 「断断固 関西護れや わが城を」
 また、妻の峯子は、この関西滞在中に来館し、芳名録に、こう認めた。
 「学会の 母の館に 集い来て
     心豊かに 広布に走らむ」
 九州に続いて関西も、伸一と共に雄々しく立ち上がった。学会の不屈の強さは、師弟共戦のスクラムにこそある。
 “さあ、次は中部だ!”
 彼は、闘魂をたぎらせた。
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2017年07月24日

雄飛 三十三

小説「新・人間革命」〉 雄飛 三十三

 六日は、午後から夜にかけて、三回にわたって関西指導部の勤行会が関西文化会館で行われた。山本伸一は、この日も、いずれの勤行会にも出席した。
 婦人には、「南無妙法蓮華経と唱うるより外の遊楽なきなり」(御書一一四三ページ)との御文を拝して、「幸福は身近なところにある。悩みのない人生はない。しかし、悩みは幸福の肥料でもある。唱題をもって、すべてを幸せへの力に!」と指導した。
 また、壮年には、「題目は全宇宙に響き、永遠の大生命力の源泉となる。御本尊根本、題目第一で新しい出発を!」と呼びかけた。
 連日、関西文化会館には、大阪をはじめ、関西各地から、続々と同志が集ってきた。しかも、その数は次第に多くなっていった。
 伸一は、関西の幹部に言った。
 「さらに勤行会を行いましょう。わざわざ、同志が駆けつけてくださるんだ。私は、全員とお会いします」
 そして、七日の日には、当初、予定になかった自由勤行会が、昼夜二回にわたって行われたのである。
 また、この日午後七時からは、全国県長会議も開かれた。伸一は、ここにも顔を出し、参加者に訴えた。
 「邪が正を滅ぼさんとする時、リーダーは敢然と立ち上がって戦わなければならない。妥協は許されません。そうでなければ同志がかわいそうです。そして、正義は勝たねばならない。勝ってこそ正義なんです。
 創価の師弟の道が断たれてしまえば、広宣流布は断絶してしまう。正法正義を守り、広布の大道を開くために、私は戦います。私と共に戦おうという勇者と、今、再び師弟の新しい前進を開始したい。
 広宣流布の師弟、創価の師弟は、社会的な契約や利害による結びつきとは違います。徒弟制度でもない。それぞれが、自らの誓願によって定めた、人生を懸けた魂と魂の結合です。それゆえに、最も清らかで、最も尊く、最も強い、人間の絆なんです」
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雄飛 三十三

小説「新・人間革命」〉 雄飛 三十三

 六日は、午後から夜にかけて、三回にわたって関西指導部の勤行会が関西文化会館で行われた。山本伸一は、この日も、いずれの勤行会にも出席した。
 婦人には、「南無妙法蓮華経と唱うるより外の遊楽なきなり」(御書一一四三ページ)との御文を拝して、「幸福は身近なところにある。悩みのない人生はない。しかし、悩みは幸福の肥料でもある。唱題をもって、すべてを幸せへの力に!」と指導した。
 また、壮年には、「題目は全宇宙に響き、永遠の大生命力の源泉となる。御本尊根本、題目第一で新しい出発を!」と呼びかけた。
 連日、関西文化会館には、大阪をはじめ、関西各地から、続々と同志が集ってきた。しかも、その数は次第に多くなっていった。
 伸一は、関西の幹部に言った。
 「さらに勤行会を行いましょう。わざわざ、同志が駆けつけてくださるんだ。私は、全員とお会いします」
 そして、七日の日には、当初、予定になかった自由勤行会が、昼夜二回にわたって行われたのである。
 また、この日午後七時からは、全国県長会議も開かれた。伸一は、ここにも顔を出し、参加者に訴えた。
 「邪が正を滅ぼさんとする時、リーダーは敢然と立ち上がって戦わなければならない。妥協は許されません。そうでなければ同志がかわいそうです。そして、正義は勝たねばならない。勝ってこそ正義なんです。
 創価の師弟の道が断たれてしまえば、広宣流布は断絶してしまう。正法正義を守り、広布の大道を開くために、私は戦います。私と共に戦おうという勇者と、今、再び師弟の新しい前進を開始したい。
 広宣流布の師弟、創価の師弟は、社会的な契約や利害による結びつきとは違います。徒弟制度でもない。それぞれが、自らの誓願によって定めた、人生を懸けた魂と魂の結合です。それゆえに、最も清らかで、最も尊く、最も強い、人間の絆なんです」
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2017年07月22日

雄飛 三十二

小説「新・人間革命」〉 雄飛 三十二

 関西文化会館に戻った山本伸一は、設営グループ「鉄人会」メンバーが集っていることを聞くと、「お会いしよう」と、喜び勇んで励ましの語らいを重ねた。
 実は、メンバーは伸一に使ってほしいと、イスを作って届けていた。彼は、その真心に応えたかった。また、いつも陰の力として設営に奮闘してくれていることに、心から感謝の言葉を述べたかったのである。
 「ありがとう。皆さんの苦労を、私はよく知っています。作ってくださったイスにも、何度も座らせていただきました。最大の感謝をもって、その心を受けとめております。濁りのない、清らかな心と心で結ばれているのが、創価の世界ではないですか。私には健気な一念が痛いほどわかります」
 伸一の言葉に、目を潤ませる人もいた。もとより、見返りを欲しての作業ではなかった。必死に広宣流布の指揮を執る師のために何かしたいとの、清らかな信心と弟子の信念の発露にほかならなかった。それゆえに、その行為は、美しく、尊かった。彼らは、伸一が自分たちの思いを知ってくれているというだけで満足であった。
 伸一は、その心根に、最大の讃辞を贈り、最高の敬意を表したかった。
 日蓮大聖人が、「心こそ大切なれ」(御書一一九二ページ)と仰せのように、信心の世界にあって肝要なのは「心」である。
 引き続き彼は、人材育成グループである「関西同志の集い」の勤行会に出席した。
 「真の人材とは、地涌の菩薩の使命を自覚し、より広く、深く法を知らしめていく人である。より大勢の人の依怙依託となれる人である。聡明で、理に適い、人びとを納得させられる人である。次の後継の人を育成できる人である。また、良識の人であり、皆に、安心と希望と確信を与えられる人である。そのために自らを磨き鍛えていただきたい」
 彼は懸命に訴え抜いた。「励ます」という字は「万」に「力」と書く。全力を注ぎ込んでこそ、同志の魂を揺り動かす激励となるのだ。
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2017年07月21日

雄飛 三十一

小説「新・人間革命」〉 雄飛 三十一

 五日の午後、山本伸一は、まず、大阪の男子部部長会に出席して指導した。
 「地道な戦いのなかに人生の開花がある。青年時代は悩みと葛藤の日々かもしれない。しかし、焦ることなく、着実に、粘り強く、信心、学会活動に励み、生活の場で、職場で実証を示してもらいたい。
 さまざまな苦難もあるでしょう。しかし、地道に信心をしていくならば、時が解決してくれます。真剣に題目を唱えていけば福運がつき、自身が成長していきます。ゆえに、現実がどんなに厳しくとも、希望を捨ててはいけません。御本尊への大確信をもってもらいたい。皆さんには、何があっても妙法がある。この永遠不滅の法がある限り、人生の大勝利者になれないわけがない。
 物事は長い目で見ていくことです。皆さんの多くは、二十一世紀の初めには、五十代になっていくでしょう。最も働き盛りの年代です。その時に、悔いなく、存分に力を発揮していけるように、微動だにしない人生の根を張るための修行を忘れないでいただきたい」
 そのあと、集って来た創価女子学園出身のメンバーらを激励し、午後四時には、女子部部長会に出席した。彼は力説した。
 「水の流れのごとく、日々、題目を唱え抜き、日本一、世界一、幸せだといえる人になっていただきたい。いかなる状況にあっても、最後は、信心を貫いた人が絶対に勝ち、福運に満ちあふれた人生を歩むことができると、私は断言しておきます。
 また、いかなる宿命の渦中にあっても、題目を唱えられること自体が、最高の幸福であることを確信してください。信心とは、何があっても御本尊から離れないことです」
 伸一は、夕刻には、近くのレストランで関西の代表と会食懇談を行い、帰途、中大阪文化会館に立ち寄った。
 出る会合、出る会合で、会う人ごとに励ましの言葉をかけた。未来といっても、この一瞬にある。明日、何かをなそうとするのではなく、今、何をするかである。
posted by ハジャケン at 09:39| 山梨 ☀| 新・人間革命 30-3雄飛 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする