2017年03月10日

大山57

小説「新・人間革命」〉 大山 五十七

 学会は、「創価学会仏」なればこそ、永遠なる後継の流れをつくり、広宣流布の大使命を果たし続けなければならない。
 山本伸一は、強く自分に言い聞かせた。
 “断じて、人材の大河を開いてみせる!” 彼は、一九五一年(昭和二十六年)の一月六日、恩師・戸田城聖が最も窮地に立たされていた時、自宅へ呼ばれ、後事の一切を託された日のことを思い起こした。
 戸田は、四九年(同二十四年)秋、出版事業が暗礁に乗り上げると、状況打開のために東光建設信用組合の専務理事として金融事業に着手する。しかし、時代の荒波をもろに被り、事業は悪化の一途をたどった。そして、遂に業務停止という最悪な事態を迎えたのである。新たな活路を求めて、戸田が最高顧問となって大東商工がスタートしていたが、それも思うに任せなかった。
 社員のなかには、戸田を恨み、憎み、罵りながら、去っていく者もいた。一部の債権者は彼を告訴さえしており、事と次第によっては、逮捕もされかねない状況である。戸田は、自ら当局に出頭し、事情説明にあたる覚悟を固めていた。
 そのなかで、東光建設信用組合の残務整理のために、伸一を自宅に呼んだのである。
 戸田が妻の幾枝を傍らに置き、率直に心の内を語り始めると、幾枝は肩を震わせて泣き伏した。“将軍の妻”が「大切な時に泣くとは、いったい何事だ!」と、彼は叱咤し、伸一に言うのであった。
 「私に、もし万一のことがあったら、学会のことも、組合のことも、また、大東商工のことも、一切、君に任せるから、引き受けてくれまいか。そして、できることなら、私の家族のこともだ」
 さらに、言葉をついだ。
 「私の、この世に生まれた使命は、また君の使命なんだよ。わかっているね。何が起きたとしても、しっかりするんだぞ」
 いかなる事態になろうが、共に広宣流布の大使命に生き抜いてこそ師弟である。
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名字の言〉 2017年3月10日

「われは湖の子 さすらいの……」で始まる「琵琶湖周航の歌」は、旧制第三高等学校(現・京都大学)の寮歌。今年、誕生100周年を迎える▼作詞は水上部(ボート部)だった小口太郎。1917年6月28日、滋賀・高島市今津の宿で仲間に披露し、当時、学生の間で流行していた「ひつじぐさ」(吉田千秋作曲)の曲に合わせて歌ったのが誕生の瞬間といわれる▼71年9月5日、琵琶湖畔に滋賀研修道場(米原市)が開館。記念して開催された第1回「琵琶湖フェスティバル」で、高等部員46人がこの歌を合唱した。じっと聞き入っていた池田先生は、「ここで『琵琶湖周航の歌』を聞くと長生きする思いがする」と語り、「もう一度みんなで歌おう」と提案。参加者と一緒に何度も歌った▼10年後の81年11月23日、先生は再び同研修道場で“周航の歌”を聴いた。会長辞任後、初の訪問である。心を込めて歌った婦人部合唱団に、「天の曲 幸の声あり 琵琶湖かな」との句を贈った▼“周航の歌”は、日本一大きな湖を、自らの力でこいでまわった学生が、大正ロマンの気風の中で詩情豊かに歌い上げた“青春賛歌”。歌詞の最後は、創価の同志の心意気とも響き合う。「黄金の波に いざ漕がん 語れ我が友 熱き心」(糀)
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革命と維新

 日本は外国に比べると、
 国体は革命国体ではなくて維新国体である。
 明治がいい例である。
 したがって明治革命といわずに明治維新という。
 昭和の来るべき時勢が昭和維新でゆくか、
 昭和革命になるかというところが
 混沌として見分けがつかないというのが現在の状態、
 革命へゆくほど道が衰え、器になってくる。
 反対に、人間が道に近づけば、
 あるいは道によればよるほど維新へくるわけです。
posted by ハジャケン at 09:13| 山梨 ☁| 安岡正篤 一日一言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする