2013年05月03日

勇将 67(完)

勇将 67

山本伸一は、参加者に笑顔を向けると、快活に呼びかけた。
「勝ちましょう! 勇気を奮い起こして自分自身に挑み
勝つんです。それが、人生の、ご家庭の、広宣流布の勝利に
なります。前進しましょう! 私と一緒に、誇らかな勝利の
ドラマをつくりましょう! 幸せになるために、広宣流布の
ために生まれてきた私たちではないですか! この世の
使命を勇んで果たしゆくなかに、幸福の直道があるんです。
歓喜があるんです。生命の躍動があるんです。境涯革命が
あるんです。奈良県創価学会のますますの発展と同志の
ご多幸を心よりお祈り申し上げ、私の話とさせていただき
ます。
では、皆で万歳をしましょう!
皆さんご自身の健康と長寿と勝利、ご家族の繁栄、そして、
創価学会の大発展を祝しての万歳です」
県長の沖本徳光がマイクに向かい、力のこもった声で
音頭をとった。
「万歳! 万歳! 万歳!」
唱和する皆の声が、明日香文化会館にこだました。それは、
人生と広布の勝利を誓う、勇将の雄叫びであった。
伸一は、ピアノを弾いて参加者を励ましたあと、さらに、
二階の広間に向かった。一階の大広間に入りきれなかった
人が、スピーカーから流れる音声を聴いていたのだ。
「ご苦労様! お会いしに来ましたよ。
明日香文化会館は見事に完成しました。立派な会館です。
しかし、建物はモノにすぎない。魂はありません。皆さんが、
わが生命に信心の王城を、広布の師弟城を築き
上げることによって、会館に魂を打ち込むことができるん
です。つまり、私は、こう戦い、勝ちました! 
広宣流布の栄光の道を開きました!と、堂々と語ることが
できる、自身の勝利の歴史を打ち立てることです。
立ちましょう! 師子じゃないですか!」
伸一の師子吼は、厳冬の明日香に、勇将たちの闘魂を
芽吹かせた。             (この章終わり)
posted by ハジャケン at 10:24| 山梨 ☀| 新・人間革命  勇将 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月02日

勇将 65

勇将 65
 
山本伸一は、広宣流布の勇将である、支部長、支部婦人部長、
そして、青年部の各部部長には、常に自分と同じ心で、
“折伏精神”をたぎらせ、あらゆる活動の先陣を切って
ほしかったのである。彼は、期待と慈愛を込めて、話を続けた。
「さきほど、支部婦人部長さんが、山間の地域で、長年、
『聖教新聞』を配達してくださっているとのお話を伺い、
感謝の思いでいっぱいです。豪雪地帯などで新聞を配って
くださっている方をはじめ、すべての配達員の皆さんに、
心から御礼申し上げます」
三日前の二十二日、日本列島は発達した低気圧に襲われた。
北海道の帯広では、降り始めからの新雪が八十八センチという、
測候所設置以来の大雪の記録を更新。北日本を中心に
大荒れの天気となった。
この日、伸一は、香川の四国研修道場にあって、“配達員の
皆さんが、どれほど大変な思いをしているか”と、心を
痛めながら、真剣に、御本尊に無事故を祈ったのである。
奈良の幹部会で彼は、「聖教新聞」の使命についても言及
していった。
「『聖教新聞』には、仏法哲理がわかりやすく説かれ、
広宣流布の指標、信心の指導、教学の解説等が、掲載されて
おります。それは、人生観、生命観、宇宙観を究め、仏法の
法理を人生・生活に具現していくための、まことに重要な
手引となる機関紙です。
また、日蓮大聖人の法門を実践しゆく規範であり、大切な
人生行路の指針といえます。
その機関紙を、朝早く、寒風の日も、雪の日も、黙々と
配達してくださる“無冠の友”に、私は最大の敬意と感謝の
念をもって讃嘆したいのであります」
大きな拍手が湧き起こった。
彼は、確信に満ちた、強い声で語った。
「広宣流布のために人一倍苦労されている方々が、幸せに
なれないわけがありません。必ず、大福運の人、大長者と
なります。長い目で見てください。仏法の因果の理法には、
断じて?などありません!」
posted by ハジャケン at 09:53| 山梨 ☁| 新・人間革命  勇将 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月01日

勇将 66

勇将 66

 真の仏法者とは、自らが本来、仏であると確信している人である。一切衆生が仏であると信じる人である。仏法で説く、生命の因果の法則を、わが信念としている人である。
 それゆえに何ものをも恐れず、それゆえに人を敬い、それゆえに喜々として労苦を担い、信心は即人格となって輝きを放つ。
 山本伸一は、さらに「聖教新聞」の配達員への、深い感謝の思いを語った。
 「新聞を届けてくださる配達員の皆さんのご苦労は、大変なものがあります。何人ものお子さんをもつ主婦もいれば、勤めに行く前に配ってくださるサラリーマンもいる。
 また、なかには、一流会社の重役であったり、博士の夫人という方もいらっしゃる。まさに、多士済々です。
 心から広宣流布のために尽くし、法友のために奉仕してくださる、こうした数多の老若男女の方々を、私どもは、どこまでも尊敬してまいりたい」
 伸一は、彼の周りにいた、副会長や県長らに厳しい視線を向けて言った。
 「幹部は、そういう方たちの無事故と健康を、懸命に祈り抜いていくんです。深く感謝し、偉大なる同志として、仏を敬うように大切にしていくんです。そうでないと幹部は慢心の徒になってしまう。皆がやってくれて当然であるなどと思ってはいけません。
 奈良から仏教が起こったが、結局、僧侶が権威化していき、仏教本来の精神が失われていってしまった。絶対に、同じ轍を踏んではならない。私は、学会が民衆仏法の団体として永遠に発展していくために、あえて言っておきます」
 創価学会は、民衆のなかに生まれ、民衆を組織し、民衆勝利の絵巻を織り成してきた。
 国家に庇護され、国家の僕となった宗教ではない。民衆のための宗教であり、人類のための宗教である。権威、権力に屈服、隷属せず、人間自身に至高の価値を見いだす人間主義の宗教であるからこそ、世界宗教として広がりをもつのである。
posted by ハジャケン at 10:35| 山梨 ☁| 新・人間革命  勇将 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月30日

勇将 64

勇将 64

山本伸一は、参加者一人ひとりに視線を注ぎながら話を続けた。
「各地域にあっても、異体同心の組織が築かれ、信心の根
が深く張り巡らされていくならば、三障四魔という炎に焼かれる
ことがあっても、また必ず、若草山のように、青々と蘇生して
いくことは間違いありません。
人生には、さまざまな試練が待ち受けているものです。
しかし、根がある限り、たとえ、すべてを焼き尽くされても、
必ず蘇生できるのだ!と強く確信し、自信をもって、焦らずに、
わが生命に信心の根を、地域に広宣流布の根を、張り巡らして
いってください」
次いで彼は、「未だ広宣流布せざる間は身命を捨て随力弘通を
致す可き事」(御書一六一八)等の御文をあげ、折伏・弘教
にこそ創価学会の使命と精神があることを訴えた。
彼は、広布第二章の「支部制」にあたり、折伏精神を、
学会の隅々にまで燃え上がらせなければならないと
思っていた。折伏精神とは、友人、知人に、自分に連なる
すべての人びとに、あらゆる苦悩に打ち勝つ道を、崩れざる
幸福の道を教える慈悲の心である。何ものをも恐れず、仏法の
正義を貫く勇気である。わが生命を磨き鍛え、一生成仏、
人間革命をめざす求道、向上の情熱である。
学会活動は、弘教をはじめ、座談会、教学の研鑽、機関紙誌
の購読推進等々、多岐にわたる。しかし、いずれの活動の
目的も広宣流布にあり、その原動力は、どこまでも
折伏精神である。この精神を失えば、活動は惰性化し、
空転を余儀なくされる。周囲の人びとに真実の仏法を教え、
必ず幸せになってもらおうという一念を燃え上がらせてこそ、
すべての活動に魂が込められ、歓喜が湧く。
そして、人との触れ合いは、そのまま、仏縁の拡大と
なるのである。一切の学会活動は、広宣流布、立正安国を
めざすものであり、それは、仏の使いとしての菩薩の行で
ある。ゆえに、地涌の菩薩の魂である折伏精神を
燃え上がらせるのだ。
posted by ハジャケン at 10:09| 山梨 ☁| 新・人間革命  勇将 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月29日

勇将 63

勇将63



 支部長の西坂勝雄は、最後に、ひときわ力を込めて訴えた。
 「一昨年、山本先生は、『恐るるな 功徳したたる 妙法の 法旗高らか 奈良は厳たり』との和歌を、奈良の同志に贈ってくださいました。私は、この和歌のごとく、力の限り前進してまいります!」
 真剣であった。懸命であった。
 山本伸一は、新支部長の、その心意気が嬉しかった。彼は、西坂にも、激励に記念の品を贈りたかった。しかし、何もない。
 御宝前に供えられた直径五十センチほどの鏡餅を見ると、彼は県長らに言った。
 「これを差し上げようよ」
 拍手が起こった。伸一は、鏡餅を台ごと一人で持ち上げようとした。重さは二十キロ以上もある。県長の沖本徳光は、運ぶのを手伝おうと、手を差し出した。しかし、伸一は、一人で抱えるようにして、西坂支部長のところまで運んだ。餅についていた粉で、スーツは白くなっていた。だが、そんなことは、全く気にも留めず、「頼むよ!」と言って渡した。受け取った西坂の足がふらついた。
 沖本は、伸一の行動から、リーダーの在り方を語る、師の声を聞いた思いがした。
 “人を頼るな! 自分が汚れることを厭うな! 同志を大切にし、励ますのだ。それが、学会の幹部じゃないか!”
 沖本の五体に電撃のような感動が走った。
 しばらくして、伸一の指導となった。
 彼は、一月の十五日に行われた、若草山の山焼きのことから話を進めた。
 「毎年一回、山焼きが行われますが、必ずまた、春とともに、若草が萌え出る。それは、草は焼かれても、根っこがあるゆえに、草の灰を肥料として吸収し、みずみずしい草を茂らせるのであります。
 人生も同じです。根がある人は、何があっても必ず栄える。根とは信心です。その根をより太く、強くしていくことによって、福運を吸い上げ、自分のみならず、一家一族をも、永遠に繁栄させていくことができる」
posted by ハジャケン at 10:05| 山梨 ☀| 新・人間革命  勇将 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月28日

勇将 63

勇将 63

支部長の西坂勝雄は、最後に、ひときわ力を込めて訴えた。
「一昨年、山本先生は、『恐るるな 功徳したたる 妙法の 
法旗高らか 奈良は厳たり』との和歌を、奈良の同志に贈って
くださいました。私は、この和歌のごとく、力の限り
前進してまいります!」
真剣であった。懸命であった。
山本伸一は、新支部長の、その心意気が嬉しかった。彼は、
西坂にも、激励に記念の品を贈りたかった。しかし、何もない。
御宝前に供えられた直径五十センチほどの鏡餅を見ると、
彼は県長らに言った。
「これを差し上げようよ」
拍手が起こった。伸一は、鏡餅を台ごと一人で持ち上げよう
とした。重さは二十キロ以上もある。県長の沖本徳光は、
運ぶのを手伝おうと、手を差し出した。しかし、伸一は、
一人で抱えるようにして、西坂支部長のところまで運んだ。
餅についていた粉で、スーツは白くなっていた。だが、
そんなことは、全く気にも留めず、「頼むよ!」と言って
渡した。受け取った西坂の足がふらついた。
沖本は、伸一の行動から、リーダーの在り方を語る、師の
声を聞いた思いがした。
“人を頼るな! 自分が汚れることを厭うな! 同志を
大切にし、励ますのだ。それが、学会の幹部じゃないか!”
沖本の五体に電撃のような感動が走った。
しばらくして、伸一の指導となった。
彼は、一月の十五日に行われた、若草山の山焼きのこと
から話を進めた。 
「毎年一回、山焼きが行われますが、必ずまた、春と
ともに、若草が萌え出る。それは、草は焼かれても、根っこ
があるゆえに、草の灰を肥料として吸収し、みずみずしい
草を茂らせるのであります。人生も同じです。
根がある人は、何があっても必ず栄える。根とは信心です。
その根をより太く、強くしていくことによって、福運を
吸い上げ、自分のみならず、一家一族をも、永遠に
繁栄させていくことができる」
posted by ハジャケン at 10:54| 山梨 ☀| 新・人間革命  勇将 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月27日

勇将 62

勇将 62

支部婦人部長を代表しての丸沢邦代の抱負に、大きな共感の
拍手が鳴り響いた。山本伸一は、草創の支部幹部の精神は、
広布第二章を担い立つ勇将に、確かに受け継がれようとして
いることが感じられ、嬉しくてならなかった。
彼は、丸沢に、祝福の記念の品を贈りたかった。しかし、あいにく、
用意してきた書籍なども使い果たしてしまった。
彼は、御宝前に桜の花籠が供えてあるのを見ると、「この花を
差し上げていいでしょ!」と、県長らに尋ねた。
湧き起こる大拍手のなか、それを手に取り、丸沢に贈った。
続いて、支部長代表の抱負となった。
天理市の川原城支部の支部長・西坂勝雄が登壇した。彼は、
四十過ぎの小柄な壮年であった。その体から、強い気迫を
ほとばしらせ、大きな声で語り始めた。緊張のためか、やや
早口であった。
「山本会長を迎え、広布第二章の船出にあたり、創価学会こそ、
世界最高の宗教であることを証明をするため、わが川原城支部
は燃えに燃えて、戦いを開始いたしました。
私自身も、支部員のために御本尊に祈り、いかなる三障四魔の
烈風にも臆せず、生涯、破邪顕正の旗を振り続けてまいる
決意であります!」
「すごいぞ! 頑張れ!」と、伸一の合いの手が入った。
西坂は勢いづいた。
彼は、かつては貧乏や病気で悩んでいた支部員の一人ひとりに、
功徳の実証が現れ、その体験が座談会で楽しく語り合われて
いる様子を報告。そして、新たなスタートに際し、支部で
掲げたモットーを発表した。
「一、悩んだら指導を受けよう。
 一、グチをいうより題目だ。
 一、クヨクヨするより実践だ。
このモットーを合言葉に、徹底して全支部員への激励と仏法
対話を進めてまいります」
伸一は、各支部が、いかんなく個性を発揮し、意欲的に、
明るく活動を進めてほしかった。それが、飛躍の活力となる
からだ。
■語句の解説
◎三障四魔  信心修行を阻み、成仏を妨げる三種の障り
(煩悩障、業障、報障)と、四種の魔(煩悩魔、陰魔、
死魔、天子魔)のことをいう。
posted by ハジャケン at 09:54| 山梨 ☀| 新・人間革命  勇将 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月26日

勇将 61

勇将 61

丸沢邦代は生き生きとした表情で語った。
「私は、山紫水明のこの山里が大好きです。わが地域に功徳の
花が爛漫と咲き薫るよう、はつらつと単車に乗って駆け巡って
います」
山本伸一は、拍手を送りながら言った。
「交通事故を起こさないようにね」
彼女は、チラリと伸一に視線を向け、元気な声で、「はい!」
と応え、言葉をついだ。
「私は、十年前に入会し、その直後から、『聖教新聞』の配達
も続けております。現在は、三十軒ほどのお宅に配らせて
いただいておりますが、雪が凍りつく冬の朝は、単車にも、
自転車にも乗れません。凍った道を徒歩で配ると、二時間以上
もかかります。しかし、こうして同志のため、地域の友のために、
“広布のお手紙”を運べることが、私の最高の誇りです。
一歩一歩の歩みが、すべて福運となり、無量の生命の財産に
なっていると、強く確信しております」
「すごいね。ありがとう!」
すぐに、伸一の声が響いた。
彼女はにこやかに一礼し、話を続けた。
「榛原には、草創期の支部婦人部長として活躍された、私が心
から尊敬する木谷節さんという先輩がおられます。みんなから、
“宇陀のかあちゃん”と呼ばれて慕われている方です。
その木谷さんが、さりげなくおっしゃった言葉に、胸を打たれ
ました。『私は、組織のなかで、支部員の皆さんに何かあったら、
何をさておいても、その人のところへ飛んで行って、一緒に悩み、
唱題して、すべて信心で解決してきたんですよ。そうすることで、
その人も成長し、結果的に支部も強くなりました。ともかく、
無我夢中で一人ひとりを守り、戦ってきたんです』
この話を聞いて、“これが学会の強さであり、草創の精神だ”と
思いました。私も及ばずながら、この精神で、粘り強く励ましを
続け、皆に慕われ、頼りにされる、太陽のように明るく、
朗らかな、支部婦人部長になりたいと決意しております」
posted by ハジャケン at 09:59| 山梨 ☀| 新・人間革命  勇将 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月25日

勇将 60

勇将 60

子どものいない有田幸二郎・信子夫妻は、男女青年部員や支部の
子どもたちを、わが子と思って接してきた。
有田の家は、支部のさまざまな活動の拠点になっていた。彼らは、
青年たちに言うのであった。
「ここを、わが家だと思って、自由に使いなさい」
また、苦学生をはじめ、青年たちがきちんと食事をしているかど
うかも気遣った。青年たちも、有田夫妻を父や母のように慕った。
夫妻のもとで活動に励んだ青年たちのなかから、後年、副会長ら
幹部をはじめ、学術界など、社会の各分野で活躍する多くの人材が
誕生している。奈良県長の沖本徳光も、その一人である。
人を育むものは、人の絆である。
先輩幹部の一人ひとりへの真心、思いやりが発する、心の温もり
のなかで、信心の滋養を吸収し、人材は育っていくのである。
奈良支部結成十七周年の記念幹部会で、花束を受けた有田夫妻に、
山本伸一は言った。
「これからも、後輩の模範、希望であり続けてください。
また、広宣流布に懸けた精神を伝え残していってください」
目を輝かせて、大きく頷く、夫妻の姿が�&@凜々しかった。
幹部会は、新支部長への支部証の授与等のあと、支部婦人部長
代表の抱負となった。
登壇したのは、奈良県北東部の宇陀郡榛原町を活動の舞台と
する、榛原支部の婦人部長・丸沢邦代であった。若々しい、
明るい女性である。彼女は、高い声で、ゆったりとした口調で
話し始めた。
「私たち榛原支部の地域は、標高八百メートル級の山々が
そびえる山里です。縄文時代の遺跡や、古墳も多い、由緒ある
土地柄です。山々に囲まれ、一山越えてはあの大ブロックへ、
また、一山越えてはこの大ブロックへと、支部員さんの各家々を
回るには、何日もかかるほど広大な地域です」
posted by ハジャケン at 10:06| 山梨 ☔| 新・人間革命  勇将 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月24日

勇将 59

勇将 59

有田幸二郎から、自宅の塀に罵倒する落書きをされたという
報告を受けた山本伸一は、即座に励ましの手紙を書いた。
「このたびは、三障四魔の嵐、東京で心配している。御金言
通りなれば、今更、驚くことはない。あくまで世間の事に、
ことよせて、難があるのです。悠々と、頑張ってくれ。
御書に曰く『各各我が弟子となのらん人人は一人もをく(臆)し
をもはるべからず』(九一〇)と云々。又曰く『其の外の
大難・風の前の塵なるべし』(二三二)との御金言なり。
これくらいで退転するような人があれば、それでよいではないか。
われらは、唯々、慈悲をもって戦っているのだから。
人数の多くなる、少なくなる、これは全て御仏智なれば。
願わくは、今こそ大信力をいだし、大御本尊様に願い、大勝利を
期せられよ。大将軍らしく、悠然と全支部員の同志を励まし、
指揮をとっていただきたい」
伸一は、結びに、全幹部が団結し、勝つことを、心の底から
祈っている旨を記した。
有田夫妻は奮い立った。幸二郎は、皆に力を込めて訴えた。
「日蓮大聖人の御書には、信心し、広宣流布の戦いを起こせば、
必ず法難が競い起こると、随所にあるではありませんか!
難を恐れたら、信心ではありません。功徳も、宿命転換も、
一生成仏もありません。難に立ち向かい、挑み、戦う覚悟を、
私たちは、絶対に忘れてはなりません。今こそ、勇気を奮い
起こして、さらに、勇猛果敢に折伏に邁進していこうでは
ありませんか!」
法難が勇将をつくりだす。
男子部の有志は、「自分たちで塀の落書きを消します」と
言ってくれた。
だが、有田は「このままにしておくよ。戦いを起こした誉れの
記念碑だからね!」と答え、そのままにしておいた。
有田夫妻は、この落書きを見ては、伸一の励ましに応えようと、
広宣流布への闘志を燃やしてきたのである。
posted by ハジャケン at 10:07| 山梨 | 新・人間革命  勇将 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月23日

勇将 58

勇将 58

有田幸二郎・信子夫妻は、まさに二人三脚で、広宣流布の険路を
突き進んでいった。何時間も、電車やバスに揺られ、同志の指導、
激励に行くことも珍しくなかった。奈良県南部の十津川や、
下北山にも足を運んだ。帰途、山道が土砂で閉ざされ、バスが
運行できなくなったために、夜を徹して、歩いて山を越えたこと
もある。
夫妻は、当初、“宿命転換のために、信心に励もう!”と、
必死に頑張った。やがて、教学を学ぶなかで、広宣流布に生きる
使命を自覚し、喜びと誇りを感じていった。
“私たちは、地涌の菩薩なんだ! 日蓮大聖人との、久遠の誓い
を果たすために、私たちは今、この時に、この地に生まれて
きたのだ! わが手で、断じて奈良の広宣流布をするのだ!”
そう思うと、力が湧いた。
山本伸一が第三代会長に就任した翌年の一九六一年(昭和三十六年)
三月には、奈良支部が誕生し、有田夫妻は、支部長、支部婦人部長
に任命された。
東京・台東体育館の壇上で、有田幸二郎は、山本会長から
支部旗を受けた。
「しっかり頼みます!」
「はい!」
その時の支部旗の、ずっしりと重い感触がいつまでも両腕に
残った。それは、奈良の広宣流布を担い、全支部員を幸せにする
責任の重さのように、彼には思えた。
「奈良広布に私たちの人生を懸けよう!」
有田夫妻は、心の底から誓い合った。怒濤のごとく、弘教の
大波は広がった。
御聖訓には「此の法門を申すには必ず魔出来すべし」
(御書一〇八七ページ)と。支部発足から二カ月後、有田の家の
塀に、彼らを罵倒する言葉が、白いペンキで大書された。
「有田よ恥を知れ」――学会を憎む何者かによる、卑劣な
仕打ちであった。
“これが広宣流布の道だ! 学会が正義であることの証明だ。
負けるものか!”
posted by ハジャケン at 10:32| 山梨 ☀| 新・人間革命  勇将 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月21日

勇将 57

勇将 57

有田幸二郎は、座談会場で横たわり、妻の信子の話を聞いていた。
“本来ならば、班長として、自分が先頭に立って訴えなければ
ならないのだ”と思うと、不甲斐なかった。
歯ぎしりする思いであった。彼は、深く心に誓った。
“きっと、この病を治し、長生きしてみせる。その時、誰もが
仏法の力に驚くだろう。それが、私の折伏だ!”
信子は、座談会に集った友人たちに、力強く語っていった。
「仏法では、病がある人は仏になれると説いているんです。
日蓮大聖人が『病によりて道心はをこり候なり』
(御書一四八〇ページ)と仰せのように、病を契機として、
真剣に信心に励もうとするからです。
病気に限らず、経済苦や家庭不和など、すべてを乗り越えて、
幸せになれると約束しているのが、大聖人の仏法なんです。
皆さんも、一緒に信心をしましょうよ!」
彼女の、率直な、ありのままの訴えは、参加者の胸に強く響いた。
結局、二十四、五人の友人のうち、五、六人が入会の決意を
固めたのである。有田夫妻は、弘教に行き詰まると、大阪の
関西本部まで行き、幹部に指導を受けた。信心は、我見で推し
量るのではなく、どこまでも真っすぐに、純粋に貫こうと、
決意していたのだ。
入会翌年の一九五六年(昭和三十一年)一月から、大阪で会長
・戸田城聖の「方便品・寿量品」講義や御書講義、指導会などが
開催されるようになると、二人は、喜び勇んで大阪に通った。
さらに、青年部の室長である山本伸一が指揮を執った“大阪の戦い”
の時には、定期券を購入して、毎日のように関西本部を訪れた。
いつか、幸二郎の神経痛も起こらなくなっていた。
求道の人には、歓喜がある。
歓喜ある人には、苦悩を克服する勢いがある。
五六年(同)八月、奈良地区が誕生した。
地区部長、地区担当員は、有田夫妻であった。
posted by ハジャケン at 09:26| 山梨 ☁| 新・人間革命  勇将 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月20日

勇将 56

勇将 56

座談会場に到着しても、班長の有田幸二郎の神経痛は続いて
いた。顔面は蒼白であった。彼は、トイレに入って休み、
なかなか出てこなかった。痛みに呻く声が聞こえた。
班担当員の信子は、“こうなったら、私が頑張ろう!”と
腹をくくった。トイレにいる夫に言った。
「あんた、出てきなはれ。出てきて、私の横で寝てなはれ」
信子は、座談会場に置かれた座卓を前にして座り、夫の
幸二郎を隣に寝かせた。そして、静かに、落ち着いた口調で
語り始めた。
「ここにいるのは、私の夫です。私たちは四カ月前に、
日蓮大聖人の仏法と巡り合い、信心しました。それまで夫は、
何年間も慢性の胃潰瘍に苦しみ、お粥しか食べることは
できませんでした。ところが、勤行を始めてから、漬物や
お茶漬けが食べられるようになり、普通の食事ができるように
なりました。しかし、夫には、もう一つ、大変な病があります。
それが、この神経痛です。医者は、原因がわからないと
言います。でも、必ず、これも信心で乗り越えてみせます。
皆さん、夫の今の様子を見ておいてください。日蓮大聖人の
仏法には、人間のもつ大生命力を涌現させる力があります。
だから夫は、医者がサジを投げた病を、信心を根本に
克服しようと決意し、痛くとも、笑われても、こうして
座談会に出席しているんです。懸命に学会活動に参加して
いるんです。私たちは、この信仰で、必ず幸せになって
みせます。その絶対の確信があるんです。
信心したからといって、今すぐに、何もかも良くなるとは
限りません。宿業の軽重、信心の厚薄によります。
でも、一生懸命に信心に励んでいけば、
夫は必ず全快します」
烈々たる確信であった。学会員に誘われて座談会に
出席した友人たちは、信子の気迫にのまれたように、
真剣な顔で話に耳を傾けていた。
ほとばしる確信こそが、信仰の核である。
それは、幸福創造の最大の源となるのだ。
posted by ハジャケン at 10:33| 山梨 ☀| 新・人間革命  勇将 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月19日

勇将 55

勇将 55

有田幸二郎は、普通の食事ができるようになったーーその功徳の
実感を、本人も、妻の信子も、人に語らずにはいられなかった。
難しい理屈は何もわからなかった。ただ、「この南無妙法蓮華経
の御本尊さん、拝まなあきまへんで!」と言って歩いた。
弘教の闘士が誕生したのだ。
功徳の体験から生まれる歓喜こそ、広宣流布の無限の活力となる。
二人は、家に来る人や近所の人に、日蓮大聖人の仏法の力を訴え
ていった。バスに乗っても、友人や知人の姿を見ると、すぐに
仏法対話になった。入会五日目には、六世帯の人が題目を唱え
始めた。ほどなく二人は班長と班担当員の任命を受けた。
幸二郎の胃潰瘍は克服できたが、まだ神経痛は治ってはいない。
医師もサジを投げた原因不明の病である。しかし、夫妻には、
これも完治できるという確信があった。
有田夫妻の班員は、奈良県の全域に散在していた。彼らが班長
・班担当員になった年の暮れ、宇陀郡の榛原で座談会が開かれる
ことになった。この日、雪がちらつき、幸二郎は神経痛で
起き上がることもできなかった。座談会には、たくさんの友人が
出席を約束しているという。彼は決めた。
班長の自分が行かなければ、座談会は始まらない! 
這ってでも行こう!
断じて使命に生き抜こうとする一念が、人間を強くする。
他者のために、何かをなそうとする時、生命の底から、
滾々と力が湧き出るのだ。
幸二郎は、妻の信子と学会員の壮年に支えてもらい、雪の
中を歩き始めた。一歩足を踏み出すたびに、苦痛で顔が歪み、
額に脂汗が滲んだ。汽車、そして電車を乗り継ぎ、歯を
食いしばりながら座談会場をめざした。
ようやく榛原の会場にたどり着いた。学会員数人と、二十四、
五人の友人で、部屋はいっぱいだった。健気な同志たちは、
雪の中、有田夫妻が来てくれたことに対して、涙を流さん
ばかりに喜び、拍手で迎えてくれた。
posted by ハジャケン at 09:39| 山梨 ☁| 新・人間革命  勇将 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月18日

勇将 54

勇将 54

式次第は、表彰に移った。山本伸一が見守るなか、奈良支部の
初代支部長・婦人部長の有田幸二郎・信子夫妻に、それぞれ、
感謝の花束が贈られた。賞讃の大拍手が夫妻を包んだ。
二人は、感激に目を潤ませた。
有田夫妻は、一九五五年(昭和三十年)八月の入会以来、他宗派
の古刹が甍を連ねる奈良にあって、ひたぶるに広布開拓に走り
続けてきた。夫の幸二郎は、奈良市内で燃料店を営んでいた。
かつては遊興にふけり、夜ごと、浴びるように酒を飲んだ。
入会の数年ほど前から、慢性の胃潰瘍と神経痛に苦しむように
なった。胃潰瘍の薬は医師から処方してもらっていたが好転せず、
神経痛は原因不明で、腹の右横に激しい痛みが起こるのだ。
なんとか商売は続けていたものの、げっそりと痩せ細り、長身の
彼は、物干し竿のような印象を与えた。それでも、過度の飲酒を
重ね、儲けた分は、酒代、遊興費に消えていった。
治るあてのない病に、半ば自暴自棄になっていたのだ。
妻の信子は、先行きの不安から逃れるために、信仰にのめり
込んでいった。さまざまな宗教を遍歴するが、不安はますます
募るばかりであった。
そんな折、信子は、隣家の婦人から学会の話を聞いて座談会に
参加した。そこで、宗教には高低浅深があることを教えられ、
彼女は入会を決意した。その話を夫の幸二郎にすると、
「一緒に信心してみよう」と言いだしたのである。
勤行に励むようになって三日目、お粥しか口にできなかった
幸二郎が、漬物とお茶漬けを食べた。以来、少しずつ、かたい
ものが食べられるようになっていったのである。
夫妻は、その現証に小躍りした。
“この信心は間違いない!”――信子は、ようやく“本物”の
宗教に出合ったと思った。
実証に勝る説得力はない。一つの体験は、百万の言葉よりも重い。
posted by ハジャケン at 10:06| 山梨 ☁| 新・人間革命  勇将 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月17日

勇将 53

勇将 53

一月二十五日の夕刻、明日香文化会館一階の大広間には、
奈良県各地から代表幹部が集って来た。真冬であるが、場内は
熱気にあふれていた。
会場後ろのドアが開いた。
「皆さん、こんばんは!」
山本伸一が姿を現すと、会場を揺るがさんばかりの大拍手が
轟いた。伸一は真ん中の通路を通り、参加者に、「ご苦労様!」
「久しぶりだね」と声をかけながら前方に進んだ。
司会の声が響いた。
「ただ今より、奈良支部結成十七周年記念幹部会を開会いたし
ます!」
伸一の導師で勤行が始まった。真剣に祈りを捧げた彼は、
振り向くと皆に言った。
「楽しくやろうよ。家族の集まりだもの」
この言葉で、参加者の緊張がほぐれた。
県長の沖本徳光があいさつに立った。就任五カ月の、三十五歳
の県長である。
「本日は、広布第二章の初代支部長・婦人部長の任命式を兼ねた
幹部会であります。奈良支部結成十七周年の佳き日に、わが県は、
新たに九十七支部で広布第二章の出陣ができることは最大の
喜びであります。今日よりは支部長を中心に各部一体となって、
日本における仏教淵源の地となったわが郷土・奈良を、世界一
の仏国土につくり上げてまいろうではありませんか!
私は、若いだけでなんの取り柄もありませんが、奈良の会員一人
ひとりのために、祈りに祈り、動きに動き、この身を生涯、
皆さんの幸せのために捧げてまいります」
すがすがしい決意であった。
奈良支部の誕生は、一九六一年(昭和三十六年)三月のことで
あった。支部長・婦人部長は、有田幸二郎・信子夫妻である。
二人は、この日、県指導委員、県指導長として元気な姿で、
満面に笑みを浮かべていた。
草創の功労者が、戦い続けている組織は強い。そこには、
学会魂の継承があり、それが信心の堅固な土台となって
いくからである。
posted by ハジャケン at 10:05| 山梨 ☀| 新・人間革命  勇将 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月14日

勇将 52

勇将 52

山本伸一は、明日香文化会館の設計段階から何度も報告を受け、
相談にものってきた。彼は、日本を代表する仏教建築も多く、
他教団の本部等もある奈良県の中心会館は、学会員が
「これが私たちの法城です!」と、誇らかに胸を張れるものに
しなければならないと考えてきた。だから、近代的であり
ながらも、風格のある建物にするよう、さまざまなアドバイス
を重ねてきたのである。
伸一は、館内に入った。ドアの取っ手は「勾玉」の形をして
おり、大広間の襖は銅板で、天井も美しい格子模様である。
また、柱にもゆるやかな膨らみがあり、手の込んだ造りに
なっていた。
彼の奈良訪問は、二年ぶりであった。
午後六時前から二階の広間で代表幹部と懇談したあと、文化
会館の各部屋や庭を回り、役員らに言葉をかけていった。
さらに、奈良県の新出発となる明日の県幹部会を記念して、
支部長らに贈るために、句などを認めた。
「ついに見る 朝日の支部を 祝賀せむ」
「真剣の 二字を心に 慈悲の指揮」
翌二十五日、伸一は、明日香村など周辺地域を視察した。
聖徳太子誕生の地に建立されたという橘寺を経て、石舞台古墳や、
蘇我馬子によって創建された最初の本格的寺院といわれる
飛鳥寺を通り、高松塚古墳などを回った。
彼は、車中、窓外に目を向け、地域の繁栄を願い、大地に、
草木の一本一本に、題目を染み込ませる思いで、唱題を
続けた。蘇我氏、聖徳太子らによって、仏教がこの地に興隆し、
仏教文化が開花してから、千三百年余の歳月が流れた。
今、その仏教は、いにしえの繁栄を伝える遺跡や伽藍はあっても、
生き生きとした精神は失われて久しい。
伸一は、深く思った。
奈良県創価学会には、この地に真実の仏法の力をもって
新しい人間文化を創造し、社会の融和と繁栄を築き上げる使命が
ある。仏法興隆の新時代の幕を開くのだ!
posted by ハジャケン at 10:06| 山梨 ☀| 新・人間革命  勇将 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月13日

勇将 51

勇将 51

一月二十三日午後、山本伸一は八日間にわたる四国指導を終え、
関西に向かった。彼は、四国研修道場を出発する間際まで、
愛媛から研修会に参加していた壮年・婦人や、役員として諸行事
の運営を支えてくれた青年たちと、記念のカメラに納まるなど
して、激励を続けた。
関西入りした彼は、大阪府交野市の創価女子中学・高校(現在の
関西創価中学・高校)を訪ねた。翌二十四日には開校五周年を
祝う昼食会に出席し、奈良県へと急いだ。二十五日に橿原市の
明日香文化会館で行われる、奈良支部結成十七周年を記念する
幹部会等に出席するためであった。この幹部会が、県としての
「支部制」出発の集いとなるのである。
明日香文化会館は、橿原市石川町にある奈良本部の隣接地に、
前年暮れに完成したばかりの会館であった。しばらくは、ここが
奈良県の中心会館として、広宣流布の心臓部の役割を果たして
いくことになる。
山本伸一が明日香文化会館に到着したのは、午後四時半前である。
小ぬか雨が、乾いた空気をほどよく湿らせていた。
会館は高台にあった。鉄筋コンクリート造りの白亜の二階建て
で、優雅で重厚感のある建物である。
南には石川池(剣池)と孝元天皇陵があり、北東から北、北西に、
香具山、耳成山、畝傍山の大和三山が見える。また、東には
蘇我蝦夷・入鹿父子の邸宅があったといわれる甘樫丘がある。
橿原市一帯は、古代文化発祥の地といわれるだけに、遺跡も
多く、緑豊かで、歴史のロマンにあふれていた。
車を降りた伸一は、出迎えた県の幹部らに言った。
「すばらしい文化会館ができたね! 勝ったね。
皆さんの奮闘が実を結んだんです。
仏教文化が栄えた奈良に、日蓮大聖人の太陽の仏法が大興隆
していく象徴が、この明日香文化会館です。
皆がそう確信し、決意を新たにしていくことが、実は重要なん
です。大事なのは人間の心です」
posted by ハジャケン at 10:22| 山梨 ☁| 新・人間革命  勇将 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月12日

勇将 50

勇将 50

山本伸一と方面・県幹部との懇談が終わった時には、午後十時を
回っていた。 伸一は、皆に提案した。
「壮年部と男子部の方面幹部、県幹部の方と追善の勤行を
しましょう。源平の屋島の戦いで亡くなった人たちを追善したい
んです。平家も、源氏も、亡くなったすべての方々に回向の
題目を送り、さらに、この地域の繁栄を祈りたいんです。
悲惨な戦が行われた地だからこそ、ここから平和の哲学を発信し、
人間共和の幸の花園を築かねばならない。その誓願の勤行です」
厳粛な追善の勤行が始まった。真剣な祈りであった。
勤行を終えた伸一は言った。
「みんなも、どこにいようが、”自分がいる限り、この地域を
平和と繁栄の都に転換してみせる。そのために私がいるんだ!”
という決意で進んでいくんです。
”私の住んでいる地域は、旧習が深いから、広宣流布は難しい”
などと考えてはいけません。その考え自体が、敗北の要因
なんです。大聖人は、お一人から末法広宣流布の戦いを
起こされたではありませんか。私たちは、その大聖人の弟子では
ないですか」
底冷えのする冬の深夜であった。しかし、四国の最高幹部たちの
頬は紅潮し、その胸には、地域広布への闘志がたぎっていた。
伸一は、皆の顔に視線を注ぎながら、四国の同志への熱い思いを
語った。
「私は、四国に強くなってほしい。広宣流布の日本のモデルに
なってほしいーーどうか、その志の種を心に植えてください。
それには、まず、”必ずそうなろう! 勝とう!”と決める
ことです。そして、強盛に祈るところから、力が生まれるん
です。四国出身の正岡子規は、『一すぢに勝たんと思ふ角力かな』
(注)という句を詠んでいる。相撲も、勝とうという一心で
ぶつからなくては勝てない。勝利への一念が大事なんです」
四国訪問の最後の夜は、勝利への誓いを固め合う、師弟の
語らいとなった。
■引用文献
「寒山落木 明治二十九年 五」(『子規全集 第二巻』所収)
講談社
posted by ハジャケン at 10:05| 山梨 ☀| 新・人間革命  勇将 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月11日

勇将 49

勇将 49
 
活動の進め方についての山本伸一の話は、極めて基本的な事柄
であった。その基本があいまいになることから、活動は空転して
いく。だからこそ彼は、基本を徹底して確認しておこうと
思ったのである。
「各大ブロックでは、全幹部が集っての協議会と、全会員が
参加しての座談会が行われています。さまざまな運動を進める
うえで、会合としては、そこに照準を合わせていくべきです。
さらに、会合に参加できない人には、会って伝え、励まして
いくーーこれが最も大切なんです。県としては支部長会等を
もって、活動を発表したつもりでも、大ブロック幹部などの段階
で止まっていれば、実際の運動は進んでいません。水面だけが
波立っているのを見て、全体が動いていると錯覚しているような
ものです。組織の最前線の一人ひとりが自覚を新たにして、
行動を起こしてこそ、本当の広宣流布の前進があるんです。
また、活動を推進していくための会合では、何を打ち出すのか
という、テーマを明確にしていくことが大切です。
参加者が、“いろいろな話があったけど、何をすればいいのか
わからない”と思うようでは失敗です。
たとえば、“弘教拡大”と“機関紙の購読推進”を打ち出すと
するなら、『これから行うことは、この二つです』と、明快に
言うことです。あれもやろう、これもやろうと並べ立て、
十も二十にもなってしまえば、結果的に、何も示さなかった
のと変わりありません。的を絞ることです。活動報告なども、
テーマに即したものにすることです。
また、幹部が同じ話にならないように、ある人は体験を通し、
ある人は御書を拝して、“なんのための活動か”“なぜ、そう
するのか”を訴えていくんです。幹部は、納得と感動を与えて
いくことです。それには、自分が活動の意味をよく理解し、
“さあ、やるぞ! 率先垂範だ”という気迫に満ちて
いなければなりません。それが会合革命の原動力に
なるんです」
posted by ハジャケン at 10:07| 山梨 ☁| 新・人間革命  勇将 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月10日

勇将 48

勇将 48
 
二十二日の夕刻、山本伸一は、会館に勤務する職員と面談した
あと、四国研修道場で方面・県幹部との懇談会をもった。
「聞きたいことは、なんでも聞いてください。私は、四国が
大発展するための、あらゆる布石をしておきたいんです。
今回も、可能ならば、全会員の方々とお会いしたかった」
伸一は、十九日の夕刻に、香川入りして以来、この二十二日の
夜までに、延べ八千人ほどと会ったことになる。
彼は、必死だった。すべてに、時間的制約がある。そのなかで
何事かを成そうとするなら、一刻も無駄にすることなく、効率
よく、一つ一つの事柄に全精魂を注いで臨む以外にない。
無計画な、漫然とした歩みでは、本当の仕事を成し遂げることは
できない。伸一は、香川滞在中、多くのメンバーと語り合った
なかで、会合が多いとの声があったことに言及していった。
「活動を推進していくためには、当然、さまざまな会合を開催
していく必要がありますが、打ち出し等の会合は、できる限り
少なくして、すべての幹部が、活動の現場に入れる時間を
多くもてるように工夫すべきです。
会合の趣旨、参加対象者が同じなのに、県で会合を開き、
さらに、圏や本部でも会合を開くのは、効率的ではありません。
たとえば、新しい方針などを発表する際にも、県として
支部幹部の会合を開き、そのあとは、各支部ごとで会合を
もって徹底していくという方法もあります。あるいは、県で
圏幹部の打ち合わせをしっかり行い、次は、圏ごとに
大ブロック幹部の会合を開くという方法もあるでしょう。
実情に合わせ、効率のよい会合のもち方を考えていくことです。
また、方面や県で活動のスケジュールを立てる際には、
大ブロックやブロックなど、活動の第一線、活動の現場に焦点を
合わせて組み立てていくことです。打ち出した活動が、いつ、
どのようにして、最前線に伝わるかが、勝敗を決する最大の
ポイントだからです」
第一線を支え、守るための組織である。
posted by ハジャケン at 09:42| 山梨 ☀| 新・人間革命  勇将 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月09日

勇将 47

勇将 47
 
近年、全国各地で医師である学会員の活躍が目立っていた。
山本伸一は、二十一世紀を「生命の世紀」とするために、
人間の生命に直接関わる医師など医療関係者の育成に、
ことのほか力を注いできたのだ。
医学の進歩は急速であり、日進月歩の勢いである。しかし、
それによって、必ずしも人間が幸福になるとは限らない。
進歩発展した医学を、真に人類の幸福実現の力にしていく
ためには、医療従事者が、“人間とは何か”“生命とは何か”
を説き明かした、生命尊厳の思想と哲理をもたねばならない。
人間を“モノ”としか見なければ、その医療は、人びとの
幸福とは、著しくかけ離れたものとなろう。
ゆえに伸一は、医師のメンバーに大きな期待をかけ、力の
限り、励ましを送り続けてきた。
それが次第に実を結びつつあったのだ。
彼は、溝渕義弘に尋ねた。
「医師として、患者さんに接するうえで、心がけていること
はありますか」
「はい。患部や病だけでなく、人間を見るようにしています。
一個の人間として患者さんと向き合い、どうすれば、
苦を取り除き、幸せになるお手伝いができるかを
考えています。ですから、話をする場合も、カルテや検査
の数値ばかりを見るのではなく、患者さんの目をしっかり
見て、人間対人間として対話するように心がけています。
私は、患者さんから実に多くのことを学ばせてもらって
います。自分の説得力のなさや力不足、生命を見つめる
眼の大切さなど、すべて患者さんと接触するなかで
気づかされ、教えられました。患者さんこそ師匠であり、
患者さんが医師としての私を育ててくれたんです。
患者さんを、心のどこかで見下し、“自分が診てあげる
のだ”などと思ったら、それは慢心です。
いい医師にはなれません」
伸一は、その言葉に感動を覚えた。溝渕には、信念があり、
謙虚さがあり、感謝があった。それが成長の大事な
要因といえよう。
posted by ハジャケン at 10:05| 山梨 ☀| 新・人間革命  勇将 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月07日

勇将 46

勇将 46

溝渕義弘の経営する医院は、深夜でも急患を受け入れる態勢を
整えた。地域の人びとの命を守りたいとの思いからであった。
その激務のなかで彼は、四国ドクター部長、香川県壮年部長
として、学会活動にも全力を注いできた。彼の「健康セミナー」
は定評があり、どこでも絶讃された。
一方、妻の静恵も、香川県婦人部長、四国婦人部長などを歴任
してきたのである。溝渕の家は、医院の奥にあった。
山本伸一は、溝渕家の仏間で、夫妻と懇談し、四国広布に挺身
してきた二人の努力を、心から讃えた。
義弘は、見るからに温厚で、顔つきにも人柄の良さがにじみ出て
おり、静恵は、明るく率直な、表裏のない性格であった。
夫妻に一家の近況を聞くと、三人の子息も、医師や薬剤師を
めざしているという。 伸一は、仕事が多忙ななか、懸命に
学会活動に取り組む義弘に、ねぎらいの言葉をかけた。
「本当に、よく頑張ってこられた。仕事も重責を担っておられる
だけに、学会活動との両立では、ご苦労されているでしょう」
義弘は、笑みを浮かべて語った。
「常に、学会活動に出ている時に、急患があったらどうするか。
入院患者の容体変化があったらどうするかなど、さまざま
対応を考えています。
確かに、気の休まる時間はないかもしれません。
しかし、学会活動は仏道修行ですから、悩んで当然です。
気楽な仏道修行など、あろうはずがない。一歩も引くまい。
断じて投げ出すまい。仕事の責任も重く、多忙ななかで
戦ってこそ、壮年のリーダーだ!と、いつも、自分に
言い聞かせています」
伸一は、大きく頷いた。
「立派です。壮年が純粋な信心で、本気になって立ち上がり、
行動を起こさなければ、広宣流布の拡大は、なかなか進みません。
香川から、いや四国から、壮年学会の時代を創っていって
ください。私も壮年部です。共に戦おうではありませんか!」
posted by ハジャケン at 09:42| 山梨 ☁| 新・人間革命  勇将 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月06日

勇将 45

勇将 45

溝渕義弘と静恵は、真剣に信仰に励むようになった。
すると、医師仲間や親戚などが、信心に反対し始めた。まだ、
学会への誤解と偏見が根強い時代である。
なかでも静恵の母親は、「恥ずかしくて外も歩けないから、
やめてちょうだい」と、涙ながらに訴えるのである。
しかし、夫の義弘が、日ごとに元気になっていく姿を目の
当たりにした静恵の信心は、揺らぐことはなかった。
山本伸一が、最初に義弘と会ったのは、一九六六年(昭和
四十一年)一月に、四国本部で行われた地区幹部らとの記念
撮影の折であった。義弘は、救護班として着任していたので
ある。ノイローゼは克服したものの、まだ痩せて、顔色も
優れなかった。
伸一は、救護の労を讃え、こう励ました。
「人の命を預かる、大切な責任を担っているのが医師です。
それだけに、医師であるあなたは、絶対に健康になってください。
健康のためには、強い生命力が必要です。その生命力は、
深い祈りから生まれます。また、御書を拝して、広宣流布に
生きる自らの深き使命を自覚していくことです」
伸一の言葉に、義弘は奮起した。
彼は、真剣に御書を拝した。
そのなかで、大聖人が病床にあった南条時光を励まされた
「法華証明抄」の一節を目にした時、全身に震えが走った。
「鬼神め(奴)らめ」(御書一五八七ページ)と怒りを
もって呼びかけ、「この人の病をすぐに治して、むしろ法華経
を行じる人を守るべきではないか!」と、時光を悩ませる
病魔を、しっ責されている箇所である。
弟子の病を撃退せんとする大聖人の、烈々たる気迫と確信、
大生命力に触れた思いがした。
これこそが、医師の魂だと感じた。命を守るためには、
強くあらねばならない。あらためて伸一の指導の意味を
かみ締めたのだ。入会から七年で、彼は巨額の負債も
返済した。また、その間に、心臓も病んだが、それも見事に
乗り越えたのである。
posted by ハジャケン at 10:17| 山梨 ☀| 新・人間革命  勇将 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする