2015年02月07日

広宣譜66

広宣譜66

 山本伸一は、浴衣に着替え、新高等部歌の歌詞を書いた紙を持って、岡山文化会館の屋上へ向かった。岡山未来会の第一期生と、会うことになっていたのである。

 屋上に出た伸一は、高等部長の奥田義雄と、女子高等部長の大崎美代子に言った。

 「できたよ! 新しい高等部歌の歌詞を作ったよ。今、完成したばかりだ」

 そして、歌詞が書かれた紙を手渡した。

 「ありがとうございます!」

 二人の顔が輝き、満面に笑みが浮かんだ。

 空は、美しい夕焼けに包まれていた。

 未来会のメンバーは、用意してあった縁台や椅子などに、伸一を囲むように座った。

 彼は、一人ひとりを見すえながら語り始めた。厳しい口調であった。

 「皆さんは、未来会として広布後継の誓いを固めて集われた。学会の未来は、皆さんの双肩にかかっています。だから、あえて厳しく言っておきます。

 生涯、誓いを破ってはいけない。甘えてはいけない。艱難を自ら求め、乗り越えていく『正義の人』になれ――これを守れる人は?」

 皆が手を挙げた。

 「ありがとう。私は、君たちを信じます。

 そして、これから、どのように成長していくのか、見続けていきます。

 次の学会を頼むよ! 君たちは私の宝だ」

 空は刻々と表情を変え、紫紺に染まり、宵の明星が瞬き始めた。鳳雛たちの瞳は決意に燃え、〓は紅潮していた。

 懇談終了後、伸一は、「短時間でも、敬愛する男子部の諸君を励ましたい」と、ポロシャツに着替え直し、会館内で行われていた県男子部総会に出席した。会場に姿を現した彼を、参加者は、喜びの大拍手で迎えた。

 伸一は、皆の大成長を祈りつつ、「同志の誓いを永遠に忘れることなく、限りなき広布のロマンの大道を」と呼びかけた。さらに、そのあと、男子部の大ブロック長(後の地区リーダー)宅を家庭訪問したのである。

 命を削って動いてこそ、人は魂を動かす。
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2015年02月06日

広宣譜65

広宣譜65

 二、君も負けるな いつの日か

   共々誓いし この道を

   嵐も吹雪も いざや征け

   これぞメロスの 誉れなり

   ああ万感の 時待たんと

  

 友との広宣流布の誓い――それは、自分自身に誓うことでもあり、わが使命に一人立つことから始まる。仮に、友が道半ばに倒れたり、誓いを捨て去ったりすることがあったとしても、自分は、ひとたび決めた信念の道を走り通していくことだ。

 たとえば、メロスは、もしも、セリヌンティウスが自分に不信をいだき、刑場で恨み言を発し続けていたとしても、彼を救うために走り続けたはずだ。セリヌンティウスも、メロスが戻るのをやめて逃げ出したとしても、きっとメロスは、王にどこかで殺された≠ニ考え、友に喝采を送ったにちがいない。

 相手が信義を守るから自分も守るというのではない。自らの信念としての行動である。作者の太宰治は、メロスは「わけのわからぬ大きな力にひきずられて走った」と記している。大きな力≠ニは、人間の普遍の信実であり、不変の正義といえよう。友との誓いを契機として、決然と一人立ち、わが信念に生き抜く。互いにそうした時に、最も美しい友情のドラマが花開くのである。

 伸一は、引き続き三番の作詞に入った。最後の言葉は既に決まっていた。それは、「ああ柱たれ 我等の時代の」である。

 皆が自分の世代の広宣流布に責任をもち、信頼の柱となり、友情を広げていくなかに、仏法の人間主義の着実な広がりがある。

 三番では、常に、地涌の使命を忘れないでくれたまえ≠ニの、魂の叫びを歌にした。

  

 三、この世の誇りと 使命をば

   紅燃ゆる 君もまた

   七つの鐘の 走者なり

   花の輪広げん 走者なり

   ああ柱たれ 我等の時代の(注)
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2015年02月05日

広宣譜64

広宣譜64

 メロスは負けなかった。肉体の疲労の回復とともに、信頼に報いようとの心が蘇る。彼は走る。友のため、信実と愛のために。口から血を吐きながらも走る。

 残光が消え、親友・セリヌンティウスが命を奪われようとした刹那、メロスは刑場に走り込む。縄を解かれた友に向かって彼は叫ぶ。

 「私を殴れ」――途中で一度、友を見捨てようとの思いをいだいたことを告げる。

 セリヌンティウスは、メロスを力いっぱい殴打すると、「メロス、私を殴れ」と言い、一度だけ疑いの心をもったことを明かす。メロスも彼を殴打し、二人は、抱き合う。

 その光景を見ていた王は言う。

 「おまえらは、わしの心に勝ったのだ。信実とは、決して空虚な妄想ではなかった。どうか、わしも仲間に入れてくれまいか」

 「猜疑」に「信実」が勝ったのである。

 山本伸一は、一九七一年(昭和四十六年)秋、『走れメロス』を題材にした詩「メロスの真実」を書いた。偽りと惑わしに充ちた人の世を、最も高尚にして美しく、潔癖な、確かなる希有の実在に転換したメロスの強い真実は、何処にあったのかを詠んだものだ。

 それは、「汝自身の胸中の制覇にあったのだ」と、伸一は結論した。そして、転向者には「一歩淋しく後退した時 さらに己れを後退させる あの自己正当化の論理がある」と指摘し、「友を捨てた安逸には 悔恨の痛苦が 終生離れぬだろう」と記す。

 詩は、こう結ばれている。

 「私は銘記したい 真の雄大な勇気の走破のみが 猜疑と策略の妄執を砕き 人間真実の 究竟の開花をもたらすにちがいない と」

 伸一は、今、新高等部歌を作るにあたり、“高等部員は、世界の平和と人びとの幸福の実現をわが使命と自覚し、人間の信義を、生涯貫くメロスであってほしい”と思った。

 “人生のあらゆる誘惑に惑わされるな! 己の怠惰に負けるな! 見事に、自ら定めた誓いの道、使命の道を走り抜いてほしい”

 彼は、心で祈りつつ、作詞を続けた。

■引用文献

 小説『走れメロス』の引用箇所は、太宰治著『富嶽百景 走れメロス他八編』岩波書店。
posted by ハジャケン at 09:39| 山梨 ☀| 新人間革命 広宣譜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月04日

広宣譜63

広宣譜63

 山本伸一は、岡山文化会館で高等部歌の作詞に取りかかった。

 “高等部員は、全員が創価の大切な後継者である! 私の最高の宝ともいうべき愛弟子である! 二十一世紀の広宣流布のバトンを託す正義の走者である!”

 伸一の高等部員への万感の思いは、瞬く間に歌詞となってあふれ出た。そして、その言葉を、練りに練り上げていった。

  

 一、我れ今あとを 継がんとて

   心凜々しく 時待たん

   この身の彼方は 新世紀

   躍る舞台と 今強く

   学べ尽くさん 正義の道をば(注)

  

 一番ができた。彼は、後継の若き勇者の、前途に思いを馳せた。その道には、山もあれば、谷もあろう。雨も、風も、嵐も、猛暑の夏も、吹雪の冬もあろう――それが、広宣流布の誓願に生き抜く使命の人の人生なのだ。

 伸一の脳裏に、太宰治の、あの名著『走れメロス』が浮かんだ。

 ――暴虐な王に激怒した青年・メロスは、王城に乗り込むが、捕縛されてしまう。王の心は、人間への不信に覆われていた。王は、彼を磔にすると言う。メロスは、たった一人の身内である妹の挙式を済ませて、帰って来るまでの猶予がほしいと、王に頼む。

 彼は、王に、無二の友人・セリヌンティウスを身代わりとして預け、三日目の日没までには戻ることを約束する。戻らなければ、代わりに親友の命が奪われる。しかし、自分は、自由の身となるのだ。

 メロスは、その夜、妹の住む故郷の村へ、一睡もせずに走った。急いで結婚式を挙げさせると、今度は、王城をめざして走った。

 濁流となった川を泳ぎ切り、襲ってきた山賊を打ち破るが、疲労困憊し、地に体を投げ出す。正義、信実、愛を証明しようと、死ぬために走ることが、くだらなく感じられる。

 正義の道は、自身の心との戦いの道である。



小説『新・人間革命』

注 二〇一〇年(平成二十二年)、作詞者の池田名誉会長は、未来にわたって歌っていくため、歌詞に加筆。一番の「この身の彼方は 新世紀」が「この身の彼方は 新時代」となった。
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2015年02月03日

広宣譜62

広宣譜62

 四国長の久米川誠太郎が、四国の歌「我等の天地」を録音したカセットテープを差し出すと、山本伸一は笑顔で言った。

 「今、ここで聴かせてもらいます」

 久米川は、用意していたカセットデッキにテープを入れた。明るく、力強く、伸びやかなメロディーにのって合唱が流れた。

  

 一、遙かな峰も 我が峰と

   四国の天地は 我が天地

   地涌の我等が 乱舞せる

   故郷嬉しや この山河

  

 二、緑したたる あの山も

   喜び勇んで 我等をば

   包み護らん 鉄囲山

   おお誉れあれ この法戦

  

 三、友よ負けるな 妙法の

   祈りの功徳は 天空に

   四国の民衆に そそがなん

   おお前進だ 鐘は鳴る

  

 「いい曲だ。明るくて心強い!」

 伸一は、カセットデッキから流れる歌声に合わせて、歌詞を口ずさみ始めた。

 曲が終わると、彼は、久米川と、作曲にあたった男子部員に視線を注いだ。

 「すばらしい曲だね。ありがとう。この歌を携えて、四国へ行こう!」

 久米川たちの顔がほころび、瞳が輝いた。

 伸一は、翌二十四日から四国を訪問することになっていたのである。

 彼は、力を込めて語った。

 「『四国の天地は 我が天地』と、皆が本当に自覚することが大事です。自分が今いる場所が、地涌の菩薩として広宣流布の使命を担った天地なんです。そこを常寂光土にしていくために自分がいる。東京や大阪を意識する必要はありません。わが誉れの天地で、自分らしく、広宣流布を進めていこうとの決意に皆が立つ時、新しい四国の時代が来る!」
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2015年02月02日

広宣譜61

広宣譜61

 山本伸一は、本部幹部会が行われた七月二十二日も、訪問指導に出かけていった。彼の体調は優れなかったが、自分を待っている人たちがいると思うと、ゆっくりと休むことなどできなかった。この日は、県北西部の境港市まで足を運び、個人会館を訪問。夕刻には米子市内で職員の代表と懇談し、さらに同市の個人会館を訪れたのである。

 鳥取は、日本一、人口の少ない県である。その鳥取に幸せの沃野を拓き、ここから、広宣流布の新しい波動を起こしていきたかったのである。一つの県、地域が、模範の宝土となれば、全国を変えていくことができる。

 「一」は、一切の始まりである。

 伸一は、鳥取県を発つ二十三日にも、午後零時半から勤行会をもった。県幹部の「まだ、先生にお会いしていない方がおります。最後に、もう一度、勤行会を行ってください」との要請を受けて開催したものである。

 会館には、千人ほどの人が集って来た。彼は、出発の予定時刻を過ぎても、あと一分、あと三十秒と、額に汗を滲ませ、ぎりぎりまで励ましを重ね、岡山へ戻っていった。

 列車の中で、伸一の胸には、既に新しい歌詞が次々とあふれ、こだましていた。彼が手がけようとしていたのは、新高等部歌である。鳥取に向かう前、高等部長の奥田義雄と女子高等部長の大崎美代子が、新しい高等部歌を作成したいと言って、岡山文化会館にやって来たのである。

 伸一は、未来を担う高等部員のために、歌を作詞して贈ろうと思った。

 午後五時前、彼が岡山文化会館に到着すると、岡山の県幹部らと共に、十数人の高等部員と中等部員が出迎えてくれた。岡山未来会の第一期生であるという。

 会館のロビーでは、四国長の久米川誠太郎らが出迎えた。

 「先生、四国の歌の曲ができました!」

 三日前、岡山から米子に向かう車中で、四国の歌「我等の天地」を作詞した伸一は、直ちに作曲に入るように伝えていたのである。
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2015年01月31日

広宣譜60

広宣譜60

 未来会の集いのあと、山本伸一は米子文化会館の館内を回り、本部幹部会の役員や合唱団のメンバーらを激励した。彼が二階ロビーにいると、未来会のメンバーが集まって来た。

 「さっき、会ったばかりだもの、特別な話はありません」

 伸一は、こう言ったが、皆、瞳を輝かせ、彼の言葉を待っていた。

 それならば、これだけは語っておこう≠ニ思い、伸一は口を開いた。

 「未来会の皆さんは、両親をはじめ、多くの学会員の希望であり、誇りです。また、皆さんは、未来会の結成に際して、いろいろな決意をされたと伺っています。人間として最も大事なことは、皆さんに期待を寄せてくれている両親を、未来を君たちに託そうとしている学会員を、自分自身を、決して裏切らないことです。裏切りは、最大の不知恩です。

 それには、青春時代の誓いを、終生、果たし抜いていくことです。私は、諸君が、その誓いを本当に果たし、決意を実践していくのか、じっと見ています。口先では、なんとでも言えます。大切なのは、行動です。結果です。君たちが見事な実証を自ら示すまで、私は励ますことも、讃えることも、褒めることもしません。厳しく見ています。

 おだてられ、甘やかされて育てば、人間は強くなれません。力もつきません。ちょっと辛いことや困難に出くわせば、人のせいにして恨み、愚痴や文句を言って逃げ出すような弱い人間には、なってほしくないんです。強く大きな心のリーダーに育ってほしいんです」

 心が弱ければ、困難や苦しみを恐れて、恩義を踏みにじり、裏切りさえも犯しかねない。正義の人とは、心強き人だ。

 伸一は、未来会のメンバーを生命に焼きつけるように、じっと視線を注いだ。

 「私は、君たちに大成してほしい。新世紀の大リーダーに育っていってほしい。だから厳しくしていきます。それが慈悲なんです」

 彼は、未来を担い立つ王者を、本当の後継の師子をつくりたかった。
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2015年01月30日

広宣譜59

広宣譜59

 鳥取県での本部幹部会では、「地涌の讃歌」の発表に先立ち、会長の山本伸一から、中国各県に県の旗が授与された。また、九州の人事のほか、地元・鳥取の人事も発表され、県の婦人部長に、出井幸子が就任するなど、新しい広宣流布の布陣が整えられたのである。

 席上、伸一は、鳥取、島根をはじめとして、全国各地で弘教が着々と進み、地域広布の盤石な基盤が整いつつあることを述べ、同志の奮闘を心から賞讃した。

 そして、日蓮大聖人の仰せ通りに、「如説修行」の信心に励み抜いていくことの大切さを力説し、こう話を結んだ。

 「大聖人の御精神、御指導は、どこまでも広宣流布の成就にあります。百万言の理論よりも、一人への弘教を実らせることです。勇気ある実践の第一歩を踏み出すことです。

 どうか、この一点を忘れず、海原のような広々とした心で、すべてを包容しながら仲良く前進していっていただきたい」

 本部幹部会を終えると、伸一は別室に向かった。鳥取未来会と島根未来会の第一期生の集いが、開かれていると聞いたからだ。

 部屋では、二十人余りの未来部員が、元気に学会歌を合唱していた。

 伸一は、皆に笑顔を向けた。

 「暑いなか、ご苦労様! 皆さんには、二十一世紀を担う、新時代の人材に大成してもらいたい。それが、私の最大の願いなんです。

 お父さん、お母さんも、それを念願し、周囲から非難中傷を浴びながら、懸命に信心を貫き通してこられた」

 彼は、前日、鳥取の女子高等部員が作成した文集「我が家の広布史」を目にしていた。そこには、経済苦や病苦、周囲の信心への無理解という状況のなかで、広布に生き抜いてきた尊き父母の姿が描かれていた。高等部員の文章の行間に、彼は立派な信心の後継者に育て≠ニの、父母の深い祈りを感じた。

 伸一は、訴えた。

 「皆さんは私の命です。君たちの両親と共に君たちの成長を、ずっと見守っています」
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2015年01月29日

広宣譜58

広宣譜58

 伯耆富士・大山の秀峰が陽光に映えていた。一九七八年(昭和五十三年)七月二十二日午後零時半、鳥取県の米子文化会館で、七月度本部幹部会が晴れやかに開催された。

 会場前方を華やかに彩った太陽の花・ひまわりが、希望と情熱の光彩を放っていた。

 本州の日本海沿岸では、初の本部幹部会の開催とあって、集って来た鳥取の同志の顔は、誇らかであった。この席上、中国の歌「地涌の讃歌」が発表されたのである。

  

 一、轟く歓喜の 中国に

   広布の船出も にぎやかに

   ああ紅に 友は燃え 友は燃え

   進み跳ばなん 手と手結びて

  

 二、この地愛さん 中国の

   幸の花咲く 友どちと

   笑顔も嬉しや 爛漫と 爛漫と

   指揮とる顔 光燦たれ

  

 三、陽出ずる中国 人の城

   地涌の讃歌の 歌声も

   勝利の空へ こだません こだません

   ああ虹かかる 生命晴れたり

  

 四、いざや中国 万年の

   甘露の雨に そそがれて

   この道確かと 走りゆけ 走りゆけ

   ここに広布の 歴史輝く

  

 全参加者の歓喜の大合唱が響いた。まさに同志の心は紅に燃え、顔は輝き、創価の大道を走りゆく決意がみなぎっていた。山本伸一も歌った。大きく手拍子を打ち、この歌とともに、中国の同志が、はつらつと前進を開始してほしい。幸せの花を咲かせてほしい。人生の勝利を飾ってほしい≠ニ願いながら。

 「平和・希望・確信・勇気に満ちた学会歌は私の心の歌≠ナす」(注)――後年、伸一と深い親交を結ぶブラジルの作曲家・ピアニストのアマラウ・ビエイラは語っている。
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2015年01月28日

広宣譜57

広宣譜57

 松木会館では、この日の夜、住吉支部の座談会が行われることになっていた。仏間は、その準備のために来ていた人や、山本伸一の来訪を聞きつけて集って来た人たちで埋まっていった。なかには、琴を持っている人もいた。座談会で演奏するのであろう。

 伸一は、仏間に入ると、琴を見て言った。

 「私がピアノを弾きます。合奏しましょう」

 「さくら」などの調べが流れた。さわやかな涼風のような励ましとなった。

 伸一は、この七月二十一日の夕刻、島根県の代表との懇談会をもった。県の活動の模様や参加者の近況報告に耳を傾けながら、島根広布の未来展望を語り合った。

 関西を訪問する前から、彼の体調は芳しくなかった。発熱し、首が腫れ、激しい疲労感に苛まれた。医師にも来てもらっていた。

 しかし、今こそ、鳥取、島根の同志と、強く、固く、心を結び合い、どんなに嵐が吹き荒れようが、微動だにしない、難攻不落の創価城を築き上げるのだ!≠ニ決意していた。

 人を強くするものは、自らが心に定めた信義である。戸田城聖が、敗戦間近の焼け野原に一人立って、広宣流布の大誓願に生きたのはなぜか――もちろん、その底流にあるのは、戸田が獄中での唱題の末に会得したわれ地涌の菩薩なり≠ニの大確信であったことはいうまでもない。

 そのうえで、彼が地涌の使命に生きる力となったものは、軍部政府の弾圧によって殉教した、師である牧口常三郎の遺志を受け継ごうとする、弟子の信義にほかならない。

 伸一もまた、戸田の精神を継承し、師の広宣流布の構想を断じて実現しようとの信義が、精進の力となり、日々の発心の源泉となってきた。己心に師をいだき、師との誓いを果たそうとするなかに、信念の芯≠ェつくられるといってよい。

 伸一は、それゆえに、一人ひとりと会い、共に広宣流布に生きる地涌の菩薩として、不二の同志として、心を通わせ合い、信義と信義の絆を結ぼうと必死であったのである。
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2015年01月27日

広宣譜56

広宣譜56

 山本伸一は、米子文化会館での勤行会を終えると、鳥取県の幹部に言った。

 「勤行会の次は、私の方から出向いて激励します。みんなが総立ちしてこそ、鳥取の大前進がある。そのためなら、なんでもします」

 そして、直ちに米子会館へ向かい、居合わせた人たちを励ましたあと、市内の個人会館である松木会館を訪問した。

 伸一は会場提供者の松木勇・晃恵夫妻から、前日夜の懇談会で「ぜひ、わが会館へ」と請われ、訪問の約束をしていたのである。

 松木の家は、魚の卸売店であった。伸一は、到着した時刻が午後二時であることから、仕事のじゃまにならぬよう、あいさつだけして帰ろうと思った。

 作業場の戸を開けると、主の勇が長靴を履き、ホースで水を撒いていた。彼は四十代半ばで、温厚な人柄の壮年である。

 勇は、「こんにちは!」という声に振り返った。伸一の笑顔があった。思わず絶句した。そこに、妻の晃恵が飛んできて、「先生! おいでくださってありがとうございます」と元気に言い、二階の応接間に案内した。

 伸一が仕事の様子を尋ねると、夫妻は、浮かぬ顔で、商売が思わしくないため、魚の卸売りをやめて、魚の加工業を始めようと考えていることを語った。

 伸一は、転業は焦るのではなく、しっかり準備を重ね、時機を見極めていくことが大切であるとアドバイスし、こう励ました。

 「現実の社会は泥沼のようなものです。いつ足をすくわれるかもわからない。競争も激しい。過酷です。そのなかで懸命に信心に励み、戦い、智慧を絞り、勝ち抜き、その実証をもって広宣流布していくんです。それが地涌の菩薩の使命なんです。

 『仏法は勝負』だ。したがって、断じて、社会にあって勝っていかねばならない――そう決意して祈り抜いていくことですよ」

 そして、伸一は、夫妻が所属する住吉支部の同志に、句を詠んで贈った。

 「住吉の 蓮華の花の 笑顔かな」
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2015年01月26日

広宣譜55

広宣譜55

 山本伸一は、勤行会参加者が集っている各部屋を回り、全力で、皆を励ましていった。

 「ご苦労様です。お会いできて嬉しい。

 皆さんのなかには、お寺に行くたびに理不尽な文句を言われ、悔しく、辛い思いをされている方もいらっしゃるでしょう。

 何を言われようが、日蓮大聖人の仰せのままに広宣流布を推進している仏意仏勅の団体は、創価学会しかありません。学会の実践のなかに、地涌の菩薩の実像があり、崩れることのない幸福境涯を確立する直道があります。

 どうか、生涯、学会から離れず、地涌の使命に生き抜き、幸せになってください。皆さんとは、なかなかお会いできませんが、ご一家の繁栄と幸せを、日々、祈っております」

 集った人たちの、ほぼ全員が初めて伸一と会う人たちであった。彼は懸命に訴えた。

 「皆さんが、私に代わり、ブロックの方々を守ってください。皆さんは、地域の創価学会の代表者、責任者であり、会長です。学会は、皆が、その思いで立ち上がり、その心で結ばれているから強いんです。

 信心の世界には、本質的には、役職の上下も、権威も権力もありません。皆が同じ仏子です。皆が地涌の菩薩です。皆が同志です。皆が創価家族です。私たちの手で、鳥取に幸せの花園をつくろうではありませんか!」

 大拍手が響いた。目に涙を浮かべ、「頑張ります!」と叫ぶ人もいた。

 正午過ぎから、二回目の勤行会が行われた。

 伸一は、参加者に視線を注ぎながら語った。

 「このなかには、ご高齢のため、自宅でお孫さんの面倒をみて、留守を預かってくださっている方もいらっしゃるでしょう。家に柱や屋根、土台があり、それぞれの役目が異なるように、家族の役割も違います。

 しかし、心を合わせて広宣流布を担ってくださっている功徳は平等です。皆が、広布の、大事な、大事な担い手です。本日は、その方々に、心から御礼申し上げます。ここに、わが使命あり≠ニ決めて信心に励み、共に幸福の大道を歩み抜きましょう」
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2015年01月24日

広宣譜54

広宣譜54

 鳥取の同志は、米子文化会館に次々と詰めかけ、勤行会の会場となる大広間は、瞬く間にいっぱいになっていった。子ども連れの婦人や、お年寄りも多かった。大広間以外の部屋も、人で埋まっていく。勤行会は、とても一度では終わりそうになかった。

 山本伸一は、毅然として言った。

 「皆さんが来られる限り、勤行会は、何度でも行います!」

 午前十時半、一回目の鳥取支部結成十八周年記念勤行会が開催された。伸一は鳥取の広宣流布と、全同志の一家の繁栄と幸せを祈念したあと、懇談的に話し始めた。

 「皆さんも、よくご存じのことと思いますが、日寛上人は『この本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱うれば、則ち祈りとして叶わざるなく、罪として滅せざるなく、福として来らざるなく、理として顕れざるなきなり』(注)と仰せです。御本尊の、この偉大なる功力に、万人が平等に浴することができる。

 しかし、それには、『勇気ある信心』が必要なんです。勤行をするにせよ、仏法対話をするにせよ、何かをなそうとするならば、常に勇気が求められます。

 日蓮大聖人の仰せのままに、正しい信心を貫こうとすれば、魔が競い起こり、当然、意地悪もされます。弾圧もあります。

 ゆえに大聖人は、『日蓮が弟子等は臆病にては叶うべからず』(御書一二八二ページ)と厳しく指導されているんです。

 また、この信心を貫き、必ず幸せになってみせるという『確信ある祈り』が大事です。

 仏法対話も確信で決まります。確信という魂があってこそ、理論も、体験も、より説得力をもつんです。

 「勇気」と「確信」で、わが人生を開き、広布を開き、すべてを勝ち越えていってください」

 伸一は、勤行会が終わるや、大広間に入りきれなかった人たちが待機している別室へ向かった。

 力の限り、同志を励まし抜く――その繰り返しのなかから、広宣流布の大波が起こる。
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2015年01月23日

広宣譜53

広宣譜53

 山本伸一が蛍の舞を眺めていると、「中国の歌」の作曲を担当した壮年たちが、「曲が出来上がりました」と言って、カセットテープとデッキを持ってやって来た。

 「待っていたんだよ」

 伸一は、蛍が輝く庭で、そのテープを聴いた。そして、歌詞の書かれた原稿用紙を広げた。彼の周りにいた人が、懐中電灯で歌詞を照らしてくれた。

 彼は、曲に合わせて歌を口ずさみながら、赤鉛筆を手にし、歌詞を推敲し始めた。

 「一番の最後は、『進みゆかなん 手をば結びて』ではなく、『進み跳ばなん 手と手結びて』にしよう。中国の皆さんの躍動する心を、表現しておきたいんです」

 二、三カ所、手を加え、再度、歌詞を読み返すと、力強い声で言った。

 「よし、これで決定だ!」

 歌詞の書かれた紙に、赤鉛筆で「決」と認めた。

 作曲をした壮年が、伸一に言った。

 「先生! 『友は燃え』など、三行目の終わりは、繰り返した方が、音楽的に安定するのですが、そうしてもよろしいでしょうか」

 「かまいません。お任せします。

 昨日から、作曲で苦労されたでしょう。しかし、その分、曲が練り上げられ、すばらしい曲になってきていますよ。名曲です。ありがとう! あなたの名前も、この歌と共に永遠に残ります。おめでとう!」

 学会のリーダーに不可欠なものは、一つ一つの物事の背後にある、人の苦労を知っていくことである。そこから励ましも生まれる。

 翌七月二十一日、米子文化会館の前には、早朝から車の列ができていた。前夜、勤行会が開催されるという知らせが鳥取県内を駆け巡り、全県下から訪れた会員が、開門を待っていたのである。その様子を見た伸一は、近隣の迷惑になってはならないと思い、皆に会館へ入ってもらうように県幹部に指示した。

 「私は、会員の皆さんとお会いするために鳥取県へ来たんだ。さあ、全力投球するよ」
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2015年01月22日

広宣譜52

広宣譜52

 中国の方面幹部が、「以上で懇談会は終了いたします」と、閉会を告げた。しかし、参加者は、近況などを報告しようと、山本伸一の周囲に集まって来た。

 皆が、次々と語りかけた。

 「先生、二十年前、大病を患っていましたが、信心してこんなに元気になりました」

 「家を新築し、座談会場として提供させていただいております。ぜひ一度、わが家にお寄りください」

 「そうですか。よかったね。本当によかった。嬉しいです。皆さんのお宅にも、可能な限りおじゃましますよ」

 彼は、一人ひとりの報告に耳を傾け、励まし、対話を続けた。

 皆の魂に、生涯の思い出を刻めるか。生涯の決意を促せるのか――必死だった。

 瞬間瞬間に、一声一声に、魂を込め、全力を注いだ。そうしてこそ、励ましなのだ。

 懇談を終えた伸一は、別室に移動し、代表に贈るため、激励の言葉を色紙や書籍に揮毫していった。作業に休みはなかった。

 決裁書類に目を通しながら、峯子に語った。

 「『中国の歌』の曲が調整できたら、もう一度、歌詞も検討しよう。最高の歌を完成させたいね!」

 彼の心は躍っていた。

 午後九時過ぎ、伸一は、米子文化会館の庭に出た。星々の煌めく空に、満月が皓々と輝き、大山のシルエットが、くっきりと浮かび上がっていた。

 彼は、月天子を仰いだ。心に詩興が湧くのを覚えた。

 その時、庭の片隅から幾筋もの光が踊った。蛍である。ほのかな光が千々に乱れ飛び、幻想的な美しい絵巻が描き出された。

 彼は、蛍の舞に目を凝らし、つぶやくように、傍らにいた幹部に言った。

 「鳥取の皆さんの真心を、映し出しているかのような、清らかな光だ。今宵は、星か、蛍か、満月か……。すばらしいね。お伽の世界にいるようだ」
posted by ハジャケン at 13:23| 山梨 ☁| 新人間革命 広宣譜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月21日

広宣譜51

広宣譜51

 広宣流布をいかに進めるかは、各地域によって異なってこよう。たとえば、人口過密な大都市と、過疎の山村や離島とでは、人びとの生活や人間関係等にも違いがある。その実情に即して、仏法理解の進め方、学会活動の在り方を、考えていかねばならない。

 日蓮大聖人は、「其の国の仏法は貴辺にまか(任)せたてまつり候ぞ」(御書一四六七n)と仰せである。そこに暮らす人びとが、わが地域の広宣流布の責任をもつのだ。

 地域に応じて、活動の進め方は異なっても、広布を推進する根本原理に変わりはない。

 第一に大切なことは、なんとしても、この地域を広宣流布していこうという「決意」である。自分が広布に一人立って、わが手で、この地域を幸福の園にしようという一念と行動がなければ、何年、何十年たとうが、何一つ現状を変えることはできない。

 第二に、学会員が地域で「信頼」を勝ち得ていくことだ。信頼という土壌が耕されてこそ対話も実る。信頼は人間関係の基である。

 第三には、各人が信仰の「実証」を示し切っていくことである。経済革命や病の克服、和楽の家庭の建設などは、当然、大事な実証となる。また、さまざまな人生の試練に出遭っても、それに負けない強い心を培い、人格を磨き、誰からも好かれ、尊敬される人になっていくことは、黄金の輝きを放つ実証といってよい。

 この「決意」「信頼」「実証」をもって前進するなかに、地域広布の大道が開かれるのだ。

 山本伸一は、懇談会で語った。

 「今回の訪問で、私は鳥取広布の新時代を開きます。真剣勝負で戦います。明日は、県内の会員の皆さんと一緒に、地域広布を祈願する勤行会を行いたいと思います。参加できる方は、全員、いらしてください。すべての会員の方々とお会いしたいんです。

 どうか、皆さんの手で、日本一団結の強い、功徳にあふれた鳥取をつくってください」

 懇談会は終わった。しかし、それは、更なる懇談の始まりであった。
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2015年01月20日

広宣譜50

広宣譜50

 米子文化会館で山本伸一は、午後五時半から行われた地元の代表二百人との懇談会に出席した。

 彼が、新しい「中国の歌」を作っていることを告げると、大きな拍手が湧き起こった。

 まだ制作途中ではあったが、中国方面の幹部に、その歌詞を読み上げてもらった。

 「皆さん、どうですか」

 伸一が感想を求めると、一人の婦人が、「ハイカラな歌だと思います」と答えた。

 「ありがとう。ハイカラとは、懐かしい表現ですね。でも、褒めていただいて嬉しい。まだ、推敲しますからね。

 また、一応、曲もできているんです」

 中国の有志が、一晩のうちに曲を作り、歌と一緒に吹き込んだテープを届けてくれたのだ。皆で、そのテープを聴いた。

 伸一は、参加者に尋ねた。

 「少し、歌いにくいところがあるように思うが、どうだろうか」

 皆が頷いた。伸一は、作曲したという壮年に語りかけた。

 「学会歌は、老若男女、誰もが、自然に、スーッと歌えるようにすることが大事なんです。もう少し調整してみていただけますか」

 伸一の間近にいた、メガネのよく似合う丸顔の婦人が、にこやかに頷いていた。県副婦人部長の出井幸子である。音楽大学を出て、三十五年間にわたって音楽教師を務め、退職したばかりの婦人であった。

 伸一は、出井に言った。

 「出井さんも一緒に検討してください。最高の歌を作りたいんです。女性の意見、センスを反映させていくことが大事ですから。

 歌は、今日中には完成させましょう!」

 強い意気込みがみなぎる言葉であった。

 懇談会で伸一は訴えた。

 「これからは、鳥取や島根など山陰の時代です。ここに、広宣流布の新しいモデルをつくることができれば、日本は変わります!

 『竹の節を一つ破ぬれば余の節亦破るるが如し』(御書一〇四六n)の原理です」
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2015年01月19日

広宣譜49

広宣譜49

 米子までの車中で、「四国の歌」の歌詞は出来上がった。山本伸一の一行が、米子文化会館に到着したのは午後四時半であった。

 伸一は峯子と共に、県幹部の案内で文化会館の構内を視察していった。数本の楠の前まで来た時、木にそれぞれ名前をつけてほしいと頼まれた。

 彼は、「右近楠」「左近楠」「牧口楠」「戸田楠」などと命名し、最後の一本の前に立つと、県幹部の顔を見て語った。

 「これは、『無名楠』とします。無名無冠の王者という意味ですが、次の会長が来た時に、名前をつけてもらうためでもあります」

 皆にとって、予期せぬ言葉ではあったが、誰も深くは考えなかった。“会長は、山本先生しかいない”と思っていたし、そうではない学会など、考えられなかったからである。

 伸一には、“広布の未来を展望し、しかるべき人材の流れができたならば、日本の創価学会の会長職は委ねて、自分は世界の広宣流布と平和のために、自由に、全力で走り回りたい”という強い思いがあった。

 伸一の胸には、恩師・戸田城聖が故郷・厚田村の海を見ながら、語った言葉がこだましていた。

 「君は、世界の広宣流布の道を開くんだ。構想だけは、ぼくが、つくっておこう。君が、それをすべて実現していくんだよ」「東洋に、そして、世界に、妙法の灯をともしていくんだ。この私に代わって……」

 御聖訓には、「日は東より出づ日本の仏法の月氏へかへるべき瑞相なり」(御書五八九ページ)、「日は光明・月に勝れり五五百歳の長き闇を照すべき瑞相なり」(同)とある。

 伸一は、自身のその胸のうちを、何度か学会の首脳に打ち明けてきた。自分が会長を退いても、皆で責任を担い、日本の広宣流布の総仕上げをしてほしいとの思いからであった。彼は、世界広布の大空へ大きく飛翔する日を心に描きつつ、日本の組織を盤石なものとするために、全精魂を注いで各地を回っていたのである。
posted by ハジャケン at 09:46| 山梨 ☀| 新人間革命 広宣譜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月17日

広宣譜47

広宣譜47

 山本伸一は、作詞した「九州の歌」に、「火の国の歌」という題名をつけた。

 すぐに、この歌詞に九州の友が曲をつけて、七月二十四日に熊本市体育館で行われた熊本支部結成二十周年を記念する県総会で披露されることになる。

 古来、「火の国」と呼ばれてきた熊本から、九州方面歌「火の国の歌」は、九州全土に新たな歓喜の波動を広げていったのである。

 七月十九日、伸一は、岡山文化会館で、九州代表との協議会を終えると、「中国の歌」の推敲に入った。

 午後十時前、歌詞が出来上がった。

 この歌は、二十二日に鳥取県の米子文化会館で開催される本部幹部会で、発表する予定であった。作曲も急がなくてはならない。

 伸一は、中国方面の幹部に伝えた。

 「まだ、細かい部分は手直しをしますが、これで作曲を始めてください」

 彼は、さらにそれから、「中部の歌」の作詞を始めた。この指導行では中部も訪問することになっており、中部長から、「その折に、『中部の歌』を発表していただければ……」との要請があったのである。

 翌二十日午後、伸一は、岡山を発ち、鳥取県の米子に向かった。

 これまで、本州の日本海沿岸部で、本部幹部会が行われたことはなかったが、伸一は、あえて、鳥取での開催を提案したのである。それは、「広布第二章」とは、これまでに、あまり光が当たらなかった新しい地域が、広宣流布の表舞台に登場する時代であると考えていたからだ。

 また、鳥取でも、宗門による迫害の嵐が吹き荒れるなか、同志は、「御書に仰せの通りだ!」との確信に燃えて活動に励んでいた。

 「陰で黙々と頑張り続けている人、苦しんできた人のところへ、真っ先に足を運ぶ!」――それが伸一の信念であった。

 最も大変な思いをしている人たちのなかに飛び込み、力の限り励ます。そこに仏法者の生き方があり、学会の発展の原動力もある。
posted by ハジャケン at 10:00| 山梨 ☁| 新人間革命 広宣譜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月15日

広宣譜46

広宣譜46

 山本伸一は、「九州の歌」の歌詞を三番まで読み上げると、皆を見て言った。

 「九州には、気取りはいらないよ。そんなものは、一切かなぐり捨てて戦うんです。

 二番の歌詞の四行目を、私は『先駆の九州 いざ楽し』とした。これが大事なんです。

 広宣流布の活動には、生命の歓喜がある。題目を唱えれば唱えるほど、信心に励めば励むほど歓喜増益し、心は弾む。もちろん、苦しいことや悔しいことはあるが、信心の世界には、それに何倍も勝る喜びがある。

 楽しくて楽しくて仕方がないというのが学会活動です。決して悲壮感に満ちた世界ではありません。

 また、皆が楽しさを満喫して信心に励んでいくために、善知識である同志の連帯が、創価家族がある。家族ですから、悩みも、弱さも、ありのままの自分をさらけ出していいんです。上下の関係もありません。

 何でも語り合いながら、真心の温もりをもって互いに包み合い、励まし合っていく――それが創価家族なんです。

 人を励ませば、自分が強く、元気になる。人を包み込んでいけば、自分の境涯が、広く、大きくなる。仏道修行、学会活動は、自身を磨き鍛え、人生を楽しく、最高に価値あるものにしていくためにあるんです」

 励ましは、人を蘇生させ、心と心を結び、社会を活性化させていく草の根の力となる。

 伸一は、さらに歌詞に視線を注いだ。

 「三番に、『崩れぬ道』とあるのは、牧口先生、戸田先生の大精神を受け継ぎ、広宣流布に生きる、われら創価の師弟の道です。

 九州の皆さんが、学会を誹謗する僧たちによって、どんなに辛く、いやな思いをしてきたか、私はよく知っています。

 しかし、日蓮大聖人の正法正義を貫き通してきたのは学会です。正義なればこそ、魔は、さまざまな姿を現じて、競い起こって来る。したがって、何があろうが、一歩も退いてはならない。ますます意気軒昂に、一緒に創価の『正義の歴史』をつくっていこうよ!」
posted by ハジャケン at 10:17| 山梨 ☁| 新人間革命 広宣譜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月14日

広宣譜45

広宣譜45

 吉原力は、一九六二年(昭和三十七年)、本部の職員に採用された。以来、山本伸一は、彼が人材として大成していくことを祈りながら、じっと見守り続けてきた。

 伸一はこれまで、多くの人を見てきた。残念なことには、幹部となり、未来を嘱望されながら、広宣流布のために生きるのではなく、自分の野心のために学会を利用しようとする人間もいた。そうした人物には、よく見ると、共通の傾向がある。

 それは、仏法で説く生命の因果の理法も、冥の照覧も、確信できずにいることである。だから、陰の労苦を避け、要領よく立ち回ろうとする。口で言うことと行動も異なり、裏表がある。しかし、そんな生き方が、仏法の世界で通用するわけがない。まやかしがあれば、いつか必ず、露呈するものだ。

 一方、広布を願って行動する人には、陰日なたがない。喜んで皆のために働いていく。

 伸一は、吉原の信心と誠実さに期待を寄せ、九州総合長に大抜擢したのである。

 九州の代表との協議会で伸一は、白い封筒から一枚の事務用箋を取り出した。

 「九州の新しい出発を祝し、『九州の歌』を作りました。車中、皆さんを思いながら作詞し、その後、さらに推敲を重ねたものです」

 彼は、歌詞を読み上げていった。

 「一、ああ広宣に われら起ち

    火の国健児の スクラムは

    今や燃えなん 果しなく

    大九州の 旗高し

  

  二、ああこの汗で 築きたる

    我と君との この城を

    法花で飾れ この歌と

    先駆の九州 いざ楽し

  

  三、ああ九州の ある限り

    崩れぬ道は 幾重にも

    世紀の功徳 いやまして

    正義の歴史 綴らなむ」 

 同志の瞳が輝き、顔に歓喜の光が差した。
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2015年01月13日

広宣譜44

広宣譜44

 吉原力は、こう自分に言い聞かせた。

 仕事が終わったら、そのまま学会活動に出かけよう。会合のない日は、仏法対話か個人指導に回るんだ

 当時は、タテ線の時代であり、部員は、都内から東京近県にかけて点在していた。就職したとはいえ、給料は決して高くはない。生活費を切り詰め、電車賃を捻出し、一軒一軒、部員の家を訪ねた。

 吉原が山本伸一に初めて個人指導を受けたのは、入会二年後の、一九五九年(昭和三十四年)十二月のことである。彼は男子部の班長になっていた。しかし、信心が惰性に流され、学会活動に身が入らず、仕事も不調続きであった。そんな状態から脱却したいと学会本部を訪れ、伸一と会ったのである。

 そのころ、伸一は、学会でただ一人の総務として理事長を支え、実質的には全学会の指揮を執り、同志の激励に奔走していた。そんな山本総務に、時間を取らせては申し訳ない≠ニ思いながらも、こう尋ねた。

 「信心が空転している時は、どうすればいいでしょうか」

 伸一は、確信を込めて言った。

 「題目です。題目を唱える以外にないよ。

 祈った人が勝つ――これが仏法です。

 困ったことがあったら、また、私のところへいらっしゃい」

 簡潔な指導であったが、吉原は、温かさを覚え、勇気が湧くのを強く感じた。彼は、この指導を無にすまいと思った。

 日蓮大聖人は、「元品の法性は梵天・帝釈等と顕われ」(御書九九七n)と仰せである。

 南無妙法蓮華経と題目を唱え抜いていくならば、わが身に「元品の法性」が厳然と光り輝き、すべてに打ち勝つ自身の境涯が確立される。そして、自分も人びとも幸福へと導く、梵天・帝釈の働きが具現されるのである。

 唱題に励む人は強い。「いま、われわれは凡夫です。凡夫であるけれども、ひとたび題目の功力をうければ仏の姿になります」(注)とは、恩師・戸田城聖の魂の叫びである。
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2015年01月12日

広宣譜43

広宣譜43

 山本伸一は、九州総合長を交代することになった鮫島源治に、厳しい口調で言った。

 「信心には、ヒロイズムも自己陶酔も必要ありません。幹部に“自分が、自分が”という自己中心的な考えがあれば、信心の軌道を踏み外して、勝手なことをしたりする。結局は、大勢の会員に迷惑をかけ、広宣流布の組織を攪乱し、破壊する魔の働きとなる。

 私は、君を、そうさせたくはない。これを契機に、信心の原点に立ち返って、一兵卒の決意で、本当の仏道修行に励んでほしい。これは、信心の軌道を修正するチャンスです。

 幹部にとって、最も大切なことは、“自分は泥だらけになっても、どんなに屈辱を味わっても、仏の使いである学会員を、絶対に守り抜いてみせる、幸せにしてみせる”という一念と行動なんです。格好や見栄ではない。

 もう一度、新しい決意で、一から信心を鍛え直す覚悟で組織を駆け回り、苦労に苦労を重ねて、人間革命していってもらいたい」 

 それから伸一は、吉原力に視線を注いだ。

 「吉原君は、どこまでも誠実に、謙虚に、皆と接していくことです。それによって、信頼を勝ち得ることができるんです。信頼こそが強い人間の絆を結ぶ力になっていく」

 吉原の入会は一九五七年(昭和三十二年)十二月、結核で自宅療養していた大学四年生の時である。入会はしたものの、本気になって信心に取り組む気のない彼のもとへ、毎日のように勤行の指導や激励に通ってくれたのが、男子部の班長であった。それによって吉原は奮起し、病を乗り越え、大学卒業後は建築金物販売会社に就職した。また、第一線組織のリーダーである男子部分隊長になった。

 その時、彼は誓った。

 “私が、信心に奮い立ったのは、班長が通って来て、日々、励ましてくれたからだ。家を訪ねてくれる回数に比例して、私も信心を学び、深めることができた。今度は、私が、それをやる番だ!”

 励ましの連鎖が、人材群を生み出す。大切なのは、最初の一人の行動である。
posted by ハジャケン at 11:05| 山梨 ☁| 新人間革命 広宣譜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月10日

広宣譜42

広宣譜42

 岡山文化会館に到着するや、「中国の歌」の作詞に取り組んだ山本伸一は、引き続き恩師記念室で「九州の歌」の推敲に入った。熟慮を重ね、何カ所か手直しをして完成となった。

 午後五時半から、二階の和室で岡山県の幹部らと懇談会を行い、さらに別室に移り、九州幹部との協議会に出席した。

 伸一は、集った五十人ほどのメンバーに視線を注いだ。峻厳な雰囲気が漂っていた。

 「正式には、二十二日の本部幹部会で発表しますが、九州の人事について、皆さんには事前に申し上げておきます。これは、九州が脱皮し、大きく発展していくための中核の人事であり、未来への布石です。

 九州には無限の底力がある。その力が、いかんなく発揮されれば、二十一世紀には創価の大勝利山≠ニなる。大九州の時代が来ます」

 人事では、新たに吉原力が九州総合長に就任し、方面婦人部長、方面青年部長等も交代することになった。

 「吉原君は、東京生まれの東京育ちで、これまで、第二東京本部の副本部長、多摩川圏の圏長として活躍してきました。また、仕事では聖教新聞社の業務局長を務め、職場の柱として皆から慕われています。

 彼は毎日、早朝も昼休みも、無事故で聖教新聞が配達されるように、寸暇を惜しんで真剣に唱題している。何事にも一途であり、体当たりでぶつかる、真面目なリーダーです。東京では、『吉原君を手放したくない』と言うんですが、大九州のために、やむを得ず彼を抜擢したんです。

 今、九州に必要なのは、地を這うようにして、地道に、懸命に、会員の皆さんのなかに分け入って活動するリーダーです。スタンドプレーヤーではありません。幹部は、自分が喝采を浴びることより、ひたすら同志を守り励ますことを考え、黙々と働くんです」

 リーダーは、団結の要である。そして、団結は、リーダーへの、あの人は、私たちのことを、ここまで思ってくれているのか≠ニいう、信頼と共感のうえに成り立つのだ。
posted by ハジャケン at 09:22| 山梨 ☀| 新人間革命 広宣譜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする