2013年07月23日

奮迅 67

奮迅67

 新しい峰へ。希望の旅へ──。
 民衆詩人ホイットマンは高らかに歌った。
 「さあ、もはやここにはとどまるまい、いざ錨を上げて船出をしよう」(注)
 戦う人生は美しい。戦う日々には、生命の燃焼と充実と歓喜がある。
 一九七八年(昭和五十三年)一月の初めに発表された広布第二章の「支部制」は、山本
伸一の奮闘によって魂が打ち込まれ、組織の隅々まで新生の息吹にあふれていった。全国
各地の各支部が、各部が、轟音を響かせ、広宣流布の新章節に、雄々しく飛翔していった
のである。
 伸一は、三月の半ば、首脳幹部に語った。
 「ようやく支部制も軌道に乗りました。一つのことを決め、スタートさせたならば、本
格的に軌道に乗るまでは、あらゆる角度から考え、さまざまな手を打ち続けていくんです。
 人間は、物事が軌道に乗ると、すぐに安心してしまう。すると、油断が生じ、組織の活
動も惰性に陥り、マンネリ化していきます。それを、日々、打ち破っていってこそ、みず
みずしい息吹で前進することができる。したがって、これからも『日々挑戦』なんです。
 広宣流布の道は険路です。平穏であるはずがない。必ず大難が競い起こるでしょう。ゆ
えに、全会員が決して堕ちることなく、幸せになるように、一人ひとりの胸中深く、創価
の『師子王の魂』を打ち込む時なんです。それは、広宣流布に生き抜く『師弟の精神』で
す。『一人立つ心』です。私は、そのために生命を削ります。皆にもその決意がなければ、
魔に翻弄されていきます!」
 学会は、この時、猛り立つ波浪のなかを突き進んでいた。宗門の悪侶らによる誹謗中傷
が、日ごとに激しさを増していたのである。
 伸一は、今こそ、不撓にして不屈なる創価の「師弟の精神」が脈動した組織を、つくり
上げなくてはならないと痛感していた。彼は、広宣流布を破壊せんとする魔軍の跳梁をひ
しひしと感じながら、雄々しき二十一世紀の広布の峰を仰いだ。 (第二十六巻終了)
posted by ハジャケン at 10:11| 山梨 ☀| 新・人間革命 奮迅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月21日

奮迅 66

奮迅 66

 信濃町で行われた埼玉県のブロック担当員の集いに出席した山本伸一は、それから立川
文化会館へ向かった。第二東京女子部のブロック長会に出席するためである。
 ”次代の学会を担う女子部の、最前線のリーダーを全力で激励したい”との強い思いが、
伸一を立川へと向かわせたのである。
 伸一は訴えた。
 ──人生は、決して平坦ではない。若い時代の幸せが、永遠に続くとは限らない。結婚
してから、夫の仕事の問題や病、家庭不和、あるいは、子育てなどで、悩み苦しむことも
ある。それに打ち勝つ強さを培い、未来にわたる福運を積んでいくための信心である。女
子部の時代は、一生涯にわたる幸福の基盤を確立する仏道修行の時代であると決めて、自
分を磨き抜いてほしい。
 そして、懇々と諭すように語った。
 「皆さんが担当しているブロックの部員さんのなかには、仏法はすごいと感じていても、
”人に信心していると言うのが恥ずかしい”と思っている方もいるかもしれない。
 しかし、勇気をもって、その弱さを打ち破っていくことが大事なんです。幸福の王女と
いう主役を演じるのに、恥ずかしがって舞台の袖にいたのでは何も始まりません。
 強く生き抜いていくうえで必要なのは勇気です。人生のあらゆる局面を左右するのは、
勇気があるかどうかであると言っても過言ではありません。その勇気の心を磨いていくの
が、信仰なんです。学会活動なんです。
 御書に『随力弘通』『随力演説』とありますが、各人の力に随って、仏法への率直な思い
を、自分らしく、自分の言葉で、周囲の人に語っていけばいいんです。自身の崩れざる幸
福のために、女子部の皆さんは勇気を奮い起こしてください。
 広宣流布の未来は、皆さんたち青年部に託す以外にない。女子部がいるだけで、組織は
花園になります。希望の光に包まれます。女子部、頼むよ。皆さんを見守っていきます」
 父の祈りにも似た言葉であった。
posted by ハジャケン at 10:55| 山梨 ☀| 新・人間革命 奮迅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月20日

奮迅 65

奮迅65

 集った婦人たちのなかには、夫が失業中の人もいれば、子どもが病床に伏しているとい
う人もいた。それぞれが、さまざまな悩みをかかえていたが、皆の顔は明るく、決意と喜
びに輝いていた。
 広宣流布に戦う人は、いかなる大苦があろうが、根本的には、既にその苦悩を乗り越え
ているのだ。胸中には、仏・菩薩の大生命の旭日が昇っているからだ。
 宿命の暗夜など、何も恐れることはない。わが生命を燃え輝かせ、闇を照らし、蘇生の
朝を告げていくのだ。
 山本伸一は、生老病死の四苦を人間は免れることはできないが、常住不変の生命の覚知
によって、この人生の根本問題を解決していく道を示しているのが仏法である、と力説し
た。
 「人生の旅路には、辛い時もあるでしょう。悲しい時もあるでしょう。絶望的な気持ち
になることもあるかもしれない。しかし、御本尊に題目を唱えていけば、力が出る。限り
ない生命力が湧いてくる。そして、唱題と弘教の実践を続けるなかで、宿命は転換され、
大福運がついていきます。まさに、自行化他にわたる題目こそ、この荒れ狂う社会を生き
抜いていくための原動力であります。
 ともかく、信心の世界にあっては、法のため、広宣流布のために、悩み、苦しんだこと
は、すべて偉大な功徳、福運となります。いな、最も苦しんだ人こそが、最も幸せになれ
るんです。それが真実の仏法なんです」
 わが宿命は、自ら担った尊き使命でもある。「煩悩即菩提」「生死即涅槃」「変毒為薬」等々
の原理が示すように、信心という確固たる生命の軸があれば、人生に襲いかかる一切の不
幸は、逆転の大ドラマとなるのだ。
 そして、広宣流布のために流した悔し涙は、感涙と変わり、浴びせられた中傷は、賞讃
となり、苦闘は、栄光の王冠と輝く。
 法のため、友のため、社会のために、勇んで今日も汗を流すのだ。苦労を重ねた分だけ、
勝利の喜びは大きい。
posted by ハジャケン at 09:52| 山梨 ☁| 新・人間革命 奮迅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月19日

奮迅 64

奮迅 64

 東京・信濃町の創価文化会館内にある広宣会館を、婦人たちのまばゆい笑顔が埋めた。
 「ようこそ! お会いできて嬉しい!」
 三月七日の午後二時過ぎ、埼玉県のブロック担当員の集いに、山本伸一が姿を現した。
大拍手と歓声が起こった。
 「では、一緒にお題目を唱えましょう。埼玉の広宣流布と、皆さんのご健康、ご一家の
繁栄を願っての唱題です」
 伸一は祈った。懸命に祈った。愛する埼玉の同志の大勝利を!
 唱題のあと、彼はマイクに向かった。
 「信心はなんのためにするのか。それは、成仏のためである。広宣流布のためである。
 成仏について大聖人は、『い(生)きてをはしき時は生の仏・今は死の仏・生死ともに仏
なり』(御書一五〇四p)と仰せであり、”生の成仏”と”死の成仏”を説かれている。
 つまり、成仏は、死後の世界のことだけではありません。今、生きているそのままの姿
で、仏の生命を開き、幸福境涯を確立することができるんです。真剣に唱題し、仏の生命
を顕していくならば、そこには、人間革命があり、幸福境涯の確立があります。
 御本仏・日蓮大聖人は、平等大慧であられ、一切衆生の成仏のために戦われた。したが
って、その大聖人の末弟であるならば、この偉大なる妙法を、人びとに教えていくべき責
任をもっております。
 もし、自分だけの幸せのみを願ってよしとする生き方であれば、それは、あまりにも無
慈悲であり、仏法上、慳貪の罪となってしまう。また、それでは、道理のうえからも、エ
ゴ的な生き方といわざるを得ません。
 自分のみならず、周囲の人びとも、共に幸せにならなければ、自身の本当の幸せはない。
ゆえに、自行化他にわたる実践のなかにこそ自身の真実の幸せがある。そこに私どもが、
広宣流布に、さらには立正安国に生きるゆえんがあるんです」
 宗教が、他者の苦悩に、社会に背を向けてしまえば、それは宗教の使命の放棄である。
posted by ハジャケン at 09:51| 山梨 ☀| 新・人間革命 奮迅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月18日

奮迅 63

奮迅 63

 山本伸一は、話をついだ。
 「私は、埼玉を”妙法のロワール”と呼びました。フランスのロワール地方は、工業も
発展していますが、緑が豊かで、美しい古城の多いところです。
 ナポレオンもロワール地方に注目し、執政政府時代、外務大臣のタレーランに、ロワー
ルの城のなかでも、とりわけ美しいバランセ城を購入するように勧めています。そして、
ここに各国の要人を招いて、外交の舞台にします。いわば、洗練された文化の力をもって、
ロワールで外交戦を展開させたんです。
 私が、『埼玉は、妙法のロワールたれ!』と訴えたのは、”外交で勝利し、世界のどの地
域よりも、学会理解の輪を広げてほしい”との意味が託されているんです」
 埼玉には、伸一は渉外部長としても、足を運んだことがあった。彼は、常に勇気をもっ
て、誠実に誠実を尽くして、どんな相手にもぶつかっていった。
 ある時、戸田は、伸一に言った。
 「外へ出れば、学会全体を代表しているのである。個人ではない。学会の代表という自
覚に立つことを忘れてはならない」
 また、学会員が不当な迫害を受け、その対応のため、現地に出向いた青年幹部がいた。
彼は、抗議もできず、言うべきことも言わずに帰って来た。すると戸田は、烈火のごとく
怒り、指導した。
 「会員を守れぬような臆病者は去れ! 意気地なしは学会から去れ! 学会と生死を共
にする者だけが真実の同志だ」
 勇気のない青年に、勇気を奮い起こそうとしない人間に、戸田は厳しかった。
 勇気がなければ──最愛の会員を守れないからだ。広宣流布の勝利はないからだ。自分
自身をも不幸にしてしまうからだ。
 仏・菩薩の生命を具えているがゆえに、勇気は本来、万人がもっているのだ。要は、そ
れを奮い起こそうとするかどうかだ。学会活動の場で培った勇気こそが、人生の困難の障
壁に体当たりしていく闘魂となるのだ。
posted by ハジャケン at 10:31| 山梨 ☁| 新・人間革命 奮迅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月17日

奮迅 62

奮迅 62

 山本伸一の言葉を聞くと、首脳幹部の一人が尋ねた。
 「先生は、埼玉の新出発のために、なぜ婦人部の、それもブロック担当員の集いに出席
されようと考えられたのでしょうか」
 伸一は、頷いた。
 「確かに、壮年の本部長会や支部長会、あるいは、各部合同の支部幹部会でスタートす
るという考えもある。しかし、広宣流布の最大の原動力は婦人です。だから私は、まず婦
人部に光を当てようと思ったんです。
 あの英雄ナポレオンには、一つの大きな後悔があった。彼は晩年、語っている。
 『私は、女性と十分に対話できなかったことを後悔している。女性からは、男たちがあ
えて私に語ろうとしない多くのことを、学ぶことができる。女性には、まったく特別な独
立性があるのだ』(注1)
 ナポレオンは、女性のもつ知恵や力に学び、生かすことができなかった。だが、民衆の
時代を創る広宣流布という平和革命には、女性の知恵と力が必須なんです。
 また、私が、ブロック担当員さんという第一線の方々の集いに、出席することにしたの
は、ブロックにこそ本当の戦いがあるからです。皆が必死になって、日々、壮絶な闘争を
展開している。その時に、指導者が城にこもっていれば、戦いは負けます。
 『兵士でなければならない、次に兵士でなければならない、そして更に兵士でなければ
ならない』(注2)──これも、ナポレオンの有名な言葉です。王侯貴族などという権威は、
戦いの場にあっては滑稽なだけです。
 だから私は、常に広宣流布の、最も激しい主戦場を走り、戦い、勝ってきました。
 戸田先生は、私を谷底に突き落とすように、不可能と思える戦いを私に託された。そし
て、どんなに苦労し抜いて勝利を収めても、ほとんど褒めてはくださらなかった。勝って
当然という顔をされていた。それが、弟子を真実の指導者に育て上げようとする、厳しく
も深い、師の慈愛だったんです」
posted by ハジャケン at 09:52| 山梨 ☁| 新・人間革命 奮迅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月16日

奮迅 61

奮迅 61

 川越地区での山本伸一の最後の地区講義は、一九五三年(昭和二十八年)の二月十日で
あった。このころには、受講者は五十人ほどになり、多くの人材が育ってきた。
 また、折伏・弘教の力も増していった。伸一が講義を担当する前月の、五一年(同二十
六年)八月の弘教は、志木支部全体で二十五世帯にすぎなかったが、この五三年(同二十
八年)二月には、川越地区一地区で三十五世帯の弘教を成し遂げている。一年半にして、
人材の層も、皆の確信、決意、意欲も、全く一変していたのである。
 伸一という一青年の必死の講義に、皆が魂を燃え上がらせ、力を発揮し、拡大の突破口
を開いたのだ。志木支部も上昇を続け、五四年(同二十九年)十一月には、四千世帯を超
える大支部となるのだ。
 「あらゆるものには輝くダイヤが隠されている。磨けば光る」(注)とは、発明王エジソ
ンの言葉である。全員がダイヤモンドのごとく、尊い人材なのである。
  
 川越地区の地区講義から、既に四半世紀の歳月が経過していた。伸一は、首脳幹部と懇
談を続けながら、深い感慨を込めて語った。
 「埼玉県創価学会は大発展した。強くなった。私は、埼玉に期待している。
 埼玉には、戸田先生が苦境の時代、先生と一緒に金策に行き、人の無情さ、悔しさを噛み締め
たこともあった。でも、その時、私は深く心で誓ったんだ。
 ”いつか、この埼玉にも、何万、何十万の同志を誕生させ、創価の民衆城を創ります。
先生の偉大さと、学会の正義を、わが生涯をかけて証明し抜いてまいります” と。
 その埼玉が、いよいよ広宣流布の”関東の雄”として、さらに、”広布の王者”として
日本中、世界中に大師子吼を轟かせる時代が来たんだ。嬉しい。本当に嬉しいんだ。
 私は戦うよ。埼玉の第一線の同志と共に総決起するよ。その出発が、明日の埼玉県のブ
ロック担当員の集いだ」
posted by ハジャケン at 10:15| 山梨 ☁| 新・人間革命 奮迅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月14日

奮迅 60

奮迅 60

 川越地区の御書講義を雪のため早めに切り上げた山本伸一は、戸田城聖の自宅に向かっ
た。地区の様子を報告しておきたかったのだ。
 伸一は、日々の行動は、すべて戸田に報告していた。師匠に自分の戦いを知ってもらえ
ることが嬉しかった。そして、?弟子として、先生に胸を張って語れぬような、だらしな
い戦いなど、断じてすまい!?と、いつも自分に言い聞かせて、活動に励んできたのだ。
 師の心を体して弟子が戦う──この師弟不二の精神こそが、伸一を常勝将軍たらしめて
いく原動力となっていったのである。
  
 川越地区の御書講義翌日の十二月十日、伸一は、神奈川県川崎市木月で行われた、蒲田
支部多摩川地区の班座談会に出席した。
 神奈川県には鶴見支部があった。鶴見支部は、戸田が第二代会長に就任する直前の一九
五一年(昭和二十六年)の春、「弘教の拡大をもって戸田先生を会長に迎えよう」と、皆が
新たな挑戦を開始した。その敢闘は目覚ましく、この年の四月二十日に創刊された「聖教
新聞」の第一号に、「聖火鶴見に炎上」との見出しで、活動の模様が紹介されている。
 広宣流布を推進していくうえで、政治、経済、文化等の中心である首都・東京は重要で
ある。では、その東京を牽引していくのはどこか──戸田は、それが東京を囲む首都圏の
各県であり、まずは、志木支部、鶴見支部という支部組織のある埼玉、神奈川であると考
えていた。だから、志木支部川越地区、鶴見支部市場地区の御書講義に、伸一を派遣した
のである。
 木月の座談会は、熱気があった。友人も数多く参加していた。伸一は、この日、御本尊
の偉大なる力を述べるとともに、「仏法は勝負」であることを訴えた。
 正義は、一つ一つ、勝利の実証を示すなかで明らかになる。ゆえに、勝つことを宿命づ
けられているのが、広宣流布の道である。そのなかで、不敗の闘魂を燃え上がらせる時、
自身の人生に王者の栄冠が輝く。
posted by ハジャケン at 11:06| 山梨 ☁| 新・人間革命 奮迅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月13日

奮迅 59

奮迅 59

 山本伸一は、力強い声で壮年に語った。
 「もう一つ、私が叫び抜いたのは、『宿命転換、境涯革命のための戦いを起こそう!』と
いうことでした。同志は皆、深刻な経済苦や病苦などをかかえ、苦しんでいました。
 その宿命を転換し、幸福になるための信心であり、唱題であり、弘教です。学会活動は、
すべて自分のためなんです。題目と折伏をもってして、解決できない悩みなどありません。
そのことを戸田先生は、命を懸けて力説されています。
 したがって私は、『この二月の闘争で、各人が悩みを乗り越える突破口を開き、功徳の実
証を、宿命転換の実証を、断じて示していこう』と訴えたんです。私は、支部の方々全員
に、なんとしても幸せになってほしかった。いや、支部幹事として、絶対にそうしなけれ
ばならない責任があるんです。
 皆も、”必ず宿命を転換してみせる!”という決意を固め、闘魂を燃え上がらせて、戦
いを開始してくれました。そして、自ら進んで、唱題と折伏に挑戦したんです。日々、す
さまじい勢いで弘教が進みました。
 すると、病気を克服できたとか、失業していたが仕事が決まったなどという体験が、次々
に生まれていきました。座談会を開けば、毎回、いくつもの新しい功徳の体験が発表され
ます。それに触発され、”よし、自分も折伏をしよう!”と立ち上がる人や、入会を希望
する人が、ますます増えていきました。
 功徳の連鎖、歓喜の連鎖が起こった時に、活動の歩みは飛躍的に前進します。
 ともかく、苦悩、宿命への挑戦・転換のために学会活動があることを、常に皆で確認し
合っていくようにしました。これが、一人ひとりの活動の原動力になったんです。
 つまり、皆が、”師に応えよう”との一念で、宿命の転換を懸け、勇んで戦うことによ
って、蒲田支部は大前進することができた。志木支部も、埼玉も、皆が同じ決意で戦いを
起こしていくならば、必ず大勝利できます。”埼玉の時代”を開いてください!」
posted by ハジャケン at 09:35| 山梨 ☁| 新・人間革命 奮迅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月12日

奮迅 58

奮迅 58

男子部班長の山本伸一は、埼玉の志木支部川越地区、神奈川の鶴見支部市場地区で
の講義を続けながら、一九五二年(昭和二十七年)一月には、蒲田支部の支部幹事となり、
あの二月闘争の指揮を執った。
 そして、布陣が整ったばかりの、支部─地区─班─組のうち、最前線組織である組に光
を当て、当時としては未曾有の、一支部で月に二百一世帯という弘教を成し遂げたのだ。
 しかし、どこで、いかなる活動をしていようが、伸一の心からは、地区講義を担当して
いる埼玉や神奈川のことが離れなかった。
 この五二年(同)の十二月九日、川越地区の御書講義が行われたが、あいにく午後から
雪になった。初雪である。伸一は、”電車が止まったりしなければよいが……”と思いな
がら川越に向かった。この日の講義は、午後八時に切り上げた。雪で足元も悪いため、皆
の帰宅が遅れたり、事故を起こしたりしないようにとの配慮からであった。
 講義のあと、伸一は、壮年の幹部と二十分ほど懇談した。その壮年は、伸一に言った。
 「今年二月の蒲田支部の戦いには、本当に驚きました。山本さんが指揮を執られて、折
伏が二百世帯を超えたんですね。いつか、お伺いしようと思っていたんですが、どうすれ
ば、あんな戦いができるんですか」
 「私は、戸田先生が会長に就任された今こそ、千載一遇の広宣流布の好機であると思っ
ています。この数年で、どこまで拡大の波を広げ、人材を育成できるかが勝負です。仏法
史上、これほど重要な”時”はありません。
 だから”弟子ならば立とう! 不惜身命の実践をしよう!”と腹を決めたんです。特に
二月は、折伏の総帥たる戸田先生が誕生された月です。そこで、『折伏・弘教をもって、先
生のお誕生の月を飾ろう』と決意するとともに、皆にも訴えました。その呼びかけに、蒲
田の同志は応えてくれました。
 ”先生のために戦うのだ”と思うと、勇気が、歓喜が、込み上げてくるんです。それを
蒲田の同志に伝えたかったんです」
posted by ハジャケン at 09:54| 山梨 ☀| 新・人間革命 奮迅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月11日

奮迅 57

奮迅 57

 川越地区の御書講義のあと、残った人たちから質問や相談を受けた山本伸一が、会場を
出たのは午後十時近かった。池袋行の終電車に乗った。車内には、数人の乗客がいるだけ
であった。赤い顔をして、座席にもたれかかり、大いびきをかいている人もいる。
 伸一は、微笑みを浮かべ、鞄から葉書の束を取り出すと、万年筆を走らせた。
 このころ彼は、男子部の班長と、蒲田支部大森地区の地区委員(現在の地区部長)を兼
務していた。さらに、地区講義の担当は、川越地区だけでなく、神奈川県の鶴見支部市場
地区にもついており、九月七日には、初の講義に訪れていた。
 まさに彼は、戸田の心を体して、未来のために、埼玉と神奈川の、広宣流布の土台づく
りに、真剣勝負で取り組んでいたのである。
 また、職場では、大東商工の営業部長であり、会社が軌道に乗るかどうかは、ひとえに
彼の双肩にかかっていた。
 毎日が多忙極まりなかった。それだけに、地区員や男子部の班員と会って語り合う十分
な時間が、なかなかもてなかったのである。 だから、寸暇を惜しんで、激励の葉書や手
紙を書くことを自らに義務づけていたのだ。
 池袋までの車中、次々と葉書を書いた。
 ”断じてやり遂げよう”という強い一念があれば、工夫はいくらでも生まれる。反対に
あきらめの心があれば、工夫の芽を自ら摘み取ってしまうことになる。
 伸一が、池袋駅に着いたのは、午後十一時前であった。夕食をとることができなかった
彼は、屋台でラーメンをすすった。
 大田区大森のアパート「青葉荘」に着いた時には、既に午前零時を回っていた。それか
ら御本尊に深い祈りを捧げた。
 伸一には、成すべき課題が山積していた。しかし、今、この瞬間にやれることは一つで
ある。たくさんの課題を、時間という縦軸に置き換え、一瞬一瞬、自身を完全燃焼させて、
全力でぶつかっていく以外にない。未来は「今」にある。勝利は「今」にある。
posted by ハジャケン at 10:22| 山梨 ☁| 新・人間革命 奮迅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月10日

奮迅 56

奮迅 56

 山本伸一は、学会の役職について、戸田城聖が語っていたことを、かいつまんで話した。
 質問した青年は、「わかりました。頑張ります」と言って、笑顔で頷いた。
 途中から話を聴いていた壮年が、前に来て、頭をかきながら言った。
 「いやー、耳が痛い話です」
 伸一は、この壮年にも懇々と語っていった。
 「学会の役職というのは、広宣流布のためのものです。会社の役職や世間のさまざまな
肩書と同じように考えてはならないと思います。そして、学会の役職を受けるにあたって
は、?仏意仏勅によって賜った?と受けとめ、全身全霊で責任を果たしていくべきである
というのが、戸田先生のご指導なんです。
 したがって、いろいろと大変であっても、学会の役職は勇んで受けていこうという姿勢
が大事ではないでしょうか。多忙でも、幹部として仏法のため、同志のために尽くしてい
く。そのなかで、自分が磨かれ、境涯革命、人間革命がなされ、功徳、福運を積んでいく
ことができるんです」
 伸一は、その後も、折々に、この壮年と語り合い、激励を重ねていった。やがて壮年は、
学会の役職にも就き、幹部として張り切って活動に励むようになった。
 ところが、しばらくすると、また、「仕事が忙しいから」と言って、学会活動をなおざり
にするようになった。
 ほどなく株価の大暴落が起こった。彼は、あれこれ手を尽くしたが、乗り切ることがで
きず、会社は倒産してしまった。
 壮年は、再び反省、奮起し、信心に励むと、業界で押されて新しい会社を任された。だ
が、資金繰りに追われる日が続き、また、活動から遠ざかっていった。その会社も、わず
か八カ月で破綻したのである。
 後年、この壮年は、「『体曲れば影ななめなり』(御書九九二p)との御聖訓に絶対間違い
はありません。信心という根本を忘れて、二度も地獄を見た私が言うのですから、間違い
ありません」と、伸一に述懐している。
posted by ハジャケン at 09:30| 山梨 ☀| 新・人間革命 奮迅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月09日

奮迅 55

奮迅 55

 質問した青年は、山本伸一の指導に、笑顔で頷いた。
 伸一が青年の質問に答えていた時、会場に入って来た、背広姿の恰幅のよい壮年がいた。
この壮年は、繊維を取引する会社の社長をしており、「暇がないから」と言って、学会の役
職に就くことを避けてきた。
 伸一は、質問した青年に、さらに語った。
 「とかく仕事が忙しいと、”いつか暇になったら、学会活動に励もう”と考えてしまい
がちです。しかし、それは間違いです。どんなに多忙であっても、自分のできることを精
いっぱいやっていくんです。
 というのは、信心が後退すれば、仕事の面でも、行き詰まりが生じてしまうからです。
 日蓮大聖人は、『仏法は体のごとし世間はかげのごとし体曲れば影ななめなり』(御書九
九二p)と仰せになっています。
 体である信心が確立されてこそ、その影である仕事をはじめ、世間のことも、順調に進
んでいくんです。また、たとえ、仕事等で困難に直面することがあったとしても、見事に
乗り越えていく力が出るんです。
 戸田先生は、ご自身の事業が行き詰まってしまった要因の一つは、自分が第二代会長に
なるのを避けてきたことにあると、私に語ってくださいました」
 その時、戸田は、こう言ったのである。
 「私は、牧口先生の遺志を受け、会長として立って、広宣流布の指揮を執らねばならぬ
ことは、よくわかっていた。しかし、会長職の責任の重さを考えると、ためらわざるを得
なかった。とても、あの牧口先生のようにはできぬと思ったからだ。しかし、それは、仏
意仏勅に反することであった。
 自分が躊躇していた分だけ、広宣流布を遅らせ、民衆は不幸に喘ぎ続けた。私は、自分
の事業が完全に行き詰まって、初めて目が覚め、そのことに気づいたんだよ。
 私たちには、広宣流布という久遠の誓いを果たす使命がある。学会の役職は、そのため
の責任職だ。疎かに考えてはならん」
posted by ハジャケン at 10:20| 山梨 ☀| 新・人間革命 奮迅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月07日

奮迅 54

奮迅 54

 山本伸一は、質問した青年を見つめ、微笑みながら答えた。
 「私もそうです。どうやって学会活動の時間をつくりだそうかと、悩み抜いています。
格闘しています。私の場合は、夕方、学会活動に出て、また、職場に戻り、深夜まで仕事
をすることもあります。日々、呻吟しています。日々挑戦です。日々工夫です。
 青年時代に職場の第一人者をめざして懸命に働いていれば、忙しいに決まっています。
定時に退社し、夜は自由に飛び回ることができ、日曜や祝日は必ず休めるという人の方が、
むしろ少ないかもしれません。
 多忙ななかで、いかに時間をつくり出すかが既に戦いなんです。少しでも早く、見事に
仕事を仕上げて活動に出ようと、必死に努力することから、仏道修行は始まっています。
自分の生命が鍛えられているんです。この挑戦を重ねていけば、凝縮された時間の使い方、
生き方ができるようになります。
 平日は、どうしても動けないのなら、日曜などに、一週間分、一カ月分に相当するよう
な充実した活動をするという方法もあります。
 たとえ会合に出られないことがあっても、広宣流布に生き抜こうという信心を、求道心
を、一歩たりとも後退させてはなりません。
 『極楽百年の修行は穢土の一日の功徳に及ばず』(御書三二九p)との御文がありますが、
大変な状況のなかで、信心に励むからこそ、それだけ功徳も大きいんです。
 戸田先生は、よく『青年は苦労せよ。苦労せよ』『悩みなさい。うんと悩みなさい』とお
っしゃいます。また、『苦労して、悩んでこそ、人の気持ちもわかるようになり、偉大な指
導者に育つことができる』とも言われている。私も、その先生のご指導を生命に刻んで、
歯を食いしばりながら挑戦しています。
 君には、今の大変な状況のなかで、『こうやって学会活動をやり抜いた』『こうやって職
場の大勝利者になった』という実証を示して、多くの男子部員に、その体験を語れるよう
になってほしいんです」
posted by ハジャケン at 10:11| 山梨 ☔| 新・人間革命 奮迅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月06日

奮迅 53

奮迅 53

 御書講義の最後に、山本伸一は言った。
 「私には、川越地区、志木支部、そして埼玉に対して、戸田先生がどれほど大きな期待
をいだかれているか、痛いほどわかります。
 先生は、十年後、三十年後、さらには二十一世紀の未来をお考えになって、埼玉に難攻
不落の広布城を築こうとされているんです。
 時代によって、広宣流布の本舞台も変わっていきます。今は東京が先駆し、本舞台とな
っていますが、数十年後も同じ状況とは限りません。今、皆さんは、”埼玉は一支部であ
り、東京には十支部もある。それに大支部も多い。埼玉が東京を凌げるわけがない”と思
っているでしょう。
 しかし、二十一世紀になれば、次第に東京を凌駕していくようになるでしょう。また、
必ずそういう時代を創らなければならない。歴史は動いていくんです。
 そのために何をするのか。日々、足元を固めていくことです。大聖人も『一丈のほり(堀)
を・こへぬもの十丈・二十丈のほりを・こうべきか』(御書九一二p)と仰せのように、今
の眼前の課題に全力で取り組み、一つ一つ着実に勝ち進んでいく以外にありません。
 今日やるべきことは、必ず、今日やるんです。今なすべきことに全精魂を注ぎ込んでい
くんです。すると、そこから新しい道が開かれていくものです」
 「今」という一瞬は、無限の未来をはらんでいる。歴史を動かすのも、瞬時の判断であ
り、行動である。その「時」を逃さぬためには、瞬間瞬間を全力で事に当たるのだ。
 勝利を決する好機は、常にある。その好機を生かすことのできる人は、いつ好機が訪れ
ようが、それを最大に活用できるように、絶え間なく努力、奮闘してきた人である。
 御書講義を終えた伸一は、質問を受けるために会場に残った。教学の質問より、それ以
外の問題が多かった。
 真っ先に尋ねたのは、青年だった。
 「私は町工場で働いていますが、学会活動の時間が取れずに悩んでいます」
posted by ハジャケン at 09:09| 山梨 ☔| 新・人間革命 奮迅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月05日

奮迅 52

奮迅 52

 山本伸一の御書講義は、語るにつれて、ますます熱がこもっていった。
 「最初に私は、戸田先生の『名代』として地区講義を担当することになったと申し上げ
ましたが、同様に皆さんもまた、先生の『名代』の自覚をもっていただきたい。
 戸田先生は、初代会長の牧口先生亡きあと、先師の遺志を受け継いで、ただ一人、広宣
流布に立たれた。今度は、私ども弟子が、恩師・戸田先生の心を心として、『名代』の決意
で師弟不二の道を進んでこそ、大願の成就があります。
 したがって、常に、”戸田先生なら、こういう場合にはなんと言われるか。どう行動さ
れるか”を考え抜いていくことが大事です。
 少人数であっても、ここにいらっしゃる皆さんが、先生の『名代』であるとの自覚に立
てば、川越地区も、志木支部も、埼玉も大発展します。大勝利します。百獣の王たる師子
王の戦いを、起こそうではありませんか!」
 受講者は、伸一の話に固唾をのみながら、真剣に耳を傾けていた。
 さらに伸一は、「聖人御難事」の「月月・日日につよ(強)り給へ・すこしもたゆ(撓)
む心あらば魔たよりをうべし」(御書一一九〇p)の箇所を取り上げ、「日々発心」の信心
の大切さを訴えていった。
 「広宣流布とは、魔との壮絶な戦いなんです。昨日まで、どんなに懸命に頑張り抜いて
きても、少しでも前進の歩みが止まれば、魔に付け入る隙を与えてしまうことになる。
 とかく人間は、困難の壁が厚いと、?これでは、とてもだめだ?と投げ出し、戦いの気
概を失ってしまう。反対に、困難を克服できそうになると、?もう大丈夫だ。なんとかな
る?と思って油断し、手を抜いてしまう。
 どちらも、魔に食い破られた姿です。魔の狙いは、ともかく精進を忘れさせて、広宣流
布の流れを停滞させ、破壊することにある。
 それに勝つには、日々前進、日々挑戦、日々向上していくしかない。自転車は止まれば
倒れる。一生成仏の戦いも同じです」
posted by ハジャケン at 09:56| 山梨 ☔| 新・人間革命 奮迅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月04日

奮迅 51

奮迅 51

 山本伸一は「聖人御難事」では、「各各師子王の心を取り出して・いかに人をどすともを
づる事なかれ、師子王は百獣にをぢず・師子の子・又かくのごとし」(御書一一九〇p)に
ついて語った。
 「広宣流布の道にあって、最も大切なものは勇気なんです。後輩の激励に行くにも、人
びとに仏法を語っていくにも、法難に立ち向かっていくにも、根本の力は勇気です。いわ
ば、勇気こそが、境涯を開き、宿命を転換するカギなんです。そして、その勇気の源泉が
『師子王の心』です。
 『師子王の心』とは何か。日蓮大聖人の大精神であり、末法の一切衆生を救済していこ
うという御心です。そして、その仰せのままに、広宣流布に立たれた、牧口先生、戸田先
生のご精神でもあります。
 また、師子王の『師子』とは、師匠と弟子であり、師弟を意味しています。つまり、弟
子が師匠と呼吸を合わせ、同じ決意に立ってこそ、何ものをも恐れぬ、勇敢な『師子王の
心』を取り出していくことができるんです。
 私は、毎日、”弟子ならば、戸田先生のご期待にお応えするんだ!””先生に、お喜び
いただける広宣流布の歴史を残そう!”と、自分に言い聞かせています。すると、どんな
苦難に直面しても、”へこたれてなるものか!”という勇気が湧いてきます。
 また、わが胸中に師匠をいだき、いつも師と共に生きている人は、人生の軌道、幸福の
軌道を踏み外すことはありません。その己心の師匠が、自分の臆病や怠惰を戒め、勇気と
挑戦を促し、慢心を打ち砕いてくれるからです。人の目はごまかせても、己心の師匠は、
じっと一切を見ています。
 私たちには、戸田先生という偉大な広宣流布の師匠がいます。その先生が、いつ、どこ
にあっても、自身の胸中にいる人が、真の弟子なんです。それが、師弟不二の第一歩なん
です。戸田門下生となれたわれらは、先生と共に、いや、先生に代わって、慈折広布の戦
いを起こしていこうではありませんか!」
posted by ハジャケン at 10:31| 山梨 ☁| 新・人間革命 奮迅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月03日

奮迅 50

奮迅 50

 山本伸一による川越地区の第一回講義では「佐渡御書」や「聖人御難事」など、御書四
編を研鑽した。
 「佐渡御書」の「世間の浅き事には身命を失へども大事の仏法なんどには捨る事難し故
に仏になる人もなかるべし」(御書九五六p)のところでは、こう訴えた。
 「取るに足らない世間のことで大事な命を失う人は多いが、仏法のために、命を捨てよ
うという人はいない。したがって仏になる人もいないのである──と仰せになっているん
です。つまり、尊い命をなんのために使うのかが大切であり、大聖人は、?仏法のため、
広宣流布のために、その命を使いなさい、捧げなさい?と言われている。
 仏法のために命を捧げるといっても、単に、死を意味しているわけではありません。
 わが人生の目的は広宣流布にあると決め、生涯、仏法のために働き、生き抜いていくこ
とが、仏法に命を捧げることになるんです。それによって自身の境涯革命、人間革命、一
生成仏がなされ、最高に充実した、歓喜に満ちた、幸福な人生を生きることができるんで
す。
 したがって、法華経に『不自惜身命』とありますが、その境地は、決して悲壮感に満ち
たものではありません。
 それは、いかなる困難も恐れず、勇気と挑戦の息吹にあふれ、生きていること自体が、
楽しくて楽しくてしょうがないという境涯です。エゴイズムに支配された?小我?ともい
うべき自己の殻を破り、仏法という大法に則った?大我?の自分へと蘇生し、最高の自分
というものを確立していく大道なんです。
 世間でも『死を先んずる者は必ず生ず』と言われるように、死を覚悟した人は強い。同
様に、広宣流布に一身を捧げようと心を定めるなかにこそ、自分を生かし、本当の自己の
輝きを放っていく方途があるんです。
 もともと、私たちは、広宣流布の使命を果たすために生まれてきた地涌の菩薩です。ゆ
えに、勇んで弘教に邁進していくなかで、私たちの本領を発揮することができるんです」
posted by ハジャケン at 09:48| 山梨 ☀| 新・人間革命 奮迅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月02日

奮迅 49

奮迅49

 講義開始の午後七時になった。
 山本伸一は、自己紹介から始めた。
 「私は、このたび、戸田先生の『名代』として川越地区の御書講義を担当させていただ
くことになりました山本伸一と申します。
 全精魂を注いで御書講義をさせていただくとともに、御書を身で拝され、広宣流布の指
揮を執られている戸田先生の大精神を、皆様にお伝えしてまいりたいと思います。
 なお、この御書講義につきましては、戸田先生より、受講者の皆さんへ、各御抄の修了
証書を賜ることになっております。
 若輩ではございますが、教学をもって、皆さんと共に、川越地区大発展の礎を築いてま
いる決意ですので、どうか、よろしくお願い申し上げます」
 彼は、こう言って、深く頭を下げた。
 「講義は、時間の関係もありますので、重要な箇所を抜粋して講義させていただきます。
 また、終了後には、時間の許す限り質問をお受けいたしますので、わからないことがご
ざいましたら、なんでもお聞きください」
 まだ、創価学会による御書全集の刊行前であり、研鑽する御抄は、それまでの『大白蓮
華』に掲載されたものである。ところが、何カ月も前に掲載された御抄もあり、教材を持
っていない人もいた。
 受講者は選ばれた人であったが、御文を拝読してもらっても、途中で詰まってしまう人
が多かった。伸一の方から、語句の意味などを質問してみると、基礎的な教学の知識も乏
しく、その回答からは、弘教への意欲も感じられなかった。大多数の人は、ただ、「題目を
唱えれば功徳がある」と聞かされ、入会に踏み切ったと言うのだ。
 皆、経済苦や病などの苦悩と格闘していた。高邁な理想よりも、今日、食べる米をいか
に確保するかが最大の関心事であるという人が、ほとんどであった。その庶民が立ち上が
り、生活という現実と戦いながら、広宣流布の大理想をめざしてきたのが創価学会なのだ。
そこに、民衆に根差した学会の強さがある。
posted by ハジャケン at 10:38| 山梨 ☁| 新・人間革命 奮迅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月30日

奮迅 48

奮迅48

 戸田城聖は、短時間だが、御書講義の要諦を山本伸一に語った。
 「御書講義にあたっては、深い講義をすることだ。深い講義というのは、難しい言葉を
並べ立て、理屈っぽい講義をすることではない。むしろ、わかりやすく、聴いた人が”な
るほど、そうなのか! 目が覚めるようだ。それほど重要な意味があったのか。確信がも
てた”と言うような講義だ。
 つまり、受講者が理解を深め、広宣流布の使命に目覚めることができる講義こそが、本
当に深い講義といえる。
 一、二年したころには、川越地区を、今の支部並みの組織にするんだよ」
 戸田の指導を胸に、伸一は小雨のなか、勇んで川越地区の講義に出かけていった。
 職場である大東商工のあった市ケ谷から池袋に出て、東武東上線で川越に向かった。成
増駅を過ぎると、ほどなく埼玉県である。
 既に夜の帳が下りた車窓に、田園が広がっているのが、うっすらと見えた。
 伸一は、”大埼玉の天地に出でよ。数多の地涌の菩薩よ!”と、題目を大地に染み込ま
せる思いで、盛んに心で唱題し続けていた。
 池袋駅から五十分ほどで川越駅に着いた。「小江戸」と呼ばれ、城下町として栄えた川越
には、落ち着いた風情が漂っていた。講義会場の家は、徒歩で一、二分のところにあった。
 午後七時前、伸一は元気な声で、「こんばんは!」と言って会場に姿を現した。
 八、九人の受講者が集っていたが、一人が小声で「こんばんは」と応えただけで、皆、
怪訝そうな視線を伸一に向けた。ほとんどの人は、伸一のことを知らなかったし、彼があ
まりにも若かったために、担当の講師とは思わなかったのである。
 しかし、確信に満ちあふれた、音吐朗々たる題目三唱に、皆、全身からほとばしる気迫
を感じ、思わず姿勢を正した。
 「戦場はここだ。戦うのはここだ。わたしはあくまでここで勝つ気だ!」(注=2面)─
─劇作家イプセンが戯曲に記した言葉である。
posted by ハジャケン at 09:24| 山梨 ☀| 新・人間革命 奮迅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月29日

奮迅 47

奮迅47

 戸田城聖は、山本伸一を凝視して語った。
 「君には、川越地区のこと以外にも、さまざまな活動の重責を担ってもらおうと思って
いる。これから何かと忙しくなるだろうが、埼玉は大事だ。だから、本腰を入れて、川越
地区の建設に取り組んでくれ給え。
 御書を通して、深く信心を打ち込み、人を育てるんだ。組織を強化するには、人材の育
成しかない。
 これは、地味だが、七十五万世帯達成のカギを握る大切な作業になる。できるか!」
 伸一は、間髪を容れずに応えた。
 「はい! 全力で川越地区の建設にあたってまいります」
 戸田は目を細めて、嬉しそうに頷いた。
 伸一は、師の構想を実現するうえで、極めて重大な責任が、自分の双肩にかかっている
ことを感じた。
 ”この御書講義は、師の願業を実現するための、突破口を開く戦いの一つなのだ! も
し、これが成功しなければ、先生の広宣流布の構想は、緒戦からつまずいてしまうことに
なる。弟子として、そんなことは、絶対に許されない!”
 伸一は、仕事と学会活動の合間を縫い、講義する御書を研鑽した。何十回と拝読し、わ
からない箇所は徹底して調べ、思索に思索を重ねた。
 ”戸田先生の「名代」として講義に行くのだ”と思うと、緊張が走り、研鑽にも、唱題
にも力がこもった。
 一九五一年(昭和二十六年)の九月二十五日、第一回となる川越地区御書講義の日を迎
えた。夕刻、大東商工の事務所で、川越へ向かう伸一に、戸田は言った。
 「講義の一回一回が勝負だぞ。”これでもう、川越には来られないかもしれない”とい
う、一期一会のつもりで臨みなさい。
 講義は、真剣で情熱にあふれ、理路整然としていなければならぬ。そして、仏法に巡り
合い、広宣流布に生きることができる歓喜を、呼び覚ませるかどうかが勝負だ」
posted by ハジャケン at 09:54| 山梨 ☁| 新・人間革命 奮迅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月28日

奮迅 46

奮迅 46

 山本伸一が、御書講義の講師として川越地区に派遣されたのは、戸田城聖が第二代会長
に就任して約五カ月後の、一九五一年(昭和二十六年)九月二十五日のことであった。
 以来、約一年五カ月にわたって、伸一は川越に通う。その間に、「治病大小権実違目」「佐
渡御書」「日厳尼御前御返事」「聖人御難事」「如説修行抄」「松野殿御返事」「生死一大事血
脈抄」「三大秘法禀承事」「阿仏房尼御前御返事」「日女御前御返事」などの講義を行ってい
る。
 伸一は、懐かしそうに語っていった。
 「戸田先生は、会長就任の席で、生涯の願業として、会員七十五万世帯の達成を発表さ
れた。また、大教学運動の要となる講義部員も任命され、私も、その一人となった。
 当時、幹部は、先生が会長になられたことで歓喜し、折伏・弘教に力を注ぎはしたもの
の、本気になって先生の願業を成就し、なんとしても、師と共に広宣流布の礎を築こうと
いう自覚は乏しかった。
 先生は、この年の八月末、私に言われた。
 『このままでは、七十五万世帯の達成には、何十年、何百年とかかってしまうことにな
りかねん。特に埼玉方面は低迷している。そこで、志木支部の川越地区の講義を担当し、
御書を根本に広宣流布の使命を自覚させ、立ち上がらせてほしい。支部の建設といっても、
地区を強くすることから始まる』」
 五一年(同二十六年)当時、各支部は数地区から十数地区で構成され、地区が最前線組
織であった。大きな地区の場合は、地区に幾つかの班を設けて活動していたが、学会とし
て正式に、支部─地区─班─組という組織の布陣が整うのは、翌五二年(同二十七年)の
一月からである。
 そして、戸田は伸一に、こう語った。
 「地区という小さな単位ではあっても、そこから、学会全体へと信心の炎は燃え広がっ
ていく。都心から離れた埼玉の川越に、模範の地区をつくることができれば、東京も大き
な触発を受け、大奮起するだろう」
posted by ハジャケン at 10:21| 山梨 ☀| 新・人間革命 奮迅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月27日

奮迅 45

奮迅 45

 ブロック強化の流れをつくるにあたり、山本伸一は東京ではなく、埼玉から始めようと
思った。埼玉のもつ限りない未来性に、大きな期待を寄せていたからである。
 首都圏においては、東京の多摩地域をはじめ、埼玉、神奈川、千葉などが、ベッドタウ
ンとして開発が進み、人口も急増していた。今後、その流れは、ますます進み、二十一世
紀には、東京都区部周辺に、いくつもの新しい都市が誕生することは明らかであった。
 それは、創価学会にとっても、新しい時代を築く舞台が開かれることを意味する。そし
て、そうした地域に、創価の人間主義の大連帯をつくり上げることができるかどうかが、
広宣流布の未来を決することになる。
 伸一は、そのための本格的な取り組みを、まず埼玉の地から着手し、組織の最前線のリ
ーダーであるブロック幹部のなかに、自ら飛び込んでいこうと決めたのである。
 伸一が出席することになった埼玉県婦人部のブロック担当員会を翌日に控えた三月六日
のことである。彼は、この日の夕刻、学会の首脳幹部と懇談した。その折、埼玉の志木支
部川越地区に、伸一が御書講義に通ったことが話題になり、幹部の一人が伸一に尋ねた。
 「先生の川越での講義を受講された方々は、『今なお、魂が打ち震えるような感動が蘇っ
てきます』『堂々とした、師子吼のような講義でした』と語っています。先生は、どういう
ご一念で、講義をされたんでしょうか」
 言下に、答えが返ってきた。
 「周囲から見れば、堂々と、余裕綽々であるかのように見えたかもしれない。しかし、
私は、背水の陣の思いで、真剣勝負で講義に臨んだんです。
 当時、志木支部というのは、小さな支部であり、東京の各支部と比べ、活動も大きな遅
れをとっていた。戸田先生は、そのなかの一地区をもり立て、埼玉から広宣流布の新たな
旋風を起こそうと、私を、先生の『名代』として御書講義の担当者に任命し、派遣された。
その時、私は二十三歳でした」
posted by ハジャケン at 10:17| 山梨 ☀| 新・人間革命 奮迅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月26日

奮迅 44

奮迅44

 山本伸一は、「支部制」を広宣流布の新しい跳躍台にしていくため、すべての人たちが支
部建設の大きな力となるよう、あらゆる手を打っていった。
 中心となる支部長・婦人部長をはじめ、支部の守り手となる指導部などの草創の幹部、
支部をまとめる本部長、さらに、活動の推進力となる男女青年部の部長と、間断なく激励・
指導の手を差し伸べていった。
 また、各支部が文化会館などを使って盛大に支部結成大会を行い、支部活動のスタート
を切るようにするなど、さまざまな観点からアドバイスを重ね、自ら先頭に立って、行動
の範を示してきた。
 「支部制」が軌道に乗り始めた今、伸一が次に力を注ごうとしていたのが、最前線組織
であるブロックの充実であった。
 支部といっても、その基盤はブロックである。支部の強化とは、各大ブロックの強化で
あり、さらに言えば、各ブロックの強化にほかならないからだ。
 大創価学会といっても、その実相は、ブロックにこそある。わがブロックで、”何人の
人が歓喜に燃えて活動に取り組んでいるのか””何人の人が功徳の体験をもち、信心への
絶対の確信をもっているのか””何人の人が喜々として座談会に集って来るのか”──そ
れがそのまま、創価学会の縮図となる。
 「九層の台も累土より起こり、千里の行も足下より始まる」(注)とは、『老子』の箴言
である。ブロックという足元の組織の強化がなされなければ、支部をはじめ、学会の組織
は、砂上の楼閣となってしまう。
 最前線組織であるブロックを堅固にしてこそ、広宣流布は盤石なものとなり、大創価学
会の飛躍があるのだ。
 そのためには、全幹部が徹してブロックに入り、一人ひとりと対話し、人材を育むこと
だ。そして、ブロック長、ブロック担当員(現在の白ゆり長)を中心に、皆が和気あいあ
いと、一人ももれなく、喜び勇んで信心に励める?人間共和?の連帯を築き上げることだ。

posted by ハジャケン at 10:54| 山梨 ☀| 新・人間革命 奮迅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする