2016年11月23日

源流69 完

源流 六十九

 インド創価学会が念願のメンバー一万人に達し、盤石な広布の礎を築き上げたのは、二十一世紀の新しい行進を開始した二〇〇二年(平成十四年)八月のことであった。以来、破竹の勢いで広宣流布は進み始めた。十二年後の一四年(同二十六年)三月には、メンバーは七倍の七万人を突破したのである。
 広宣流布をわが使命とし、自ら弘教に取り組んできた同志の胸中には、汲めども尽きぬ喜びがあふれ、生命は躍動し、師子の闘魂が燃え盛っていた。全インドのどの地区にも、歓喜の大波がうねり、功徳の体験が万朶と咲き薫った。
 それは、さらに新たな広布への挑戦の始まりであった。メンバー十万人の達成を掲げ、怒濤の大前進を開始したのだ。弘教は弘教を広げ、歓喜は歓喜を呼び、翌一五年(同二十七年)の八月一日、見事に十万の地涌の菩薩が仏教発祥の国に誕生したのである。地涌の大行進はとどまるところを知らなかった。三カ月半後、創価学会創立八十五周年の記念日である十一月十八日には、十一万千百十一人という金字塔を打ち立てたのだ。
 そして、十万人達成から一年後の今年八月一日、なんと十五万人の陣列が整う。しかも、その約半数が、次代のリーダーたる青年部と未来部である。
 この八月、代表二百人が日本を訪れ、信濃町の広宣流布大誓堂に集った。世界広布を誓願する唱題の声が高らかに響いた。インドの地から、世界広布新時代の大源流が、凱歌を轟かせながら、ほとばしり流れたのだ。
 いや、アジアの各地で、アフリカで、北米、南米で、ヨーロッパで、オセアニアで、新しき源流が生まれ、躍動のしぶきをあげて谷を削り、一瀉千里に走り始めた。われら創価の同志は、日蓮大聖人が仰せの「地涌の義」を証明したのだ。
 流れの彼方、世界広布の大河は広がり、枯渇した人類の大地は幸の花薫る平和の沃野となり、民衆の歓喜の交響楽は天に舞い、友情のスクラムは揺れる。 (第二十九巻終了)
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2016年11月22日

源流68

源流 六十八

 インドを出発する十六日、山本伸一はカルカッタから日本へ電報を打った。離島の沖縄県・久米島や長崎県・五島列島、愛媛県・中島、広島県・厳島をはじめ、各地で苦闘し、広布の道を切り開いてきた同志に対してである。
 「アジアの広布の道は開かれた。島の皆さまによろしく。カルカッタ。山本伸一」
 広宣流布の舞台は、世界に広がった。しかし、それは、地球のどこかに、広布の理想郷を追い求めることではない。皆が、わが町、わが村、わが島、わが集落で、地道に仏法対話を重ね、信頼を広げ、広布を拡大していってこその世界広宣流布なのである。
 日々、人びとの幸せと地域の繁栄を願い、激励に、弘教に、黙々と奮闘している人こそが、世界広布の先駆者である。伸一は、そうした同志を心から励ましたかったのだ。
 この日午後四時、訪印団一行は帰国の途に就くため、ICCRの関係者らに見送られ、カルカッタの空港を発ち、香港へ向かった。
 飛び立った搭乗機から外を見ると、ガンジスの支流が悠揚と緑の大地を潤しながら、ベンガル湾に注いでいた。
 一滴一滴の水が集まり、源流となってほとばしり、それが悠久の大河を創る。
 伸一は、インドの同志が、新しい世界広宣流布の大源流となっていくことを祈り、懸命に心で題目を送り続けた。
 その後、インド創価学会(BSG)は、一九八六年(昭和六十一年)に法人登録された。八九年(平成元年)にはインド文化会館がオープン。九三年(同五年)には創価菩提樹園が開園し、仏法西還の深い意義をとどめた。
 伸一も、九二年(同四年)と九七年(同九年)にインドを訪問し、激励を重ねた。
 そのなかでメンバーは、一貫して、発展の盤石な礎を築くことに力を注いできた。一人ひとりが信心の勇者となり、社会の信頼の柱になるとともに、模範の人間共和の組織をつくりながら、二十一世紀をめざしていった。
 堅固な基盤の建設なくしては、永遠なる創価の大城を築くことはできないからだ。
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2016年11月21日

源流67

源流 六十七

 十五日の午後三時半、訪印団一行は、カルカッタにあるインド博物館を訪問した。
 館内では、紀元前三世紀、マウリヤ朝のアショーカ王によって建立された石柱頭である四頭獅子像が目を引いた。
 獅子像の台座の部分には、車輪のかたちをした模様が描かれている。これは「法輪」といい、釈尊の説いた教え、すなわち教法が、悪を砕き、人から人へと次々に伝わることを意味している。それを、自ら前進して外敵を破り四方を制するという転輪聖王の輪宝に譬え、図案化したものである。仏教の真理と正義に基づいて世を治めるアショーカを象徴しており、後に「法輪」はインドの国旗に用いられることになる。
 展示は、先史文明から始まり、インドの豊かな諸文明を、壮大な規模で紹介していた。
 見学のあと一行は、同博物館の事務所へ案内された。一般には非公開の紀元前四世紀ごろの仏舎利の壺を、特別に見せてもらった。仏舎利が入っていることを表す古代インドの文字が刻まれた唯一の壺であるという。
 博物館の展示品を鑑賞した山本伸一は、仏教盛衰の歴史を思った。
 “釈尊の説いた永遠なる生命の法は、アショーカ王の治世に安らかな月光を投げかけ、慈悲を根底とした社会の園を開いた。しかし、時は過ぎ、末法濁世の暗雲に月は没した。
 その時、日本に日蓮仏法の太陽出でて、末法の闇を払う黎明の光を放った。そして今、創価の同志の奮闘によって、「七つの鐘」は高らかに鳴り渡り、東天に日輪は赫々と躍り出たのだ。世界広宣流布の新生の朝だ! 立正安国を世界に実現し、人類のあらゆる危機を乗り越え、恒久の平和と繁栄の道を築く仏法新時代が到来したのだ!”
 伸一は、その出発のために、さらに世界各地に新しき広布の源流を開かねばならぬと決意していた。今回の訪問では、仏教発祥の地であるインドに一筋の流れをつくることができた。その宝の一滴一滴を大切にし、全力で守り抜こうと、彼は深く心に誓っていた。
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2016年11月19日

源流66

源流 六十六

 ラマクリシュナ・ミッション学園を視察した山本伸一たちは、視覚に障がいがある人を支援する付属の学校も訪問した。自身も目が不自由な校長が、柔和な笑みを浮かべ、伸一と握手を交わし、実技訓練所へ案内してくれた。生徒たちは、手探りでボルトとナットの組み立て作業などに励んでいた。
 伸一は、その様子を見ながら、生徒に語りかけた。
 「こうして挑戦していること自体、すごいことなんです。皆さんが技術を習得し、社会で活躍できるようになれば、目の不自由な多くの人に希望の光を送ることになります」
 見学を終えると、校長、教員と共に、生徒の代表が見送りに出てきた。伸一は、その生徒の一人を抱きかかえながら言った。
 「不自由な目で生き抜いていくことは、人一倍、努力も必要であり、苦労も多いことでしょう。しかし、だからこそ、その人生は最も崇高なんです。誇りをもって、さらに、さらに、偉大なわが人生を進んでください。
 人間は、皆、平等です。実は、誰もが、さまざまな試練や困難と戦っています。そのなかで、自分自身でどう希望をつくり、雄々しく生き抜いていくかです。これをやり抜いた人が真実の人生の勝利者なんです」
 生徒は、伸一に顔を向け、通訳が伝える言葉に頷きながら、耳を澄ましていた。
 「負けてはいけません。断じて勝ってください。勝つんですよ。人は、自分の心に敗れることで、不幸になってしまう。私は、あなたたちの勝利を祈っています」
 彼は、なんとしても、生徒たちの心に赤々とした勇気の火をともしたかったのである。
 さらに、校長の手を固く握り締めながら、力を込めて訴えた。
 「この方々は、世界の宝です。インドの希望の星となります。人生の勝利の栄冠を頂く人に育み、世に送り出してください」
 「どうか、また来てください!」
 こう言って盛んに手を振る生徒たちの目には、涙があふれていた。
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2016年11月18日

源流65

源流 六十五

 「さあ、今日も道を開こう! 友好の橋を架けよう!」
 二月十五日、こう言って山本伸一は、宿舎のホテルからカルカッタ郊外のナレンドラプールにある全寮制の学園ラマクリシュナ・ミッションへ向かった。小学生から大学生まで一貫教育を行う、男子だけの学校である。
 校内には、豊かな緑に囲まれるようにして、校舎、グラウンド、各種農場、養鶏場、技能訓練所、寄宿舎などがあった。案内してくれた人の話では、知識だけでなく、実用的な技術の習得も取り入れ、“調和”のとれた人間教育をめざしているという。
 一行は、キャンパスを視察したあと、小学部の授業を参観した。一クラス二十五人で、ベンガル語の授業が行われていた。
 伸一は、教師に「少し、児童の皆さんのお話を聞かせていただいてよろしいですか」と許可を求め、教室中央の空いている席に座って語り合った。
 「将来、何になりたいですか」と尋ねると、目を輝かせて、医師や教師になりたいと答える。その言葉には、人のため、社会のために生きたいという純粋な思いがあふれている。
 エゴの殻を破り、人びとの力になろうとの自覚と使命感を育むことに、人間教育の重要な眼目がある。
 伸一は、子どもたちに言った。
 「未来は、皆さんの腕の中にあります。よく学び、体を鍛え、インドを担う立派な人になってください」
 引き続いて会議室で行われた教員、児童・生徒との懇談に臨んだ。その席で彼は語った。
 「私どもの初代会長・牧口常三郎先生は、教育者でした。学校が実生活から遊離し、学習に偏重していることを憂慮し、今から七十年以上も前に、改革案として『半日学校制度』を提唱しています。それは、貴学園のめざすものと、軌を一にするものです」
 教師たちは、その先見性に驚嘆の表情を浮かべた。創価教育は世界という舞台でこそ、真価が明らかになっていくにちがいない。
posted by ハジャケン at 09:41| 山梨 ☀| 新・人間革命 29-4 源流 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月17日

源流64

源流 六十四

 グプタ副総長のあいさつを受けて、山本伸一は、今回のささやかな図書贈呈を起点に、滔々たる大河のごとき教育・学術交流の流れを開いていきたいとの決意を述べた。そして、寄贈図書の一部と百冊の贈書目録、記念品を副総長に手渡した。
 このあと、講堂で、一行を歓迎する民族舞踊などの公演が行われた。学生と教員が一体となって準備にあたったものだ。
 ――自然を祝福するタゴールの詩が流れる。彼が創作した優雅な「タゴールダンス」や古典楽器シタールの演奏もあった。勇敢なる狩人の劇では、宇宙に内在する悪との激闘を表現するかのように、力強く青年が踊る……。
 タゴールの詩は、インド民衆の魂の芸術的表出でもあった。人びとの喜怒哀楽の声は彼の知性の光を得て、普遍的な芸術へと昇華し、“永遠なるもの”と融合していく。詩聖の、苦悩する一人の人間への徹した愛は、ベンガルへの、全インドへの、さらに全人類への愛の光となって世界を照らした。
 この舞台は、時に笑いもあり、涙もある、偉大なる“文化の巨人”の後を継ぐ大学にふさわしい、美事な総合芸術であった。熱演に温かい眼差しを注ぐ副総長、老教授たちの姿が、ほのぼのとした人間愛を感じさせた。
 伸一は、感動の余韻さめやらぬなか、教員、学生らに深謝し、黄金の夕日に包まれたラビンドラ・バラティ大学に別れを告げた。
 創価大学の創立者でもある伸一のこの訪問によって、創価大学と同大学との交流の道が開かれることになる。伸一は、友好の苗木を丹念に、大切に、根気強く育てていった。
 訪問から四半世紀後の二〇〇四年(平成十六年)二月、同大学から伸一に、名誉文学博士号が贈られるのである。
 また、この授与のために来日したバラティ・ムカジー副総長とは、その後、対談集『新たな地球文明の詩を――タゴールと世界市民を語る』を出版している。
 たゆむことなき一歩一歩の交流の蓄積が、信頼と友情の花を咲かせる。
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2016年11月16日

源流63

源流 六十三

 ガンジーを「マハトマ」(偉大なる魂)と呼んだのはタゴールである。そして、ガンジーはタゴールを「グルデブ」(神聖な師匠)と呼んだ。二人は、意見が異なることもあったが、平和、非暴力、真理の探究という信念によって結ばれた「真の友」であった。
 ここに近代インドの夜明けを開いた精神の光源があるといえよう。
 午後三時半、ラビンドラ・バラティ大学に到着した山本伸一を、プラトゥール・チャンドラ・グプタ副総長の柔和な微笑が出迎えた。
 大学の構内には、レンガ造りの風格ある瀟洒なタゴールの生家も現存し、文化と芸術の芳香を放っていた。
 図書贈呈式には、多数の教職員、学生が参加した。グプタ副総長があいさつに立ち、少し高い声で流れるように語り始めた。
 「タゴールは、一九一六年(大正五年)に日本を訪れた時、短い期間でしたが、日本文化に深い感銘を受けたようです」
 副総長は、タゴールは日本の絵画に触れ、「私たちの新しきベンガルの絵画法にもう少し力と勇気と高邁さが必要であるということを私は繰り返し思ったのだ」(注)と手紙に記していることを紹介した。
 交流は、魂を触発し、眼を開かせる。異文化との交わりのなかにこそ発展がある。
 そして、こう述べて話を結んだ。
 「タゴールへの日本文化の影響は、近代における日印文化交流の第一歩と意義づけられるのではないかと思います。歴史を見ても、政治的な連帯は決して長続きしません。しかし、文化の連帯には永続性があります」
 文化は、人間の精神を触発し、心を結び合う。ゆえに学会は、文化の大道を開き進む。
 そのあと、“ウットリオ”と呼ばれるストールに似た細長い華麗な布が、大学関係者から訪印団の首にかけられた。これは、タゴールによって始められたとされる、最高の賓客を迎える際の儀式であるという。
 また、タゴールの肖像写真や直筆の詩の写真など、真心の記念品も一行に贈られた。

 小説『新・人間革命』の引用文献
 注 「書簡集」(『タゴール著作集11』所収)我妻和男訳、第三文明社
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2016年11月15日

源流62

源流 六十二

 山本伸一が今回のインド訪問で会談したインドの指導者は、マハトマ・ガンジーの思想、精神を継承し、大インドを担っていた。
 ガンジーは凶弾に倒れたが、その同志であり、また弟子である彼らは、等しく心にガンジーをいだいていた。この精神の水脈がインドの大地を潤す限り、この国は精神の大国であり続けるにちがいないと、伸一は思った。
 シン知事の笑顔に送られ、知事公邸を後にした伸一の一行は、ビクトリア記念堂を見学した。インド皇帝を兼務していたイギリスのビクトリア女王を記念し、二十世紀の初めに造営された、白大理石の美しい建物である。
 館内の見学を終えて外に出ると、小学四、五年生くらいの子どもが教師に引率されて見学に来ていた。ここでも子どもたちが伸一の周りに集まり、語らいの花が咲いた。
 そこから一行が車で向かったのは、シン知事が総長を務めるラビンドラ・バラティ大学であった。図書贈呈のためである。同大学は詩聖タゴールの生家の敷地に建つ、彼の思想、精神を継承する教育の城である。
 タゴールは、詩歌をはじめ、小説や戯曲、音楽、絵画などにも類いまれな才能を発揮した芸術家であり、思想家、教育者である。
 アジア人初のノーベル文学賞の栄誉にも輝いている偉大なベンガル人であり、東洋と西洋の融合を求めた「世界市民」でもあった。
 彼は、圧政にあえぐインドの民の声なき声を汲み上げ、人間性の勝利と平和を詠い続けた。四十代で愛する妻を、さらに子どもたちを亡くすが、悲哀の涙の乾かぬなかで、イギリスによる故郷ベンガルの分割に対する反対運動に挺身し、苦難の嵐の中を突き進む。
 悲哀なき人生はない。それを乗り越えて歓喜をつかむことが、生きるということなのだ――これが詩聖の魂の叫びであろう。
 彼の詩は、万人の生命を包み、励ます。
 インド国歌がタゴールの作詞・作曲であることは有名だが、パキスタンから分離独立したバングラデシュの国歌「我が黄金のベンガルよ」も、彼が作詞・作曲した歌である。
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2016年11月11日

源流60

山本伸一は、さらに話を続けた。
 「私たちが展開している平和運動は、人間の心のなかに“平和の砦”を築くことを基調としており、その歩みはカタツムリのような速度かもしれない。しかし、粘り強く行動し続けてきました。波が岩に突進する。岩は微動だにしない。だが、何十年、何百年とたてば、岩は姿を変えていきます。それが、民衆による非暴力の革命ではないでしょうか。それが、創価学会の平和運動なんです」
 シン知事は、釈尊有縁の地・ベナレスの生まれである。仏教への造詣は深い。新聞の編集者を経て下院議員となり、工業大臣、鉄鋼鉱山大臣等を歴任し、一九七七年(昭和五十二年)から西ベンガル州の知事を務めている。七十四歳と高齢であったが、その言葉には活力があふれていた。
 西ベンガル州は、人口約四千六百万人(当時)で、インドで最も多くの人が住む都市カルカッタを含む大きな州である。貧しい人も少なくない。雇用や食糧問題、貧困による犯罪など、課題も山積している。
 シン知事は、その現実の荒海のなかで、ベンガルの人びとの暮らしと命を守るために、苦悩し、格闘していた。それだけに、観念的な、うたい文句だけの「平和」主義には、懐疑的であったのであろう。そして、生活者を組織し、現実の大地に根を張りながら、仏法を基調に平和運動を展開する創価学会に大きな関心を寄せていたようだ。
 知事公邸は、英国統治時代にカルカッタがインドの首都であった時の総督の官邸である。部屋の壁には、上半身裸のガンジーの写真が飾られている。知事は、ガンジーと共に戦ったことを大きな誇りとしていた。
 話が平和運動の根底となる理念に移ると、知事は、自身の信念を力強く語った。
 「私が信じていることは、“人類は一つ”であるということであり、それこそが、このインドで釈尊が説いた教えの本質です」
 万人が「仏」の生命を具えていると説く仏法の法理は、人類統合の基である。
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2016年11月10日

源流59

インド滞在も八日目を迎えた。パトナからカルカッタ(後のコルカタ)へ移る十三日の午前中、山本伸一のホテルにビハール州パトナ区のG・S・グレワル長官が訪ねてきた。ターバンとヒゲがよく似合う長官は、区の裁判所長官でもある。
 「表敬訪問させていただきました。本来ならば、皆さんを、いろいろな場所にご案内したかったのですが、公務繁多のために実行できず、申し訳ありません……」
 一行のパトナ来訪を心から喜び、丁重に謝意まで表する長官の誠意に彼は恐縮した。
 伸一は、このインド訪問で友好と平和のための有意義な交流が図れたことを伝えるとともに、「すばらしいパトナの様子と黄金の思い出を日本に紹介していきたい」と語った。
 会見を終えた伸一は、パトナ博物館を見学。午後三時前、空路、インド最後の訪問地となるカルカッタへ向かったのである。
 翌十四日午前、彼は、カルカッタを擁する西ベンガル州のトリブバン・ナラヤン・シン知事の公邸を表敬訪問した。
 知事は、この機会を待ちわびていたかのように、あいさつも早々に、こう切り出した。
 「ぜひ会長に伺いたい。世界の平和と友好を実現していくための方法について、具体的な考えをお聞かせいただきたいのです」
 抽象的な話や単なる言葉ではなく、平和のために実際に何をしたのか、何をするのかを、問いたかったのであろう。
 伸一は、具体的な取り組みとして、「核兵器の廃絶」「軍縮の推進」「文化交流」「教育交流」「民衆間の交流」などを示した。そして、項目ごとに、これまでに行ってきたことと、その意義と広がりを説明した。
 「つまり私どもは、現実に行動できる身近なことから着手してきました。小さな一滴であっても、やがては大河となり、大海に通じます。千里の道も一歩からです。まず踏み出すことです。動かなければ何も進みません」
 希望の未来は、待っていては来ない。自らが勇気をもって歩みを開始することだ。
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2016年11月08日

源流57

源流五十七

 ナーランダー遺跡の案内者が説明した。
 「僧院では、入学一年目の学僧は、個室をもち、寝具、机が与えられます。しかし、研学が進むにつれて共同での使用となり、卒業時には、真理にのみ生きる人間として巣立っていったといいます」
 つまり、精神の鍛錬がなされ、モノなどに惑わされることなく、一心に法を求め抜く人格が確立されていったということである。
 人格の錬磨がなされなければ、いかに知識を身につけても、真に教育を受けたとはいえない。
 戸田城聖は、創価学会を「校舎なき総合大学」と表現した。仏法の法理を学び、人間の道を探究する学会の組織は、幸福と平和を創造する民衆大学といえよう。山本伸一は、この「校舎なき総合大学」は、人間教育の園として、時とともに、ますます大きな輝きを放っていくにちがいないと確信していた。
 ナーランダーの仏教遺跡を見学した一行は、パトナへの帰途、休憩所に立ち寄った。腕時計を見ると、午後五時半である。
 口ヒゲをはやした休憩所の主が、どこから来たのかと尋ねた。年は四十前後だろうか。
 伸一が、日本からであると伝えると、主は両手を広げて驚きの仕草をした。
 「それなら、ぜひ、わが家に寄っていってください。この目の前です」
 「ご厚意はありがたいのですが、夕食の時間も迫っているので、ご家族の皆さんにご迷惑をかけてしまいます」
 「いいえ、家族も大歓迎します。インドでは、お客さんと教師と母親は神様といわれているんです。ですから、こうして歓迎することは、神様を敬うことにつながるんです」
 バジパイ外相を訪ねた折にも、聞かされた話である。こうした考え方がなければ、初対面の人を自宅に招いたりはしないだろうし、あえて関わろうとはしないにちがいない。
 伸一は、宗教が人びとの精神、生活に、深く根付いていることを実感した。宗教をもつことは、生き方の哲学をもつことである。
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2016年11月07日

源流56

源流 五十六

 山本伸一は、ガンジスのほとりに立って空を仰いだ。既に夜の帳につつまれ、月天子は皓々と輝きを増していた。
 一陣の風が、川面に吹き渡った。
 伸一の眼に、東洋広布を願い続けた恩師・戸田城聖の顔が浮かび、月の姿と重なった。
 彼は、心で叫んでいた。
 “先生! 伸一は征きます。先生がおっしゃった、わが舞台である世界の広宣流布の大道を開き続けてまいります! 弟子の敢闘をご覧ください”
 月が微笑んだ。
 その夜、宿舎のホテルで伸一は、妻の峯子と共に、戸田の遺影に向かい、新しき広布の大闘争を誓ったのである。
 翌十二日、伸一たち訪印団一行はナーランダーの仏教遺跡をめざした。パトナから車で二時間余りをかけ、この壮大な遺跡に立ったのは、午後二時過ぎであった。
 鮮やかな芝生の緑の中に、歴史の堆積されたレンガ造りの遺跡が続いていた。回廊が延び、階段があり、水をたたえた井戸がある。学僧が居住し、学んだ僧房が並ぶ。
 紀元五世紀、グプタ朝の時代にクマーラグプタ一世によって僧院として創建され、次々に増築拡大されていったという。そして、ハルシャ朝、パーラ朝と、十二世紀末まで七百年の長きにわたって繁栄を続け、仏教研学の大学となってきたのだ。
 案内者の話では、ナーランダーの「ナーラン」は知識の象徴である「蓮」を、「ダー」は「授ける」を意味するという。
 ここには、インドのみならず、アジアの各地から学僧が訪れ、最盛時には一万人の学僧と千人もの教授がいて、仏法の研鑽が行われていた。計算上では教授一人に対して学僧は十人となり、小人数での授業が行われていたことが推察できる。
 師弟間の対話を通して、一人ひとりと魂の触発を図る――そこにこそ、人間教育の原点がある。また、それによって、仏法の法理は世界に広がっていったのだ。
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2016年11月04日

源流54

源流 五十四

 ガンジスの河畔には、点々と炎が上がり、その周囲に幾人もの人影が見える。故人を荼毘に付しているのだ。
 灰となって“聖なるガンジス”に還る――永遠なる別離の厳粛な儀式である。
 生と死と――永劫に生死流転する無常なる生命。しかし、その深奥に常住不変の大法を覚知した一人の聖者がいた。釈尊である。菩提樹の下、暁の明星がきらめくなか、生命の真理を開悟した彼は、苦悩する民衆の救済に決然と立ち上がった。
 その胸中の泉からほとばしる清冽なる智水は、仏法の源流となってインドの大地を潤していった。釈尊の教えは、月光のごとく心の暗夜を照らして東南アジア各地へと広がり、北は中央アジアからシルクロードを通って、中国、韓・朝鮮半島を経て日本へと達した。
 彼の教えの精髄は法華経として示されるが、末法の五濁の闇に釈尊の仏法が滅せんとする時、日本に日蓮大聖人が出現。法華経に説かれた、宇宙と生命に内在する根本の法こそ、南無妙法蓮華経であることを明らかにされた。そして、その大法を、御本仏の大生命を、末法の一切衆生のために、御本尊として御図顕されたのである。
 「日蓮がたましひ(魂)をすみ(墨)にそめながして・かきて候ぞ信じさせ給へ、仏の御意は法華経なり日蓮が・たましひは南無妙法蓮華経に・すぎたるはなし」(御書一一二四ページ)
 また、「爰に日蓮いかなる不思議にてや候らん竜樹天親等・天台妙楽等だにも顕し給はざる大曼荼羅を・末法二百余年の比はじめて法華弘通のはた(旌)じるしとして顕し奉るなり」(同一二四三ページ)と。
 大聖人は、濁世末法にあって、地涌の菩薩の先駆けとして、ただ一人、妙法流布の戦いを起こされ、世界広宣流布を末弟に託されている。以来七百年、創価学会が出現し、広布の大法戦が始まったのである。
 それは、「日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか」(同一三六〇ページ)と仰せのように、現代における地涌の菩薩の出現であった。

 小説『新・人間革命』語句の解説
 ◎竜樹など/竜樹は、二世紀から三世紀にかけて、南インドで活躍した大乗仏教の論師。天親は、世親ともいい、四、五世紀頃のインドの学僧で大乗の論師。天台(五三八〜五九七年)は、中国天台宗の実質的な開祖。法華経の理の一念三千を明かした。妙楽(七一一〜七八二年)は、中国・唐代の天台宗中興の祖。著書に、天台の法華三大部の注釈書等がある。
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2016年11月03日

源流53

源流 五十三

 ナラヤンは、すべての階層の人びとの向上をめざして運動を展開し、社会、経済、政治、文化、思想等の総体革命(トータル・レボリューション)を主張してきた。山本伸一も、総体革命を提唱・推進してきた者として、その革命の機軸はどこに定めるべきかを訴えた。
 「私は、結局は一人ひとりの人間革命がその基本になり、そこから教育・文化など、各分野への発展、変革へと広がっていくと思っています。いかなる社会にせよ、それをつくり上げてきたのは人間です。つまり一切の根源となる人間の革命を機軸にしてこそ、総体革命もあるのではないでしょうか」
 「全く同感です!」と力強い声が響いた。
 二人は、死刑制度の是非などについて論じ合い、多くの点で意見の一致をみた。
 対談を終えた伸一は、夕刻、ガンジス川のほとりに立った。インド初訪問以来、十八年ぶりである。対岸は遥か遠くかすみ、日没前の天空に、既に丸い月天子が白く輝いていた。空は刻一刻と闇に覆われ、月は金色に変わり、川面に光の帯を広げていく。
 伸一は、戸田城聖の生誕の日に、恩師が広布旅を夢見たインドの、ガンジス河畔に立っていることが不思議な気がした。戸田と並んで月を仰いでいるように感じられた。また、広宣流布の険路をひたすら歩み続けた一つの到達点に、今、立ったようにも思えるのだ。
 戸田の後を継いで第三代会長に就任してからの十九年、さまざまな事態に遭遇してきた。いかにして難局を乗り越え、新しい創価の大道を開くか、悩みに悩み、眠れぬ夜を過ごしたこともあった。疲労困憊し、身を起こしていることさえ辛いこともあった。そんな時も、いつも戸田は彼の心にいた。そして、厳愛の叱咤を響かせた。
 “大難は怒濤のごとく押し寄せてくる。それが広宣流布の道だ。恐れるな。戸田の弟子ではないか! 地涌の菩薩ではないか! おまえが広布の旗を掲げずして誰が掲げるのか! 立て! 師子ならば立て! 人間勝利の歴史を、広布の大ドラマを創るのだ!”
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2016年11月02日

源流52

源流 五十二

 ナラヤンは、静かな口調で山本伸一に語り始めた。
 「獄中では独房に入れられ、拷問に近い責めを受けたこともあります。家族とも会えず、手紙のやりとりも許されない。手紙は外の世界とのコミュニケーションの手段として重要なのに、それが許されないのは辛かった」
 その苦境が鋼のような不屈の意志を鍛え上げたのだ。日蓮大聖人は「鉄は炎打てば剣となる」(御書九五八ページ)と仰せである。
 老闘士は、こまやかな気配りの人であった。途中、何度も菓子を勧める。
 「インドのお菓子です。わが家の手製です。召し上がってください。甘いですよ」
 伸一が礼を述べて、語らいを続けようとすると、ナラヤンは、「あなたは、先ほどから、全然、召し上がっていませんよ」と“抗議”する。「いや、今はお話が大事なので。探究、学習の最中ですから」と応えると、“不屈の人”のにこやかな微笑が伸一を包んだ。
 強い心の人だから、人に優しくできる。
 伸一は、信条について尋ねた。
 「時代のなかで変わっていきましたが、今は、ガンジーの思想が私の信条です。それは釈尊の教えにも通じます。その思想とは、ズボンは膝までの半ズボンで、上は何も着ない、半裸のガンジーの姿に象徴されるように、“裸の思想”ともいうべきものです」
 “裸の思想”――その意味するところは深いと伸一は思った。イデオロギーで武装し、人間を締めつける甲冑のような思想ではない。人間の現実を離れた観念の理論の衣でもない。ありのままの人間を見すえ、現実の貧しさ、不幸から、いかにして民衆を解放するかに悩みながら、民衆と共に歩み、同苦するなかで培われた思想といえよう。
 その思想の眼から、ナラヤンは、インド社会が直面する主要な問題は「カースト制度」の弊害であると指摘する。そして人間と人間を生まれで差別し、疎外し合うこの制度が、仏陀の国に、いまだ根強く残っているのは悲しいことであると、憂えの色をにじませた。
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2016年11月01日

源流51

源流 五十一

 山本伸一は、「人類の平和のために、ナラヤン先生の思想をお聞きし、世界に紹介したいと思ってやってまいりました」と会見の趣旨を伝えた。
 「私の思想など、決してそのような大それたものではありません。私が信じているのは永遠にわたる真理を説いた釈尊の思想です」
 この言葉には、インドに脈打つ精神の源流とは何かが、明確に示されていた。
 ナラヤンは、彼が師と仰ぐマハトマ・ガンジーとは「亡くなった妻を通して知り合いました」と言う。
 「この建物は、その妻が建てたもので、ここを使って、女性が社会福祉のために貢献できるように教育を行っております。また、子どもの育成のために、幼稚園としても使っています。できる限り、妻の遺志を継ぐように努力しているんです」
 会談場所を仕切るカーテンも粗末なものであった。まさに可能な限り、すべてを民衆に、社会に捧げているのだ。
 信念が本物かどうかは、身近なところに、私生活にこそ、如実に表れるものだ。
 彼は、何度となく獄中生活を過ごしている。伸一は、今日が自分の恩師である戸田城聖の誕生日にあたることを伝え、創価学会の初代会長・牧口常三郎は軍部政府の弾圧によって獄死し、第二代会長の戸田も、二年間、投獄されたことを述べた。そしてナラヤンに、獄中で得たものは何かを尋ねた。
 彼は、じっと伸一を見詰め、口を開いた。
 「私は、あなたが、そういう目に遭わないことを望みます」
 「ありがたいお言葉です。私も短期間でしたが、無実の罪で投獄されました」
 氏は頷き、机の上に置いてあった本を手にした。本のタイトルは『獄中記』。氏が獄中体験を綴った手記だ。初版は秘密出版され、後に日の目を見た本である。そこに署名し、インド人の著名なジャーナリストが書いたという自身の伝記とともに伸一に贈った。そのなかに質問の回答があるのであろう。
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2016年10月31日

源流50

源流 五十

 パトナは、その昔、「花の都」(パータリプトラ)と讃えられた街である。
 緑が多く、道を行くと、車に交じって、鈴の音を響かせながら闊歩する牛車の姿も見られ、のどかな風景が広がっていた。
 午後四時前、山本伸一は、ジャイプラカシ・ナラヤンの自宅を訪ねた。ナラヤンは、マハトマ・ガンジーの弟子であり、“インドの良心”として、民衆から敬愛されているインドの精神的指導者である。
 土壁の家が立ち並ぶ路地裏の入り組んだ道を車で進み、白い石造りの家に着いた。思いのほか質素な建物であった。
 ナラヤンは、銀縁のメガネの奥に柔和な眼差しを浮かべ、初対面の伸一を歓迎し、黄色い花のレイを、手ずから首にかけてくれた。
 彼の茶色のガウンからマフラーが覗いていた。体を冷やさぬよう気遣っているのであろう。既に七十六歳の高齢であり、健康が優れぬため、週に何度か病院に通い、自宅で静養していると聞いていた。それにもかかわらず、丁重に出迎え、会談の時間を取ってくれた真心に、伸一は深い感動を覚えた。
 ナラヤンは、高校時代に国民革命の理想に燃え、非暴力・不服従運動に参加する。やがてアメリカに渡り、そこで、マルクスの革命思想に傾斜していく。急進的な社会改革に心を動かされ、ガンジーの非暴力の闘争を否定し、武力革命を肯定した時代もあった。
 しかし、ガンジーの高弟・ビノバ・バーベに触発され、再び非暴力革命の道をめざすようになる。紆余曲折を経て、ガンジーの懐に帰ってきたのだ。“良心”の大地ともいうべきガンジーの思想は、ナラヤンの“良心”の樹木を蘇生させていったのである。
 ガンジー亡きあと、彼は、師の思想を受け継ぎ、すべての階層の人びとの向上をめざす「サルボダヤ運動」を展開していった。
 どんなに豊かそうに見えても、その陰で虐げられ、飢え、苦しむ人のいる社会の繁栄は虚構にすぎない。皆が等しく幸せを享受してこそ、本当の繁栄といえよう。
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2016年10月29日

源流49

源流 四十九

 二月十一日――恩師・戸田城聖の生誕の日である。戸田が存命ならば七十九歳になる。
 山本伸一は今、その師に代わって平和旅を続け、師が最も広宣流布を願った仏教発祥の地・インドで、紺青の空を仰いでいることに、深い感慨を覚えた。
 伸一は、“戸田先生には、長生きをしていただきたかった……”と、しみじみと思う。
 しかし、命には限りがある。“だから、先生は不二の弟子として私を残されたのだ。先生に代わって、生きて生きて生き抜いて、東洋広布を、世界広布を進めるのだ!”と、彼は、何度も自分に言い聞かせてきた。
 伸一は、弟子の道に徹し抜いてきたことへの強い自負があった。この晴れ渡る空のように、心には一点の後悔もなかった。師子の闘魂が、太陽のごとく燃え輝いていた。
 この日の朝、伸一たち訪印団一行は、ニューデリーから、空路、ビハール州の州都・パトナへと向かった。
 彼方に、白雪をいだき、光り輝くヒマラヤの峰々を眺めながらの旅であった。
 午前十一時過ぎ、パトナの空港に到着した一行を、パトナのR・N・シンハ行政長官をはじめ、先に来ていた「インド文化研究会」の友らが出迎えた。
 そのなかに、長身のインド人青年の姿があった。彼はメンバーで、この日の朝、地元の新聞を見て、伸一のパトナ訪問を知った。そして、自宅の庭に生えていたバラで花束を作り、空港に駆けつけてきたのである。
 青年が花束を差し出すと、伸一は、「ありがとう! 感謝します」と言って固い握手を交わし、しばらく語り合った。彼は、家族のなかで、自分だけが入会しているという。
 伸一は、同行していたインド駐在の日本人会員に面倒をみるように頼み、青年に言った。
 「最初は、すべて一人から始まります。あなたには信心に励んで、幸せになり、パトナに仏法を弘めていく使命があるんです」
 眼前の一人に魂を注いで励ます。そこから、広宣流布の道が開かれる。
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2016年10月28日

源流48

源流 四十八

 訪印団一行の歓迎宴が一段落したころ、ゴエンカ会長はいたく恐縮した表情で、山本伸一に伝えた。
 「誠に申し訳ありませんが、孫娘の結婚披露宴にまいりますので、一足お先に失礼させていただきます」
 明日が愛する孫娘の結婚披露宴であり、夜行列車で式典会場に向かったのである。人づてに聞いた話では、インドの結婚式は盛大で、披露宴の一週間ほど前から祝いの催しが始まるという。そのなかを、披露宴前日の夜まで時間をとって歓迎してくれたのだ。
 伸一は、会長の“人間”に触れた思いがした。信義には信義で応えたいと強く思った。
  
 インドには、悠久の歴史がある。
 十日午後、伸一たちは、ニューデリーのジャンパット通りにあるインド国立博物館を訪問した。
 石器時代に始まり、インダス文明の都市遺跡であるハラッパーとモヘンジョダロの発掘物、マウリヤ朝のアショーカ王やクシャン朝のカニシカ王、グプタ朝などの各時代の文化遺産が展示されていた。彫刻、絵画、コイン、武具、織物、宝石、伝統芸術作品など、どれも貴重な品々である。
 館内を見学した伸一は、館長のM・R・バナルジ博士と会談した。長年、考古学の研究に携わり、多くの文化遺跡の発掘作業を行ってきた館長は、目を細めて語った。
 「発掘をしていて最も嬉しかったことは、過去にインドで鉄器が製造されていたことがわかり、インドの鉄器時代が明らかになったことです」
 発掘作業は、根気と忍耐の作業である。しかし、この作業を通して人類の歴史が一つ一つ解明されていく。
 戸田城聖は、よく「人材を発掘せよ」と語った。それもまた、家庭訪問を重ね、対話を積み重ねていく、まことに地道な忍耐の作業である。だが、人材という宝の発掘こそが、広宣流布の未来を開く黄金の光となる。
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2016年10月27日

源流47

源流 四十七

 二月九日の午後八時から、インディアン・エクスプレス社のR・N・ゴエンカ会長が主催する訪印団一行の歓迎宴が、ニューデリーのホテルで行われた。「インディアン・エクスプレス」は、インド屈指の日刊紙である。
 歓迎宴には、訪中を前にしたバジパイ外相、L・K・アドバニー情報・放送相をはじめ、多数の識者らが参加し、真心に包まれた語らいの一夜となった。
 ゴエンカ会長は豪放磊落で精悍な新聞人であった。七十代半ばとは思えないほど、快活で、哄笑が絶えず、エネルギッシュな話し方には不屈の闘志があふれていた。インドに到着した折も、真夜中にもかかわらず、空港まで出迎えに来てくれた。
 彼は、一九〇四年(明治三十七年)四月に、インド東部のビハール州に生まれた。青年時代に、イギリスからのインド独立を勝ち取ろうと、ガンジーの運動に加わった。
 自身の発行する「インディアン・エクスプレス」を武器に、イギリスが行っている数々の偽りを暴き、戦い抜いた。
 インドが独立したあとも、政府による新聞への激しい圧迫の時代があった。しかし彼は、それに屈することなく、言論人としての主義主張を貫いていった。
 伸一は、その苦境を突き破ったバネは何かを尋ねた。ゴエンカ会長は胸を張った。
 「人びとに対する義務です! 新聞は私個人に属するのではなく、人びとのためにあります。私は、単に人びとの委託、信任を受けた、いわば代理人です。ゆえに、人びとに応えるために、私は支配者に屈服、服従することはできませんでした」
 言論人の使命は、民衆の声を汲み上げ、その見えざる心に応え、戦うことにある。
 精神の自由を剝奪しようとする権力は、まず表現・言論の自由を奪おうとする。それを手放すことは、人間の魂を捨てることだ。
 また、人生の処世訓を問うと、こう答えた。
 「決して破壊してはいけない。建設的であれ。これが、私の人生の主義です」
posted by ハジャケン at 10:53| 山梨 ☀| 新・人間革命 29-4 源流 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月26日

源流46

源流 四十六

 山本伸一ら訪印団一行は、ネルー大学に引き続いて、ニューデリーの中心街ティーン・ムルティにあるネルー記念館を訪問した。
 記念館の建物は、バルコニーが張り出した重厚な石造りの二階建てであった。かつてはイギリス軍の最高司令官が使用していたが、インド独立後、ネルー首相の住居となった。彼は、一九六四年(昭和三十九年)に世を去るまでの十六年間、ここでインド民衆のために平和と繁栄への舵を取り続けてきた。
 そして、ネルー逝去から半年後、彼の事績と精神を伝え残すために記念館となった。
 一行は、S・R・マハジャン館長の案内で館内を見学した。ネルー首相の生い立ちを示す写真の数々。在りし日のままに保存された執務室、応接室、寝室。また、親交のあった多くの人びとの写真……。
 伸一には、インド国民会議派のガンジーの指導のもと、独立運動に身を投じ、念願の日を勝ち得たネルーの姿が偲ばれた。
 一九四七年(同二十二年)八月十五日午前零時――それは、長い長い漆黒の闇を破り、インドの大地に、「独立」と「自由」の金色の光が走った瞬間であった。インドが独立を勝ち取ったことは、搾取され、虐げられ続けてきた民衆の勝利にほかならない。
 詩聖タゴールが「人間の歴史は、侮辱された人間が勝利する日を、辛抱づよく待っている」(注)と述べた悲願の時が、遂に訪れたのだ。その新生の時を前にして、初代首相ネルーは制憲会議の全議員と共に誓った。
 インドのため、民衆のために貢献しよう。平和のため、人間の幸福のために寄与しよう――八月十四日、独立前夜の誓願である。
 なんと、この日は、十九歳の伸一が恩師・戸田城聖と初めて会い、平和と人道に生き抜く覚悟を定めた、運命の日でもあったのだ。
 その後、ネルーは、東西冷戦によって引き裂かれた世界の傷を癒やし、アジアとアフリカの心を結ぶ第三世界の期待の星となった。
 “民衆のために”という強き一念と闘魂は、時代を建設する不屈の力となる。

 小説『新・人間革命』の引用文献
 注 「迷える小鳥」(『タゴール著作集1』所収)藤原定訳、第三文明社
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2016年10月25日

源流45

源流 四十五

 山本伸一は、その後もナラヤナン副総長との友誼を大切にしていった。日本で、インドで、出会いを重ねた。 
 ナラヤナンは一九八四年(昭和五十九年)にケララ州から下院議員選挙に立候補し、当選する。外務担当国務大臣等を経て、九二年(平成四年)、友人の国会議員に強く推されて副大統領選へ。上下両院議員の選挙の結果、なんと賛成七百票、反対一票で副大統領に就任したのである。
 後年、伸一が、直接、その圧倒的な支持の理由を尋ねると、こう答えている。
 「大臣時代の仕事ぶりを認めてくれたのかもしれません。また、数年間、大臣ではなく一般の議員として仕事をしていましたが、その間に、ほとんどの議員と友好関係をもつことができました」
 つまり、日ごろの行動、地道な陰の功労を皆が見ていて評価してくれたというのだ。また、人間対人間の交流を通して培ってきた信頼が、いざという時に花開いたといえよう。
 さらに彼は、インド独立五十周年にあたる九七年(同九年)七月、国会と州議会の議員約四千九百人による選挙で、有効投票数の約九五パーセントを得て大統領に就任。「不可触民」といわれ、差別されてきた最下層の出身者から、初めて大統領が誕生したのだ。
 新しき朝は来た。人間のつくった差別という歴史の闇を破るのは、人間の力である。
 その三カ月後の十月、インドを訪問した伸一は、大統領府を表敬訪問し、ナラヤナン大統領に長編詩「悠久なるインド 新世紀の夜明け」を贈った。
 また、二〇〇四年(同十六年)十月、伸一は二年前に大統領の任期を終えていたナラヤナンと、聖教新聞社で七年ぶり四度目の会談を行った。この日本滞在中、創価大学から名誉博士号が贈られている。
 「民主主義の本質は、民衆の幸福に尽くすことである」(注)――これは、ナラヤナンが大統領の任期を終えるにあたって議会で語った、ガンジーの不滅の言葉である。

 小説『新・人間革命』の引用文献
 注 『マハトマ・ガンジー全集 90巻』インド政府出版局(英語)
posted by ハジャケン at 11:24| 山梨 ☀| 新・人間革命 29-4 源流 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月24日

源流44

源流 四十四

 ナラヤナン副総長も、山本伸一と同じく、図書贈呈を単に書物の授受の儀式に終わらせたくはなかったようだ。副総長は伸一に、「ぜひ、語らいの時間をもってください」と言い、教員、学生らに自己紹介するように促した。懇談が始まった。
 一人の男子学生が挙手し、伸一に尋ねた。
 「私は、創価学会を専門的に研究して、博士号を取得しようと思っています。山本先生は仏教について、どのようにお考えですか」
 すかさず副総長が説明した。
 「つまり、彼にとっては、山本先生こそが“研究対象”なんです」
 「はい。なんでも聞いてください。あなたの研究に尽力できることを嬉しく思います」
 伸一は、一つ一つの質問に、丁寧に答えていった。青年を軽んじることは、未来を軽んじることである。ネルーは、「青年は“明日の世界”だ」「明日の世界は諸君の肩にかかっている」(注)と訴えている。
 伸一は、回答のたびに、「おわかりいただけましたか? では、次の質問をどうぞ!」と確認しながら話を進めた。そのやりとりを副総長は、微笑みを浮かべて見ていた。
 語らいの時間は、瞬く間に過ぎていった。
 副総長は言った。
 「今日は、学生の質問に、誠実にお答えいただき、ありがとうございました。質問した学生だけでなく、皆、創価学会を、また、山本先生のお人柄を、よく理解したのではないかと思います」
 恐縮しながら、伸一は答えた。
 「私の方こそ大変にお世話になりました。青年たちと触れ合いの場をもてたことは、最も有意義なひと時でした。ただ副総長と、ゆっくりお話しできなかったことが残念です。またお会いできますよう願っております」
 学生たちは、一列に並び、瞳を輝かせて、一行を見送った。伸一は、学生一人ひとりと握手を交わしていった。
 青年の瞳は未来を映す。そこに輝きがある限り、その国の未来には希望の光がある。

 小説『新・人間革命』の引用文献
 注 「朝日新聞」1957年10月8日付
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2016年10月22日

源流43

源流 四十三

 山本伸一は、ナラヤナン副総長と一緒に、図書贈呈式が行われる会議室へと向かった。
 副総長は、歩きながら大学の概要を説明し、「学生たちには、学べぬインドの民衆のために尽くしてほしいというのが私の願いです」と語った。
 伸一は、全く同感であった。
 “大学とは、大学に行きたくても行けなかった人たちに、尽くすためにある”というのが、彼の信念であったからだ。
 会議室で行われた図書贈呈式であいさつに立った副総長は、平和と国際理解の実現をめざすネルー大学の建学の精神に照らして、世界平和へ献身的に努力する創価学会一行の来訪を、心から歓迎したいと述べた。
 そして、ネルー大学は、特に日本語の教育に重点を置き、日本の経済・社会の発展等の学習・研究にも力を注いでいることを紹介。この贈呈式の出席者は、学部長、教員及び日本語を研究している学生であることを伝えた。
 贈呈式では、日本語を専攻している四人の女子学生が、日本語で「さくら」を合唱した。発音も正確であり、美しい歌声であった。
 一行は大拍手を送った。会場からアンコールの声が起こった。それに応えて、女子学生たちが「春が来た」を披露し、さらに、そのうちの一人が、日本のフォークソング「この広い野原いっぱい」を独唱。皆、引き込まれるように耳を傾けた。
 伸一は女子学生たちに、お礼を言った。
 「まるで日本へ帰ったような気持ちになれました。最高の歓待です。ありがとう!」
 また、教授陣に「すばらしい歌を歌ってくれた学生さんに、最高の成績をつけてあげてください」と語ると、笑いが起こった。
 書物を贈るだけでなく、心と心が通い合い、人と人とが結ばれることに、図書贈呈式の大きな意味があると、伸一は考えていた。
 彼は、日本とインドの精神文化の絆を、さらに強くしていくために、教育・文化交流に最大の努力を払いたいと述べ、日本語と英語の書籍千冊の寄贈目録を副総長に手渡した。
posted by ハジャケン at 10:04| 山梨 ☀| 新・人間革命 29-4 源流 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする