2016年03月23日

常楽69 完

常楽 六十九

 加古川文化会館の勤行会で、山本伸一は、「なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給うべし」(御書一一九二ページ)との御文を拝して指導。生活、仕事、商売等、人生のすべては、信心によって勝利していけることを述べ、「大確信の信心を!」と力説した。
 また、加古川では、播磨圏の代表幹部との懇談など、語らいに次ぐ語らいを重ねた。
 翌十四日には、兵庫県芦屋市にある関西戸田記念館で近隣の会員と、正午過ぎから懇親会を行った。さらに、姫路文化会館で開催される姫路支部結成十八周年記念勤行会に出席するため、夕刻には姫路へと走った。姫路は十一年ぶりの訪問となる。
 「あの姫路城のごとく、堂々たる信念の仏法者であってください!」
 伸一は大勝利城・兵庫を胸に描いて呼びかけた。同志は歓呼の声で応え、奮い立った。
 さらに、姫路圏の代表幹部との語らいでも、全精魂を注ぎ尽くした。蓄積する疲労を跳ね返して、「臨終只今にあり」(同一三三七ページ)との思いでの行動であった。
 十五日には、関西戸田記念館で、神戸、西宮方面の支部長・婦人部長と懇談し、近隣のメンバーと記念撮影をした。
 そして、大阪府豊中市の関西牧口記念館を訪問。地元幹部と勤行・唱題し、東京に戻る直前まで、激励と指導を続けたのである。
 創価の航路には、いまだ暗雲が垂れ込め、さらに激しい嵐の予兆を感じさせた。
 同志は皆、さまざまな苦悩をかかえ、悶え、あがきながらも、今世のわが使命を果たそうと、必死に戦い、生きている。まさに、泥中に咲く蓮華のごとく、健気にして崇高なる、仏の使いの人びとである。
 伸一は、讃え、励まさずにはいられなかった。一人として負けることなく、皆が人生の凱歌を声高らかに響かせてほしかった。その赤裸々な姿のなかに、尊き地涌の菩薩の実像があるからだ。“師子よ、負けるな!”との祈りを込め、彼は師子吼を放ち続けた。
 (この章終わり)
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2016年03月22日

常楽68

常楽 六十八

 山本伸一は、泉州文化会館での各部合同勤行会を終え、南大阪文化会館(後の羽曳野文化会館)へと向かった。スケジュールにはなかったが、大ブロック長会があると聞き、急遽、激励に訪れたのである。
 一瞬たりとも無駄にしたくなかった。わずかでも時間があれば、同志のため、広宣流布のために使いたかった。その日々の実践が、不惜身命、死身弘法に通じよう。
 彼は、全精魂を振り絞る思いで訴えた。
 「人生は山あり、谷ありです。一面から見れば、すべては諸行無常です。愛し合ってきた夫婦も、どちらかが先に他界していく。愛別離苦も避けがたい。しかし、その無常なる現象の奥に、妙法という永遠の法理がある。この法理に立脚し、自身の境涯を革命していくならば、苦悩の波が打ち続こうとも、それに負けることなく、悠々と乗り越えていくことができるんです。
 そのために日蓮大聖人は、題目を教えられ、御本尊を顕された。諸行無常の世にあって、常楽我浄の人生を謳歌し、遊楽を満喫する方途を示してくださったんです」
 そして、翌十三日には、兵庫県の加古川文化会館を訪問し、加古川支部結成十七周年を祝う記念勤行会に出席した。
 当初、伸一の加古川訪問は、日程の調整がつかなかった。しかし、“これまでにお会いできなかった方々を、なんとしても励ましたい”との、彼の強い思いから、訪問が決行されたのである。
 彼は、関西の幹部に言った。
 「これからは兵庫県が大事だ。兵庫が強くなれば、それに啓発されて大阪も強くなる。両者が切磋琢磨し合っていくならば、それが関西の牽引力となり、日本、世界の一大牽引力となる。また、兵庫県を強くするには、これまで、あまり光の当たらなかった加古川などを強化していくことだ。それが、永遠なる常勝の王者・関西を築くポイントです。
 だから私は行く。新しいところへ、幹部が率先して足を運ぶんです」
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2016年03月21日

常楽67

常楽 六十七

 山本伸一は、泉州の女子部総会に続いて行われた、各部合同勤行会にも出席した。この参加者は、泉州文化会館を菊の花で荘厳するために、丹精込めて菊を育てた各大ブロックの有志たちであった。
 二日前、咲き薫る菊の花を見た伸一は、関西の幹部に、「この花を育ててくれた方たちは、勤行会には集って来られますか」と尋ねた。メンバーが、参加対象にはなっていないことを聞くと、こう提案した。
 「勤行会の開催回数を増やして、菊を育ててくださった方々をお招きできませんか。私は、何回でも出席させていただきます。陰で苦労し、真心を尽くしてくださった人を、最も大事にするのが学会です。私は、直接お会いして、心から御礼申し上げたいんです」
 そして、十二日午後の各部合同勤行会が決まったのである。人びとを思う、一つ一つの配慮のなかにこそ、人間主義の輝きがある。
 勤行会で伸一は、「よ(善)からんは不思議わる(悪)からんは一定とをもへ」(御書一一九〇ページ)の御聖訓を拝して、広布の道は苦闘の連続であると覚悟し、諸難を乗り越え、人生の勝利と幸福を築いてほしいと訴えた。
 また、菊作りの労作業に感謝し、賞賛と励ましの句を、次々と贈ったのである。
 「天に月 地に菊薫る 広布かな」
 「菊作り 喜ぶ人みて 陰で泣く」
 「目もさめる 此の世の絵巻か 菊の庭」
 「菊見つつ 信のこころが 見ゆるかな」
 「霊山も かくの如きか 菊の波」
 勤行会での指導を終えた彼は、会場の片隅にいた数人の老婦人のもとへ歩みを運んだ。苦労して広宣流布の道を切り開いてこられた草創の功労者であろう。広布の幾山河を歩み抜いてきた苦闘と栄光が偲ばれた。仏を仰ぐ思いで、老婦人の肩に手をかけて言った。
 「よくいらっしゃいましたね。偉大なるお母さん方にお会いできて嬉しい。お疲れ様です。皆さんを見ていると、私のおふくろのように思えるんです。うんと長生きしてください。それが私の願いです」
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2016年03月19日

常楽66

常楽 六十六

 森川一正は、「泉州の歌」の歌詞を、朗々と読み上げていった。
   
 一、桜と朝日の泉州は
   満つる功徳に笑顔あり
   あの人この人元初より
   不離の同志か兄弟か
   
 二、ああ平和なりこの大地
   幾百万の雄叫びは
   歓喜のスクラム道拓く
   勇み歌えや我友よ
   
 三、天に月あり地には菊
   香れる人材泉州に
   広布の旗はついに起つ
   ああ泉州の城光れ
   
 大拍手と歓びの笑みが広がった。
 山本伸一のあいさつとなった。彼は、女子部員の幸せを願いつつ、語り始めた。
 「若々しい生命の放つ輝きほど、美しいものはない。皆さんは気づかないかもしれないが、青春そのものが最高の美なんです。
 青春には、若さもあれば希望もある。それ自体が強さであり、特権です。ましてや皆さんは、自己の内面を磨き鍛え、最高に個性を輝かせていける信心という絶対的な法則を知り、実践している。ゆえに、他者に依存して幸福を求めるのではなく、自分に自信をもって、毅然と生き抜いていただきたい。
 女子部の年代は、生涯にわたる幸せの軌道を建設する時代といえます。その軌道をつくる力が信心であり、教学なんです。
 生きることは、宿命との戦いです。宿命の問題を解決していく道は、生命の大法である仏法による以外にない。その意味からも、教学を学び、幸福への人生哲学を、しっかりと身につけていただきたい。また、自行化他にわたる信心で、友の幸せのために行動し、境涯を広げ、何があっても負けない生命の強さを培い、福運を積んでいってください」
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2016年03月18日

常楽65

常楽 六十五

 十一月十二日の午前中、山本伸一は岸和田市の泉州会館を視察した。一九六四年(昭和三十九年)秋に設けられた、二階建ての小さな会館である。泉佐野市に泉州文化会館が完成するまでは、ここが泉州方面の活動の中心となっていた。
 人びとの関心は、新しいものに集まる。しかし、“これまで使われてきた場所はどうなっているのか”“今後は、どう活用していくことが望ましいのか”などを考え、直接、足を運び、手を尽くしていくのが、リーダーの大事な在り方である。建物に限らず、何事においても、皆の気づかぬところに目を配る努力を怠ってはなるまい。
 車中、岸和田城が見えた。この城は、伝承によれば、和泉国守護となった楠木正成の一族・和田高家が、建武元年(一三三四年)に築いたといわれる。天守閣は、江戸時代後期に落雷で焼失し、戦後、再建されたものだ。
 春には、青空にそびえる天守と苔むした石垣、桜の景観が美しいという。
 伸一は、泉州の同志に、新しき常勝の時代の幕開けとして、「泉州の歌」を作詞して贈りたいと思い、歌詞を作り始めた。
 車窓の岸和田城と創価の新法城・泉州文化会館が、脳裏で二重写しになった。そして、文化会館の庭を埋め尽くした真心の菊や、会館から見た美しき月天子、歓喜に満ちた同志の笑顔が次々と浮かんだ。
 彼は、わが魂を、この地に永遠にとどめる思いで作詞を続けた。
 泉州文化会館に戻った時には、既に歌詞は出来上がっていた。
 この日は、午後一時から、「女子部の日」を祝う泉州の女子部総会が行われた。
 この総会にも、伸一は勇んで出席した。
 席上、副会長の森川一正が語った。
 「本日、山本先生は泉州会館を視察し、車の中で、『泉州の歌』を作詞してくださいました。先生から『この歌は、まず女子部の皆さんに聴いてもらおう』とのお話がありましたので、発表させていただきます」
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2016年03月16日

常楽63

常楽 六十三

 山本伸一は、家族への婦人部の接し方について、具体的に語っていった。
 「お母さんは、子どもに、『明日、試験でしょ。お題目は唱えたの? やらないから成績がよくならないのよ!』などと、ガミガミ、短絡的、攻撃的に言う傾向がある。これは慈悲とはほど遠い。誰だって反発しますよ」
 どっと笑いが起こった。
 「人間は感情の動物ですから、追及や命令ではなく、思いやりにあふれた、賢い言い方が大事です。たとえば、こう言うんです。
 『あなたが、どう人生を歩んでいくかは自由です。でも、何があるかわからないのが人生よ。その人生を生きるうえで、私には、ただ一つ教えてあげることができる最高の宝がある。それが信心なの。どんなことがあっても、負けない力を引き出していくことができるわ。何かあったら、お題目をあげるのよ。そうすれば、必ず乗り越えられる。これだけは覚えておいてね』――こう語れば、子どもさんも“そうだな”と思うものです。
 ご主人が未入会の場合も、『私は、あなたと共に、永遠に幸せになり、愛し合って生きていきたいんです。だから、信心に励んでいるし、あなたにも勧めるのよ』と言ってみてはどうですか」
 自分が幹部でも、家族が信心していないケースもあろう。しかし、そのことで、学会のなかで、肩身の狭い思いをする必要はないし、確信を失い、元気をなくしてしまうようなことがあってはならない。一人が強盛な信心に立てば、一家、一族を、幸福の方向へと必ず導いていけるのが、偉大な妙法の力用であるからだ。
 家族が未入会であれば、家族みんなの幸せを願い、「一家和楽の信心」をめざして、真剣に題目を唱えていけばよい。挑戦すべき課題があるからこそ、信心に励む張り合いも出てくる。悩みのない人生などないのだ。
 地涌の菩薩とは、苦悩と戦いながら、それに負けずに、広宣流布の使命に生き抜く、不屈なる“歓喜の人”である。
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2016年03月15日

常楽62

常楽 六十二

 山本伸一は、さらに、永井明子の子どもたちに語っていった。
 「あなたたちのお母さんは、著名人のように脚光を浴びることはないかもしれないけど、世の、いかなる女性指導者よりも、尊く、偉大な女性です。庶民の王者として、幸福博士として、最高の勲章を差し上げたい方です。
 このお母さんを、無上の誇りとしてください。その崇高な志を受け継いでください。それが、お父さんの願いでもあるでしょう。
 今日は、これから、お父さんの追善法要を兼ねて、開館記念勤行会を行います。一緒に勤行をしましょう」
 伸一は、嬉しかった。宿命の嵐に敢然と立ち向かい、立派に三人の子どもを育て上げた“広布の母”を、心から讃嘆したかった。
 人生には、さまざまな試練が待ち受けている。その時に、信心を奮い起こして、苦難に挑み、悩み、戦うなかで、自らを磨き鍛えていくことができる。そこに、人間革命がある。
 この日、伸一は、永井明子に句を贈った。
 「美しき 心で勝ちたり 泉州戦」
   
 泉州滞在二日目となる十一月十一日、伸一は、昼と夜の二回にわたって行われた泉州文化会館の開館記念勤行会に出席した。
 昼の勤行会で彼は、一家和楽を築く要諦について言及していった。
 「一家で一人、立派な信心をしていけば、家族全員を救うことができる。信心のことで争うようなことがあってはなりません。
 たとえば、子どもさんが信心していない場合もあるでしょう。たまには、毅然と言うことがあってもよいが、それは、深い愛情からの言動でなければならない。信心を勧めるのは、ご家族の幸せのためです。ところが、信心をめぐって諍いが起きたという人の話をよく聞いてみると、自分のために信心させようとして、感情的になってしまっている。
 子を思う真心は、いつか必ず通じます。子は親の思いを汲み取り、信心してみようかと考える時が来ます。焦る必要はありません」
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2016年03月14日

常楽61

常楽 六十一

 永井明子は、春季合同慰霊祭での山本伸一の激励を、決して忘れなかった。
 挫けそうになるたびに、その時の言葉を思い起こしては、自分を鼓舞して唱題し、学会活動に励んだ。懸命に、誠心誠意、仕事に取り組む彼女を、次第に周囲の人たちも応援してくれるようになった。
 夫・忠の他界から十二年、会社は順調に業績を上げていたのである。
 伸一は、忠の十三回忌が間近に迫っていることを聞くと、彼女に言った。
 「明日もまた、泉州文化会館の開館記念勤行会を開催しますので、その時に、あわせてご主人の法要を行いましょう。よろしかったら、お子さんたちも一緒においでください。
 お母さんと共に、苦労を分かち合ってこられた立派なお子さんたちです。私も、ぜひお会いして、讃え、励まして差し上げたい」
 人間は、必ず、誰かに支えられて生きている。一人の人を本当に励まし、元気づけるには、その人を支えてくれている人をも讃え、励ましていくことが大事である。
 翌十一日昼、伸一が周辺の視察を終え、泉州文化会館に戻ると、玄関の前で永井一家が待っていた。
 「先生! 大変にありがとうございます。本日は、家族で来させていただきました」
 明子は、子どもたちを紹介していった。
 「こちらが長男の勝也で、二十六歳です。そして、次男の皓平、二十二歳です。それから長女の聡美です。二十歳になりました」
 長男は、高校を卒業し、タイル関係の会社に勤めた後、家業を継いでいた。また、次男は、この年の春に大学を卒業して建築資材関係の企業に就職。長女は、歯科衛生士をめざして専門学校に学んでいた。
 伸一は、子どもたちと握手を交わした。
 「立派に育ったね。亡くなられたお父さんも、喝采を送っているでしょう。お母さんを大切にね。しっかり親孝行するんだよ。苦労して、みんなを育ててくれた、日本一のお母さんだもの」
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2016年03月12日

常楽60

常楽 六十

 永井明子の一家は、一九五九年(昭和三十四年)二月に入会した。信心を始めて六年半、タイル施工業を営む夫の忠が交通事故に遭遇した。九死に一生を得たものの、高熱と極度の頭痛に苦しみ、入院生活が続いた。
 忠は、自分が社会復帰できなかった時のために、病床で明子に、商売の基本を徹底して教えた。十カ月後、彼は退院し、仕事を始めたが、その後も入退院を繰り返した。
 明子は、夫の仕事を手伝うために、車の免許を取り、作業現場にも顔を出した。また、支部婦人部長としても奔走した。
 しかし、宿命の嵐は、容赦なかった。
 六六年(同四十一年)師走、忠は他界した。中学三年の長男を頭に三人の子を残して。
 明子は、途方に暮れた。でも、負けなかった。敢然と頭を上げた。
 “勝たなあかん! 子どもたちのためにも、仏法の偉大さを証明するためにも。学会に、絶対に泥を塗ってはならんのや”
 明子は、夫の会社を受け継いだ。
 タイル施工業は、圧倒的に男性中心の社会であった。周囲は「やめるんとちゃうんか」とささやき合った。従業員が数人の小さな会社ではあったが、彼女は社長として、必死に切り盛りした。女性が生き抜くには、生易しい世界ではなかった。懸命に唱題を重ね、一日一日を乗り越えていった。
 必死の祈りは勇気となり、知恵となる。
 夫が他界した翌年の春、広宣流布の途上で亡くなった同志の春季合同慰霊祭が、東京・八王子で執り行われた。
 明子は、この慰霊祭に出席した。
 その折、山本伸一は、彼女と言葉を交わし、力を込めて励ました。
 「ご主人を亡くして、お子さんを抱え、さぞ辛いでしょう。苦しいでしょう。
 でも、あなたが悲しめば、ご主人も悲しみます。反対に、あなたが元気に、はつらつと学会活動に励み、歓喜しているならば、その生命は、ご主人にも伝わっていきます。それが仏法の原理なんです」
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2016年03月11日

常楽59

常楽 五十九

 勤行会終了後、山本伸一は泉州文化会館の館内を回り、会う人ごとに励ましの言葉をかけた。また、代表との懇談会を行ったほか、数人の婦人部幹部とも語り合った。
 彼は、この語らいの折、泉州地域から成る第七大阪本部の婦人部長・井草香に、微笑みながら話しかけた。
 「私は、あなたの一生懸命な姿が、忘れられないんです。昭和三十一年(一九五六年)の大阪の戦いの時に、道案内をしてくれましたね」
 伸一が、泉州で会場となっている会員宅を激励に回った時、案内役を務めてくれたのが井草であった。
 その日、彼は、朝から大阪各地を駆け巡り、泉州では、二会場を回る予定であった。訪れた先々で、生命を削る思いで激励を続けてきただけに、伸一の疲労は、ピークに達していた。泉州の二軒目となるお宅に向かいながら、彼は言った。
 「さあ、あと一会場だね。今日は、これで二十四カ所目なんですよ」
 井草は、一瞬、躊躇した。二会場の予定が、どうしても訪問してもらいたい家があり、三会場にしてしまっていたのだ。
 意を決して、もう一カ所、増えたことを伝え、伸一にわびた。
 「お疲れのところ、申し訳ありません」
 「いいえ。喜んで伺わせてもらいます。私は広布のため、同志のために一身を捧げる覚悟です。それが幹部ではないですか」
  
 伸一は、当時を思い起こしながら語った。
 「私は、一緒に戦い、共戦の歴史を綴った同志のことは、深く心に刻んでいます」
 井草は、目を潤ませた。
 さらに彼は、隣にいた泉州圏婦人部の指導長である永井明子を見た。
 「あなたも頑張ってきたね」
 「ありがとうございます! 今年は夫の十三回忌となります」
 「その間の苦闘は、ご一家にとって最高の財産になりますよ。それが信心の世界です」
posted by ハジャケン at 09:40| 山梨 ☁| 新・人間革命 29-1常楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月10日

常楽58

常楽 五十八

 泉州文化会館の開館記念勤行会は、山本伸一のあいさつとなった。
 そのなかで彼は、「信心の基本とは何か」に言及していった。
 「それは、究極的には“御本尊根本”ということに帰着します。では、“御本尊根本”とは、いかなる生き方をいうのか――。
 人生は、何が起こるかわかりません。順風満帆とはいかず、浮き沈みもある。生きるということは戦いであり、ある意味で苦難の連続であるといえるかもしれない。病や不慮の事故、経済的な問題、人間関係の悩み、あるいは、子どものことで苦しむ場合もある。
 しかし、仏法では、『煩悩即菩提』『生死即涅槃』と教えている。いかなる迷い、苦悩に直面しても、この原理を忘れてはならない。
 日蓮大聖人は、私たちが、煩悩を菩提へ、生死を涅槃へ、四苦八苦に苦しむ身を常楽我浄の生命へと転換し、人生の幸せを満喫して生きていくために御本尊を顕された。
 いわば、迷い、苦悩の生命を転換していくための回転軸こそが御本尊であり、その回転の力となるのが唱題なんです。ところが、窮地に陥ると、“もう駄目だ”と絶望的になったり、信心が揺らいだりしてしまう。それは、縁に紛動され、根本の一念が御本尊から離れてしまっているからなんです。
 生命が御本尊と合致していれば、どんな苦難も、必ず乗り越えていくことができる。信心の極意は、何があっても御本尊に向かい、題目を唱え抜いていくことしかありません。
 苦しい時も、悲しい時も、嬉しい時も、この姿勢を貫き通していくことが、“御本尊根本”の信心であり、それが正信なんです。
 そうすれば、御本尊が助けてくれないわけがない。困難を乗り越える大生命力が、智慧が、湧かないわけがありません。常に、根底の一念を御本尊に定め、その信心を持続することが、現世安穏・後生善処の人生につながっていくことを知っていただきたい。
 また、よく“信心の根を張る”というが、それは、持続の信心ということなんです」
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2016年03月09日

常楽57

常楽 五十七

 二十二年前に山本伸一と食事をしながら懇談した人たちは、その時に出し合った食事代が百円であったことから、「百円会」という名をつけ、以来、共に広布の誓いに生きようと励まし合いながら、前進してきたのだ。
 人生には、さまざまな思い出や、転機となる出会いがある。それを大切にし、心の宝物としている人は強い。負けない。何かあった時に、返るべき発心の原点があるからだ。
 このメンバーは、伸一との誓いを深く胸に刻み、友の激励に、弘教にと奔走し、人生の凱歌を轟かせてきたのだ。
 今、頰を紅潮させて、奮闘の来し方を報告する同志の姿は、たくましく、尊かった。
 「皆さんは、本当によく頑張ってくださった。私は、それが嬉しいんです。一人ひとりが庶民の大英雄です。
 ところで、『百円会』という名前ですが、新しい名称にして再出発しませんか。『百円会』は、開けっぴろげで、いかにも大阪らしいのですが、もう少しセンスがある名前の方がいいんじゃないですか」
 朗らかな笑いが広がった。
 「こんなに美しい菊のなかで再会したんですから、『菊花会』としてはどうでしょうか」
 賛同の拍手が沸き起こった。
 さらに彼は、句を詠み、贈った。
 「なつかしや 遂にあいたり 菊花会」
 泉州文化会館の開館記念勤行会は午後六時前から開始され、伸一の導師で厳粛に勤行・唱題した。地元幹部のあいさつ、表彰に続いて、婦人部と女子部の合唱団が、「母の曲」、関西の歌「常勝の空」、さらに、皆が初めて聴く新曲をはつらつと歌い上げていった。
   
 〽堂々と 王者の城か 泉州の
  友らがつくりし 人材の石垣
   
 伸一が、二年半ほど前に、泉州の友に贈った和歌に曲をつけ、「王者の城」と題して披露したのだ。彼は、皆の気持ちが嬉しく、“ありがとう!”と心で叫んでいた。
posted by ハジャケン at 10:17| 山梨 ☀| 新・人間革命 29-1常楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月08日

常楽56

常楽 五十六

 泉州文化会館は、この一九七八年(昭和五十三年)の、十一月五日に落成したばかりの会館である。
 泉州は、タマネギなどの野菜栽培や、タオルなどの繊維工業が盛んである一方、ベッドタウン化が進んでいた。また、泉州沖には関西新空港(関西国際空港)を建設する計画があり、日本の新たな玄関口となる可能性の高い、未来性に富んだ地域でもあった。
 午後四時前、山本伸一は、二十一年ぶりに泉州の地を訪れた。会館に到着し、車を降りると、出迎えてくれたメンバーに言った。
 「すばらしい会館だ。泉州は勝ったね!」
 会館の玄関にも、庭にも、黄・白・紫などの色をした菊の大輪や懸崖作りが、所狭しと飾られ、夕日に映えていた。
 「美事な菊だね。真心が胸に染みます」
 菊は、千二百六十五鉢あるという。各大ブロック(後の地区)の有志が丹精込めて育てたものだ。
 菊の花言葉は、「清浄」「高潔」である。それは、そのまま、泉州の同志の信心、生き方を表現しているように思えた。
 彼は、泉州文化会館の初訪問を記念して、楠 や 桜などを植樹し、集って来た同志らと、記念のカメラに納まっていった。
 伸一の目に、見覚えのある幾つもの顔が飛び込んできた。あの“大阪の戦い”で共に汗を流し、苦楽を分かち合った同志たちである。
 「久しぶりです!」
 彼は足早に歩み寄って、握手を交わした。
 当時、青年部の室長であった伸一が、泉大津市で活動の指揮を執った折、一緒に食事をしながら懇談した、二十数人の人たちであった。その日は皆、大奮闘し、指導会が 終了した時には、誰もが空腹を覚えていた。そこで伸一は、会場の別室で、皆と食事をしながら、懇談することにした。
 彼は、一人ひとりと言葉を交わし、生涯、不退の信心に励むよう訴えていった。この時の「頑張りまっせ!」との誓いを、皆、忘れなかった。誓いは幸福への種子となる。
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2016年03月07日

常楽55

常楽 五十五

 山本伸一は、懇談的に話を続けた。
 「皆さんの奮闘のおかげで、創価学会は大発展し、社会的にも大きな責任を担う存在になりました。それにともない、当然、学会の運動も大きく変化していきます。それが、人間とともに、時代とともに生きる宗教であることの証明ともいえます。
 草創期の学会を、モーターボートにたとえるならば、今の学会は、大型のタンカーのようなものです。タンカーが湾のなかを、猛スピードで進めば、大波が立ち、周囲の小舟も大きく揺れてしまう。ゆえに、静かに、細心の注意を払って、周りを気遣いながら進んでいく必要がある。これが道理です。
 急いで進もうとして、社会性を軽視するようなことがあっては絶対にならない。いかなる団体よりも、社会性を尊重する学会であり、皆さん方であってください。
 これは、今後の、恒久的な学会の在り方を考えるうえでの基本です。
 また、そのためにも、家庭を盤石にし、しっかりと足元を固め、地域に信頼の根を深く張っていくことが、ますます大事になります」
 社会は、家庭の集合体である。家族が仲良く、はつらつとして明るく、温もりに満ちた家庭は、それ自体が仏法の実証となる。そして、幸の航路を照らす“地域の灯台”となる。
 伸一は、堺文化会館での勤行、指導のあと、泉佐野市の泉州文化会館へと急いだ。
 大阪には何度となく来ていたが、なかなか泉州を訪れることはできなかった。それだけに今回は、大阪の南の要衝たる泉州方面の激励に力を注ぎたかったのである。
 明年には、「七つの鐘」が鳴り終わり、新出発の時を迎える。ゆえに、今こそ、あまり訪問できなかった地へ行き、一人でも多くの同志と会って励まそうと、固く心に決めていたのだ。
 新しい一歩を踏み出し、新しい人と会う。その行動のなかに広宣流布の広がりがある。
 一人の同志が使命に燃え立つならば、その火は、次々と人びとの心に移り広がり、燎原の火となって燃え輝く。
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2016年03月05日

常楽54

常楽 五十四

 堺支部の誕生は、一九五三年(昭和二十八年)十一月である。山本伸一の堺訪問は、支部結成二十五周年にあたっていた。彼は、堺文化会館で、集っていた代表幹部と共に、その佳節を祝う勤行を行った。
 支部結成前年の八月十四日、伸一は、堺への第一歩を印し、座談会に出席している。この日は、彼が戸田城聖と出会ってから、ちょうど五年となる記念の日であり、胸には、師弟共戦の決意が燃え盛っていた。
 さらに、一九五六、七年(同三十一、二年)と、“大阪の戦い”の指揮を執った折にも、何度となく堺に足を運んだ思い出がある。
 堺文化会館で勤行を終えて、彼が席に着くと、堺支部の初代支部長を務めた浅田宏の、メガネをかけた温和な顔があった。
 伸一は、懐かしそうに語りかけた。
 「久しぶりにお会いできて嬉しい。草創期を戦った先輩方が、いつまでも元気で活躍していることが、後輩たちの希望になるんです。
 仏法の真実、創価学会の信仰の正義は、一生を通じて、一個の人間の生き方を通して証明していくべきものなんです。
 七十代、八十代、九十代となっても、青年時代の信念をいささかも曲げずに、喜々として広宣流布に生き抜いている。その姿を見れば、後輩たちは、“この信心は本物なんだ。生涯をかけて悔いない信仰なんだ”と、安心して信心を貫いていくことができる。
 反対に、昔は、華々しく幹部として頑張っていたが、いつの間にか、活動にも参加しなくなってしまったという人もいる。それを見た後輩たちは、どれほど、わびしい思いをするか。先輩の責任は重いんです。
 ゆえに、信心は、生涯、全うしていかなければならない。よろしく頼みます」
 「はい! 頑張ります」
 浅田は、既に七十六歳であったが、その声には、若々しい闘志があふれていた。
 「嬉しいね。まるで青年のようではないですか。幾つになろうが、この心意気が学会精神なんです。“永遠の青春”ですよ」
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2016年03月04日

常楽53

常楽 五十三

 山本伸一は、さらに訴えていった。
 「信心の世界にあっては、一つ一つの課題に対して、常に真剣に取り組んでいかなくてはならない。
 学会活動は、現代における最高の仏道修行です。仏道修行というのは、己との対決であり、自分の限界を打ち破って、心を強く、大きくし、境涯を開いていくためのものです。
 したがって、人の目を意識し、格好だけ取り繕っても、根底にいい加減さがあれば、人間革命はできません。しかし、真剣であり、一途な人、誠実な人は、必ず、大きく成長していきます。
 信心が惰性化していくと、この根底の真剣さが萎えてしまい、一生懸命やっているように見せかけて終わってしまう。そうなれば、どんな幹部であろうと、信心の歓喜はなくなり、人を触発することもできません。
 二十二年前の、あの“大阪の戦い”で大勝利を収めることができたのは、皆が真剣であったからです。だから歓喜があり、功徳があり、確信が湧き、感動のなかに凱歌を響かせることができた。
 新しい『常勝関西』の建設のために、中心となる幹部の皆さん方は、このことを忘れないでいただきたい」
 こう語る彼の口調には、関西の大飛躍を願う、強い思いがあふれていた。
   
 翌十日、山本伸一は、二年十カ月ぶりに、大阪市の南に隣接する堺市の、堺文化会館(後の堺平和会館)を訪問した。
 草創期、大阪支部に続いて関西に誕生したのが堺支部であった。当初、規模の小さな支部であったが、その奮闘が、大阪支部に奮起を促し、関西の牽引力となっていった。
 また堺は、古くから対明・対南蛮貿易などで栄え、豪商による自治都市がつくられた。町人文化も盛んで、自主と進取の精神が脈打つ地域であった。その誇り高い気風を受け継ぐ堺から、関西に広布の新風を起こしたいと、伸一は考えていたのだ。
posted by ハジャケン at 09:54| 山梨 🌁| 新・人間革命 29-1常楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月03日

常楽52

常楽 五十二

 一九七八年(昭和五十三年)の十一月九日夜、山本伸一は、空路、大阪へ向かった。この年、六度目の関西指導のためである。
 今回は、大阪・泉佐野市に完成した泉州文化会館の開館を祝う記念勤行会などへの出席が予定されていた。
 関西の同志と共に、弘教の金字塔を打ち立てた、あの五六年(同三十一年)の大阪の戦いから、既に二十二年がたつ。
 伸一は、関西が永遠に「常勝」の大城であり続けるために、今再び新しき前進のための布石をしておきたかったのである。
 大阪到着後、直ちに彼は、豊中市の関西牧口記念館へ向かい、関西最高会議に出席した。中心となる幹部への指導から、彼の戦いは始まった。
 「指導者として大切な要件はたくさんあるが、今日は次の諸点を確認しておきます。
 広宣流布のリーダーにとって、強盛な信心に立つことが最も大事であるのは当然ですが、そのうえで、広く、深く“教養”を身につけていかねばならない。
 学歴や知識が、そのまま教養になるわけではありません。学んだものが、知性、見識となって発揮され、人格の輝きとなってこそ、真実の教養です。それには、多くの書を読んで、学び考え、自らを高めていく努力を、日々、続けていくことです。
 第二には、広宣流布という遠征のために、“健康”でなければなりません。健康を守るのは、基本的には自分自身です。
 暴飲暴食を慎み、食事の取り方を考える。疲れがたまったなと思ったら、工夫して早く休むようにする。毎日、体操を続ける。また、手洗い、うがいを励行し、定期的に健康診断を受けるなど、基本的なことを怠らずに行っていくことが大事なんです。
 仏法は道理です。信心をしているから、不摂生な生活をしていても、大丈夫だなどと考えるのは間違いです。“健康になるぞ!”と深く決意し、唱題に励み、聡明に、規則正しい生活を送っていく。それが信仰者の姿です」
posted by ハジャケン at 09:23| 山梨 ☀| 新・人間革命 29-1常楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月02日

常楽51

常楽 五十一

 「水滸会」の青年たちが決起した地である山梨に集う同志たちこそ、広布第二章の先駆けとして立ち上がってほしいと、山本伸一は強く念願していた。
 また、「文化の華と 咲き薫れ」の一節には、山梨への彼の大きな期待があった。
 文化とは「文をもって化す」ことであり、人間の心を耕す作業といってよい。暴力や権力、金力といった人間を脅かす外からの力に抗して、人間性の勝利をもたらす力である。
 人間生命の改革を基盤に、野蛮を平和へと転じて、社会の繁栄をめざす広宣流布の運動こそ、文化の最先端を行くものにほかならない。伸一は、この詩情豊かな山梨の地に、地域広布の大城を築き、人間文化の大輪を育んでいってほしかったのである。
 そのためにも、人材の育成に力を注ぎ、数多の逸材を育てることが大切になる。
 『甲陽軍鑑』(品第三十九)には、甲斐を根拠地にした戦国武将・武田信玄の言葉として、「人は城 人は石垣 人は堀」とある。一人ひとりが適材適所を得て、力を発揮すれば、人が堅固な城となり、石垣となり、堀となって、鉄壁の守りを固めていけるのだ。
 では、人材育成の要諦とは何か。
 それは、リーダーが成長し続けていることだ。人は触発があってこそ奮起する。触発をもたらすには、日々、自分が成長していなければならない。ゆえに、リーダー自身が心に師をいだき、求道心を燃やし、新しい挑戦を重ね、自分を錬磨していくことが大事になる。厳に戒めるべきは慢心と油断である。
 また、一人ひとりの成長と幸福を願い、共に行動しながら、信心の基本を教えていくことだ。人は放っていたのでは育たない。山梨の大地を彩る果樹のように、手塩にかけて、真心を注いだ分だけ成長していく。
 そして、広宣流布に生きるリーダーの信念は、そびえ立つ富士のごとく、揺るぎなきものでなくてはならない。
 伸一の眼には、二十一世紀の大空にそびえ立つ山梨の人材城が、燦然と輝いていた。
posted by ハジャケン at 09:20| 山梨 ☀| 新・人間革命 29-1常楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月01日

常楽50

常楽 五十

 山梨の歌「文化と薫れ」は、十一月九日、山梨本部での山梨県支部長会で発表された。
   
 一、見よや厳然 富士光り
   我と歴史を 語りなむ
   この地尊き 山梨は
   いついつ讃えむ 勇みなむ
   
 二、若葉は露に 楽園の
   広布の幕は この地より
   いざいざ立ちなむ 山梨は
   文化の華と 咲き薫れ
   
 三、この河あの河 幾歳か
   地涌の瞳は 走りゆく
   今 今 勝ちなむ 山梨の
   君と我との 不落城
   ああ この城は 金の城
   
 富士光る山梨は、山本伸一にとって師と共に青春の思い出を刻んだ天地であった。
 一九五五年(昭和三十年)の六月十一、十二の両日、戸田城聖にとって最後となった「水滸会」野外研修が、山梨県の河口湖畔と山中湖畔で実施された。青年たちは、師に見守られるなか、相撲にも汗を流した。
 十一日夜、戸田を囲んで懇談が行われた折、“故郷に錦を飾るとは、私たちの立場から、どうとらえるべきか”との質問が出た。
 「戸田の弟子となって、広宣流布に戦っている姿が、最高にして永遠の錦じゃないか! この錦こそ、最高にして不変の錦なんです!」
 真実の錦とは、世間の栄誉や地位、名声ではなく、広布に生き抜く姿にあることを、彼は、若き生命に打ち込んでおきたかったのだ。
 青年たちは、創価の師子として、広宣流布という地涌の使命に生きるなかに、永遠不変の最高の栄誉があることを知り、決意を新たにした。そして、各地に散り、恩師の誓願である会員七十五万世帯の成就へ大進撃を開始していったのだ。その歴史を伸一は、「広布の幕は この地より」と詠ったのである
posted by ハジャケン at 09:51| 山梨 ☔| 新・人間革命 29-1常楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月29日

常楽49

常楽 四十九

 山本伸一は、人生の年輪を刻んできた同志に、信心の見事な実証を示してほしかった。
 晩年における最高最大の信心の実証とは何か――財力や地位、名誉等ではない。ありのままの人間としての人格の輝きにある。
 皆を包み込む温かさ、人を思いやる心、大いなる理想への不屈の信念、飽くなき向上心――それらが育む精神の光彩こそが、人格の輝きといってよい。
 それは、紅葉の美に似ているかもしれない。木々は、深雪に耐えて芽を出し、天高く伸びよう伸びようと枝を張り、葉をつけ、灼熱の太陽に自らを鍛える。やがて、その帰結が炎の紅葉となる。そして、葉が落ちる瞬間まで、自身を赤々と燃やす。見る人に幸せを送ろうとするかのように。
 紅葉は人生の晩年の象徴であり、生の完全燃焼がもたらす、鮮やかな彩りの美といえよう。その円熟した美しさは、青葉の青春に勝るとも劣らない。
 信心の先輩たちが、人格の光彩を増し、人びとから慕われ、信頼、尊敬されていくならば、それがそのまま、広宣流布の広がりとなっていく。そうした方々の存在こそ、全同志の誇りであり、創価の無上の宝である。
  
 指導部の歌「永遠の青春」の歌詞と楽譜が「聖教新聞」に掲載された十一月十日、同紙の山梨版には、やはり山本伸一が作詞した山梨の歌「文化と薫れ」が発表された。
 この歌は、当初、地元の有志が歌詞の制作に取り組み、仕上がった案を伸一のもとに届けた。しかし、山梨の県長自身も満足できないらしく、「山本先生に歌詞を作っていただければ……」とのことであった。
 伸一は、届けられた歌詞を参考に、“皆の要請ならば、精いっぱい応えよう”と、作詞に取りかかったのである。
 「創価文化の日」の記念行事が行われた十一月三日、歌詞を完成させ、山梨の同志に伝えた。ただちに、作曲担当者が曲作りに取りかかり、歌の誕生をみたのである。
posted by ハジャケン at 09:21| 山梨 ☀| 新・人間革命 29-1常楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月27日

常楽48

常楽 四十八

 「永遠の青春」の四番、「ああ疲れにも いざ立ちて 永遠の青春 再びと」の歌詞には、山本伸一の、“指導部は永遠に広宣流布の勇者たれ!”との思いが託されていた。
 また、次の「見渡す彼方は 天に華 翼に乗りて 今日もとぶ」の歌詞には、“三世にわたる仏法の法理を強く確信し、若々しく、歓喜あふれる日々を送ってほしい”との祈りが込められていた。
 日蓮大聖人は、「須く心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱へ他をも勧んのみこそ今生人界の思出なるべき」(御書四六七ページ)と仰せになっている。自行化他の信心に励み、人びとの幸せを願い、仏法を教え、友を励ましていく。それこそが、今生人界の思い出となると言われているのだ。
 人間として生まれ、正法に巡り合えたからこそ、広宣流布の大偉業に連なり、人びとに仏法を語って、地涌の菩薩の使命を果たしゆくことができる。そう自覚するならば、学会活動に参加できることに、無上の喜びを感じざるを得まい。
 そして、どれだけの人に法を説き、発心を促し、人材を育てていくか――そこに人生の最高の充実があり、それは、そのまま永遠不滅の光を放つ生命の財宝となるのだ。
 「あの人が通ってくれたから、今の幸せがある」「あの時の指導と激励で、私は奮起した」と感謝される人生こそが、広宣流布の勇者の誉れなのである。
 伸一の指導部への期待は大きかった。
 日本の未来を思い描く時、未曾有の高齢社会が訪れる。人びとが幸せな晩年を送っていくためには、年金や就労、介護などの問題とともに、各人が、いかなる人生観、死生観をもって、生き生きと創造的に日々を過ごしていくかが、重要なテーマとなる。つまり、人間の心の在り方が問われるのだ。
 仏法という生命の法理を人生の哲学として、友のため、地域のために、はつらつと汗を流す信心の先輩たちの姿は、老後の生き方の模範を示すものとなろう。
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2016年02月26日

常楽47

常楽 四十七

 山本伸一は、指導部の同志には、仏法者として、人間として、人生の見事な総仕上げをしてほしかった。牧口常三郎初代会長のように、命ある限り、広宣流布への闘魂を燃やし続けてほしかった。
 いかに晩年を生きたかが、一生の総決算となる。青年時代から悪戦苦闘を乗り越え、懸命に学会活動に励んできたとしても、高年になって、広布への一念を後退させてしまうならば、人生の大勝利を飾ることはできない。
 日蓮大聖人は、「始より終りまで弥信心をいたすべし・さなくして後悔やあらんずらん」(御書一四四〇ページ)と仰せである。
 多くの人は、年を取れば、組織の正役職を若い世代に譲ることになる。それは、組織を活性化させるうえでも大切なことである。
 しかし、役職を交代したからといって、“あとは若い世代が頑張ればよい”と考え、学会活動に情熱を燃やせなくなってしまうならば、それは己心の魔に負けている姿であろう。
 いかなる立場になろうが、組織の中心者と心を合わせ、広宣流布のために、自分のなすべきことを見つけ、創造し、そして行動していくのだ。「さあ、これからが本番だ!」と、“いよいよ”の決意で、新しき挑戦を重ねていくのだ。それが“創価の心”である。
 年齢とともに時間的なゆとりも生じよう。個人指導や仏法対話、地域友好・貢献にも、より多くの時間を費やすことができる。
 また、失敗も含め、積み重ねてきた豊かな人生経験は、人びとを励ますうえでも、仏法を語るうえでも、大きな力となる。人生のすべてが生かせるのが信心なのである。
 たとえ足腰の自由が利かなくなったとしても、電話や手紙などで人を励ますことはできる。さらに、皆の幸せを願って唱題することもできる。決して無理をする必要はない。大事なことは、戦う心を忘れないことだ。
 人生も社会も、諸行無常である。しかし、生涯、誓いを胸に、同志と共に広宣流布に生き抜くなかに、生命の大法に立脚した常楽我浄の人生があるのだ。
posted by ハジャケン at 09:36| 山梨 ☀| 新・人間革命 29-1常楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月25日

常楽46

常楽 四十六

 組織といっても、人と人のつながりであり、互いに尊敬と信頼の絆で結ばれてこそ、その結合の力は強まっていく。
 しかし、大ブロック長(後の地区部長)や支部長など、ライン組織の正役職者の場合、出席すべき会合をはじめ、組織運営のためになすべき事柄も多く、個人指導に十分な時間が取れないことも事実である。
 それだけに、長年、組織の責任をもって活動し、信心の体験も、人生経験も豊富な年配者たちが、各組織のリーダーをバックアップし、個人指導に力を注いでいくならば、どれほど多くの人びとが信心に奮い立ち、広布の人材に育っていくことか。
 いわば、そうした先輩たちの存在は、一人ひとりの会員にとっては“信心の命綱”であり、学会にとっては、広宣流布を支えてくださる大切な根っこといってよい。
 ゆえに、山本伸一は、かつて指導部を、「広布の赤十字」と表現したのだ。
 すべての学会員が、喜々として信心に励み、幸せになっていくためには、皆に漏れなく励ましの手を差し伸べていくネットワークが必要になる。この主軸となる存在こそが、先輩たちである。
 さらに、その激励によって、社会貢献の使命に目覚めた学会員が核となり、地域の隅々にまで、真心と友情のネットワークを張り巡らしていくならば、それは、人びとの心を守る、社会の新たなセーフティーネット(安全網)となろう。
 いわば、指導部の同志が、日々行う個人指導の歩みは、人間の孤立化、分断という現代社会のかかえる問題を解決する、一つの大きな力となっていくにちがいない。
 伸一は、そのメンバーの尊き活躍の様子と心意気を、「ああはるかなる あの地にも 我はとびゆき 抱きたり わたしは歩みて 共に泣く」と表現したのである。
 同苦と励まし――そこに、人間性の輝きがある。その時、友の胸中に勇気の泉が湧く。そして、人間と人間とが結ばれていく。
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2016年02月24日

常楽45

常楽 四十五

 山本伸一のスケジュールは、十一月もぎっしりと詰まり、多忙を極めていたが、学会歌の作詞は、とどまることなく続けられた。
 十一月九日付の「聖教新聞」には、当時の指導部の歌「永遠の青春」が誕生したことが発表され、翌十日付には、歌詞と楽譜が掲載されている。指導部は、組織の幹部として経験を積んできた年配者によって構成されていた部で、その使命は、後の多宝会(東京は宝寿会、関西は錦宝会)に受け継がれていく。
   
 一、ああ幾歳か 草枕
   冴えたる月に 口ずさむ
   広布の歌の 尊けれ
   三世の道と 胸はれり
   ああ悔いなきや この旅路
   
 二、ああ春秋の 坂道を
   涙と情けで のぼりけり
   わが子も友も 一念に
   如来の使いと のぼりけり
   ああ誰か知る 天高し
   
 三、ああはるかなる あの地にも
   我はとびゆき 抱きたり
   わたしは歩みて 共に泣く
   この世の思い出 幾度か
   ああ法戦に 我勝てり
   
 四、ああ疲れにも いざ立ちて
   永遠の青春 再びと
   見渡す彼方は 天に華
   翼に乗りて 今日もとぶ
   ああ美しき この指揮は
   
 創価学会が大発展してきたのは、地道な個人指導、励ましの力によるところが大きい。学会を人体にたとえるならば、組織は骨格であり、全身に温かい血を送る血管の役割を担っているのが、個人指導であり、励ましである。それによって学会は、皆が元気に、心豊かに前進してきたのである。
posted by ハジャケン at 09:29| 山梨 ☁| 新・人間革命 29-1常楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする