2013年02月26日

勇将 11

勇将 11

懇談会では、「学会の組織では世代の交代が進み、私も若くして
幹部に登用していただきました。経験豊富な指導部の先輩などに、
どういう姿勢で接していけばよいでしょうか」という、
婦人部幹部からの質問もあった。
山本伸一は、微笑みながら語り始めた。
「組織を担ううえで、大事な質問です。まず、何かを決める場合
には、『どうでしょうか』と、先輩たちの意見を聞いていく
ことです。先輩たちが、無視されているように感じ、寂しい
思いをいだくようになってしまえば、団結はできません。
そのうえで、『私は、こう考えておりますが、先輩の目から
見て、アドバイスがありましたら教えてください』と、先輩の
意見を尊重していくことです。 さらに、個人的にお会いして、
『私について、何かお感じのことがありましたら、遠慮
なさらずにご指摘ください』と言っていく謙虚さが大事です。
そして、活動でよい結果を出せた時には、『おかげさまで
勝利を飾ることができました』と、賞讃していくんです。
口先だけでなく、心からです。指導部の先輩に限らず、かつて
自分の面倒をみてくれた人や、一緒に戦った友人も、
たくさんいるでしょう。役職的に、立場が上になったから
といって、自分が偉いように思い、そうした方々に対する
尊敬の心を失い、横柄な態度をとるようなことがあっては、
絶対になりません。それでは、自らの愚かさ、人間として
の浅薄さを証明しているようなものです。友人も離れて
いき、孤独になるだけです。私は、時を得てリーダーに
選ばれたが、私以上に実力のある人がたくさんいる
という考えに立つことです。要は、自分が接してきた
同志を大切にし、好かれる人になることです。実は、
それが名リーダーの大切な要件の一つなんです」
伸一は、どの質問にも真剣に答えた。時には、自分の体験も
披瀝した。忌憚ない語らいこそ、前進の原動力である。
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2013年02月13日

法旗59

法旗59

松山駅から午後二時二十三分発の予讃本線(現在の予讃線)
・特急「しおかぜ2号」に乗車した山本伸一は、香川県の高松
に向かった。車窓には、曇り空の下に、穏やかな瀬戸の海が
広がっていた。深い緑に染まった大小の島々が浮かび、一幅の
名画のようであった。
“さあ、次は香川だ!”
胸を躍らせながら、伸一は思った。
“人生とは、一冊のノートに似ている。日々、ページをめくると、
真っ白な新しい空白が広がっている。そこに、力の限り、
大叙事詩を書き綴っていくのだ。
昨日も、今日も、明日も、あの人、この人に、励ましの声を
かける。肩を叩き、抱きかかえ、その胸に生命の共鳴音を
響かせる。幸福の道を示し、共に歩みを開始する。それが
広宣流布だ! それがわが人生だ!”
同時に伸一は、広布第二章の「支部制」の発足というこの
時を契機に、全同志が心を新たにして、自身の人生ノートに、
共に勝利の大叙事詩を書き綴ってほしかった。
彼は、思わず、すべての愛する法友たちに、心で
語りかけていた。
“私は、見ている。見守っているよ。弱ければ、強く
なればよい。臆病なら、勇敢になればよい。裸のままの、
ありのままの自分でよい。その人が、法旗を手に敢然と
立ち上がるからこそ、何よりも尊く、大いなる共感が
広がる。困難はドラマの始まりだ。逡巡は挑戦への
ステップだ。苦闘は感動を生み出すためにある。
胸を張り、腕を振り、勇気の一歩を踏み出すのだ。
時は今だ!”
伸一の瞼に、使命の法旗を翻し、広布第二章の決戦に
馳せる師子たちの勇姿が浮かんだ。
彼は、逸る心で、かつて戸田城聖が詠んだ歌を思い
起こしていた。
  旗もちて
    先がけせよと
       教えしを
   事ある秋に
      夢な忘れそ 
(この章終わり)
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2013年02月10日

法旗 57

法旗 57

自分が弘教した人を、人材に育てようと、懸命に努力し、
面倒をみていても、思うに任せぬこともあるだろう。
山本伸一は、一人の人を一人前の信仰者に育て上げることが
いかに大変かを、熟知していた。それだけに、弘教した相手が
退転したからといって、自分を責め、苦しむことのないように、
励ましたかったのである。
「こちらは、精いっぱい手をかけ、真心を尽くした。しかし、
それでも、退転してしまうケースもあります。それは決して、
弘教した紹介者の責任ではありません。たとえば、一生懸命に
橋を造った人がいる。この橋を渡れば、幸福に至ると教えて
いるのに、渡りかけて、途中で引き返してしまう。それは、
渡ろうとしない人が悪いんです。本人自身の問題といえます。
したがって皆さんは、そうしたことで落胆する必要はありません。
仏の使いとしての使命を果たそうと、苦労して折伏をしたという
事実は、永遠に生命に刻まれ、功徳の花を咲かせます。
自身の幸せへの軌道は、間違いなく開かれているんです。
どうか、そのことを強く確信して、新しい気持ちで、晴れ晴れと、
勇んで弘教に邁進していってください」
広宣流布をめざし健気に活動する友の、心の重荷を取り除き、
楽しく乱舞できるようにするために、励ましがあるのだ。
「最後に、愛する、大切な愛媛の皆さんを讃え、歌を贈り、
私のあいさつといたします。
  成仏の
    幸の道あり
       妙法の
   千里の山も
     功徳といざ征け」
伸一は、このあと、「皆さんが喜んでくださるなら」と言って、
何曲かのピアノ演奏を行った。
さらに、役員らと庭に出て記念撮影をし、出発間際まで同志を
励まし、午後一時五十分、愛媛文化会館を後にしたのである。
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2013年02月09日

法旗 56

法旗 56

山本伸一は、「たくさんの人が集まれば、意見が異なるのは
当然ではないですか」と言って微笑みを浮かべ、話を続けた。
「学会は、多種多様な人びとが集まって、人間共和を形成して
いるんです。老若男女がおり、世代も違う。職業も違う。
生い立ちも違う。出身地だって違います。それなのに皆が全く
同じ意見であったら、むしろ不気味ではありませんか!」
笑いが起こった。
「でも、信心を根本にして、広宣流布のためという大目的に
立ち返っていけば、心は一つになれます。そうなれば、活動
の進め方をめぐって、多少の意見の違いがあったとしても、
互いに相手を尊重し、包容していくことができます。
よく社会の組織では、方法論についての意見の違いから、
憎み合ったり、分裂したりするケースがあります。しかし、
私たちは、信心を根本にすれば、それを乗り越えていくこと
ができます。ここに、学会の異体同心の団結の強さが
あるんです。意見の違いから、互いに感情的になったり、
憎み合ったりするならば、それは、生命が魔に破られた姿
なんです。私たちは、何かあったら、すぐに、御本尊という
信心の原点に返ろうではありませんか!」
伸一は、会場を見回した。彼の視線が、前日、懇談した
婦人部員の一人をとらえた。彼女が、『私が弘教し、
入会させたメンバーが退転してしまい、深く悔やん
でいます』と語っていたことを思い起こした。
その問題についても、ぜひ、語っておこうと思った。
「学会には実に多くの人がおります。なかには、
退転していく人もいるでしょう。末法にあって
正法を信受し抜いていくことは、極めて難しい
ことだからです。大聖人は『修行の枝をきられ・
まげられん事疑なかるべし』(御書一一三六ページ)
と言われている。また、竜の口の法難から佐渡
流罪の時には、『千が九百九十九人は堕ちて候』
(同九〇七ページ)と仰せのように、多くの門下
が退転しています」
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2013年02月08日

法旗 55

法旗 55

組織がなければ、自由でいいように思うこともあるかも
しれない。しかし、善知識の同志が、互いに激励・触発
し合い、切磋琢磨していくなかにこそ、信心の成長が
あるのだ。さらに山本伸一は、清らかな「水の信心」を
貫いていくための大切な場として、学会の諸会合がある
ことを訴えた。それから、幹部の姿勢について語って
いった。全参加者に幹部のあるべき姿を明らかにする
ことによって、愛媛に、模範の組織を築いてほしかった
からである。
「会員の皆さんは、学会の会合に遅れることのない
ように努力しています。しかし、仕事などが多忙な
ために、どうしても、定刻に間に合わない場合も
あります。
幹部は、そうした方々の事情も考慮せず、厳しく
注意したり、感情的に叱ったりするようなことが
あってはなりません。むしろ、遅れても、会合に駆け
つけて来た、その真剣な行為と信心の姿を、最大に
讃え、包容していくべきであります」
さらに伸一は、幹部が注意すべき事柄として、
公私の立て分けについて語った。
「幹部の皆さんは、同志だからといって、後輩の
私的なことにまで深入りして、生活上の問題など
に関与することのないように留意し、信心の
指導に徹していただきたい。
また、幹部という立場を利用して、後輩を個人的
な用事で使うようなことがあってはなりません。
そういう風潮があれば、本来、伸びるべき大切な
人材が不信を起こし、成長の芽をつぶしてしまう
ことになるからです」
広布第二章の「支部制」という新しいスタートの
時である。彼は、皆が未来に向かい、すっきりと、
すがすがしい出発ができるように、疑問に思って
いるであろうことについて、すべて語って
おきたかったのである。「ところで、皆さんの
なかには、地区や支部で協議を行うと、さまざまな
意見が出て、対立することがよくあるが、
どうすればいいかと思っている方もおられる
でしょう」
皆が大きく頷いた。
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2013年02月07日

法旗 54

法旗 54
 
創価学会は、不軽菩薩の実践を現代に移した、地涌の菩薩の
集いである。したがって、学会の根本精神は、人を敬う
ことにある。人の幸福を願い、実現していくことにある。
人に尽くしていくことにある。
現代社会にあっては、他者への無関心が進む一方、利害や力関係
によるつながりが優先され、“人間性”が追いやられてきた。
だからこそ、尊敬と信頼と励ましの、人間の温もりにあふれた
社会を築き上げていくのだ。
そこに創価学会の使命があり、その先頭に立つのが、幹部である。
ゆえに、幹部の境涯革命、人格革命こそが、広宣流布の最大の
推進力となろう。
一月十九日、山本伸一は、早朝から、山のように積まれた
書籍や色紙に、次々と励ましの揮毫をした。そして正午前、
愛媛文化会館のロビーで、社会の各界で活躍するメンバーや、
その家族と会って激励したあと、婦人部勤行会に姿を現した。
会場には、婦人部員だけでなく、壮年部、男子部の代表や、
子どもを連れた近隣の人たちも参加していた。
「ようこそ! ようこそ! お忙しいなか、よくぞおいで
くださいました」
彼は、満面の笑みで、歓迎の意を表した。
この勤行会でのあいさつで、伸一は、「火の信心」と
「水の信心」について述べた。
「『火の信心』というのは、火が一時的に激しく燃え上がる
ように、感激した時には真剣に唱題や弘教に励みはするが、
永続性のない信心です。それに対して『水の信心』は、
派手で目立った行動はなくとも、心堅固に、常に水が
流れるように、不撓の決意と使命感をもって、生涯、
信・行・学を持続し抜いていく人の信心です。
私どもは、『水の信心』を貫いていかなければならない。
では、そのために何が必要不可欠か――。
それは、組織です。人間というものは、また、凡夫という
ものは、どうしても一人だけになると弱くなり、
我見に走ったり、精進を怠ってしまいがちだからです」
posted by ハジャケン at 09:50| 山梨 ☁| 新人間革命 法旗 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年02月06日

法旗 53

法旗 53

山本伸一が夕食をとることができたのは、松山支部結成十八周年
記念勤行会を終えた、午後八時過ぎであった。管理者室に顔を
出し、そこで食事を済ませると、四国婦人部長の佐木昭枝や
県婦人部長の田渕良恵らが集まってきた。
この時、婦人部幹部の一人が言った。
「昨日の県幹部会、また、今日の松山支部結成の記念勤行会で、
愛媛のたくさんの同志とお会いしていただきました。
みんな大喜びでした。大変にありがとうございました。
でも、愛媛には、先生にお会いしていただきたい方が、
まだたくさんおります。そういう方々をお呼びして、明日、
先生のお見送りをさせていただいてもよろしいでしょうか」
明十九日は、伸一が愛媛から、香川に移動する日である。
伸一は、尋ねた。
「明日のことなのに、これから連絡を流して間に合うの?」
「はい。大丈夫です」
彼は頷き、側にいた四国総合長の森川一正に明日の松山発は
何時の列車かを尋ねた。「二時二十三分発です」との答えが
返ってきた。
「それなら、皆さんがよろしければ、正午から婦人部の
勤行会を開催しましょう」
婦人たちの顔が、ほころんだ。
伸一のスケジュールは、ぎっしりと詰まっていた。
昼食の時間を勤行会にあてたのだ。
彼は、言葉をついだ。
「婦人以外の方でも、来たい方は自由に来てくださって
かまいません。しかし、明日は木曜日ですので、多くの人は
仕事があるでしょう。仕事を休んで参加するように
呼びかけたりしてはいけませんよ。
私は、できることならば、全同志とお会いしたい。
皆さんの会長ですもの、皆さんに仕えるのが当然であると
思っています。それが幹部なんです。会員の皆さんがいる
から幹部がいる。幹部のために会員がいるんじゃありません。
もしも、それを幹部が勘違いしたら、
学会は滅んでいきます」
posted by ハジャケン at 10:10| 山梨 ☁| 新人間革命 法旗 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年02月05日

法旗 52

法旗 52

信仰とは、不信、すなわち揺らぐ心との精神の闘争である。
“自分など、幸せになれないのではないか。何もできや
しないのだ”といった心の迷い、弱さを打ち破り、胸中の
妙法を涌現させ、絶対的確信を打ち立てる戦いであると
いってよい。
山本伸一は訴えた。
「不況の時代です。それだからこそ、強盛な信心を奮い
起こし、いかなる苦境のなかにあっても、生活のうえで、
職場や地域で、確たる信心の実証を示してください。
御書に『一切の法は皆是仏法なり』(五六二ページ)と
あります。ゆえに私たち仏法者は、正法を信じ、行ずる
功徳を、社会にあって、開き示していく使命があるんです。
そのために、信心を根本に、それぞれの分野において、
人一倍、研究、努力、工夫を重ねていっていただきたい。
また、人間として自らを鍛錬し、人格を磨き、皆から
信用、信頼される人間関係をつくり上げていくことが
大事です。人間は、人間についていくんです。誰が
見ても、感じのいい人、誠実な人、人格高潔な人、
温かい人には、人はついていきます。
そういう人であれば、商売もうまくいくでしょうし、
仏法の話にも、皆が耳を傾けるでしょう。しかし、感じ
の悪い人、不親切な人、利己主義な人、冷酷な人には、
人はついてきません。そんな人柄では、法を弘める
どころか、かえって法を下げてしまうことにもなります。
したがって、仕事の面でも、広宣流布においても、一切の
カギを握るのは、自身の人間革命であり、人格革命で
あることを、訴えておきたいのであります」
仏道修行を通して積まれた「心の財」は、境涯、人柄と
なって輝きを放つ。それこそが、広宣流布を総仕上げ
していくうえで、最大の力となるのである。
ホイットマンはうたっている。
「改革が必要であればあるだけ、それを成就するための
『人格』が必要になる」(注)

■引用文献
注 ホイットマン著「ある弟子に」
(『草の葉』所収)鍋島能弘・酒本雅之訳、岩波書店
posted by ハジャケン at 09:40| 山梨 ☔| 新人間革命 法旗 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年02月03日

法旗 51

法旗 51

山本伸一は、第三代会長に就任して二年後の秋、岩田サワに
一冊の真新しいアルバムを贈った。その扉には、「幸福の綴」
と認められていた。苦労に苦労を重ねてきた人ゆえに、
さらに幸せの花を咲かし続け、その記録を、ここにとどめて
ほしかったのである。
事実、彼女は、その後、“幸福の女王”として、信心の実証
を示し抜いてきたのである。
伸一は、今、松山支部結成十八周年を祝賀する記念勤行会で、
岩田に花束を手渡しながら、語りかけた。
「あなたは“愛媛の母”です。一途な戦いの心を、草創の
精神を、次の世代に伝えていってください。それが、母の
役目です。特に、新しい支部制のスタートにあたっては、
その精神を伝え抜いていくことが大事なんです」
岩田の顔が決意に輝いた。
さらに花束は、松山支部の初代支部長を務めた武田勇蔵にも
贈られた。伸一は、彼の年齢を尋ね、六十歳だと聞くと、
即座に言った。
「いよいよ、これからです。牧口先生は七十歳にして、よく
『われわれ青年は』と語られたといいます。平均寿命も
延びてきていますから、今の年から、マイナス
三十歳があなたの年です。青年同士、戦いましょう!」
こう言って伸一は握手を交わした。
副会長の関久男のあいさつに続いて、
伸一の指導となった。
彼は、この席では、強盛なる祈りの大切さについて訴えて
おこうと思った。
信心の世界は、すべてが御本尊への祈りから始まるから
である。祈りなき信仰はない。祈りなき幸福もない。
祈りなき広宣流布の勇者もない。
「私どもが幸福になるために、肝要なものは、日蓮大聖人
が『湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く
強盛に申すなり』(御書一一三二ページ)と仰せのように、
強盛な信心です。強い祈りです。叶わぬ願いは断じてない
との確信です」
posted by ハジャケン at 11:17| 山梨 ☁| 新人間革命 法旗 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年02月02日

法旗 50

法旗 50

山本伸一の激励を受けてほどなく、岩田サワに立ち退き料が
支払われることになった。思いのほか高額であった。彼女は、
唱題の力を実感した。ウドン屋が繁盛したおかげで貯金も
できていた。それと立ち退き料を合わせて、中古の家を購入し、
さらに、融資を受け、その家に二階建てのアパートを建て
増しした。また、繁華街にあったウドン屋をたたみ、自宅の
一角に移した。店を任せることのできる人も見つかり、彼女は
念願叶って、日々、学会活動に奔走できるようになった。
やがて、岩田の娘の紀美子も高校を卒業し、証券会社に勤務
するようになり、経済苦から完全に脱却できたのである。
娘が社会人になった一九六〇年(昭和三十五年)、岩田は
松山支部の初代婦人部長となり、二年後には、四国第三総支部
婦人部長となった。
彼女は決意した。
“自分が健康になり、経済的にもゆとりができたのは、広宣流布
のために働くためだ。こんなにも幸せになった自分の体験を
語り、人びとを幸福にするためだ。だから、仏法のためには、
なんでもさせていただこう”
県南の村まで、列車やバスを乗り継ぎ、さらに徒歩で、往復
七時間がかりで通い続けたこともあった。
仏法を語るために、汗を流すことに、無上の幸せを感じていた。
彼女は、よく皆に、「私はたくさんの宝を持っているのよ」
と語った。
伸一が言ったように、若くして夫を亡くしたことや、病苦、
経済苦、子育ての苦労など、すべての体験が、歓喜をもって
人びとに語り得る“宝石”であると、岩田は、心の底から
感じていたのだ。そして、多くの後輩たちに、
こう訴えてきたという。
「今、自分が病苦で悩んでいるからこそ、病で苦しんでいる
人を救えるようになるのよ。経済苦の人は、経済苦の人を
救えるようになるわ。地涌の使命に目覚めれば、すべてを
生かすことができるわ」
posted by ハジャケン at 09:17| 山梨 | 新人間革命 法旗 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年02月01日

法旗 49

法旗 49

立ち退きの件で困り果てた岩田サワは、関西総支部長の
春木征一郎に指導を求めた。
「そうか。しかし、考えてみれば、今の家に、これまで
住まわせてもらっただけでも、感謝すべきではないかね」
岩田も、それはよくわかっていた。だが、問題は、これから
どうするかなのだ。
春木は、笑みを浮かべた。
「大丈夫だよ。祈り抜けば、必ず道は開ける。悩みは、乗り
越える直前が、最も苦しいものなんだ。山登りだって、
八合目、九合目がいちばん大変じゃないか。腹を決めて、祈り、
戦い抜くんだ。頂上はすごいぞ!」
山本伸一が、初めて岩田と会ったのは、その直後のことで
あった。関西本部にいた伸一に、春木が岩田を紹介し、病苦や
経済苦をかかえながら、女手一つで娘を育て、“広布の母”
として活躍していることを告げた。
伸一は、包み込むように、彼女に語った。
「あなたには、幸せになる権利があるんです。
宿命に泣いてきた人だからです。また、あなたには、幸せに
なる使命があるんです。地涌の菩薩だからです。
これまでの一切の苦労は、すべて仏法の力を証明していく
ためにあったんですよ。泥沼が深ければ深いほど、蓮の花
や実は大きいといわれる。悩みや苦しみが大きければ
大きいほど、幸せも大きい。信心をしていくならば、
苦悩は心の宝石になるんです。変毒為薬の仏法なんです。
それを必ず、心の底から実感する時が来ますよ。
今は、まだ、“大変だな。苦しいな”と思うことが
多いでしょうが、あなたは、既に幸せの大道を歩き始めて
いるんですよ。人びとの幸福を真剣に願って、学会活動に
励んでいること自体がそうなんです。以前は、自分の幸せ
しか考えなかったでしょう。しかし、今は、人の幸せを
考え、広宣流布の使命に生きる喜びと充実をかみ
締めている。そのことが、境涯革命している証拠では
ないですか」
岩田は、心に光が差した思いがした。
posted by ハジャケン at 09:58| 山梨 ☀| 新人間革命 法旗 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月31日

法旗 48

法旗 48

岩田サワが戸田城聖と会った三カ月後の一九五六年
(昭和三十一年)の八月、大阪支部松山地区が結成された。
岩田は地区担当員の任命を受けた。
このころ、彼女は、医師から粟粒結核症が全快したと告げられた。
その喜びは、広宣流布への新たな活力となった。
岩田は、洋裁の収入では生活が思うに任せないことから、
市内の繁華街に店舗を借りて、ウドン屋を始めた。地の利もあり、
努力の甲斐があって、味もよく、店は繁盛した。
ところが、早朝六時から深夜の十二時まで働かねばならず、
学会活動の時間が思うように取れなくなってしまった。
地区員は、愛媛県全域に散在している。どう激励の手を
差し伸べるか、悩んだ。人を雇うなどしながら、工夫に
工夫を重ねた。彼女が心に決めていたことは、“仕事が
どんなに忙しくなろうが、学会活動からは、一歩も
引くまい”ということであった。
大事なことは、広宣流布に生き抜く決意である。
心を定めることである。そこから、さまざまな創意工夫
が生まれ、不可能と思えたことを可能にしていく道が
開かれるのだ。
彼女は、遠くに居住し、なかなか会いに行くことが
できない人には、こまめに手紙を書いた。
店がいくらか暇になるのを待って、活動に飛び出し、
また戻って来るという毎日であった。朝から晩まで、
自由に学会活動に飛び回れる人がうらやましかった。
五七年(同三十二年)十月、彼女は、地区担当員
兼任で大阪支部の常任委員の任命を受けた。
支部のある大阪に通う頻度も高くなった。
多忙さは増した。そこに、また新しい悩みがもち
上がった。家主から、「土地の売却が決まったので、
立ち退いてほしい」と言われたのだ。
彼女は、困惑した。今の家は、家賃はただ同然であり、
しかも間数も多く、庭も広かった。座談会等の
会場としても提供してきた。この家があったから
こそ、地域の広宣流布も進んできたといってよい。
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2013年01月30日

法旗 47

法旗 47

東京から来た婦人の幹部は、さらに力を込めて、岩田サワに
訴えた。
「岩田さん。宿命を打開する直道は折伏ですよ。人の幸せを
願い法を説くならば、自分に、仏・菩薩の大生命が涌現します。
その生命力で、宿命も転換し、病も乗り越えていくことが
できるんです。あなたも一緒に、折伏・弘教に励み
ましょうよ」
岩田は、確信にあふれた、この婦人の話を聞くうちに、
よし、それならば、この信心にかけてみようと
決意した。
翌日は、朝から弘教に歩いた。午後になった。発熱する
と思った。しかし、熱は出なかった。翌日も、そのまた
翌日も、発熱はなく、以来、熱は出なくなった。
病院の医師も、「何か別の薬を飲んだのかね」と尋ねる
ほどだった。それが岩田の感じた初信の功徳であった。
確信が湧いた。信心を根本にしていくならば、必ず病気は
乗り越えられると思った。
また、友の幸せを願って仏法を語ると、こんなにも歓喜し、
生命が躍動するのかという実感をもった。自分が病身で
あることさえ忘れ、活動に励んだ。実際に、発熱だけ
でなく、咳や痰などの症状もなくなっていった。
一九五六年(昭和三十一年)五月のことだ。第二代会長・
戸田城聖が高知に来ると聞いて、岩田は訪ねて行った。
戸田は、「松山から、よく来たな」と言って、じっと、
彼女に視線を注ぎ、言葉をついだ。
「私たちは、なんのために生まれてきたのか。それは、
幸せになるためだ。あなたも、きっと幸せになるんだよ。
いや、必ずなれる! 御本尊から、学会から、生涯、
離れてはいけないよ」
岩田は、自分の幸せを願ってくれる戸田の慈愛に、
胸が熱くなった。頑張ろう! 絶対に幸せになろう!
と、自分に言い聞かせながら、家路を急いだ。
苦悩し、呻吟する庶民の心に、誰が希望の光を
注ぐのか。誰が勇気の火をともすのかーーその使命を
担ってきたのが創価学会である。
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2013年01月29日

法旗 46

法旗 46

岩田サワは、仏法は信じられなかったが、自分に信心を教えて
くれた友人の真心と熱心さには、感動を覚えた。
この人を信じてついていこう!と決めて、大阪から松山に
帰って来たのである。信心の根本は、どこまでも妙法への
確信にある。しかし、人は、人によって目覚め、人について
来るのである。
日蓮大聖人は、「法自ら弘まらず人・法を弘むる故に人法ともに
尊し」(御書八五六)と仰せになっている。
ゆえに、法を弘める人の人格、振る舞いが大事になってくる
のである。
岩田に弘教した友人は、毎月二回は、大阪から、指導、激励に
通い、勤行や教学を教えてくれた。また、その友人は、松山に
知り合いも多く、来るたびに弘教に歩き、入会する人も
出始めた。ほどなく岩田の娘の紀美子も信心し、岩田が知る
松山の同志は、十一世帯になっていた。皆で集まって、
大阪から送られてきた「聖教新聞」や、先輩幹部からの励まし
の手紙などを読み合う座談会も開かれ始めた。
そのころ、岩田の病状は、既に回復に向かい、外出も許可されて
いたが、午後になると決まって高熱が出た。
入会した翌年の一九五五年(昭和三十年)の夏季地方指導で、
東京と大阪から数人の幹部が松山に来た。そして、岩田の
家にも激励に訪れたのである。
東京から来た婦人の幹部は、岩田が病に苦しんでいることを
聞くと、「一緒に勤行しましょう」と言って、真剣に、朗々と、
読経・唱題した。それから、諄々と語り始めた。
「大事なのは確信です。信心によって、絶対に病を乗り越えて
みせる!と誓い、師子が吼えるような題目を唱えるんです。
大聖人は『南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる病
さは(障)りをなすべきや』(同一一二四)と仰せになって
います。信心で勝つんです。その確信があれば、服用した薬も
最大の効果を発揮しますよ」
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人生抄 人間性

人生抄
池田大作箴言集

人間性
一つの目標、一つの目的に向かってバイタリティーに富み、全魂を打ちこんでいく姿は美であろう。
その反対に時流に流され、右顧左眄する小才のきいた人間ほど、醜いものはない。
美しくありたいと願うならば、自己の信念に生き、理想に生きることである。
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2013年01月27日

法旗 45

法旗 45

学会員の友人は、病を克服するための根源の力は、人間の生命力
にあると言い、それを引き出す方法を示しているのが仏法で
あると訴えた。さらに話は、宿命に及んだ。
岩田サワは、ハッとした。いちばん疑問に感じていたことで
あったからだ。
「自分が自覚していようが、いまいが、人は過去世からの宿命を
背負っているのよ。岩田さんが、ご主人を亡くしたことも、病に
倒れたことも、宿命だわ。でも、すべての人が、今世で、その
宿命を転換し、必ず幸せになれる道があるの。それを説いて
いるのが、日蓮大聖人の仏法なのよ」
友人の声には、確信があふれていた。岩田は、圧倒されそうに
なりながら、彼女の話に耳を傾けた。友人は、三日間、岩田の
家に滞在した。その間に、時には体験を通し、また、御書を開いて、
仏法がいかにすばらしいかを述べた。
そして、「決して、人生をあきらめては駄目よ。あなたには、
本当に幸せになってほしいの。いいえ、絶対になれるのよ」と、
涙を浮かべて語るのである。岩田の胸に、友人の真心が熱く
染み渡った。友の幸福を願う至誠の帰結は、おのずから弘教と
なる。折伏とは、慈悲の発露にほかならない。
岩田は、友人の熱意に打たれて、信心しようと心に決めた。
私の結核は、治らなくてもともと。治ればもうけものだ
と思った。しかし、御本尊を受けるには大阪まで行かねば
ならないという。彼女は、医師に、大阪に行かせてほしいと
頼んだ。最初、「とんでもない! 絶対安静です」と言われたが、
懸命に頼み込むと許可してくれた。回復の見込みがないの
だから、今のうちに、好きなことをさせてもいいのではないか
と、考えたようだ。
岩田は、友人と船で大阪に向かった。そこで座談会にも出席した。
結核などの病を克服した体験も聞かされた。でも、彼女は、
そのまま信じる気にはなれなかった。
posted by ハジャケン at 10:24| 山梨 ☁| 新人間革命 法旗 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月26日

法旗 44

法旗 44

粟粒結核症で自宅療養を続ける岩田サワの蓄えは、次第に
底を突き始めた。
これから、どうなってしまうのか……
病の床にあって、不安の闇に怯えながら、身の不運を
呪った。不安は、やがて、絶望の淵へと彼女を
追いやっていった。
死んだ方がましだ……
病院に薬をもらいに行った帰り道、線路の上に立った。
やがて、彼方に列車が見えた。
楽になれる……。しかし、その刹那、娘の紀美子の顔が
頭をよぎった。
あの子は、どうなるの……
線路を飛び出した。死ねなかった。脇道にしゃがみ込んだ。
その傍らを、ガタゴトと列車が通り過ぎて行った。
咳き込み、泣きながら、よろけるようにして家に着いた。
希望を失うことは、人生の光を失うことだ。
信仰とは、心に、その希望の灯をともし、歓喜の炎へと燃え
上がらせていくことである。
岩田が粟粒結核症と診断された翌一九五四年(昭和二十九年)
の春、紀美子は中学校に入った。制服を買うこともできず、
サワが自分で縫った。しかし、セーラー服に入る線は
皆とは違う布地になった。家には、同じ布がなかったから
である。米など買えないため、紀美子の弁当は、主食も、
おかずも、ジャガイモだった。
紀美子は、友だちに、弁当を見られるのがいやだった。
「いつもイモだね」と言われる前に先手を打った。
「私は、おイモが大好きなの」と言って、明るく笑うよう
にした。
赤貧ーーその言葉は、自分たちのためにあるように、
岩田サワには感じられた。
この年の六月、彼女の看護婦養成所時代の友人が大阪から
訪ねて来た。この友人は、かつては病弱で、暗い感じで
あったが、見違えるように元気になり、はつらつと
していた。
友人は学会員であった。自分が健康になれた根本的な力は、
信心にあると言うのだ。
岩田も、彼女も、同じ看護の道を歩いていた仲間である。
その友人が、医学ではなく、宗教を力説することに
驚きを覚えた。
posted by ハジャケン at 10:59| 山梨 ☁| 新人間革命 法旗 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月25日

法旗 43

法旗 43

松山支部結成十八周年の記念勤行会が始まった。
勤行、幹部指導のあと、司会者が、「松山支部の草創の功労者に、
花束の贈呈があります」と告げた。
山本伸一は、自ら花束を手にした。最初に贈られたのは、
初代の支部婦人部長を務めた岩田サワであった。
ふくよかな優しい顔立ちのなかに、毅然とした強さを秘めて
いる女性であった。
松山支部の結成は、伸一が第三代会長に就任した一九六〇年
(昭和三十五年)五月三日の本部総会の席上である。
伸一は、東京・両国の日大講堂の壇上で、松山支部の大前進と、
支部長・婦人部長になった武田勇蔵と岩田の人生の勝利を
願いながら、祝福の拍手を送ったことが忘れられなかった。
かつて岩田は、“自分の人生は不幸を絵に描いたようだ”と
思っていた。結婚して一女をもうけたが、夫は戦病死した。
以前、看護婦(現在の看護師)をしていた彼女は、幼子を
実家に預け、松山の医院に勤めた。
戦後、数年して多少の蓄えもでき、娘の紀美子と松山で
一緒に暮らすことにした。家は、知り合いが住んでいた
家を、ただ同然の家賃で借りることができた。
洋裁の技術もあった彼女は、家で洋裁の仕事を始めた。
娘と一緒にいるために、自宅でできる仕事を選んだ
のである。しかし、母子二人が食べていくことは容易
ではなかった。早朝から深夜まで、働きづめであった。
五三年(同二十八年)の年末、岩田の体に異変が起こった。
咳、高熱が続いた。病院へ行くと、重度の粟粒結核症と
診断された。当時、結核は治療の難しい病といわれていた。
入院治療が必要とされたが、結核病棟はいっぱいで
あった。また、入院すれば、金銭的にも大きな負担が
かかる。さらに、娘の側にいなければとの強い思いも
あり、結局、自宅療養することになった。
人生は、容赦なく襲って来る宿命の嵐との戦いといえる。
その嵐に勝ち抜く精神の強さを培ってこそ、
幸福がある。
posted by ハジャケン at 09:31| 山梨 ☀| 新人間革命 法旗 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月24日

法旗 42

法旗 42

山本伸一は、羽生直一の言葉に、「喜捨」の心を感じた。
羽生は、法のため、学会のため、同志のために、多くの
私財と労力を、喜び勇んで投じてきたのであろう。
行為は同じでも、大切なのは心である。
“広宣流布のためならば、なんでもやらせていただこう! 
喜んで尽くそう!”と、自ら進んで行動し、さらに、
そうできることに感謝していくことである。そこに、
功徳の大輪を咲かせ、無量無辺の福運を積んでいく直道
がある。
伸一は、語った。
「あなたのような、清らかな心根の同志が、愛媛に百人
誕生したら、広宣流布は盤石になります。また、愛媛は
功徳の花園になるでしょう。同じ志をもった多くの後輩
を育ててください」
夕刻、羽生の自宅から愛媛文化会館に戻った伸一は、
松山支部結成十八周年の記念勤行会の参加者を、会館の
玄関前で出迎えた。
「ようこそ、おいでくださいました!」
彼は、貸し切りバスから降りてくる人たちと握手を
交わしていった。
驚いたのは、参加者たちであった。手を差し出されて、
伸一と気づき、歓声をあげて両手で強く握り締める人も
いれば、半信半疑な顔で握手をする人もいる。
出迎えを終え、館内に入った伸一は、四国長をはじめ、
県幹部の代表や職員に言った。
「幹部も、職員も、会員の皆さんのためにいることを
忘れてはならない。したがって、皆に尽くし、皆を
守ることが根本精神です。どうすれば、皆が活動しやすく
なるのか。どうすれば、張り合いをもてるのか。
どうすれば、明るく頑張れるのかーーと、常に心を砕き
続けていくんです。その精神を全幹部が、全職員が、
本気になって受け継いでいくならば、学会は盤石になる。
しかし、自分のために、学会をうまく利用しようなど
というリーダーに牛耳られてしまえば、創価の未来も、
広宣流布の未来もない。
そのことを生命に刻んでおくんです」
posted by ハジャケン at 10:03| 山梨 ☁| 新人間革命 法旗 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月23日

法旗 41

法旗 41

羽生直一は、仕事ではお客様へのきめ細かな対応を心がけ
てきた。学会活動でも、それを実践した。たとえば、日々の
活動が忙しいと、病魔と闘っている人などへの激励は、後回し
になりがちになっていると感じた彼は、そうした同志への
激励の日を設けることにした。その日は、重点的に、入院中の
人や自宅療養中の人を見舞ったり、高齢で体が不自由な人などを
励ますことにしたのである。
羽生のもとで、人材もたくさん育った。新入会者には、
「行学の二道」の大切さを訴え、丹念な勤行指導を行うとともに、
一緒に動いて、仏法対話の実践を教えてきたのである。
羽生夫妻が地区部長、地区担当員をしていた時、地区の大多数
の人が一級の闘士となった。彼らが所属する愛媛支部には、
十余りの地区があったが、支部の弘教の半分以上を、彼らの
地区で占めてしまったこともあった。
羽生直一は、山本伸一から「松山を頼みます!」と言われて
十年後の一九七三年(昭和四十八年)十一月、松山長の任命を
受けた。名実ともに、松山の広宣流布の責任を託されたのである。
以来彼は、ますます情熱を燃やし、大前進の牽引力となってきた。
そして、伸一が羽生の自宅を訪れた、この七八年(同五十三年)
一月には、直一は松山市を含む中予圏の指導長として、みさ子
は本部指導長として活躍していたのである。
羽生の家には、広々とした立派な和風庭園もあった。
それは、諸会合に訪れるお年寄りをはじめ、人びとの幸せの
ために奔走する学会員に、少しでも心を和ませてもらいたい
との思いから、造ったものであるという。
伸一が、地元の同志に代わって、丁重に御礼を言うと、
羽生は語った。
「とんでもないことです。頑なでお世辞一つ言えない
私ですが、商売も軌道に乗っております。たくさんの功徳を
いただきました。広宣流布のため、同志のために尽くせば、
必ず守られることを実感しています。
御礼、感謝申し上げるのは私でございます」
posted by ハジャケン at 09:42| 山梨 ☁| 新人間革命 法旗 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月22日

法旗 40

法旗 40

一九六三年(昭和三十八年)十一月、愛媛県初の会館として
松山会館が完成し、会長・山本伸一が出席して、落成入仏式
が行われた折のことである。
その席で伸一は、学会の会館は、「人材をつくる城」であり、
「民衆救済の城」であり、「慈悲の城」であると力説。
「どうか、皆さんは、“一切の民衆を救うのだ! この松山の
広宣流布をするのだ!”との決意で立ち上がってください」と、
訴えたのである。
そして、帰り際には、参加者と握手を交わした。
そのなかに、入会一年の羽生直一もいた。
伸一は、羽生の手を、強く握り締め、じっと目を見つめて
言った。
「松山を頼みます!」
羽生は、ぎゅっと握り返しながら、無我夢中でこたえて
いた。
「はい! 頑張ります」
彼は、強く心に誓った。
“俺は、山本先生に誓った。人間と人間の約束をしたんだ。
あの言葉を、その場限りのものとして終わらせては、
絶対にならない。松山の広宣流布の責任をもつのだ!”
それを、わが信念とし、努力に努力を重ねた。
妻のみさ子と共に、草創の地区部長、地区担当員や支部長、
支部婦人部長などを歴任していった。
彼らは自分たちのことより、「広宣流布第一」「松山第一」
と決めていた。広布こそ、わが人生と決めた時、
人生は開花する。
地域に会場がなくて、皆が困っていることに気づくと、
当時、呉服店の二階にあった自宅を会場に提供した。
会合に集ってくる人は、呉服店の玄関を使うことになる。
ある時、店に税務署員が調査に来た。
ひっきりなしに客が出入りしていると聞き、“申告して
いる以上の、莫大な儲けがあるのではないか”と
思ったようだ。
羽生直一が帳簿を見せようとすると、税務署員は、
「いや、結構です」と言って帰っていった。人の出入り
は激しいが、皆、二階に上がり、帰る時も荷物が
増えていない。訪問者は、会合参加者とわかったのだ。
posted by ハジャケン at 11:06| 山梨 ☀| 新人間革命 法旗 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月20日

法旗 39

法旗  39

 羽生直一は、入会はしたものの、ほとんど勤行もしなかった。入会から数カ月が過ぎた
冬のある日、小雪の舞うなか、集金のために山間部を車で走っていた。
 車がすれ違うには、細心の注意を払い、徐行しなければならない狭い道であった。急が
なければと、アクセルを踏んだ。その時、前方のカーブから大型バスが飛び出してきた。
ブレーキを踏んだ。車体が半回転し、そのまま、凍結した路面を滑った。止まらない。下
は深い谷である。
 「ワァー、南無妙法蓮華経……」
 とっさに題目が口をついて出た。
 ”落ちた!”と思った。
 ハンドルにしがみついた。なんと、車は、ぎりぎりのところで止まった。だが、腰が抜
けて、体が動かなかった。しばらくして、恐る恐るドアを開け、外に転がり出た。
 ”助かった! 題目で守られたのか……。
 俺は、信じるに足るものは自分だけだと思って生きてきた。しかし、今の瞬間、俺は、
なす術がなかった……”
 この予期せぬ出来事に、人生は、信念と努力だけではどうしようもない?何か?がある
ことを、羽生は体で感じた気がした。
 信念と努力が報われるには、正しい人生の軌道を知らねばならない。幸福を欲して、ひ
たすら努力しながら、不幸に泣く人のいかに多いことか。生命の法理に則してこそ、信念
は輝き、努力は実を結ぶのである。
 ”題目を唱えた。命を救われた──偶然の産物かもしれないが、この事実は、そう簡単
に否定することはできない”と、羽生は考えた。半信半疑ではあったが、信心に打ち込ん
でみようと思った。
 もともと頑固一徹な性格の彼は、唱題にも、学会活動にも、徹して取り組んだ。
 ほどなく羽生は、仕事を衣料雑貨商から呉服商に切り替えた。日々、懸命に信心と仕事
に励んだ。店は、着実に軌道に乗っていった。祈りと弘教の結果が、そのまま商売に現れ
ると、彼は感じた。
posted by ハジャケン at 11:06| 山梨 ☀| 新人間革命 法旗 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月19日

法旗 38

法旗 38

 スーパーマーケットを視察した山本伸一は、その足で、松山市郊外の土居町にある、初
代松山長を務めた羽生直一の家を訪れた。
 羽生は、妻のみさ子と共に、松山広布の中核として活躍し、多くの人材を育んできた。
市街で営んでいる家業の呉服店も繁盛し、地域での信頼も厚かった。土居町の自宅は、学
会の諸会合の会場として使われており、城を思わせる和風造りの大きな家である。
 伸一は、羽生夫妻の功労を讃えようと、自宅を表敬訪問したのだ。
 羽生直一は、謹厳な性格そのままの、眉の太い、がっしりとした体〓の壮年であった。
年齢は五十八歳である。終戦を満州(現在の中国東北部)で迎え、命からがら日本に引き
揚げ、裸一貫から衣料雑貨店を起こした。
 朝六時から夜十時過ぎまで仕事をした。自転車で衣料品を売りに行くこともあった。働
きに働いた。信念と努力──それが、人間のすべてであると信じて生き抜いてきた。
 彼は、常に完璧を求めた。履物がきちんとそろえられていなかったり、玄関や家の中に
塵が一つでも落ちていたりすると、家族を頭から怒鳴りつけた。
 だから、妻も三人の子どもたちも、いつも緊張を強いられ、ビクビクしていた。明るい
家庭とは言いがたかった。
 一九六二年(昭和三十七年)、妻のみさ子が、姉から仏法の話を聞かされた。入会を希望
する妻に、彼は言った。
 「信仰にすがるのは弱い人間の生き方だ。宗教はアヘンだ。お前たちを食べさせている
のは俺ではないか! 拝むなら俺を拝め!」
 それでも妻は、信心をしたいと言う。これまで、何も自ら主張したことがなかった彼女
が、必死になって頼み込む姿に気圧された。
 人間が発揮し得る最大の説得力は、真剣さである。必死の言葉には、立ちはだかる岩を
も打ち砕く力がある。
 羽生は、妻が創価学会のどこに引かれたのか、観察して見ようとの思いもあり、自分も
一緒に入会したのである。
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2013年01月18日

法旗 37

法旗 37

 愛媛滞在三日目となる一月十八日のメーン行事は、夜に行われる松山支部結成十八周年
を祝賀する記念勤行会であった。
 この日の昼過ぎ、山本伸一は四国長の久米川誠太郎や愛媛県の婦人部の代表ら数人で、
市内のスーパーマーケットに出かけた。
 スーパーを見れば、人びとの暮らしの一端を知ることができるからだ。何がよく売れて
いるかで、地域の人びとの好みや、景気の良し悪しもわかる。また、同じ物でも、地域に
よって価格が違う商品もあることから、松山の物価を知っておきたかったのである。
 伸一が車を降りて、スーパーに向かうと、出入り口の脇に台を出し、塩辛や昆布などを
売っている老婦人がいた。真冬のことであり、首に布を巻き、頬かぶりしていたが、いか
にも寒そうであった。
 伸一は、真っすぐに、この老婦人の?店?に向かった。
 「おばあちゃん。寒いでしょう」
 老婦人はキョトンとした顔で伸一を見た。
 彼は、「買わせていただきますよ」と言って、並べてあった幾つかの塩辛と昆布を購入し
た。
 商品を手にしながら、彼女は、目を輝かせ、笑みを浮かべた。
 品物を受け取る時、「ありがとう!」と言ったのは伸一であった。彼は、お辞儀をする老
婦人に、「風邪をひかないようにね。お体を大切に! いつまでも元気でいてください」と
語り、スーパーへ入っていった。
 たとえ見知らぬ人であっても、言葉を交わせば、心の距離は、ずっと縮まる。
 伸一は、学会員であろうがなかろうが、寒さに震えながら働く人を見れば、自然にねぎ
らいの言葉が出た。奮闘している人と出会えば、励ましが口をついて出た。
 人間主義とは、何か特別な生き方をすることではない。奮闘している人や苦労している
人がいたら、声をかけ、励ます。喜んでいる人がいたら、共に手を取って喜び合う──そ
の、人間の心の共有のなかにこそあるのだ。
posted by ハジャケン at 10:22| 山梨 ☀| 新人間革命 法旗 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする