2012年04月07日

薫風 60

薫風 60

佐賀から熊本に向かう五月二十七日も、山本伸一は、朝から激励のため、色紙などに筆
を走らせた。そして、早めに昼食をすますと、佐賀文化会館のロビーに出た。県長の中森
富夫の両親や、県指導部長になった永井福子の母親らと、会うことにしていたのである。
一人のリーダーが、自在に活動していくには、家族の協力、応援が必要である。ゆえに
伸一は、可能な限り、幹部として活躍している人たちの家族と会い、日ごろの協力に、御
礼とねぎらいの言葉をかけるようにしていたのだ。
陰で支えてくださる方々への配慮、気遣いを忘れない人こそ、本当の指導者である。
伸一は、中森の両親に、礼を尽くしてあいさつした。
「息子さんは、佐賀県の歴史に残る人です。ご両親も、それを誇りにして長生きしてく
ださい。ご一家の繁栄を心より祈っております」
また、永井の母親には、こう語った。
「立派な文化会館もでき、すばらしい佐賀県創価学会になりました。娘さんの奮闘の結
果です。ご家族の応援のおかげです。お孫さん、曾孫さんの成長を見届けるため、二十一
世紀まで生き抜いてください」
さらに、佐賀文化会館に集って来た二百人ほどの同志と、共に唱題し、出発間際まで、
何曲もピアノを弾いて激励を重ねた。
薫風が舞い、美しい青空が広がっていた。
午後一時半前、伸一は、「お世話になりました。どこにいても、”栄えの国”である佐賀
県の皆さんに題目を送ります。お元気で!」と言って手を振り、車中の人となった。
伸一が出発して二十分ほどしたころ、佐賀文化会館の電話が鳴った。伸一に同行してい
た幹部の弾んだ声が、受話器から響いた。
「車中、佐賀の県境に架かる諸富橋で、先生が皆さんに句を詠まれました」
  
  五月晴れ
   佐賀の天地に
      功徳満つ  (この章終わり)
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2012年04月06日

薫風 59

薫風 59

山本伸一の散髪をしている緒高武士の傍らには、妻の紗智子が立っていた。
彼女は、次々と、伸一に報告していった。
──以前は病に苦しみ、二度も大手術をしたが、一九五九年(昭和三十四年)に入会し
て以来、次第に健康を回復していったこと。主人は、戦時中、ビルマ(現在のミャンマー)
で負傷し、耳が不自由だが、仕事は順調で、店も広げることができたこと。自分は今、ブ
ロック担当員(現在の白ゆり長)として元気に活動に励んでいること……。
紗智子は、目に涙を浮かべて言った。
「信心して、本当に幸せになれました。学会のおかげです! 先生のおかげです!」
その言葉を聞くと、伸一は目を細めた。
「『学会員になって、幸せになった』という話を聞くのが、私は、いちばん嬉しいんです。
そのために、私は戦っているんです。本当に、みんなに幸せになってもらいたい。私自身
の幸せなど、考えたことはありません」
夫の武士が、感極まった顔で伸一を見た。
”先生は、やはり、そうした思いで、どんなに疲れ果てても、戦ってこられたんだ!”
緒高の店を継ぐことになっている養女の智恵と、その夫の春雄も、同行幹部の整髪をし
ながら、伸一の話を聞いていた。二人は、紗智子から、信心の話を聞かされ、学会を理解
してはいたが、入会には至っていなかった。
伸一は、整髪が終わり、支払いをすますと、緒高夫妻に礼を述べながら、再び武士と固
い握手を交わした。
それから、春雄とも握手し、「あなたも頑張りましょう」と声をかけた。すると、春雄は、
「はい。私も信心します」と決意を披瀝したのだ。智恵も一緒に、笑顔で頷いた。
二人は一カ月後に入会する。また、主の緒高武士は、この日を境に、猛然と信心に励み
始め、やがて、ブロック長として活躍するようになるのである。
薫風に吹かれて、木々の葉が、みずみずしく光り、躍るように、伸一の行くところ、蘇
生と歓喜の人間ドラマが広がった。

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2012年04月05日

薫風 58

薫風 58

懇談会のあと、山本伸一が向かったのは、学会員が営む緒高理容店であった。彼は、店
主の夫人である緒高紗智子との約束を果たそうと、訪れたのである。
──三日前、緒高紗智子は、北九州市に下宿して大学に通う長男と、北九州文化会館の
見学に行った。その時、会館の庭で、会員の激励にあたる伸一と出会ったのである。
彼女が、佐賀で理容店をしていることを告げると、伸一は言った。
「北九州の次は佐賀に行く予定なんです」
彼女は、とっさに、こう言ってしまった。
「その時には、うちで散髪してください」
伸一は、笑みを浮かべて答えた。
「時間が取れたら、お伺いします」
妻の紗智子から、その話を聞いた、夫の武士は、”俺は、学会員として大した活躍もし
ないでいる。そんな俺の店に、本当に山本先生は来られるのか……”と半信半疑であった。
それだけに、伸一が姿を現し、「こんばんは! ご主人ですか」と、握手を求めて手を差
し出すと、武士は、現実とは思えず、頭の中が真っ白になった。思わず両手を合わせ、合
掌のポーズをとってしまった。
すると、伸一も微笑んで合掌し、それから再び握手を求めた。
散髪が始まった。武士が、チョキチョキと軽快なリズムで、髪を整えていった。彼は、
腕には自信があった。髪の毛を触ると、その人の体調も、ほぼ察しがついた。
伸一の髪を整えながら、武士は思った。
”髪の毛にコシがない! 長年にわたって、心身を酷使し抜いてきた疲れが、たまって
いるにちがいない”
伸一は、広宣流布という未聞の道を切り開くには、会長である自分が、捨て身になって
戦わなければならないと心に決め、動きに動き、語りに語り、書きに書き、祈りに祈って
きた。会長就任から十七年、毎日、毎日が、死身弘法の敢闘であった。
それがあってこそ、末法広宣流布という茨の道を、開き続けることができたのである。


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2012年04月04日

薫風 57

薫風 57
山本伸一は、この県幹部との懇談会でも、盛んに青年との対話に努めた。
彼は、テーブルの隅に座っていた、県男子部長の飯坂貞吉に声をかけた。そして、飯坂から、若くして両親を亡くしていることや、経済的な事情から大学進学を断念せざるを得なかったことなどを聞くと、伸一は言った。
「君は努力で勝利した人だね。学会は、実力主義であり、信心の世界ですから、学歴は関係ありません。しかし、学力は必要です。忙しくとも読書に励み、あらゆることを勉強し抜いていくんです。
社会の一流の人たちが、学会のリーダーはさすがだ≠ニ感服するぐらい、教養をつけて、智慧を発揮していかなければならない。
大学に行けず、苦労して、努力で成功を収めてきた人は立派です。しかし、高学歴者を否定的に見たり、自分を過信して傲慢になったり、虚勢を張ったりしてしまいがちな面もある。そうなると、人間としての成長が止まり、場合によっては、道を踏み外してしまうこともある。初心を忘れず、自分をわきまえ、謙虚に、生涯、『求道』『向上』の息吹を燃やし続けていくことです」
シェークスピアは、「慢心は人間の最大の敵なのだ」(注=2面)との警句を発している。
また、飯坂の隣にいた県青年部長で副県長の武原成次には、こう語った。
「県長を、本当に支えていこうと思うならば、自分が県長の自覚で、一切の責任、苦労を担っていくんです。それができてこそ、本当の指導者に育つ。私は、青年部の室長の時も、総務の時も、そうしてきました。だから、三十二歳の若さで会長になっても、悠々と全学会の指揮を執ることができたんです。
今こそ、自分の真価が問われていると思って、陰の力に徹して、黙々と働くんです」
陰の労苦が、人間を鍛え、力を培う。
伸一は、皆に大成してほしかった。光り輝く、宝石のような人材に育ってほしかった。最高の人生を生き抜いてほしかった。それゆえに、歯に衣着せぬ指導をしたのである。
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2012年04月03日

薫風 56

薫風 56

 五月二十六日の午後五時過ぎからは、佐賀県創価学会の広布功労者追善法要が、山本伸
一の導師で、厳粛に営まれた。
 引き続き彼は、県幹部ら十人ほどとの懇談会に出席した。佐賀市内の学会員が経営する
食事処で、夕食を共にしながらの語らいであった。
 伸一は、メガネをかけた婦人に笑みを向けた。県婦人部長になった酒田一枝である。
 「新しい婦人部長が誕生し、佐賀の未来が楽しみです。新しい時代を開いてください。
 まだ戸惑いもあるでしょうが、学会の人事は、すべて広宣流布のためです。
 人事を進める側としては、個人の事情を考慮し、あらゆる角度から、慎重に検討してい
かなければなりません。でも、人事を受ける側の心構えとしては、仏意仏勅であるととら
えて、なんでも引き受けていこうという姿勢が大事なんです。
 戸田先生は、学会の会長がいかに重責であるかを痛感しておられた。それゆえに、会長
に就任することを逡巡され続けた。先生は、ご自身の事業が、行き詰まった時、?立つべ
き時に立たなかったからだ?と猛反省されているんです。覚悟を決めて、広宣流布に走る
んです。大変であっても、そこに、宿命の転換と真実の幸福の大道があるんです」
 そして、婦人部の県指導部長になった永井福子に言った。
 「永井さんも、よく頑張ってくれた。しかし、本当に大事なのはこれからなんです。
 後任の幹部が、存分に力を発揮していけるかどうかは、前任者の責任です。どれだけ、
後任の人を守り、応援できるかです。
 そして、佐賀県創価学会が大前進できたら、皆に、『酒田婦人部長が立派だからです』と
言って、讃え抜いていくんです。
 あなたに、その度量があれば、佐賀は大発展します。誰も見ていなくとも御本尊は、す
べてご存じです。私も、じっと見ています。
 陰の力として頑張り抜き、勝利した功徳、福運は無量無辺です。それが仏法です」



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2012年04月02日

薫風 55

薫風 55

山本伸一は、徳永明と妻の竹代に、力を込めて訴えた。
「大聖人は、『南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる病さは(障)りをなすべきや』(御書一一二四n)と断言されている。
何があっても、悠々と題目を唱え抜き、信心の炎を燃やし続けていくならば、どんな病にも、負けることは絶対にない。必ず幸せになれるんです! 師子吼のごとく、仏法、学会の正義を叫び、戦い抜いてください」
彼らは、目を輝かせて、生涯、広宣流布に生き抜くことを誓ったのである。
徳永夫妻が寄贈した師子の像は、「佐賀師子」と呼ばれて皆から親しまれ、後年、佐賀県創価学会の重宝となるのである。
  
伸一は、佐賀文化会館の庭で、会う人ごとに言葉をかけ、激励を続けた。
車イスに乗った女子部員を見ると、近づいていって、「よく来たね。広宣流布の法城に駆けつけようという心が立派です。苦労したんだね」と声をかけた。車イスを押していた母親には、「唱題し抜いていくならば、何があっても大丈夫ですよ」と訴えた。
伸一は、庭のベンチの前に来ると、昨日、懇談した創価大学の学生部員らに語りかけ、一緒に記念撮影した。さらに、近くにいた数人の男子高等部員とも、カメラに納まった。
もし、伸一の生涯を貫くものを一言で表現するなら、「広宣流布」であることは言うまでもない。さらに、彼を貫く行動を一言するなら、「励まし」にほかなるまい。
出会った一人ひとりに、全精魂を注ぎ、満腔の期待と祈りを込めて激励し、生命を覚醒させていく――地味と言えば、これほど地味で目立たぬ作業はない。しかし、広宣流布は、一人ひとりへの励ましによる、生命の開拓作業から始まるのだ。
だから、伸一は、必死であった。華やかな檜舞台に立つことなど、彼の眼中にはなかった。ただ、眼前の一人に、すべてを注ぎ尽くし、発心の光を送ろうと懸命であった。
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2012年03月31日

薫風 54

薫風 54

 徳永明は、二十六日、佐賀文化会館の開館記念勤行会終了後に行われる、記念植樹の役
員に就いた。彼は、文化会館の庭にある楠の前で、植樹用のシャベルを手に立っていた。
 そこに山本伸一が姿を現した。
 「どうもご苦労様! さあ、植樹をしよう」
 徳永は、?先生と奥様のおかげで、私たちは、人生の試練を乗り越えることができまし
た!?と語りかけたい気持ちを必死で抑えながら、伸一にシャベルを差し出した。
 文化会館の玄関の前には、勤行会に参加した、徳永の妻の竹代と、小学校一年の長女、
五歳の長男が立ち、楠の方を見ていた。
 伸一がシャベルを持って、木に土をかけようとした時、徳永の長男が、ちょこちょこと、
伸一に歩み寄って行った。そして、下から覗き込むようにして言った。
 「せんせー、何ばしよっとね?」
 徳永は、慌てて長男を抱き寄せた。全身から冷や汗が噴き出るのを感じた。
 植樹を終えた伸一は、長男にニッコリと笑いかけた。徳永は、「すみません、すみません」
と繰り返しながら、長男を玄関の前にいる妻のところに連れていった。
 伸一も、玄関に向かった。期せずして徳永一家が、彼を迎えるかたちになってしまった。
伸一を案内していた県長の中森富夫が、「師子の像を寄贈してくださった徳永さんです」と
徳永一家を紹介した。
 「知っています。奥さんも元気になってよかった。勝ったね。あなたたちは勝ったんだ
よ」
 徳永は、伸一に、子どもの非礼のお詫びと、自分たち夫婦への激励の御礼を言おうと思
ったが、胸に熱いものが込み上げ、声にならなかった。妻の竹代も、「ありがとうございま
した」とだけ言うのが精いっぱいで、言葉は、涙に変わってしまった。
 伸一は、子どもたちの手を握り、微笑みながら夫妻に語った。
 「苦労が、全部、生きてくるのが信心なんです。苦しみ抜いた分だけ、幸せになれる。
信心ある限り、希望の火は消えません」
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2012年03月30日

薫風 53

薫風 53

山本伸一の佐賀県訪問の三日前、外出から戻ってきた徳永竹代は、息を弾ませながら、夫の明に告げた。
「よかもん、あったよ! 贈答品販売店の店頭に、師子の像があったよ!」
翌日、徳永明は、その店を訪ね、店員に、師子の像を購入したいと語った。
店員の答えは、「あれは売り物ではございません」と、にべもなかった。必死に頼み込んだが、「ご冗談を」と言って、取り合おうとはしない。それを見ていた社長が、徳永を奥に招き入れて言った。
あれは、店のシンボルとして置いているので、お売りできませんが、三カ月あれば、同じ像を、名古屋の工場で作らせますよ」
「そがん待たれんとです。五月の二十四日には搬入したかとです」
社長は、なぜ、それほど、この像がほしいのか、理由を尋ねた。
徳永は、創価学会の佐賀文化会館が落成したので、そこに寄贈し、尊敬する師匠である、会長の山本先生を迎えたいと語った。
社長は、「そうですか。山本会長は立派な方と聞いています」と言って頷いた。
そして、「最近、ある方から、これと同じ像の注文があって、それは、既に出来上がって倉庫にあります。早急に必要なら、その注文主の方と話し合って、先方が了承すれば、それを回せます」と言ってくれたのだ。
社長は、その場で先方に電話し、徳永に代わった。徳永は事情を話し、「ぜひ、師子の像を譲ってください」と懸命に頼んだ。
「わかりました。そういう事情でしたら、喜んでお譲りします」と快諾を得た。
徳永は“万歳!”と叫んで、小躍りしたい気持ちであった。
師子の像は、二十四日に、無事に佐賀文化会館に搬入され、ロビーに置かれた。
一人立つ、威風堂々とした師子からは、正義の咆哮が轟くようであった。それは、徳永の「師子」の誓い、すなわち「師匠」と「弟子」の、生涯共戦を誓う証であった。

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2012年03月29日

薫風 52

薫風 52

輸送班のメンバーが九州総合研修所から帰って行ったあと、山本伸一と峯子は、勤行の折に、徳永明の妻・竹代の平癒を祈った。
日蓮大聖人は、「病によりて道心はをこり候なり」(御書一四八〇ページ)と仰せである。“さらに、強盛な信心を奮い起こし、見事に病を乗り越えてほしい”と真剣に祈念した。
それから伸一は、宝前に供えた果物を、徳永竹代に届けてほしいと、研修所にいた佐賀県男子部長の飯坂貞吉に頼んだ。峯子も「回復をお祈りしております」と伝言を託した。
飯坂は、翌日の早朝、徳永の家を訪れた。
彼は、果物を手渡し、峯子の言葉を伝え、なぜ、早朝の訪問になったかを語った。
「当初、私は、今朝、研修所を出発しようと思っていました。ところが、昨夜、先生は、私をご覧になると、『今日、戻るんじゃなかったのか。早く佐賀に帰る人を探して頼んだんだよ』と言われたんです。それならば急ごうと思い、昨夜遅く、研修所を発ち、徳永さんが仕事にかかる前にお渡ししようと、こんな時間におじゃましてしまいました」
徳永夫妻は、“先生は、佐賀の一会員のことを、ここまで気遣ってくれているのか”と思うと、涙があふれて止まらなかった。
竹代は、暗夜のような苦悩に沈んだ心に、温かい慈愛の太陽が差し込んだ思いがした。
励ましは、勇気の火をともす。励ましは、希望の種子を芽吹かせる。
この日を境に、彼女の病状は、少しずつ快方に向かっていった。何日かした時、徳永は、寝息をたてて熟睡する妻の姿を見た。跳び上がらんばかりの喜びを覚えた。
伸一の佐賀訪問が伝えられた時には、竹代は健康を回復していた。二人は語り合った。
「竹代は、先生、奥様の激励で良うなった。佐賀文化会館も完成し、先生も訪問される。感謝と御礼の思いで、会館に何か寄贈したいな」
「そがんね。なんがよかろうかね」
「先生は、師子王じゃけんのう。師子王を迎えるにふさわしいもんがよかばい」
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2012年03月28日

薫風 51

薫風 51

 山本伸一の質問に男子部の幹部が答えた。
 「テントに残り続けていたのは、佐賀県の輸送班です!」
 「そうか。意気盛んだな。しかし、少しでも危険な状況になったら、無理をしないで、
すぐに避難することも大事だよ。研修、訓練といっても、絶対無事故が鉄則です。
 佐賀県の輸送班が元気なことはよくわかったが、みんなのご家族は、お元気なのかな。
もし、ご家族で病気の方がいらしたら、名前を書いて出すように伝えてください」
 伸一の思考は、眼前の一人ひとりから、家族にまで広がっていくのが常であった。
 徳永明は、この野外研修に、佐賀県輸送班の副責任者として参加していた。
 彼の妻の竹代は、二カ月ほど前から、不眠に苦しみ、食欲もなく、日ごとに痩せ細って
いった。医師からは、重い自律神経失調症であると診断された。
 徳永は、眠ることもできない妻の苦しみを思うと、身を切られるように辛かった。妻の
ために、深夜の唱題も重ねていた。
 彼は、かつて精肉店に勤めていたが、四年前に独立して、店をもつことができた。子ど
ものミルク代にも事欠くような状態のなかから、開店にこぎ着けたのだ。自分の努力もさ
ることながら、信心による功徳、福運であると、心の底から感じていた。しかし、今度は
最愛の妻が、病に苦しむようになったのだ。
 その渦中で、輸送班の野外研修に参加したのである。彼は、自分の名前と、妻の病名、
病状をメモに書いて、伸一に提出した。
 それを目にした伸一は、手元にあった書籍に、「益々の大福運の人生であれと祈りつつ 
徳永明兄」と揮毫して贈った。
 伸一は、徳永に、”仏法に巡り合ったこと自体が大福運の人生であり、絶対に負けるこ
となどない”との確信をもって、堂々と、人生の障壁を乗り越えてほしいと祈りながら、
こう書き贈ったのである。
 徳永は、この書籍を抱き締め、感激と決意の涙に目を潤ませた。
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2012年03月27日

薫風 50

薫風 50

 佐賀文化会館の開館記念勤行会のあと、山本伸一は庭に出た。開館を記念して楠の記念
植樹などを行うためである。皆が真心を込めて作った、満開の造花の桜が微笑んでいた。
 伸一は、外にいた人たちに声をかけながら庭を一巡し、師子の像の前で足を止めた。
 「本当にすばらしい像だね。佐賀県の青年の心意気が感じられるね」
 横一メートル八十センチ、高さ九十センチほどの、咆哮する百獣の王・師子のブロンズ
像である。前日、ロビーに置かれていたのを伸一が見て、広々とした庭に出してはどうか
と伝えたのだ。
 伸一は、楠の植樹に向かった。
 楠の前には、精悍な顔立ちの、役員の青年が立っていた。徳永明である。彼は師子の像
の寄贈者で、佐賀市内で精肉店を営む男子部員であった。
 ──前年の夏、徳永は、九州の輸送班(現在の創価班)の総会と野外研修に参加するた
め、鹿児島県の九州総合研修所にいた。
 研修の一環として、研修所内につくったテントで、全員が宿泊することになっていた。
ところが、その日の午後、激しい雨に見舞われたのである。研修棟などに避難できる態勢
がつくられていたが、佐賀県の輸送班は、テントで頑張り続けた。
 「自分たちが豪雨にさらされても、会員の方々を守るのが輸送班だ。その精神を学び、
訓練を受けるための研修なんだから、ぼくらは、最後までテントにいようじゃないか」
 彼らは、ずぶ濡れになり、学会歌を歌いながら、テントにとどまっていたのである。
 この夜、伸一はテント村を回った。既に雨はあがっていたが、メンバーはどうしている
か、心配でならなかったのである。
 皆の安全のために、自ら行動し、常に心を砕いていくのが指導者である。その実践があ
ってこそ、人びとは信頼を寄せるのだ。
 伸一は、男子部の幹部から、雨のなか、テントで頑張り通した輸送班がいることを聞く
と、どこの県のメンバーかを尋ねた。
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2012年03月26日

薫風 49

薫風 49

 温厚で生真面目な性格である県長の中森富夫を中心に、佐賀県創価学会は、和気あいあ
いと、広宣流布の堅実な前進を続けてきた。
 山本伸一は、佐賀県がさらに大飛躍を遂げていくためには、若い人材を登用し、新しい
原動力としていく必要があると考えていた。彼のその意見をもとに、本部人事委員会等で
検討され、この一九七七年(昭和五十二年)一月に、県の青年部長である武原成次が、兼
任のまま副県長に任命されたのである。
 記念勤行会のスピーチで伸一は、県長の中森と副県長の武原の人柄を紹介した。
 「中森県長は五十歳で、東大出身のいわゆるエリートであり、温厚な知性派です。それ
に対して、武原副県長は三十五歳で、活力にあふれた行動派であります。いわば、?静?
と?動?の絶妙なコンビです。
 完璧な人というのはいません。皆、それぞれ、短所をもっています。しかし、団結があ
るならば、互いに補い合い、一個の組織体として十全の力を発揮していくことができる。
ところが、互いに足を引っ張り合っているならば、補い合うどころか、傷口を広げ合って
いくようなものです。
 しかし、佐賀県は団結しています。県としては小さくとも、団結があるということは、
最高の財産をもっていることになります。
 今度、新たに、酒田県婦人部長が誕生しましたが、壮年と婦人も、良いコンビを組み、
最高の佐賀県を築き上げてください」
 創価学会は、仏意仏勅の組織であり、人類の幸福と平和を実現する「創価学会仏」とも
いうべき存在である。その学会にあって、団結できずに、反目し、非難し合うことは、組
織という一つの統合体を引き裂く行為に等しい。それは、「破和合僧」であり、恐るべき仏
法上の重罪となるのである。
 伸一は、さらに、何事にも「根本」があり、宇宙の根本、生命の根本は御本尊であるこ
とを語った。そして、その御本尊への信心のなかに、崩れざる幸福の大道があることを力
説したのである。
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2012年03月24日

薫風 48

薫風 48

 県長の中森富夫は、しばらく困惑した顔でいたが、意を決したように言った。
 「では、山本先生をお迎えした喜びを託して、『春が来た』(注=2面)を歌います。
  <歌印>春が来た 春が来た どこに来た……」
 中森は、直立不動で熱唱し始めた。
 歌い方にも、生真面目さ、一途さがあふれていた。彼が、一節、一節、歌い進むにつれ
て、自然に皆が唱和し始め、全員の喜びの大合唱になっていた。
  
  <歌印>花がさく 花がさく どこにさく
  山にさく 里にさく 野にもさく
  
 伸一は、身を乗り出して拍手を送った。
 「県長の歌に合わせて、自然にみんなが合唱する──佐賀県の団結の姿を見た思いがし
ました。佐賀は、常に、このように、仲良く心を合わせて、前進していってください」
 次いで、九州担当の副会長から、本部人事委員会等で検討され、決定をみた佐賀県の人
事が発表された。これまで県の婦人部長を務めてきた永井福子が県指導部長になり、酒田
一枝が、県婦人部長に就いた。三十代半ばの新しい婦人リーダーの誕生であった。
 酒田一枝は、酒田英吉の妻であり、佐賀県創価学会の草創期から、養父の信心への理解
が得られないなか、女子部員として健気に活動に励んできた。
 彼女には、心の支えとしてきた?宝?があった。一九六一年(昭和三十六年)の六月、
会員二百万世帯達成を記念して、伸一から贈られた色紙である。そこには、戸田城聖が詠
んだ、「妙法の 大和なでしこ 光あり あずまの国に 幸ぞあたえん」との歌とともに、
彼女の名前が、毛筆で記されていた。
 彼女は、この色紙を抱きかかえる思いで、佐賀県の広宣流布のために駆け回ってきた。
 伸一の励ましによって、一人ひとりの心が彼と結ばれ、創価学会という連帯の絆が創り
出されていったのである。さらに、その励ましこそが、皆の勇気の源泉となってきたのだ。


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2012年03月23日

薫風 47

薫風 47

佐賀文化会館の懇談会で、山本伸一は、皆に言った。
「みんな、本当によく頑張ってくれたね。
さあ、また、新しい旅立ちだ。一緒に、広宣流布の歴史を創っていこうよ。
二十年後に、佐賀県創価学会が大勝利しているならば、今日、ここに集まったことが、二十年後の語りぐさになる。広宣流布の思い出とは、苦労と前進と勝利の幾山河のなかに、輝いていくものなんだよ」
翌二十六日、伸一は、早朝から、同志の激励のために、色紙などに句や歌を、次々と揮毫していった。午後一時過ぎ、彼は、佐賀文化会館の開館記念勤行会に出席した。
午前中の雨もあがり、空は希望の光に包まれ、吹き渡る風がさわやかであった。
勤行のあと、県長の中森富夫があいさつに立った。彼は、十年ぶりに山本会長を佐賀県に迎えることができた喜びを語り始めた。
伸一の前で話すことに、中森は、激しく緊張していた。そのためか、声は上ずり、話し方もぎごちなかった。彼のその緊張が、参加者にも伝わり、皆の表情も硬かった。
佐賀県の新出発となる勤行会である。伸一は、明るく、晴れやかなものにするために、皆の余計な緊張を吹き飛ばしたかった。
中森が、「山本先生は、昨日来、私たち佐賀の同志に対して、全力で激励してくださり……」と語った時、伸一は口を挟んだ。
「私のことは、いいんですよ。今日は、もっと楽しくやりましょう。ここは文化会館ですから、文化的に、県長が、さわやかに歌でも歌ったらどうですか。
そうすれば、皆さんも、“あの県長も、変わったな。固いだけだと思っていたけど、人間革命できたんだ。信心はすごいな”って、感心するじゃないですか」
笑いが起こった。
リーダーは、人心の機微を知り、重い空気に包まれているような場合には、それを一新する機転を働かせていくことが大切である。
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2012年03月22日

薫風 46

薫風 46

山本伸一は、遠路、自分を訪ねて来た酒田英吉に、“信心に励むうえで、最も大切なものは何か”を語っておこうと思った。
「酒田君。信心の極意は、『師弟不二』にあるんだよ。戸田先生は、不世出の、希有の大指導者だ。先生の一念は、広宣流布に貫かれている。その先生を人生の師と定め、先生の仰せ通りに、先生と共に、また、先生に代わって広宣流布の戦いを起こしていくんだ。
その時に、自分の大いなる力を発揮することができるし、自身の人間革命もある。さらに、幸福境涯を築くことができる。
事実、私はそうしてきた。それで、今日の私がある。『立正安国論』に『蒼蠅驥尾に附して万里を渡り』(御書二六ページ)という一節があるだろう。一匹のハエでも、名馬の尾についていれば、万里を走ることができる。
同じように、広宣流布の大師匠につききっていけば、自分では想像もしなかったような、すばらしい境涯になれる。君も、自ら戸田先生の弟子であると決めて、師弟の道を、まっしぐらに突き進んでいくんだよ」
「はい!」
やがて、月見うどんが届いた。
伸一は、二人分の代金を払うと、「わざわざ来てくれたんだから、ご馳走するよ」と言って笑いを浮かべた。
その夜も、酒田は、床に入っても、なかなか寝付けなかった。伸一の真心を思うと、ありがたく、嬉しく、感謝と歓喜が、胸中を駆け巡るのだ。彼は、決意した。
“山本室長がおっしゃるように、自分も、生涯、師弟の大道を進もう!”
師匠が大地ならば、弟子は草木といえよう。草木は、大地に深く根を下ろし、一体となってこそ、その養分を吸い上げ、大きく育つことができるのである。
――以来、二十年余が過ぎていた。しかし、酒田は、今、佐賀文化会館で伸一を目の当たりにすると、すべてが昨日のことのように思い起こされ、月見うどんの味さえ蘇ってくるのだ。
posted by ハジャケン at 10:52| 山梨 ☀| 新・人間革命 薫風 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月21日

薫風 45

薫風 45

山本伸一は、さらに力を込めて、目の不自由な婦人に訴えていった。
「あなたは、自分も幸せになり、人びとも幸せにしていく使命をもって生まれた地涌の菩薩なんです。仏なんです。一切の苦悩は、それを乗り越えて、仏法の真実を証明していくために、あえて背負ってきたものなんです。仏が、地涌の菩薩が、不幸のまま、人生が終わるわけがないではありませんか!
何があっても、負けてはいけません。勝つんですよ。勝って、幸せになるんですよ」
誰もが、伸一のほとばしる慈愛を感じた。
婦人の目には、涙があふれ、悲愴だった顔が明るく輝いていた。
酒田英吉は、指導、激励の魂≠見た思いがした。指導というのは、慈悲なんだ。同苦する心なんだ。確信なんだ。その生命が相手の心を揺り動かし、勇気を呼び覚ましていくんだ!
座談会が終わり、皆が帰り始めると、伸一の方から、酒田英吉に声をかけた。
酒田は、東京で帰りの交通費をもらった御礼を言いたくて、仕事で来ていた玖珂町から、バイクで駆けつけてきたことを語った。
伸一は、笑みを浮かべて、彼を見た。
「元気で頑張っているんだね。今日は、遅いから、ここに泊まって、明日の朝、帰るようにしてはどうかね。ところで、お腹は空いていないかい。ぼくは、夕食が、まだなんだ。一緒に、月見うどんを食べようよ」
酒田は、嬉しそうに、「はい」と答えた。
伸一は、「でも、今日は、割り勘だよ」と言うと、自ら、うどんを手配した。
伸一は、佐賀県のことを深く知ろうと、県民性について尋ねた。酒田は、答えた。
「佐賀県人の気質を示す、『ふうけもん』という言葉があります。頑固すぎて融通がきかないという意味です。でも、働き者で几帳面であると言われています」
「そうか。すばらしいじゃないか。それは強い信念と真面目な行動ということだ。広宣流布のためには、最も大事な資質だよ」
posted by ハジャケン at 10:04| 山梨 ☁| 新・人間革命 薫風 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月20日

薫風 44

薫風 44

一九五六年(昭和三十一年)十月から、山本伸一は、山口開拓指導を開始した。
当時、酒田英吉は、山口県の玖珂町(現在の岩国市内)に泊まり込んで、看板製作の仕事をしていた。
十一月のある日、知り合いになった近所の学会員から、「山本室長が、今晩、徳山に行かれる」との話を聞いた。
“ぜひ、お会いしたい!”
酒田は、仕事が終わると、居ても立ってもいられず、バイクを駆った。伸一が宿舎にしている徳山の旅館までは、四十キロほどの道のりであった。彼が旅館に到着すると、座談会が行われていた。伸一は、酒田に優しい眼差しを向けて、頷いた。酒田は、じゃまにならないように、会場の端に座った。
幾つかの信仰体験が語られたあと、目の不自由な一人の婦人が手をあげて質問した。
――子どもの時に失明し、入会して信心に励むようになって一カ月ぐらいしたころ、少し視力が回復した。しかし、このごろになって、また、元に戻ってしまった。果たして、目は治るのかという質問である。
“室長は、なんと答えるのか……”
酒田は、固唾をのんで見ていた。
伸一は、その婦人の近くに歩み寄って、婦人の顔をじっと見つめた。そして、彼女の苦悩が自分の苦悩であるかのように、愁いを含んだ声で言った。
「辛いでしょう。本当に苦しいでしょう」
彼は、婦人の手を取って、部屋に安置してあった御本尊の前に進んだ。
「一緒に、お題目を三唱しましょう」
伸一の唱題の声が響いた。全生命力を絞り出すような、力強い、気迫のこもった、朗々たる声であった。婦人も唱和した。
それから、伸一は、諄々と語っていった。
「どこまでも御本尊を信じ抜いて、祈りきっていくことです。心が揺れ、不信をいだきながらの信心では、願いも叶わないし、宿命の転換もできません。御本尊の力は絶対です。万人が幸福になるための仏法なんです!」
posted by ハジャケン at 10:19| 山梨 ☀| 新・人間革命 薫風 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月19日

薫風 43

薫風 43

酒田英吉は、山本伸一の指導を胸に刻み、佐賀県の広宣流布に勇み、走った。
一九五五年(昭和三十年)の秋、彼は男子部の班長の任命を受けるため、東京・豊島公会堂での男子部幹部会に出席した。あとの生活のことなど、何も考えず、苦労して旅費を工面して、躍る心で東京に来たのだ。
幹部会終了後、彼は、思いがけず伸一に会うことができた。酒田は、組織の近況を報告した。伸一は、彼の話を頷きながら聞いていたが、最後に、こう尋ねた。
「旅費は、大丈夫だったのかい。帰ってからの生活費はあるのかい」
酒田は、口ごもって、頭をかいた。
伸一は、無謀ともいうべき酒田の行動に苦笑しつつも、彼の、その一途さを大切にしたかった。
「片道の燃料だけで出撃する、特攻隊みたいじゃないか。しょうがないな。
よし、帰りの汽車賃は、ぼくがなんとかしてあげよう」
伸一も、決して余裕のある暮らしをしているわけではない。しかし、求道心に燃えて、わざわざ九州から来た青年を、なんとしても応援したかったのである。放っておけなくなってしまうのが、彼の性分であった。
その夜、酒田は、感動に胸が高鳴り、なかなか寝付けなかった。
山本室長は、こんな自分のことを心配し、身銭を切って、旅費を負担してくださった。本当に申し訳ない……。自分に大きな期待をかけてくださっているんだ。頑張ろう。頑張り抜いて、室長の期待にお応えしよう
伸一の慈愛に、熱い涙があふれた。
酒田は、片道の旅費を出してくれた伸一の行為の奥にある、後輩を思う真心に感動を覚えたのだ。彼は、奮い立った。そして、強く心に誓った。
自分も、後輩たちを、深い真心で包める、山本室長のようなリーダーに育とう
人に発心を促すのは、権威ではない。心に染み入る、誠実の振る舞いなのだ。
posted by ハジャケン at 10:20| 山梨 ☁| 新・人間革命 薫風 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月17日

薫風 42

薫風 42

懇談会で山本伸一は、壮年たちに視線を向けながら語った。
「みんなのあとには、若い力が育っているから安心だね。青年だよ。青年を励ますこと
に、全力を注ごうよ」
すると、脊振本部の壮年の本部長をしている酒田英吉が、伸一に言った。
「本当に青年の激励が大事だと痛感いたします。実は、私自身、青年時代から、先生に、
何度も激励していただき、信心を貫くことができました。二十年前の山口開拓指導の折に
は、徳山の旅館で、種々、ご指導いただき、月見うどんまでご馳走になりました。ありが
とうございました!」
「よく覚えています。二十年前は、もっと額が狭かったのに、広くなりましたね」
笑いが渦巻いた。
酒田英吉は、一九五四年(昭和二十九年)の九月、二十四歳で入会した。
履物の卸店で、一日中、汗まみれになって働いても、給料は安く、未来には、なんの希
望も見いだせなかった。
”俺は、このまま、何もできずに、年を重ねていくのか”と思うと、居ても立ってもい
られない気持ちがした。しかし、入会し、学会活動に参加すると、自分にも成すべき大事
なことがあるように思え、次第に元気が出始めた。
翌五五年(同三十年)五月、静岡にいる戸田城聖のもとに、男子部一万人が集った、豪
雨のなかでの集会に参加した。
その席上、青年部の室長の伸一は、「私たちは、戸田先生の弟子であり、弟子には、弟子
の道がある」と力説。日本、世界の民衆を救うため、広宣流布の闘士となって、永遠の勝
利を打ち立てていこうと叫んだ。
 酒田は、伸一の気迫に圧倒された。未来に希望が見えず、ひっそりと埋もれていくよう
に思っていた、自分のいじけたような人生観が砕け散り、使命に目覚めた瞬間であった。
 青年を覚醒させるものは、青年の気迫と情熱である。炎のごとき、魂の叫びである。
posted by ハジャケン at 10:25| 山梨 | 新・人間革命 薫風 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月16日

薫風 41

薫風 41

寺津克彦は、創価大学卒業後は、故郷の佐賀県に帰って、地域の繁栄のために生きたいと決意し、市役所の採用試験を受け、合格を勝ち取った。
一方、杉瀬茂は、東京の企業への就職が内定した。しかし、寺津と話すなかで、自分も郷里の佐賀県のために力になりたいとの思いが、日ごとに強くなっていった。
”ぼくも佐賀県で仕事を探そう。自分を育ててくれた人たちに恩返しをしたい”
結局、杉瀬も、卒業後、郷里に戻り、小学校の事務職員となったのである。
――「偉大なる心は常に感恩の情に満つ」(注=2面)とは、教育者で農政学者の新渡戸稲造の言葉である。
山本伸一は、懇談会の席で、創価大学の卒業生と現役創大生のメンバーに語った。
「私は、創立者として、父の思いで、諸君の未来を、じっと見守っていきます。
創価大学は、誕生して間もない、新しい大学です。卒業生も、ようやく三期生まで送り出したにすぎない。大学の社会的な評価も、まだ、定まっていません。大学の存在さえ知らない人も、たくさんいます。
だからこそ諸君が、創立者の自覚で、パイオニアとなって、道を開いてほしいんです。
それには、一人ひとりが、“創大生というのは、これほど力があるのか! これほど勉強しているのか! これほど崇高な志をもっているのか! ここまで誠実で、真剣なのか! ここまで、地域、国家、人類のことを考えているのか!”と、人びとから、賞讃、尊敬されるようになっていくことです。
諸君が輝くことによって、大学の名も輝いていきます。
三十年後、五十年後をめざして、私と一緒に、わが創大の、勝利と栄光の歴史を創っていこうよ」
“創大生よ。皆が創立者たれ! 皆が永遠の開拓者たれ!”と、伸一は、心で叫びながら、メンバーに訴えるのであった。

■引用文献
注 「随想録」(『新渡戸稲造全集第五巻』所収)教文館
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2012年03月15日

薫風 40

薫風 40

 杉瀬茂の家は、父親が病弱で、母親が野菜の行商をして四人の子どもを育てた。杉瀬も
高等部時代から?山本先生が創立される創価大学へ絶対に行こう?と決意していた。
 母の仕事は、少しずつ軌道に乗り、やがて小さな店をもち、野菜や果物を大きな病院に
も納めるようになっていった。
 それでも、東京の大学に息子を行かせるのは、並大抵のことではない。しかし、母は、
彼が創価大学に合格すると、金銭のことは、何も言わずに、喜んで送り出してくれた。
 大学に行くことができなかった、青年部のある先輩は、杉瀬をこう励ました。
 「君には、大きな使命があるんだ。創価大学で、ぼくらの分まで勉強してきてほしい。
また、山本先生がいらっしゃる学会の本陣・東京で、しっかり、信心を磨くんだ。そして、
何か困った問題があったら、必ず連絡するんだよ。すぐに飛んで行くから」
 寺津克彦も、杉瀬も、入学後は、勉学、学生部の活動のほか、アルバイトをして懸命に
働いた。杉瀬の場合、家庭教師をはじめ、マーケティングリサーチ(市場調査)、テレビド
ラマのエキストラ、印刷会社、建築工事現場の手伝いなど、なんでもした。
 体が、へとへとになることも少なくなかった。それでも、”山本先生が創立した創価大
学で、一期生として学べるんだ”という誇りと喜びが、向学心を燃え立たせた。
 東京での暮らしを心配し、しばしば、激励の手紙をくれる先輩もいた。杉瀬の母親は、
”ご飯は、満足に食べているだろうか”と心を砕き、大量の野菜を送ってくれた。
 ”自分は、一人じゃないんだ。みんなが応援してくれているんだ”と思うと、元気が出
た。精神の孤立は人間を弱くする。だが、魂の連帯は、人間の無限の活力を引き出す。
 寺津と杉瀬は、よく、「あとに続く佐賀の後輩たちの、模範となるような生き方ばしよ
う!」と語り合ってきた。
 やがて、創価大学の三春秋が瞬く間に過ぎ、就職活動の季節が訪れた。

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2012年03月14日

薫風 39

薫風 39

佐賀県に限らず、大手企業などの少ない県も多い。そのような地域では、就職先も限られるため、役所や学校など、地方公務員の採用試験も、極めて難関となる。
そうしたなかにあって、故郷に帰って来た創価大学の学生部出身者たちは、懸命に努力し、県内で就職を勝ち取ったのである。
そのメンバーに共通しているのは、地域に貢献し、両親や地元の同志に、喜んでもらいたいとの、強い一念であった。
彼らは、東京の創価大学に行かせてもらったことに、両親をはじめ、家族に、深い感謝の思いをいだいていた。彼らの家庭の多くが、経済的には裕福とはいえなかった。
たとえば、寺津克彦の父は、彼の幼少期には、銀行に勤めていたが、職場で起きた不祥事の巻き添えをくい、自ら退職の道を選んだ。生真面目な父親にとっては、心外な出来事であった。人生に失望し、荒れた生活を重ねた末に、学会に入会したのである。
その後、さまざまな職に就いたが、父の収入だけでは、子ども四人がいる一家を支えることは難しかった。母が小学校の教員を続け、共働きで、子どもを育てた。
克彦は長男で、中学生のころから、真剣に信心に励み、学会の庭で育ってきた。両親は、彼の「山本先生の創られた大学で学びたい」という願いを聞き入れ、生活費を切り詰め、入学金等を用意してくれたのである。
三人の妹たちの進学もあり、克彦を東京の大学に行かせることは、容易ではなかったはずである。しかし、創価大学に合格すると、父も、母も大喜びし、「山本先生のもとで、しっかり頑張ってこんね!」と言って、笑顔で送り出してくれたのだ。
また、学会の会合でも、彼の創大合格が伝えられ、温かい祝福の拍手を浴びた。
ある婦人部員は、目を潤ませながら、「あなたは、佐賀の誇りやけん。何があっても頑張らんね!」と言って励ましてくれた。
家族の、そして、同志の真心を、胸にいだいての東京行きであった。
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2012年03月13日

薫風 38

薫風 38

 山本伸一に声をかけられた創大生は、緊張をほぐすように深呼吸し、伸一に報告した。
 「先生。佐賀県出身の創価大学に学ぶ学生部員で、県人会をつくっています。その団結
は、日本一だと思います」
 「そうか。同郷の学生部員が、互いに励まし合っているんだね。いいことだね。
 私の創った大学に来てくださった皆さんは、私の理想を共に実現していってくれる、本
当の師弟であると思っています」
 それから伸一は、卒業生たちを見ながら言った。
 「創大出身者は、どんどん世界に羽ばたいて行ってもらいたいが、君たちのように、郷
土の発展のために黙々と働き、尽力してくれる人の存在も、極めて重要なんです。自分を
育んでくれた両親や家族、そして、故郷の人びとの恩に報いていってください。
 これから先、どんなことがあろうが、創大生の誇りを胸に、社会に貢献し、人びとの幸
せのため、地域の繁栄のために、粘り強く頑張り抜いていくんですよ。期待しています」
 伸一は、県長の中森富夫に語りかけた。
 「創大をはじめ、県外の大学に進学し、学生部員として信心を磨いてきた青年が、佐賀
県に帰って来てくれると、心強いね。そうなれば、佐賀県創価学会は強くなりますよ。
 また、佐賀県は、学会のなかで何か一つ、これは”日本一”であるというものをもって
ほしい。弘教でも、機関紙の購読推進でも、教学でもよい。何かで一つ、勝利し続けてい
けば、それが、伝統となり、自信となり、誇りとなっていく。すると、そこから、すべて
の勝利の道が開かれていきます」
 伸一は、再び創大の卒業生に語りかけた。
 「みんな、仕事は、何をしているんだい」
 寺津克彦は市役所に勤め、この日、運営役員をしていた同じ一期生の杉瀬茂は、小学校
の事務職員をしていた。また、もう一人の一期生は、父親が経営する登記測量事務所で働
いていた。皆、故郷で就職先を見つけることが、最も難しかったと言う。

posted by ハジャケン at 10:27| 山梨 ☁| 新・人間革命 薫風 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月12日

薫風 37

薫風 37

 佐賀文化会館での懇談会で中森富夫は、山本伸一に、佐賀県の広宣流布の伸展状況につ
いて、種々、報告した。
 その時、寺津克彦と出井静也が呼びに行った、創価大学の現役学生と卒業生がやって来
た。合わせて七人が、顔をそろえた。
 「よく来たね。待っていたんだよ。さあ、こっちへいらっしゃい」
 伸一は、満面に笑みを浮かべた。
 「みんなのことは、よく知っているよ」
 そして、三年生の尾崎一利に声をかけた。
 「元気そうでよかった。一年生の時より、大きくなったね」
 尾崎は、伸一と、直接、言葉を交わすのは初めてである。
 ”なぜ、先生は自分のことをご存知なのか”
 尾崎は、不思議でならなかった。
 しかし、伸一の方は、ずっと、彼のことを気にかけていたのだ。
 ──尾崎が創価大学に入った年の入学式で、創立者の伸一は、式場の中央体育館の壇上
から、新入生一人ひとりに視線を注いだ。皆のことを、心に焼き付けておきたかったので
ある。彼の視線が、前方左の、銀縁のメガネをかけた男子学生で止まった。痩せて弱々し
い印象の学生であった。
 ”環境の変化から体調を崩しているのか。四年間、元気に頑張れるだろうか……”
 伸一は、この学生のことが心にかかり、雄々しく成長していけるように、祈り念じてき
たのだ。それが、尾崎であった。
 尾崎は、入学式で伸一が、自分を、じっと見つめていたことを思い起こした。驚きに身
がすくむ気がした。
 ”山本先生は、創大生一人ひとりを、本当に大事に思ってくださっているんだ!”
 七人のメンバーのなかに、伸一と会った緊張のためか、硬い表情をしている現役創大生
がいた。彼を見ると、伸一は笑みを向けた。
 「怒ったような顔をしないで、楽しそうな顔をしようよ。最も信頼し合える、創立者と
学生、師匠と弟子の語らいじゃないか」
posted by ハジャケン at 10:53| 山梨 ☀| 新・人間革命 薫風 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする