2017年03月18日

「春季彼岸勤行法要」のために

「春季彼岸勤行法要」のために 2017年3月18日

拝読御書「上野殿御返事」(土餅供養御書)
御書全集 1508ページ13行目〜1509ページ1行目
編年体御書 623ページ13行目〜624ページ1行目
広布の実践こそ最高の回向
共に朗らかに“生命の旅路”を



 創価学会では、「春分の日」である20日を中心に、全国の主要会館、墓地公園、納骨堂で「春季彼岸勤行法要」を開催し、故人への追善の勤行・唱題、焼香を厳粛に行います。ここでは、勤行法要の拝読御書である「上野殿御返事」(土餅供養御書)について、御文の理解を深める解説を掲載します。(「大白蓮華」3月号にも、拝読御文と解説が掲載されています)

拝読御文
 故親父は武士なりしかども・あながちに法華経を尊み給いしかば・臨終正念なりけるよしうけ給わりき、其の親の跡をつがせ給いて又此の経を御信用あれば・故聖霊いかに草のかげにても喜びおぼすらん、あわれいきてをはせば・いかにうれしかるべき、此の経を持つ人人は他人なれども同じ霊山へまいりあはせ給うなり、いかにいはんや故聖霊も殿も同じく法華経を信じさせ給へば・同じところに生れさせ給うべし

本抄について
 日蓮大聖人は文永11年(1274年)11月、身延の地から、若き南条時光に本抄を送られました。
 佐渡流罪を勝ち越えられた大聖人が鎌倉から身延に入られたのは、この年の5月。2カ月後には、16歳の時光が大聖人のもとを訪れます。時光は7歳の時、父の南条兵衛七郎を亡くし、墓参に来られた大聖人とお会いしたと推定されるため、約9年ぶりの再会と考えられます。立派に成長した時光の姿に、大聖人のお喜びは、いかばかりだったことでしょう。
 本抄は、その後、真心の御供養を届けた時光への御礼の返書です。亡き父の志を受け継ぎ、純真な信心に励む時光を最大にたたえられています。

故人への追善
 拝読御文で日蓮大聖人は南条時光に、こう仰せになっています。“あなたが、亡き父・兵衛七郎の跡を継ぎ、また法華経を信仰しているので、亡き聖霊は、どれほどか喜ばれていることでしょう”と。
 残された家族が信心を受け継ぎ、その実践に励んでいくことが、故人への追善となります。
 ここで、「回向」「追善」について、回向とは、“回らし向ける”こと、すなわち自身が仏法を実践・修行した功徳を、他の人々へ手向けることです。また追善とは、故人に対して、故人が生前に積んだ功徳に追加して、遺族などが功徳を回向することをいいます。
 御書に照らせば、回向とは、@法華経(その真髄である南無妙法蓮華経)を信じ実践する功徳によって可能であること、Aその功徳は、自身が関わる全ての人に手向けられるものであること、が明らかです。
 過去の一切の諸仏・菩薩が妙法への信によって成仏の境涯を開いてきたように、私たち自身も地道な仏道修行で境涯を開き、絶大な功徳をわが身に具えることができます。その功徳を故人に回らし向けていくのが、日蓮仏法における「追善回向」です。
 大聖人は「自身仏にならずしては父母をだにもすくいがたし」(御書1429ページ)と仰せです。追善回向の本義は、私たち自身が御本尊を信じ、信心に励んでいくことにあります。
 大聖人の御遺命である広宣流布へ行動しているのは、創価学会以外にありません。勤行・唱題をはじめとする、広布を願っての日々の信心の実践こそ、故人に対する最高の追善回向となるのです。

三世永遠の絆
 日蓮大聖人は本抄で、“亡き聖霊(亡父)も、あなたも、同じく法華経を信じられているので、同じ所にお生まれになるでしょう”と励まされています。
 池田先生は、この仰せを踏まえて、次のように述べています。「生命は永遠です。信心を貫いた人は、共に楽しく朗らかに三世の旅路を歩んでいくことができる。未来世も、同じところに生まれて、一緒に広宣流布の大道を歩んでいくことができる――。大聖人の激励に大きく包まれながら、時光の胸にどれほど安堵の心が広がっていったことでしょうか」
 こうした温かな励ましを大聖人から頂いた弟子は、時光だけではありません。最愛のわが子を失った女性門下の光日尼へのお手紙では、こう仰せです。
 「今の光日上人(光日尼)は、わが子を思うあまり法華経の行者となられた。よって必ず母と子が、共に霊山浄土へまいることができるでしょう」(御書934ページ、通解)
 妙法への信心を貫いてきた同志は、生死を超えて、ともどもに広宣流布に進み続けていくことができるのです。

霊山浄土
 「よくよく信心を強盛にして霊山浄土にまいりなさい」(御書1226ページ、通解)
 「ただ一心に信心を持たれて霊山を期しなさい」(同1227ページ、通解)
 日蓮大聖人は、御書の随所で、“法華経を修行し抜いた人は、亡くなってから霊山浄土に行くことができる”と教えられています。
 ただし、霊山浄土といっても、念仏の教えが説く西方極楽浄土のような別世界のことではありません。
 全宇宙から仏が来集した法華経の会座の様相が示しているように、霊山浄土は宇宙そのもの、宇宙の全体であると捉えることができます。
 池田先生は、「正しき信心を貫き、偉大なる正念を確立した人が亡くなると、その生命は、宇宙全体を余すところなく我が生命とできるような、広大無辺なる境地にいたって、歓喜していける」と教えています。
 霊山浄土は、信心を貫いて一生成仏を果たした人が、等しく到達することのできる、宇宙大の仏界の生命境涯なのです。

池田先生の指針から
 仏法では「生命は永遠」と説きます。そして「法華経を持つ人は、同じ霊山に行き、会うことができる。亡くなった人もあなたも同じく法華経を信じられているので、必ず同じところに生まれてきますよ」(御書1508ページ、趣意)と示されております。
 家族であっても、友人であっても、生きている間、ずっと一緒にいられるわけではありません。しかし、亡き家族、亡き友は、自身の胸の中に常にいる。生死を超えて一体である。そして、新しい生命で生まれてくることができる。同じ妙法を信じて、また身近に、一緒になっていける――そのように仏法は教えています。(対談集『生命の光 母の歌』)
 ◇ ◆ ◇ 
 夫の心を継いで、時光の母は、強盛な信心を貫き、時光ら子どもたちを立派な後継者へと育てあげていった。子どもたちも、父から学んだ信心を毅然と受け継いでいった。
 その時光も、当然、「自分は早くに父を失い、いろいろ教えてもらうことができなかった」との無念な思いも抱いていたようだ。
 その時光の心を深く知っておられた大聖人は、こう励ましておられる。
 「この経を受持する人々は、他人であっても同じく霊山にまいられて、また会うことができるのです。まして、亡くなられたお父さまも、あなたも、同じく法華経を信じておられるので、必ず同じところにお生まれになるでしょう」(御書1508ページ、通解)と、お約束なされているのである。
 妙法で結ばれた縁は永遠である。いわんや、妙法に生きる家族は、同じところに生まれ合わせていくことができる。それが、不可思議なる妙法の力用なのである。(『池田大作全集』第100巻)
posted by ハジャケン at 13:41| 山梨 ☀| 最近の話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする