2016年08月31日

清新66

清新 六十六

 「インド独立の父」「マハトマ」(偉大な魂)と仰がれ、慕われたガンジーは、インド国歌が制定される二年前の一九四八年(昭和二十三年)一月三十日に暗殺され、世を去っている。しかし、大国の横暴と圧政に抗して、非暴力、不服従を貫き、独立を勝ち取った魂は、国歌とともに、インドの人びとの心に脈打ち続けるにちがいない。
 インド初代首相のネルーは、ガンジーの希望は「あらゆる人の目からいっさいの涙をぬぐい去ることであった」(注)と語っている。
 それは、この世から悲惨の二字をなくすと宣言した、恩師・戸田城聖の心でもあり、また、山本伸一の決意でもあった。
 伸一は、戸田が逝去直前、病床にあって語った言葉が忘れられなかった。
 「伸一、世界が相手だ。君の本当の舞台は世界だよ」「生きろ。うんと生きるんだぞ。そして、世界に征くんだ」
 この遺言を心に刻み、彼は第三代会長として立った。会長就任式が行われた六〇年(同三十五年)五月三日、会場となった日大講堂には戸田の遺影が掲げられ、向かって右側には、戸田の和歌が墨痕鮮やかに大書されていた。
 「いざ往かん 月氏の果まで 妙法を 拡むる旅に 心勇みて」
 会員七十五万世帯の達成へ本格的な弘教の火ぶたを切った五二年(同二十七年)正月の歌である。伸一は、広宣流布への師の一念を生命に刻印する思いで遺影に誓った。
 “生死を超えて、月氏の果てまで、世界広布の旅路を征きます”
 今、その会長就任から二十年目となる五月三日が近づきつつあった。恩師が詠んだ、あの月氏の大地にも、多くの若き地涌の菩薩が誕生している。
 伸一は、インドに思いを馳せた。
 ――悠久なるガンジスの川面に、「七つの鐘」が鳴り響き、新しき時の到来を告げる清新の風が吹き渡ってゆく。そして、燦然と燃え輝く仏法西還の勝利の太陽が、彼の瞼いっぱいに広がった。    (この章終わり)

 小説『新・人間革命』の引用文献
 注 坂本徳松著『ガンジー』旺文社
posted by ハジャケン at 19:57| 山梨 ☀| 新・人間革命 29-3 清新 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月30日

清新65

清新 六十五

 「東洋広布の歌」に続いて、インド訪問団の壮途を祝して、インド国歌「ジャナ・ガナ・マナ」(インドの朝)が合唱団によって披露された。
 この歌は、詩聖タゴールが作詞・作曲し、イギリスによる植民地支配の闇を破り、独立の新しい朝を迎えた、インドの不屈なる魂の勝利を歌ったものだ。独立後の一九五〇年(昭和二十五年)に、インド共和国の国歌として採用されている。
 合唱が始まった。荘重な歌であった。
  
 〽きみこそ 
  インドの運命担う
  心の支配者。
    
  きみの名は
  眠れる国の
  心をめざます。
    
  ヒマラヤの
  山にこだまし
  ガンジス川は歌う。
  
  きみのさち祝い
  きみをたたえて歌う
  救えよ わが国。
  (中略)
  きみに 勝利、
  勝利、勝利、勝利、
  勝利、きみに。  (高田三九三訳詞)
  
 山本伸一は言った。
 「いい歌だね。私たちも、この心意気でいこうよ! 『きみこそ 学会の運命担う 心の支配者』だよ。私たちは人類の柱であり、眼目であり、大船じゃないか。まさに、『眠れる世界の 心をめざます』使命がある。
 『きみに 勝利、勝利、勝利……』だ!
 何があろうが、勇敢に、堂々と、わが正義の道を、わが信念の道を、魂の自由の道を、人類平和の道を進もうじゃないか!」

 *小説『新・人間革命』文中の歌詞は、「インド国歌」(作詞=Rabindranath Tagore、訳詞=高田三九三)から。JASRAC 出1608379―601。
posted by ハジャケン at 09:21| 山梨 ☀| 新・人間革命 29-3 清新 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月29日

清新64

清新 六十四

 山本伸一は、集った九州の同志に、広宣流布に生き抜いていくためにも健康と長寿の人生であってほしいと念願し、それ自体が仏法の真実を証明することにもなると力説した。
 さらに、リーダーは、「皆が使命の人である」との認識に立って、人材の育成にあたってもらいたいと要望し、こう話を結んだ。
 「どこまでも信心第一で仲良く前進していることが、和合の縮図です。仲の良い組織は人びとを元気にします。皆に力を湧かせる源泉となります。世間は、嫉妬や憎悪、不信が渦巻いています。だからこそ私たちは、和気あいあいとした、信頼と尊敬と励ましの人間組織を創り、その麗しい連帯を社会に広げていこうではありませんか!
 この二月も、また、この一年も、苦楽をともにしながら、私と一緒に、新しい歴史を刻んでいきましょう!」
 大きな拍手が轟いた。外は雪が降り続いていた。しかし、会場は新出発の息吹が燃え盛り、熱気で窓は曇った。
 ここで、「東洋広布の歌」の大合唱となった。九州の同志は、いや、全学会員が、「東洋広布は 我等の手で」と、この歌を高らかに歌いながら広宣流布に邁進してきたのだ。
 東洋広布を担おうと、アジアに雄飛していった人もいたが、大多数の同志の活躍の舞台は、わが町、わが村、わが集落であった。
 地を這うようにして、ここを東洋広布の先駆けと模範の天地にしようと、一軒一軒、友の家々を訪ねては、仏法対話を交わし、幸せの案内人となってきた。
 創価の同志は、地域に根を張りながら、東洋の民の安穏を祈り、世界の平和を祈り、その一念は地球をも包んできたのだ。
 そして、伸一が海外を訪問するたびに、大成功を祈って唱題を重ねた。一方、伸一は、皆の祈りを生命に感じながら、“全同志を代表して平和の道を開くのだ!”との思いで全精魂を注ぎ、走り抜いてきたのである。
 この師弟不二の心意気が、東洋、世界への広宣流布の未聞の流れを開いてきたのだ。
posted by ハジャケン at 10:19| 山梨 ☀| 新・人間革命 29-3 清新 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月27日

清新63

清新 六十三

 九州記念幹部会で山本伸一は、成増敬子の抱負を聞きながら思った。
 “熊本も、また大分も、宗門の問題では本当に苦しめられている地域だ。しかし、それをはね返し、ますます広布の炎を燃え上がらせている。すごいことだ。いつか、必ずその地域を回って、耐え抜きながら信心を貫いてこられた皆さんを心から励まし、賞讃しよう”
 彼は会合終了後、「七つの鐘総仕上げの年を記念し」と認めた御書を、成増へ贈った。
 幹部会でマイクに向かった伸一は、仏法者の生き方について語っていった。
 「日蓮大聖人の智慧は平等大慧であり、一切衆生を平等に利益される。その大聖人の御生命である御本尊を信受する仏子たる私どもの人生は、全人類の幸せを願い、行動する日々であらねばならないと思っています。
 私たちが、日本の広宣流布に、さらには世界広布に走り抜くのも、そのためです。
 私は人間が好きです。また、いかなる国の人であれ、いかなる民族の人であれ、いかなる境遇の人であれ、好きであると言える自分でありたい。そうでなくては日蓮大聖人の教えを弘める、仏の使いとしての使命を果たすことはできないと思うからです。
 皆様方も、誰人であろうが、広々とした心で包容し、また、全会員の方々の、信心の面倒をみて差し上げていただきたい。私どもが平等大慧の仏の智慧を涌現させ、実践していくところに、世界平和への大道があります。
 そして、リーダーの皆さんは、物わかりのよい、柔軟な考え方ができる指導者であっていただきたい。硬直化した考え方に陥ってしまえば、時代、社会の変化に対応していくことができず、結局は、広宣流布の流れを閉ざしてしまうことになりかねません」
 国連人権委員会委員長を務めたエレノア・ルーズベルトは指摘している。
 「あらゆる偉大な文明が滅びた理由は、ある意味で、それが固定化し、新しい状況、新しい方法、そして、新しい考え方に柔軟に適応できなくなったからです」(注)

 小説『新・人間革命』の引用文献
 注 エレノア・ルーズベルト著『TOMORROW IS NOW』ハーパー・アンド・ロウ社(英語)
posted by ハジャケン at 09:27| 山梨 ☀| 新・人間革命 29-3 清新 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月26日

清新62

清新 六十二

 山本伸一に励まされた蒲田支部の同志は、一騎当千の闘士となって二月闘争に走った。
 皆が、途方に暮れるしかないほど深刻な悩みをかかえていた。しかし、そのなかで“私は信心で勝つ! 負けるものか!”と、広宣流布の使命に奮い立っていったのである。
 悩める人が、悩めるままの姿で決然と立ち上がり、友を励まし、広宣流布を進める――そこにこそ真実の共感が生まれ、人びとは、最高の勇気、最大の力を得ることができる。そこにこそ地涌の菩薩の実像がある。
 その戦いの帰結が、一支部で一カ月に二百一世帯という当時としては未曾有の弘教を実らせたのだ。そして、より重要なことは、勇んで二月闘争を展開した同志は、功徳の体験を積み、歓喜と確信に燃え、苦悩を乗り越えていったという厳たる事実である。
 どんなに大きな苦悩をかかえていても、友の幸せを願い、勇気をもって仏法を語り、励ます時、わが胸中に地涌の菩薩の大生命が脈打つ。その生命が自身の苦悩を打ち破り、汲々とした境涯を大きく開いていくのだ。
 創価学会とは励ましの世界である。励ましは慈悲の発露であり、この実践のなかに仏法がある。広宣流布とは、励ましのスクラムを地域へ、世界へと広げゆく聖業なのだ。
 伸一は今、熊本の婦人部本部長・成増敬子の抱負を聞きながら、二年前の一九七七年(昭和五十二年)五月の熊本訪問で、代表の幹部と懇談したことが懐かしく思い出された。
 その折、成増が、「義母が四歳と二歳の子どもの面倒をよくみてくれているので助かっています」と、心から感謝している姿が忘れられなかった。また、益城本部の婦人部本部長は、伸一が本部内を訪問した歴史を誇りとし、皆が喜々として活動に励んでいる模様を報告した。阿蘇の婦人部本部長は、地域を幸せの園にしたいとの決意を込め、阿蘇にもスズランが咲くことを伝えた。
 伸一は、熊本の同志が一人も漏れなく、強く生き抜いて、人生勝利の花を咲かせるように、日々、祈り続けてきたのである。
posted by ハジャケン at 10:07| 山梨 ☀| 新・人間革命 29-3 清新 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月25日

清新61

清新 六十一

 九州記念幹部会は、会場後方から山本伸一が見守るなか、本部長の代表抱負へと移った。皆、この「伝統の二月」を大勝利で飾ろうと、意気軒昂に決意を披瀝していった。
 婦人部代表の熊本県・熊本南本部の成増敬子が、明るく淡々と抱負を語り始めた。
 「私の本部は、熊本駅を中心に、夏目漱石の『草枕』で有名な金峰山から南は有明海までの広大な地域です。日々、愛車“広布号”に乗って、元気に駆け巡っています。
 個人指導に回っていると、婦人部員から、『どこに行きなはっとですか?』(どこへ行くのですか?)、『寄っていってはいよ』(寄っていってください)と、気さくに声がかかる人情味豊かな地域が、わが本部です。
 本年初頭、私は、自分が先頭に立って、一人ひとりと徹底して対話し、粘り強く励ましていこう、個人指導を推進していこうと決意し、実践してきました。この『伝統の二月』に、何人の友と会えるか楽しみです」
 伸一は思わず、「そうだ! それしかない」と声援を送っていた。恩師・戸田城聖が生涯の願業として掲げた会員七十五万世帯達成の突破口を開き、「伝統の二月」の淵源となった一九五二年(昭和二十七年)二月の蒲田支部での活動――その勝利の眼目は、まさに徹底した個人指導にあったのだ。
 伸一は、最前線組織であった組単位の活動を推進するために、各組を回っては、メンバーの激励に徹した。折伏の仕方がわからないという人には、自ら一緒に仏法対話した。
 会員のなかには、夫が病床に伏しているため、自分が働いて何人もの子どもを育てている婦人もいた。失業中の壮年もいた。資金繰りが行き詰まり、蒼白な顔で「もうおしまいです」と肩を落とす町工場の主もいた。
 皆が苦悩にあえいでいた。伸一は、その人たちの言葉に真剣に耳を傾け、時に目を潤ませながら、力強く、こう訴えた。
 「だからこそ信心で立つんです。御本尊の力を実感していくチャンスではないですか!
 宿命転換のための戦いなんです」
posted by ハジャケン at 19:26| 山梨 ☀| 新・人間革命 29-3 清新 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月24日

清新60

清新 六十

 山本伸一が藤根ユキを励ましてから、三年余がたっていた。伸一は今、ふくよかで明るい表情の彼女を見て言った。
 「藤根さん。元気になってよかったね」
 「はい! 実は、昨年、指導部になり、今は本部の指導長をしております」
 「そう。無理をしないで、体を大事にしながら、余裕をもって活動に励んでください」
 「それが、本部長をしていた時よりも忙しくなってしまいました。毎日、個人指導で予定はぎっしり詰まっています。でも、頼りにされていると思うと、嬉しくって……」
 「すごいことです。年配になって、ライン役職を離れても忙しいということは、その組織が団結し、仲が良いという証拠なんです。それが私の理想なんです。嬉しいことだ。
 また、あなたが“広宣流布のために、なんでもやらせてもらおう”との思いで、後輩を守り、積極的に活動に取り組んでいるからです。あなたの人柄ですよ。
 いつも文句ばかり言って動こうとしない先輩であれば、誰も相手にしなくなります。つまり、ラインの正役職を外れたあとの姿こそが大事なんです。誰からも頼りにされず、声もかけられないのでは寂しいものです。
 組織の立場は、みんな変わっていきます。しかし、広宣流布のために働こうという信心の姿勢は、変わってはいけません」
 藤根は、大きく頷きながら尋ねた。
 「でも、山本先生は、ずっと学会の会長でいてくださいますよね」
 「いや、私は、会長を辞めようかとも考えている。今や、学会本部には、世界中から大勢の同志が来る。海外の要人との対応も大事になっています。だから、会長は譲って、世界のために働こうと思っているんです」
 藤根は顔色を変えた。耳を疑った。
 「先生、困ります。本当に困ります」
 会合中であることも忘れ、必死に訴えた。
 伸一は、「わかったよ」と、微笑を浮かべた。三カ月後、この言葉が現実のものになるとは、藤根は想像さえできなかった。
posted by ハジャケン at 09:34| 山梨 ☀| 新・人間革命 29-3 清新 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月23日

清新59

清新 五十九

 九州記念幹部会は、午後一時過ぎに始まった。会場の大広間には、「先生、インドの旅お元気で行ってらっしゃい」と書かれた横幕が掲げられていた。集った同志は、山本伸一が意義あるインド訪問へ、九州の地から出発することに、喜びと誇りを感じていた。
 前方から会場に入った伸一は、皆の温かい拍手に迎えられ、参加者の中央を進んでいった。そして、大広間のいちばん後ろまでいくと、窓際に腰を下ろした。
 「今日は、ここで皆さんの話をお伺いします。“先駆の九州”の皆さんが団結し、意気盛んに、はつらつと前進する姿を心に焼きつけて、インドへ旅立ちたいんです」
 鹿児島の県長や九州の方面幹部、副会長の話と、式次第は進んでいった。
 伸一は、会場後方にあって、自分の近くに座っている人たちに視線を注いだ。そこに、見覚えのある懐かしい顔があった。宮崎県の藤根ユキである。
 彼女は、草創期から宮崎の地にあって、地区担当員(後の地区婦人部長)などを務め、近年は婦人部本部長として、真面目に、ひたぶるに信心に励んできた女性であった。伸一も、何度か出会いを重ねてきた。
 藤根は、一九七四年(昭和四十九年)に、苦楽を分かち合ってきた夫を亡くした。夫は、彼女をいちばん理解し、何でも話し合えた人生の伴侶であり、また、共に地域広布を切り開いてきた同志でもあった。心にぽっかりと大きな空洞ができ、すっかり元気をなくしてしまった。
 翌年の十二月、彼女は九州研修道場で伸一と会い、言葉を交わす機会があった。
 藤根は最愛の夫が他界したことを告げた。伸一は、こう言って彼女を励ました。
 「悲しいでしょうが、その悲しみに負けてはいけません。一人になっても、永遠の幸福のために戦っていくんです。ご主人の分まで頑張るんです。戦うあなたの心のなかに、ご主人は生き続けているんですから」
 その言葉に、藤根は奮い立った。
posted by ハジャケン at 10:16| 山梨 ☁| 新・人間革命 29-3 清新 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月22日

清新58

清新 五十八

 山本伸一は、自身の人生の最大テーマは、「世界広布の基盤完成」にあると心に決めていた。世界は、あまりにも広く大きい。早くその事業に専念しなければ、世界広宣流布の時を逸してしまいかねないとの強い思いが、彼の胸には渦巻いていた。
 「七つの鐘」が鳴り終わる今こそ、まさに、その決断の時ではないのかとも思えた。
 二月一日、九州研修道場では、伸一が出席して、「伝統の二月」のスタートを切る九州記念幹部会が開催されることになっていた。
 幹部会の開会前、彼は、研修道場内の移動の便宜を図るために設けられた橋の、テープカットに臨んだ。
 小雪が舞い、霧島の山々は、うっすらと雪化粧をしていた。皆が見守るなか、木製の橋の入り口に張り渡されたテープを、女子部の代表がカットした。
 伸一は、集まっていた人たちに尋ねた。
 「この橋の名前は?」
 皆が口々に答えた。
 「まだ、ありません!」
 「先生、名前をつけてください!」
 彼は、即座に、こう提案した。
 「日印橋でどうですか? 日本とインドに友好の橋を架けるという意義と決意を込めて、つけさせていただければと思います」
 歓声と拍手が起こった。
 それから伸一は、先頭に立って橋を渡った。同行の幹部は、雪が薄く積もった橋を革靴で渡る伸一が転びはしないかと、はらはらしながら見詰めていた。彼は、橋を渡ることで、準備にあたってくれた同志の真心に、真心をもって応えたかったのである。
 その小さな行動のなかにも、世界を結ぼうとする伸一の、哲学と信念があった。
 ――誠実と誠実が響き合い、心が共鳴する時、永遠なる友情の橋が架かる。利害と打算の結合は、状況のいかんで、淡雪のごとく、はかなく消え去ってしまう。友情の橋こそが、人間の絆となり、さらには、恒久平和を築く礎になる!
posted by ハジャケン at 10:57| 山梨 ☀| 新・人間革命 29-3 清新 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月20日

清新57

清新 五十七

 山本伸一の三度目となる今回のインド訪問は、「七つの鐘」の掉尾を飾るとともに、二十一世紀への新しい旅立ちとなる、ひときわ深い意義をもつ世界旅であった。
 彼は、その記念すべき訪問の出発地を、どこにすべきかを考えた時、即座に九州しかないと思った。九州は、日蓮大聖人の御遺命である「仏法西還」を誓願した恩師・戸田城聖が、東洋広布を託した天地であるからだ。
 戸田は亡くなる前年の一九五七年(昭和三十二年)十月十三日、福岡市内にある大学のラグビー場で行われた九州総支部結成大会に出席し、集った三万人余の同志に、生命の力を振り絞るようにして叫んだ。
 「願わくは、今日の意気と覇気とをもって、日本民衆を救うとともに、東洋の民衆を救ってもらいたい!」
 そして、万感の思いを込めて、特に男子青年に対して、「九州男児、よろしく頼む!」と、東洋広布を託したのである。
 伸一は、「七つの鐘」が鳴り終わる年を迎えた今、二十一世紀への世界広布の新出発もまた、「先駆」を掲げる九州の同志と共に開始したかったのである。
 彼が九州研修道場に到着したのは、前日の一月三十一日午後六時のことであった。
 九州の代表幹部らと懇談し、勤行したあと、彼は一人で思索のひとときを過ごした。
 外は、しとしとと冷たい雨が降り、それが、かえって静寂を募らせていた。
 彼は、「七つの鐘」終了後の、学会と広宣流布の未来へ、思いを巡らしていった。
 “今年は、会長就任から二十年目を迎え、日本の創価学会建設の基盤は、ほぼ完成をみたといえる。国内の広宣流布の礎は盤石となり、未来を託すべき人材も着々と育ってきている。また、学会は、仏法を根底にした平和・文化・教育の団体として、人間主義運動の翼を大きく広げつつある……”
 そう考えると、今後、自分が最も力を注ぐべきは世界広布であり、人類の平和の大道を切り開くことではないかと、伸一は思った。
posted by ハジャケン at 10:02| 山梨 ☁| 新・人間革命 29-3 清新 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月19日

清新56

清新 五十六

 霧島連山は冬の雲に覆われ、薄日が差したかと思うと、雪がちらつくといった、安定しない天気であった。
 一九七九年(昭和五十四年)二月一日、山本伸一は鹿児島県の九州研修道場にいた。三日には鹿児島を発ち、香港を経てインドを公式訪問することになっていたのである。
 伸一は、五年前の七四年(同四十九年)の二月と十月に、シルベンガダ・タン駐日インド大使と会談し、日印の友好・文化交流について語り合った。その二度の会談で、大使からインド訪問の要請があったのである。
 そして、翌七五年(同五十年)二月、在日インド大使館を通じて、インド文化関係評議会(ICCR)から正式に招待したい旨の書簡が届いた。さらに十二月、タン大使の後任であるエリック・ゴンザルベス大使と伸一が会談した際にも、あらためてインドへの公式訪問を求められたのである。
 伸一は、インド側の友情と誠意に応えようと準備を進めてきた。そして、この年二月の訪問が実現の運びとなったのであった。
 インドは、中国と並んで巨大な人口を擁する大国であり、宗教も、八割を占めるヒンズー教のほか、イスラム教、キリスト教、シーク教、ジャイナ教、仏教などがある。また、多民族、多言語で、インドの憲法では、十四言語(当時)を地方公用語として認めている。
 その多様性に富んだ、“世界連邦”ともいうべきインドの興隆は、人類の平和の縮図となり、象徴になると伸一は考えていた。また、何よりもインドは仏教発祥の国である。そこに彼は、大恩を感じていたのである。
 ゆえに、民間人の立場から、日印の文化交流を強力に推進する道を開き、インドの発展に貢献しようと決意していたのだ。
 インドの生んだ詩聖タゴールは訴えた。
 「人類が為し得る最高のものは路の建設者になることであります。しかしその路は私益や権力の為の路ではなくて、人々の心が異なれる国々の兄弟達の心に通うことの出来る路なのであります」(注)

 小説『新・人間革命』の引用文献
 注 タゴール講演集『古の道』北ヤ吉訳、プラトン社=現代表記に改めた。
posted by ハジャケン at 10:39| 山梨 ☁| 新・人間革命 29-3 清新 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月18日

清新55

清新 五十五

 時代が変動していくなかで、宗教には、人びとの精神に、平和と幸福を創造する智慧の光を送り続ける使命と責任がある。
 そのために宗教者には、共に最高の真理を探究し続け、教えを自ら比較、検証し、切磋琢磨していく向上への努力が不可欠となる。それを欠いた宗教は、社会から遊離したものになりかねない。
 では、宗教を比較、検証するうえで求められる尺度とは何であろうか。平易に表現すれば、「人間を強くするのか、弱くするのか」「善くするのか、悪くするのか」「賢くするのか、愚かにするのか」に要約されよう。
 また、宗教同士は、人類のためにどれだけ貢献できるかを競い合っていくことだ。つまり、初代会長・牧口常三郎が提唱しているように、「人道的競争」に力を注いでいくのだ。武力などで相手を威服させるのではなく、自他共の幸福のために何をし、世界平和のためにどれだけ有為な人材を送り出したかなどをもって、共感、感服を勝ち取っていくのである。
 さらに、人類の平和、幸福のために必要な場合には、宗教の違いを超えて協力し合い、連帯していくことも大事である。
 山本伸一は、本年、「七つの鐘」が鳴り終わることを思うと、未来へ、未来へと思索は広がり、二十一世紀へ向かって、人類の平和のために学会が、宗教が、進むべき道について考えざるをえなかった。そして、宗教の在り方などをめぐっての、ウィルソン教授との意見交換を大切にしていきたいと思った。
 伸一と教授は、その後、ヨーロッパで、日本で対談を重ね、また書簡をもって意見交換し、一九八四年(昭和五十九年)秋、英語版の対談集『社会と宗教』をイギリスのマクドナルド社から発刊する。翌年には、日本語版を講談社から刊行。それは、多くの言語に翻訳、出版されていった。
 西洋と日本、宗教社会学者と宗教指導者という、立場の異なる両者の対話であったが、人類の未来を展望しての精神の共鳴音は、鮮やかな響きを奏でたのである。
posted by ハジャケン at 10:03| 山梨 ☁| 新・人間革命 29-3 清新 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月17日

清新54

清新 五十四


 人類は、往々にして紛糾する事態の解決策を武力に求めてきた。それが最も手っ取り早く有効な方法と考えられてきたからだ。しかし、武力の行使は、事態をますます泥沼化させ、怨念と憎悪を募らせたにすぎず、なんら問題の解決にはなり得なかった。
 一方、対話による戦争状態の打開や差別の撤廃は、人間の心を感化していく内的な生命変革の作業である。したがって、それは漸進的であり、忍耐、根気強さが求められる。
 ひとたび紛争や戦争が起こり、報復が繰り返され、凄惨な殺戮が恒常化すると、ともすれば、対話によって平和の道を開いていくことに無力さを感じ、あきらめと絶望を覚えてしまいがちである。
 実は、そこに平和への最大の関門がある。
 仏法の眼から見た時、その絶望の深淵に横たわっているのは、人間に宿る仏性を信じ切ることのできない根本的な生命の迷い、すなわち元品の無明にほかならない。世界の恒久平和の実現とは、見方を変えれば、人間の無明との対決である。つまり、究極的には人間を信じられるかどうかにかかっており、「信」か「不信」かの生命の対決といってよい。
 そこに、私たち仏法者の、平和建設への大きな使命があることを知らねばならない。
 山本伸一は、中ソ紛争や東西冷戦の時も、ソ連のコスイギン首相、中国の周恩来総理、アメリカのキッシンジャー国務長官など各国首脳と、平和を願う仏法者として積極的に会談を重ねてきた。
 また、宗教間対話、文明間対話に力を注ぎ、二十一世紀の今日にいたるまでに、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教、ヒンズー教、さらに社会主義国等の、指導者や学識者らと率直に対話し、意見を交換してきた。
 そのなかで強く実感したことは、宗教、イデオロギー、国家、民族は違っても、皆が等しく平和を希求しているという事実であり、同じ人間であるとの座標軸が定まれば、平和という図表を描くことは、決して不可能ではないということだ。
posted by ハジャケン at 10:01| 山梨 ☀| 新・人間革命 29-3 清新 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月16日

清新53

清新 五十三

 人間は――誰もが等しく、尊厳なる、かけがえのない存在である。誰もが等しく、幸福になる権利がある。誰もが等しく、平和に暮らす権利がある。本来、いかなる者も、人の幸福と平和を奪うことなどできない。
 これは、一切衆生が仏の生命を具えていることを説く、仏法の法理から導き出された帰結であるが、人間の救済をめざす一切の思想・宗教の立脚点にほかなるまい。
 戸田城聖が語ったように、キリストやムハンマドなど、世の賢聖たちは、宗教的・思想的信条の違いはあっても、人間の幸福こそ根本目的であるということには瞬時に合意しよう。そして、ここを起点として対話を重ね、複雑に絡み合った偏見、差別、反目、憎悪の歴史の糸をほぐし、共存共栄の平和図を描き上げていくにちがいない。
 人類の幸福と平和のために宗教者に求められることは、教えの違いはあっても、それぞれの出発点となった“救済”の心に対して、互いに敬意を払い、人類のかかえる諸問題への取り組みを開始することであろう。
 ましてや、日蓮仏法が基盤とする法華経は、万人が仏の生命を具えた、尊厳無比なる存在であると説く。ゆえに、いかなる宗教の人をも、尊敬をもって接していくのが、その教えを奉ずる私たちの生き方である。
 この地球上には、思想・宗教、国家、民族等々、さまざまな面で異なる人間同士が住んでいる。その差異にこだわって、人を分断、差別、排斥していく思想、生き方こそが、争いを生み、平和を破壊し、人類を不幸にする元凶であり、まさに魔性の発想といえよう。
 戸田が提唱した、人間は同じ地球民族であるとの「地球民族主義」の主張は、その魔性に抗する、人類結合の思想にほかならない。
 宗教者が返るべきは、あらゆる差異を払った「人間」「生命」という原点であり、この普遍の共通項に立脚した対話こそ、迂遠のようであるが、相互不信から相互理解へ、分断から結合へ、反目から友情へと大きく舵を切る平和創造の力となる。
posted by ハジャケン at 09:58| 山梨 ☔| 新・人間革命 29-3 清新 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月15日

清新52

清新 五十二

 一九七九年(昭和五十四年)当時、世界は東西冷戦の暗雲に覆われていた。そして、その雲の下には、大国の圧力によって封じ込められてはいたが、民族、宗教の対立の火種があった。東西の対立は終わらせねばならない。だが、そのあとに、民族・宗教間の対立が一挙に火を噴き、人類の前途に立ちふさがる、平和への新たな難問となりかねないことを、山本伸一は憂慮していた。
 その解決のためには、民族・宗教・文明間に、国家・政治レベルだけでなく、幾重にも対話の橋を架けることだと、彼は思った。
 戸田城聖が第二代会長であった五六年(同三十一年)、ハンガリーにソ連が軍事介入し、親ソ政権を打ち立てたハンガリー事件が起こった。東西両陣営の緊張を背景にした事件である。この時、戸田は、一日も早く、地上からこうした悲惨事のない世界をつくりたいと念願し、筆を執った。
 「民主主義にもせよ、共産主義にもせよ、相争うために考えられたものではないと吾人は断言する。しかるに、この二つの思想が、地球において、政治に、経済に、相争うものをつくりつつあることは、悲しむべき事実である」(注1)
 人間の幸せのために生まれた思想と思想とが、なぜ争いを生むのか――その矛盾に、戸田は真っ向から切り込んでいった。
 「ここに、釈迦の存在とキリストの存在とマホメット(ムハンマド)の存在とを考えてみるとき、またこれ、相争うべきものではないはずである。もし、これらの聖者が一堂に会するとすれば、またその会見に、マルクスも、あるいはリカードもともに加わったとするならば、いや、カントも天台大師も加わって大会議を開いたとすれば、けっしてこんなまちがった協議をしないであろう」(注2)
 彼は、相争う現実を生んだ要因について、思想・宗教の創始者という「大先輩の意見を正しく受け入れられないために、利己心と嫉妬と、怒りにかられつつ、大衆をまちがわせているのではなかろうか」(注3)と述べる。

 小説『新・人間革命』語句の解説
 ◎キリストなど/キリスト(紀元前四年頃〜紀元後三〇年頃)は、キリスト教の創始者イエスのこと。マホメット(五七〇年頃〜六三二年)は、イスラム教の開祖。アラビア語名をムハンマドという。マルクス(一八一八〜八三年)は、ドイツの経済学者・思想家で科学的社会主義の創始者。「資本論」を著した。リカード(一七七二〜一八二三年)は、イギリスの経済学者。労働価値説などを展開した、古典学派の代表者。カント(一七二四〜一八〇四年)は、ドイツの哲学者。批判哲学を提唱した。天台大師(五三八〜五九七年)は、中国天台宗の実質的な開祖。法華経の理の一念三千を明かした。

 引用文献
 注1、2、3 「仏法で民衆を救済」(『戸田城聖全集3』所収)聖教新聞社
posted by ハジャケン at 14:18| 山梨 ☔| 新・人間革命 29-3 清新 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月13日

清新51

清新 五十一

 第二代会長・戸田城聖は、青年たちへの指針のなかで、「われらは、宗教の浅深・善悪・邪正をどこまでも研究する。文献により、あるいは実態の調査により、日一日も怠ることはない。(中略)その実態を科学的に調査している」(注)と記している。
 この言葉に明らかなように、創価学会もまた、日蓮大聖人の御精神を受け継いで、常に宗教への検証作業を行ってきた。
 そして、調査、研究を重ね、検証を経て、日蓮仏法こそ、全人類を救済し、世界の平和を実現しうる最高の宗教であるとの確信に立ったのである。
 自分が揺るがざる幸福への道を知ったとの確信があるならば、人びとにも教え伝え、共有していくことこそ、人間の道といえよう。
 ゆえに学会は、布教に励むとともに、座談会という対話の場を重視し、他宗派や異なる考え方の人びとと語り合い、意見交換することに努めてきた。それは、納得と共感によって、真実、最高の教えを人びとに伝えようとしてきたからである。
 宗教は、対話の窓を閉ざせば、独善主義、教条主義、権威主義の迷宮に陥ってしまう。
 対話あってこそ、宗教は人間蘇生の光彩を放ちながら、民衆のなかに生き続ける。
 座談会などでの仏法対話によって、共に信心をしてみようと入会を希望する人は多い。また、信心はしなくとも、語らいのなかで学会への誤解等は解消され、日蓮仏法への認識と理解を深めている。
 そして、相手の幸せを願っての真剣な語らいが進むにつれて、私たちの真心が伝わり、人間としての信頼と友情が育まれている。
 日蓮大聖人の仏法は、人間が苦悩を乗り越え、幸せを築き上げるための宗教である。
 大聖人御自身が、「一切衆生の異の苦を受くるは悉く是れ日蓮一人の苦なるべし」(御書七五八ページ)と仰せのように、仏法の目的は、人間の苦悩からの解放にある。
 宗教が人間の救済を掲げるならば、決して人間を手段にしてはならない。

 小説『新・人間革命』の引用文献
 注 「青年よ国士たれ」(『戸田城聖全集1』所収)聖教新聞社
posted by ハジャケン at 10:51| 山梨 ☀| 新・人間革命 29-3 清新 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月12日

清新50

清新 五十

 日蓮大聖人が「立正安国論」を認められた当時の鎌倉は、大地震が頻発し、飢饉が打ち続き、疫病が蔓延していた。
 時代を問わず、人は最悪な事態が続くと、自分のいる環境、社会に絶望し、“もう、何をしてもだめだ”との思いをいだき、“この苦しい現実からなんとか逃れたい”と考えてしまいがちなものだ。
 そして、今いる場所で、努力、工夫を重ねて現状を打破していくのではなく、投げやりになったり、受動的に物事を受けとめるだけになったりしてしまう。その結果、不幸の連鎖を引き起こしていくことになる。
 それは、鎌倉時代における、「西方浄土」を求める現実逃避、「他力本願」という自己努力の放棄などと、軌を一にするとはいえまいか。いわば、念仏思想とは、人間が困難に追い込まれ、苦悩に沈んだ時に陥りがちな、生命傾向の象徴的な類型でもある。
 つまり、人は、念仏的志向を生命の働きとしてもっているからこそ、念仏に同調していくのである。大聖人は、念仏破折をもって、あきらめ、現実逃避、無気力といった、人間の生命に内在し、結果的に人を不幸にしていく“弱さ”の根を絶とうとされたのである。
 大聖人は叫ばれている。
 「法華経を持ち奉る処を当詣道場と云うなり此を去って彼に行くには非ざるなり」(御書七八一ページ)と。
 南無妙法蓮華経と唱え、信心に励むところが、成仏へと至る仏道修行の場所となるのだ。自分の今いるところを去って、どこかにいくのではない。この荒れ狂う現実のなかで、生命力をたぎらせ、幸福を築き上げていく道を教えているのが日蓮大聖人の仏法である。
 ところで、大聖人は、念仏をはじめ、禅、律、真言の教えを厳格に検証し、批判していったが、法華経以外の諸経の意味を認めていなかったわけではない。
 それは、御書の随所で、さまざまな経典を引き、信心の在り方などを示していることからも明らかである。
posted by ハジャケン at 11:19| 山梨 ☁| 新・人間革命 29-3 清新 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月11日

清新 四十九

清新 四十九

 日蓮大聖人は、建長五年(一二五三年)四月二十八日、清澄寺で立宗宣言された折の最初の説法から、既に念仏の教えの誤りを指摘されている。当時、念仏信仰は、民衆の易行として諸宗が認めていたことに加え、専修念仏を説く法然の門下によって弘められ、大流行していたのである。
 易行は、難行に対する語で、易しい修行を意味する。また、専修念仏とは、ただひたすら念仏を称えることによって、死して後に、西方極楽浄土に行けるという教えである。
 世間には飢饉、疫病などが広がり、末法思想に基づく厭世主義が蔓延していた。この世を「穢土」とし、西方十万億土という他土での往生のみに救いがあるという念仏信仰に、人びとの心は傾斜していった。
 しかし、その教えは、人びとを現実から逃避させ、他力のみにすがらせ、無気力にさせる。つまり、幸福に向かって自ら努力することを放棄させ、社会の向上、発展への意欲を奪い取っていった。まさに、人間を弱くする働きをなしたのである。
 しかも、法然は、法華経を含め、念仏以外の一切の教えを「捨閉閣抛」、すなわち「捨てよ、閉じよ、閣け、抛て」と説いていた。文証、理証、現証のいずれをも無視した、この独善的で排他的な主張を、法然門下の弟子たちは盛んに繰り返してきたのである。
 法華経は、皆が等しく仏の生命を具えていることを説き明かした万人成仏の教えである。法華経以外の教えが、生命の部分観にすぎないのに対して、生命を余すところなく説き明かした円教の教えである。
 このころ、法然の弟子である念仏僧は、幕府の権力者に取り入って、念仏は、ますます隆盛を誇りつつあった。それを放置しておけば、正法が踏みにじられ、民衆の苦悩は、ますます深刻化していく。
 ゆえに大聖人は、「立正安国論」を幕府の実権を握っていた北条時頼に提出し、そのなかで、世の混乱と不幸の元凶が念仏にあることを説き、諫めたのである。
posted by ハジャケン at 10:51| 山梨 ☀| 新・人間革命 29-3 清新 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月10日

清新48

清新 四十八

 宗教者が、自ら信奉する教えに対して強い確信をいだくのは当然であり、それなくしては、布教もできないし、その教えを精神の揺るがぬ柱としていくこともできない。
 大切なことは、その主張に確たる裏付けがあり、検証に耐えうるかどうかということである。確かな裏付けのない確信は、盲信であり、独善にすぎない。
 日蓮大聖人は「法華経最第一」とし、その法華経の肝要こそが南無妙法蓮華経であると宣言された。そして、確かな根拠を示さずに法華経を否定する諸宗の誤りを、鋭く指摘していった。それをもって大聖人を、独善的、非寛容、排他的などという批判がある。
 しかし、全く的外れな見方といえる。大聖人は、比叡山など各地で諸宗諸経の修学に励み、文証、理証、現証のうえから、それぞれの教えを客観的に比較研究して精査し、結論されたのだ。つまり精緻な検証を踏まえての確信である。
 また、仏教の真実の教えとは何かについて、広く論議し、語り合うことを、諸宗の僧らに呼びかけ続けてきた。そして「智者に我義やぶられずば用いじとなり」(御書二三二ページ)と、かりに自分以上の智者がより正しく深い教えを示すのであれば、それに従おうと明言されているのだ。
 そこには、宗教こそ人間の生き方、幸・不幸を決する根本の教えであるがゆえに、徹して独善を排して真実を究明し、公にしていかなければならないという、真摯な探究、求道の姿勢がある。同時に、破られることなど絶対にないとの、大確信に基づいた御言葉であることはいうまでもない。
 堅固な宗教的信念をもって、開かれた議論をしていくことと、排他性、非寛容とは全く異なる。理性的な宗教批判は、宗教の教えを検証し、また向上させるうえで、むしろ不可欠な要件といえる。
 一貫して公的な場での法論を主張する大聖人に対して、諸宗の僧らは、それを拒み、幕府の権力者と結託し、迫害、弾圧を加えた。
posted by ハジャケン at 10:49| 山梨 ☀| 新・人間革命 29-3 清新 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月09日

清新47

清新 四十七

 山本伸一は、ウィルソン教授との会談は極めて有意義であったと感じた。多くの意見に賛同することができた。
 特に、教授が、宗教が原理主義、教条主義に陥ってしまうのを憂慮し、警鐘を発していたことに、大きな共感を覚えた。
 人間も、また宗教も、社会、時代と共に生きている。そして、宗教の創始者も、その社会、その時代のなかで教えを説いてきた。
 したがって、教えには、不変の法理とともに、国や地域の文化・習慣等の違い、また時代の変化によって、柔軟な対応が求められる可変的な部分とがある。
 仏法は、「随方毘尼」という考え方に立っている。仏法の本義に違わない限り、各地域の文化、風俗、習慣や、時代の風習に随うべきだというものである。
 それは、社会、時代の違い、変化に対応することの大切さを示すだけでなく、文化などの差異を、むしろ積極的に尊重していくことを教えているといえよう。
 この「随方毘尼」という視座の欠落が、原理主義、教条主義といってよい。自分たちの宗教の教えをはじめ、文化、風俗、習慣などを、ことごとく「絶対善」であるとし、多様性や変化を受け入れようとしない在り方である。それは、結局、自分たちと異なるものを、一方的に「悪」と断じて、差別、排斥していくことになる。
 「人間は宗教的信念(Conscience)をもってするときほど、喜び勇んで、徹底的に、悪を行なうことはない」(注)とは、フランスの哲学・数学・物理学者のパスカルの鋭い洞察である。つまり、宗教は、諸刃の剣となるという認識を忘れてはなるまい。
 本来、宗教は、人間の幸福のために、社会の繁栄のために、世界の平和のためにこそある。宗教の復権とは、宗教がその本来の使命を果たすことであり、それには、宗教の在り方を問い続けていく作業が必要となる。
 自らの不断の改革、向上があってこそ、宗教は社会改革の偉大な力となるからだ。

 小説『新・人間革命』の引用文献
 注 森島恒雄著『魔女狩り』岩波書店
posted by ハジャケン at 10:49| 山梨 ☀| 新・人間革命 29-3 清新 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月08日

清新46

清新 四十六

 文豪トルストイが述べた“人間が宗教なしでは生きられない理由”を、弟子のビリューコフは、次の六つにまとめている。(注)
 「第一に、宗教のみが善悪の決定を与えるからである」
 「第二に、宗教なしでは人間は自分のしていることが善いか悪いかを知ることが決してできないからである」
 「第三に、ただ宗教のみが利己主義をほろぼすからである」
 「第四に、宗教のみが死の恐怖を打ち消すからである」
 「第五に、宗教のみが人間に生の意義を与えるからである」
 「第六に、宗教のみが人間の平等を樹立するからである」
 ――それは、人間の幸福、世界の平和を実現するうえで、宗教の存在が不可欠であることを示すものといえよう。
 ウィルソン教授と山本伸一との会談では、今後、宗教が担うべき使命などについて、意見の交換が行われた。
 そのなかで伸一は、こう要望した。
 「ウィルソン先生にお願いしたいことは、第三者の立場から、客観的に見て創価学会へのご意見があれば、忌憚なく言っていただきたいということです。二十一世紀に向かう人類のための宗教として、学会が健全に発展していくために、私は謙虚に耳を傾けたいと思っております」
 教授は、目を輝かせながら語った。
 「会長の、そうした発言自体が、宗教者として実に進歩的なものであり、極めて大事な姿勢です」
 宗教は、過去に寄りかかり、原理主義、教条主義に陥り、時代を活性化していく活力を失ってしまうのが常であるからだという。
 教授は、「今後とも、会長とは率直に意見交換していくことを希望します」と述べた。
 そして、近い将来、さらに会談を重ね、それを対談集として出版していきたいということで、二人は意見の一致をみたのである。

 小説『新・人間革命』の引用文献
 注 ビリューコフ著『大トルストイI』原久一郎訳、勁草書房
posted by ハジャケン at 09:55| 山梨 ☀| 新・人間革命 29-3 清新 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月06日

清新45

清新 四十五

 ウィルソン教授は、日本滞在中に、国際宗教社会学会東京会議に出席したのをはじめ、創価学会の各地の文化会館や研修道場等も見学した。また、創価大学や創価学園も視察し、創価大学では、「文化と宗教――社会学的見地から見た西洋と東洋の宗教」と題して記念講演も行った。
 そして、この一月二十日、帰国のあいさつのため、渋谷の国際友好会館に山本伸一を訪ねたのである。
 教授は、今回の滞在中に、多くの学会員に接し、創価学会が生きた宗教団体として、真剣に文化、平和に貢献している一端をうかがい知ることができたとの所感を語った。
 伸一は、二十一世紀にあって、宗教は今以上に、社会に必要な存在となっていくかどうかを尋ねた。
 すると教授は、主に欧米における宗教事情を研究している立場から分析すると、社会的にも、個人という面でも、宗教を必要とする人は少なくなっていくのではないかとの見解を述べた。つまり、宗教離れが進んでいくというのである。しかし、憂慮の表情を浮かべて、「本来、宗教は人間にとって必要不可欠なものです」と付け加えた。
 伸一も、人びとの心が宗教から離れつつあることを強く危惧していた。近代インドの思想家ビベーカーナンダが「宗教を人間社会から取り去ったら何が残るか。獣類のすむ森にすぎない」(注)と喝破したように、宗教を失った社会も、人間も、不安の濃霧のなかで、欲望という荒波に翻弄され、漂流を余儀なくされる。そして、人類がたどり着いた先が、科学信仰、コンピューター信仰、核信仰、拝金主義等々であった。
 だが、際限なく肥大化した欲望の産物ともいうべき、それらの“信仰”は、精神の荒廃や空洞化をもたらし、人間不信を助長し、公害や人間疎外を引き起こしていった。
 科学技術も金銭も、それを人間の幸福、平和のために使っていくには、人間自身の変革が不可欠であり、そこに宗教の役割もある。

 小説『新・人間革命』の引用文献
 注 『スワミ・ヴィヴェーカーナンダ その生涯と語録』ヴィヴェーカーナンダ研究会編、アポロン社
posted by ハジャケン at 10:35| 山梨 ☀| 新・人間革命 29-3 清新 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月05日

清新44

清新 四十四

 一月二十日夕刻、山本伸一は、来日中のオックスフォード大学のウィルソン社会学教授と、東京・渋谷の国際友好会館(後の東京国際友好会館)で会談した。
 教授とは、前年十二月二十五日の聖教新聞社での語らいに続いて二度目の会談である。
 最初の会談の折、いかにして人材を育て上げていくかが話題となった。
 教授は、オックスフォード大学ではマスプロ教育を排して、学生への一対一の個人教育・指導を主眼とするチューター制度を導入していることを紹介。それによって、個人差のある学生たちを向上させ、素質を開花させていくように努めていると語った。
 伸一は、学生個々人に光を当てていこうとする精神に共感するとともに、創価学会は草創期以来、伝統的に、一人ひとりの向上に焦点を合わせて、個人指導を一切の活動の機軸としてきたことを述べた。
 また、信仰と組織の関係についても話題にのぼった。信仰が個人の内面の自由に基づいているのに対して、組織は、ともすれば人間を外側から拘束するものになりかねない。
 伸一は、組織のもたらす問題点を考慮したうえで、各人の信仰を深化するための手段として、組織は必要であるとの立場を明らかにし、教授の見解を尋ねた。
 ウィルソン教授は、まさに、それこそが宗教社会学のポイントとなるテーマであり、意見が分かれるところであるとしたうえで、概要、次のように答えた。
 ――多くの教団は、所期の目的を達成してしまうと、内部的な矛盾が露呈してくるものである。その弊害に陥らないためには、常に目的意識の高揚と、誠意と真心で結ばれた人間関係が不可欠になる。
 つまり、組織は人間のためにあるという原点を常に見失うことなく、誠意と真心という人間性の絆が強靱であることが、組織主義の弊害を克服する力になるというのだ。
 この時の語らいは、実に四時間にも及び、二人は、再会を約し合ったのである。
posted by ハジャケン at 10:22| 山梨 ☀| 新・人間革命 29-3 清新 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月04日

清新43

清新 四十三

 一月十九日には、神奈川県の川崎文化会館で、清新の気みなぎる一月度本部幹部会が、晴れやかに行われた。
 席上、「七つの鐘」総仕上げの年の意義を込めて、本部長をはじめ、合唱団、音楽隊などの代表に表彰状が贈られた。
 山本伸一は、この佳節の年を迎えた感慨を胸に、恩師・戸田城聖への思いを語った。
 「私は、日々、戸田先生の指導を思い起こし、心で先生と対話しながら、広宣流布の指揮を執ってまいりました。
 戸田先生が、豊島公会堂で一般講義をされたことは、あまりにも有名であり、皆さんもよくご存じであると思います。
 ある時、『曾谷殿御返事』の講義をしてくださった。『此法門を日蓮申す故に忠言耳に逆う道理なるが故に流罪せられ命にも及びしなり、然どもいまだこりず候』(御書一〇五六ページ)の箇所にいたった時、先生は、『これだよ。“いまだこりず候”だよ』と強調され、こう語られたことがあります。
 『私どもは、もったいなくも日蓮大聖人の仏子である。地涌の菩薩である。なれば、わが創価学会の精神もここにある。不肖私も広宣流布のためには、“いまだこりず候”である。大聖人の御遺命を果たしゆくのだから、大難の連続であることは、当然、覚悟しなければならない! 勇気と忍耐をもつのだ』
 その言葉は、今でも私の胸に、鮮烈に残っております。
 人生には、大なり小なり、苦難はつきものです。ましてや広宣流布の大願に生きるならば、どんな大難が待ち受けているかわかりません。予想だにしない、過酷な試練があって当然です。しかし、私どもは、この“いまだこりず候”の精神で、自ら決めた使命の道を勇敢に邁進してまいりたい。
 もとより私も、その決心でおります。親愛なる同志の皆様方も、どうか、この御金言を生涯の指針として健闘し抜いてください」
 学会は大前進を続けてきた。だからこそ伸一は、大難の襲来を予感していたのだ。
posted by ハジャケン at 10:09| 山梨 ☁| 新・人間革命 29-3 清新 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする