2011年11月10日

福光 59 (この章終わり)

福光 59

 山本伸一の声に、一段と力がこもった。
 「弱い自分に打ち勝ってこそ、人生の栄光はあります。
 苦難の荒波に、どんなに打ちのめされようとも、粘り強く、そこから決然と立ち上がる
力──それが信仰です。それが、地涌の菩薩です。真の学会員です。
 どうか、皆さんは、大試練の時こそ、?われらは、創価の後継者なり”われらは、新
時代の山本伸一なり”との自覚で、さっそうと立ち上がってください。その希望あふれる
姿が、広宣流布の力となります。
 これだけの青年が、人びとの勇気の原動力となり、未来を照らす福光の光源となってい
くなら、福島は盤石です。二十年先、三十年先、四十年先の、凛々しき闘将となった諸君
の勇姿を思い描いて、私の本日の話とさせていただきます。ありがとう!」
 会場は、雷鳴を思わせる青年たちの決意の大拍手に揺れた。
 伸一は、さらに、皆のために、ピアノを弾いた。曲は、楠木正成と正行の父子の別れと
誓いをうたった、あの”大楠公”であった。
 ”君たちの闘魂で、英知で、力で、二十一世紀の広宣流布の突破口を開くんだよ!”
 彼は、こう語りかける思いで、三曲、四曲とピアノを弾き続けた。”福光の種子は植え
られた”との、手応えをかみしめながらの、喜びの演奏であった。
 伸一が、栃木県・那須にある関東総合研修所(現在の栃木研修道場)に向かうため、福
島文化会館を発ったのは、午後七時五十分であった。
 車窓から見る空は、漆黒に包まれていた。しかし、彼の胸には、群雲を破り、燦然たる
黄金の光が降り注ぐ、巍々堂々たる会津富士(磐梯山)が広がっていた。それは、福島の、
そして、東北の、青年たちの英姿と、二重写しになっていった。
 ”福島を頼むよ! 東北を頼むよ!”
 伸一は、心で叫んでいた。

(この章終わり)
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2011年11月09日

福光 58

福光 58

 山本伸一は、戸田城聖を思い浮かべるように、目を細めながら語っていった。
 「戸田先生は、自ら誓願された会員七十五万世帯を達成された。昭和三十三年(一九五
八年)三月には、憔悴しきっておられた。先生と私とは、二十八歳の年の差がある。
 牧口先生が、戸田先生に広宣流布のバトンタッチをされたように、戸田先生は、未来の
ために、広宣流布の一切を、私をはじめとする青年たちに託された。それが、あの六千人
の青年が集った『3・16』の儀式なんです。
 次の広宣流布の流れは、青年につくってもらう以外にない。そして、さらに若い世代が、
次のもっと大きな拡大の流れをつくる。その永続的な戦いが広宣流布なんです。
 したがって、後継者が臆病であったり、力がなく、自分たちの世代に、仏法流布の流れ
を開いていくことができなければ、広宣流布の未来も、学会の未来もなくなってしまう。
 ゆえに私は、青年部の、また、高等部をはじめ、未来に生きる各部の皆さんの育成に、
真剣勝負で臨んでいるんです。
 広宣流布は諸君に託すしかない。私は、君たちのために、すべてを注ぎ尽くします。命
をも捧げる思いでおります」
 伸一は、それから、青年期は、苦闘と葛藤の連続であり、さまざまな誘惑もあることを
述べた。
 「しかし、どんなことがあっても、人生の究極の法である仏法の世界から、創価学会と
いう仏意仏勅の組織から、絶対に離れるようなことがあってはならない。どうか、日蓮大
聖人の、『善に付け悪につけ法華経をすつるは地獄の業なるべし』(御書二三二p)との御
言葉を心肝に染めていただきたい。
 人生には、常に、悩み、苦しみがあるものです。しかし、二十年、三十年と信心を貫き、
広宣流布の使命に生き抜いていくならば、何ものにも負けない、強い、金剛不壊の自身を
築くことができます。その生命の変革があってこそ、所願満足の人生を歩んでいくことが
できるんです」
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2011年11月08日

福光 57

福光 57

 三月十三日は、山本伸一の福島県滞在の最終日であり、夜には栃木県に移動することに
なっていた。
 彼は、午後五時過ぎから、「3・16広宣流布記念の日」の意義を込めて開催された、福
島県青年部の記念集会に出席した。
 ?未来を担う青年が集って来るのだ。励まさないわけにはいかない!?と、伸一は、自
ら、この集会に参加することを告げたのだ。
 彼は、マイクに向かうと、「福島創価学会に、これだけの優秀で立派な男女青年部がいる
ことに、深い感動を覚えるとともに、未来は盤石だと、心から安心しております」と語り、
「3・16」の意義に言及していった。
 「『広宣流布記念の日』の淵源となった昭和三十三年(一九五八年)三月十六日の儀式と
いうと、時の総理大臣が来る予定であったことが、語り継がれておりますが、それは、決
して本質的な問題ではなかった。
 戸田先生は、そんなことよりも、次の時代の一切を青年に託すという、いわば付嘱の儀
式を行おうとされたんです。
 広宣流布というのは、一万メートル競走のように、ゴールがあって、そこにたどり着い
たら、それで終わるというものではない。
 むしろ、?流れ?それ自体であり、常に、いつの時代も青年が先駆となり、原動力とな
って、さらに?新しい流れ?をつくり続けていく戦いなんです。
 戸田先生と師匠の牧口先生とは、二十九歳の年の開きがあった。軍部政府の弾圧によっ
て、共に投獄されたお二人は、逮捕された年の九月、警視庁の二階ですれ違った。
 戸田先生は『先生、お丈夫で!』と声をかけるのが精いっぱいであり、牧口先生は、頷
くことしかできない。それが、最後の別れとなった。
 しかし、この瞬間が、師から弟子への、広宣流布のバトンタッチでもあった。
 牧口先生は獄中で亡くなられたが、戸田先生は、生きて獄門を出られた。そして、広宣
流布の大発展の流れをつくられたんです」
posted by ハジャケン at 09:59| 山梨 ☁| 新人間革命 福光 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月07日

福光 56

福光 56

 東北の代表幹部会は、感激のなかに幕を閉じた。山本伸一は、一階のロビーで、壮年部、
男子部の輪の中に飛び込み、次々と声をかけ、激励を重ねた。
 岩手から来た壮年には、ぎゅっと手を握り締めて語った。
 「岩盤を穿つように、挑戦、挑戦、挑戦を続けてください。特に試練の時こそ、勝負で
す。日蓮大聖人が『強敵を伏して始て力士をしる』(御書九五七p)と言われているように、
それを乗り越えれば、仏法の偉大さが証明され、一気に広宣流布は進みます」
 また、宮城の青年には、肩を抱きかかえながら、「『新世紀の歌』は、宮城県から生まれ
た。だから、どんな困難もはねのけ、皆さんの力で新世紀を開く使命がある。頼みます」
と励ました。
 青森の友には、こう言った。
 「去年の秋は、お世話になりました。また、東北総合研修所に行きたいな。青森県は、
兜のような形をしている。兜は戦いの象徴だ。どうか青森は、皆が闘将となって、大東北
の勝利の牽引力になってください」
 秋田の青年には、「秋田は、かつて広宣流布の?日本海の雄?といわれた。今度は?日本
の雄??世界の雄?になるんだよ。君たちの戦いを見守っています」と訴えた。
 山形の壮年とは、固い握手を交わした。
 「大火に見舞われた酒田のメンバーは、元気に頑張っていますか。くれぐれも、よろし
くお伝えください。
 山形は、米も、果物も豊富だ。日本一といわれるものが、たくさんある。広宣流布の活
動でも、まず何かで、日本一、世界一になってください。そこから、山形広布の新時代の
扉が開かれていきます」
 伸一が愛する東北である。二十一世紀の模範となりゆく、限りない未来性を秘めた東北
である。ゆえに彼は、そのメンバー一人ひとりの胸中に、決意と発心の種を植えたかった
のである。まだ寒い初春の季節だが、伸一の額には、うっすらと汗がにじんでいた。
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2011年11月05日

福光 55

福光 55

 山本伸一は、仏法の厳しき因果の理法を知ってほしいと願いながら、信仰者の生き方に
ついて語っていった。
 「信心三十年の私の結論は、信仰という根本の生き方においては、あくまでも純粋に、
真面目に、御書に仰せのままに、突き進んでいかねばならないということであります。
 また、人生を大きく左右するのは、福運です。その福運を積むうえで大事なのは、感謝
の一念です。
 同じように学会活動をしていても、不平不満を言いながらでは、福運を消してしまう。
 それに対して、?今日も仏の使いとして働ける!?と、御本尊、大聖人に感謝し、信心
を教えてくれた学会に感謝していくならば、歓喜の世界が開かれる。そして、その心が、
功徳、福運につながるんです。
 私は、東北の皆さんを尊敬しております。それは、どんな困難にも負けない粘り強さ、
不屈の?負けじ魂?があるからです。皆さんには、大難、大苦に、打ちひしがれることな
く、広宣流布のために、敢然と立ち上がる真性の強さがある。その力が、自身を三世にわ
たって永遠に輝かせ、愛する郷土を寂光土へと転じていく?福光?となります。
 私は、かつて広宣流布の総仕上げを東北の皆さんに託しました。いよいよ?負けじ魂?
を燃やし、総仕上げの旗頭として、威風堂々と立ち上がってください。時は“今”です」
 それから伸一は、一人ひとりに、視線を注ぐように、場内を見渡しながら言った。
 「私は、わが同志が一人も漏れなく、『学会員として、悔いなく、最高に有意義な人生を
生き抜いた』と胸を張って言える、人間革命と幸福生活の実証を示していただきたいと、
日々、祈り念じております。それが、私の最大唯一の願いなんです。
 そのために私は、いかなる努力も、苦闘も惜しみません。皆さん方を守るために、命を
張って戦います。働いて働いて、働き抜きます。皆さんの今までの労に報いたいんです」
 伸一の心を知り、皆が瞳を潤ませた。
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2011年11月04日

福光 53

福光 53

 創価学会は、信頼と誠実に結ばれた、人間性にあふれた心の世界である。その世界が、惰性化して事務的になったり、形式化して、心が伝わらなくなってしまうことを、山本伸一は、何よりも恐れていたのだ。
 彼は、周囲の幹部たちに語った。
 「私は、よく同志の方々に、戸田先生の激励のお言葉などをお伝えすることがあった。その時には、先生のお言葉とともに、先生がどういうお気持ちでいらっしゃるかを語り、先生に代わって、心を込めて、最敬礼することもありました。
 私が、あまり頭を下げるものですから、相手の方も恐縮して頭を下げ、お互いに、いつまでも、お辞儀し続けたという、笑い話のようなこともありました。
 ともかく、学会の生命線は、師弟を中心にした心の絆にある。目には見えないが、これがあるから、学会は難攻不落なんです。強い団結もできるんです。それを幹部は、決して忘れてはならない」
 伸一の、幹部らへの指導は、滞在二日目も、全精魂を注いで続けられたのである。
 翌三月十三日、山本伸一は、午前中、福島文化会館の屋上で、東北六県の婦人部代表と懇談のひと時をもった。その語らいのなかで、彼は、婦人の笑顔の大切さを訴えた。
 「一家のなかで、最も大切な宝は、婦人の微笑です。夫も、子どもも、そこから勇気を得ます。希望を知ります。人生には、どんな苦難が待ち受けているか、わかりません。その時に、朗らかに微笑むことのできる人こそが、本当に強い人なんです。
 『母は一家の太陽である』と言われます。それは、どんなに大変な時でも、微笑の光で、家族を包み込むからだと私は思う。
 詩聖タゴールは、『女性よ、あなたの笑い声のなかに、いのちの泉の妙なる響きがある』
(注)と詠っているし、確か、トルストイも、母の微笑を讃嘆していました」
 婦人たちの顔が、一斉にほころび、笑みの花園が広がった。


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■引用文献
 注 『タゴール詩集 迷い鳥』川名澄訳、風媒社
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2011年11月03日

福光 53

福光 53

 創価学会は、信頼と誠実に結ばれた、人間性にあふれた心の世界である。その世界が、
惰性化して事務的になったり、形式化して、心が伝わらなくなってしまうことを、山本伸
一は、何よりも恐れていたのだ。
 彼は、周囲の幹部たちに語った。
 「私は、よく同志の方々に、戸田先生の激励のお言葉などをお伝えすることがあった。
その時には、先生のお言葉とともに、先生がどういうお気持ちでいらっしゃるかを語り、
先生に代わって、心を込めて、最敬礼することもありました。
 私が、あまり頭を下げるものですから、相手の方も恐縮して頭を下げ、お互いに、いつ
までも、お辞儀し続けたという、笑い話のようなこともありました。
 ともかく、学会の生命線は、師弟を中心にした心の絆にある。目には見えないが、これ
があるから、学会は難攻不落なんです。強い団結もできるんです。それを幹部は、決して
忘れてはならない」
 伸一の、幹部らへの指導は、滞在二日目も、全精魂を注いで続けられたのである。
 翌三月十三日、山本伸一は、午前中、福島文化会館の屋上で、東北六県の婦人部代表と
懇談のひと時をもった。その語らいのなかで、彼は、婦人の笑顔の大切さを訴えた。
 「一家のなかで、最も大切な宝は、婦人の微笑です。夫も、子どもも、そこから勇気を
得ます。希望を知ります。人生には、どんな苦難が待ち受けているか、わかりません。そ
の時に、朗らかに微笑むことのできる人こそが、本当に強い人なんです。
 『母は一家の太陽である』と言われます。それは、どんなに大変な時でも、微笑の光で、
家族を包み込むからだと私は思う。
 詩聖タゴールは、『女性よ、あなたの笑い声のなかに、いのちの泉の妙なる響きがある』
(注)と詠っているし、確か、トルストイも、母の微笑を讃嘆していました」
 婦人たちの顔が、一斉にほころび、笑みの花園が広がった。
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2011年11月02日

福光 52

福光 52

 この三月十二日、山本伸一のもとに、数種類の魚を盛りつけた木の舟が届いた。中央には、五キロ以上もある、大きなヒラメが配されていた。
 鈴村アイの夫である裕孝が、「浜通りのおいしい海の幸を、ぜひ、召し上がっていただきたい」と、手配したものであった。
 鈴村は、山本伸一が福島文化会館に到着する前から、知り合いの漁師に、冬から早春にかけてが美味とされる、ヒラメを手に入れたいと頼んでいたのだ。
 「どうしても、大物がほしいのだが……」
 「おっきいヒラメか。難しいべな」
 漁師の答えは、素っ気なかった。
 しかし、「大物が捕れたぁ!」と言って、ヒラメなど、数種類の魚を届けてくれたのだ。
 伸一は、数人の幹部らと、木の舟に盛られた魚を見て、声をあげた。
 「見事なヒラメだね! これは、どなたが届けてくださったの?」
 県幹部が答えた。
 「鈴村裕孝さんです。夫人のアイさんと一緒に、いいヒラメが手に入るように、真剣に唱題したそうです」
 「気を使わせてしまって申し訳ないね」
 そして、伸一は、色紙に歌を認めた。
  
  竜宮の
    ひらめか鯛か
        真心の
   題目海の
      君が幸みむ
  
 「この魚は、みんなでいただこう。鈴村さん夫妻には、県長から、『本当にありがとうございます。真心に感激いたしております』と言って、丁重に、色紙を渡してください。
 私の名代として、私の感謝を、私の真心を、伝え抜いてもらいたいんです。それが励ましになるんです。幹部が事務的になり、ただ渡せばよいという感覚に陥ってしまえば、私の心は伝わりません」
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2011年11月01日

福光 51

福光 51

 山本伸一は、「大切なのは生命力ですよ。わかりますね」と、確認するように言い、壮年の反応を見ながら、言葉をついだ。
 「人間は、仕事がなくなってしまえば、落胆するし、ましてや、先が見えない状況になれば、無気力になったり、心がすさんでしまったりしがちです。
 その時に、生命力にあふれ、元気に、勇んで挑戦しようとする姿は、人びとに、かけがえのない勇気を与えます。勇気は、波動していきます。また、学会員の前向きで元気な、生き生きとした挑戦の姿は、仏法の力の証明になります。宗教の力は、人の生き方にこそ、表れるものなんです。
 転職して、新しい仕事に就くとなれば、炭鉱での技能や経験は生かされない場合が多いでしょう。それだけに、挑戦心に富み、元気で、粘り強く、はつらつとしていることが大事になります。企業側も、悲観的で無気力な人を雇おうとは思わないものです。
 つまり、厳しい状況になればなるほど、磨き鍛えてきた生命という“心の財”は輝いていくんです。閉山だろうが、不況だろうが、“心の財”は壊されません。なくなりもしません。そして、“心の財”から、すべてが築かれていきます。
 いわば、逆境とは、それぞれが、信心のすばらしさを立証する舞台といえます。
 人生の勝負は、これからです。最後に勝てばいいし、必ず勝てるのが信心です。
 苦闘している皆さん方に、『今の苦境を必ず乗り越えてください。必ず勝てます。勝利を待っております』と、お伝えください」
 「はい、ありがとうございます!」
 壮年は、ほおを紅潮させて答えた。
 オーストラリアの国民的作家で、詩人のヘンリー・ローソンは、うたっている。
 ――「時代は厳しい。しかし、怯んではいけない。勇気をもって戦い続ければ、いつの日か、今の苦しみを笑える時が、必ず来るのだから」(注)
 嵐のあとには、やがて青空が広がる!

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引用文献
注 ローソンの言葉は、『オーストラリアの詩選集』ミード・アンド・ベケット出版社(英語)
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2011年10月31日

福光 50

福光 50

 自分の幸福しか考えなければ、心は細り、もろくなる。しかし、広宣流布のための人生であると決め、信心の大地に深く根を張れば、心は太く、強くなる。
 エゴイズムという殻に閉ざされていれば、胸に光は差さない。利他という窓を大きく開けば、希望の太陽が降り注ぐ。
 ゆえに、山本伸一は、炭鉱が閉鎖され、生活苦に喘ぐ同志たちに、広宣流布という仏法者の原点に立ち返ってほしかったのである。
 伸一は、話を続けた。
 「炭鉱に勤めていた人だけでなく、関連会社の人や、商店街など、多くの方々が、転職などを余儀なくされ、大変な思いをされたことでしょう。
 大変な人生の試練の時であればこそ、強盛な祈りが大事なんです。大聖人が『湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く強盛に申すなり』(御書一一三二ページ)と言われているように、魂を込めて、必死に唱題し抜くんです。
 祈れば、福運を積めます。大生命力が涌現し、智慧が湧きます。そして、その智慧を絞り抜き、考えに考えて、果敢に行動を起こしていくんです。ただ祈ってさえいれば、どこからか、いい仕事が降って湧くように思っているのは間違いです。
 何か仕事を始めるにしても、アイデアが大事です。また、人脈等を駆使しなければならない場合もあるでしょう。ともかく、『強盛な祈り』と『懸命な思索』と『果敢な行動』で、事態を開いていくんです」
 「はい!」
 質問した壮年は、伸一の指導を、全身で受け止めるように、大きな声で答えた。
 伸一は、気迫にあふれた声で言った。
 「学会員ならば、師子ならば、何があっても信心の確信と満々たる生命力にあふれ、挑戦の気概に燃えていなければならない。つまり、元気で、生命が輝いていることが大事なんです。生命の光彩こそが、人生の暗夜を照らす光なんです。福光なんです」

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2011年10月29日

福光 49

福光 49

 壮年の質問を聞くと、山本伸一は、強い確信を込めて語り始めた。
 「まず、大変な試練の時を迎えておられる同志に、『今が正念場です。信心の真価を発揮する時です。どこまでも唱題第一に、この困難を未来への跳躍台とし、必ず勝利してください。変毒為薬の信心です。御本尊を持った使命深き仏子が、勝たないわけがありません。私も、妻と共に題目を送り続けます』とお伝えください」
 「はい!」
 「長年、住み慣れた地を離れ、同志とも別れる辛さは、よくわかります。しかし、自分のいるその場所が、広布開拓の新しき使命の天地になるんです。また、これまで住んでいた地域で頑張ろうとする人にとっては、そこが使命の舞台です。
 『御義口伝』には、『今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者の住処は山谷曠野皆寂光土なり此れを道場と云うなり』(御書七八一n)とあります。
 私たちのいるところは、そこが、山であろうが、谷であろうが、広野であろうが、どこであれ、寂光土であり、成仏得道の場所になるのだと言われているんです。
 それには、その場所で、広宣流布の戦いを起こし、信頼の輪を広げ、幸せの実証、勝利の実証を打ち立てていくことです。どこへ行っても、“自分は、仏からその地の広宣流布を託されて派遣されたのだ”という自覚をもつことです。また、私と師弟であると決めているならば、私に代わって、そこにいるのだと確信してください。
 戸田先生は、よく『来世は、どこの星に生まれるのかな。大聖人から、あの星へ行って広宣流布をしなさいと言われたら、そこに生まれ、また、創価学会をつくる』と言われていた。同志と離れ離れになるのは寂しいでしょうが、所詮、地球という小さな星の、日本という小島でのことではないですか。
 仏法の眼を開いて、戸田先生のような、大きな心、大きな境涯で進んでいくんです」
posted by ハジャケン at 09:28| 山梨 | 新人間革命 福光 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月28日

福光 48

福光 48

 草創期、多くの同志は、病苦や経済苦など、さまざまな悩みをかかえながらも、はつら
つと広宣流布に東奔西走してきた。
 それは、学会活動をしていくなかで、わが生命に脈動する歓喜を実感していたからであ
る。そして、大地に向かって放たれた矢が、必ず地に当たるように、絶対に幸せになれる
との、強い確信があったからだ。
 山本伸一は、参加者に視線をめぐらし、話を続けた。
 「時には、学会活動のなかで、いやなことや辛いことに直面する場合もあるでしょう。
組織での人間関係で悩むこともあるかもしれない。また、学会への誤解、無理解から、非
難、中傷されることもあるでしょう。
 大聖人は、『修行の枝をきられ・まげられん事疑なかるべし』(御書一一三六p)と仰せ
です。一生成仏を成し遂げ、広宣流布という大願を成就していくための仏道修行なんです
から、大変なのはあたりまえです。
 それを乗り越えることで、自分が磨かれ、強くなり、宿命の転換がなされていくんです。
『大難来りなば強盛の信心弥弥悦びをなすべし』(同一四四八p)との御聖訓を深く心に刻
んで、喜び勇んで難に立ち向かう、強盛な信心の皆さんであってください」
 伸一が若き日、少年雑誌の編集長として交流を結んだ作家の一人で、東北出身の野村胡
堂は述懐している。
 「人間には、人生の体験を、人格完成の糧にする人と、その逆をゆく人とがある」(注)
 勤行会のあとも、伸一は、二階のロビーで、参加者に声をかけ、激励を重ねた。
 さらに、二十人ほどの代表幹部と勤行し、懇談した。
 その時、壮年の幹部が手をあげて尋ねた。
 「常磐炭田の炭鉱は、昨年秋にすべて閉山になりました。泣く泣くほかの地域に移って
行った人や、なんとしても、いわき市に残りたいと、今なお、必死になって職探しをして
いる人もいます。そういうメンバーを、どう励ませばよろしいでしょうか」

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2011年10月27日

福光 47

福光 47

 三月十二日の夜には、壮年、婦人の代表が参加して、第二回となる福島文化会館の開館記念勤行会が行われた。
 この席上、山本伸一は、「福島県は、その独自性を生かしながら、新しい広宣流布の模範の地域にしていっていただきたい」と要望したあと、会長としての自分の心境と決意を語った。
 「私は、会長に就任してから今日まで、本当に、心から安堵した日はありません。
 全学会員が幸せになる前に、自分が、晴れ晴れとした気持ちになることは間違いである。指導者として失格である≠ニ、心に決めているからであります。
 また、『横柄な態度を取る幹部がいて、会員の皆さんが困っている』などと聞くと、身を切られるように辛いんです。
 会員の皆さんが幸せになり、福運にあふれた、楽しい人生を歩んでいかなければ、なんのための会長か!≠ニ、常に、自分に言い聞かせています。
 皆さんが、信心してよかった!∞学会員でよかった!∞こんなに幸せになりました!≠ニ、心から言えるようにならなければ申し訳ないとの思いで、私は、福島に来ているんです。実は、これが、創価学会の会長の精神なんです」
 さらに、彼は、学会活動の意義に言及していった。
 「日蓮大聖人の仰せのままに、広宣流布を推進している、地涌の菩薩の集いが創価学会であります。ゆえに、学会活動以外に、現代における仏道修行はありません。
 学会活動は、人びとに絶対的幸福への道を教え、人間の生命を変革し、社会の繁栄を築き、世界の平和を実現していく、唯一の直道です。それは、地味で、目立たぬ作業でありますが、仏の使いとしての行動であり、地涌の菩薩の聖業です。なればこそ、真剣に学会活動に励むならば、仏、菩薩の大生命が涌現し、自身の生命は浄化され、歓喜、福運に包まれていくんです」
posted by ハジャケン at 10:16| 山梨 ☀| 新人間革命 福光 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月26日

福光 46

福光 46

 一九七七年(昭和五十二年)三月十二日、福島の県・圏幹部らとの懇談会の会場で、山本伸一は、鈴村アイと菅田歌枝に語った。
 「お二人は、ただ、ただ、広宣流布のために、人びとの幸せのために、挺身してこられた。これからも、その尊い生き方を貫いてください。そこに、人間としての真実の輝きと幸福、人生の勝利があるんです」
 懇談会では、福島文化会館の各部屋に名前をつけてほしいとの要望も出された。
 「わかりました。一階の和室は『常楽会館』、二階の大広間は『発心会館』、二階の和室は『安穏会館』としましょう。どうですか」
 賛同の拍手が起こった。
 「ほかに、命名するものはありませんか」
 「会館に自転車があります」
 笑いが起こった。
 「自転車は『福島号』にしましょう。
 今日、池に放した大きな鯉が二匹いたね。鯉も命名しておきます。最初に放流した方は『会津号』、もう一匹は『磐梯号』でどうですか。賛成の人?」
 皆、顔をほころばせながら手をあげた。
 それから伸一は、青年たちに言った。
 「折伏も、座談会も、教学も、行事の運営も、一切の活動は青年が担っていくんです。私もそうしてきました。今の苦労は、未来の大指導者になるための財産なんです。
 『鉄は熱いうちに打て』と言われるが、青年時代に苦労して、自分を、磨き、鍛えなければ、人格の基礎も、指導者としての精神の骨格もできない。苦労し、汗と涙を流さなければ、人の苦労も、辛さもわからない。そんなリーダーを、私はつくりたくないんです。
 諸君のお父さん、お母さんは、必死になって戦ってこられた。青年が立ってこそ、草創の先輩たちも安心できるんです」
 フランスの文豪ゾラは、「青年への手紙」のなかで、「君たちの果たすべき任務を遂行しているのが、情熱に燃えた熟年者や高齢者だというのに、それでも君たちは恥ずかしくないのか?」(注)と綴っている。

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小説『新・人間革命』の引用文献
注:ゾラの言葉は、稲葉三千男著『ドレフュス事件とエミール・ゾラ』創風社
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posted by ハジャケン at 09:51| 山梨 ☁| 新人間革命 福光 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月25日

福光 45

福光 45

 文京支部日本橋地区は、福島で着実に弘教の輪を広げ、一九五八年(昭和三十三年)の十月には、浜通りに新しく二地区を誕生させた。磐城地区と勿来地区である。
 磐城地区の地区部長には菅田歌枝の夫である留太郎が、地区担当員(現在の地区婦人部長)には歌枝が就いた。また、勿来地区の地区部長には鈴村アイの夫の裕孝が、地区担当員にはアイが就任したのである。
 一人立って、弘教に弘教を重ねて、組をつくり、班をつくり、地区をつくる――それが草創期の戦いであった。
 広宣流布の戦いを起こしたがゆえに、何度となく、辛い思い、悲しい思い、悔しい思いもした。幾度も、人知れず涙を流した。
 しかし、そのたびに、宿命の鉄鎖を一つ一つ断ち切っているという、確かな手応えを感じていた。そして、いかなる苦難や試練にも負けない勇気と、歓喜が、全身にほとばしるのを実感するのであった。
 同志たちは、皆、病苦や経済苦、家庭不和などの悩みを抱えていた。しかし、地涌の菩薩の使命に目覚め、広宣流布の大道を歩み始めると、心を翻弄し続けてきたその悩みが、取るに足りない、指先の小さなささくれ≠フように感じられるのだ。
 同志の胸中を占めている大きな悩みといえば、あの友人を、なんとしても救いたい∞わが地域の広宣流布を進めたい≠ニいうことであった。まさに、それは、地涌の菩薩の悩みであり、仏の悩みであった。その境涯は、既に、悲哀に泣く宿命の谷間からの、飛翔を意味していた。
 依正は不二である。主体である衆生の心身(正報)と環境(依報)は、密接不可分の関係にある。ゆえに、自身の境涯が変革されれば、現実の状況も変わらぬわけがない。
 事実、広宣流布に喜々として走る同志たちは、競うようにして功徳の花々を咲かせ、人間革命、宿命転換の実証を打ち立てていった。そして、その歓喜と確信が、さらに大きな弘教の力となっていったのである。


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2011年10月24日

福光 44

福光 44

 菅田歌枝と鈴村アイは、鏡石で、今度こそ! 今度こそ!≠ニ自らに言い聞かせ、知人宅を訪ねて、仏法を語っていった。
 予定した訪問先を当たり尽くした時には、二人は、意気消沈し切っていた。どこも厳しい反応であったからだ。最高の仏法を持ちながら、その力を明快に伝え、納得させることができない自分たちが、ふがいなく、情けなかった。
 日差しが、肌を焼くように感じられる、暑い日であった。トウモロコシ畑の緑が、まぶしく目に染みた。もう行くあてはなかった。でも、このまま、「できませんでした」などと言って、帰りたくはない。
 菅田の息子の信は、疲れたらしく、ぐずり始めた。三人は、トウモロコシ畑の傍らに座り込んだ。信は、お腹がすいたのか、よく実ったトウモロコシを見て、「あれが食べたい」と言いだした。
 「駄目よ。あれは、よその家のものよ」
 「でも、食べたいよ」
 「駄目なの!」
 信は、恨めしそうな目で、母親を見て、しくしくと泣きだした。
 菅田も、張り詰めていた心の糸が切れ、こらえていた涙が、一気にあふれだした。泣き濡れる母と子を見て、鈴村も目を潤ませた。
 農作業に出てきた近所の老婦人が、道端に座り込んで泣く三人の様子を、いぶかしそうにうかがっていた。
 「どうしたの?」
 老婦人は、放っておけずに声をかけた。
 ここから、仏法対話が始まった。菅田と鈴村は、先ほどまでとは打って変わって、瞳を輝かせ、生き生きとした表情で、仏法の偉大さについて語っていった。
 老婦人は、彼女たちが語る一言一言に大きく頷き、話を聞いていた。そして、ほどなく入会を決意したのである。菅田と鈴村は、今度は、歓喜の涙で頬を濡らすのであった。
 地涌の使命を、断固、果たし抜こう!≠ニいう執念が実らせた弘教といえよう。
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2011年10月22日

福光 43

福光 43

 山本伸一の逮捕・勾留は十五日間に及んだ。釈放されたのは、一九五七年(昭和三十二年)七月十七日の正午過ぎであった。
 文京支部日本橋地区の会員たちは、今度は、その喜びと、不当な権力との闘争の決意を胸に、勇躍、弘教に奔走した。
 その結果、一班一〇闘争≠掲げた文京支部は大躍進を遂げ、なかでも、日本橋地区は、浜通りの同志の奮闘が原動力となって、八十世帯の弘教を実らせ、全国模範の優秀地区に名を連ねたのである。
 日本橋地区の広宣流布の歩みは、ますます加速していった。
 福島県の地区員は、磐城や小名浜、勿来など、浜通りに集中していた。第二代会長・戸田城聖が逝去した五八年(同三十三年)の夏季地方指導では、中通りにも弘教の戦線を広げていくことになった。その先陣を切ったのは、菅田歌枝と鈴村アイであった。
 草創期、同志は皆、世間は休暇のさなかでも、広宣流布に休みはない!≠ニ、炎暑に挑むように、意気盛んに活動を展開していったのだ。そこに創価学会の強さがあった。
 八月のある日、菅田と鈴村は、中通りの鏡石に出かけた。鏡石は、砂利の運搬業を始めた鈴村の夫が、仕事でよく来る場所で、ここに何人かの知人がいたのである。菅田は、小学校に入学前の長男・信を連れていた。
 二人の婦人は、「折伏を成就させるまでは、帰らない決意で行って来ます」と、地区部長の島寺丈人に元気に宣言して、鏡石へ出発した。
 ところが、訪ねてみると、どの家も、けんもほろろの応対であった。五軒、六軒と回るうちに、だんだん気落ちしていった。
 菅田は、鈴村に言った。
 「折伏が簡単なわけがないもの、挫けるわけにはいかないわ。『よ(善)からんは不思議わる(悪)からんは一定とをもへ』(御書一一九〇n)との決意でいきましょう!」
 苦労なくしては、道は拓けない。汗と涙で岩を穿つ作業が、広宣流布の開拓なのだ。
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2011年10月21日

福光 42

福光 42

 壮年は、山本伸一の指導を思い返すうちに、”山本室長は、今ごろ、どうされているの
だろうか”と思った。
 ”もう何日も、勾留されている。毎日、過酷な取り調べを受けているんだろう。出歩く
こともできなければ、自由に家族と連絡を取ることもできない。そのなかで、室長は、学
会の正義を叫び、必死に獄中闘争を展開されている……。
 その室長と比べれば、自分は、なんと恵まれた環境にいるんだろう。こんなことで、弱
気になったり、負けてしまったら、室長は慨嘆されるにちがいない。
 負けるものか! 明日こそ、必ず折伏を実らせてみせる。室長、見ていてください!”
 こう心で叫ぶと、ふつふつと、胸に勇気がたぎるのを覚えた。
 雨は、一段と激しく降り続いていた。
 しかし、壮年は、意気揚々と大股で歩きだした。そして、雨に負けじと、学会歌を歌い
始めた。広宣流布への闘魂は、この雨のなかで、強く、激しく、燃え上がったのである。
 法のために味わった悔しさは、やがて、栄誉と賞讃となって、わが人生を飾る。
 ──この時、いずこの地の学会員も、夕張の炭労事件を、自分と遠く離れた、北海道の
出来事とはとらえなかった。また、大阪で起こった山本伸一の不当逮捕事件も、彼方の大
阪の出来事とは思わなかった。すべて、自分を含む創価学会という一つの生命体が被った
問題であり、自分たちに襲いかかった問題であると、とらえていたのだ。
 それは、「自他彼此の心なく」(御書一三三七p)との御聖訓通り、金剛不壊の精神の結
合であり、異体同心の実像といえよう。ここに、創価学会の永遠不滅の強さがあるのだ。
 文京支部日本橋地区の浜通りの同志は、獄中の伸一を思いながら、走りに走った。
 菅田歌枝も、入会間もない鈴村アイも、懸命に弘教に汗を流した。苦しい時には、「こん
なことで弱音を吐いたら、山本室長に合わせる顔がないわね」と言って励まし合った。
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2011年10月20日

福光 41

福光 41

 メンバーのなかに、一カ月前に、勤めていた会社が倒産してしまった壮年がいた。二人の子どもは病弱で、生活は逼迫していた。
 その彼が、弘教のために、二十キロほど離れた友人宅を訪れた。話に夢中になり、終列車を逃してしまった。やむなく、列車の線路に沿って歩き始めた。
 彼は、この日、仏法対話の最後に、友人が放った言葉が、胸に突き刺さっていた。
 「人の家に、宗教の話なんかしに来る前に、自分の仕事を見つけてこいよ。それに、そんなに、すごい信心なら、なぜ、子どもが病気ばかりしているんだ!」
 壮年は、言い返した。
 「もちろん、仕事は必ず見つけてみせる。子どもも健康になるよ!」
 「それなら、そうなってから来るんだな。そうしたら、話を聞いてやるよ」
 友人は、終始、薄笑いを浮かべ、蔑むような言い方であった。
 夜道を歩き始めると、無性に悔しさが込み上げ、涙があふれて仕方がなかった。
 涙に濡れた頬に、ピシャリと水が滴り落ちた。雨だ。あいにく傘は持っていなかった。雨は、次第に激しくなっていった。
 全身、ずぶ濡れになった。家は遠い。
 自分が、すごく惨めに感じられた。
 「なんだよう、なんだよう……」
 やり場のない怒りを口に出し、泣きながら雨の夜道を歩いた。二時間ほど歩いたころ、文京支部の会合で山本伸一に激励されたことを、ふと、思い起こした。
 「折伏に行って、悪口を言われ、時には、罵詈罵倒されることもあるでしょう。また、悔しい思いをすることもあるでしょう。
 それは、すべて、経文通り、御書に仰せ通りのことなんです。その時に、負けるものかと、歯を食いしばって頑張り続けることによって、過去世からの罪障が消滅できるんです。仏道修行は、罪障消滅、宿命転換のためでもあるんです。そう確信できれば、『苦』もまた、楽しいではありませんか!」
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2011年10月19日

福光 40

福光 40

 島寺丈人は、”一班一〇闘争”に、自分の人生を賭けようと思っていた。
 ──島寺は、一九五四年(昭和二十九年)七月の入会である。文京支部長代理として山
本伸一が出席した池袋での座談会に、友だちと連れ立って来ていたのだ。
 彼は、柔道四段の屈強な体の持ち主であったが、胃潰瘍と十二指腸潰瘍にかかり、人生
に絶望していた。
 伸一から、生命力と病の関係や、宗教と人生などの話を聞いた。その話には、魅力を感
じ、納得できたが、入会には躊躇があった。
 「リンゴだって、食べてみなければ味はわからない。信心も原理は一緒ですよ。最後は
実践です。その勇気がありますか」
 この一言で、島寺は入会を決意した。
 彼は、?やる限りは徹底的にやろう?と、真剣に唱題と弘教に励んだ。もう自分の命は
終わっていたものと決め、余命をなげうつ思いでの実践であった。すると、日ごとに、活
力がみなぎり、病は、医師も驚くほどの回復ぶりを示していった。
 島寺は、入会した月に、早くも十世帯の弘教を実らせ、半年で、東京・日本橋の地に班
を誕生させたのである。
 病を克服し、大確信を得た島寺は、折伏が大好きになった。伸一は、一本気な島寺に、
指導の手を差し伸べ続けてきた。
 その伸一が、大阪府警によって逮捕され、投獄されたのだ。
 島寺は、心で泣きながら、悔しさをバネに情熱を燃え上がらせ、福島の浜通りで、”一
班一〇闘争”の指揮を執ったのである。
 浜通りの同志たちは、”今こそ、学会の真実を示そう!”との思いで、果敢に戦った。
 しかし、弘教活動が容易なわけがない。学会への悪宣伝がなされ、誤解と偏見が満ちて
いた時代である。学会と言っただけで、血相を変え、「俺は、学会は嫌いだ。二度と、そん
な話をしに来るな!」と、胸ぐらをつかまれ、追い返された人もいた。多くの人が、怒鳴
られたり、水や塩を撒かれたりした。
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2011年10月18日

福光 39

福光 39

 ――第二代会長・戸田城聖は、山本伸一が逮捕される前年の一九五六年(昭和三十一年)四月一日、仙台指導に向かった。そのことを耳にした福島の同志二、三十人が、戸田先生に、ひと目、お会いしたい≠ニ、郡山駅のホームで待っていたのだ。
 乗降客が一段落したあと、戸田は、列車のデッキまで出てきて、皆を励ました。
 「いいか諸君! 大難が競い起こらなければ、本当の広宣流布はできない。その時に、腰を抜かしてはなりませんぞ。心して信心を貫くんです!」
  
 島寺丈人は、皆に訴えた。
 「戸田先生の言われた、その大難が、遂に競い起こったんです。そして、わが文京支部の支部長代理である、あの山本室長が標的にされ、牢に繋がれたんです……」
 島寺の声はかすれ、幾分、涙声になっていた。その声を聞くと、皆、居ても立ってもいられない気持ちになった。大阪に駆けつけたい衝動にかられるのだ。
 皆の心を感じ取った島寺は、なだめるような口調になった。
 「みんなは、山本室長の逮捕は、国家権力の横暴だ。絶対に許さん!≠ニ思っているでしょう。私も、そうです。
 しかし、今、大阪府警に乗り込んで行ったところで、混乱をきたすだけです。
 私たちは、権力の魔性に対して、学会は弾圧なんかに負けないぞ! 民衆の力をなめるな!≠ニいうものを、見せつけてやらねばならない。それには、この試練のなかで、大拡大の実証を示すことです。まず、この一班一〇闘争≠必ず大勝利するんです。
 大聖人は、『始中終すてずして大難を・とをす人・如来の使なり』(御書一一八二n)と仰せです。今こそ、まことの時≠ェ来たのだと腹を決めて、強盛の大信力をいだして、大折伏を敢行しようではありませんか!」
 賛同の拍手が起こった。闘魂の雄叫びは、皆の勇気を呼び覚まし、心を一つにする。
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福光 38

福光 38

 島寺丈人は、電話口で田岡治子に言った。
 「田岡さん。任せてください。日本橋地区は、絶対に勝ちますよ。特に、この福島の浜通りが、大勝利の先駆になりますよ!」
 いざという時に、心を同じくして立ち上がることができてこそ、まことの団結であり、その人たちこそ、真の勇者なのだ。
 島寺は、その夜は、いつまでも唱題を続けた。そして、翌朝、拠点に集って来た同志に、山本伸一が不当逮捕されたことを発表したのである。
 皆、息をのんだ。誰もが、驚きを隠せなかった。
 なんで、あの山本室長が逮捕されなければならないのだ……≠ニいうのが、皆の疑問であった。島寺は語った。
 「大阪府警も、大阪の地方検察庁も、今年四月に行われた参議院の大阪の補欠選挙で、選挙違反者が出たことから、支援の最高責任者である山本室長が、違反の指示を出したと考えているらしい。しかし、そんなことは、絶対にあり得ません。
 私は昨年七月の参院選挙の時に、山本室長と共に、大阪の支援に行きました。その時に室長は、口が酸っぱくなるほど、『無事故であることが大事です。違反行為など、絶対にしてはならない』と言われ続けていた。
 その室長が、違反行為を指示するわけがないではありませんか!」
 集った同志たちは、誰もがそうだ!≠ニ思った。文京支部に所属する彼らは、支部の会合などで、直接、伸一の指導に接し、激励された人も少なくなかった。それだけに、誰もが、正義感の強い伸一の人柄を、よく知っていたからである。
 島寺は、ひときわ大きな声で訴えた。
 「山本室長が逮捕された裏には、創価学会をなんとか抑えつけようという、権力の悪質な意図があることは間違いないと、私は思う。皆さんは、昨年、戸田先生が、郡山の駅で、福島の同志に言われた指導を、聞いているでしょう」
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2011年10月15日

福光 37

福光 37

 七月三日の夜遅く、田岡治子から島寺丈人に、再び電話が入った。彼女の言葉には、憤怒がほとばしっていた。
 「山本室長は、大阪府警に出頭し、そのまま逮捕されました。何も悪いことなどしていない室長が、無実の罪で不当逮捕されたんですよ。いよいよ権力の魔性が、牙をむいたんです。
 室長は、今日の昼間、羽田でお会いした時に、『夜明けが来た』と言われましたが、その意味を私は考えてみました。
 夕張の件も室長の逮捕も、その淵源は、学会が人びとを幸せにしようと折伏を進め、さらに、立正安国のために、政治改革に着手したことから始まっています。
 炭労は、学会が独自の候補者を推薦し、支援したことに腹を立て、“組合の統制を乱した”などと言って、学会員を締め出した。そして、国家権力は、一部の学会員が起こしてしまった選挙違反を山本室長に結びつけ、学会を抑えつけようとしているんです。
 つまり、創価学会という、民衆の力を結集した新しい団体が、社会的に大きな力をもってきたから、今のうちに、それを躍起になってつぶそうとしたのが、今回の二つの事件だと思います。だから、この弾圧をはね返し、学会が不屈の力を発揮していくならば、民衆の新しい時代が訪れる。それで、山本室長は、『夜明けが来た』と、私たちに伝言してくださったと思うんですよ」
 田岡治子は、ここまで一気に話すと、叫ぶように言った。
 「島寺さん。何があっても、なんとしても、一班一〇闘争≠大勝利しましょう。これは、支部長代理の山本室長が熟慮の末に提案された戦いなんですから。
 この闘争に勝つことが、山本室長との共戦であり、夜明け≠開くことになると思うんですよ」
 一人の婦人の懸命な訴えに、闘将の心は烈火となった。必死の一念から発する言葉が、生命を射貫くのである。
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2011年10月14日

福光 36

福光 36

 電話口で田岡金一は、一度、深呼吸し、努めて冷静に、島寺丈人に語った。
 「詳しいことはわからないが、山本室長は大阪府警(大阪府警察本部の略称)に出頭されるらしい。四月の参議院大阪地方区の補欠選挙で、違反者が出てしまった件で、室長は支援の最高責任者であったことから、出頭を求められているようなんだよ。
 どうも、検察は、学会自体を攻撃の対象にしているらしい。実は今日、その件で、小西理事長が逮捕されてしまった。既に、一部の新聞は、今日の夕刊で、そのことを報道しているんだよ」
 不安そうな声で、島寺は言った。
 「お二人は、大丈夫でしょうかね……」
 島寺の不安を打ち消すように、田岡は、明るい声で語った。
 「大丈夫。嫌疑は、すぐに晴れるよ。選挙違反なんてしていないんだから。
 室長は、『磐城に行けなくなって申し訳ないね。行けなくても心は一緒だよ。私も戦います。みんなも大奮闘してください』との伝言をくださった。頑張ろうよ」
 翌三日の朝、山本伸一の磐城訪問は中止になったことが、島寺から皆に伝えられた。
 午後三時過ぎ、田岡の妻で、前文京支部長の田岡治子から、島寺に電話がきた。
 「今日、山本室長は、飛行機で北海道から羽田を経由して、大阪に行かれました。
 私は、羽田の空港に行って、乗り換えの際に、お会いしてきました。
 室長に、『何かご伝言を!』と申し上げると、力強い声で、『夜明けが来た、と伝えてください』とおっしゃっていました」
 炭鉱労働組合に続いて、国家権力という、さらに強大な力が、創価学会を狙い撃とうとしていたのだ。「行解既に勤めぬれば三障四魔紛然として競い起る」(御書一〇八七n)とは、天台大師の『摩訶止観』の文である。その法理は、いかに時代が変化しようが、決して、変わることはない。広宣流布を阻む障魔の嵐が、学会に襲いかかったのである。
posted by ハジャケン at 10:02| 山梨 | 新人間革命 福光 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする