2017年04月09日

一生成仏抄P383

都て一代八万の聖教・三世十方の諸仏菩薩も我が心の外に有りとは・ゆめゆめ思ふべからず、
然れば仏教を習ふといへども心性を観ぜざれば全く生死を離るる事なきなり、
若し心外に道を求めて万行万善を修せんは譬えば貧窮(びんぐ)の日夜に隣(となり)の財(たから)を計(かぞ)へたれども半銭の得分もなきが如し、
然れば天台の釈の中には若し心を観ぜざれば重罪滅せずとて若(も)し心を観ぜざれば無量の苦行となると判ぜり、
故にかくの如きの人をば仏法を学して外道となると恥(はずか)しめられたり、爰(ここ)を以て止観(しかん)には雖(すい)学(がく)仏教・還(げん)同外見(どうげけん)と釈せり―――
 一生成仏抄P383 
posted by ハジャケン at 09:08| 山梨 ☁| 御書を読もう | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする